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危ない大学・消える大学(島野清志著)について語ろう!

77大学の括りは、なぜ生まれたか③:2019/08/16(金) 14:36:50
◆括りは空前の私大ブームから
そんな中、螢雪時代の元編集者である田川博幸氏にお話を窺うことができた。田川氏は、1980〜90年代にかけて、前述の代田氏と一緒に、色々な大学の括りのネーミングに携わった一人である。
田川氏は「そのような括りが螢雪時代に載るようになったのは、バブル最盛期の昭和から平成に移るタイミングだ」と語ってくれた。
それまで螢雪時代の読者は国公立志向が高く、当時、早慶以外の私立大学はそこまで注目されていなかった。ところが、1980年後半になると、事態が大きく変化してくる。18歳人口が急増した上に、大学進学率(特に女子)が急上昇する。要は大学進学者が大幅に増えたのだ。そうなると受験生のすそ野も広がる。私立志向も高まり、倍率も高くなる。
倍率の上昇とともに、私立大学の場合、多数の学校や学部を受験することが一般的になっていった。螢雪時代も「1-3-2併願作戦(※)」などというフレーズを作ってそれを後押しした。
(※合格可能性25%の最高目標校1校、合格可能性50%の実力相応校を3校、合格可能性75%の合格確保校を2校受験すれば、最低でも1校に合格する可能性の理論値は99.4%以上になるという計算から生まれたもの。その後、2-2-2、1-2-3などフォーメーションは年によって変わる)
90年前後、私大専願の受験生は、早慶レベルを第一志望にしていても、合格確保校として偏差値の低い大学を受験することも珍しくなくなっていった。すると各大学の見かけの倍率や偏差値がさらに急上昇していく。いわゆる「私大バブル」という状況になり、「私高国低」「国捨私入」などと言われるようになった。進路指導にあたる高校教師たちも、個別に対応しきれない。大学の校風などよりも、偏差値が重視されていくようになる。
1988(昭和63)年、旺文社は『私大合格』(1994年に『私大螢雪』と改名)を創刊し、私立大学の情報にも力を入れるようになる。前述の田川氏も『螢雪時代』から『私大合格』の編集部に異動した。毎月のように何らかの特集をつくらなければならないわけで、ますます目をひく見出しが重要になってくる。そうなると偏差値でグループ分けして、面白可笑しいネーミングを使ったタイトルの方が興味を惹きやすい。編集部で頭を捻って新しい括りを生み出していったという。
「おそらくこの時期の『私大合格』『私大螢雪』『螢雪時代』で、上記のような「括り」が誌面に頻繁に登場するようになったはずだ」と田川氏は語った。
そこで筆者は、その時代の『螢雪時代』とともに、『私大合格』『私大螢雪』のバックナンバーを調べてみることにした。何故か『私大合格』『私大螢雪』は、国会図書館東京本館に置かれておらず、上野の「国際こども図書館」に所蔵されていた。
「国際こども図書館」は、なかなかおしゃれな建物で大人にとっても居心地がいい場所になっている。資料の閲覧や複写は国会図書館と同じシステム。ただし、一度に見れる冊数が5冊と少なく、複写している間は新たな資料を閲覧できないので、ここでもかなり時間がかかり、全部見るのは何日も通うはめになった。ただそのおかげで、面白い事実を発見することができた。


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