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いまさらながら「天皇論」を読んでみた
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:
キラーカーン
:2010/09/27(月) 23:40:00
しかし、孝徳天皇は男帝です。本当は「中継ぎ」だったとしても、本人の意識としては「本格政権」というものはあったと思います。つまり、即位時に中大兄皇子を皇太子にはしたものの自分の息子(有間皇子)に皇位を継がせたいという「野心」は持っていたでしょう。そういうこともあって、孝徳天皇と中大兄皇子との間の溝は深まって生きます。その結果、中大兄皇子や皇極前天皇以下の面々が孝徳天皇を難波宮に置き去りにしてしばらく後、孝徳天皇が亡くなり、そして、有間皇子を死に追いやることで、中大兄皇子の皇太子としての座は安泰のものとなりました。しかし、中大兄皇子が天智天皇として実際に即位するのは、皇極前天皇の斉明天皇としての再即位、斉明天皇崩御後の「称制」を経てからのことでした。(この「称制」の理由について色々な説はありますが、どの説でも、本論の進行には影響はありませんので、これ以上触れません。)
これとは逆に、「後継者が決定していない場合」の女帝擁立に失敗し、国内が混乱に陥った例を挙げておきます。
天智天皇の後継者は、従来、同母弟である大海人皇子とされてきました。しかし晩年には天智天皇の長子である大友皇子に皇位を継承させたいという意思が強まってきました。そして、天智天皇の命数が旦夕に迫ったとき、天智天皇と大海人皇子との会談がもたれます。その内容は天智天皇の後を誰が継ぐかという点であったというのは間違いのないところです。大海人皇子か大友皇子かどちらに決まるのか。その会談の席中、大海人皇子が変化球を投げてきました。
皇后を女帝とするべきです。そして、私(大海人皇子)は出家(して吉野に隠棲)します
つまり、「大友皇子が即位するまでの時間稼ぎとして皇后(古人大兄皇子の娘)を『中継ぎ』の女帝とし、時間をおいて、しかるべき時期に大友皇子に譲位するべきです。一方、私は出家して皇位継承権を放棄します」という内容です(皇族において出家することは皇位継承権を放棄することを意味します(古人大兄皇子は乙巳の変で出家に追い込まれ、皇位継承レースでは、孝徳天皇=中大兄皇子側の勝利が確定)。また、天皇の出家は「退位」を意味します)。結局、皇后は即位せず、天智天皇崩御までに後継者問題に決着はつくことなく、この決着は壬申の乱という「古代日本最大の内乱」によってしか決着がつけられませんでした。
この苦い経験があったからこそ、兄弟で皇位継承すると内乱が起きるので、皇位は直系(嫡系)によって継承すべしとして、持統天皇は草壁皇子薨去後、並み居る天武の皇子(と天智の皇子)を押しのけて、自分の子である故草壁皇子の長子である文武天皇の立太子、そして譲位を断行できました。この時点で、女帝の第一期中継ぎ期(後継者決定の先送り)は幕を閉じ、第二期中継ぎ期(皇太子の成人までの中継ぎ)が開幕することとなりました。言い換えれば、持統天皇は後継者問題を「先送りする」ためではなく、後継者を「決定する」ため(文武天皇への譲位を確実にするため)に即位したのです。
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