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床屋政談

5キラーカーン:2008/10/07(火) 22:54:42
床屋政談(各省資料提出前の自民党への「相談」と議院内閣制) 投稿者:キラーカーン 投稿日:10/07(火) 22:48

民主党から各省庁へ要求のあった資料は提出前に自民党国対に「相談する」ようにとのお達しが出て、自民党による「検閲」だと民主党側が息巻いておりますが、議院内閣制における与党による行政府(各省庁)の統制はどのようにするのかという観点からすれば非常に面白い題材です。

日本の歴史と伝統に即した与党による政府(各省庁)統制(=政治主導)というのはどのような形態であるのかという意味において、非常に面白いモデルを自民党は提示したのだと思います。

(学術的には正確さを欠きますが)議院内閣制とは、衆議院(下院)において多数を得た政党が大臣その他の政府(各省庁)の要職を占めて、政府を統制するという政治形態です。この政治体制では、与党党首は衆議院多数派の党首と内閣の首長である首相という2つの地位を兼任できることから、立法、行政の双方の長として行動することとなります。

ということで、一般論としては、議院内閣制における閣議は「与党幹部会」と化すのが通例のようです。しかし、現在の日本の内閣は「官僚内閣制」(by飯尾潤氏)とも言われているように、官僚の力が与党議員である大臣(や副大臣、政務官)よりも強いと思われています。このパワーバランスを議院内閣制の本旨に則り、与党有利にしようというのが「政治主導」ということの意味なのですが、この自民党への「相談」問題は日本流の与党による政府(各省庁)統制の実態を明らかにしたともいえます。

そもそも、「官僚内閣制」といわれるのは、内閣制度は「超然内閣」が基本であって、政党内閣(議院内閣制)が(許容はされていたが)定着しかなかった戦前の統治機構(特に515事件以後)を戦後も基本的に引継いだことに由来します。つまり、内閣と与党は別物という意識が現在も生きていることによるということです。55年体制が確立した後、自民党政権で党と内閣の要職を兼ねたのは自民党総裁ただ一人です。
細川内閣、村山内閣では連立各党(村山内閣で閣外協力を表明していた「さきがけ」は除く)の党首は入閣していましたが、最近の自自連立、自自公連立、自公連立では公明党党首は入閣していません。また、自民党三役をはじめとする連立与党の幹部も入閣せず、党と内閣との役割が人的にも分離されています。

そのような役割分担の中で、与党から送り込まれた大臣は役所のトップ(つまり、役人の代弁者)として行動します。単純に言えば、議定官(参議)としての役割を放棄し省卿としてのみの振る舞いをするようになり、世間もそれを当然とみなします。最近の例で言えば、中山前国土交通大臣が日教組などを巡る発言で辞任しましたが、その際に、「『国土交通大臣』がなぜ、文部行政について(『文部科学大臣』でもないのに)発言するのか」ということですが、制度上、中山氏は「参議(国務大臣)」として国政の「全て」にわたって発言することは許されています(「床屋政談(大臣と参議と省卿と)」を参照してください)。勿論、文部科学大臣から「俺の職分を侵すな」という抗議があれば、それは尊重すべきですが。

では、そのような与党と霞ヶ関との関係の中で、与党(自民党)はどのようにして各省庁を統制していたのでしょうか。ここで、「族議員」、「根回し」、というような単語が出てきます。各省庁が国会に期待する最大の機能は、自身(各省庁)が行う政策の担保となる「法律の成立」です。各省庁は自身が起案した法案(いわゆる「政府提出法案」)の成立を期するためには与党である自民党の賛成を得る必要があります。自民党内で、担当部会→政務調査会(政調会)→総務会と段階を追って承認を得ることとなります。この各段階で与党議員から反対意見が出ないようにするために、各省庁の担当役人(といっても局長とかの高いレベル)が各(族)議員に対して法案を「説明」すると言う「根回し」を行うこととなります。
族議員についての、一応の定義は、「部会などに所属してある特定の省庁(の政策決定過程)に対して影響力を有する政治家(群)」ということになります。そのことによって、外務省vs鈴木宗男議員といったバトルや「利益誘導」が行われるということになります。


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