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食べ物、飲み物の館

15 ◆KMyTcmL3ws:2006/01/16(月) 00:09:24 ID:18UUODG.
>>14
Xさん
物事って、意識して「良くしてやろう」とか、「ああしてやろう」とか思うと全くその通りに行かない物ですよ。

(例によって、途中から大きく脱線すると思いますが。)

夕焼けを見て、「あの雲をもう少し上にずらして、沈みかけている夕日をもう少し引っ張り出して…」なんて考えても意味のない事と同じです。

写真撮るときでも、シーツの皺が気に入って「そこにモデルを配して」って思っていてもメーク担当がさっとその皺をまっすぐに伸ばし体裁を整えてしまったが最後、いくらその皺を再現したくても出来ないのと同じです。

自然に任せる。




でも、これも矛盾があるんですよね。「自然に任せる」って言っても、シーツの皺をさっと直してしまうのも(その皺も)自然なんだから。

見方を変えるなら、「シーツの皺に意識を込めるか込めないか」、と言う事なのかも知れないけど。


私は長年絵画の勉強をして、10数年デッサンに明け暮れていた時期がありました。
デッサンとは石膏像を目の前にして、木炭で木炭紙に像とその空間を表現する事なんです。
ギリシャ彫刻のとてつもなくすばらしい数々の造形を目の前にしていると、「これを造り出した人などはデッサンなんてやってなかったんだ」という思いと「デッサンをマスターしてやる」と言う思いとが常にぶつかり火花を散らしていました。

光、影、反射、面、空間、傾き、重心、ムーブメント、マッス、ディテール… 木炭を介して、指先、パン、練りゴム、布で木炭紙に木炭の粉を乗せていく。計り棒、垂直重りを使って形を計測し、何日もかけて表現して行く。

自分なりのデッサンの目的は、写真で言う透明のフィルターを持てるようになる事。

人は、物を見るとき、自分の目、心のフィルターを通った物を感じるわけです。
そのフィルターには様々な色があり、又、いびつであったり…

その自分のフィルターに「透明フィルターという”バリエーションを増やす”という事に大切な意味がある」と思っていました。今もそうです。

目の前の彫刻対象と、木炭紙に現れた像との間には様々なフィルターが介在し、一目瞭然に歪んだフィルターが分かってしまう。(初心の頃はおたふくのようにふくらんだ顔、丁寧に唇を描いてみたりw)

つまり、デッサン以外で自分の表現したい物を現すとき、透明なフィルターが無いと、歪んだそれがもろに出てきてしまうわけです。

それは決して個性等という物ではなく、歪んだフィルターから出た結果に過ぎないのではないかと言う事。


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