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刑事弁護の危機と医療の危機

12キラーカーン:2008/09/16(火) 22:34:57
 したがって、被告人(弁護人)の反論が「私益」である場合もあれば、「公益」と「私益」双方にわたることもありえます。論理的に言えば、上述のように「公益」に対する反論は「公益」の範疇にあるはずなのですが、(グレーゾーンの問題がある限り)物事はそう論理的にいくとは限りません。

 「公益」であれば、検察が(再)反論できますが、「私益」であれば、検察は反論しません(できません)し、被害者はそもそも反論できる地位ではありません。即ち、「私益」に関する被告人(弁護人)の発言は刑事裁判の場で反論されることはないのです。後述の事項とも関連しますが、「公益」であっても検察が反論しないことはありえます。しかし、それは検察の責になります。そして、結果として「私益」について被告人(弁護人)の発言は反論されることない。だからこそ、かつての投稿で、犯罪被害者の権利を侵害したか否かについての判断基準を「反論可能性」があるか否かとすべしと主張したのです。
 犯罪被害者は、反論の機会が与えられないまま、刑事裁判における「私益」の範疇に属する被告人(弁護人)の主張が(反論を受けないことにより)あたかも事実として流通し、被告人自身がそのように信じ手要るという認識を訂正する機会を与えられないのは理不尽である。刑事裁判の場において「私益」の範疇に属する発言がなされたのであれば、同じ刑事裁判の場で反論する機会を与えて欲しいというのが「刑事裁判」における被害者参加制度を要求した大きな理由の一つです。

しかし、今般成立した「犯罪被害者参加制度」でも問題があると私は考えています。犯罪被害者の地位が検察に完全に従属することにより、この制度においても「公益」に変換できない「私益」については、刑事裁判の場で主張できないことになります(そのことは「あすの会」の代表幹事も認めています)。その意味において、犯罪被害者は検察とは独立した利害関係を有する「事件の当事者」(≠裁判の当事者)として参加しなければ(あるいは、別の場で、被告人と対峙できる場が与えられなければ)問題の解決にならないのです。
ともかく「犯罪被害者参加制度」が施行されれば、

被害者の訴えを検察が聞き入れない(被害者が聞きたい事項を裁判で質問してくれない)

という形での「検察批判」が生ずる可能性はあるでしょう。そして、被害者を傷つけるような被告人(弁護人)の発言があって、それに対する反論がなされなかった場合、被告人(弁護人)は事実上免責されます(反論する機会があったのに反論しなかったのは反論する側(この場合は検察)の責任)ので、一概に被告人(弁護人)に不利というわけではないと思います。少なくとも、光市の事件における差戻審における弁護活動は、この被害者参加制度であれば、反論を受けなかった部分について正当化(反論しなかった検察・犯罪被害者のミスであると)されるでしょう。しかし、「公益」に変換することが出来ない「私益」の範疇に属する主張への反論は今般の「犯罪被害者参加制度」によっても許されないという問題点は残ります。


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