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こちら東京地検特捜部!

2キラーカーン:2010/02/07(日) 00:07:34
 この問題は色々な切り口で語ることはできますが、リンク先の記事は斜め読み程度に読みました。
 とりあえず、刑事手続法的な観点からに絞るとすると、「起訴便宜主義と精密司法」というのが第一にあげられるかと思います。

 「起訴便宜主義」は被疑者を刑事裁判にかけるかどうかは検察が判断すると言うことです。言い換えれば、刑事裁判にかかるか否かは検察官の胸先三寸と言うことです。
 従って、真偽の程は不明ですが「不起訴処分」そのものが事実上、司法取引の材料となっていると言うことも聞いたことがあります。

 また「疑わしきは被告の利益に」という言葉も聞いたことがあるかと思います。これは、100%クロでなければ有罪を宣告してはいけないと言うことです。

 さらに、検察庁は「お役所」ですから、基本的に失敗を恐れるかと思います。この場合「無罪」判決が出ることは「仕事上のミス」ということになります。となれば、検察のとる行動は明らかです。つまり、

裁判官がグゥの音も出ないくらい有罪確実な事件しか裁判にかけない(起訴しない)

ということです。
 これが、刑事裁判での有罪率99%超という恐るべき結果の実態であり、「精密司法」の実態でもあります。
 そして、このような仕事の積み重ねによって「裁判になったのだから被告人は犯人確定」という状況が生まれます。

 つまり、検察が後ろ指を刺されないように確実丁寧な仕事をすればするほど「被告人の無罪推定」という憲法上の要請がないがしろにされると言う「検察にとってのパラドックス」が成立してしまっています。戯画的に、刑事弁護は敗戦処理に過ぎないと言う人もいます。

 この様な状況から、検察が動いたから、事情聴取を受けた人は「犯人」も同然という社会通念が生じるのも無理はないことです。
 検察が容疑を固めるには、物的証拠だけではなく、関係者(真犯人を含む)の証言が必須のことがあります。結果として、起訴か不起訴かの行方を 「事情聴取に賭ける」 という状況も生じます。

 しかし、事情聴取を行なっているということが明らかになった時点で、その人は限りなく犯人に近いと世間では思われ、結果不起訴となった場合、その 「世間の想い」 は肩透かしを食らうこととなります。

 という訳で結論ですが、現在の刑事司法手続が現行のままであれば、この傾向は変わりません。根本的解決は、一定の条件がそろえば、強制的に刑事裁判にかけるという 「起訴法定主義」 をとるしかないでしょう。

 立法主旨はそもそも、全く違う次元にあるのですが、検察審査会で起訴すべきという裁決が2度にわたってされれば、刑事裁判にかけなければならないということになりましたので、この制度が現行の法制度で起訴法定主義を採っている唯一の制度と言うことになっています。(本来の目的は、検察の民主的統制)

 最後に、一種の豆知識ですが、逮捕状は裁判所が発行します。つまり、検察が勝手な判断で逮捕できないようになっています。

 個人的な感想としては、この一件では、法的責任、道義的責任、政治的責任がごちゃ混ぜになって論ぜられ、結局、 「強制力」 を持つ法的責任に 「過剰な期待」 がかけられているという現在の日本社会の状況が問題であると思います。


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