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田母神氏問題

8キラーカーン:2009/01/09(金) 23:42:58
『田母神論文には、秘められた「救い」がある』(「諸君!」2009年1月号)です。
なお、色や活字の大きさといった強調部分は投稿者(私)がつけたものです
(ここから)
 民主主義国家における文民統制の目的は、軍(日本の場合は自衛隊)を国の防衛に関して国民に奉仕する存在として担保することである。(中略)責任の大小関係では文民(政治)が大、軍が省である。国民に奉仕する軍を担保する第一の責任は政治の側にある。より大きい責任を担う政治が、受動的責任を負う制服よりも平素から大きな研鑽を積み、より地道な努力を重ねるよう養成されていることは、これまた明瞭というべきだろう(中略)少なくとも右の関係の逆ではないことは誰もが理解するであろう。
 ところで、わが国の文民統制原則の実践ぶりを眺めると、政治の側はより大きな責任を果たしていると言えるだろうか。この見地からの議論は沸騰したといえるだろうか。私の答えは「ノー」である。(中略)私が問うのは、制服ではなく政治こそが文民統制原則貫徹のため「平素からより大きな研鑽を積み、より地道な努力を重ねる」責任を負うという根幹の問題が議論されたか、なのだ。
 残念ながらその議論は与野党間でも、与党内でも、防衛省内でもなかった。文民統制問題を論じた世の識者の間でも、私の知る限りなかった。幾人かの識者の議論には、「より小さい責任」を負う制服側の姿勢を論じて傾聴すべき考えの披瀝があったことは事実だが、「より大きい責任」を担う側についての苦言はなかった。
 (中略)時間をかけて信頼関係を育むと、通常、そこに相手方に対する愛情ないし共感が芽生える。人間の親子関係が教えるように、意識としての愛情はまず親のほうに生まれる。文民統制関係についても、本来はそうであろう。親、即ち政治は子、即ち制服を愛育する。その下で育った子は親に対して愛情と神経、ないし感謝の念を抱く。わが国の文民統制にそのような関係が見出せるか。
(中略)文民統制の最高責任者である総理にとり会同での訓示は広義の職務に当たるだろう。それを総理は理由説明なく放棄したのだ。高級幹部側がいかに白けたかは想像に余りある。しかし、私にとって驚きはもう一つあった。国会の与野党がこの件に全く無反応だったことである。特に民主党の無反応にはあきれた。(中略)この一軒で、国会もまた文民統制では能動的責任の一翼を占めるのだとの意識が野党には極めて希薄であることが裏付けられたと思う。
 今回の田母神事件で、野党は文民統制問題を極めて重視しているかのごとくに振舞っている。だがそれは政府に対する責め道具としてのことに過ぎない。その能動的責任感、特に政治主導で制服との間に信頼関係を築かねばならないとの責任感はきわめて希薄である。個人的には自衛隊との信頼関係情勢を重視する野党議員がいることは私も知っているが、それは例外的だ。公党としての野党はダメ。(中略)民社党が唯一の例である。


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