したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

ローマ・カトリック教会による日本人奴隷売買・貿易

46天草四郎が得た奴隷売買による豊富な資金:2007/04/24(火) 16:47:07 ID:lRpwgqoI
■戦国時代は悲惨な時代・・・
戦国合戦の話を読んでいると、軍勢が何千何万とか書かれていますが、
その数字のすべてが武士というのではなく、武士10〜20%、農民80〜90%の割合だそうです。
村の大きさによって、徴発される人数(1人〜8人くらい)が割り当てられました。
そのような強制的動員の他に、自主的に参加する者が多くいたそうです。
合戦に出れば兵糧が支給され、戦地での掠奪など、彼らにとって戦場は稼ぎ場でもあったのです。
合戦の背景には、掠奪暴行、乱取り(人や物を奪うこと)があって、
その掠奪や人狩りが目的で参加し、合戦後には人身売買の市が立てられることもあったようです。
戦国大名たちもそのような濫妨狼藉を黙認したり、敵城を攻め落とした後の褒美として、
兵たちに自由に乱取りをさせました。
そして、そのような狼藉は常識であり、決して悪事とは見なされていなかったといわれます。

戦国時代の約100年間は、各地あるいは全国規模で凶作、
水害、干魃、疫病、飢饉が毎年のように多発した時代だったそうです。
戦乱の世が長期にわたって続いた原因として、家臣団に与える領地を獲得するためとか、
下克上の目を他国侵略へそらすため、といわれますが、
その他に大きな目的として食糧を奪い取るための戦争も多かったと思われます。
戦場付近の村を襲って農作物を根こそぎ奪い、女・子供をさらって来て売り払ったり奴隷にしたり。
現実の戦国時代は飢餓から生き残るために、人々が必死になった悲惨で厳しい時代だったのですね。

豊臣秀吉は準管区長コエリヨに対して次のように命じています。
『ポルトガル人が多数の日本人を奴隷として購入し、彼らの国に連行しているが、これは許しがたい行為である。
従って伴天遠はインドその他の遠隔地に売られて行ったすぺての日本人を日本に連れ戻せ。』

2002.7.9日付北國新聞の「バテレン追放令」も当時の「宣教師達による日本人女性人身売買」について触れています。
豊臣秀吉のバテレン追放令第10条の「日本人を南蛮に売り渡す(奴隷売買)ことを禁止」を紹介し、次のように述べています。
『バテレン船で現実に九州地方の人々が外国に奴隷として売られていること―などが分かる。
秀吉の追放令は、ある意味で筋の通った要求だった。』


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板