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刑事弁護の危機と医療の危機

11キラーカーン:2008/09/16(火) 22:33:03
 戦後日本において、刑事裁判手続は原則として英米法系の当事者主義を取ることとなったので、この時点で「刑事弁護は本質的に反権力的活動」という大枠も確定しました。
 しかし、先の投稿に見られるように(歴史的経緯とイデオロギー的理由からか)、本来、手段であるはずの「反権力」という「配役」を「守るべき目的」と逆転させた(「手段」と「目的」の逆転させた)のが現在の弁護士業界の現状といえるでしょう。ここでは、これ以上は述べません。
 この図式では犯罪被害者は「証人」としてしか刑事裁判に関与できません。これが「被害者は証人に過ぎない」という言葉の意味です。
 上述のように、この図式において検察と被告人(弁護人)が対峙する軸は

公益

となることから、当然(応報感情を含む)私益は刑事裁判の対象とはなりません。検察は「公益」をもって、被告人を弾劾しますから、それに対する被告人(弁護人)の反論も当然

「公益」に限定される(はずであり、そうでなければならない)

ということになります。(「公益」という軸で争っている限り)被告人の権利という「私益」を侵害することがありえないし、刑事裁判は応報感情を初めとする犯罪被害者の「私益」を保護する場でもない(すちゅわーです さんが、引用した平成2年の最高裁判決もこの論理の延長線上にあります)。したがって、

被害者の権利を侵害したという安田弁護士をはじめとする弁護人批判はそもそも筋違いであり、彼ら弁護人の行為をきっかけとして犯罪被害者被害者保護法制について議論することも筋違いである

というのが、すちゅわーです さんをはじめとする法曹関係者(と思われる人々)の反論の骨子です(雑誌『世界』2008年9月号(死刑制度特集)における安田弁護士へのインタビュー記事は、「従来の刑事裁判観ではありえない」自身への批判に対する戸惑いが見て取れます。)。それが、「法制度」への議論へ進まなかった理論的理由です。
そして、その反論の骨子からすれば、「検察が被害者の代弁をすべき」という横槍氏の議論は

(「公益」と「私益」の混合という)刑事裁判制度の前近代への「先祖がえり(退行)」以外の何者でもなく、弁護士業界としては受け入れることは出来ない「公益」と「私益」は、あくまでも、峻別されなければならない。したがって、検察が被害者の代弁を行うことは不可能である。

というものになります。
 これが、刑事裁判において犯罪被害者が検察に従属した地位で参加するという「犯罪被害者参加制度」(=検察が犯罪被害者の代弁をすること)に大多数の弁護士は反対した大きな理由の一つでもあります。
 しかし、犯罪被害者という「刑事裁判の当事者」を認めることも、「当事者主義」(厳密に言えば「(検察・被告人)二当事者対立構造」)からも問題があります。その二律背反の中で、「当事者主義」を優先させ、犯罪被害者の「私益」を検察の「公益」に吸収させて(「私益」を「私益」のままで主張させない。「私益」を主張するには「私益」を「公益」に変換させ、犯罪被害者ではなく検察の手により主張させることにより)、その二律背反を解消したのが、今般の犯罪被害者参加制度の理論的説明になるかと思います。

 というのが、刑事裁判を巡る法制(史)的側面です。被告人(弁護人)を弾劾する側は、検察(「公益」)と犯罪被害者(「私益」)に分割できました。そして、前者(公益、検察)のみを刑事裁判の対象に限定しました。しかし、被告人側はそうではなく、「公益」と「私益」が混同したままです。被告人が「私益」(犯罪被害者)に対して反論し、弁護人が「公益」(検察)に対して反論するという役割分担はされていません。「公益」か「私益」かのグレーゾーンの領域に関しては、グレーゾーンであっても、とにかく被告人(弁護人)として主張、反論できるとことには反論するというスタンスで裁判に臨むでしょう。


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