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ローマ・カトリック教会による日本人奴隷売買・貿易

53名無しのひつじさん:2007/05/15(火) 14:12:23 ID:/GTeHdBk
宗教というのは組織が大きくなればなるほど宗教原理が曲がっていく。
中世において、ローマ帝国の文化をもっとも多く保持していたのはカトリック教会であった。
教会は学校や病院などによってますますおおくの土地を手に入れ、
王国の土地の3分の1がカトリック領主に占められていることさえ珍しくない事態を招き、
ついに王権に脅威を与えるまでになった。
教会は10分の1の税によって富を増やした。
すべての人の所得の10分の1を教会に納めるという税である。
これはどのような税より苛酷な税であった。
1515年ヴァチカンのサンピエトロス大聖堂の建築資金不足を補うために、
ローマ法王庁は売官のためのシステムを開発した。
ローマ法王は免罪符をドイツ国内で売り出させたのだ。
これは賽銭箱の中にお金を入れると、
チャリンという音がするたびに人間の魂は天国に近づくなどと巧言し、金を集めたのである。

法王庁は免罪符を発行しただけでなく、重要な聖職までも売り出した。
金を出す者を僧職に命したのである。
この売官は近代に至るまでヨーロッパでは広く行われていたが、
法王庁は贅沢が原因となり財政が乱れ、金を得るためには手段を選んでいる余裕がなくなっていた。
フィレンツェでは、金融業者と結託して金を儲けたり、
カトリック教会ではもともと利子を取って金を貸すことを禁止している。
それをみても目を見張るような堕落である。

この時代になると聖職者に課した独身の戒律にもかかわらず、
法王が子供をつくることなど珍しくも何ともなくなっていた。
例えば、マキヤベリ(イタリアの政治思想家1469〜1527)が「君主論」のモデルとして、
天才的政治家チェーザレ・ボルジャ(1475〜1507)と彼の妹であり美人として、
いまに名を残すウレチヤ・ボルジャ(1480〜1519)とは、
法王アレクサンデル6世(1431〜1503)の私生児であった。


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