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ローマ・カトリック教会による日本人奴隷売買・貿易

41名無しのひつじさん:2007/04/04(水) 14:52:17 ID:sYito2/w
『天正遣欧使節記』(デ・サンデ著/雄松堂書店)の中の、
 対話部分のテキストで、「日本人の奴隷(奴隷貿易)」について言及しているものをアップしておきます。p232-235

レオ  ちょうどよい機会だからお尋ねするが、捕虜または降参者はどういう目に遭わされるのだろう。
    わが日本で通例やるように死刑か、それとも長の苦役か。

ミゲル キリスト教徒間の戦争で捕虜となったり、やむをえず降伏する者は、そういう羽目のいずれにも陥ることはない。
    つまりすべてこれらの者は先方にも捕虜があればそれと交換されるとか、また釈放されるとか、
    あるいはなにがしの金額を支払っておのが身を受け戻すのだ。
    というのも、ヨーロッパ人の間では、古い慣習が法律的効力を有するように決められ、
    それによってキリスト教徒は戦争中に捕われの身となっても、
    賤役を強いられない規定になっているからだ。だがマホメット教徒、
    すなわちサラセン人に属する者に対しては、別の処置が取られる。
    これらの者は野蛮人でキリストの御名の敵だから、交戦後も捕えられたまま、いつまでも賤役に従うのである。

レオ  そうすると、キリスト教徒なら、その教徒間では戦争中に捕虜となっても、
    賤役に従えという法律に拘束される者は一人もないわけだな。

ミゲル そうしたことで市民権を失った者はただの一人もない。
    それはまた今もいったように、古来の確定した習慣で固く守られている。
    それどころか、日本人には慾心と金銭の執着がはなはだしく、そのためたがいに身を売るようなことをして、
    日本の名にきわめて醜い汚れをかぶせているのを、ポルトガル人やヨーロッパ人はみな、不思議に思っているのである。
    そのうえ、われわれとしてもこのたびの旅行の先々で、売られて奴隷の境涯に落ちた日本人を親しく見たときには、
    道義をいっさい忘れて、血と言語を同じうする同国人をさながら家畜か駄獣かのように、
    こんな安い値で手放すわが民族への激しい怒りに燃え立たざるを得なかった。

マンショ ミゲルよ、わが民族についてその慨きをなさるのはしごく当然だ。
     かの人たちはほかのことでは文明と人道とをなかなか重んずるのだが、どうもこのことにかけては人道なり、
     高尚な教養なりを一向に顧みないようだ。
     そしてほとんど世界中におのれの慾心の深さを宣伝しているようなものだ。


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