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いまさらながら「天皇論」を読んでみた
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:
キラーカーン
:2010/09/27(月) 23:45:23
継体天皇(と安閑天皇、宣化天皇)は武烈天皇の姉妹と婚姻することによって、自身の皇位の正統性を補強し、欽明天皇は兄宣化天皇と武列天皇の姉妹との間に生まれた娘(=姪)を后として迎えました。以後、このように皇族間での婚姻が増加したことから、豪族と天皇家との身分上の決定的な差異が生じたということができるでしょう。一般論で言っても、身分差別が一番端的に現れるのは「婚姻」といわれます。さらにいえば、上述のように継体天皇の後、皇位は、継体天皇と武列天皇の姉妹との間に生まれた欽明天皇の子孫に受け継がれました。
しかし、これまで述べたように、男性皇族と婚姻した女性皇族自身が皇位に就くということは推古天皇まで存在しませんでした。例えば、上述のように、武烈天皇の姉妹で婚姻・出産が可能な年齢まで成長していた皇族は少なくとも三名は確認されています。女系継承が認められているのであれば、継体天皇の后となった手白香皇女が「中継ぎ」として即位して、彼女の息子である欽明天皇に譲位しても何の問題も無かったはずですが、現実問題として、このような「女系継承」は生起せずに、継体天皇が自身の皇位継承件に基づいて皇位に就き、その正統性を補強するために、手白香皇女を后に迎えたという形になっています。
そして、彼女の息子である欽明天皇の即位の前に、皇族を母としない安閑天皇、宣化天皇両天皇が即位しています(継体天皇の死後、安閑天皇、宣化天皇両天皇と欽明天皇が対立関係にあったという説もありますが、この説に拠っても安閑天皇、宣化天皇両天皇が即位したという事実は認められますから、女系よりも男系の方が優先されていたという結論は動かないと思います。
それは、推古天皇が欽明天皇の子の世代では最後に即位(つまり、皇位継承順位が一番下)したことからも伺えます。
このように皇族同士の近親婚が定着する時代になって、母が皇族であることがその皇子の扱いにおいて有利に働くことという事態が定着したと思われます。が、それは飽く迄「男系」という条件で同じ場合において、皇位継承件者の間の序列をつけるものであって、上述のように、「勝ち点」に対する「得失点差」というものであったということです。そのような中で、蘇我氏の娘が生んだ皇子(例:用明天皇)が皇位を継承できたということは、当時において、蘇我氏の勢いがいかほどであったかということが想像できます。
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