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【ザ・雑談】☆Part3☆
527
:
RANDY
:2007/08/22(水) 21:41:20 ID:hKRbQxx6
>>526
エートス氏
本の埃を払って、ちょこっと調べてみました。エートス氏の書き込みにプラスすることはないけども、せっかく調べたんで書いてみます。
>天に通じているということは、良知はその人の自我に属するものではなく、
「わが心の良知とは、いわゆる天理に他ならず〜」(世界の名著『朱子王陽明』p415)
「良知とは、何よりも天理が自然霊妙に発現したもので〜」(同上p490)
「天は他ならぬ良知だ」(同上p547)
「天理はすなわち良知」(同上p545)
>良知は直感の働き自体を言っているようです。
「心即理の立場に立つ陽明にとって、心はそのまま理である、その理のありようやはたらきが良知だというのだが、そのありようやはたらきをさらにそっくりそのまま理といいかえるここの論脈には、宋学以来の理にまつわる静的なイメージを、払拭して、動静一如の新しいイメージでとらえかえそうとする意欲が感じとられる」(同上p467解説部分より)
上記p547、545がありようで、p490が働きかなぁと想像してます。個人的には、上記p547、545については良知を持ち出さなくても、「性即理」とか朱子学風に言えば済む話であって、p490みたいに活動しているさまを良知と言う方が、「らしい」というか格好良く感じます。
「らしい」「格好良い」というのも何だけど、自分の陽明学のイメージに合致するという感じです。
あと私は、「仁」には、何となしに「スゴイものだ」みたいな特別な思い入れがあったわけですけど、ちとそれは違ったみたいです。
「三月仁から去らずにいられたら、それ以外の徳は一日か一と月のうちに成るだろう」(世界の名著『孔子孟子』p144)
「先生はめったに利益と運命と仁徳とについて語られなかった」(同上p190)
多分、この辺が印象に残ってて、「仁は大きなものだ」みたいな思い入れができたのかもしれません。あと幸福の科学でも、愛はすごく別格な扱いだし_その影響でしょう。
そういうわけで、四端の説明で、仁→惻隠、義→羞悪、礼→辞譲、智→是非みたいのを見ると、「仁は他の徳目と横並びに説明されるようなもんじゃない」と抵抗を感じてました。でも論語を読み直すと、あっさり書いてました。
「〜仁についておたずねした。先生がいわれた。
「人を愛することだ」」(同上p256)
>最も重視されているのが惻隠、つまり他人の苦しみや悲しみに心をよせる感情です
「愛こそはすべて」みたいに、「仁」がすべてを含み、別格の存在であるとするよりも、「最も重視されている」というのがやっぱ正統解釈なのかと思い始めてる次第です。
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