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刑事弁護の危機と医療の危機

15キラーカーン:2008/09/22(月) 23:09:08
「法治行政」、「罪刑法定主義」、「適正手続の保証」、これらは、憲法、行政法、刑事法などのい
わゆる「公法」といわれる分野における原則とされているものです。
最近では「憲法は(主権者の)国家に対する命令」、という言葉も有名になってきましたが、これら
の原則を通じて基層にあるのは

法律による国家権力の規制

というものです。つまり、公法を一生懸命勉強すればするほど、公法に没頭すればするほど

国家と対峙し、国家権力を掣肘しなければならない

という「反権力イデオロギー」の磁場に囚われて脱出できなくなるのです。(民法や商法などの「民
事法」については、私人間の「ゲームのルール」という捉え方も可能なので、民事に没頭している場
合には、「反権力イデオロギー」の磁場に捉えられる確率は低くなります。)
勿論、国家権力が(現在から見れば)様々な人権侵害を行ってきたという歴史的経験・教訓によるも
のも大きいので、法律による国家権力の規制が人権保護という観点にとって必要不可欠なものではあ
るのですが、決してそれだけではありません。「国家権力によって守られる」人権というものも存在
します。例えば警察に代表されるような「法執行機関」というものは国家権力の行使の典型例ですが
、それによって、平穏な生活という「人権」が守られているわけです。もっと(国家権力行使の)レ
ベルが低いもので言えば、建築基準法などの各種規制(とそれに違反した場合の制裁措置)が挙げら
れます。
 つまり、弁護士法においても弁護士の目的として掲げられている人権擁護のためには、

国家権力との対峙ではなく「何を国家は行い、何を行わないのか」を明確にすること。その国家の行
うべきこと(あるいは行うべきでないこと)を適正に担保するために法律を制定・運用する

という観点が必要不可欠になるのです。ということで

国家と対峙し、国家権力を掣肘するという「反権力イデオロギー」の相対化

が求められるということになるのです。
典型的な例で言えば、法学部で法律を学んだ人が(国や地方公共団体の)役所、裁判所という公の機
関に勤めることになるでしょうか。というわけで「純粋培養」された(他の職歴を持たない)弁護士
と法学者(特に公法系分野を専攻した人)はそのような相対化をする機会もなく、公法の研究、解釈
に没頭することとなるのです。その過程で、「反権力イデオロギー」に捉えられてしまう傾向が高く
なるのでしょう。


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