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ジュセリーノ預言について語るスレ
59
:
名無しのひつじさん
:2008/06/30(月) 16:18:05 ID:BC64fUCY
>>56-58
よりつづく
すべてこれら今年おこると予言している地震である。すでに過去のものとなった予言もある。
はたしてあたっているのだろうか。。。
彼の「予言」がいかにいいかげんか、わかろうというものだ。
そのうち、日本でも呆れられるかもしれない。
ブラジルでもそうだし、欧米ではそもそも相手にされてさえいない。
当然だ、キリスト教徒には聖書の教えがあるのだから。
カトリック教徒にとって、いいかげんな、不安を煽るだけの、
のべつ幕なしの放言は罪ではないのだろうか?
場所も日付もまったくあたらない。人々を無用な不安に陥れているだけ。
彼は自らの「予言」を「警告」だと言っているが、ならばなおさらのこと、
予言した内容が具体化して、被害の軽減に結びつかなければ、意味がないではないか?
ただ漫然と将来、起こるかもしれない地震を「ひょっとしたら起こるかもしれないから気をつけていなさい」というような、
注意を喚起する程度のものなら、まだ地震学者が発表している「予測」を信じて用心していたほうがましというものだ。
彼は自身の予言が「はずれてくれたほうがいい」と言っているが、ほんとうに本心からそう思っているのか?
はずれてばかりなら、やがては彼の言う事に誰も耳を貸さなくなる。
そうしたら「予言」いや「警告」でもよいが、それを発表する意味がなくなるのではないか?
いまやその危惧が現実のものになろうとしているが。。。
繰り返しになるが、
予言はあたらなければ、なんら価値はない。
予言はあたるからこそ価値をもって、
人々のあいだで意味をもった働きをするようになるのだ。
あたりもしないなら、それはもはや予言とはいえない、単なる放言だ。
放言は、科学的見地に立った「警告」ではない。誰も聞きはしない。
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