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いまさらながら「天皇論」を読んでみた

54キラーカーン:2010/09/23(木) 01:41:10
では、なぜ、女帝は中継ぎといわれたのか。

そのことは、歴代女帝の即位(実質的に皇権を行使した)際の事情に隠されています。女帝(及びそれに準ずる地位にあった女性)のうち、ほとんど神話の領域に属する卑弥呼と神功皇后を除いて以下話を進めて行きます。

1 後継者が未定の間の中継ぎ(飯豊皇女、推古女帝、皇極天皇:第一期中継ぎ期)
飯豊皇女の場合は、清寧天皇崩御後、允恭天皇(雄略天皇)系の皇位継承権者がいなくなり、具体的な後継者が確定できていなかった時期に、事実上の「称制」(即位せずに皇権を行使すること)として臨時に政務を執ったものです(このため、史料によっては、飯豊皇女を歴代天皇の列に加えているものもあります)。

推古天皇の場合には、崇峻天皇暗殺という異常事態により、自身(及び夫である敏達天皇)と同世代(兄弟)の皇位継承権者がいなくなったが、その次の世代(例:聖徳太子)の候補も若くまた候補者も数人おり、この世代に皇位を継承するのは不可能であったことから、敏達天皇と同世代の皇族(異母妹)でもあり、敏達天皇の皇后でもあった推古天皇が即位したものです。

皇極天皇の場合にも、夫でもある舒明天皇崩御時の皇位継承権候補者である山背大兄王(舒明天皇と同世代)と次の世代の若い皇族である古人大兄皇子あるいは中大兄皇子(後の天智天皇)との間で誰が後継になるかが決定できなかったため、皇極天皇が舒明天皇の皇后の資格で即位したものです。


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