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床屋政談

118キラーカーン:2016/02/12(金) 02:18:43
昔、民主党内閣が、「第二次大隈内閣」レベルではなく、
「第一次大隈内閣」(隈板内閣)並みの未熟さと評したことがありますが、
今国会中継を見ている限り、民主党は

超然内閣時代の「民党」

と言うところまで、退化しているようです。
帝国議会設立当時、内閣は、「議会の意向に左右されない」という
「超然内閣」が当然視されていました。

これは、当時、政党と言うものが「私利私欲の塊」と見られており、
「国民のための政治」を行うためには、議会、特に衆議院から独立していること
が「正しい」とみなされていたからです。

これを、「国民をバカにしている」と評すことも一面の真実ですが
そうでなければ、欧米列強と伍することはできなかったということも
一面の真実です。

そのような「超然内閣」時代の衆議院の役割は、法律・予算の制定をはもちろんですが、
内閣のチェック機能も期待されていました。
しかも、「政権をとることを考えなくてよい」というものでした
(実際に施策を作り、実行に移していくのは、閣僚である元老たちの仕事でした。)
と言うことで、「何でも反対」でも「政党の役目」は果たせていました。

しかし、立法・予算制定権を握る議会(特に衆議院)との妥協が成立しない限り
安定した政治運営ができないということも明らかになりました。

その現実に直面した元老たちの仲で、伊藤博文は「政権担当能力」のある
政党を育成しなければならないとの見解にいたり、立憲政友会を設立します。

「政権与党」ひいては議院内閣制を目指すからには、「何でも反対」から
脱皮しなければなりません。しかし、現在の民主党には、

「政権を担った場合のビジョン」

というものがなく、単に与党の「揚げ足取り」をしているだけです。
それは、昭和初期の「統帥権干犯論争」を「政局」のために行った
犬養政友会の姿勢とダブり、そして、その姿勢が、政党政治の
「終わりの始まり」となったのです。

そして、その「統帥権干犯」論争の陣頭に立っていたのが、鳩山元総理の
祖父である鳩山一郎氏だったというのも、面白い「偶然の一致」です


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