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聖イエス会待望教会、主の十字架クリスチャンセンター

183名無しのひつじさん:2018/02/23(金) 23:23:35 ID:AncGNYCw0
聖イエス会某資料集より そのまま引用
くらしの中のみ言葉 「狭き門」
 「〇〇大学は競争率△△倍の『狭き門』……。」
 毎年、入学試験シーズンになると、必ずマスコミをにぎわすのが、この言葉。
しかし、本来、この言葉は、決して、きびしい競争率を表すものではありません。
 「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこ
からはいって行く者が多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それ
を見いだす者が少ない。」
(マタイ福音書7・13〜14)
 今、わたしたちの前に、二つの道があります。永遠の命に至る道と、滅びに至
る道です(申命記30・19、エレミヤ書21・8)
 「広い門、広い道」とは、だれでも通れる安楽な道です。特別な意志、決意、
信仰などなしに、――そんなわずらわしいことなど考えもせずに、と言いましょう
か――欲望のままに、世につられ、人につられて流されていく人生です。ほとんど
の人は、こう言います。「世の中がこうなんだから。」「だれでもやっていることで
すよ。」
 しかし、正義や真理は多数決で決まるものでしょうか?
 「人が見て自ら正しいとする道でも、その終りはついに死に至る道となるもの
がある。」(箴言(しんげん)14・12)
 社会の現実の中で、信仰によって生きることは、生やさしいことではありません。
それでもわたしたちは、罪や悪と妥協せず、軽薄な流行を追ったり、つまらぬゴシ
ップに加わることなく、神を愛し、み言葉に従い(申命記30・16)、きよく歩まね
ばなりません。




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