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いまさらながら「天皇論」を読んでみた
78
:
キラーカーン
:2012/06/18(月) 01:00:21
先日、寛仁親王が薨去されました。
三笠宮三兄弟で唯一生存しておられるのが、
病気で、対外的な活動に支障のある桂宮だけと
なりましたので、これで、傍系宮家は事実上消滅しました。
厳密に言えば、三笠宮寛仁親王は間違いです。
(「三笠宮」は父君の宣仁親王殿下個人に対する宮号です)
新聞記事にあった「三笠宮家の寛仁親王殿下」というのが、
珍しく、実は一番正確だったりします。
昨今の皇位継承問題や女性宮家問題に関連して、
傍系宮家の総称としての「三笠宮系」総帥格として
寛仁親王殿下の存在が、皇族の中で少なくない意味がありました。
父君の三笠宮は大正天皇の皇子として「直宮」であったため、
「生まれながら」のヒラ宮家(の皇族)の最年長でした。
そのため、皇籍離脱問題など「型破り」な宮様として人気でした。
弟君の故高円宮殿下も「皇族のセールスマン」として飛び回るのが
我々の役目とおっしゃっていたこともあります(だからこそ、日韓
W杯の開会式でソウルに飛ぶのも私の役目と高円宮殿下自身がおっ
しゃっていたかと思います)。
つまり、傍系宮家というのは、「血のスペア」だけではない、ということを
身をもって、示されたのが、このご兄弟だったのではないかと思います。
自身が「傍流」であるからこそ、「正統」とは何かということが
はっきりと認識できる立場におられたかと思います。
そして、その「正統」とは何かということを、対外的に発言できる
唯一の皇族が寛仁親王だったと思います。
そして、それこそが、臣籍降下された、伏見宮系の各皇族の役目だった
といえると思います。
そう考えれば、傍系宮家というのは、天皇の藩屏として立派な意味があり、
東宮、秋篠宮という「直宮家」のみを偏重する小林よしのり氏らの女系容認派
の歴史、伝統に対する認識は浅薄なものといわざるを得ません。
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