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ローマ・カトリック教会による日本人奴隷売買・貿易
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:
名無しのひつじさん
:2007/04/26(木) 14:42:46 ID:taPIsFPg
1608年(慶長12)8月、マニラで日本人1500人もの大暴動が必至、という形勢になったとき、
総督は日本人すべての退去を命じて幕府に「当所に数年逗留のいたずらものども」によって
「所々騒ぎにまかり成る」と強く抗議した。しかし日本側(家康・秀忠)は外国の介入を慎重に避けて、
「近年、その国に到る日本人の悪逆をなす輩は、
呂宋(ルソン)法度の如く、成敗いたさるべし」とつっぱねている。
暴逆の日本人は現地ルソンの法で処罰していい、煮て焼いて食おうと口出ししないというのである。
あわれ1500人の在留日本人はいっきに棄民に。
私の考えでは、この政府事業を行うのに、最初は7千乃至8千、
多くても1万人の軍勢と適当な規模の艦隊で十分であろう。
・・・日本に駐在しているイエズス会のパードレ(神父)達が容易に、
2〜3千人の日本人キリスト教徒を送ることができるだろう。
彼等は打ち続く戦争に従軍しているので、陸、海の戦闘に大変勇敢な兵隊であり、
月に1エスクード半または2エスクードの給料で、翺翺としてこの征服事業に馳せ参じ、
陛下にご奉公するであろう。[1,p95]
日本に10年以上も滞在したイエズス会日本布教長は、日本人を傭兵の如くに見ていたのである。
■8.天草をスペイン艦隊の基地に■
全国統一をほぼ完成した秀吉との対立が決定的になると、キリシタン勢力の中では、
布教を成功させるためには軍事力に頼るべきだという意見が強く訴えられるようになった。
1590年から1605年頃まで、15年間も日本にいたペドロ・デ・ラ・クルスは、
1599年2月25日付けで次のような手紙を、イエズス会総会長に出している。
要点のみを記すと、日本人は海軍力が弱く、兵器が不足している。
そこでもしも国王陛下が決意されるなら、わが軍は大挙してこの国を襲うことが出来よう。
この地は島国なので、主としてその内の一島、即ち下(JOG注:九州のこと)
又は四国を包囲することは容易であろう。
そして敵対する者に対して海上を制して行動の自由を奪い、
さらに塩田その他日本人の生存を不可能にするようなものを奪うことも出来るであろう。・・・
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