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聖書読まねえクリスチャンなんているの?
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どうなんだい?
もうちょっと勉強してから吼えたらどうだ?
-
人間を統合的に診ていこうとする全人的医療を目指す医学の
一分野である。
心身医学を実践している診療科が心療内科(しんりょうない
か)である。
(資料ー3):
うつ病は、従来診断においては「こころの病気」である神経
症性のうつ病と、「脳の病気」である内因性うつ病と別々に分
類されてきたが、2010年現在多用されている操作的診断では
原因を問わないため、うつ病は脳と心の両面から起こるとされ
ている。
(資料ー4):
「脳の病気」という面では、セロトニンやノルアドレナリン
の不足を原因とする仮説に基づく場合では、
脳内に不足している脳内物質(セロトニン、ノルアドレナリ
ンなど)の分泌を促進させる薬物治療を行う。
これが日本国内では心療内科や精神科におけるうつ病治療の
主流になっている。
(資料ー5):
心理的ストレスを長期間受け続けるとコルチゾールの分泌に
より、海馬の神経細胞が破壊され、海馬が萎縮する。
心的外傷後ストレス障害(PTSD)・うつ病の患者にはその
萎縮が確認される。
(資料ー6):
脳内物質、脳内ペプチドとメンタルヘルス :セロトニン、
ドーパミン、βエンドルフィンなどの脳内ペプチド、または、
脳内ホルモンと呼ばれる物質が、心の状態に関与しているこ
とはご存知の方も多いと思います。(つづく)
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抗うつ剤は、脳内でこれらの物質のどれかを増やしたり、分
解されるのを遅らせたりして、心の症状を緩和しようとします。
(資料ー7):
本当は心の状態が変われば、その結果として脳内ペプチドは
健全なレベルに戻るのです。
.
(詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
URL: http://32983602.at.webry.info/
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題:『救いはエホバにあり』と、内村鑑三は言うが・・
そして、努力をするなと言うが・・。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
キリスト教は、『他からの恵みに期待するだけの宗教で
ある』。
「自分から幸せになろう」という宗教ではない。
何ら自らは努力をしようとはしない。
また、『努力をすること自体を否定する宗教教義』にな
っている。無気力信徒製造宗教となっている。
この宗教では国は滅びる。
また、家庭も滅びる。
人類も『じり貧』となり、滅びる道を進む。
何しろ、「ひたすら、神からの恵みを願い、祈り・・、
『たなぼた的な恵みを期待する宗教』である。
内村鑑三は言う、内村鑑三集の「ルーテル特愛の聖句」
には以下の様な記述がある。
言葉は綺麗ではあるが、その様に感じるが、表面的に綺
麗に見えるだけで、その実は人生を誤らせることになる。
「穏(おだ)やかに神に寄り添い頼れば、力を得る」と
言う。神を信じろと言う。
平穏は沈黙を守ることだと言う。ただただ神に寄り添い
頼ればいいのだと言う。
そして言う。「それは、すなわち自(みずか)ら努めず、
(努力せず)、神の行動を待て」・・と、教える。(つづく)
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これでは無気力人間が出来上がってしまう。
人に食べさせてもらえなければ、つまり、まず神の前に、
人間に頼らなければミイラになってしまう。
何ら自ら努力をしない人間ができ、キリスト教は、待っ
ていれば、『ただただ、いいのだ』と言う。
力を得るのだと言う。
それを信じろと言う。
待っていさえすれば、強くなると言う。
だから、汝の敵に勝つと言う。
だから、救われますと言う。
そして、ここで例えて言う、「嫉妬の毒矢に身を曝(さ
ら)すとき、・・われはただ静寂を守り、すべての救済を
神より望み、かれ(神)をしてわが城塞たり、守衛たり、
(神を)武器たらしむべきなり。われは弱けれどもかれ
(神)は強し、われとともにありて、われ一人は全世界よ
りも強し、救いは『エホバにあり』・・と。
何ら、神はこうなのだからという話は皆無となっている。
ひたすら精神的高揚のみ、感情的入れ込みのみ。
.
(詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
URL: http://32983602.at.webry.info/
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(追伸):
また、内村鑑三の様な、明治初頭の学究の徒は、
進んだ西洋の科学知識および哲学を含む学問を勉強しよ
うとひたすら学んだ。
しかし、今現代、その努力の跡は認めるが、その研究課
題のどれもが、陳腐化がはなはだしいのは仕方がない状態
となっている。
それだけ、現代の科学は進み、学問・知見が進んでいる
のだ。
内村鑑三のキリスト教も、その知見レベルは、また、研
究レベルは、はなはだしい進歩をした現代からみると酷(
ひど)く低かった。
西洋の学問を仰ぎ見た明治初頭の学級の徒は、無批判に
優れたものと西洋を見ていたことは否めない。
その様な環境に居た内村鑑三が、今・現代に居れば、キ
リスト教の真の全貌を知れば、この様な浅薄なキリスト教
に失望しただろう。
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名ばかりのクリスチャンを皆クリスチャンと思っているのですから
キリスト教は人殺しだの何だのという不毛な議論になるのです。
それを説明しても何のことを言っているのか誰も理解できないのです。
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旧約聖書の神は、イスラエルの民の支族の神々で、その神は支族によってまちまち・別々だった。
また、キリスト教聖書には、各地の話に影響され、メソポタミアの話もある。
アダムとイヴの話が、原罪ということと絡んで大きく取り上げられる様になったのは、後世の事、
キリスト教徒の手によってなのである。
最初はこんな話はない。
人間様の手によって、作られてきたキリスト教。
今も作られ続けているキリスト教。
ふらふらと・・千変万化する・・キリスト教なのである。
この様な宗教で、皆様が幸せになれるはずがない。人類が救済されるはずがない。
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退位したローマ法王ベネディクト16世(85)の退位した頃の新聞を読むと、
醜態に満ちている状況が、まず、印象に残った。
それに疲れたのだろうとの記事の記述もあった。
また、自身の発言が、何度も、統率力が弱いなどと指摘されていた。
また、教会の醜聞があったり、
教会の指導部の内紛があったり、
法王の執事が窃盗罪で有罪判決を受けたり、
運営を部下に任せ切っていると言われたり、
イスラム批判で謝罪せざるを得ない状況になったり、
ユダヤ人大虐殺についての意思表明において失敗して批判を浴びたり、
神父が児童の性的な醜聞・虐待を暴露されたり、
それも次々に続く最悪状態だったり、
管理能力が乏しい執行部の能力が露見したり、
指導部内の対立が露見したり、
欧州の足元の信徒が教会離れを起こしている状態だったり、
権威が失墜する場面が多かったりと散々な法王だった。
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作家の遠藤周作氏は、キリスト教徒であった。
キリスト教に題材を求めた作品「沈黙」は、
日本に来た宣教師が、キリスト教を捨てる話である。
この「棄教の主人公」が、殉教をしようとする人を救う
ことができないという神の無力感を描いている。
「キリスト教の神の無力」について悩んでいる。
この小説の様に、実際、当時に、日本に来て棄教した宣
教師は多かった。
例えば、イエズス会の日本副官区長のペドロ・マルケス
のグループは、遠藤周作の小説の主人公のモデルとされた
ジュセッぺ・キアラを含めて、多く宣教師が棄教した。
キリスト教は、得意のプロパガンダ(嘘宣伝)で、美し
く語るが、事実は棄教宣教師だらけ。
キアラが日本を目指したのは、そもそも、キアラの師の
クリストヴァン・フェレイラが、キリスト教を棄教した事
を知り、フェレイラを信仰に立ち戻らせようとした事に始
まる。
フェレイラは、当時の日本司教代理兼イエズス会日本管
区長で、
日本の最高位の人の棄教に、イエズス会は大きな衝撃を
受けた。
棄教したフェレイラは、その後、沢野忠庵(ちゅうあん)
と名前を変え、日本人として生きた。
そして、キリスト教宣教師と逆の行動・行為をした。
キリスト教を『棄てさせる活動』である。(つづく)
-
ここに何があったのか?
少なくとも、キリスト教を自分が持ち、信じ、保つに価
(あたい)しないとの結論に至ったことは間違いない。
また、キリスト教が、ことさら大きく、日本におけるキ
リスト教への弾圧を『誇大にプロパガンダ(嘘宣伝)する』
が、
後に、ヴァリニャーノが日本にいた頃を回想する話に、
まず最初に、「あの頃は、私たち宣教師は、日本で絹の
修道服を着るべきか、木綿の修道服を着るべきかを真剣に
議論し合ったものだ」と回想している。
これは、キリスト教に規則の「清貧に、裸足で、木綿の
服を着る」に反するが、威厳を保つために「絹の服を着る
べきだ」との意見と対立したことを言っていて、
結局、彼らは、キリスト教の規則を犯す方への断を下し
「絹の服を着る」。
この事はまた、日本の弾圧など、キリスト教が必死にプ
ロパガンダ(嘘宣伝)して、悲惨な話を過度にでっち上げ
るが、事実は以上の様なことだった。
キリスト教宣教師は、弾圧で『生きるか死ぬか』の中に
居たのではない。
キリスト教は、この様に、あらゆる所で、この類いの嘘
宣伝行為をしている。
その他、日本人が嫌がる肉食を続けるかの問題を討議す
るとかの程度だった。
今でも、キリスト教は嘘を言い続けている。
言わざるを得ない教義のお粗末さから来ることなのだが。
-
日本で最初にキリシタン大名になったのは大村純忠(すみただ)で、
大友宗麟(そうりん)・有馬晴信(はるのぶ)らもキリシタン大名となった。
自領に南蛮船が来航するのは、経済効果が大きいので大名は歓迎した。
そして、キリシタンになる者が出た。
領内の領民は、半ば強制的にキリシタンに改宗させられた。
キリスト教宣教師は、このキリシタン大名たちに「食糧」「武器」「弾薬」の援助を行った。
キリシタン大名らは弱体で、周囲の戦国大名の圧力に独力で抗しきれる様な力が無かった。
キリスト教宣教師は「死の商人」でもあった。
キリシタン大名は、領民を強制的にキリシタンにさせ、また、土地を寄進した。
大村純忠は長崎を、有馬晴信は浦上(うらかみ)(現在でも浦上天主堂がある)をイエズス会に寄進した。
しかし、キリシタン大名はこの世代まで。子や孫の後の世代になると、キリシタン大名ではなくなった。
それは、キリスト教が良いからキリシタン大名になったという訳でなかったから、当然であった。
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キリスト教には、『 聖遺物信仰 』というのがある。
聖遺物を崇(あが)めるのである。
また、触った程度でも聖遺物になる。
だから、あらゆるものが聖遺物となっている。
呆(あき)れるほど、馬鹿馬鹿しい聖遺物がある。
何と、「マリヤの母乳」というのもある。
イエスが飲んでいたものを横取りしたものということだ。
こんなものは、当然、残っていないものである。
愚劣としか言いようがない。
宗教レベルが、分かろうというもの。
こんな宗教で人類が救済されるわけがない。
あなた方が幸せになるわけがない。
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題:殉教ではなくなってしまう
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
キリスト教は、「殉教を進める教義」があり、「殉教を勧める教義」がある。卑劣なことだ。
殉教は、ラテン語で「マルチリヨ」と言うが、
キリスト教には殉教を勧める書「マルチリヨの栞(しおり)」がある。
それには、「丸血留(殉教者の意味)になるためには死ななければならない。まず、第一に、人から殺されることを喜んで耐え忍ぶこと」と教えている。
破廉恥宗教=キリスト教だ。
また、殺されるのを嫌がったりしたら殉教ではないと教える。そして、死を強要した。
イエスは、十字架上で「我が神、我が神、何故、私をお見捨てになったのですか」との声を上げているが、この様な事をすると、キリスト教の教えでは、殉教ではなくなってしまう。
イエスの死は、この叫びで、殉教ではないとしてしまうことになっていた。
勿論、処刑の場から逃げたり、逃げたいとの素振りもあったら殉教では無かった。
故に、キリスト教の殉教を報告する文書には、死んだ時の状況が非常に詳しく書きとめられた。(つづく)
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そして、キリシタンとして殺されるのは喜ぶべき事であるから、抵抗して戦う事は赦されていなかった。
抵抗して戦う事は殉教では無いとした。
天草四郎も殉教では無いことになっている。
逃げる事は良いとされたが、しかし、卑劣な事に、進んで申し出て殺されれば「優れた殉教」とされた。本当にキリスト教は卑劣だ。
そして、褒められ、栄誉を与えられた(こんな栄誉なんているか)。
そして、卑劣な事に、キリスト教は、殉教すると功徳があると懇切丁寧に解説した。
殉教すれば、キリスト教の神の前で最高の位に就けると説いた。
そしてまた、すべての罪が許されると説いた。
そして、またまた、煉獄(れんごく)の苦しきは免除されると説いた。
そして、またまたまた、天国では光背を頭にいただくことができますと説いた。くだらない。
そして、またまたまたまた、受けた傷は光り輝くと説いた。
キリスト教の宣教師は、日本人信徒たちにに殉教を勧めた。
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キリスト教は、卑劣な方法を駆使もして、総べての権力を奪った。
そこには、王を恫喝(どうかつ)するキリスト教聖職者がいた。
世俗の富も独占した。
欲の深いキリスト教だった。
世の芸術家たちは、キリスト教に就職する道しか残されていなかった。
キリスト教は、その資金力で芸術家をも独占した。
彼らの描いた芸術品は、当然、依頼主のキリスト教のお気に入りの作品となった。
しかし、彼らの描いた芸術作品の中に、密(ひそ)かに反逆する作品もあった。
そのキリスト教の独占の、社会を牛耳(ぎゅうじ)る姿に快(こころよ)く思わない芸術家が存在したという事である。
例えば1例、天使に性的欲望を密かに現わしている表現がある。
天使の手を握り字を書く姿、そして、素足を見る側の人々に向かって突き出したりしている。
この作品は、現物は存在していないが、後に、破棄されたと推測されているが、しかし、
後の世に、この作品は作り直されている。
天使の手を握る所は無く、素足も衣に隠されている。
この作品の作者ように、キリスト教に密かに反抗し、行動した芸術家もいた。
庶民も、心から完全にキリスト教を受け入れているわけではなかった。
地母神信仰などの地場の信仰が根強く残った。その事例が多くみられる。
表層だけがキリスト教なのだった。
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インドで可哀想な方々を救う行為をしている「マザー・テレサ」は、
生涯のその救いの行為が偉大であったが、
その偉大な行為以上に偉大だったのは、
生涯、キリスト教の神の不存在に悩み、「神は居ないことを吐露し」、
「世界のに人々にその心を偽ることなく伝え」、
そして、「公表した」ことであった。
つまり、マザー・テレサの最大の功績は、
「キリスト教の神の不存在の立証の中に生涯をかけたところ」だった。
生涯かけて「キリスト教の神は居ないとの証明を誠実にした人」だった。
彼女にこの行動をさせたのは、
この様にする事で「世界に」、そして「人類に貢献でき」、
「世界の平和が実現できる」と感じたから行ったことで、その行為だったと断定できる。
マザー・テレサの偉大な行為によって、
キリスト教の偽説の一生を掛けての立証を世界に示した人だった。
「王様は裸だと言った人=マザー・テレサは偉大だった」。
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題:マザー・テレサの『真の業績』・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
インドで、ヒンズーの方々と共に可哀想な方々を救う行
為をしている、「マザー・テレサ」は、
生涯のその救いの行為は偉大であったが、
その偉大な行為以上に、偉大だったのは、
生涯、キリスト教の『神の不存在』に悩み、『キリスト
教の神は居ないことを吐露し』、
『世界のに人々にその心を偽ることなく伝え』、
そして、『公表したこと』であった。
つまり、マザー・テレサの『最大の功績』は、
『キリスト教の神の不存在の立証の中に生涯をかけたと
ころ』だった。
生涯かけて「キリスト教の神は居ないとの証明を誠実に
した人」だった。
彼女にこの行動をさせたのは、
この様にする事で「世界に」、そして「人類に貢献でき」、
「世界の平和が実現できる」と感じたから行ったことで、
その行為だったと断定できる。
マザー・テレサの偉大な行為によって、
キリスト教の『偽説』の一生を掛けての立証を世界に示
した人だった。
『王様は裸だと言った人=マザー・テレサは偉大だった』。
それにしても、キリスト教は、戦争につながる教義は、
全面的に直さなくてはならない。
.
(詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
URL: http://32983602.at.webry.info/
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天草・島原の乱とか、天草・島原一揆とか、言われている事件は、
地方行政官いわゆる悪代官の圧政と言う話があるが、事実ではない。作られた話である。
何ら圧政とは関係が無い。
これはキリスト教の布教と、取締側とのトラブルから発生している。それも突発的に。
当時の信頼できる資料には、島原藩松倉家の報告書によれば、領地のキリシタンとなった領民が、
キリスト教の布教のため領民を集めていた。
その情報が入った取り締まり側の責任者が「捕えよ」の命令が出した。
そして、捕えようと駆けつけ領民を10数人を捕えた。
その日はそれで事は済んだが、翌日、百姓たちは代官のすきを見て殺害してしまった。
松倉家はその領地へ取り締まりに向かった。
着くとある百姓が逃げてきて告げた。
有馬という地では、百姓たちが騒いで、鉄砲など武器を集めている、だから、この人数では駄目だ、
武器をそろえなければと、
そして、有馬から島原にかけて、ありこちに火が付けられ、島原のすべてを焼く勢いだと。
駆け付けた家臣は、急遽、引き返し、この事を報告した。
この様に、キリシタンの布教の行為と取り締まり側とのトラブルが発端なのである。
また、これには、ある伏線がある。キリスト教宣教師の洗脳である。
カリスマ性の指導者が居れば、大規模な一揆をおこすことができると言い、宣教師はある予言をした。
天草に一人の善人が生まれるだろうと、その善人は習いもしないのに字を知り、諸事を究(きわ)めている。
そして、この善人は山に白旗を立て、皆の頭にクルスを立てるだろうと。(つづく)
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そして、天草に四郎という者がいて、その少年がこの通りの者で、天の使いに疑いないと。
そして、その他に、その少年に天から鳩が舞い降り、手のひらに卵を生み、四郎がその卵を割ってみると、
中から経文が出たと。
島原の人々は、その話を素直に信じ、四郎を崇(あが)めていた。
この様な土台・素地から天草・島原一揆が大事件となった。
イエス・キリストも洗礼を受けた時に鳩が舞い降りたという話が残されている。
キリスト教宣教師は、あちこちで嘘を言い、煽っていた。
天草四郎の実在は、かなり疑わしい。
まず、出生も定かでなく、語られている一説を信じている状態である。
また、出生地もはっきりせず、生涯も不明な点が多い。
神格化され、イエスの物語の様に、奇蹟が色々ある。
例えば、イエスがやった様に、盲目の少女に触れると視力を取り戻したとか、
イエスが、イエス出生地の湖のガラリア湖の水面を歩いたと言われているが、
四郎も界面を歩いたと言われている。
また、イエスが救世主と呼ばれるように、四郎も救世主とされた。
四郎の死後は、諸説がありどうなったかは定かではない。
実際は、少年の四郎が大規模な反乱を組織したり、指導したりしたとは考えにくく、
キリスト教のプロパガンダ(嘘宣伝)と考えられ、
実質的には首謀者は庄屋や食いはぐれた浪人たちと言われている。
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日本人の殉教のイメージは、キリスト教イエズス会士のジャン・クラッセが書いた本に影響されている。
彼は、日本の本当の事情を知らずに、聖用の頭で書いてしまった。
そして、明治初頭の『西洋は何でも優れている』という『思い込みの頭』の日本の劣等感が作用する。
彼の著書を、明治初頭の10年代に、太政官(だじょうかん)本局翻訳官が翻訳し、
本『日本西教史(せいきょうし)』という名で出版した。
この本のイメージが強烈に日本に定着してしまった。
教科書にも記載され、解説書も、このキリスト教イエズス会士の見解一色となってしまった。
徳川幕府は大弾圧をしたのだと。
『まったく逆であった』のに。
現代の日本人の殉教のイメージを決定づけた。
事実は、まったくと言っていいほど違っていた。
徳川幕府の基本的な姿勢は・・
「キリシタンの捕縛は、極力少なく収めたい」であった。
この事を聞くときっと驚かれると思います。
それだけキリスト教によるプロパガンダ(嘘宣伝)がなされてきていた。
幕府は、例え、キリシタンだと分かられてしまっても、知人・友人や親せきでも良いから、
キリスト教を棄教したと言えば、捕縛には向かわなかった。
誰でも、容易に捕縛から逃れられる様にと、『逃れの道』が作られていた。
刑場でも、『矢来の一部を取り外した形にして逃れられる様に』していた。
取り締まりを厳しくして、少しでも見過ごさなく捕縛するという姿勢では全くなかった。
また、キリスト教は、殉教することが神の信仰にこたえる道だと、美しくもしていた。卑劣な事である。
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ヨーロッパでは、キリスト教の『聖遺物信仰』が盛んだった。
キリスト教会には露骨にも頭蓋骨が並べられたりしていた。
また、えげつない行為であるが、血の付いた布とかも並べ、その俗信ぶりは、卑俗化・迷信行為はエスカレートしていた。
聖母マリアの母乳まで出現した。
日本でも、ほんの短期間だが一時期に、キリスト教宣教師が日本人に教えて、お守りを手に入れるという感覚の行為が起きた。
処刑されたキリスト教徒のものがありがたがられた。
その時期が過ぎ、キリスト教宣教師は嘆息する「この国の者たちがあの頃信じたものは、我々の神では無かったのか。彼らの神々だったのだ。それを長い間知らず、日本人が基督教徒になったと思いこんでいた」と。
今、世界的にキリスト教が多神教化している。
そして、当時、キリスト教宣教師や布教される側などに、多くの無益な血が流されたが、これ等を仕組んでいたのは「国家的な戦略に基づいて行なわれていた」その行為という事は事実である。真の犯人はここにいた。
今現代も、貴重な人生を、無益な行為に注ぐ人たちが居る。
結婚もせずにいる多くの女性が、特に、痛ましい。
(参考)本「中世の秋」に、ある一つの例であるが、紀元約1000年頃、ウンブリア山村の民衆は、キリスト教隠者の聖ロムアルドゥスを危うく撲殺しかけた。
誠に愚かなことだが、それは、彼を失いたくなかったための行為だった。
1274年にトマス・アクィナス・フォッサ・ヌォヴァの僧院で没すると、そこの修道士たちは貴重な遺物が彼らの手から失われるのを恐れ、気高き師の遺体を文字通り漬け込んでしまった。
つまり、頭を切り離し、煮て、調理してしまったのだ。
テューリンゲンの聖エリザベートの遺体がまだ埋葬されなかった時、善男善女の一群が、彼女の顔を巻き付けてあった布片を切り取ったり引き裂いたりして持ち帰った。
彼女の髪や爪を切り取り、果ては耳や乳房までもちぎり去った。
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キリスト教は、馬鹿な宗教だなと思う。
殉教を、ひたすら、大きく大きく、見せたいとしている。
銅版画「雲仙の拷問画」(日本二十六聖人記念館蔵)は、想像して描いた想像図である。
真実ではない。
この図は想像図と公的に確認されている。
キリスト教は、ひたすら殉教を悲惨なものへ、悲惨なものへと、より悲惨さへプロパガンダ(嘘宣伝)して来た。
本図も、キリスト教系記念館(カトリック教会の設立)の所蔵で、想像図ということからキリスト教のいつも良くやる針小棒大に描いている。
キリスト教は、教義から殉教を美化し、「殉教を求めて行くべきもの」としている。
また、殉教される時には、喜びを現(あら)わし、苦痛を現わしてはいけないとしている。
殉教の姿が厳しければ厳しいほど、その苦痛をさりげなく処す事を良しとしている(苦しくても体をよじらないとか)。
そのキリスト教の説く殉教の姿を現わした想像図である。
しかし、日本の取り締まりは、この殉教の図とはまったく逆であった。
秀吉が「バテレン追放令」を出した後に、キリスト教徒数が逆に増えているのを見ても分かる。
また、徳川時代においても、なるべくキリシタンを捕縛しない様にした。
たとえ、キリシタンだと分かってしまわれても、友人・知人や親戚にでも、「キリスト教を捨てたと一言」、仮にでも言えば捕縛には来なかった。
キリスト教は、凄惨さをひたすらプロパガンダ(嘘宣伝)する。
キリスト教の悪行の一例の「魔女事件」一つをとっても、村ごと全滅などという例の様に、キリスト教は想像を絶する殺戮をしたが、
この日本の場合は、キリスト教が「大殉教」と称する犠牲者数が55人とか50人というオーダーとは比較どころではない。
キリスト教の行った殺戮はオーダーの違う人数の多さなのである。
キリスト教がアメリカ大陸で行った殺戮は何と1000万人に届くかという悲惨さなのだ。何という数なのだ。
キリスト教は教義を変えよ。人類を愛せよ。
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>>937われわれの主イエスキリストの啓示を受けたパウロは、自分勝手な教義を打ち出したのではなく、
その教えは、イエスさまの現れの預言を記した旧約聖書に根拠をおいていた。
パウロは、イエスさまに異邦人宣教を託されただけでなく、
キリストの弟子たちや、多くの兄弟たちにも認められていた。
彼の教えは人間の教えではなく、イエスキリストの啓示であり、神のことばなのです。
ハレルヤ。
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題:そこに神はいるのか。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
キリスト教の教義や聖書などが、宗教として形づくられ
ていく過程・経過において、
キリスト教の聖職者が言う様に、美しく経過し、出来あ
がって行った訳ではなかった。
キリスト教を信仰する民も、美しく統一されて、美しく
信仰を守って来た訳では無かった。
民もあらゆる民族と混血した。
信仰において、『神から与えられた』という常套句が、
よく使かわれるが、
神から与えられたという、『純粋無垢なものという話と
は程遠かった。
そこには、民の生きる「生き様」と共に、信仰が形作ら
れて行き、多くの血も流れ、民はさ迷い、戦いに明け暮れ
もし、砂漠の地の宗教は形成されていくという過程があっ
た。
神の介在は無い。
民が、生きる「もだえ」の中から、人の手、民の手によ
って形作られて行ったものだった。(つづく)
-
海に囲まれ、長い長い期間、まったく有難いことに、ま
とまりの中にいた日本とは違う地であった。
イスラエルの地で、糧を求めて、生を求めた、色々な民
族が行きかい、争いをする、長い時が流れる中から生じて
来た。
そのある一時期の話。
紀元前721年、イスラエルの民は、北と南に分かれてい
た。
しかし、平安の時は続かなかった。
その内の、北にある「北イスラエル王国が滅亡した」。
外敵の侵入による滅亡だった。
南にある南イスラエルの「ユダ王国」は、生き残るため
に、アッシリア王国にゴマスリの臣従の道を選んで、命脈
を保った。
しかし、そのアッシリア王国も、紀元前612年に滅亡す
る。
北イスラエル王国が滅亡してから109年の時が経過して
いた。
そして、それから15年の後の紀元前597年に、
新バビロニア軍によって、エルサレムは攻撃を受けると
(つづく)
-
いう悲劇が発生した。
これによって、第1回バビロニア捕囚が行われるという
悲惨な事態も起きた。民が連れて行かれるという。
そしてまた、その10年後の紀元前587年に、
第2回目の攻撃をエルサレムは受けた。
この時にエルサレムの命運は尽きた。外国による征服が
成立した。
異教徒の制圧である。
勿論、宗教的干渉もなされた。
それでなくても、南イスラエルのユダ王国は、アッシリ
ア王国にゴマスリ従属していた時も、イスラエルの民は、
自分たちの信仰の形は保っていられなかった。
異教の神・バール神への礼拝が、大っぴらに行われた。
また、信仰の中心だったイスラエルの民の『エルサレム
神殿』には、「異教徒の神・バール神」に捧(ささ)げる
ための神殿までもが作られた。
そして、エルサレム神殿の屋根の上にまで、「バール神
の祭壇」が設けられた。
エルサレムの従属は、侵略国家の風俗となった。
第二次世界大戦後の米軍占領下の日本と同じであった。
(つづく)
-
エルサレムの娘たちは、異教の男の求めに応じ、
「目に媚(こび)をたたえ」「自分たちの信仰の神に背
(そむ)き」、緑の木の下で、生活のためとはいえ、外国
の男たちの求めに応じた。
(「イザヤ書」1章)に、
「ああ忠信なりし町、いかにして遊女とはなれる。往時
は公平にてみち・・いまは人殺しばかりとはなりぬ」。
この1例の様な事々を吸収し、歴史の事々を経験し吸収し、
それらが混ざり合って宗教は形成されて行った。
キリスト教は、また、ヨーロッパに入って行く時にも、
節操無く、恥ずかしげも無く、異教の地の神々と習合した。
集合癖のあるキリスト教は、あらゆる地場の神を吸収し
た。
以前の形を保とうという何ら節操もない、確固としたもの
もないキリスト教。キリスト教の性癖である。
そこに神はいるのか。
.
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-
日本に来たキリスト教宣教師の棄教は多かったが、
徳川幕府の見解は、寛永20年に来日して、キリスト教を棄教したキリスト教宣教師が、
棄教した時に、偽りの棄教でないことの確認をするため、誓文を書かせた。
その誓文に書いたその要旨に、その主旨がよく表れている。
その文は・・
「イタリアの国・ローマという所にキリシタン宗門の頭・パッパという者(ローマ教皇のこと)がある。
国々へバテレンを遣わし、宗門を広め、その国がパッパに従えば、奉行を遣わして仕置きする。
ルソン・ゴア・ノビスパンなどその他多くの国をむさぼり取っている。
日本は、軍勢で従わせるには困難なので、後生のために宗門を広めることにして、バテレンを渡した。
宗門がおおかた広まったら戦争をし、日本の多宗を打ちたいらげ、
パッパに従わせようというたくらみである」。
-
NHKは、天正遣欧少年使節などは、喧伝し、放送するが、
日本に来たキリスト教宣教師が、馬鹿みたいに多く棄教した事も教えよ。
放送せよ。
キリスト教に偏するNHKは、天正遣欧少年使節などは何回も放送するが、
また、教育放送で放送するが、
キリスト教宣教師の棄教も放送し、教科書にも載せよ。
「寛永20年に来日した司祭4人は、2人ずつ棄教し、念仏を唱えた。
そして、棄教したことが偽りない事との誓文(せいもん)にも署名した。
-
現代のキリスト教の学者は言う。
天草・島原一揆は、キリスト教宣教師が煽ったものだ・・と、
誘(さそ)いの言葉や『預言的思わせ』から引き起こされた・・と。
またそれは、終末論的世界観が植え付けられたことから引き起こされた・・と。
そして、形成された宗教観から一揆の惹起が当然と思わせた。
そしてさらに言う。今まで、殉教の様に言われて来て、位置付けされて来たが、
天草・島原一揆は『異端的な』宗教活動と言える・・と。
故に、犠牲となった2万数千人は決して殉教者ではない・・と。
殉教者にはされていない・・と。
-
イスラエルの古代の、南イスラエルの「ユダ王国」の王・ヘロデは、大王と呼ばれているが・・、
しかし、よく調べると、何だか「怪(あや)しい」男の様だ。
エジプトの大王が、大きなピラミッドを造っているが、このパレスチナの大王も、自分もパレスチナの地で、その様にしようと思ったのか、南イスラエルの山をピラミッドの様にさせた。そして、自分の墓にしている。
エジプトのピラミッドは、農閑期の失業対策として、民のための善政の工事だったが・・、
このイスラエルの偽(にせ)の大王は、民をいじめるという、名ばかりの大王だった。
苦しんでいる民を、更に、苦しめ、しないでも良い工事をしたと言える。
この男は、イスラエルの男ではなかった。隣国の人間だった。
イスラエルの王に、巧妙に立ちまわり、ゴマもスリ、もぐりこんだ男だった。
そして、隣国をいつも軽蔑していた。自分が、その地の男だったのに。
こんな男が王位について、ユダヤ人が喜ぶ訳がない。
成り上がった者は、ローマ帝国へのご機嫌もとった。得意なゴマスリもした、そのしわ寄せは民へ来た。
莫大な税金を民へ課した。
そして、権力を握ったら、この男は、エルサレムの最高法院(サンへドリン)の役職者を全員、殺した。
最後の一人まで徹底した。当然、政治は「恐怖政治」となった。
民は、怯(おび)えた。
政治上の不平分子も徹底してやった。
民を苦しめて取った税金で、国中に、ローマが喜びそうな施設(箱物)などを造った。
「ローマ風劇場」「ローマ風競技場」などだ。
そして、敵が怖かったのか、この様な奴は、当然、敵が多いので、怖(こわ)がる訳だが、(つづく)
-
城壁を堅固にし、また、城壁増築もした。エルサレムをさらに城壁で囲んだ。
また、不平の民を放逐する訳に行かないので、また、殺す訳にも行かないので(納税者なので)、懐柔(かいじゅう)策をとる。
民が喜ぶ、エルサレム神殿の大改造をした。
やはり、民・ユダヤの人たちは喜んだ。
この神殿は、イエスが大暴れした例の神殿である。
イエスは、口で、言葉で、納得させることが出来なくて、腕力で、大暴れで、民の商店を壊した。
八つ当たりされた町の商人の方たちは、大迷惑だったろう、可哀想なことだ。
この神殿には、本尊の「ヤハウェ神との契約」が入った証(あかし)の箱はない状態。
行くへ知れずの本尊。本尊の「もぬけのからの神殿」だった。
また、パリサイ派の過激分子は「熱心党」を作ったが、更に超過激な『短剣組(シツカリ)』が生まれた。
探検組は、ローマ人やローマへの協調者を暗殺して歩いた。民は恐れ、恐怖に沈んだ。
この、探検組に睨(にら)まれたローマ政府への協調者(ユダヤの裏切り者)にはイエスが入り浸(ひた)った取税人がいた。
ローマ政府の手先となって、苦しんでいるユダヤの方から税金を取った奴である。
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題:非常に残念な『人類の負の遺産』、可哀想な方々...(真を求めて、皆様とともに幸せになりたい).
12世紀までのスペインは、ユダヤ人に対して比較的寛大だった。
しかし、これから、筆舌につくせぬ『卑劣な行為』をした。
それ以前に、スペインに居たイスラム教のアラブ人の方々も、ユダヤ人の方々への迫害はしなかった。
しかし、頭に『キリスト殺し』の観念を、ユダヤ人の方々に対して持っている『キリスト教会は別』だった。
『キリスト教会』は民衆を唆(そそのか)した。
民衆のユダヤ人の方々への襲撃が起こるようになった。
その上、特に、フランスから「アラブ十字軍」が入ると様相は一変した。世はヒステリックになった。
(これも『キリスト教会』が仕組んだこと)
ユダヤの方々への風当たりは激しくなった。
最初は、「逮捕」「投獄」「国外追放」の程度であったが、「虐殺」が始まった。
総べてが、『キリスト教会の煽動』であった。
ユダヤの方々は、『キリスト教会』から徴税請負人(取税人)になるようにされていたから(職業選択の自由を拘束されていた)、人々のユダヤ人への敵意は、根強かった。
14世紀の末頃から、特に、全国的に迫害が行われるようになり、更に酷(ひど)い状態へとなった。
「略奪」「暴行」「殺害」である。
ユダヤの方々は皆が、その嵐を受けたくらいであった。
免れたユダヤ人はいないという状態だった。
絶望したユダヤ人は、生き延びるために「不本意なキリスト教の洗礼」を受けた。
信仰心の強いユダヤ人の方々の、集団での転向は、それまでのユダヤ人の歴史には無かったことだった。(つづく)
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転向すれば、元の職業に戻ることが許された。
『キリスト教会』は、ユダヤ人の方々の転向は、心からの転向では無い、「偽装転向」と見ており、助かりたいというユダヤ人の方々を『キリスト教会』は、猜疑の眼で見た。
この様な世情の中で、プロテスタントの反カトリックの騒ぎの愚行が、この世の中の、『キリスト教会が作った』陰湿な動きに加わった。
また、この『キリスト教会のこの反目』は、戦争にまで発展して行った。
「農民戦争」が勃発した。
『キリスト教カトリック教会』は、異端者の摘発に卑劣な行為をするようになる。
『キリスト教会の聖職者』は、「悪魔の手先だ」という『妄想』をヨーロッパ中に吹聴し、説いて回った。
スペインに、1478年、ユダヤ人追放のための、『キリスト教会の異端審問所』が作られた。
この機関・異端審問所が『極悪の極み』なのである。
殺人マシンと化す。
何人ものユダヤ人の方々が殺された。
スペインのキリスト教徒とキリスト教聖職者たちは、アメリカ大陸でも、数えきれないくらいのインディオスの方々を虐殺したが、スペイン国内でも、この様な悲惨なシステムを造って、卑劣・悲惨な行為をした。
この異端審問所は、300年間という途方も無い長期間に渡って存在し、人を殺し続けた。
生きながら焼き殺した。
この焚刑をする、『キリスト教会の異端審問所』は、18世紀に至るまで続けられた。
無数のユダヤ人の方々が、異端者とされ、無念の死を、『キリスト教会のこの施設』から受けた。
コロンブスの船に乗った多くのユダヤ人の方々は、この様な悲惨な行為から逃れる面もあった。
コロンブスは乗組員不足に悩んでいたが、解決した。(つづく)
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また、実は、コロンブス自身もユダヤ人だったのではないかと言われている。
ユダヤ人の方々は、アメリカ大陸にも逃げた。
しかし、卑劣なことに、この『キリスト教会の異端審問所』は、アメリカ大陸にまでも造られ、ユダヤの方々が犠牲となった。
焼き殺すユダヤの方々が、あまりにも多いため、キリスト教聖職者の、その事情「手が回りません」の連絡がローマ法王にまで伝えられている。
ユダヤ人の方々は、卑劣なスペインから逃れるため、ポルトガルへも逃れた。
しかし、スペインの手が回っていた。
ポルトガルも「ユダヤ人追放令」を準備していた。
コロンブスの「新大陸発見」の報で、ユダヤ人の方々は次々に新大陸へ渡った。
その先頭に立って新大陸へ渡ったのは、ユダヤ人の方々だった。
しかし、既に記したが、『キリスト教会・異端審問所』は、新大陸にまでも設置された。
この審問所は、「血しぶきをあげて回転を始めた」と書籍に書かれるぐらいの、極悪の非人道的な『キリスト教会の極悪機関』だった。
『キリスト教会のトップ』のローマ法王庁まで援助を求めるほどに人を殺した。
この『キリスト教会の極悪行為』は、「メキシコ」や「フィリピン」まで殺しの手を伸ばしていった。
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何故、日本の神社では神輿をかつぐのですか?
何故、道端の持念仏は赤子を抱いており、憤怒のお不動さまとセットなのですか?
何故、日本では大地震がおこり原発事故で何百万人が亡くなるのですか?
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題:イエスの言葉より・・発した・・・...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい).
人類の歴史において、 多くの戦争の原因となり、 また、驚くべき多くの、
筆舌に現わすことのできない、多くの数の人々の・・ 『死の原因』となったのは、
イエスの言葉より発した。
(「ヨハネによる福音書」8章)で、イエスは言う。 「汝らおのが父、悪魔より出でて・・」・・と。
ユダヤの方々を『悪魔より出た民族だ』と決め付けた。 イエスが言った。
2世紀に作られたという「ヨハネによる福音書」にある。
また、政治的な作為があって作られたという言い訳もある。
この言葉で、ユダヤの方々は、以後、拭(ぬぐ)うことのできない『悪魔の民だとのレッテル』が貼られてしまった。
イエスのこの言葉には、まったくもって、『憤りが頂点』に達する。
何が愛なのだ・。怨(うら)みだけではないか。
この言葉を始めとして、悲惨な歴史が、延々と、ユダヤの方々に降りかかって行く。
そしてまた、 キリスト教の卑劣な教義である「同罪報復を認める教義」である。
神の正義なのだからと、『同じ報復をしてよい、そして、しろ』と言う。
その様な事を言う『神も神』である。 「目には目を」である。
この様に、卑劣な仕掛けを、「人類の歴史に仕掛けるキリスト教」なのである。
結局、人間同士なのに、神の正義なのだからと・・。
神を名乗って、『同罪報復』を、『相手を傷付ける行為』を、堂々とする。
そして、『それを良し』として教え、『そうするべき』と、洗脳するキリスト教。神の正義なのだ・・と。
洗脳・コントロールされた頭を持ったキリスト教の信徒の方々が、同罪を与えようと、『武器を持って』、卑劣な行為に走る、およぶ。(つづく)
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卑劣な宗教だ。 この様な解決策しか与えられない、劣った宗教だ。
神という御旗を立てて・・、 結局は、地獄の悪魔の行為にしかおよべない。その様な教えしか信徒の方々へ与えられない。
力のない劣悪なキリスト教によって、人類に仕掛けられた、同罪の報復の連鎖は続いて行く。
益々、世は悲惨さが増す。 悲惨さを繰り返させる、繰り変えす劣悪な宗教教義。
無くなって消えるという論理システムではない『キリスト教の劣悪宗教教義』。
ユダヤの方々も、終世、『悪魔より出た民、キリスト殺しの同罪報復の対象の民』との、呪いのキリスト教の教義の暗示の中で、苦しみもだえ殺されて行く歴史となる。
キリスト教の、『『卑劣な暗示の仕掛けが悪い』』のである。
『呪いの宗教パターン』が悪いのである。 劣っているのである。
「汝等の宗教・キリスト教こそが悪魔の宗教」だということが気が付いていない、気がつかない。
同じ福音書の章でヨハネは書く、イエスが言うと、
「もし(汝ら)アブラハムの子ならば、アブラハムの業をなさん。しかるに汝らはいま、神より聴きたる真理をらに告ぐる者なるわれを殺さんとはかる」・・と。
ここで、イエスは言っている、同じアブラハムの、この同民族ならば、アブラハムのことをしろ・・と。
そして、汝らの信じる神から真理を聞いて来たわれ(イエス)なんだからその言葉を聴くべきなのに、聞かず、また、信じもせず、われ(イエス)を殺さんとする(そして、結局、十字架に掛けてしまった)。
イエスの言葉は、われ(イエス)の言うのが正しいのだから、『お前たちが悪い』の一点張りの思考パターン。
『同じアブラハムではないか』と言っているところも、思考範囲が、同民族内の自分だけのポジションから発想していて、思考の発想基盤が非常に狭い状況となっている。
イエスの思考領域が、『民族レベル』ということが分かる。
キリスト教も、同じく、狭い思考基盤の宗教となっているが・・。(つづく)
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所詮、神から『選民』として、選ばれた民だけの優越意識だけの宗教・思想となっている。
そして、イエスは、われ(イエス)、神の言葉を聴いているのに、汝ら(ユダヤの民)が、それを聞けない『汝らが悪い』と、相手だけを悪者にする思考パターン。
そして、われを聞けない汝らが同罪報復を受けるのだ、悪いのだからとなる。
そして、われを殺した・・と。
そのユダヤ民族側にも、「同罪報復」の発想・思想が働いている。この愚劣な考え方・思想・教義が悪く働いている。
イエスへの死による同罪報復である。
愚劣な報復が続いて行く。
どちらからも歩み寄りがない。
仏には、仏の様に常に寄り添い、分からないならば「分かるように、悟るように」・・、 何時も相手の身になって、
「何時も、分かれる様に、悟れるように、色々な譬(たとえ)の話・言葉を加えて、手を差し伸べて、分かるように、悟れる様に」・・と。
ここには、お互いが相手を思いやる心だけがある。
何ら相手への恨みや同罪報復の思想・心・発想はないし、生まれない。
愚かにも、このイエスの怨(うら)みの暗示の言葉が、 人類の歴史にずーっと付きまとい、
何人の人に、非常に多くの無念の死が発生し、させられたか。
さらに、卑劣・愚劣なことに、イエスは、 この「ヨハネによる福音書、8章」で重ねて言う、
「かれ(ユダヤ人)は、はじめより人殺しなり」。
イエスは最後に、吐き捨てる様に言う、ユダヤ人は人殺しなのだ・・と。
呪いのキリスト教。教義を止めよ、そして、変えよ。
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題:各国は、「ユダヤ人追放令」を出した。...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい).
キリスト教は、ローマ帝国の国教となった以降、「虎の衣を借る狐」のごとく、卑劣な『振る舞い』をした。
ローマ帝国の権力をかさに、錦の御旗を立てて、ユダヤの方々へ、『やりたい放題』の悪行為をした。
事例をあげれば、
「ユダヤの方々とキリスト教徒が、一緒の家に住むと、ユダヤの方々は死刑とされた」。この様な破廉恥な規則を作った。
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また、ユダヤの方々は、「キリスト教徒の奴隷を使ってはならない」とされ、
また、ユダヤ教に入ったキリスト教徒は殺された。
また、ユダヤ教の会堂(シナゴーグ)は作ってはならないとされ、
また、ユダヤ教の布教活動は禁止され、違反をすると死刑となって、殺された。
また、ユダヤ教を「邪悪な宗教(セクタ・ネツアリア)と呼ばせ、強制した。
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また何と、ユダヤの方々の「公民権を剥奪」し、人間では無いという取り扱いをした。卑劣極まりない。
また、キリスト教会は、ユダヤの方々を「悪魔の子だ」と言い、思わせ、
そして、「ユダヤ人は、悪魔の助けで金を儲けているという妄想」を吹聴した。
そして、善良な人々は、キリスト教会によって、怨みと、嫉妬(しっと)を掻(か)き立てられた。
そしてまた、ユダヤの方々を一定の区域だけに住むように強制した。
「ゲットー」という一定区画への閉じ込め策である。
また、キリスト教は、執拗に「ユダヤの方々が、過ぎ越しの祭りのために、キリスト教徒を殺している」と、流言飛語をまき散らした。
そして、「殺したキリスト教徒を、祭壇に捧(ささ)げている」と尾ひれはひれを付けて、キリスト教の得意なプロパガンダ(嘘宣伝)をした。
このプロパガンダ(嘘宣伝)は、執拗で酷(ひど)かった。
「ユダヤ人は、キリスト教徒の子供を殺し、その血をパンに塗って食べている」。
「ユダヤ人は、毎年、何処かに集まって、次の犠牲者を誰にするか、くじを引いて決めている」などと、ありもしない事を言いふらした。
人々は、キリスト教会の言う事を、本当の事だと信じた。(つづく)
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キリスト教の聖職者のアゴバールは、ヒステリックに叫んだ。「ユダヤ教の迷信と、ユダヤ人商人の悪がしこさは、がまんがならない」・・と。
ユダヤ人の方々の商いの上手さに、市民は妬(ねた)んでいたが、このことを、キリスト教聖職者は利用した。
ユダヤ人の方々は、『キリスト教会の煽動』によって、また、煽られた住民の凶暴化した暴力・蛮行によって、
また、領主の欲バリ観念によって、また、気まぐれとしか言いようの無い行動から、事あるごとに『虐殺』の対象とされた。
キリスト教会の思惑どおりに世の中は展開して行った。
ユダヤ教は、キリスト教に先行し、ヨーロッパ社会に広まっていたので、キリスト教会は、特に、その面からも、ユダヤ教に対し卑劣な行為を繰り返した。
また、根強く『キリスト殺し』の観念が、怨念となって行動の底流に存在していた。そして、十字軍である。
この十字軍と共にこの怨念は、更に激しくユダヤの方々へ降り注いだ。
第二回十字軍の時は、「北フランスの地は、ユダヤ人の方々の血の海となった」。
また、第三回十字軍の時は、イギリスのヨーク地方の虐殺と、十字軍の度ごとに、何処かで、悲惨なユダヤ人の方々の虐殺が起きた。
無数のユダヤ人の方々が、キリスト教会の煽動と、『キリスト教徒の子供の血をすすった』という有りもしない流言飛語で、
パリや、ブロアや、リンカーンや、ヴォルフスハイムで、火を噴き、焚刑の煙に満ちた。
第4回キリスト教宗教会議では、「ユダヤ人は悔悛(かいしゅん)する事を知らぬ輩だ」と卑劣な決議がなされた。
そして、「ユダヤ人は、キリスト教の聖なるサクラメントのキリストの肉である聖パンを、今も拷問し、苦しめている」と決議した。
悪意のキリスト教の圧力で、各国は「ユダユア人追放令」を出した。
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(参考)かい‐しゅん【悔悛】 [名](スル) 1 犯した罪を悔い改めること。改悛。 2 過去の罪を悔いて、神の赦しを請うこと。
(参考)サクラメント【sacrament】 キリストによって定められた神の恩恵にあずかる儀式。カトリック教会では秘跡といい、洗礼・堅信・聖体・ゆるし・病
者の塗油・叙階・婚姻の七つ。プロテスタント諸教派では聖礼典(礼典)と称し、洗礼と聖餐(....
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ああ、祈り・・・。重要なテーマですね。私は祈りというのが下手ですが、
常に主と聖母が臨在されていることを考えています。そして話し掛けるように
しています。何か判断するときにも。
ヴァッスーラ/花むこから花嫁への呼びかけ/P27
「望ましい祈りとは、心から単純に、直接神に語りかけること、とイエスはおっしゃ
いました。
思い出しますが、スイスで16歳から17歳くらいの少年たちに会いました。
彼らは祈ったことも教会に行ったこともありません。一人の少年が言いました。
「でも祈り方を知らないんです。どう祈ればよいか、分りません。」私は言いました。
「親しい友人が勿論いるでしょう?親友とはどうやって話すの?単刀直入に話しかけ、
心の秘密を打ち明けるでしょう?それに友達を信頼してるでしょう?神様にもそれと
同じように話しかけてごらんなさい。」
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P151‘90・5・12
「しかし私がそこにいて 心のうちで話すのを聴いている。 話しかけるように
・・・ さあ、これを聴きなさい: 会うのをたのしみに待っている友達を
訪ねて行くとする、友人に会った時、遠くに立ったままでいるだろうか? それとも
近づいて 温かくキスして挨拶するだろうか? 次に、ともに腰掛けて話すであろう?
それとも座ったまま黙っているだろうか? もちろん話すに決まっている!
我が家を訪ねて来る時は 私にもこうしてほしい。 会うたびに 心はずませている
のを感じたい、心をもって話すのを聞かせてほしい、あなたの神、私に話すとは祈る
ことです。 そうするならあなたの口もとに 耳はぴったりと引き寄せられ 一言
一言を蜜の雫のように 受け取るであろう。」
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P245
主:「霊魂よ、祈りなさい、それは話しかけなさい、という意味です!」
それでは今夜はこの辺で。
-
(追伸)
12世紀には、ユダヤ人の方々は、150万人いたが、
そのユダヤ人の方々が、キリスト教の煽動で殺され、その人数がわずかな数になった。
何と、『80%のユダヤの方々が殺された』のである。
20%の人しか生き残れなかった。
15世紀には、ユダヤ人の方々は、30万人に激減した。
悲惨な事である。
絶滅寸前にまで追い込まれたのである。
それでも、18世紀には、250万人に回復することができた。
そして、19世紀には、1000万人に増えることができた。
生活の改善もあったのだろうが、何よりキリスト教による虐殺が少なくなったことが、この人口の伸びを可能にした。
そして、20世紀、悪夢が再来した。
キリスト教にかぶれた「ナチスによる大虐殺」が起きてしまった。
-
神は行いによって裁かれるという言葉は聖書中にたくさんあります。
これらを無視できるとは・・・。
申命記24・16
父は子のゆえに死に定められず、子は父のゆえに死に定
-
高校のころを思い出すと、思い出したくない事がある。
憎くてたまらない子が居た。
いっそ首を絞めてしまいたいと手を伸ばし掛けたことさえあった。
その子は同じ教会へ通う同級生であった。
本当に、いろいろないじめにあった。
今でも思い出すと辛(つら)いいじめが心へ苦痛を与える。
憎く苦しく仕方なかった。
話もせず、ただただ離れる様に離れる様にと。
高一のクリスマスに受洗しようと決めたのは、この苦しみから逃れたいの一心からだった。
「私はもう、違う場所に行くから、放っておいて」の気持ちだった。
私は何ひとつわかっていませんでした。
ただ逃げるための受洗でした。
これが、ただひとつの、生きのびる道のように感じました。
そんな理由で受洗したので、毎日が明るくなるわけでもありませんでした。
私は、ますます内向的になって行きました。
キリスト教が卑劣なのは殉教が起きた時に奇跡が起きたと言わせたこと。
それを信徒が言う様にとした。
「生き残った者は奇蹟が起きたことを言う事」と決めた。
奇蹟の創作である。
それが記され、記されたものがヨーロッパで読まれると、遠い日本の地の神の存在に想いを馳せた者が日本への渡航に憧(あこが)れた。
殉教の地として日本を見た。
殉教の最後の地と見た。
キリスト教は殉教を極端に美化する宗教であった。
そして、身に受ける苦痛を喜ぶしぐさをし、苦痛ももだえ苦しんではいけないとされた。
-
キリスト教の聖遺物崇拝は、迷信である。
キリスト教教会や修道院が、大金を払って、金の力で買い集めた聖遺物。
また、弱者から武力で奪って来た聖遺物。
ヨーロッパ・キリスト教会に陳列し、並べている。
血に染まった殉教者の衣服など。
それらのあらゆる物を有難く崇拝している。
「マリアの母乳」という物まである(お粗末)。
まったくの嘘。
宗教レベルが未熟で低劣な宗教だ。
古(いにしえ)のユリアヌス帝は「はるか昔の屍体(したい)まで多数並べて」と怒りをあらわにし、「更に数を増やしおって、世界を墓廟(ぼびょう)だらけにするつもりか」と怒った。そして、キリストは妖術だと言った。
まさしく、キリスト教は妖術。
徳川家康も、キリスト教の持つこの様なところを『魔性のもの』と表現した。
-
豊臣秀吉の頃、キリスト教宣教師の最高位にいたカブラルは、日本人を低く見て居た。
馬鹿にして居た。
自分たちの会話が日本人たちに聞き盗られると困ると思い、聞き盗られないようにと、日本人たちにポルトガル語やラテン語を勉強する事を禁止した。
また、ラテン語やポルトガル語を学んで司祭になる事も禁止し、日本人が司祭になる様な事が無いようにした。
後に、このカブラルは日本を離れたが、そして、秀吉はキリスト教の布教を許可し、朱印状を与えたが、キリスト教宣教師たちの動静は不穏を極めた。
九州では島津氏の勢力が拡大し、キリスト教が保護しているキリシタン大名の大友・大村・有村は劣勢だった。
キリスト教宣教師らは秀吉に島津氏討伐を要請した。
また、九州のキリシタン大名に見方をするようにと要請し、軍艦を2層を提供すると提案した。
キリスト教宣教師らは、キリシタン大名を援助する兵隊の出陣をフィリピンに居た総督に要請した。
また、キリシタン大名の援助のための弾薬や大砲や食糧、資金、船舶などの要請もしていた。
また、キリスト教宣教師たちは、本国の利益についても画策していた。
日本の女性などの奴隷貿易など。
島津氏は秀吉によって屈服させられた。
この時、秀吉は、キリスト教宣教師たちの技術的に進んだ快速船で長崎から博多に来ていた。
キリシタン大名たちは、秀吉の性格を良く知って居たので、今までの経過などから、「この快速船は秀吉の為に作らせたのだ」と言って、秀吉に与える様にと、キリスト教宣教師たちに忠告した。
しかし、この忠告に従わなかった。
その他、キリシタンたちは、破壊的な行動をしていた。
キリシタン大名城下で、神社仏閣を壊し続けていた。
キリシタン大名はキリスト教宣教師に完全に服従した(大名を救う重火器の補充をする宣教師だったから)、その服従は驚くほどだった。
宣教師たちはそれを利用した。
神社仏閣を破壊して、良いものは自分たち宣教師たちのものにしていた。
また、強制的に民衆を信徒とした、この様な行状が秀吉の耳に入った。
そして、バテレン追放令へとなっていった。
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題 : その後の秀吉・・(バテレン追放令、以後は?).
1549年に、フランシスコ・ザビエルが、キリスト教を伝えて、38年が経過した後の1587年に、豊臣秀吉は、バテレン追放令を出した。
そしてまた、その25年後の1612年に、家康が、キリスト教禁教令を出した。
そして更に、その12年後からの寛永年間(1624〜1644年)の20年間のキリスト教の弾圧の厳しい時を経て、キリスト教は、「隠れキリシタン」以外は、明治の1867年まで壊滅した。
その壊滅期間は223年に及んだ。
この道に至るきっかけの所に、秀吉の『バテレン追放令』がある。
当時、キリスト教は、まったくの増上慢で、好き勝手なことをしていた。
その時、日本は戦国時代を経て、秀吉という日本の統一直前の最強の人・強い統一者が、偶然、居たから幸運だった。
日本の大村純忠・大友宗麟・有馬晴信らのキリシタン大名は完全にキリスト教宣教師に牛耳られていた。
これ等の弱小のキリシタン大名は、国の存続のためにキリシタン宣教師が供給する武器・弾薬が貴重で、頭が上がらない状態だった。
秀吉が居なければ、日本も南米・中米、そして北米メキシコとそれらの離島のように、その何百万人の殺戮の様に、同じ運命となっていた可能性は高い(同じ、キリスト教イエズス会が日本に来て牛耳っていた)。
また、南米などの駆逐が済んで、その悪漢の艦隊は、ルソン(フィリピン)とメキシコの両攻略中のニ国を行き来する太平洋に居た。
日本の最高位の立場の人が、キリスト教拒絶の態度を示したのは、秀吉の「バテレン追放令」が最初であったが、
そして、その秀吉に、キリスト教宣教師たちは、南米などでもしたのであろうが、日本においても、キリスト教宣教師たちは武力で駆逐しようと
行動した。
それが、「バテレン追放令」の反動となって表れた。
バテレン追放令の1587年の3年後の1590年には、秀吉は、南蛮貿易の必要と利益から前言を翻(ひるがえ)した。
長崎のキリスト教会の再建を許し、10名のキリスト教聖職者の滞在を許し、バテレン追放令の「法の主旨」を有名無実化した。
秀吉は、フィリピンのキリスト教徒の総督に「秀吉(日本)に服属するようにと要求した」。が、その返事を持った使節が2年後の1593年に来日した。(つづく)
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その使節のキリスト教宣教師に「キリスト教の布教再開」を要求された。
そして、京都に、キリスト教の布教のための修道院と聖堂が建設され、布教が再開された。
再開されるやキリスト教の各宗派が来日し、布教活動を始めた。
すると、その各宗派の間に、トラブルが発生するようになった。
例えば、イエズス会は南蛮貿易で豊かで、贅沢な暮しをしていたが、清貧を旨とする托鉢修道会を「貧乏人」と呼び軽蔑し差別した。
また、「フランシスコ会は、日本から退去せよ」と命じたりした。
しかし、フランシスコ会は「教皇と国王の命令があるのならまだしも・・・云々」との態度で紛争・トラブルとなった。
その様な折りの1596年に、高知に難破船が漂着した。
船名をサン・フェリーぺ号と言った。
そして、事件が起きた(サン・フェリーぺ号事件)。
この事件を起因として「二十六聖人殉教事件」が起きた。
そして、秀吉の態度が、180度転換して行く。
秀吉政権は、難破船船員の取り調べを行い、世界情勢として知っていたので、そして、気になっていたので問いただした。
「キリスト教徒などの南米などでの蛮行や国を奪う行為」はどうなのか?・・・と。
その結果の答えは、「我々は、世界中との取引を行なっている。相手が好意的ならば味方と判断する。
しかし、我々に歯向かえば、国・領土が奪われるということになる」・・・だった。
そして、その先鞭として「キリスト教宣教師が来日しているのだ」と答えた。
この事件は、それまでの、キリスト教徒とそれに同行しているキリスト教聖職者たちの行為・世界の国々を奪っていく行為を明白に示していた。
当然、秀吉の方針は180度転換した。
キリスト教宣教師は捕えられた。(つつく)
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◆「箱舟の聖母」のメダイ ( スカプラリオ )
この「箱舟の聖母」のメダイは、マリア様がメッセージで言われているスカプラリオです。このメダイは、洗礼を受けていない方でも身につけることができます。
肌身離さず首から下げてください。
【 マリア様からの御約束 】
「……これを身につける人は、誰でも永遠に救霊の御恵みがいただけます。」
このメダイを身につける人は、お願い事の最後に「『箱舟の聖母、我らの御母聖マリア、キリスト信者の扶(たす)け』の御名によってお祈りいたします。アーメン」
と唱えます。
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