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国籍法改正問題
20
:
キラーカーン
:2010/03/16(火) 22:47:08
ここで、少し脇にそれて、「補助線」として出生に伴う国籍取得という話に行きます。なぜかといえば、出生時にどのような考え方で国籍を付与するのかということが、その国(社会)の成り立ちの一端を表しているからです。
そして、後述するように「出生による国籍付与」は「愛国心と教育」スレとも密接に関係してきます。
出生による国籍取得は大きく分けて
・ 出生地主義
・ 血統主義
の2つがあります。
ジャガー横田さんの例のように、米国は前者、日本は後者です。現実には、純粋な出生地主義や純粋な血統主義というものは無くて、「原則」出生地主義(血統主義)というように両者の折衷になっています。非常に単純化して言えば
・ 出生地主義は移民主義
・ 血統主義は血縁・地縁主義
ということになります。「移民の国」を標榜する米国が出生地主義を取り、「家族や農村共同体というような地縁」を重視してきた(今後はどうなるか分かりませんが)日本が血統主義をとっているのもある意味当然の帰結なのです。
そして、そのように出生による「新たな国民」を「真の国民」とするための方策として「義務教育」というものがあります。もちろん「義務教育」の目的はそれだけではありませんが、「国民」というものを作り上げるためのひとつの重要な手段です。我々は、
・ 「国語教育」を通じて、(方言以外の)標準語を習い、日本全国で通じる言葉を習得
・ 「公民教育」、「歴史教育」を通じて、日本社会の一員ということを学習
するということになります。
つまり、帰化する際に「日本国への忠誠(少なくとも敵にはならないこと)」を求めるということは、生まれながらの日本国民(出生によって日本国籍を取得した人)は、日本に帰化する人に求められる程度の
・ 日本国への忠誠心(愛国心)は 「持っていて当然」
ということです。
逆に言えば、いわゆる、日教組などによる、「自虐的」、「反日的」教育によって、国家というものを、
・ 「無視」し、「敵視」し、
そして、「自分自身が善人であることの証として」
・ 過去の日本を批判し、貶める「自虐史観」的態度
(外国人に迎合して、さしたる根拠も無く、本来ならする必要のないことである、日本の過去を非難することによって、外国人に対して、自分は「自己批判」が出来る「善人」であろうとする態度)
をとることが「知的」で「人としてあるべき」態度であるとしてきたのです。
それが、今回の地方参政権付与問題のように多くの日本国民が、「日本国民」であること(国籍)の持つ重い意味を忘却している現在の状況につながっていくのです。
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