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田母神氏問題

3キラーカーン:2008/11/12(水) 00:31:13
とうとう、国会への参考人招致まで話が大きくなった田母神問題ですが、「政治的中立」義務とシビリアンコントロールとが混同して論じられているきらいがあります。また、そこに、本来別個の問題である「歴史認識」問題も絡んで、見た目には複雑な様相を呈しています。

もし、氏の行為を違法として問うのであれば、自衛隊法上の「政治的中立」を保つ義務に違反したということになるのですが、この政治的中立に関する規定は国家公務員法と自衛隊法とでほぼ同様の規定ぶりとなっています。(興味があれば、国家公務員法、人事院規則14−7、自衛隊法、自衛隊法施行令などの該当条文をご覧ください)。ということは、この「政治的中立」というものは、シビリアンコントロールとは関係なく、役人(公務員)であれば、文官、武官の区別なく守るべき準則として定められているということです。もし、シビリアンコントロールに関するものであれば、自衛官だけを対象とした規定になるはずです。

シビリアンコントロールコントロールは本来、軍隊の指揮命令に関するものであることから、本来的には、「政治的中立」ではなく、「法令及び上司の命令に従う義務」との比較検討になります。しかしながら、この件では実際に、部隊の統帥に関して「命令違反」や「独断専行」という具体的問題が生じたわけではありませんので、この問題点は生じません。また、これまでの田母神氏の自衛官生活の中で、氏の歴史認識がシビリアンコントロール上問題とはなりませんでした。このことは、「歴史認識」と「シビリアンコントロール」とは本来別個の問題点ではないかということを強く示唆していると思います。ただし、先日の投稿の「雁字搦め」に直面するような状況にならなかったのと同様に、歴史認識が部隊の統帥上問題となる場面が幸運にもなかったという可能性は残っています。

とはいっても、歴史認識という自己の思想信条が時の政府と反するということを公にしたということが、シビリアンコントロール上全く問題がないというわけではなく、ある程度は問題があるということがこの問題の難しいところであります。つまり、「政治的中立」とシビリアンコントロールとは何らかの関係があるということです。では、何が問題になるかといえば、

 歴史認識や自衛隊の行動の制約について、政府見解や現行法についての疑念を、自己の肩書を併せて表明することにより、防衛省の長である防衛大臣あるいは自衛隊の最高指揮官である総理大臣の命令に自衛官が従わないこともあるという「疑念」を広く国民一般に抱かせた

ということです。
 しかしながら、自衛官もロボットではない以上、個人として「政治的中立」であることは不可能です(思想信条を持たない人間はあり得ない)ので、個人の思想信条と公務員としての業務施行能力は基本的に別物であるということがいえます。さらに、政府見解と反する思想信条を有する自衛官が「統帥権」とは何も関係がない職に就いている場合(上述の「5」に該当する自衛官)には、そもそもそのような問題は発生しません。将来の可能性として、そういう自衛官が「統帥権」の行使に関わる職に就く可能性は否定できませんが、そういう自衛官は防衛研究所の研究員や防衛大学校の教官や技術研究本部の職員として有能である可能性も否定できませんので、そういう思想信条を持っていることを以って退職させるということは防衛省、自衛隊にとって損失であることにもなります。

 田母神氏は航空幕僚長という統帥権に関わる職に就いていたので、氏の言動は、歴史認識に関するものであったとしても、シビリアンコントロール上問題になるということは間違いないのですが、その場合においても「突っ込みどころが違う」というのが私の現時点での見解です。


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