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聖イエス会【一粒の麦】、カルト王国?

2名無しのひつじさん:2018/11/24(土) 18:59:55 ID:3/gI/pYQ0
しかないのです。
10 他者に命を与えるために、自己の命を犠牲にすること、
他者に命を与えるために、自己の命を犠牲にすること、
これよりも大きな愛はない。これよりも大きな愛はない。
11 これこそ愛の最高の表現であり、
おお、それは、愛の絶頂、愛の絶頂。神の愛。
ここに愛があった。
キリスト教の救いの中心テーマは、「イエス・キリストの十字架と死と復活。」「イエス・
キリストの十字架と死と復活。」
おおそうして、彼を信ずる者に、彼を信ずる者に、永遠の命を付与し、
人間の霊魂の内に、人間の霊魂の内に、生けるキリストが内住し、現存せられるというこ
と。これが主イエス様が死なれた目的でありました。
何というすばらしい恩寵ではないでしょうか。
12・13 このプリントには番号箇所記載なし
14 おお、自己の存在の核心に、自己の存在の核心に、生けるキリストの内住、現存を発見し
たときに、狂える者のごとくになりました。
おお、キリスト、キリスト、キリスト、
キリスト我にありて生くるなりと。
その瞬間、わたしの内に、すばらしい変革、革命がおこりました。
15 「わたしはキリストと共に十字架にかけられた、わたしは、キリストと共に十字架につけ
られた。生きているのは、もはやわたしではない。わたしではない。
 キリストが、キリストが、わたしの内に、わたしの内に、生きておられる」
16 このすばらしい使徒パウロの霊性が、文字通りわたしの体験となりました。
おお、何とすばらしいことではないでしょうか。
17 ここでわたしは「一粒の麦」の第二テーマにふれなければなりません。
それは、「わたしがキリストにあって生きること」「わたしがキリストにあって生きるこ
と」もうひとつ、
18 「キリストが、キリストが、わたしにあって、今を生きられること。」
そうして、「わたしがわたしの使徒職をとおして、他者に命を与えるために、どうしなけ
ればならないのか、」「わたしがわたしの使徒職をとおして、みなさんがたに命を与える
ために、どうしなければならないのか、」というテーマであります。
19 これは最もわたしにとって、あなたにとって、現実的なテーマであります。
そうして、このテーマこそ、「一粒の麦」のたとえの核心テーマなのです。
そこでもういちど、原則論に帰らなければなりません。
20 もう一度、原則論に帰りましょう。
(わたしと一緒に、わたしが言ったとおりに言ってみてごらんなさい)


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