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田母神氏問題

4キラーカーン:2008/11/28(金) 00:22:43
一度目は悲劇として、二度目は・・・ 

今回は、田母神問題に戻ります。

 この「騒動」では、いわゆる左翼・サヨクと石破氏や「オブイェクト」といったミリオタ系の代表格であるが、「田母神許すまじ」で歩調がそろうと言う奇観を呈しています。そのことについて、わかりやすい補助線がありました。

 本日発売の「週刊文春」における宮崎哲弥氏の連載コラムに面白いくだりがありました。記憶モードですが、まず、市ヶ谷での三島由紀夫の「檄文」の一説を引用します。すなわち

>自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負いつづけて来た。
>自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、
>警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず、
>その忠誠の対象も明確にされなかった

そして、当時の自衛隊は、そのような問題を存在しないものとして、三島を無視した。そのツケが田母神問題として噴出したとしています。それを、今回の「狂騒曲」と絡めて、

一度目は悲劇として、二度目は喜劇として

と評しました。

 確かに、自身(自衛隊)の存在を認めていない、更に言えば、「絶対悪」として(自衛隊を)滅すべきもの規定している憲法に対して自衛官が忠誠を誓うと言う絶対的矛盾。その矛盾を放置したまま「シビリアンコントロール」の名を以って氏を非難する空虚さ。その点を本能的に理解した多くの人が、田母神氏の行動をについて理解を示したのでしょう。

 そして、その矛盾を理解していないと言う点で左翼・サヨクとミリオタが一致したため、冒頭のような奇観を呈したと思います。

 前者は、憲法9条絶対主義のため、自衛隊を否定することでその矛盾を「克服」し、
 後者は、なまじ軍事に対する理解があるために、現行法制上あるいは政治上の問題点を無視して、正統的な政軍関係を論じている

という状態になってしまったのです。なぜ、自衛隊法における政治的行為あるいは上司の命令に従う義務は国家公務員法と同様の規定なのか。それは、日本の法制度上、「シビリアンコントロール」と言う概念が定着していないからではないのか。

 そのような状況の中で、現在の自衛隊が忠誠を尽くすべきものは何なのか。政府か、国民か、歴史・伝統か、それらを全て包含した「日本」なのか、その闇は深い


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