したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

危ない大学・消える大学(島野清志著)について語ろう!

76大学の括りは、なぜ生まれたか②:2019/08/16(金) 14:35:06
◆なかなか発見できないMARCH
まず螢雪時代で「MARCH」がいつから使われるようになったかを調べることにした。旺文社に行って書庫を見せてもらえば話は早いと思い、調査を打診したところ、一般には公開していないという。
そこで筆者は永田町にある国会図書館東京本館に行って、60〜80年代後半、いわゆる昭和の『螢雪時代』のバックナンバーを可能な限り目を通してみることにした。
国会図書館で調べ物をしたことがある方はご存じだろうが、一度に書庫から出してもらえる冊数は限られている上に、出てくるまでの時間もかなりかかる。コピーを頼むと更に時間がかかる。思った以上に大変な作業で1日ではとても終わらない。
しかしながら、筆者が目を通した範囲ではMARCHという括りを発見することはできなかった(ただし、欠号もあるので完全に「ない」ことを証明するのは難しい)。
ただ調べる中で筆者が得た結論は「昭和30年代から螢雪時代にしばしば登場し、普及していったということは考えにくい」というものだった。
その間接的な証拠の一つが『螢雪時代』1974(昭和49)年10月号に載っているワイド特集「激戦必至50年私大入試」だ。この記事には、東京地区を5つのグループに分けて計20大学が紹介されている。しかし、グループ分けはされていても、括りは出てこない。ただ少なくともこの時点では、括りのネーミングは、螢雪時代においても一般的ではなかったと推測される。
ではどのようなグループ分けがされているかというと、以下の通りである。※順番は元記事で書かれている順。()のフレーズは記事で紹介されている内容を、筆者が要約したもの。
“東京①(私学の双璧)
早稲田 慶應
東京②(ミッション系おしゃれなイメージで女子人気急上昇)
上智 青山学院 立教
東京③(全国区の中堅総合私大 立地が神田周辺) 中央 明治 法政 日大
東京④ (人気の小規模中堅私大 難易度に比べイメージ高)
学習院 成蹊 成城 明治学院
東京その他(欄外コラムで紹介)
東京理科大 武蔵工大 國學院 専修 拓殖 東洋 東海”
当時はまだMARCHのような、偏差値は近いが校風の違う大学を無理矢理一緒にした語呂合わせのいい括りよりも、「上智青山立教」「中央明治法政日大」という「校風によるグループ分け」の方が、志望校選びの実情にあっていたのだろう。
◆昭和40年代は「JAR」の時代
代田氏は「この上智青山立教の3大学の頭文字をとってJAR(ジャル)(若しくは、早稲田慶應を加え、JARWAK(ジャルワック)というフレーズを生み出した」とも語っている。これは昭和40年代、女子の大学進学率が上がり、中でもミッション系で人気の3校をくくって、日本航空のJAL(若しくはその旅行ブランド「JALパック」)にかけたものだという。
実際、1980(昭和55)年12月12日付けの毎日新聞には、「強まる私難傾向」という見出しの記事が載ってる。その中にJARが登場する。
“「ジャルがソーケーに肉薄し、ニットーセンコマが急上昇中」。今、受験界では、こんな言葉がはやっている。「ジャル」は日航の「JAL」をもじったもので上智、青山、立教。「ソーケー」はご存じ、早稲田、慶應。「ニットーセンコマ」は、中堅の日本、東洋(または東京経済、東海)、専修、駒沢。これには「セイセイカナ」という言葉が続く。成城、成蹊、神奈川だ。競馬になぞらえて「二頭先駒斉整哉」と書く人もいる。”
しかしこのJAR、日東専駒などの括りも、講演やメディアへの取材などでは語られていることはあったとしても、その時代の螢雪時代本誌にはなかなか見当たらない。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板