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聖書読まねえクリスチャンなんているの?Ⅲ
3
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/01/21(火) 14:05:18 ID:qBIA0KAQO
もう一度あなたたちに言います、『取りなさい、この作品を取りなさい。そして
<封じないで>読み、人にも読ませなさい。<なぜなら時が近いからです>(黙示
録22・10)、<また聖なる者はいよいよ聖なる者となれ>(同22・11)と
あるからです。
あなたたちの主イエズス・キリストの恩寵が、この作品の中にわたしの接近を見、
また『主イエズスよ、来てください!』との叫びを上げ、彼らの守りのためそれが
成し遂げられるよう強く要求する者たち皆と共にあらんことを」。
4
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/01/21(火) 17:38:43 ID:qBIA0KAQO
イエズスが口述された福音書の最後の言葉
マリア・ヴァルトルタ
天使館/霊のパン第4号/P16〜32
わたしはこれらの言葉をあなたたちに言います。この食物と、生きた水という飲
み物をあなたたちに供します。わたしの言葉は命です。そしてわたしはあなたたち
がわたしと共にこの命を生きることを望みます。また、あなたたちの霊の生命力を
破壊するサタンの毒気を相殺するわたしの言葉を増幅します。
わたしを追い返さないでください。わたしはあなたたちにわたしを与えたいと渇
望しています。あなたたちを愛しているからです。わたしの癒し難い渇きです。天
での婚姻の宴にあなたたちを支度させるために、あなたたちにわたしを授けたいと
いう熱い思いに駆られています。あなたたちは、無気力にならないために、子羊の
婚姻の時に飾られた衣装を着るために、落とし穴と茨と蛇で一杯の地球というこの
砂漠での試練を乗り越えた後の、神の大いなる祝祭のために、その害を蒙らずに火
の間を通り、爬虫類を踏みつけ、あなたたちのうちにわたしを有することによって、
死ぬことなく毒を吸い取らねばならぬために、わたしを必要とするのです。
5
:
名無しのひつじさん
:2014/01/22(水) 00:06:39 ID:zT1ox2uU0
キリスト教のヨーロッパ各地の教会の多くに宝物館というものが付設されている。
収蔵されている物は、博物館よろしく金銀の宝器と共に、「聖なにがしの骨片」とか「聖なにがしの腕」、そして肉片がある。
マリアのお乳なんて言うのもある。
聖遺物は、かぐわしい香りを放ち、光も放ち、腐らないとされた。迷信だが。
そして、死人を蘇らせ、病気やけがを直すとされた。迷信だが。
そして、現世の罪を清めて天国に行ける様にしてくれるとした。
現世利益を求めるキリスト教。御利益宗教=キリスト教。
6
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/01/22(水) 00:31:31 ID:qBIA0KAQO
疲れを知らない声、わたしの小さな人よ、あなたに平安。あなたに平和。平和と
祝福。師はあなたに言う、『ありがとう』。『祝福された者であれ』と、主はあなた
に言われる。イエズス、あなたのイエズスはあなたに言う、『わたしはいつもあなた
と共にいよう、わたしを愛する人たちと共にいるのはいとも甘美で快いものだから』と。
わたしの平和、小さなヨハネよ。来て、わたしの胸で眠りなさい」。
7
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/01/22(水) 18:04:12 ID:qBIA0KAQO
「あなたが本作品の全レポートを書き取ったように、ヨハネは神の霊の口授を書き取
ったのです。主祷文の祈りと、最後の晩餐の席上でのわたしの祈りに、何一つ付け
加えたり省いたりする箇所がないように、本作品には何一つ付け加えたり省いたり
する箇所はありません。これらの章節のどの言葉も神的宝玉であり、いじってはな
りません。これらの章節のためになすことは一つしかありません。それは、これら
のすべての美の英知のうちに、聖霊がそれらの章節を照らしてくださるよう、熱く
祈ることです。」
とあるように、これは主からマリア・ヴァルトルタに口授されたものであり、
主御自身の言葉です。
主は「聖言」とも呼ばれる神その方であり、神なる主の語られる言葉はすべて
「聖言」に他なりません。
それが、分かり易い言葉であろうとなかろうと。
私はマリア・ヴァルトルタが筆記した本作品は、本物の主のお言葉であり、
聖書に並ぶ聖書であると思っています。
8
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/01/23(木) 00:24:14 ID:qBIA0KAQO
レビ記18・22
女と寝るように男と寝てはならない。それはいとうべきことである。
レビ記20・13
女と寝るように男と寝る者は、両者共にいとうべきことをしたのであり、
必ず死刑に処せられる。彼らの行為は死罪に当る。
申命記22・5
女は男の着物を身に着けてはならない。男は女の着物を着てはならない。
このようなことをする者をすべて、あなたの神、主はいとわれる。
申命記23・18
イスラエルの女子は一人も神殿娼婦になってはならない。
また、イスラエルの男子は一人も神殿男娼になってはならない。
ローマ書1・27,28、32
同じく男も、女との自然の関係を捨てて、互いに情欲を燃やし、男どうしで
恥ずべきことを行い、その迷った行いの当然の報いを身に受けています。
彼らは神を認めようとしなかったので、神は彼らを無価値な思いに渡され、
そのため、彼らはしてはならないことをするようになりました。彼らは、
このようなことを行う者が死に値するという神の定めを知っていながら、
自分でそれを行うだけではなく、他人の同じ行為をも是認しています。
コリント1・6・9,10
正しくない者が神の国を受け継げないことを、知らないのですか。
思い違いをしてはいけない。みだらな者、偶像を礼拝する者、姦通する者、
男娼、男色をする者、泥棒、強欲な者、酒におぼれる者、人を悪く言う者、
人の物を奪う者は、決して神の国を受け継ぐことができません。
9
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/01/23(木) 00:25:00 ID:qBIA0KAQO
聖母から司祭へ1989.6.3
「あなたは父母を敬わなければならない」という掟に反対するために、
フリーメーソンは、同棲だけでなく同性愛者どうしの同棲にもとづいた
家族の新しい型までも紹介しています。
「あなたは殺してはならない」という掟に対して、フリーメーソンは、
どこの国においても堕胎を正当化し、安楽死を認めさせ、人命の価値に
対して示すべき尊敬をほとんど全面的になくすることに成功したのです。
「あなたは、姦淫してはならない」という掟に対しては、フリーメーソンは、
どんな不潔な行いも、ほめたたえ、宣伝し、また、自然に背く行いさえも
正当化しています。
10
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/01/23(木) 00:25:34 ID:qBIA0KAQO
トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/2・10・1
世間のあらゆる楽しみはむなしいか、そうでなければ汚らわしい。しかし
霊魂の喜びばかりは楽しく正しい。というのは、それは善徳から生じ、神に
よって清い霊魂に注ぎこまれるからである。
トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・12・4
そればかりか、生きている間ですら、その楽しみのうちにありながら、悩みや倦怠
や恐れを覚えずにはいられないのである。
なんとなれば、かれらの楽しみを求めようとしたそのことさえ、しばしばかれらに
悲しみの苦罰を与えるからである。
かれらは、気ままに楽しみを追い求めたのであるから、不安と悩みとを味わわずに
いられないのも当然なのである。
ああ、これらの楽しみは、すべていかにはかなく、むなしく、放縦(ふしだら)で、
恥ずべきものだろう!
しかもかれらは酔って盲目になっているので、それがわからない。そしておろかな
畜生のように、はかないこの世のつまらない楽しみを追うて、そのため霊魂を滅ぼし
てしまうのである。
だからわたしの子よ、「あなたは自分の情欲に従わず、自分の我意を捨てよ。」
(集会の書18・30)
「主に在って喜べ。そうすれば主はあなたが心に願うことを、あなたにお与えになる
だろう。」(詩篇36・4)
11
:
名無しのひつじさん
:2014/01/23(木) 01:54:54 ID:zT1ox2uU0
「ホロコースト」。
ナチス・ドイツは、ユダヤ人を大量虐殺した。
劣悪宗教・キリスト教の教義が原因だった。
また、この行為が卑劣なのは「キリスト殺しのユダヤ人」などあらゆる差別がキリスト教によって加えられていた。
また、第二次世界大戦が始まる前から行なわれていた。
この罪なき人々に加えられた暴力のこの悪に、キリスト教国・アメリカは立ちあがろうとせず、多くの死者が生み出されていた。
そして、キリスト教国・アメリカはこの状況を座視していた。
12
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/01/24(金) 00:12:21 ID:qBIA0KAQO
マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P136
「今日、偶然あなたに会えるとは!」
「偶然? なぜ神のおかげと言わないのですか」
デボラ/生ける神よりあかされた英知/1巻上P135
デボラ:「先生、もしもご迷惑すぎるようでなければ、一つの質問をさせていただ
きたいのですが・・・」
(ここで主は私をさえぎられます)。
イエズス:「学びなさい、小さな子よ、『あなたは私にお知らせになりました、
あなたは私にお見せになりました・・・』という風に言うことを。なぜなら人の
ために全てをもくろむのは常に私であり、決して何ごとも偶然ではないのだから!」。
13
:
名無しのひつじさん
:2014/01/24(金) 02:12:04 ID:zT1ox2uU0
キリスト教は、中絶禁止宗教です。
しかし、これは、プロパガンダ(嘘宣伝)です。
この看板な様な事を1つ言って、「生命を尊重している様に、皆様をマインド。コントロールしているのです」。
故に、キリスト教のマインド・コントロールに惑わされて、生命を尊重している宗教と思って、聖書など読んでいると・・。
その聖書の本質は、殺戮に次ぐ殺戮の、生命の大切さなど吹っ飛んでいることが書いてあります。
騙されない様にして下さい。
まず中絶でのだまし方は、キリスト教は「(中絶について)生命の神聖さを守る事で、あなたたちの愛を示さなければなりません」ときれいごとを言う。
ならば、キリスト教の聖書のあちこちにある殺人指令の言葉を無くして下さいと言いたいのです。
「魔女は生かしておいてはならない」の教義は間違っていましたと表明して下さい。
また、「異教徒は殺せ」は、貴方達のキリスト教の聖書に書かれていますが、これも間違っていましたと表明して下さい。
そして、申命記は全編が殺人指令ですが、これも間違っていましたと表明して下さい。
キリスト教の神が、あちこちで、「殺せ、殺せ」と叫んでいるではないですか。
「○○人は全滅にせよ」
「△△人は男だけを殺せ」
「生娘は生かしておけ」
「奴隷にせよ、奴隷にせよ」
などなど・・・低劣な記述に満ちているキリスト教の聖書を正して下さい。
この聖書によって、どれだけの戦争が起きたというのか、そしてまた、どれだけの方々が亡くなったというのか考えて見て下さい。
14
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/01/24(金) 23:19:35 ID:qBIA0KAQO
スウェーデンボルグやマリア・ワルトルタ、ヴァッスーラなどを読んで、これは
まことに神からのみ言葉であると認識するのはその人の直感であろうと思います。
聖書で確認して、という人もいるでしょうが、それだけ読んで直感する人もいる
でしょう。それは理屈ではありません。
私はそれらを読んで、まさにそう思います。これは人間業ではないと。
だから推奨するのです。文体の違いがあってもそれがどういうことか分からなく
とも、これが神のお言葉であるという確信は揺らぎません。
サマリアの女が駆け出して主のことを村人に知らせに行くように。
判断するのは皆さんご自身です。
皆さんが人の言葉によってそれをまるまる信じるような方々であるとは
思いません。皆、自分で判断するのです。
子供ではないのですから。
15
:
名無しのひつじさん
:2014/01/25(土) 01:41:48 ID:zT1ox2uU0
「隠れキリシタン」はその名前からか、何か「キリスト教の範疇に入る宗教の様にお思いでしょうが、まったく違います」。
隠れキリシタンは、『キリスト教徒ではありません』。
明治以降にキリスト教が入って来て、何にも拘束されないのに、キリスト教に入らないどころか、キリスト教自体を認めないという意思表示をした。
当然、キリスト教会に来るようにとキリスト教聖職者や信徒が誘ってもキリスト教会には行かなかった。
自分たちと違う名前、例えば、「新教」と呼んだりして、自分たちの信仰とは違うと主張した。
キリスト教聖職者が、馬鹿な話なのだが、昔の宣教師のかっこうで説得に行くと、「似ているけれど、どこかが違う。信じられん」と言われたという笑い話がある。
「新教になるくらいなら、佛教か神道になりたい。入りたい」という。
キリスト教側も、洗礼を「村の長」が、かっこうだけでしたり、とてもキリスト教とはいえないと言った。
16
:
名無しのひつじさん
:2014/01/26(日) 01:16:20 ID:zT1ox2uU0
キリスト教は。権威が欲しいとあらゆることをした。
医学へも手を伸ばした。
そして、邪魔だった産婆(助産婦)の駆逐に乗り出した。
そして、キリスト教がよくやる手、あること無いことを言いたてた。
産婆の多くは魔女に仕立て上げられ、駆逐された。
そこには、キリスト教側の一方的なキャンペーンの働きかけだけでは、民衆は動かない。
そこで、キリスト教は、破廉恥な行為をした。
産婆をスケープ・ゴート(犠牲の山羊)にした。
「産婆が嬰児を殺した」や、
「産婆は、トサタ(悪魔)と結びついている」・・と、キリスト教はでっち上げた。
その頃の中世は、死亡する率が高く、「嬰児の死亡は産婆の仕事にはつきものだった」。
産婆は独身女性が多く、一人で細々と暮らしていた。
独り暮らしの女性は、家庭の安定に脅威を与える存在とキリスト教は言い、脅威の存在とされた。
出産時の母親の死や死産は、家庭、特に両親に深い心理的外傷を与えることになった。
キリスト教は、こうした民衆の恨みや憎悪の感情を、可哀想な立場、弱者の立場の産婆に塗り付けた。
医療機関が十字架マークを付けているが、この様な可哀想ないきさつなどが多くあります。
17
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/01/26(日) 22:15:15 ID:qBIA0KAQO
マタイ10・11−15
町や村に入ったら、そこで、ふさわしい人はだれかをよく調べ、旅立つときまで、
その人のもとにとどまりなさい。その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶
しなさい。家の人々がそれを受けるにふさわしければ、あなたがたの願う平和は彼
らに与えられる。もし、ふさわしくなければ、その平和はあなたがたに返ってくる。
あなたがたを迎え入れもせず、あなたがたの言葉に耳を傾けようともしない者がい
たら、その家や町を出て行くとき、足の埃を払い落としなさい。はっきり言ってお
く、裁きの日には、この町よりもソドムやゴモラの地の方が軽い罰で済む。
18
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/01/26(日) 22:48:32 ID:qBIA0KAQO
スレ主は、キリスト教を受け入れ改心してください!
マルコ7・14−22
それから、イエスは再び群集を呼び寄せて言われた。「皆、わたしの言うことを
聞いて悟りなさい。外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もな
く、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。」イエスが群集と別れて家に
入られると、弟子たちはこのたとえについて尋ねた。イエスは言われた。「あなた
がたも、そんなに物分りが悪いのか。すべて外から人の体に入るものは、人を汚す
ことができないことが分からないのか。それは人の心の中に入るのではなく、腹の
中に入り、そして外に出される。こうして、すべての食べ物は清められる。」更に
次のように言われた。「人から出て来るものこそ、人を汚す。中から、つまり人間
の心から、悪い思いが出て来るからである。みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、貪
欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、これらの悪はみな中か
ら出て来て汚すのである。」
19
:
名無しのひつじさん
:2014/01/26(日) 23:40:20 ID:zT1ox2uU0
キリスト教は、「神が居る天のみが美しく、清浄なのだ」という教義。
そして、人々にその事をひたすら洗脳する宗教。
そしてまた、「だから、地上は汚(けが)れ、汚(よ)れている」と洗脳する。
この間違ったキリスト教の教義によって、フランスの町・パリが大変な事になった。
汚(けが)れている地上、汚(よご)れているのならと、自分達の排泄物である糞尿を町の道路などに捨てた。
パリは糞尿だらけとなった。
間違った宗教がこの様な悪さをする。
汚(けが)れている事を洗脳したばっかりに、町の人たちは、この様な行為に及んだ。
町は不衛生になった。
ネズミも増えた。
恐ろしい病気であるペストが大流行した。
間違った宗教はこの様な悪さをする。
そして、ヨーロッパの方々の30%もの方々が、亡くなった。
ほら見なさい。間違った宗教はこの様な悪さをする。
キリスト教の教義によって大惨事が引き起こされた。(つづく)
20
:
名無しのひつじさん
:2014/01/26(日) 23:43:04 ID:zT1ox2uU0
キリスト教の間違った教義により、ヨーロッパの多くの方々に降り注いだ不幸であった。
キリスト教には、この様な不幸の教義が充ち充ちている。
この様な教義が、心底に染み込み、洗脳された信徒は幸せになれるはずはありません。
真の教えは、地上にこそ幸せが溢れるという教義でなければなりません。
あちこちに萌(もえ)映ずる生命(いのち)を讃(たた)える教義でなければなりません。
これからは自然環境を、特に、大切にしなければなりません。
現代はその様な時代です。
劣悪な、そして、卑劣なキリスト教の教義は、抹殺しなければ人類の存続は危うくなります。
自然と共生を説く仏教でなければならない由縁です。
仏教思想でこそ、多様の思想でこそ、皆様の幸せが現出されるのです。
仏教思想はその様な思想・宗教です。
天のみに幸せがあるという一神教の神の思想では幸せの世は造れません。
人類は生き残ることはできません、存続できません。
あなた方も幸せになれません。
21
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/01/27(月) 00:59:34 ID:qBIA0KAQO
>>20
反キリスト教の宣伝を止めてください、このスレを徹底的に破壊して、このサイトの管理人に通報して閉鎖に追い込みますよ!
22
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/01/27(月) 13:37:56 ID:qBIA0KAQO
(主の一生涯は試練)
マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩下P75、天使館90・3
マリアは気がかりで、わが子を包むようにじっと見つめる。
「くたびれていたのです、母様。世の中は、すべてが誠実と愛からなるこの
家のようなわけにはいかないから。母様・・・私がだれであるかを知り、
世の中とのつき合いが私にとって何を意味しているかを理解できるのは
母様だけです。悪臭を放つぬかるみの中を歩くように、細心の注意を払って
いてもはねが上がり、必死で息を詰めていても悪臭から逃れられない・・・。
すがすがしく、おいしい空気を好きな人がそこにいたとしたら、どんな思い
をするか容易に想像がつくでしょう」
マリア・ワルトルタ/マグダラのマリア/P369
自分の運命について嘆いているあなたたちは、これを信ぜよ。人間のどん
な運命でも、私より悲しいものはない。なぜなら、誕生から死に至るまで、
私に伴った貧しさ、さまざまな試練、さまざまの敵対と一緒に、最後に私に
何が起るかということを、前からずっと知っていたからである。でも皆、嘆
くな! 私に希望をおきなさい。あなたたち皆に、私の平和を残す。
23
:
名無しのひつじさん
:2014/01/28(火) 01:40:34 ID:zT1ox2uU0
キリスト教は、南米・中米・そして、北米メキシコとそれら
の離島で、現地の方々=インディオの方々を、殺戮に継ぐ殺戮
というかたちの蛮行を、し尽く(つく)した。
その行動の根には、キリスト教の教義から来る人種への見方、
現地の方たちを蔑(さげす)んで捉(とら)える見方・考え方
があった。
それは、キリスト教の教義から来ている。
それは、キリスト教聖職者の言葉からも分かる。
「原住民は人ではない」というキリスト教聖職者の言葉から
も分かる。この言葉が、残されている。
アメリカは、第二次大戦後の戦後構想に於いて、ヨーロッパ
の地域統合を促進する役割を果たすくらいだった。
ヨーロッパ諸国は、団結を維持してソ連の脅威に対峙しなけ
ればならなかった。
また、その為には、アメリカの関与を、ソ連封じ込めのため
に必要だった。
もはや、ヨーロッパ各国は、単独で、そして独自に、外交が
展開できる状況では無かった。
アメリカの兵力に頼る構図が、必須の状況だった。
故に、逆に言えば、アメリカが主導する世界から、ヨーロッ
パ諸国が遊離し、そして離脱する事は、軍事面では、特に、不
可能な状態だった。
しかし、だからといってヨーロッパ諸国が拘束されるという
訳ではなく、
ヨーロッパ諸国は、自前の地域機構を持ち、自分たちの声を
上げる事が出来、
アメリカから独立して、独自に執り行う力をヨーロッパ諸国
は保持して居たし、保持できた。
アメリカから自立した秩序を、ヨーロッパ諸国は形成も出来
た。
故に、ヨーロッパ諸国は、ユーゴ紛争時に、アメリカの不介
入ではなく、地上軍の投入を求めた。
また、イラクのクウェート進攻の時は協力もした。
アメリカとヨーロッパ諸国との関係は、アメリカの影響力に
依存するが、
アメリカが構想し作った「アメリカの平和」の受益者として、
ヨーロッパ諸国は存在した。
この様な事を、アジアに於いて見ると・・・、
アジアの場合は、アジアが、アメリカを招く前に、アメリカ
軍がすでに存在するという状況だった。
「招かざる進駐」である。
アメリカを、開放者として捉えるアジア人は限られていた。
アメリカを歓迎するというより、アメリカの強大な兵力が先
に居るという状況だった。
アジアに於いて、アメリカは、何よりも軍事大国であった。
そして、経済大国だった。
アジアでは、何よりも、アメリカの『封じ込め政策』などの
アメリカの権力が大手を振って歩き、
ヨーロッパの場合よりも、直接的な軍事介入という形が、ア
ジアには現われた。
このはっきりした、明らかな違い・差は何なのか?
中世の様な、あからさまな形ではないが、何処かに、ヨーロ
ッパ人とアジア人の間の人種差、人種の違いによる対応の違い
が、潜在的に存在している。
その深層に、キリスト教の考え方から影響を受けて来た長い
歴史が、横たわっている。
アジアの国は、アメリカという大国に服従するという選択に、
やむを得ずなった。
もし、東側の選択ならば、軍事大国のアメリカの強大な介入
がなされる。
国の主権など何処かに吹っ飛んでいる。
国の人々は、意思の無い存在と捉えられていた。
あたかも植民地時代の人権の理解と同じ様だった。
アジア各国は、逆らう事の出来ないアメリカという存在だっ
た。
アメリカの政策目的も、アメリカの求める戦略を、忠実に実
行できる政府を、各国に造ることにおかれた。
この様なパターンは、この様なセンスは、今現在も、あらゆ
る場面で見られる。
TPPも、単なる経済だけのものではない。
24
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/01/29(水) 00:22:05 ID:qBIA0KAQO
ジャック・ネランク/あなたは預言を無視しますか・現代の預言者ヴァッスーラに聞く/P43〜
それどころか、教会史を通して、同じような「霊感」に浴した文書、つまり聖霊が
現れて、書く者の霊魂を照らし、神からのものを正しく「判断するための」光と明
晰さをこれに与え、さらにそれらを文字にする力と能力を与える、そういった聖霊
の御業と出現に浴した、数え切れないほどの文書を目の当たりにすることができる
。教皇と教会の神父や博士の文書は、神の「特別の臨在」の実りとして知られてい
る。偉大な神秘家の文書は、それらの文書が単に人間によって書かれたものである
かもしれないが、内面の恩寵であり、真の霊感、すなわち彼らを良く導くための神
の出現なのである。ヴァッスーラのケースは、真に偉大な力t類似の、霊感の賜物
である。この霊感は、他のものとは異なる。というのもいかなる人間による探求の
作業も必要としないものだからである。ヴァッスーラは逆に、あらゆる神学上の問
題にまったく無知であるにもかかわらず、神は彼女をお選びになった。彼女が書い
たものは、神の直接の働きの所産である。彼女を教育したのも、すべてを伝授した
のも、口述しているのも、霊感を吹き込んでいるのも神であり、彼女が書き記した
のは、神が啓示されたことである。
25
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/01/29(水) 00:22:45 ID:qBIA0KAQO
(続き)
(5)「主なる神の御姿の識別」
内面の言葉に加えて、神はヴァッスーラに、ご自分の姿を「識別する」術
をお教えになった。イエスは「霊魂の目で見ること」ができるようなやり方
で、霊的に、彼女の心の中にご自分の姿を現される。だがそれは自動的なも
のでも、魔術でもない。ヴァッスーラはたゆまぬ努力を続けながらゆっくり
と進歩してゆき、生き生きとした活動的なイエスの姿を識別することができ
るようになったのである。主は彼女に、識別することを少しずつ「教えて」
いった。あらゆる恵みの賜物は、こうした段階的な教育を必要とする。恵み
の賜物に自動的なものも、魔術的なものもない。あるのは常に、遅々として、
困難な、苦しい歩みである。他のすべての恵みの賜物と同じように、神は人
間的なやり方で、少しずつ、その賜物の用い方を練り上げるようお導きにな
る。癒しの賜物、ことばの賜物、神の息吹を識別する賜物なども同様である。
恩寵はゆっくりと、いくらかは本人の献身的な協力を期待しながら作用する。
ヴァッスーラもまたこのようにして、主の現存を識別する恵みの賜物を学ん
だに違いない。主は彼女に対して霊的に姿を現されたがその結果、神が地上
におられたときのように、人としての主を、知的な幻覚として「見る」こと
ができたのである。彼女は肉体を有する神の物腰を、面差しを、肉体に現れ
た霊魂の状態の印象を、さらにその他を見分けることができる。主の現存を
識別できるこの賜物は、内面での言葉と垂直な文字で書かれた「具体的な指
導」とで完全なものとなる。以上のように、全くのところ非常に複雑で、並
外れて豊かな賜物である。
26
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/01/29(水) 00:23:15 ID:qBIA0KAQO
(続き)
(6)「典礼にのっとった厳かな」文字
ヴァッスーラが口述筆記した文字は垂直で、はっきりしていて、典雅であり、
彼女自身のものとはまったく異なっている。それは「典礼にのっとった厳かな」
とか「聖なる」と呼ばれている文字である。自動記述ではない。口述筆記の文
字については、まさにこの点が問題になる。というのも、潜在意識に起因す
る、あるいは悪意に起因する自動記述の現象はよく知られるところだからで
ある。この現象が起こるとき、書いている人間は、その内容を自覚せずに、
不思議な力に突き動かされている。自動記述の極端なケースでは、鉛筆が手
を無理やり動かしながら、いわば勝手に動くのである。ヴァッスーラの場合
は、そのようなことは全くない。彼女には意識があり、自立しており、自由
である。望むときに中止して、再び続けることも、ただ書かないでいること
も出来る。彼女の手が「いわば抵抗できない」やり方で動いたのは、神が姿
を現わされた最初の日々だけである
27
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/01/29(水) 07:23:38 ID:qBIA0KAQO
(続き)
だが、彼女自身は自分が何を書いているのかを、常に自覚していた。彼女は
いつでも自由に中止したり、続けたり、中断することが出来る。ときに、メ
ッセージがひどく長い場合は、時間を節約するために、普段の自分の字で書
かねばならないこともある。その後の清書の際には、主からのメッセージを
書きとめるときの書式である。垂直の文字で書くのである。この文字のかも
しだす美しさ、調和、平安と、筆致の威厳、高貴さ、表現の典雅さは感動的
である。文字を見るだけで、彼女に霊感を与えた聖霊の存在が感じられる。
秩序、明晰さ、簡素さ、気品がその出所をよく表している。典礼にのっとっ
た厳かな文字やイコンなどに見られる縦の広がりの優位は、彼女に浸透して
いる信仰の深さを示している。硬直性もぎこちなさもまったくないし、混乱
も無秩序もなく、自動筆記に特有の混乱もない。ヴァッスーラも、彼女の感
情も、気質も個性も性格も、厳かな文字の陰に消えている。唯一、表に現れ
ているのは、彼女に霊感を与えている、荘厳で威厳ある現存である。唯一、
表にはっきりと現れているのは、聖なるものの現存である。
以上
28
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/01/30(木) 16:15:12 ID:qBIA0KAQO
(スウェーデンボルグは主から口授された)
天界の秘義6597
しかし内意はこれまで明らかにしたようなものであることはこれまで述べて
きた凡ゆる細々としたことから明白であり、とくにそれが天界からわたしに
口授されたものであるという事実から明白である。
主の聖言―経験から―(静思社『仁慈の教義』に併録)/29
このことから、聖言を通して行われる間接的な[媒介的な]啓示は霊たちを
通して行われる直接的な啓示よりもまさっていることが明らかである。
わたし自身については、わたしはいかような霊の口からも、またいかような
天使の口からもいかようなものも得ることは許されてはいないのであり、
主の御口のみから受けているのである。
29
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/01/30(木) 16:15:46 ID:qBIA0KAQO
(スウェーデンボルグは主のみから一切を得た)
啓示による黙示録解説・序言
それゆえ、わたしが何かをわたし自身から得たとは、または天使から得た
とも信じてはならない、わたしは主のみから(一切)を得たのである。
主もまた天使を通してヨハネに言われた―
この書物の予言の言葉を封じてはならない(22・10)
このことによってそれらが明らかにされなくてはならないことが意味され
ているのである。
30
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/01/30(木) 16:16:24 ID:qBIA0KAQO
真の基督教779
「主の再臨は一人の人間を媒介として起りつつある、主は新しき教会の教義
をその聖言によって教えるために、この人間に自らを親しく示し、彼をその
霊を以て満たし給うた。」
上述したように、主は自らを親しく顕し給うことは出来ない。しかも主は自ら
来って新しいエルサレムなる新しい教会を創設するであろうと予言し給うた。
それ故主はこの事を、単にこの教会の教義を理解し得るのみでなく、更にこ
れを印刷し公にすることの出来る人間によって為し給うであろうことが推論
される。主は御自らをその僕なる私に顕わし、私をこの務めに遣わし給うた
ことを厳かに宣言する。主は私の霊の眼を開き、かくして私を霊界に導き入
れ給うた、而してこれは数年間今もなお継続しているのである。更に、私は
その召命の最初の日から、新しい教会の教義に関わるものを如何なる天使か
らも受けず、私が聖言を読みつつある間に主のみから受けたのである。
31
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/01/30(木) 16:16:59 ID:qBIA0KAQO
(予言者たちに主により生きた声で口授された)
啓示による黙示録解説36
ヨハネも同じであった。(中略)ヨハネはこれらの物を『霊の中に』、『幻の中に』
見たことをかれ自身が言っており(黙示録1・10、4・2、9・17、21・10)
このこともまた『わたしは見た』により、その言葉が言われている所ではつねに意味
されているのである。これらの事柄から『霊の中に』いることは『幻の中に』いる
ことであることが明白であって、そのことは人間の霊の視覚が開くことにより行わ
れるのであり、それが開かれると、霊界に存在する物は自然界に存在する物が身体
の目の前に現れると同じ明白さをもって現れるのである。わたしはそれがそうであ
ることを多年の経験から証することができる。弟子たちが主をその復活の後に眺め
たときも、かれらはその状態にいたのである。それで『かれらの目が開かれた』と
言われている(ルカ24・30、31)。アブラハムも、かれが三人の天使たちを
見て、これと話したときも同じ状態にいたのである。ハガルや、ギデオンや、ヨシ
ュアや、その他の者たちがエホバの天使たちを見たときもそうだったのであり、同
じくエリシャの若者が山が戦車と火の馬とで満ちてエリシャをとり巻いているのを
見たときもそうだったのである。なぜなら―
エリシャは祈って、言った、エホバよ、ねがわくは、かれの目を開いて、見させ
てください、と。するとエホバはその若者の目を開かれた、かれは見た(列王記下
6・17)。
しかし聖言については、それは霊の状態の中では、または幻の中には啓示されなか
ったのであり、予言者たちに主により生きた声で口授されたのである、それでかれ
らはそれを聖霊から話したとは何処にも言われておらず、エホバから話したと言わ
れている。「主にかかわる新しいエルサレムの教義」(53番)を参照。
32
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/01/30(木) 16:17:42 ID:qBIA0KAQO
「主の御口のみから受けているのである」とあるように、スウェーデンボルグ
は主から口授されたことは明らかであり、彼の文書すべてがヴァッスーラの1の文書
であるかどうかは分かりませんが、彼の文書も聖言(みことば)であることは
事実であろうと思います。
これは外形的なものですが、聖言の機能は私たち人間と天界とを連結することで
あり、スウェーデンボルグはそのことについてこう言っています。
33
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/01/30(木) 16:18:16 ID:qBIA0KAQO
(この意義を通して人間と天界の天使たちとの間に交流[伝達]が開かれており)
主、新しい教会へ招きたもう44/「新しい教会の教典」に併録
これらの極めて明白な証明に加えて、聖言の霊的な意義が主によりわたく
しを通して明らかにされたという事実が在り、それは聖言がイスラエルの子
孫のもとに記されて以来以前には決して啓示されはしなかったのであり、こ
の意義は聖言の聖所そのものであり、主御自身はその神的なものをもってこ
の意義の中におられ、その自然的なものをもって自然的な意義の中におられ
るのである。この意義では一文字すらも主のみによらなくては開かれること
はできないのである。これは世の創造以来これまでに与えられた凡ての啓示
にも勝るものである。この意義を通して人間と天界の天使たちとの間に交流
[伝達]が開かれており、またその二つの世界の連結が遂行されているので
ある、なぜなら人間は自然的な意義の中にいるとき、天使たちは霊的な意義
の中にいるからである。(「真の基督教」における)聖書を取扱った章の中
でこの意義について記されたことを参照されたい。
34
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/01/30(木) 16:18:50 ID:qBIA0KAQO
「これは世の創造以来これまでに与えられた凡ての啓示にも勝るものである。
この意義を通して人間と天界の天使たちとの間に交流[伝達]が開かれて
おり、またその二つの世界の連結が遂行されているのである」(
>>605
)
とまでスウェーデンボルグは言い切っています。
スウェーデンボルグ読者でスウェーデンボルグは聖言ではないと否定される
方もおられるでしょうが、それではスウェーデンボルグを否定していること
になってしまうでしょう。
35
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/01/30(木) 16:19:25 ID:qBIA0KAQO
「聖言」の概念、意義はスウェーデンボルグから学びながら、
スウェーデンボルグは「聖言」ではないと言うなら、それは
自己矛盾です。
36
:
名無しのひつじさん
:2014/01/31(金) 00:04:55 ID:zT1ox2uU0
キリスト教を取り巻く「ある一時期」を記しただけでも、「ソロモンの栄華は長く続かず、
権謀術策の破廉恥な世に。
内乱・反乱、民族の分裂、 短命の王国、
南の隣国の侵入を受け、都を盗られ、
残った一部の領土も、東の国に奪われ、
王は捕らわれ目を潰され、貴族は串刺しにされる。
民は強制移住に、そして、賤(いや)しまれる・・・』
・・・という様に、戦乱に継ぐ戦乱。
この様な中から、キリスト教の教義は形成されて行く。
当然、その様な戦乱の世の教義で、充ちる教義となる。
現代社会にはまったくなじめない、合わない。
その様な教義が、「宗教教義ゆえに、生き残って現代の方達へ影響を与える」。
また、「宗教教義、故に、遠い昔の古い戦乱の時代の教義が、そのままに、現代の世に登場する」。
「宗教教義ゆえに、洗脳的に批判を罰という脅しと共に、禁じられ、頭に刷り込まれる」。
37
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/01/31(金) 00:11:15 ID:qBIA0KAQO
(霊的な死)
天界の秘義5070
義しい者に与えられる永遠の生命は善から発している生命である。善は、
生命そのものであられる主から発しているため、それ自身の中に生命を持っ
ている。主から発している生命の中には知恵と理知が存在している、なぜな
ら主から善を受けて、そこから善を意志することは知恵であり、主から真理
を受け入れて、そこから真理を信じることは理知であり、この知恵と理知と
を持っている者は生命を持ち、そしてこのような生命には幸福が結合してい
るため、永遠の幸福もまた『生命』により意味されているからである。
悪の中にいる者らの場合はそれに反している。これらの者も生命を持ってい
るかのように―特にこれらの者自身には―実さい見えはするものの、しかし
それは聖言では『死』と呼ばれているような生命であり、また霊的な死であ
る、なぜなら彼らはいかような善からも賢いのではなく、またいかような真
理からも理知的なものではないからである。このことはたれであれその事柄
を考察する者から認められることができよう、なぜなら善とその真理の中に
生命が在るため、悪とその誤謬の中には、それらは対立したものであって、
生命を消滅してしまうため、生命は在りえないからである。それで問題の人
物は狂人に属しているような生命以外の生命は持たないのである。
38
:
名無しのひつじさん
:2014/02/01(土) 00:07:26 ID:zT1ox2uU0
キリスト教の最悪な事は、自分で免罪符を出しながら、極悪のし放題をする所だ。
強盗が、極悪な事をする前に、先に『無罪の判決書』を自分で自分に出して、極悪行為をする様なものだ。
キリスト教は、キリスト教の神を「殺人者製造マシン」に堕落させた。
--------------------------------------------------------------------
ヨーロッパの土着民族だった『ケルト民族」が、聖なる色とした『黒』を、キリスト教は忌んだ。・・が、
後に受け入れ、ここまで聞いて、びっくりしなくなったキリスト教徒。そんなことはよくあることさ・・と来る。
キリスト教は、忌んでる『黒』に、後々まで、何だ、かんだと関わり、とうとう、『黒いマリア像』まで出現させた、作り出した。
この様に、コロコロ変わる、教義も変わるキリスト教。
お粗末な話だ。
尚、ローマ法王までが、命を狙われた時の事だ、
銃弾によって狙撃された時、
危うく助かったという法王。
余りにびっくりした法王、気も動転だったのか?
命が助かったローマ法王は、『黒いマリア像に感謝している。祈る』・・と。
天の居るという『三位一体神』ではなかったというのが味噌。
このお粗末さの芝居の、これが最後の言葉だった。
.. (詳しくは、以下のブログへ)blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
39
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/02/01(土) 00:23:42 ID:qBIA0KAQO
(隣人)
新しいエルサレムの教義106
主は何ものにもまさって愛されねばならない(隣人の)最高の意義における隣人
であられ、かくて主から発し、主がその中におられるものは凡て、すなわち、善と
真理とは隣人である(天界の秘義2425、3419、6706、6819、68
23、8124番)。
新しいエルサレムの教義106
隣人を愛することはその人物を愛することではなく、彼のもとにあって、彼の存在
の源泉となっているものを愛することであり、従って善と真理とを愛することにあ
る(天界の秘義5028、10336番)。人物を愛して、その人物のもとにあっ
て、その人物の存在の源泉となっているものを愛さない者らは善のみでなく、悪を
も愛する(3820番)。そして彼らは善い者のみでなく、悪い者にも善を為すが、
しかし悪い者に善を為すことは、善い者に悪を為すことであって、それは隣人を愛
することではない(3820、6703、8120番)。悪い者が匡正されて、善
い者が悪い者に感染しないように、悪い者を罰する裁判官は隣人を愛している(3
820、8120、8121番)。
40
:
名無しのひつじさん
:2014/02/02(日) 02:58:40 ID:zT1ox2uU0
キリスト教は、卑劣な事に、死を美化する宗教です。
キリスト教にとっては、命をなげうってでも宗教を守ってもらえば『有難いことだ』になるだろう。
聖職者は教会内で『やれやれ』と言うだけなのだろうが・・。
『殉教は美しいのだ』と洗脳し、信仰の極至とし、せっせ、せっせと信徒の方たちを洗脳する。
そして言う。あらゆる迫害を忍ぶと天国へ行けますよ・・と。
ここが洗脳の極至。
そして、更に言う。
神がその様に決めているのですよ・・と洗脳する。
そして、死を美化された信徒が出来あがる。
この様なことで、天国へ行けるわけがない。
この、今を、生きて、人生を楽しむが正しい道なのだ。正解なのです。
キリスト教は、この1例のように、多くの人生の間違いを示唆する宗教です。
皆様が幸せになれるはずがありません。
特に、純真な子どもたちは、キリスト教に注意しなくてはなりません。
子供たちには、死を希求する様な教義は絶対しないでください。
41
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/02/02(日) 12:16:18 ID:qBIA0KAQO
(ユダヤ民族について)
天界の秘義4903[2]
ユダヤ民族は内なるもののない外なるものの中にいて、それで真理を誤謬で
あり、誤謬を真理であると信じたことは、彼らが敵を憎むことは許されてい
ると教えたことから明白であり、また彼らは彼らの宗教を奉じなかった者た
ちを凡て憎んだというその生活からも明白である。また彼らは異邦人を残虐
にまた残酷に扱って、彼らを殺した後ではその死体をさらしものにして鳥や
野獣に食わせ、彼らを生身のまま鋸で二つ切りにし、鉄のまぐわや斧で切り
刻み、焼き釜の中を通らせつつも自分からはエホバを喜ばせ、エホバに仕え
ているとさえ信じもしたのである(サムエル記後12・31)。さらに何ら
かの理由で敵であると宣言された同胞をもほとんど同じように扱うことも彼
らの教えにはかなっていたのである。かくて彼らの宗教[宗教性]の中には何
ら内なるものがなかったことが明白である。もしたれかがそのとき彼らにこ
のような事柄は教会の内なるものに反していると言ったとするなら、彼らは
それは誤りであると答えたであろう。彼らは単に外なるものの中にいて、内
なるものの何であるかを全く知らず、内なるものに反した生活を送ったこと
は、主がマタイ伝5章21節から48節に言われていることからもまた明ら
かである。
42
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/02/02(日) 14:23:59 ID:qBIA0KAQO
ご参考までにスウェーデンボルグが自殺者について述べている箇所をご紹介
します。
(自殺)
霊界日記1336/たま出版P61
ある者はこの世にいたとき短刀を突き刺して自殺したが、彼は憂鬱症から
自暴自棄に陥った。彼はこうした状態へ邪悪な霊たちによって駆り立てら
れたのである。彼は私のところへやって来て、「私は悪霊どもに悲惨に扱
われています。私を絶えず挑発する怨霊に私は囲まれているのです」と訴
えた。彼のいた場所は低地の、やや左側であった。また彼は、手に短刀を
もち、?
43
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/02/02(日) 23:15:52 ID:qBIA0KAQO
スウェーデンボルグは聖書の釈義を著すために、ヘブライ語をマスター
したということを伝記か何かで読んだ記憶があります。
そして彼がヘブライ語で旧約聖書を読んでいたのかは知りませんけれど。
ちなみに、彼は何ヶ国語も読み書きしたそうです。(これも何かの伝記です)
しかも書くのはラテン語ですから、当時の学者は皆そうだったかも知れませんが、
大したものだと思います。
44
:
キリスト教掲示板に生まれ変わりました!小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/02/03(月) 13:50:42 ID:qBIA0KAQO
(聖母を見る・理解する)
マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P87
人類はすべて罪人である。被造物のなかではただ一人だけが、罪の苦い味とは言
わないまでも、罪の苦い匂いを味わわなかった。あなたたちのあいだに肉となり、
あなたたちの肉を贖うためにわたしが後にした天国への望郷の念をわたしに抱かせ
なかった女人マリア、わたしのいとも優しき母であった。というのもマリアのうち
にわたしは、天にある永遠の純白と光り輝く愛を見出していたからだ。父は彼女の
うちに住み、彼女を被造物のなかの完全な存在としていつくしみ、聖霊は彼女をそ
の火で貫いて、処女を母にし、彼女の周りに天使の群れは集まり、一被造物のなか
の三位一体を礼拝した。
マリアの胎内! マリアの心臓! いいや。神にもっとも心を奪われた頭脳とい
えども、純粋と愛のこの二つの完全さの奥底に降りることは出来ず、頂点にまで登
ることは出来ない。わたしはわたしの親しい人々の中でも最も親しい人々のために
マリアの胎内と心臓とを照らす。ただしあなたたちは、完全な学問のあるところに
至った時はじめて、マリアを理解するだろう。
45
:
ここはキリスト教スレです 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/02/04(火) 00:39:18 ID:qBIA0KAQO
黙示録講解821ロ[8]
主の教会は、行為における仁慈の中にいる、または善い業の中にいる者たち
の中にあって、これらのものから分離した信仰の中にいる者らのもとには存
在しないこともまたペテロとヨハネとについて述べられていることにより意
味されている。すなわち―
ペテロは振り向いて、主が愛された弟子が―その者はまた夕食のさい主の胸
によりかかったのであるが―後について来るのを見る。ペテロはかれを見て、
イエスに言う、主よ、しかしこの者については何(と言われますか)。
イエスはかれに言われる、もしわたしが、わたしの来る迄かれがとどまる
ことを欲するにしても、それはあなたにとっては何ですか。あなたはわたし
について来なさい(ヨハネ21・20−22)。
前に(820番ロ)―そこにもまたその前に言われた言葉が説明されている
が―ここの『ペテロ』は善を欠いた真理を、または信仰が教会の終わりに陥
るような善い業から分離した信仰を意味していることが認め得られよう、
46
:
ここはキリスト教スレです 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/02/04(火) 00:39:31 ID:qBIA0KAQO
黙示録講解821ロ[8]
主の教会は、行為における仁慈の中にいる、または善い業の中にいる者たち
の中にあって、これらのものから分離した信仰の中にいる者らのもとには存
在しないこともまたペテロとヨハネとについて述べられていることにより意
味されている。すなわち―
ペテロは振り向いて、主が愛された弟子が―その者はまた夕食のさい主の胸
によりかかったのであるが―後について来るのを見る。ペテロはかれを見て、
イエスに言う、主よ、しかしこの者については何(と言われますか)。
イエスはかれに言われる、もしわたしが、わたしの来る迄かれがとどまる
ことを欲するにしても、それはあなたにとっては何ですか。あなたはわたし
について来なさい(ヨハネ21・20−22)。
前に(820番ロ)―そこにもまたその前に言われた言葉が説明されている
が―ここの『ペテロ』は善を欠いた真理を、または信仰が教会の終わりに陥
るような善い業から分離した信仰を意味していることが認め得られよう、
47
:
名無しのひつじさん
:2014/02/04(火) 00:43:15 ID:zT1ox2uU0
フィリピンは、キリスト教の国。
強烈に駆逐され、征服され、宗主国の宗教にさせられた。
マインド・コントロールがなされた。
大統領もキリスト教のの大統領となった。
そして、国の政策にもキリスト教の口出しがなされた。
キリスト教の教義である「産児の制限をしてはならない」が押しつけられた。
このキリスト教の教義で『エイズ』が流行した。
また、国は人口増加して行った。
そして、国は人口増加に腐心した。
人口増加と共に、『貧しい方達も増加する』という状況だった。
この様なマイナス面の多いキリスト教の教義から脱却したいが本音だった。
そして、キリスト教の教義に押さえつけられていた『国の基準』を、『変えなければならない』という結論に至った。
キリスト教会は、『エイズが流行』し、『国民の方々が困っている惨状』を目のあたりにしているが、
教義にこだわって、『人々の救済に道を閉ざす』ということをしていた。
この様な、人々の救済活動に猛反対した。
キリスト教の教義とはこの様なものだった。
教義優先から、目の前の困っている方々を救わず、目を閉じるどころか、救済処置に猛反対する始末だった。
人々が幸せに暮らすという大前提が、キリスト教の教義より勝るという事に気付かず、
逆に、困った方々の足を引っ張る運動をしていた。
48
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/02/04(火) 00:53:05 ID:qBIA0KAQO
さて、聖母についてですが、聖母のお話しに行き着くのは全く大変です。
その前に、主が父なる神ご自身かどうかが議論になるのですから。
それを解決しない限り、聖母のお話しまで行きません。
スウェーデンボルグは聖母について述べているのは、主に遺伝悪のことです。
聖母は通常の出生をされており、そのため遺伝悪があり、主はその遺伝悪を
ご自分に受け、それを栄化されたという内容です。
それは本当でしょう。
しかし、それ以外に聖母の果たす役割については殆どノーコメントです。
むしろ、聖母崇敬を否定しているかのように受け取れます。
しかし、主の啓示は段階的になされます。
人が主を神ご自身であると信じられないうちに、聖母のお話しは無理です。
スウェーデンボルグには主が神ご自身であるという最も大切な真理を明らかに
する使命が与えられたのだと思います。
それが理解でき受け入れられる人は聖母に進むことができるでしょう。
しかし、相当苦労する必要があります。
ヨハネに聖母が与えられたのは、他の使徒たちが逃げ出してしまったのに
彼が最後まで主に従った後です。
簡単に賜ることは出来ません。
人によって進度は様々です。
各人が自分で努力して学ばなければなりません。
49
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/02/05(水) 00:27:13 ID:qBIA0KAQO
グリニョン・ド・モンフォール/聖母マリアへのまことの信心/山下訳/3
マリアは、神に、できるだけ自分をかくしてくださるように、できるだけ自分を、
貧しく卑しくしてくださるようにと、熱心に祈っておられました。だから、神も
喜んでほとんど全ての人の目から、マリアをおかくしになったのです。(中略)
天使たちは天使たちで、マリアをつらつらながめては、しばしば互いにささやき
合ったものです。「あの女は、どんなかたですか」(雅歌3・6)それほど神が、
マリアを、全被造物の目から、おおいかくしておいでになったからです。むろん、
神はときたま、マリアのお姿を被造物に、ホンのすこしばかり、かいま見せること
もありました。しかしそれとても、マリアを、ますますかくしたいご意向から、
そうなさったに過ぎないのです。
50
:
名無しのひつじさん
:2014/02/05(水) 01:40:00 ID:zT1ox2uU0
題:キリスト教国・フィリピン と 座談は、創造的である。...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい).
フィリピンは、キリスト教国。
征服され、駆逐され、強烈に宗主国の宗教にさせられた。
マインド・コントロールがなされた。
大統領もキリスト教の大統領となった。
そして、国の政策にもキリスト教の口出しがなされた。
キリスト教の教義である「産児の制限をしてはならない」が押しつけられた。
このキリスト教の教義で『エイズ』が流行した。
また、国は、人口増加して行った。
そして、国は、人口増加に腐心した。
人口増加と共に、『貧しい方達も増加する』という状況だった。
この様なマイナス面の多いキリスト教の教義から脱却したいが本音だった。
そして、キリスト教の教義に押さえつけられていた『国の基準』を、『変えなければならない』という結論に至った。
キリスト教会は、『エイズが流行』し、『国民の方々が困っている惨状』を目のあたりにしているが、
教義にこだわって、『人々の救済に道を閉ざす』ということをしていた。
この様な、人々の救済活動に猛反対した。
キリスト教の教義とはこの様なものだった。
教義優先から、目の前の困っている方々を救わず、目を閉じるどころか、救済処置に猛反対する始末だった。
人々が幸せに暮らすという大前提が、キリスト教の教義より勝るという事に気付かず、
逆に、困った方々の足を引っ張る運動をしていた。
そして、次の話。
早稲田大学の鶴見太郎教授は、『座談の思想』という本を書かれた。
この書評が、読売新聞の2014・1・5に載った。
書評を書かれたのは、批評家の若松英輔氏である。
「真実は書き記され得ない」というところがポイント。(つづく)
51
:
名無しのひつじさん
:2014/02/05(水) 01:43:24 ID:zT1ox2uU0
キリスト教の聖書に、キリスト教は、『すべてが書かれている』と言うが、「いやいや、そんなもんじゃありませんよ」と、この本は言っている。
確かに、キリスト教自体も「言葉はロゴス」と言っている。
そのロゴス、言葉にこそ神が居る・宿るのであるのならば、ロゴスの言葉の中に神は居て、聖書の印刷された字面には居ないのだろう。
「真実は書き記され得ない所にある』。
『鍵となる言葉は、むしろ著作ではなく、座談の中に隠されている」と言う。
だから、書かれた記録にだけ根拠を置く歴史観は疑問という。
そして、言う。
書くのは理性の働きだが、座談には感情が生々しく現れるという。
だから、感情の働きを見過ごした歴史は、剥製のような作りものになっているという。
これは、キリスト教聖書も同じ、キリスト教聖書も、作りものの剥製の様なもので、そこには、イエスの真の感情や伝えたいものは無い。
そして言う。
座談は、創造的であると、そして又、偶発的で生きていると、座談は、他者と相まって、予測の出来ない展開へ進んで行き、他者の言葉が契機となって、話者が、今まで何を見て来たか、考えて来たかをより鮮明に自覚させ表出するという。
驚くようなものが表出する事もある。
座談に誠実さがあり、繰り返し繰り返し、繰り返されれば、混迷を切り拓(ひら)く鍵が潜(ひそ)んでいるという。
そして、沈思がともに大切という。
そして、「感情と内省、中野重治の誠実」が秀逸という。
時代の困難に対して、いつも誠実をもって抗(こう)したこの人物の軌跡を、今、考える事の意味は大きいという。
そして、「歴史に潜む誠実を見い出す事が出来るのは、やはり現代の誠実なる精神だ」という言葉で結んでいる。
つるみ・たろう=1965年、京都生まれ、。早稲田大教授。専門は日本近現代史。著書に「橋浦泰雄伝」など。
..(詳しくは、以下のブログへ)blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
52
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/02/06(木) 00:54:07 ID:qBIA0KAQO
聖書だけでキリスト教を理解しようとするのは困難です。
それは地図もガイドも無しに山に登るようなものです。
並列的三位一体論(三神論)、信仰義認説、刑罰代償説、予定説、輪廻転生等々
凡ゆる誤謬が樹海で待ち受けています。 スウェーデンボルグは必須の基礎知識を
教えてくれます。しかし、私たちは聖書とスウェーデンボルグのみでは主や聖母を
十分に理解することは出来ません。主はスウェーデンボルグ以外にもたくさんの
新しい啓示を与えておられます。 それは私たちに必要だからです。
いきなり教会へ行くことはお薦めしません。
まずご自分で上記の新しい「預言者」「見神者」たちの本を勉強することをおすすめします。
真の教師である主御自身がそれらを通して 直接教えて下さるでしょう。
単なる人智によって書かれた本は無益もしくは有害です。
私たちは天から与えられなければ何も受けることはできないからです
(ヨハネ3・27)。
よく御自分で理解したうえで、聖体拝領(聖餐)に与ることを心から願うように
なってから初めて教会へ行けばよいでしょう。 そうすれば教会を選ぶのに
迷うこともなければ人や組織に躓くこともありません。
53
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/02/06(木) 00:54:42 ID:qBIA0KAQO
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P174
― 聖霊を受けて 我が王国を共に受け継ぐ者となり、我が言葉と知識を
もって 他の者たちを啓発し 教会の教義を理解する可能性を 世界の人
びとに与えている者たちは 幸い ― 彼らは私と共に治め 我が王国で
共に働く者たちと言われよう。
54
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/02/06(木) 00:55:15 ID:qBIA0KAQO
マリア・ヴァルトルタ/「手記」抜粋/天使館/P41
まことに、わたしはあなたたちに言う、愛の行為は、どんなに小さなもの
であっても、たとえ苦しんでいる他者のために発する同情の溜息でさえも、
報いなしにはすまない。無限の報いが天にある。そう、それは大きな報いで
ある。すでに現世においてもそれを経験している人々以外には理解できない
報いである。わたしの善意の人々すべてにはキリストの平和の報いがあり、
わたしがわたしの慰めを見出すために来る『この上無く善良な、この人々』
には言葉の輝きの報いがある。
55
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/02/07(金) 01:13:33 ID:qBIA0KAQO
神の摂理50
空間と時間の外観は彼らにはその情愛と思考の状態に依存している。
それゆえ誰か他の者を情愛をもって考え、その者を見、またはその者と
語りたいという確乎とした願いを持つなら、直ぐその者の眼前に立つこと
ができるのである。これが、凡ての者にその者と情愛を等しくした霊が
現れ、悪い霊は同じ悪に喜びを感じる者に、善い霊は同じ善に喜びを感
じる者に現れる理由である。
56
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/02/07(金) 11:09:31 ID:qBIA0KAQO
(『憶い出すこと』は連結)
天界の秘義5229
『憶い出すこと』が連結である理由は他生でたれかを憶い出すことは連結するという
ことである、なぜならいかような霊でも他の者を心に憶い出すとすぐにその者はその
眼前に現れ、彼らは共に語るほどにも眼前に近く現れるからである。こうした理由か
ら天使たちと霊たちとはその知っている、または聞いている人物には凡て、主が彼ら
にその人物を心に思いうかべることを許されるときは、会うことが出来るのであり、
その人物が眼前に現れてくるのを見ることが出来、その人物と話すことも出来るので
ある(1114番を参照)。
57
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/02/07(金) 11:46:58 ID:qBIA0KAQO
>>47
だからどうしたんだ。
永遠の持つ意味がわかれば、生き方を変える為に人はなんだってするでしょう。とポルトガルのファティマの聖女ヤシンタは言っている。
なんだってすべきなんだ。
都合の善し悪しに関係なく、教理は守るべきだ。
永遠の人生ひとつの価値は、ユーラシア大陸をまるごと貰うよりも大きいんだ。
だってそうたろう?
一年に、10センチ四方の陸地を作れるとして、永遠の時間があれば、ユーラシアより広い大陸が作れるよね。
この世は永遠のあの世にたどり着く為の一瞬の試練に過ぎない。
この世の事情より教理を優先させることは正しい。
58
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/02/07(金) 11:47:30 ID:qBIA0KAQO
>>47
だからどうしたんだ。
永遠の持つ意味がわかれば、生き方を変える為に人はなんだってするでしょう。とポルトガルのファティマの聖女ヤシンタは言っている。
なんだってすべきなんだ。
都合の善し悪しに関係なく、教理は守るべきだ。
永遠の人生ひとつの価値は、ユーラシア大陸をまるごと貰うよりも大きいんだ。
だってそうたろう?
一年に、10センチ四方の陸地を作れるとして、永遠の時間があれば、ユーラシアより広い大陸が作れるよね。
この世は永遠のあの世にたどり着く為の一瞬の試練に過ぎない。
この世の事情より教理を優先させることは正しい。
59
:
名無しのひつじさん
:2014/02/08(土) 23:39:23 ID:zT1ox2uU0
題:・・そして、キリスト教となった。.
「・・必ず不義の者」が居る。
イエスの説く愛は、この形の中で説かれている。
イエスの愛は、絶対の愛の中では説かれていない。
キリスト教は、呪いの中で説く宗教である。
「絶対の愛」という形は、存在し得ない環境の中にあった宗教である。
そして、愛を説いたイエスが、汚(けが)らわしい者たちと罵(ののし)りながら、神殿で商売をしていた物売りの人たちの店を叩(たた)き潰す。
「金利を取ってはならない」との宗教理念があるからといって、両替の店を叩き潰すことはないだろう。
鳩屋の店も、滅茶苦茶にすることはないだろう。
イエスの愛の実践なんて、こんな浅はかレベルなのだ。
愛想よく隣の店の人と語らいながら、商(あきな)いをしていた町の人々の中に、
自分の宗教理念を揚げて、何の権利を持たないイエスが、暴力三昧をふるう。
「お前達は強盗だ・強盗の巣だ」と蔑(さげす)み叫びながら。
似た様なことが、最近でも起きている。
「世界の警察官だ」と。
「イエスの夢を見た。決断した」と。
最新兵器で、イラクを攻撃したキリスト教徒の大統領。
アメリカの多くの若者が死に、
また、まったく戦争と関係の無いイラクの多くの方達が亡くなった。
戦争を、やっと、生きて帰れたアメリカの若者も心を病み、(つづく)
60
:
名無しのひつじさん
:2014/02/08(土) 23:42:21 ID:zT1ox2uU0
ニューヨークのホームレスの5人に1人は、
この戦争で心を病んだ若い者だと、報道で知る。
罪深いキリスト教の宗教理念、
そして、自分が信じているのだと、
キリスト教の理念で戦争をやり始めたキリスト教徒の大統領。
キリスト教の聖書、申命記7・1に
「ヘト人、ギルガシ人、アモリ人、カナン人、ぺリジ人、ヒビ人、エブス人を貴方の前から追い払い、
貴方の意のままにあしらわせ、貴方が彼らを撃つ時は、彼らを必ず滅ぼし尽くさねばならない。
彼らと協定を結んではならず、彼らを憐れんではならない。
(「詩篇」137・8)には、
「いかに幸いなことか・・(バビロンの)幼子を捕えて岩にたたきつける者は」。
これと同じことを、南米・中米・北米メキシコ、及び、その離島で、インディオを全滅・殺戮したキリスト教徒と同行したキリスト教聖職者たちは、
このキリスト教の聖書が説き知らせることと同じこと「幼子を岩に叩きつけ殺しをしている」。
それも面白半分に。
本「インディオスの破壊についての簡潔な報告」ラス・カサス著をお読みください。
キリスト教聖職者のラス・カサスは、「このままでは、天に召されない」と、本国の王へ報告し、
この本を書いた。
もう悪行のし放題を、50年した後だった。
「この馬鹿聖職者め」と言いたい。(つづく)
61
:
名無しのひつじさん
:2014/02/08(土) 23:44:59 ID:zT1ox2uU0
殺す前に気付け・・と。
殺した人は生き返ってこないではないか・・と。
(「詩篇」139・19〜22)「どうか神よ、逆らう者を討ち滅ぼして下さい。
・・主よ、貴方を憎む者を、私も憎み、貴方に立ち向かう者を忌むべき者とし、
激しい憎しみをもって彼らを憎み、
彼らを私の敵とします」。馬鹿聖書め!
キリスト教には、自分たち信仰者を「正義とし」、
その信仰を受け入れない者を「不義とし、敵視し」、
愛の対象より駆逐するものとの考え方・教義がある。
イエスも、この二律背反の思考形態となっている。
というより、イエスにあったが故、キリスト教が、この様な宗教の形となった。
歴史に多くの殺戮の影を重ね、戦争の歴史を刻んだキリスト教となった。
62
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/02/09(日) 08:57:42 ID:qBIA0KAQO
黙示録12・1−6
また、天に大きなしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下に
し、頭には十二の星の冠をかぶっていた。女は身ごもっていたが、子を産む痛みと
苦しみのため叫んでいた。また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、火のよう
に赤い大きな竜である。これには七つの頭と十本の角があって、その頭に七つの冠
をかぶっていた。竜の尾は、天の星の三分の一を掃き寄せて、地上に投げつけた。
そして、竜は子を産もうとしている女の前に立ちはだかり、産んだら、その子を食
べてしまおうとしていた。女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖ですべての国民
を治めることになっていた。子は神のもとへ、その玉座へ引き上げられた。女は荒
れ野へ逃げ込んだ。そこには、この女が千二百六十日の間養われるように、神の用
意された場所があった。
63
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/02/09(日) 08:58:21 ID:qBIA0KAQO
黙示録12・7−10
さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑ん
だのである。竜とその使いたちも応戦したが、 勝てなかった。そして、も
はや天には彼らの居場所がなくなった。この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔と
かサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に
投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。
わたしは、天で大きな声が次のように言うのを、聞いた。
64
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/02/09(日) 08:59:08 ID:qBIA0KAQO
黙示録12・10−12
「今や、我々の神の救いと力と支配が現れた。
神のメシアの権威が現れた。
我々の兄弟たちを告発する者、
昼も夜も我々の神の御前で彼らを告発する者が、
投げ落とされたからである。
兄弟たちは、小羊の血と
自分たちの証しの言葉とで、
彼に打ち勝った。
彼らは、死に至るまで命を惜しまなかった。
このゆえに、もろもろの天と、
その中に住む者たちよ、喜べ。
地と海とは不幸である。
悪魔は怒りに燃えて、
お前たちのところへ降って行った。
残された時が少ないのを知ったからである。」
65
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/02/09(日) 08:59:40 ID:qBIA0KAQO
黙示録12・13−18
竜は、自分が地上へ投げ落とされたと分かると、男の子を産んだ女の後を追った。
しかし、女には大きな鷲の翼が二つ与えられた。荒れ野にある自分の場所へ飛んで
行くためである。女はここで、蛇から逃れて、一年、その後二年、またその後半年
の間、養われることになっていた。蛇は、口から川のように水を女の後ろに吐き出
して、女を押し流そうとした。しかし、大地は女を助け、口を開けて、竜が口から
吐き出した川を飲み干した。 竜は女に対して激しく怒り、その子孫の残りの者たち、
すなわち、神の掟を守り、イエスの証しを守りとおしている者たちと戦おうとして
出て行った。そして、竜は海辺の砂の上に立った。
66
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/02/09(日) 09:00:43 ID:qBIA0KAQO
(赤い竜)
啓示による黙示録解説537
「見よ、一つの大きな赤い竜」は、改革派の教会の中で、神を三とし、主を
二とし、仁慈を信仰から分離し、信仰を人間を救うものとはするが、信仰と
結合した仁慈を、人間を救うものとはしない者らを意味している。これらの
者が、ここに、また以下の記事に、『竜』により意味されている、なぜなら
彼らは新しい教会の二つの本質的なものに反抗しているからであり、その二
つのものとは以下のものである、すなわち、神は本質と人格とにおいて一人
であられ、その中に三一性があり、主がその神であられ、また仁慈と信仰と
は本質とその形のように一つのものであり、悪は行ってはならないという十
戒の戒めに従って生きる者以外にはたれ一人仁慈と信仰とは持っておらず、
たれでも悪を神に反抗する罪として避け、それを行わないに正比例して、仁
慈に属した善を行い、信仰に属した真理を信じるのである。神を三とし、主
を二とし、仁慈を信仰から分離して、信仰を救うものとはするが、仁慈を、
救うものとはしない者らは新しい教会のその二つの本質的なものに反抗して
いることは、その事柄を考察する者のたれからも認められることができよう。
神を三とし、主を二とする者らと言ったが、その者らにより、三人格を三神
として考えて、主の人間的なものを主の神的なものから分離する者らが意味
されているのである。
67
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/02/10(月) 13:52:03 ID:qBIA0KAQO
(荒野)
聖母から司祭へ1980.6.14
婦人がその避難所とした、あのかくれた所、沈黙にみちた所、数多い戦い
と傷で荒れ野となった所とは、人の霊魂と心のことです。すなわち、私の愛
する子らと汚れなき私の心に自分を奉献したすべての人の霊魂と心のことです。
いま私は、この荒れ野のなかで、一番大きな不思議を行っています。その
不思議は、沈黙のなかで、かくれて行われます。それは、完全に自分自身を
わたしにまかせた子らの霊魂と生活を改めるという不思議です。こうして、
まいにち、私は、かれらの砂漠を私の花園に変えて、花を咲かせるのです。
68
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/02/10(月) 13:52:34 ID:qBIA0KAQO
聖母から司祭へ/1989.5.6
それから、わたしは、「荒野に逃れた」のです(黙示録12・6)。
わたしが自分のかり住いを定めたこの荒野とは、わたしを歓迎し、わたしの
ことばに耳をかし、完全にわたしに信頼し、わたしの汚れなき心に自分を奉献
するすべての子らの心と魂のことです。
わたしが今いるこの荒野の中で、今日わたしの最も大きな不思議を行います。
この不思議をわたしのすべての小さな子らの心と魂の中、つまり、かれらの生
活の中に行います。こうして、神のみことばを受け入れ、愛し、守るようには
げまし、いつも、ことばと行いのうちに、勇気をもってそのみことばを生きる
ように助け、信仰と愛の道をわたしのあとについてくるように導くのです。
わたしが、沈黙とかくれた生活の中、つまり、わたしが住いとしている荒野
の中で、わたしに奉献された子らが、今、福音を信じ、福音の知恵の導きにの
み従い、常に生きた福音となるように、わたしは力づよく働きかけます。わた
しが、司祭のマリア運動をもって、全世界に養成してきた軍団のために準備さ
れた役割はこれです。すなわち、この時代において、神のみことばだけを愛を
もって受け入れ、これを実行し、大鷲の二つの翼、つまり信仰と愛の翼に乗っ
て、わたしといっしょに飛ぶことです。
わたしが住いとしている荒野の中で、こん日行う数々の大きな不思議は、わた
しの小さな子らの生活を完全に変化させるという不思議です。それは、かれら
が勇敢な信仰のあかし人として、聖徳の輝かしい模範となるためです。
こうして、沈黙とかくれた生活のうちに、わたしは、毎日、龍に対するわたし
の大勝利を準備します。それは世界におけるわたしの汚れなき心の大勝利です。
69
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/02/11(火) 01:13:45 ID:qBIA0KAQO
聖母から司祭へ/1989.5.6
それから、わたしは「荒野に逃れた」のです(黙示録12・6)。
わたしが自分のかり住いを定めたこの荒野とは、わたしを歓迎し、わたしの
ことばに耳をかし、完全にわたしに信頼し、わたしの汚れなき心に自分を
奉献するすべての子らの心と魂のことです。
70
:
名無しのひつじさん
:2014/02/11(火) 01:14:18 ID:zT1ox2uU0
題:キリスト教の『聖書理解』は・・・...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
キリスト教の『聖書理解』は・・、聖書学などの研究者の功績によって、『まったく、違うもの』になっている。
イエスの実際の言葉は、『ほとんどが、イエスの言葉ではない』。
これは、キリスト教の根幹をゆるがす『衝撃的な事実判明』だった。
キリスト教が、今、言って、説教しいる「第二イザヤ」も、研究者が発見し、
キリスト教聖職者ではなく、『研究者が、名付けたキリスト教聖書の名前』です。
本当の名前は、著者は『不明』、まったく分からないが、『イザヤ』と同一人物と考えられていた。
どこの誰だかまったくわからないが、別人であるということが証明され、いまやそれが受け入れられている。
ドイツ人の研究者「エバルト」によって、別人のものと指摘され、立証され、誰もが今では『それを認めている』。
「イザヤ書・40章〜55章」は、「イザヤ書」と別、イザヤ書と言ったら間違いとなっている。
別の名を付けて、独立させるべきなのである。
人間様が、古代の人間様が、別ものを『くっ付けた』のです。
この様にして、聖書ができたのですという、話のほんの1つ・一端なのだが、古代の人間が、「ああだ、こうだ、削れ、くっ付けろ」という事が、頻繁に行われていたことが、今では、分かっている。
明治の『新島襄』は、分かっていない。
キリスト教に偏するNHKは、その様な所は『ほっかむり』して、美しく作り上げて(実際は嘘の事を)、放送していた。
・・が、この1事例のように、人間様が作ったという聖書の姿のほんの一端を現わしている。(つづく)
71
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/02/11(火) 01:15:03 ID:qBIA0KAQO
(荒れ野の女性)
デボラ/生ける神よりあかされた英知/2巻上P147
娘よ、世界に言ってください。私はあの『荒れ野の女性』です。
今がその時なのです。成長した人々は理解するでしょう。
72
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/02/11(火) 01:15:39 ID:qBIA0KAQO
荒野の女性とは聖母であり、またそれは新しいエルサレム、新しい教会でもあります。
マリア・ワルトルタに主はこう言われています。
マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P155
しかし恐れてはならない。ゼカリヤの預言は鎖の一つの環が次の環につながるよ
うにヨハネの預言につながっている。地獄的勢力に苦しめられる痛ましいこの時期
の後に、教会はヨハネの語る神秘的な女のように、生きのびるためにより良い人た
ちの中に逃げ、その神秘的な(わたしは神秘的な、と言う)逃避行のさ中に、ふさ
わしくない四肢を振り落とし、教会を最後の時代に先立つ時へと彼女を導くように
定められた聖なる人々を産むだろう。
キリストの集会を準備するために、十字架のまわりに諸種族を集めねばならない
者たちを父の手と王の手は掌握するであろう。その最良の子らと連れだって、この
集会に欠席する種族は一つもないだろう。
そのときわたしは来て、わたしの地上のエルサレム ―戦う教会― に対する
サタンのあらゆる計略と狡猾さ、陰謀と犯罪に立ち向かい、わたしの防衛力を発動
するだろう。
73
:
名無しのひつじさん
:2014/02/11(火) 01:17:56 ID:zT1ox2uU0
(その1より)『神が書いたもの』でもなければ、『神が啓示を与えて書かせたもの』でもない。
その様な事が、現代研究者の学究の結果が、はっきりさせている。
『キリスト教の神が居ない』と、一生、悩み続けた『マザー・テレサ』。
その本が、今、発売されているが、キリスト教の神が居ないことが、はっきりしているのである。
『キリスト教の神は、だから、啓示もしない』し、『キリスト教の神からの、啓示もない』のが真実。
宗教の根幹が崩れているキリスト教の聖書。
その大根幹の「キリスト教聖書」を、「キリスト教の神」が作り、与えてないという事は、明らかに、『キリスト教の神は存在していない』し、宗教の成立も『成り立たない状態』なのである。
そして、実は、『第三イザヤ』もいる。
キリスト教聖書は、今では、あっちこっちが『シッ茶かメッチャカ』なのである。
第三のイザヤも、まったく違う時代の人である。
そして、この様な書を信じたユダヤ人には、『良い事が起きなかった』。
国は破れ、王子や政治の重臣たちは殺され、そして、王は殺されることは免(まぬが)れたが、王子や重臣たちが殺されるところは、目の前で見させられたが、その後、目をくり抜かれ、国民と共に、異国の地・バビロンへ引き立てられて行った。「バビロン捕囚」である。
民は、嘆き、悔いた。
『何で、神を信じる私たちが、何故、こんなにも苦しまねばならないのか。
神を信じない諸国が、あんなに繁栄しているではないか』・・と。
キリスト教を信じる民は、常にこの様な状態になった。(つづく)
74
:
名無しのひつじさん
:2014/02/11(火) 01:20:30 ID:zT1ox2uU0
(その2より)宗教が正しくないからである。
間違った宗教を信じていても、『幸せにはなれない』。
また、周りの人たち、関わる人たちを、『不幸』にする。
ヨーロッパで、どのくらいの人たちが、この宗教のために殺され、また、殺し合ったか・・・。
また、南米、中米、北米・メキシコ、そして、それらの離島で、キリスト教徒とキリスト教聖職者たちが、気が遠くなる数のインディオスを殺しまくった。
殺しまくった後の40年後に、『悔いたキリスト教聖職者』が書いた本が、岩波新書から出ています。
やったあとでは遅すぎます。
読んでみてください。間違った宗教の、殺戮の卑劣行為が、累々と書いてあります。
アメリカ大陸のその地には、冷酷にも、誰も居なくなったその地には、冷酷なキリスト教聖職者たちは、それでも、キリスト教会を建てた。
これからの、未来の方達にも、このキリスト教によって、今までの歴史の様に、『殺し、殺し合う世界』が現出してしまいます。
『キリスト教の教義が、そうなっているのです』
『キリスト教は、残してはいけない宗教なのです』。
キリスト者は、過去に殺戮した多くの人たちのことを思い、『悔い改めて下さい』。
(参考)がっ‐きゅう【学究】 もっぱら学問の研究に携わること。また、その人。「―の徒」
.. (詳しくは、以下のブログへ)
blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
www.youtube.com/watch?v=qlnkudtpet4
www.youtube.com/watch?v=nKNQXEqBZsQ
www.youtube.com/watch?v=EE_KtK311aA
75
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/02/12(水) 16:47:32 ID:qBIA0KAQO
わたしのことばを書きとらせた理由/イエズスが口述された福音書の最後の言葉/
マリア・ヴァルトルタ/天使館/霊のパン第4号/P16〜32
(続き)
Ⅶ 最後に、ユダの神秘、神が特別に恩恵を施した一霊魂の堕落というあの神秘を、
あなたたちに明かします。実際に、あまりにもしばしば繰り返され、また、あなた
たちのイエズスの心を痛ませる傷となる一神秘です。
神のしもべ、子からどのようにして悪霊に、また自分のうちで恩寵を殺して神を
殺す神殺しに変貌するかを、あなたたちに明かそう。あなたたちが、そこから深淵
へと落ちる小道に足を踏み入れるのを阻止し、深淵へと突き進む不賢明な羊たちを
どう引き留めるかをあなたたちに教えるために。身の毛のよだつ、けれども平凡な
ユダの人物像、あなたたちがこれやあれやと闘うべく見出し、養っている小さな幾
つもの蛇、七つの大罪がこぞってその中でのたうっている総体を研究するために、
あなたたちの知的能力を傾けなさい。霊魂の師、霊的指導者というあなたたちの役
務に最も役立つ講義ですから、あなたたちがより以上に学習すべき講義です。人生の
あらゆる状況において、何と多くの人たちが、ユダを真似て、サタンに自分を渡し、
永劫の死に遭遇していることか!
76
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/02/12(水) 16:48:08 ID:qBIA0KAQO
(続き)
七部に別れている七つの理由
Ⅰ.福音宣教前(常に童貞であるマリアの無原罪の御宿りから聖ヨセフの死まで)。
Ⅱ.公生活の第一年。
Ⅲ.公生活の第二年
Ⅳ.公生活の第三年。
Ⅴ.前−受難(テベツからニサンまで、すなわちラザロの臨終からベタニアでの晩餐まで)。
Ⅵ.受難(ラザロへの告別からわたしの埋葬までと、復活の夜明けに至るまでの日々)。
Ⅶ.復活から聖霊降臨まで。
わたしがここで指摘するこの七部の区分を適切とみなし、これに則るように。
77
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/02/12(水) 16:48:58 ID:qBIA0KAQO
(続き)
さて、今は? あなたたちは師に何か言いたいことがありますか?
わたしに話さなくてもいいのです。だがあなたたちの心の中で話し、ただ
それをすることが出来るなら、小さなヨハネに話しなさい。しかし、この
二つのどの場合にも、わたしがあなたたちのうちに見たいと思うあの正義
をもって話しなさい。なぜなら、このキリスト者、この姉妹、神のこの道具
に対する愛徳を踏みにじって、あなたたちは小さなヨハネを苦しませるから
です。もう一度、まことにあなたたちに言いますが、わたしの道具になる
ことは、静穏な喜びではありません。苦労と努力の連続であり、世は師に
与えたもの、すなわち苦しみを、その弟子たちにも与えるから、すべてに
苦しみがあります。少なくとも司祭たち、特に信徒同朋たちは、自らの十
字架を担って進んで行くこれからの小さな殉教者たちを助ける必要がある
でしょう・・・また、自分自身に語りかけることによって、あなたたちは
心の中に傲慢、羨望、不信仰と別の苦情を持ちます。しかし、わたしはあな
たたちの泣き言と、醜聞に腹を立てるあなたたちの茫然自失に答えましょう。
78
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/02/12(水) 16:49:31 ID:qBIA0KAQO
(わたしのことばを書きとらせた理由)(続き)
最後の晩餐の夜に、わたしを愛していた十一人に、わたしは言いました。
『慰め主、聖霊が来られるであろう時、わたしが言ったことをすべてあなたたちに
思い出させるでしょう』と。わたしは話していた時、そこに居合わせている者たち
の他にも、精神において、真実と意欲をもってわたしの弟子になるであろうすべて
の者たちを、常に目前にしていました。すでにその恩寵とともに、神を思い出させ
る能力をあなたたちに吹き込んでおられる聖霊は、霊魂を原罪の茫然自失から引き
出し、アダムの悲しい遺産により、霊的視力と知識を享受すべく神から創造された
霊魂の輝きを覆い隠す闇から解き放ち、彼に導かれた者たちと神の子らである者た
ちの心の中で、わたしが言ったこと、福音書が宣言することを『思い出させる』と
いう、師の御業を完成なさるのです。
79
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/02/12(水) 16:50:07 ID:qBIA0KAQO
(続き)
ここで思い出させることは、福音書の精神を照らすことです。なぜかといえ
ば、精神を理解しなければ、福音書の言葉は何ひとつ思い出せないからです。
また、愛である福音書の精神は、愛によって、すなわち聖霊によって理解さ
せられるからです。その御者は、こうして福音書の真の著者であり、唯一の
注釈者でもあります。というのも、たとえ自分の作品をその読者たちに理解
させられなくても、著者だけがその作品の精神を知り、それを理解している
のですから。しかし、あらゆる人間の完全さは脱漏だらけですから、人間の
著者がなしえないところに完全無欠、無限の上智である聖霊は、到達します。
したがって、聖霊、福音書の著者のみが、神の子らの霊魂の奥深くにそれを
思い出させて、注釈し、完成なさる御者でもあるのです。
『父がわたしの名によってお遣わしになる、聖霊、その方がすべてのことを
あなたたちに教え、わたしが言ったことをすべて思い出させてくださる』
(ヨハネ14・26)。
80
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/02/12(水) 16:50:43 ID:qBIA0KAQO
(続き)
『真理の霊であるその方が来られると、真理のあらゆる面であなたたちを
導いてくださる。その方は自分勝手に語るのではなく、聞いたことをすべて
語り、将来起きることをあなたたちにお告げになるからであるその方はわたし
に栄光をお与えになる。わたしのものを受けて、あなたたちに告げ知らせてく
ださるからである。父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。
だから、その方がわたしのものを受け、あなたたちに告げ知らせてくださると、
わたしは言ったのである』(ヨハネ16・13−14−15)。
福音書の著者が聖霊であるなら、本作品の中で言われること、またヨハネが
その福音書を締めくくる言葉で理解させる起きたことを、どうして思い出せ
なかったのかがわからない、と異議を唱えるなら、神の思いは人の思いと異
なり、常に正しく、批判の余地はないとわたしは答えます。
81
:
名無しのひつじさん
:2014/02/13(木) 01:08:44 ID:zT1ox2uU0
キリスト教同士であるのに、
また、キリスト教同士であるから、
お互いが持つ、似ているキリスト教の宗教教義・理念を、角(つの)突き合わせて、
長年月、悲惨な殺し合いの戦争「三十年戦争」をした。
そして、宗教による辛酸をなめたヨーロッパ、そして、その国々、その人々。
ヨーロッパの方々の30%が、亡くなったと言われている、考えられないくらいの高い率で、人々が死に至らされた。
「愚かな戦い」だった。
キリスト教の教義では「戦いを留まる」ことは出来ない。
・・・と、言うより、
互いが持つ「キリスト教の教義」によって、火に油を注(そそ)ぐ様な状態になる。
「(キリスト教の)神の義があれば、人を誅しても良い」という、戦いを押し留めるどころか、
互いに「正義を主張しあって」、
そして、「正義を掲(かか)げあって」、
悲惨な戦争に向かわせるキリスト教の教義。
愚かにも、30年の、長き年月を、
ヨーロッパ中の人々を無益な戦いに巻き込んで、
多くの人々が帰らぬ人となった、キリスト教の宗教理念に原因がある戦争。
この愚かな戦争によって、
キリスト教を奉じて秩序統一の世界を創ろうとした構想が断念され、
かつ、
多くの命だけが失われたという「愚かな試みだった」ということが、「ヨーロッパの方々の心底に浸み渡った」。(つづく)
82
:
名無しのひつじさん
:2014/02/13(木) 01:11:49 ID:zT1ox2uU0
宗教戦争が生み出した荒廃。
キリスト教だ、宗教とか、正義だとかの高邁な目標を追求する前に、
まず、破壊的な戦争はしてはならないこと、
破滅的な戦乱を停止するという方が先なのだ。
悲惨な戦争・争いを繰り返す原因となるキリスト教教義。
まず、キリスト教が掲げる「間違った正義」を捨てよ。
そして、帝国概念を生み出すキリスト教の教義を捨てよ。
18世紀の頃のヨーロッパ諸国を調べても、どの国家も、多民族で構成され、それで安定して、国家が成立している。
キリスト教の単一民族の前提の宗教は、実体にそぐわない。
また、そぐわないどころか、異民族を排他するキリスト教の教義は平和を阻害している。
キリスト教の宗教理念は、
国家や国民を、正当な政体として捉える事に失敗している。
この大前提を、まったく踏み外している宗教となっている。
もう、これだけで、
キリスト教の存在理由は、完全になくなっている。
キリスト教は、過去の遺物の宗教なのである。
国家という捉え方、国民という捉え方に、
近代では特に、
キリスト教の様な異民族・異教徒という捉え方ではない。
キリスト教の教義の存立にある、この大前提がくるっている。
逆に、キリスト教的な前提では、安定的は平和な国家が存立しない。
現代に存在してはいけないキリスト教なのである。
83
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/02/13(木) 09:14:01 ID:qBIA0KAQO
グリニョン・ド・モンフォール/聖母マリアへのまことの信心79,80
わたしたちは、本能的に、クジャクよりも高慢、ガマよりも地上のものに愛着、
雄ヤギよりも劣情、ヘビよりもネタミ深く、ブタよりも食いしん坊、トラよりも
怒りっぽく、カメよりも怠け者、葦よりも弱く、風車よりもクラクラ変わります。
わたしたちの霊魂の奥深にあるものはただ、無と罪だけ。わたしたちが当然受け
ねばならないものはただ、神の怒りと永遠の苦罰だけ。
だからこそ、わたしたちの主イエズス・キリストが、ハッキリ言っておられるのです。
「だれでも、わたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分のいのちを憎ま
ねばなりません。自分のいのちを愛する者は、それを失い、わたしのために自分の
命を憎む者はそれを救うのです。」(マタイ16・24、ルカ9・23)
84
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/02/13(木) 09:15:09 ID:qBIA0KAQO
グリニョン・ド・モンフォール/聖母マリアへのまことの信心213
愛する兄弟よ。わたしがこれから述べようとするこの信心の内面的・外面的
実行に、もしあなたが忠実にとどまるならば、あなたは聖母マリアをとおして聖霊
がお与えになる光によって、あなた自身の精神的土壌がどんなに凶悪なものか、
あなたがどんなに堕落した者か、すべての善をなすに当って、あなたがどれほど
無能力な者かを、手に取るようにわかるでしょう。同時に、ただ神だけが、
自然界・恩寵界の唯一の原動者であることがわかるでしょう。
この認識から出る当然の帰結として、あなたは自分自身を軽蔑するでしょう。
自分自身のことを考えると、ヘドをはくような嫌悪感を覚えるでしょう。自分
自身があのヨダレをたらしてすべてのものを汚染してはいまわる、カタツムリ
そっくりだと考えるでしょう。または例の毒液でなんでもかんでも有害物にする、
ガマみたいな者だと思うでしょう。自分自身が人や動物をだますことしか知ら
ない毒ヘビの同類だと分るでしょう。
さいごに、謙遜な聖母マリアは、ご自分の深い謙遜に、あなたをあずからせてくだ
さいます。その結果、あなたは自分自身を軽蔑するでしょう。そして自分以外
のだれも軽蔑しなくなるでしょう。あなたは自分が軽蔑されることを、心から
愛するようになるのです。
85
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/02/13(木) 09:15:45 ID:qBIA0KAQO
グリニョン・ド・モンフォール/聖母マリアへのまことの信心228
第一週には、すべての祈り、すべての信心のわざを、自分自身を知り、おかし
た罪を痛悔する恵みをねがうことに専念します。したがって、すべてのことを、
謙遜の精神でおこないます。
そのためには、どうしたらいいのでしょうか。もしお望みなら、わたしが前に
述べた(78〜79)ように、自分の内奥の醜悪な精神的土壌をふかく反省し、
自分自身のことを、カタツムリだ、ガマだ、ブタだ、ヘビだ、雄ヤギだ、と
自嘲せねばなりません。または、聖ベルナルドの次の三つのことばを、まじめ
に黙想するのも、いい方法です。
すなわち「おまえは過去において、どんなものだった? くさい粘液でした。
現在はどうだ? きたないクソ袋です。 将来はどうだ?ウジ虫のエサです」
(「人間の実体についての瞑想」3・8)
86
:
名無しのひつじさん
:2014/03/01(土) 23:52:05 ID:uZ6cxRU20
キリスト教の神は、人間が知性を持たないようにと望んだ。
それは、「知性を与える禁断の木の実を食べるな」と禁止したことからも分かる。
しかし、人間はその得た知性によって、絵画しかり、音楽しかり、文学・彫刻・経済・新素材・新幹線・飛行機・世界一周客船・・などなどを発明発達させ、それらがないことは想像を絶する。
逆に言えば、キリスト教の神は『間違いを犯し』、『人類を不幸のドン底に落としかねない事を言っていた』という事が分かる。
それにしても、キリスト教の神は『非力(ひりき、力のないこと、能力のないこと)な神』だ。
その様に、自分が思ったのなら、『人間をできない様にしておけばいいのに』・・・。
それも出来ないという神だという事。
・・・というより、その様な話にしか作れない能力の無さ、非力さを感じる。
その中身に疑問を○○じる。
この様な宗教を信じて、救われるわけがない。幸せになれるわけがない。
人だけは殺しに殺した宗教だけに、人類の不幸を作ってきた宗教だけに・・これからを変えなさい。
87
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/03/02(日) 12:58:38 ID:qBIA0KAQO
(生命の書)
天界の秘義2256[2]
このことはいかようになっているかは、たとえそれを知る人はいく人かいる
にしても、僅かしかいはしないのである。人間が幼少の頃からその生涯の終
わりにさえいたる迄考え、行った善はことごとく残っており、悪もことごと
く残っており、かくてその最小のものさえも完全には死滅しないのである。
その両方のものは彼の生命の書に(すなわち、彼の記憶の各々の上に)また
彼の性質の上に(すなわち、彼の生来の性向と資質に)記されているのであ
る。これらのものから彼は彼自身で生命をまたいわば霊魂を形作っており、
それは死後もそれに相応した性質を持っているのである。しかし善は悪に、
また悪は善に、それらが分離することができないほどに混合はしないのであ
る、なぜならもしその両方のものがかりにも混合でもするなら、その人間は
永遠に死滅するからである。このことについては、主はその摂理を働かせら
れて、人間が他生に入って来ると、もしその者が愛の善と仁慈の善の中に生
きていたならば、そのときは主はその者の悪を分離されて、その者のもとに
ある善いものによりその者を天界へ挙げられるのである。しかしその者が悪
の中に、すなわち、愛と仁慈に反したものの中に生きたならば、そのときは
主はその者から善いものを分離され、かくてその者の悪がその者を地獄につ
れて行くのである、これが死後の各々の者の運命である、しかしそれは分離
であって、決して完全な除去ではない。
88
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/03/02(日) 13:05:16 ID:qBIA0KAQO
(生命の書)
黙示録20・11−15
わたしはまた、大きな白い玉座と、そこに座っておられる方とを見た。
天も地も、その御前から逃げて行き、行方が分からなくなった。わたしは
また、死者たちが、大きな者も小さな者も、玉座の前に立っているのを見た。
幾つかの書物が開かれたが、もう一つの書物も開かれた。それは命の書である。
死者たちは、これらの書物に書かれていることに基づき、彼らの行いに応じて
裁かれた。海は、その中にいた死者を外に出した。死と陰府も、その中に
いた死者を出し、彼らはそれぞれ自分の行いに応じて裁かれた。死も陰府も
火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。その名が命の書に
記されていない者は、火の池に投げ込まれた。
89
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/03/02(日) 13:13:07 ID:qBIA0KAQO
ヴァッスーラ/『私の天使ダニエル』P184
(ヴァッスーラ)私の耳は邪悪な者たちの吠える声に聞き飽きました、
その悪意に満ちた舌で次つぎと嘘を言い立てるのです。
(主)偽りの非難をする者たちはいつか私の前に立たなければならない・・・
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/7巻P197
私が偽りをいかに嫌っているか 聞いていよう?
90
:
名無しのひつじさん
:2014/03/03(月) 00:05:58 ID:uZ6cxRU20
キリスト教なんて、どうせ教義がシッ茶かメッチャカなので、どうでもよい宗教なのだが・・
あちこちで矛盾が生じている・・
例えば1例であるが、キリスト教の聖書には不正確な翻訳によって混乱が生じている・・
分からない人には、適当に読んで聞かせているから、それはそれで済んでしまうという宗教なのだ・・
キリスト教聖職者なんてそんな職業なのだ・・
例えば、パウロに一つの証拠を求めている批判者たちの言葉であるのに、パウロ自信の発言内容とされたりしているのだ・・
これはもう完全な間違いなのだ・・
例えば、非難されているのに、讃えたり・・シッ茶かメッチャカ・・
関係代名詞によって掛かっている所の認識の間違いが原因などがあり・・
聖書の意味はまったく違った意味となってくるのに・・
そんなことはよくあることと、まったく意に介さないキリスト教・・
そして、そうとは知らずに一生懸命に読み、信じてしまう怖さも生じているのに・・
新共同訳もこの間違いをしている聖書・・・
91
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/03/04(火) 00:07:55 ID:qBIA0KAQO
スウェーデンボルグはそのことを「肯定的」「否定的」という言葉で説明しています。
天界の秘義4760
神的な真理について記憶知に諮る際、
肯定的な者・・・いくたの確証させるものを認める
否定的な者・・・自らをさらなる誤謬に投げ込む
天界の秘義4760
さらにこれは人間各々の知的能力に応じている。高い、すなわち、内的な洞察を持っ
ていない者らが記憶知に諮るなら、彼らはその記憶知の中に真理が確認されるのを
認めはしないで、そのためその記憶知により否定的なものの中へ拉し去られてしま
うが、しかし、高い、すなわち、内的な視覚を持っている者たちはいくたの確証す
るものを認めるのであり、たとえ他の方法で認めないにしても、それでも相応によ
り認めるのである。
92
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/03/04(火) 00:08:37 ID:qBIA0KAQO
天界の秘義4760[2]
例えば人間は死後も生きるという真理を考えられよ。このことが真であることに
ついて否定的なものの中にいる者らは記憶知に諮ると、彼らはそれを無数のことを考
えることにより否定して、その否定を確認するのである、
天界の秘義4760[3]
しかし人間は死後も生きるという真理について肯定的なものの中にいる者たちが
記憶知に諮るときは、かれらはそのことをその記憶知により確認し、しかもそのこと
もまた無数の事柄によりなされるのである、
93
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/03/04(火) 00:09:10 ID:qBIA0KAQO
天界の秘義4760[4]
周知のように学問のある者が単純な者よりも死後の生命を信じないし、全般
的に単純な者よりも神的真理を明らかに見ないことが普通である。そのことの
理由は、彼らは否定的な立場から(他の者以上におびただしく持っているとこ
ろの)記憶知に諮ってそのことにより自分自身の中に、高いまたは内的なもの
から発している洞察を破壊してしまい、それが破壊されると、彼らはもはや
何ごとも天界の光からは認めないで、ただ世の光のみから認めるということ
である、なぜなら記憶知は世の光の中に在って、もしそれが天界の光により
明るくされない[照示されない]なら、それは暗黒を生み出すからである、
たとえその暗黒はその当人自身にはいかほどそれとは異なったものとして見
えるにしても。そうした理由からヨハネ伝の以下の言葉から明白であるように、
単純な者は主を信じたが、ユダヤ民族の中で学問のあった律法学者と、パリ
サイ人は主を信じはしなかったのである―
群集の多くの者たちはこれらの言葉を聞いたとき言った、これはまことに
予言者である。他の者たちは言った、これはキリスト(メシア)である。
パリサイ人たちは彼らに答えた、支配者たちの中で、またはパリサイ人の中
でたれが彼を信じたか(ヨハネ7・40、41、47、48)。
94
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/03/04(火) 00:09:48 ID:qBIA0KAQO
(肯定的・否定的)
天界の秘義1072[2]
霊たちは仁慈の信仰の中にいるか否かについては互に他から完全に区別されている。
仁慈の信仰の中にいる者たちは信仰の真理については論じないで、その事柄はそうで
あると言い、また可能な限りそれを感覚と記憶の事柄により、理性の分析により確認
はするが、しかしその真理が彼らから認められない、何か明確でないものが彼らの道
に現れるや否や、それをわきにおいて、決してそうしたもののために自分が疑惑に陥
るのを許さないで、自分達が把握出来るものは極めて僅かしかない、それで何かが自
分達がそれを把握しないからといって真ではないと考えることは狂気の沙汰であると
言うのである。これらが仁慈の中にいる者たちである。
95
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/03/04(火) 00:10:29 ID:qBIA0KAQO
(続き)
しかし―その反対に―仁慈の信仰の中にいない者らは単に何かの事柄がそう
であるかないかと論じ、それがいかようになっているかを知ろうとのみ願い、
自分たちがそれがいかようになっているかを知らない限り、それがそうである
ことを信じることは出来ないと言うのである。このことのみからでも彼らは
何ら信仰を持っていないことがすぐさま知られるのであり、彼らは凡ゆる物に
ついて疑うのみでなく、心の中でそれを否定し、その実情のいかようなもの
であるかを、教えられてもなおその不信仰にしがみついて凡ゆる種類の反対
意見を述べはじめ、たとえそれが永遠につづいても決して黙従しようとはしな
いということが彼らの不信仰のしるしとなっている。このようにその頑迷さ
にあくまで固執する者らは過誤に過誤をつみ重ねるのである。
96
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/03/04(火) 00:11:01 ID:qBIA0KAQO
(否定的な原理から考える者)
天界の秘義2568[4]
それで二つの原理が在り、その一つは愚鈍と狂気とに導いて行くが、他は
理知と知恵に導いて行くのである。前の原理は凡ゆる物を否定することであり、
または自分らは自分らが感覚により把握し、または認識することが出来るもの
により確信しない中はそれらを信じることは出来ないと心の中で言うことであり、
これは愚鈍と狂気に導いて行く原理であって、否定的原理と呼ばれねばならない
のである。
天界の秘義2568[5]
否定的な原理から考える者は合理的なものに諮るに応じ、益々記憶知に諮り、
また哲学的なものに諮るに応じ、益々自分自身を暗黒の中へ投げ込み、真逆様
に突き落として、ついには凡ゆる物を否定してしまうのである。
97
:
名無しのひつじさん
:2014/03/05(水) 00:25:39 ID:uZ6cxRU20
「異教徒は殺せ」という破廉恥な教義があるキリスト教。
本当に、遅れた、そして、低劣な宗教だと思う。
キリスト教は、自分の宗教・キリスト教の教義に理解を示さず、結局、違う教義を信仰するという教徒は、自分の言うことを聞かない輩だ殺してしまえとなる。
その輩に対して、「言うことを聞かねば殺す」というキリスト教は、古典的な権力志向の宗教という。
フランスの思想家・ミシェル・フーコーがこの周辺を説いた。
フーコーは、キリスト教を軽蔑した。
まあ、フーコーの言う通り、低劣な考え方をするキリスト教なのだが、
フーコーは、また言う、仏教は、「生かす」ことを追求した宗教だと。
そしてまた、フーコーは、仏教は生かすことに関心を持つ温かい『人間性のある宗教』だという。
そしてまた言う、「仏教」が、近代の思想の中で、近代の権力を持っている思想だ・・と。
98
:
キリスト教徒 小さなヨハネ
:2014/03/05(水) 06:46:15 ID:qBIA0KAQO
岡山・女性死亡寺院火災 棒で殴り放火した疑いで住職の夫を逮捕
フジテレビ系(FNN) 3月5日(水)6時26分配信
2014年1月、岡山・倉敷市の寺が全焼し、女性が死亡した火事で、女性の夫で、この寺の住職の男が、放火殺人の疑いで逮捕された。
逮捕されたのは、倉敷市の金剛寺住職・清水法潤(ほうじゅん)容疑者(54)。
警察の調べによると、清水容疑者は2014年1月10日午前7時40分ごろ、妻の美代子さん(当時39)の後頭部などを、長さ20cmの鉄の棒で殴ったうえ、燃焼中の石油ストーブに灯油をまいて放火し、殺害した疑いが持たれている。
警察が、火事の原因を調べる中で、清水容疑者から事情を聴いたところ、犯行を認めたため、逮捕したもの。
調べに対し、清水容疑者は容疑について大筋で認めていて、動機については「覚えていない」と供述しているという。
最終更新:3月5日(水)6時26分
99
:
名無しのひつじさん
:2014/03/06(木) 00:25:45 ID:uZ6cxRU20
仮現説(ドケチズム)という考え方がある。
下記の(参考)に書かせて戴いてもいますが、
1世紀末に、キリスト教会の中に現れた「覚智主義(グノーシス)」の一派だと言う。
この派は、救い主自身は、霊的に存在するものだとした。
しかし、キリストの身体は仮象であったと主張した。
これでは、『歴史的に存在したイエス(本当の実在のイ
エス)』は、事実上、否定されるようになった。
これでは、キリスト教の根本が、ゆらいでしまうと大騒ぎになった。
そこで、「ヨハネによる福音書」が書かれた(AD100年前後)。
「ヨハネによる福音書」が書かれた謂(いわ)れである。
「ヨハネによる福音書」は書かれたが、ますます、ギリ
シャ哲学に強く影響されて書かれた。
イエスの地「エルサレムの風土の香り」は無くなっていた。
そして、当時のギリシャ哲学が影響を受けていた「グノ
ーシス主義」に、「ヨハネによる福音書」も影響を受けた・・・という・・わけ。
そして、キリスト教は、「二元論」で、その二元の中に
すべてがあると錯覚させ、そして、含まれると錯覚させ、
人類の長い歴史の中で、この狭量(きょうりょう)な考え方で、悪さをして来た。
この浅薄な思考方法しか持たない「キリスト教思考方法」
に、軽蔑と、憤(いきどお)りを感じる。(つづく)
100
:
名無しのひつじさん
:2014/03/06(木) 00:27:57 ID:uZ6cxRU20
殺戮行為の遠因となった。
その二元の考え方というのは、「光」と言えば「闇」だ
と言い。「真理」だと言えば、「偽(いつわ)り」だと。
「生」と言えば「死」と。「信仰」と「不信仰」だと。
だから、「信仰」「不信仰」の対峙思考パターンから、
不信仰の「異邦人を撲滅せよ」となり、
「信仰」の我らには「神の義」がある・・と、
二元論思考の連鎖で、「信仰」の「我らに神の義」があ
り、「我らは、神の御旨(みむね)にある」、故に、「やっつけてしまえ」・・と、
あまたな戦争を作り出して来たキリスト教。
「ヨハネによる福音書」も、この「二元論の聖書」だった。短絡の思考の中にあった。
ただ、ヨハネは、(「ヨハネ第一の手紙」4・7〜12)で、
わたしたちは、互いに愛し合おうと呼びかけている。
しかし、これも、キリスト教の「隣人愛」の考え方。
「同じ宗教を信じ」「同じ民族」の愛なのである。
「選民とした同民族の愛」なのである。
実際、キリスト教は、この後の歴史を見ても、
他民族の殺戮ばかりしていて、
博愛からほど遠い、醜(みにく)い事ばかりしている。(つづく)
101
:
名無しのひつじさん
:2014/03/06(木) 00:29:59 ID:uZ6cxRU20
自分の民族だけに良い事しかしていない。
今、キリスト教は、必死にプロパガンダ(嘘宣伝)をしているが、その様な自己宣伝ではなく・・、
聖書の全面的書き直しをしなければならない。
誤解されそうなところの記述を全面的に・・、
ある一部分で、すべてを美しく見せようと、綺麗に見せようと・・、
『部分的に抜き出して嘘をつくという行為は、厳に慎(つつし)まなくてはならない』。
(参考)ドケチズム(仮現説)といって、キリストの現れ
を現実のことでなく幻であるとして十字架によるあが
ないを無効にしようとする異端説です。
(参考)きょう‐りょう【狭量】 [名・形動]人を受け入
れる心が狭いこと。度量が狭いこと。また、そのさま。
.. (詳しくは、以下のブログへ)
blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
www.youtube.com/watch?v=qlnkudtpet4
www.youtube.com/watch?v=nKNQXEqBZsQ
www.youtube.com/watch?v=EE_KtK311aA
102
:
キリスト教徒 小さなヨハネ ◇1oKmZSIAF.
:2014/03/06(木) 14:45:54 ID:qBIA0KAQO
マリア・ヴァルトルタ/「手記」抜粋/P61
‘43年7月23日
イエズスは言われる。
「時が到来するであろうとき、打ち勝つためには、霊魂の光を減少させる必要がある
ルシフェルのとぐろによって、多くの星が薙ぎ倒されるだろう。
それは起きうるだろう。なぜなら一般信徒だけではなく聖職者たちも、神の光の圏
内にとどまるために必要な、信仰、愛徳、力、純粋さ、現世の誘惑からの離脱などの
毅然さを失ったし、ますます失いつつあるからだ。
わたしがここで語る星が誰を意味しているか、貴女は理解しているだろうか?
それはわたしが地の塩として、世の光として定義づけたもの、すなわちわたしの奉仕者
たちだ。
サタンの鋭い悪意の計画は、これらの星を薙ぎ倒すことによって、大衆にわたしの
光を反射する光であるこの無数の灯火を消すことである。司祭的教会はまだ多くの光
を放ちつづけているが、霊魂たちはますます闇のなかに沈みこもうとしており、わたし
の空から数多くの星が消え去るであろうとき、どんな闇が大衆を押し砕くか容易に
理解できる。
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