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中国のサイトの回想録 その1)
44
:
苹
:2007/08/15(水) 14:52:41
(拾遺)
…ううう、なんか脱線不足だなあ。もっとトンデモ系カキコの練習しとかなきゃ。
ttp://dokuhen.exblog.jp/d2007-08-12
話は変わる。〜福田逸先生のブログ(↑)に興味深い記述(↓)があった。
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> 例のマイク・ホンダ議員の経歴を、苦難の末議員にまで上り詰めた美談にし、彼が戦時中(アメリカにより)強制収容され、財産を失つたがゆゑに戦争被害者だとしてゐる。しかし、文章の流れからすると、まるで日本国から被害を受けたかのやうに読める、といふより、どう読んだらよいのか実に曖昧な文章になつてゐる。ホンダ議員が戦争被害者だと断ずる文の前に、彼がIT産業が盛んな地域から選出された議員であり、そこには労働者にアジア系が多く、中国系・朝鮮系の移民もかなりゐるといふ趣旨の文章がある。そして直後に、アジアからの移民にも戦争被害者が多い、と来るから、私には朝日新聞お得意の自虐的文章に見える、つまり、アジアからの移民と共にホンダ議員も日本国による戦争被害者だと読まざるを得なくなる。かういふ書き方は、洗脳、誘導、操作とでも言ふのではないか。少なくとも、サブリミナル効果はある。
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その曖昧さを「明晰な曖昧さ」の形で記述するのが難しい。人間の判断が常に明晰だったら却って異常だし、明晰なだけの判断は得てして紋切り型になりやすい。どこが曖昧なのかを、どこまで自覚しつつ書いているか、それが予め分かる様な書き方をしたいものだ。
あきんど様の文章は分かりやすい。「分からない」領分をハッキリ、しかし大雑把に示している。つまり「分からない」領分の微分にはなかなか踏み込まない。勿論「分かる」領分は徐々に差し引く。それはそれでいい。私も出来る事ならそうしたい。が、それはもはや「分からない」領分には踏み留まれない。
教員は屡々「生徒は何処が分からないのかが分かっていない」と云う。ひょっとしたら、「分かる」と云うより「分からない」と云う方が難しいのかも知れない。「分かる」領分は限定的だが、「分からない」領分はそれ自体が世界的である。どんなふうに分からないのかを「分かりやすく」記述するのはもっと難しい。「全部が分からない」と水増しする方が潔く見える事もある。その反対に、相手が「分かっている筈」と思い込んだ通りに応えないと不正直と思われる事すらある。ここでは「分かる」と「分からない」との境界が他者側の憶見に委ねられ、それを筆者側の感覚に引き戻そうとする試み自体が時には文献学的に否定されていく。つまり文献学は読者による独裁的判断の拠り所となる。
この点では、世界一の訓詁経験を重ねてきたのが中国知識人…と見る事もあながち的外れとは云えまい。日本に「まともな手段で」留学する中国人には、そうした素養が荒間…もとい(汗)、あらまほしきものであって、その関門を通り抜けてきた人々が留学生様や夢幻様ではないかと私は想像している…。
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