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ローマ・カトリック教会による日本人奴隷売買・貿易
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:
名無しのひつじさん
:2007/04/24(火) 16:59:16 ID:lRpwgqoI
フロイスはポルトガル出身の宣教師だけに、日本に対する誤解や偏見があったことは否めない。
だが、フロイス『日本史』も含めて宣教師の書き残した各種史料は、
信仰の問題を除けば、概ね冷静公平な記述である、
との評価も研究者の間にはある。では、フロイスのこの記述を裏付けるような史料は存在するのだろうか。
先ず最初に実例として挙げられているのは九州南部の戦国大名島津氏である。島津方の日記・覚書・軍紀には、
戦闘に伴う人の生捕りや牛馬の略奪や田畠の作荒しといった行為が多数記載されている。中には、
「人を取ること四百人余り」というものもあり、これなどは単なる戦争捕虜ではなさそうである。
島津氏と隣接した肥後南部の大名である相良氏の年代記には、「いけ取り惣じて二千人に及ぶ」とあり、
島津氏の事例は決して特殊なものではなく、誇張もあるだろうとはいえ、各地の史料からは、
戦国時代における大量の人取りが決して珍しくはなく、また容認されていたことが分かる。
今回は、戦国時代、戦国大名たちによって人の略奪と売り買いがごく自然に行われていた事実を、
藤木久志氏の著書『戦国の村を行く』から紹介することにします。
この著書は、これまでのように支配者側からみた華々しい戦国時代の側面ではなく、
村人など、支配されていた側の視点から戦国時代を見つめなおしたもので、
生々しい戦国時代の歴史が浮かび上がってきます。
戦国時代、封建領主とその地域に住んでいる人々とは、
年貢負担、戦役負担などを媒介にして持ちつ持たれつの関係にあります。
ですから、領主が敵方の手に落ちれば、そこにいる領民も敵方の手に落ちたということを意味します。
落ちた領民や領民の財産は、敵の兵士たちの略奪の対象になります。
しかしここまでは、戦場という非日常的世界のことだからということで、
しかも一般兵卒の話とすれば、納得しがたいこともないわけです。
しかし話が武田信玄や上杉謙信という教養のある戦国大名となると、
多分ほとんどのひとが驚かれると思います。
藤木氏は、これについて武田信玄と上杉謙信の例をひいて紹介しています。
相模の国での戦で武田軍によって村人が生け捕りにされ、みな甲州へ連れていかれます。
そして親類のある者は、2〜10貫文ほどの身代金で買い戻されたと言います。
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