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危ない大学・消える大学(島野清志著)について語ろう!

79大学の括りは、なぜ生まれたか⑤:2019/08/16(金) 14:40:40
◆入れ代わった年代はいつか
これ以降の「螢雪時代」「私大合格(私大螢雪)」を調べてみた。しかしまったく出てこない。その他の括りも、この1990(平成2)年がピークで、「日東専駒(日東駒専)」以外はほとんど登場しなくなる。
一方、この頃から、一般のメディアでも、「日東駒専」「大東亜帝国」という括りが伝えられるようになる。例えば、『週刊現代』1990(平成2年)3月10号にある「大学下克上 日東駒専は偏差値で旧帝大 北大、東北大、九大に並んだ」などのように。
そしてMARCHという括りが一般誌の「見出し」に登場するのは、『週刊朝日』2004年4月30日号の「早慶 MARCH グループ別ランキング 伸びている私立高校」が初めてだ。翌2005年からは、『週刊朝日』に追随する形で、『読売ウィークリー(2005年3月27日号)』『サンデー毎日(2005年5月1日号)』などでもMARCHという括りを使い始めるようになる。
この1990-2004年の間のどこかで現在のMARCHという括りが確立されたと推測できる。確かに近い言葉は定説通り『螢雪時代』などから生まれているとしても、現在のMARCHという括りを最終的に定着させ広めていったのは、他のメディアや予備校などであった可能性も否定できない。
しかし調査では、それが誰でいつなのかは解明できなかった。残念であるが、また新しい情報を入手することができたら改めて調査してみたい。もし、読者のなかで有力な情報をお持ちの方は、ぜひ筆者までご一報頂きたい。
◆「日東駒専」「大東亜帝国」など
ここで、MARCH以外の括りの由来について触れておこう。
まず、「日東駒専」(日本大学、東洋大学、駒澤大学、専修大学)を見ていこう。
この括りも『螢雪時代』の代田氏が原型をつくって後に変化したものだ。もともとは「日東専駒成成神(ニットーセンコマセイセイカナ)」だったという。「成成神」は、成城大学、成蹊大学、神奈川大学のこと。後に「成成神」はカットされる。紹介した1980年の毎日新聞にも載っていることから、1970年代には作られていたことがわかる。しかし『螢雪時代』に載ったり、受験業界で頻繁に使われるようになったのは1989年代後半になってからだ。『私大合格』1989(平成元)年10月号は、筆者が見つけた範囲では「日東専駒」が見出しで使われている初出である。
田川氏の証言によれば「たしか当時代々木ゼミナール副理事長だった竹村保昭氏が「日東駒専」と言い換えて、それが定着していったはず」ということだ。一般メディアにおいては、この「日東駒専」が関東地区では一番早く普及していった。
続いて「大東亜帝国」(大東文化大学、東海大学、亜細亜大学、帝京大学、国士館大学)を見ていこう。昭和から平成に代わる私大ブームの時の『私大合格』『螢雪時代』では「亜拓大帝国」「拓亜大東国」「拓亜大帝国」「大東亜拓桜帝国」など様々な表記で登場する(拓亜大東国の「拓」は拓殖大学、「東」は東京国際大学、大東亜拓桜帝国の「桜」は桜美林大学と記載されていた)。
「大東亜帝国」には当初「東海大学」は入っていなかったという説が強い。ただ前述した『私立合格』1990(平成2)年4月号の旺文社ゼミの広告には、現在の「東海大学」も入った大東亜帝国の括りが登場している。筆者が確認した限りではこれが初出だ。そして「拓亜大帝国」と併用されながら、徐々に「大東亜帝国」で定着していったようだ。
他にも関東地区では、同じく代田氏が作ったと言われる「関東上流江戸桜」(関東学園大学、東京経済大学、上武大学、流通経済大学、江戸川大学、桜美林大学)などの括りが存在するという。


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