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由比忠乃進に対する評価
1
:
悠々
:2006/09/24(日) 21:03:51
由比忠乃進は1967.11.11首相官邸前で佐藤首相渡米を前に、ベトナム
戦争に抗議して焼身自殺をした。殆どのエスペランティストは彼を
平和愛好家と評価している。これは正しいのか。彼の行動の目的、
手段共に疑問を持つ。
1(目的)彼には、国益の観点はあったのか。
当時、沖縄・小笠原返還は国民の悲願であった。戦争で
取られたものを話し合いで返還なんて非常に困難。
(例:北方4島)佐藤首相は渡米により、3年以内に
両島返還を実現した。国民の悲願実現を考えれば、由比の
行動目的は自己中・視野狭小で国益に反するものと言わざる
を得ない。
2(手段)自己の主張を貫くためとは言え、彼が選んだ手段、
焼身自殺は余りにも非人間的で自虐行為である。日本人の
道徳観からみると、嫌悪感すら感じる。当時、タイなどで
散見されたこの種の方法を単に真似したとしても。
彼を平和運動家と持ち上げているのは、視野狭小な自虐行為
を奨励するようなものではなかろうか。その罪を良く考えて
欲しい。日本のエス運動を正道に戻せばきっと、逃げていく
講習終了者はもっと減ると思う。なお、当方は浅学非才、彼
に関する歴史的研究者がいれば、異論をお聞きしたい。
2
:
やぱーの@管理人
:2006/09/24(日) 21:08:41
悠々様、ありがとうございます。
実は、このスレを立てようと思っていたのですが、どなたか立ててくれると思っていました。
ここ以外で、この素朴な疑問を呈しようものなら、感情的な総攻撃を受けることでしょう。
JEIの掲示板だったら、それこそ...
それだけでも、この掲示板を立ち上げた意味があると思います。
どなたか、平和運動家の方々のご意見を是非とも伺いたいです。
3
:
樂々
:2006/09/24(日) 22:07:09
由比忠乃進氏については焼身自殺したエスペランティストとしてしか知りませんが
それまで何してた人なんですか。焼身自殺は讃えられるべき行為とは思えませんが。
4
:
エスペロ
:2006/09/25(月) 05:17:40
悠々様の勇気あるスレ立てに感謝申し上げるとともに、敬意を表明します。
由比忠之進氏に対するエス界の高い評価については、私も違和感をもっていました。
今回のスレ立ては、いわば、エス界のタブーへの挑戦となります・・・
ここにこそ、この掲示板の存在意義があります・・・
5
:
胡人
:2006/09/25(月) 20:49:46
由比さんの行動は、現在の様に、様々な個人的理由から3万人以上の人々が自殺をしている時代と違って、公的な意識をもって死を選んだ事は、倫理的には誉められるものではないけども、当時の状況としてはアピールとしては成功した方ではないでしょうか?
私の地方にも一時期仕事の関係で活動されていた方とうかがってもいます。その当時の機関誌に投稿されたエッセイからは、その精錬潔白な純粋な心持が良く推察されます。情緒的にやはり感動できます。
タレンタなエスペラント界として、私はある意味、歴史に残るものと思います。
反戦、平和、また憲法9条(警備能力は当然必要)自体は非常に尊ぶべきものと思うが、人を愛し、郷土を国を愛するという心が基礎にあるから生まれるものであると思う。総論賛成出来るものを声高々に自身の思想信条のために利用するのはいただけない。それらを素直に話しても、色眼鏡で見られない日本になって欲しい。いったい誰が反戦、平和、非核を反体制思想に利用したのか!怒りさえ覚える。
愛国・平和・反戦は自然な感覚だと思う。自身の反体制運動のためにそれをスローガンにするのはいい加減にして欲しい。それは歴史的に無意味な活動と言え、結局時間の無駄にすぎないと思う。
自己中は恥かしい事であり、それを通すのは日本の文化には馴染まないものがある。まぁ自己中が新しい感性と誇っていらっしゃる方々もある様ですが・・・
6
:
エスペロ
:2006/09/25(月) 21:27:19
1967年前後のことはよく覚えています。「ベトナム反戦」の声が世界中に
響き渡っていました。日本でも、小田実氏の「べ平連」が大活躍していたころです。
「アメリカはベトナムから出て行け」と唱えなければ、人でないような雰囲気が
ありました。由比さんの焼身自殺も、このような背景の中で起こったのです。
そして、アメリカはベトナムから出て行きました。国際世論に負けたのです。こうして、
ベトナムは「米帝国主義から解放」されました・・・
しかし、その「解放」されたはずのベトナムから大量のボートピープルが出ました。
そして、ベトナムのカンボジアへの侵攻、さらに中国との戦争・・・
あの「ベトナム反戦運動」は、何だったのでしょうか?
あれから40年。今はっきり言えることは、当時の「ベトナム反戦」の国際世論は
間違っていたということです。べ平連は間違っていたのです・・・
7
:
松戸彩苑
:2006/09/27(水) 00:58:38
>>5
> 当時の状況としてはアピールとしては成功した方ではないでしょうか?
私には、そうは思えませんね。
と言うのも、この事件のあとにJEI会員が大幅に減っているからです。
1995年にJEIから『多様性の積極的評価と相互補完に基づくネットワーク化を!』
という冊子が出てるんですけど、これの46ページに「JEIの会員推移」っていう
折れ線グラフが載ってるんですよ。
これを見ると、1966年にはJEI会員は2500人を超えていたんですね。
これは明らかに、前年に東京で開催されたUKの影響でしょう。
で、1967年には2500人を割り込みますが、それでも減ったのは数十人に
すぎませんでした。
ところがです、これが1968年になると一気に300人以上減るんですね。
1969年にも100人以上減って、とうとう2000人くらいになります。
この年から1972年までは2000人前後で推移するんですが、73年、74年
に2年連続で100人以上減少して、74年には1700人くらいになってます。
70年代に入ってからの減少は、他の要因によるものなのかもしれませんが、
1968年の大幅な減少は、やはり、この事件の影響だとしか思えません。
革新系のエスペランティストたちは、この事件を大々的に宣伝することによって
反戦平和運動を展開したわけですが、宮本正男氏は「由比氏は、反戦平和運動が
盛り上がるようにと願って自決したのだから、これで良いのだ」といったことを、
どこかに書いておられました。
たしかに、由比氏の願いは、そういうものだったのでしょう。
しかし結果としては、ひじょうに言いにくいんですが、少なくともエスペラント
運動には、マイナスになってるんですよね。
たとえ善意でやった事であっても、一般人の理解の範囲を超えていると、絶対に
理解されないんですよね。
8
:
北辰
:2006/10/03(火) 00:43:48
由比さんの思い出(1)
S-ro 由比忠之進を知る人は、今はだいぶ少なくなったでしょう。各人それなりの付き合い方で、それぞれの印象が残っているが、この頃は語ることもあまりないようです。
初めて会ったのは中国からの帰国後まだあまりたってないころか。中共の政策に対する強い批判に驚きました。あの事件(焼身抗議)のあと、ある機関誌に私が書いた文がこのごろ出てきて、あのころの私の理解を思い返しています。
「あの反共一徹と見えた彼が、のち EL POPOLA C^INIO の perantoとなり中国を訪問した。思想変化の原因を知りたい ・・・」との理解、まだまだ浅いものでした。
「頑固な人だった」とは、彼を知る多くの人の一致する見解でした。「わからずや」ではなく、論理的な筋の通った話をするが、「これが正しい」と結論を出すと、まず変えることがない、と見られていました。
MEM(世界平和エスペラント運動)の日本代表になっても彼の考える「平和運動」のすじをあくまで通そうと努力した。印象に残る言葉「アメリカを帝国主義というなら、ソ連は赤色帝国主義だ。どちらも自分の勢力を広げることだけを考えている」
9
:
やぱーの@管理人
:2006/10/03(火) 18:29:35
北辰様、たびたびのご投稿、ありがとうございます。
貴重なお話をお聞きできて、感謝いたします。
ただ、死者に鞭打つつもりはありませんが、あの「焼身自殺」は、「朝鮮総連に小指を送りつけた行為」と、なんら変わりがないのではないでしょうか?
冷静に考えてみると、自分を傷付けて(程度の違いはあれ)他人の行動に何らかの影響を及ぼそうという点では全く同一に思われます。
どなたか、コメントを頂ければ幸甚です。
10
:
エスペロ
:2006/10/03(火) 18:40:28
由比忠乃進さんについては、私も何も知りません。検索しても情報が出てきません・・・
ですから、ベトナム戦争に抗議して焼身自殺したエスペランチストとだけしか知りません。
特にコメントはないのですが、北辰様が紹介してくださった由比さんの言葉「アメリカを帝国主義というなら、ソ連は赤色帝国主義だ。
どちらも自分の勢力を広げることだけを考えている」は、確かに印象的ですね。
やはり、由比さんにも分かっていたのですね。
まあ、とにかく、死者に鞭打つというのは嫌ですね・・・
11
:
松戸彩苑
:2006/10/03(火) 22:19:39
1960年代には、抗議の焼身というのが結構あったみたいですね。
1963年6月11日に、ベトナム人のティク・クワン・ドゥクという高僧が、
ベトナム政府による仏教弾圧に抗議して、焼身しています。
で、1965年以降になると、ベトナム戦争に反対して、アメリカで決行する
人が現われました。
65年3月26日にクウェーカー(フレンド)教徒のアリス・ハーズ、同年11月
2日にはノーマン・モリソン、同年同月9日にはロジャー・ラポート、67年8月
18日にはジョン・コッピングという人が焼身を遂げています。
また、これは由比氏のあとになりますが、68年4月2日には白川一男という人が
行なっています。
12
:
やぱーの@管理人
:2006/10/03(火) 22:38:54
そう言えば、左翼活動家は良くハンストしますよね。
→やるからには餓死寸前までやって欲しいですが...
同じ考えでしょうか?
仮にこれで死んでも、政策を変更しない政治家を責めるのはおかしいですね。
駄々をこねる子供と一緒ですから。
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