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【ザ・雑談】☆Part3☆

522RANDY:2007/08/18(土) 18:38:04 ID:46H6UE9w
現役信者氏
>>506
安岡正篤ですね。教えてくれてありがとう。実は、名前だけは知ってたけど、なんとなくまだ読んでませんでした。これを機会にチャレンジしてみます。

あと私の場合、陽明学はやっぱ『致良知』に一番興味があります。一般向けの陽明学入門書の中に、「良知(良心)を致す」とかあったので、「良心そのままに行動する」みたいに解釈してます。
もっと激しく言うと、「己の心を省みて、少しの私心もなく、良心がそれを命じるならば、たとえ法律、道徳、慣習に背こうとも、それをそのまま実行せよ」みたいな感じ。
体制が、陽明学を危険視するのがよく分かるってやつです。

そうそう。前述の『峠』にこんな場面があります。主人公の河井継之助と、少年とが寛いでいると、吉原方面に火事が発生する。これを知った河井継之助は、贔屓の女郎の身を案じて、吉原方面に駆け出すという場面です。

なんてことない場面のようだけど、当時の武士は、道の真ん中を悠然と歩くのが原則で、着物をたくし上げて走るのは恥だったようです。それなのに継之助は女郎のために駆け出すわけです。だから当時としては、「たかが女郎のために、駆け出すばか者」となるみたい。
でも、少年は、継之助の行動はもしかしたら陽明学の実践じゃなかろうかという思いつく。

ついでにもう一つ。同じ司馬遼太郎の本(『世に棲む日日』だったかな?)で読んだ吉田松陰のエピソードも面白かった。創作だと思うけど、黒船が来たかどうかして、吉田松陰も現地に急行しようとして、全力疾走する。で、走ってる途中で、遠くから「飛脚さぁーん」と知らない娘に呼び止められる場面。

娘はあとから、飛脚じゃなくて侍だと気付いて恐縮するけど、時すでに遅し。当時の武士の感覚としたら、走っちゃいけないのに走りまくって、あげくに、飛脚に間違われる面目なさ。まさにトホホだろうと想像します。でも松蔭はそれにめげない。

私的には、これも良知を致すってことかなぁとぼんやり感じてます。なんかユーモアが入りすぎかという気がしないでもないけど、致良知は特別なことじゃなくて、日常的に実践されるもんだろうと思います。


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