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【ザ・法論】+☆+KK8+☆+【論戦2日目】
1
:
片山第弐BBSイケイケ共同管理隊(*^o^)/\(^-^)/\(`д`)★
:2006/01/22(日) 03:07:22 ID:oBsY1B7s
このスレッドはKK全般 (教義 行動様式 文化を含む)につき論ずることを主な目的としています。
本格的な法論の展開、まじめな議論や質問、立ち入った討論はこのスレでお願いします。
一問一答が基本系の「Q&Aそもさんスレッド」でやりとりが収まらなくなったときも、こちらに移動してください。
なお、まったく本格的でない議論などは【ザ・雑談】スレの方でお願いします。
★コピペ爆撃や一方的な対話を無視したカキコなどの荒らしはお断りです。管理人や支援者の仕事を増やさないようによろしくお願い致します。
※ 「ザ・掲示板」で100式氏の建てたスレット +☆+幸福の科学+☆+(
http://religion.log.thebbs.jp/1100102545.html
)〜 +☆+幸福の科学Ⅵ+☆+(
http://religion.log.thebbs.jp/1116638711.html
)からスレタイを継承した引っ越し板です。
本来は8番目のスレということで「+☆+KKⅧ+☆+」となるですが、「Ⅷ」は機種依存文字のため文字化けして判読できない!と指摘が寄せられたので「+☆+KK8+☆+」といたします。(;´▽`A``
前スレ 【ザ】+☆+KKⅦ+☆
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/6228/1119480892/
過去ログ倉庫行きの場合
http://jbbs.livedoor.jp/study/6228/storage/1119480892.html
雑談スレ 【ザ・雑談!】 (第2BBS内)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/6228/1123415562/
Q&Aそもさんスレ 【ザ・問答】 (第2BBS内)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/6228/1127563497/
片山掲示板案内スレ (第2BBS内)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/6228/1137758935/t
掲示板へ書き込む前に (黒田支援サイト)
http://homepage2.nifty.com/KurodaRyunosuke/Katayama/site-low.html
片山第弐掲示板案内 (黒田支援サイト)
http://homepage2.nifty.com/KurodaRyunosuke/Katayama/threadGuide.html
Yahoo! 幸福の科学 会員と語るトピ
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=1
2ちゃんねる ★★『幸福の科学』統合スレッドpart126★★
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1136707289/l50
2ちゃんねる ★★『幸福の科学』統合スレッドpart127★★
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1137845517/l50
609
:
タム
◆M/L2k2Eq72
:2010/11/24(水) 20:02:42 ID:eATZr/6I
>>608
大川総裁の場合は、選挙で大勝利するといって、大敗北したでしょう。
また今世紀中に日本人全員を会員にしてみせるといって、できなかったでしょう。
「こうする」といってできなかったのだから、全能ではないとするのが自然な見方でしょう。
イエスの場合は、十字架にかけられて後に復活するという予言の通りになったのだから、
神の全能さはますます強化されたということになるのではないでしょうか。
あと、わたしには、「これを信じる!」という宗教、主義、思想などはないですよ。
ついでにいうと、「これは絶対に信じない!」というのも、ないような気がする。
610
:
よしもん
◆JIBI0e8P7s
:2010/11/25(木) 12:40:57 ID:ZPdJL1xk
>>609
やはり、宗教的予言というのは、どうしても、この世的には時間が
ずれてしまう、特に、10年後に起こることが、明日起こる、
というように見えてしまう、ということがあると私は思っています。
タムさんは、信仰をお持ちでないですか。では、何を心のよりどころ
として生きていかれるのでしょうか。特に、人生最大の逆境にあって
どういう判断をされるのでしょうか。
人間はやがて死にますが、もし、魂が存在していて、死後も、
自分の意識があったら、どうされますでしょうか?
611
:
タム
◆M/L2k2Eq72
:2010/11/25(木) 20:25:20 ID:eATZr/6I
>>610
そういえば、HSでは、予言の時期がずれることもあるとかいいますね。
でも、世間的には、時期を確定できないのであれば、それは予言とは
いえないかもしれないですね。たとえばさ、「日本に大地震が来る」という
ような類の予言は、時期を確定しないなら、そのうち当たることになるからね。
こんなの予言と認める人は少ないでしょう。
わたしが信仰は持ってないというのは、特定の宗教を信じきってはいない
という程度の話ですよ。どっかの宗教教義を信奉したり、そこの神様ばかり
を特別に拝むことはないというようなこと……。
とはいえ、どちらかというと、自分を守ってくれている存在を感じるとか、
その手の感覚は、結構、強い方ではないかと、自分では思います。
「何事のおわしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼれる」というのも、
わかるような気がするし。
逆境うんぬんについては、そのときにならなくちゃ分からないですね。ただ、
良心に思い切り逆らうということはないでしょうね。それをすると、結果が良かれ、
悪しかれ、気分が悪くなるのは経験上、わかりきってることですから。
死後にも自分の意識があったらどうするかについては、きっと、「おお、霊界って
あるんだな」と思ういますよ。唯物論、唯心論、それから唯霊論……どれが本当だ
と信じているわけでもないので、死後の生があっても、なくても、さほどショックは
ないかと思います。
612
:
よしもん
◆JIBI0e8P7s
:2010/11/26(金) 00:46:47 ID:ZPdJL1xk
>>611
タムさん
では、万が一、幸福の科学の言っていることが本当のことで、
死んで魂になった後、エル・カンターレが地球の至高神であったら
どうされますでしょうか。
613
:
タム
◆M/L2k2Eq72
:2010/11/26(金) 21:13:31 ID:eATZr/6I
>>612
「おお、本物だったか!」と思いますよ。
でも、その問いは、今となっては空しい気がしますよ。
天上のエルカンターレは全知全能で、地上の大川総裁は全知全能ではないのでしょう。
ということは、地上の大川総裁が何を説いたにしても、それは大川総裁の限られた認識力
の範囲内でわかったことにすぎないってことです。
大霊界という大海原のうちの、一滴について語ったにすぎないってことです。
大川総裁に帰依しなくても、天上のエルカンターレの手の平の上に、ちょこんと、のせられて
いる可能性が高いということです。
天上のエルカンターレは全知全能で、地上の大川総裁は全知全能ではないというのは、
天上のエルカンターレ>>>>>越えられない壁>>>>>地上の大川総裁
ということになるから、強いて大川総裁を信じ、帰依しなければならないということも
なくなるってことです。
全知全能と、そうでないものとでは、人間と蟻よりも、もっともっと大きな差がありますから。
こう考えると、「大川総裁の説くことが本当だったら?」という問いは、大川総裁は全知全能
であるという前提に立った上でないと空しいよ。
614
:
よしもん
◆JIBI0e8P7s
:2010/11/27(土) 00:05:14 ID:ZPdJL1xk
>>613
主、エル・カンターレというのは、人間の目に見えるものでは
ありません。
そのために、その魂が肉体に宿って、地上の人間に主の教えを
人間の言葉で説くわけです。
でも、ここで、信じることは難しいのです。なぜか。
それは、地上に使わされた、エル・カンターレは、肉体に宿る
ことによって、私たちと外見はほとんど変わらないからです。
だから、聖書にもよく書かれているとおり、「つまづく」のです。
信じることが難しい、この地上世界の中にあって、信仰をとること
が、とても価値を持つのです。目で見て確認ができるものを
信じる、と言ったって、尊くもなにもないですよ。
信仰者としての誇りもないですよ。
ですので、再誕の仏陀、救世主への信仰をもてなかった、ということは
悔いても悔やみきれないほどの後悔を残すのです。
615
:
タム
◆M/L2k2Eq72
:2010/11/27(土) 07:36:30 ID:eATZr/6I
その主張も、今となっては空しいと思います。
よしもんさんによれば、天上のエルカンターレは全知全能だが、
地上の大川総裁は全知全能ではないのでしょう。ということは、
大川総裁は、天上のエルカンターレの御心を百パーセント体現
しているとは必ずしもいえないことであり、大川総裁を信じる
ことが、そのまま天上のエルカンターレを信じることになる
とは限らないということですよ。
むしろ、大川総裁を信じないことが、天上のエルカンターレを
信じることになる場合が少なくないということにもなりえる。
こういう状況からは、大川総裁を信じないことが後悔につながる
という考え方は説得力に乏しくなります。
それから、天上のエルカンターレは目に見えず、よくわからない
が、肉体を持つ大川総裁を信じることはできるというのは、
ある種の唯物論信仰といえなくもないです。目に見えない、物質
ではない、天上の高次なる存在を直接信じるのではなく、目に見
える、肉体を持つ大川総裁を介して信仰するのだから、そういわ
れても仕方ないでしょう。
この点から見ても、肉体を持つ大川総裁を信じないで、天上の
エルカンターレを信じるというのは、唯物論の影響から抜け出し、
より純粋な信仰に近いことであり、より正しいといえなくもない。
聖書について言えば、よくあるのはこういう流れですよ。
・人が神に神である証を求める。
・神は奇跡を見せる。
・人は神だと信じるが、そのうちに信じなくなる。
・そこで神は再び奇跡を見せる。
・人は神を信じるが、また信じなくなる。
・神は再々奇跡を見せる。
・人は神を信じるが〜
こういうことが延々と繰り返されている。神様は忍耐強く、決して
人を見捨てずにいてくださるという話。
聖書の神は、目で見てわかる奇跡をあらわしてくれる神だから、
HS正当化のために聖書を引っ張り出すのは得策ではないと思います。
616
:
タム
◆M/L2k2Eq72
:2010/11/27(土) 07:53:48 ID:eATZr/6I
それにしても、信者さんらの発言を見ていると、
・大川総裁を完全無欠の全知全能かのごとくに崇拝、信仰している人、
・大川総裁を全知全能ではなく、不完全として、その背後にある天上のエルカンターレを信仰するという人、
・大川総裁と天上のエルカンターレは必ずしもイコールではないとしながらも、大川総裁と天上のエルカンターレをともに信じるという人、
……いろいろですね。
HSでは、信仰が大切だ、信仰を持たなくてはならないと説くけれども、
その信仰とは何であるかは、きちんと説明されていないのだろうか。
信仰の定義もせずに、信仰が大切だ、信仰を持てと強弁したところで、
空しい気がする。
617
:
タム
◆M/L2k2Eq72
:2010/11/27(土) 08:05:25 ID:eATZr/6I
>>615
大川総裁を否定することが、天上のエルカンターレを信じることにつながる
ということの、一つの例は、レムリア・ルネッサンスですな。(笑)
五次元文庫から出てるアマーリエさんの著作を見ると、大川総裁の著作よりも、
はるかに文章が丁寧で、きれいで、波動が整えられていて、より精神的である。
アマーリエさんの本と比較すると、大川総裁の本の波動はあらあらしく、乱れてい
て、かなり物質的である。
言葉はきれいでなければならないという基準と、
天上のエルカンターレは全能だが、地上の大川総裁はそうではないという見方
からすると、レムリア・ルネッサンスとアマーリエさんを否定するのは、困難にな
ってしまいそうですね。
618
:
よしもん
◆JIBI0e8P7s
:2010/11/27(土) 12:45:10 ID:ZPdJL1xk
>>615
本仏、主、エル・カンターレが霊天上界におられ、地上世界には、
エル・カンターレが地上世界に投影された大川隆法先生という
存在がおられ、そして、エル・カンターレ像、ご本尊という、
これも、「モノ」ではありますが、エル・カンターレを象徴
したものがあります。
そのいずれに向けて、祈りを捧げても、最終的には、天上界の
主、エル・カンターレに届きます。
また、天上界の主、エル・カンターレのみを信じ、
地上に現れた、エル・カンターレの地上世界における表現形式
であるところの、仏陀、大川隆法先生、そして、その教え、経典、
ご法話、そして、仏の創りし、仏法真理の伝道機関、すなわち
幸福の科学、仏法真理を政治に展開した幸福実現党、そして、
主、エル・カンターレより下賜を許された、エル・カンターレを
象徴したご本尊、いずれも、主、エル・カンターレへとつながる
尊いものです。
ですので、天上界のエル・カンターレを信じるけど、地上世界の
エル・カンターレを信じない、というのは、よしもんの心は
認めるが、肉体人間のよしもんは信じない、肉体人間のよしもんを
信じることは、唯物論につながる、と言っているのと一緒です。
肉体人間よしもんなくば、よしもんの心が地上世界で表現できません。
なので、肉体も心も、よしもんを象徴するよしもんの掲示板に
おける発言、いずれも、よしもんです。どれもよしもんに通じます。
長文失礼致しました。
619
:
よしもん
◆JIBI0e8P7s
:2010/11/27(土) 12:52:27 ID:ZPdJL1xk
>>615
タムさん
>聖書について言えば、よくあるのはこういう流れですよ。
>・人が神に神である証を求める。
>・神は奇跡を見せる。
>・人は神だと信じるが、そのうちに信じなくなる。
>・そこで神は再び奇跡を見せる。
>・人は神を信じるが、また信じなくなる。
>・神は再々奇跡を見せる。
>・人は神を信じるが〜
>こういうことが延々と繰り返されている。神様は忍耐強く、決して
>人を見捨てずにいてくださるという話。
>聖書の神は、目で見てわかる奇跡をあらわしてくれる神だから、
>HS正当化のために聖書を引っ張り出すのは得策ではないと思います。
幸福の科学も一緒です。大川先生は、現代における奇跡、すなわち
霊界存在の証明、というものを、霊言という形で現そう、と
お考えになられました。
かつての救世主が行われていたような、水をぶどう酒に変えるとか、
死人を蘇らせるとか、パンをちぎって5000人に分け与えるとか、
それもすごいのですが、それは、あまり、真理の学習には
つながらないです。
霊言という形で録音し、人間の限界を超えたスピード、量、質で
書籍として発刊することで、霊界存在の証明とともに、書籍に
なったことによって、私たちが、反復して学習ができるということ、
また、後世においても、学習材料として提供できるということ、
幸福の科学の奇跡は、ここに重点を置いています。
620
:
よしもん
◆JIBI0e8P7s
:2010/11/27(土) 12:59:05 ID:ZPdJL1xk
>>617
レムリア・ルネッサンスの件、私は、この団体の教えとか、書籍とか
読んだことがないのですが、この団体は、幸福の科学の分派的
活動である、と聞いています。幸福の科学の見解としては、
総裁在世中に、このような分派を作ることは許さない、という
ことでしたので、私もその考えを支持します。
言葉使いを正す、というのは、2ちゃんねる掲示板の荒廃に
見るに見かねて私が発言した内容です。
かりそめにも、この世的に組織的に活動し、書籍を出すからには、
それは言葉使いに注意しないといけないでしょう。
しかし、実を言うと、本当に大事なのは、やはり、心が整っているか、
その念いが仏のほうに向いているか、ということです。
621
:
タム
◆M/L2k2Eq72
:2010/11/27(土) 19:53:28 ID:eATZr/6I
>>618
エルカンターレ像などを拝むと、天上のエルカンターレに届くと
いうのは、かなり物質的ですね。エルカンターレ像に光が降りて
くるとかいうのも、かなり物質的な考え方。
精神重視ならば、エルカンターレ像があろうがなかろうが、心が
天上のエルカンターレに向いたなら、祈りが届き、その心境に応
じて光が降りてくるという風になるかと思います。
天上界のエルカンターレを信じるが、地上の大川総裁を信じない
というのは、図であらわせば、わかりやすいかもしれません。
まずは大きい円を描いて、その中心に、大きい円の中にすっぽり
入る小さい円を描くとするでしょう。
大きい円が天上のエルカンターレで、小さい円が地上の大川総裁
ということです。つまり小さい円の大川総裁を信じないが、天上
のエルカンターレを信じるということが有り得るってことです。
↓ここの図でいえば、Aが大川総裁で、Bが天上のエルカンターレ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Venn_A_subset_B.svg
よしもんさんを例にとれば、Aは地上で肉体に閉じ込められている
よしもんさんで、Bは霊界にあるよしもんさんの魂の兄弟なり、
潜在意識なりということになるかと。
もうちょい説明してみますか。
天上のエルカンターレは全知全能で、地上の大川総裁は全知全能
ではないということは、換言すれば、天上のエルカンターレは
全知であり、常に正しいことを言えるが、地上の大川総裁は全知
ではないため、時には間違い、正しくないことをいってしまうと
いうこと。
ということは、正しいものを探求しようとする場合は、天上のエル
カンターレを信仰することは結構なことであるが、正しくないこと
をいう可能性のある地上の大川総裁を信仰することはできないとい
うこと。「大川総裁は、自分よりも優れているから、師として尊敬
する」という場合は有り得るけれども、「大川総裁は正しい」と
いう信仰は持ち得ないことになる。
よしもんさんは、正邪善悪の話のときに、正しさを求めるといって
いたかと思います。本気で正しさを求めるならば、全知ではなく、
正しくないことを言う可能性のある大川総裁を信仰するというのは、
おかしなことだと思います。
622
:
よしもん
◆JIBI0e8P7s
:2010/11/28(日) 00:00:56 ID:ZPdJL1xk
>>621
タムさん
図説までして頂き、ありがとうございます。
ご本尊を通じてお祈りする、ということが物質的、といえば、
確かに物質的かもしれません。
でも、物質の力をお借りすると、祈りもやりやすいこともまた
事実だと思います。仏教も、後世、数多くの仏像が造られましたが、
これはやはり、目には見えない仏の存在を、衆生にわかりやすく、
教えるためのものであったと思います。
あと、図説にもありますが、中の円であるAに入る、ということは、
非常に稀有なことなのです。Aを含まないBの部分というのは、
言ってみれば、後世のエル・カンターレ信仰です。
Aである地上世界における仏陀なくば、Bに参入することは
ごく限られた高度な悟りを持つ者に限られてしまいます。
Aがあるから、Bへの到達が私たちにも可能となってくるのであり、
AのないBは、これは難しいですよ。難しい、ということは
救済力が落ちる、ということです。
もっとも、地上に降りた仏陀は、そのBの力を100%発揮
できないかもしれませんが、しかし、私たちの目や耳で、
その教えを学ぶことができるのですから、これはありがたいことです。
623
:
タム
◆M/L2k2Eq72
:2010/11/28(日) 08:00:37 ID:eATZr/6I
>>622
その理屈はかなり苦しいかと……。
天上のエルカンターレを全知全能として、地上の大川総裁をそうで
はないとすることは、両者の間に越えられない壁があるということ
です。これは
>>613
で書きました。図でいえば、AとBの境目に超えら
れない壁があるってことです。
また大川総裁が全知全能でないということは、時には間違いを犯し、
正しくないことを言うということです。その大川総裁を信仰すると
いうことは、大川総裁の間違いを正しいと信じることになります。
つまり大川総裁に全幅の信頼をおいて信仰することは、完全に正し
い天上のエルカンターレから遠ざかる結果になってしまうわけです。
このことは
>>621
に書きました。
それから天上のエルカンターレは、幸福の科学だけでなく、あらゆ
る正しい宗教を指導しているのでしょう。先の図でいえば、Bの円の
中には、Aという円だけでなく、他にも、釈迦、ヘルメスなど無数の円
があるということです。つまりエルカンターレに達するには数え切れ
ないほど無数の円(縁)があるということです。
HS的には、天上のエルカンターレの本体である大川総裁を介して天上
のエルカンターレを知ることができるのは、今生限りであるというこ
とになるかもしれません。けれども大川総裁は全知ではないというこ
とですから、大川総裁がエルカンターレの本体であるかどうかの真偽
はこれまた不明ということになるかと思います。
>>619
イエスと大川総裁とでは、奇跡の動機が正反対でしょう。
イエスの奇跡は、すべてが人助けのためといっていいくらいです。「奇跡
ができる自分は偉い」などとはいわない。
でも大川総裁の場合は、自分の霊言は人間の限界を超えたスピード
と量だと自画自賛するんですよね。
またイエスは、律法で他者を裁く人を批判して、愛こそが大事だと
説いたのでしょう。
大川総裁はといえば、一種の律法である仏法真理なるもので、
あれはだめこれはだめと人々をがんじがらめに縛っている。仏法真理を
守れば天国で、破れば堕地獄という風に。
>>620
うん、言葉の丁寧さだけでなくて、その背後の心の整い方に関しても、
HS本よりも、レムリア本の方が、ずっと優れているようです。
五次元文庫からでてるアマーリエさんの本を読んで確認すればわかり
ます。
「ルが暗躍してるんだ。波動がよいのは見た目だけだ。だまされては
いけない」などと自分に言い聞かせながら読まないと、レムリアに
鞍替えしたくなるかもしれません。(笑)
教団の大きさではHSが有利ですが、精妙さではレムリア勝利ですね。
624
:
よしもん
◆JIBI0e8P7s
:2010/11/28(日) 08:47:51 ID:ZPdJL1xk
>>623
タムさん
注:文中、Bは大きな円、天上界のエル・カンターレ、AはBの中に
含まれる円、地上に降臨したエル・カンターレ、大川総裁を示す。
タムさんが図示して下さったように、Aという地上における
エル・カンターレ、すなわち大川総裁は、Bという大きな円、
すなわち天上界における主、エル・カンターレの一部です。
AはBに含まれているものであり、超えられない壁、というもの
ではないと思います。むしろ、Aは、Bの中の、地上世界への
メッセンジャーです。
また大川総裁に間違いはありません。全知全能としての力が
肉体に宿ることによって、パワーダウンすることはあっても、
法の核心、教えの根本に間違いはありません。
タムさんが、図示して下さったように、AはBの一部であり、
AがBから外れる、ということはないのです。
Bである天上界のエル・カンターレは、様々な宗教を指導する
でしょうし、ヘルメスや釈尊、イエス・キリストを指導しました。
ゆえに、Aを通じなくても、Bへの参入は可能です。
しかし、それは、過去に説かれた教えが永い年月を経た形骸化した
教えから、Bの真意を汲み取らねばならないので、かなり難しい
です。ゆえに、現代、Aが出てきているのです。
Aの真偽のほどは、後世になってみないと固まらない、というのは
あると思います。でも、Aが地上世界在世中に、その教えを信じ、
Aを支える仕事というのは、とても尊い、稀有なことです。
Aの教えを直接学び、Aを支える仕事は仏弟子の本懐、と言えます。
また、Aは、奇跡として霊言の発刊スピード、質、量を自画自賛
しているわけではなく、それで霊界の存在証明を行っている、と
しています。
私は幸福の科学の教えから、仏法真理の確かな手ごたえを感じます。
そう感じない人もおられますでしょう。それは、人それぞれであり、
仕方ないことです。いつか、分かるときがくると信じてやみません。
また、仏法真理というのは、仏の光の法則そのものです。
仏の光を受け入れれば幸福になり、仏の光を遮る思いを出せば、
幸福にはなれない、しかし、罪を犯しても、仏法真理を悟り、
反省すれば、許される、と説いています。イエス・キリストの
放蕩息子のたとえと一緒です。
625
:
タム
◆M/L2k2Eq72
:2010/11/28(日) 10:26:11 ID:eATZr/6I
>>624
わたしの言ってることは、その図を平面としてだけではなく、立体として
考えてみてもらえば分かり易くなるかもしれません。
まず天上のエルカンターレという円があるとして、その真ん中あたりがグ
ッと盛り上がり、さらに盛り上がり、管のようになって、地上に降り立っ
たのが大川総裁であると見るわけです。
そうして、天上のエルカンターレが全知全能であるならば、そこから伸び
た管もまた全知全能であるはずです。でも地上にまで伸びた管の先っぽで
ある大川総裁が全知全能とはいえないといいます。全知全能という状態と、
全知全能ではない状態との間には無限な隔たりがあるのですから、管の長
さは無限であることになり、結果としては、天上のエルカンターレと、地
上の大川総裁との間には、越えられない壁があることになります。
ついでにいうと、この間、小耳にはさんだ話では、一人一人の心のうちに、
エルカンターレが秘められているとか……。そんなら天上のエルカンター
レからは無数の管が伸びて各人の心に達しているともいえそうです。この
点から見ても、強いて大川総裁を信仰する理由はなくなりそうです。
それから、真理についてですが、真理は、普遍であり、不朽であるからこ
そ、真理というのでしょう。たとえば、「神を愛し、隣人を愛せ」という
真理は形骸化することはありません。縁起説もそうです。「修身・斉家・
治国・平天下」というのもそうでしょう。こういう真理はいつの時代でも
輝きを失わないものです。
形骸化するのは、真理ではなく、教団による真理解釈です。「神を愛し、
隣人を愛せ」という真理は朽ちることが無いが、「神を愛するなら教団に
布施せよ、隣人を愛するなら伝道して教勢を伸ばせ」という真理解釈は過
ぎてゆくものです。
天上の神は永遠だが、地上の生き神様はやがては消えてゆくということも
いえます。
HSでは「今がチャンス」というような考え方をするようですが、神様は、
時代や地域を限定して、チャンスを与えるようなせこい事はしないはずで
す。神が愛であるならば、いつでも、どこでも、救われるチャンスを与え
ているはずです。この意味で、「今がチャンスであり、特別な時である」
という見方は、神は愛であることを信じていないことになるかもしれない。
霊界の存在証明については、心霊科学の方面でさまざまに検証されていま
す。HSの霊言は事実錯誤が多すぎて、霊界の存在証明というよりかは、む
しろ、その反対になり、心霊科学の方面で働いている人たちの足を引っ張
る行為にしかなってないように思います。
626
:
よしもん
◆JIBI0e8P7s
:2010/11/28(日) 23:07:11 ID:ZPdJL1xk
>>625
タムさん
おっしゃることは理解できます。地上世界における不完全な仏陀
とか、救世主によらずとも、私たちは、自力で悟りの世界に
直参できる、という考え方ですよね。
でも、それはとてつもなく難しいことです。やはり、私たちが
神の世界について考えることができる、というのは、いつの時代にも
神や仏の世界を説く、仏陀、救世主、預言者と呼ばれる存在が
地上世界に生まれて、不完全ながらも、教えを説いてくださる
からです。それが聖書となったり、哲学書となったり、仏典に
なったりしているのです。
でも、私たちが一番大きく飛躍できるチャンスというのは、
やはり、大師が地上世界で直接、教えを説いているときなのです。
私たちは、永遠の命を持って、あの世と地上世界を転生する
存在なのですが、生きて地上世界の仏陀にめぐり合うのは、
1回の転生が、10回分、いや、それ以上の価値を持つ、という
ことなのです。そして、そのときが、地上世界に光を広げ、
地上世界を浄化するときでもあるのです。
627
:
タム
◆M/L2k2Eq72
:2010/11/29(月) 18:59:55 ID:eATZr/6I
>>626
>でも、私たちが一番大きく飛躍できるチャンスというのは、
>やはり、大師が地上世界で直接、教えを説いているときなのです。
◎だから、私が言ってるのは、HS教義の基本からいえば「今がチャンス」
という考え方はおかしいのではないかってことですよ。
HSは神は愛であるという。であるならば、神はいつでもどこでも人々を救
おうとしているはずです。特定の時と場所にいる人たちだけに、特別に多
くのチャンスを与えるということはないでしょう。
HSは自己責任を説きます。自己責任が成立するためには、人は環境による
支配を受けず、己の意識次第で、いつでも、どこでも悟れるとしなければ
ならない。もし仏陀と共にいれば悟りやすく、そうでなければ悟りにくい
とすれば、人は環境に支配されているのであって、自己責任論はなりたた
なくなる。
HSは人は自分の認識力の範囲でしか、物事を理解できないと説いているは
ず。そうであれば、自分の認識力の範囲内でしか真理を理解できないのだ
から、目の前で高い真理を説かれたからといって、それを体得できるとい
うわけにはいかないだろう。……云々。
わたしはこういった点から、「今がチャンス」というのはおかしいといっ
てるわけ。もちろんHSには、一種の選民思想があり、過去世の実績などから、
特別に仏陀とめぐり合えただの、今すぐ悟れなくても仏縁をつけるチャンス
だの……「今がチャンス」を裏付ける教えもあるのはわかってます。
でもそういうのって、どっちかといえば、HS教団の論理であって、神は愛、
自己責任、認識力の限界などよりも普遍の真理に近いとは言い難いものでは
ないでしょうか。その意味からすれば、やっぱり「今がチャンス」というの
はおかしいと考えるわけですよ。
ついでにいえば、「今がチャンス」というのは、地上に仏陀が出現したとい
う外面的な条件が整うことをいうのではなく、その人が心から真理を求めて
いるときや、認識力が高まり、これまでより深い真理を受け入れる態勢が整
ったときこそをいうものだと思います。つまり、悟りのチャンスというもの
は、精神的な条件が整ったときをいうのであって、仏陀が地上に現れたとい
う外面的側な環境が整ったことをいうのではない。でもHSは、それを繰り返し、
強調する。この辺りも、HSは精神主義というよりも、すごく物質的この世的です。
628
:
タム
◆M/L2k2Eq72
:2010/11/29(月) 19:11:53 ID:eATZr/6I
>>627
それにしても、よしもんさんは、霊言の議論などの頃には、大川総裁が言うから
信じるというように全幅の信頼をおいていたようだけれども、その後は大川総裁
は全知全能ではないとし、その次には2ちゃんではその霊査能力は100パーセン
トではないとし、ついには、仏陀とその教えを不完全だということまで書いてますね。
仏陀とは解脱した者のことであり、覚者でもあるのでしょう。不完全な仏陀とは……
不完全な解脱者であり、不完全な覚者でもあることになるだろうし、これって結局、
悟っていない、仏陀ではないということにしかならないでしょう。
大川総裁を不完全な仏陀で、不完全な教えを説いているのだとすれば、ますます
大川総裁に帰依しなければならない理由はどこにもなくなりそうです。
「大川総裁を信じず、天上のエルカンターレを信じるというのは間違いだ」というため
には、やっぱり大川総裁は天上のエルカンターレと同様に完全無欠の全知全能であ
るとする以外にはないと思いますよ。
この点、大川総裁を完全だと崇拝する亭白さんの信仰の方が筋が通ってるのではな
いでしょうか。わたしはとてもじゃないが、亭白さんのような信仰は持てないが、一本、
筋が通っているといえなくもないとは思う。
629
:
よしもん
◆JIBI0e8P7s
:2010/11/30(火) 13:08:15 ID:ZPdJL1xk
>>627
タムさん
再誕の仏陀と同じ時代に生まれ合わせる、というのは、
一番大きく飛躍できるチャンス、という点について
これは、たとえて言えば、私があるタレントのファンだったとして、
そのタレントは滅多に姿を現さないし、突然現れるとします。
いつもは一方通行のファンレターしか送れません。
まれに、お返事がくることもあるかもしれません。
しかし、たまたま、今、自分のいるところが、あるコンサートホールの
前で、そのタレントが来ていたとします。
しかも、握手会があったとします。さあ、どうするか。
迷わず、コンサートホールに入りますよね。
しかし、別なファンは、そのタレントは別にいつでもいらっしゃるから、
別にコンサートホールに行く必要はない、と言います。
私は、え〜何で?もったいない、これもまた何かのご縁ですよ、と言います。
でも、そのタレントはいつも私たちに、勇気を与えてくださっている、
だから、その、何かのご縁などという非科学的な言い方はやめなさい、
と言います。
私の感想は、こんな感じかな。
630
:
よしもん
◆JIBI0e8P7s
:2010/11/30(火) 13:14:18 ID:ZPdJL1xk
>>628
タムさん
仏陀とて、肉体に宿れば、半神半人です。人間としての限界は
当然あります。仏陀というのは超人ではないのです。
仏陀の、仏陀と言われるゆえんは、心の潜在意識の宝庫を
開いて、霊的世界観の真実を悟るところにあります。
しかし、だからと言って、仏陀が完全な人生を生きられるか、
といえば、それはないと思います。釈迦も、病気になったり、
最後は毒キノコを出されたのを食べて寿命を縮めた、といいます。
ですので、私は、地上の仏陀に完全は求めません。
地上の仏陀の教えを信じ、学び、自分の人生を向上させることを
主眼とします。
631
:
タム
◆M/L2k2Eq72
:2010/11/30(火) 20:10:15 ID:eATZr/6I
>>629
わたしが提示している疑問は、そのたとえ話にのっかっていうならば、こうですよ。
・神が愛ならば、各人の心のうちにタレント(仏陀)を内在させ、本人が求めるときに
合えるようにしているだろう。地上に降りたタレント(仏陀)と同時代人だけがタレント
(仏陀)と会えるというような不公平はしないだろう。
・人は自分の認識力の範囲でしか物事を理解できないならば、心のうちのタレント
(仏陀)と出会えない人は、地上のタレント(仏陀)と向き合っても、その顔も声も、見
えず聞こえないだろう。それは本当には向き合っていないことなので、なんらの縁が
生ずる可能性は低いだろう。……云々。
>>630
うん。信仰を長く続けたいならば、その方がいいと思います。
大川総裁に完全さを求めるとか、あまり高望みしすぎない方が、信仰は続けられるはずです。
632
:
よしもん
◆JIBI0e8P7s
:2010/12/01(水) 14:09:27 ID:ZPdJL1xk
>>631
タムさん
仏陀が地上に生まれるときに、生まれ合わせることができる、
というのは、やはり、過去何十回もの転生において、どれだけ
仏に向かって努力精進してきたか、で選ばれると思うのです。
内在する仏への信仰もよいですが、地上の仏陀にめぐり合える、
というのは、ありがたいことだと私は思います。
633
:
タム
◆M/L2k2Eq72
:2010/12/01(水) 19:18:46 ID:eATZr/6I
>>632
うん。信者さんが、そこのところで、すごく幸福感を感じるのは、よく理解できます。
わたしも、一応は、元信者ですから。
でも、傍から見た場合、そこのところは、HS教義のうちでも、結構、深いキズに
なっているとは思う。
元信者から一言、いわせてもらうと、心のうちから、「自分は選ばれし者だ、使命が
あるのだ」という願望を一掃して、自分の平凡性をとことん自覚し、「自分は平凡だし、
とりたてて、他人と違うところはない」という風に、無理なく、自然に思えるようになった
ときには、それ以前よりも、より事実を事実として、物事をありのままに認識できる
ようになると思う。
634
:
よしもん
◆JIBI0e8P7s
:2010/12/02(木) 14:16:49 ID:ZPdJL1xk
>>633
タムさん
まあ、よい意味での選民思想というのはあると思いますね。
無告の民を救わねばならない、というような意識。
でも、それが、傲慢へと変じる可能性もなくはないです。
ゆえに、常に仏に対する信仰による感謝と謙虚さを維持しなければ
なりません。
逆に、冷静になりすぎて、信仰心が薄れて消えていってしまうことも
また、問題だと思います。
難しいところです。
635
:
タム
◆M/L2k2Eq72
:2010/12/02(木) 20:37:51 ID:eATZr/6I
>>634
>無告の民を救わねばならない、というような意識。
◎それは、メサイア・コンプレックスというやつかもしれない。気をつけた方がいいよ。
>逆に、冷静になりすぎて、信仰心が薄れて消えていってしまうことも
>また、問題だと思います。
◎自らの平凡性の自覚と、ありのままの事実を認識し、受け入れるというのは、
神への信頼と感謝に支えられてこそ、達成、可能なものなんだけどね。
まあ、わたしはそれが不足しているから、なかなか上記のことを達成できないのだけど。
636
:
よしもん
◆JIBI0e8P7s
:2010/12/02(木) 21:24:48 ID:ZPdJL1xk
>>635
タムさん
タイムリーなことに、今日、妻が、「選ばれし人となるためには」
幸福の科学出版(会員限定)を頂いてきました。
「鍛えられ、磨かれ、鋼鉄のような信仰心を持つこと、
それが「選ばれし人となる」ということである。」
まえがきより
637
:
タム
◆M/L2k2Eq72
:2010/12/02(木) 21:35:57 ID:eATZr/6I
>>636
>「鍛えられ、磨かれ、鋼鉄のような信仰心を持つこと、
>それが「選ばれし人となる」ということである。」
◎そういえば、HSでは、信仰心は自分で維持するものでしたね。
実は、わたしは、信仰心は、自分の力で持ったり、捨てたりはできない、
神様が、プレゼントしてくださったり、取り上げたりするものだという考え
方を支持してます
638
:
よしもん
◆JIBI0e8P7s
:2010/12/02(木) 23:05:22 ID:ZPdJL1xk
>>637
タムさん
>実は、わたしは、信仰心は、自分の力で持ったり、捨てたりはできない、
神様が、プレゼントしてくださったり、取り上げたりするものだという考え
方を支持してます
予定説みたいなものですか?
今世、幸福の科学にめぐり合ったのは、全知全能の神の予定であり、
そこからアンチになるのも、これも全知全能なる神の計画であった、
そんな感じでしょうか。
639
:
タム
◆M/L2k2Eq72
:2010/12/03(金) 18:41:47 ID:eATZr/6I
>>638
◎たとえば、よしもんさんは、意思の力によって、HSを棄教することはできないでしょう。
ていうか、HSを棄教しようという意思さえも持てないのじゃないでしょうか。
私の場合も、同じようなもんです。HSを信じたくても信じられず、信じようという意思も
持てない。
つまり人の心は、自力ではいかんともしがたいものがある。それを神様によると表現する
わけですよ。
>予定説みたいなものですか?
◎もしも神が全知全能だとすれば、全知だから、未来になにが起きるか知ってる
ことになるかと思います。ということは、未来は決まってるということでしょう。
また、神の摂理が世界を統べているのであれば、世界は神の摂理によって運営
されているということで、すべては決定されてることになるでしょう。二二が四みたいに。
でも、全知全能の神が存在する、神の摂理が世界を統べているなどという前提が
うそっぱちであれば、未来は未定ということになるんだろうと思います。
>今世、幸福の科学にめぐり合ったのは、全知全能の神の予定であり、
>そこからアンチになるのも、これも全知全能なる神の計画であった、
>そんな感じでしょうか。
◎それって目的論みたいな感じですかね。私は、目的論は嫌いです。
神の意思を勝手に自己都合解釈して、自己正当化してるように思えるので。
640
:
よしもん
◆JIBI0e8P7s
:2010/12/03(金) 21:07:05 ID:ZPdJL1xk
>>639
私の場合、いつの間にか、この世に生まれていて、人間はいつか
死ぬ、ということに気づいて、自分という存在は一体なんだろう、
なぜ、自分は生きているのだろうか、死んだらどうなるのか、
疑問に思っていました。
それに、明確に答えてくださったのが、幸福の科学の教えであった
のです。なので、せっかく発見した宝物をわざわざ、捨てるような
ことは思いもよらないですし、それが、自分の意思で何もできない、
ということにはならない、と思います。
タムさんは何のために生まれてきたのですか。
私は、幸福の科学にめぐり合い、その仏法真理を学ぶために、
生まれてきたのです。
641
:
タム
◆M/L2k2Eq72
:2010/12/04(土) 09:32:01 ID:eATZr/6I
>>640
よしもんさんは、今のところ、エルカンターレ信仰については、
意思と心とが合致してるから、そう思うのは当然です。
以前の自分もそうでした。
でも、そのうちに、「エルカンターレ信仰を保持したい、そうしな
ければならぬ」という意思によっては、「エルカンターレ信仰は
おかしい、まちがっている」という心を払拭することはできない
ことに気づきました。
考えてみれば、心には、意思だけでなく、感性、感情、理性、
良心、その他いろいろな側面があるんですよね。だから心の
一面にすぎない意思でもって、心の全体を動かそうというのは、
どだい無理なことなんでしょう。
たとえば、感性が「汚い」と感じているのに、意志力でもって「美
しい」と思うのは難しい。喜怒哀楽の感情を意志力でもって抑圧
し続けるのは難しい。論理的な思考を放棄して、意志力でトンデ
モ理論を正論と思い込むのも難しい。良心が「間違っている」とい
うのに、意志力で「いや、正しい」と信じ込むのも難しい。
もっと具体的にいえば、好きになってはいけない人を好きになって
しまう、好きでいなければならない人を嫌いになってしまう、仕事に
打ち込まなければならないのに、やる気がでない……心が意思の
いうことを聞いてくれないことは少なくないでしょ。
「自分の意思で何もできない」とまでは思いませんが、心というもの
は、意思だけではいかんともしがたい部分もあるんだよね。
あと、私の場合は、善く生きたいという気持ちはあるけど、「何のた
めに生まれてきたか」という問題意識は特にないですよ。
それはそうと、HS教義の話題から、だいぶ、それてきたようです!
642
:
よしもん
◆JIBI0e8P7s
:2010/12/04(土) 18:32:31 ID:ZPdJL1xk
>>641
タムさん
>考えてみれば、心には、意思だけでなく、感性、感情、理性、
>良心、その他いろいろな側面があるんですよね。
私は、感性、感情、理性、良心、その他すべてを含めて、幸福の科学
は素晴らしい、と思っています。だから払拭できない自分などという
ことがありません。
>あと、私の場合は、善く生きたいという気持ちはあるけど、「何のた
>めに生まれてきたか」という問題意識は特にないですよ。
そうでしたか。では、タムさんは、今のところ、自分の死に場所も
見つけられないですね。タムさんは何のために死ねますか?
私は、最後は命よりも幸福の科学の信仰をとります。
>それはそうと、HS教義の話題から、だいぶ、それてきたようです!
そんなことはありません。幸福の科学の基本教義は、
「正しき心の探究」です。幸福の科学というのは、本当の自分、
というものを探究するためにあるのです。
643
:
タム
◆M/L2k2Eq72
:2010/12/04(土) 18:57:22 ID:eATZr/6I
>>642
>私は、感性、感情、理性、良心、その他すべてを含めて、幸福の科学
>は素晴らしい、と思っています。だから払拭できない自分などという
>ことがありません。
◎うん。よしもんさんが、心全体で、HSを賛美してるのだろうということは
わかってます。
わたしがいってるのは、意思の力で、心全体を自由に動かすのは無理だ
ろうってことです。だから、HS信仰の持てない人が、意思力で、信仰を持
つのは無理だろうし、HS信仰のある人が意思力で棄教することもできない
だろうってこと。
よしもんさんについていえば、心全体でHS賛美しているときに、意思力
でそれとは逆に心全体でHS否定はできないし、だいち、そんな意思を持つ
ことすら無理だろうってこと。
結論としては、信仰というのは、「信仰を持ちたい」、または「信仰を捨てたい」
という意思力でもっては、なかなか自由にはならないだろうってこと。
644
:
よしもん
◆JIBI0e8P7s
:2010/12/05(日) 17:41:17 ID:ZPdJL1xk
>>643
タムさん
ということは、やはりタムさんは予定説?というと堂々巡りに
なってしまいますね。
タムさんは、理屈で考えすぎだと思うのです。大川先生の、
「料理のたとえ」が当てはまっていると思います。
(前にも申し上げたかと思いますが)
大切なことは、一体何が正しいことなのか、自分は何が正しいと
信じて生きていくか、ということなのです。
この問いの答えが見つからないうちは、弱い人生を生きていると
言わざるを得ません。
信仰というのは、良くも悪くも、人を強くするものです。
正しい信仰は、真に、人を強くします。何事にも動じない不動心とは
実は正しい信仰心、すなわち、「何が正しいことなのか」ということ
をつかんだ境地なのです。
645
:
タム
◆M/L2k2Eq72
:2010/12/05(日) 18:59:05 ID:eATZr/6I
>>644
なるほど。
ところで、話を戻しますけど、よしもんさんは、自分の意思で、
信仰心を持ったり、棄てたりすることは、できますでしょうか。
それができるのであれば、自分の意思によって、自分の信仰を
コントロールするなんてできないだろうという私の見方は間違い
だと明らかになるのですが。
646
:
よしもん
◆JIBI0e8P7s
:2010/12/05(日) 20:45:26 ID:ZPdJL1xk
>>645
タムさん
私は、自分の意思で、幸福の科学の信仰を持ちました。
そして、それまでに持っていた間違った考え方は、幸福の科学の
仏法真理に照らして、反省し、棄てました。
647
:
タム
◆M/L2k2Eq72
:2010/12/05(日) 21:32:05 ID:eATZr/6I
>>646
その逆はできそうですか。
自分の意思で、幸福の科学の信仰を棄てること。
そして、幸福の科学の仏法真理は間違っていたと反省すること。
これ、できそうですか。
648
:
よしもん
◆JIBI0e8P7s
:2010/12/06(月) 12:30:15 ID:ZPdJL1xk
>>647
>>646
>その逆はできそうですか。
>自分の意思で、幸福の科学の信仰を棄てること。
>そして、幸福の科学の仏法真理は間違っていたと反省すること。
必要とあらば、出来ますよ。でも、今のところ、幸福の科学に
間違いが見つからないだけです。
また、幸福の科学を超える宗教が見つからないだけです。
私自身、盲信を戒めるためにも、あえて、掲示板で猛烈な批判に
さらされているのです。もし、自分の信仰がぐらつくようなら、
自分の信仰もニセモノであろう、と。
でも、アイマイミー氏も、ファルコン氏も、いざ、自分を批判されて
みたら、あの程度であることが分かりました。
つまり、幸福の科学の法の根幹に触れられるレベルではないことが
分かりました。
649
:
タム
◆M/L2k2Eq72
:2010/12/06(月) 19:25:08 ID:eATZr/6I
>>648
よしもんさんは、幸福の科学に間違いが見つからない、それを超える宗教が
見つからないという理由で、棄教の必要を感じないというわけでしょうか。
だとすると、よしもんさんの信仰は、よしもんさんの意思というよりも、幸福の
科学が間違うか、または、それを超える宗教が現れるかということによって、
決定されていることになりそうです。
幸福の科学が、どう変化するかによって、よしもんさんの信仰も変化してゆく。
つまり、自分の心の外にあるもの、環境などによって、自分の意思と信仰は、
支配されているということ。「支配されている」というのが大げさならば、大きく
影響を受けるという程度にしてもいいですが。
よしもんさんの書いたことからすると、「人は自由意志を持ち、その意思によっ
て、信仰をコントロールできる」という説を主張するのは、難しそうです。
650
:
よしもん
◆JIBI0e8P7s
:2010/12/06(月) 21:06:33 ID:ZPdJL1xk
>>649
タムさん
確かに、おっしゃるとおりですね。
でも、もう固まったかな。幸福の科学も。
雨降って地固まる、って感じですね。
横浜アリーナでの、ご法話の中で、大川先生はこんなことを
おっしゃっていました。
「私は、過去、1400回近い説法を行ってきましたが、
その説法すべてが書籍になっている。これが出来るのは、
仏陀だけなんです。」と。
私は、確かにその通りだ、と思いました。
651
:
よしもん
◆JIBI0e8P7s
:2011/02/01(火) 10:40:36 ID:PJ8BQE3Y
タムさん
事の発端は、舞さんの「幸福の科学ノルマ発言」です。
私はそれを否定しましたが、舞さんは、ノルマ発言を撤回しません。
また、その発言には矛盾点が見えてきました。
「主への確約を破り、自分で自分の心を責めて裁く」発言です。
しかし、これは、「主が見守って下さっていることを信じる」という
信仰心と矛盾が生じます。
この指摘に対して、舞さんより回答を頂いておらず、
「ノルマがある。あるものはある。」と発言し、
私を不誠実な人間と罵る始末。
(これはまだ、私は過去スレを読む前の話です)
そこで、この矛盾のルーツを探るために、過去スレから探って
いくことにしたのです。また、その過程を統合スレの皆様に、
報告していく必要がある、ということ、また、舞さんに気付いて
頂くためにも、それを読んで頂くことが重要である、と考えました。
これが、いきさつです。
タムさんに理解して頂けるかどうかは分かりませんが、
信者にとって、過去の法友が、退転して脱会促進活動を行う、
ということが、どれほどの悲しみを伴うのか、それを考えて
頂きたいと思います。
652
:
タム
◆M/L2k2Eq72
:2011/02/01(火) 20:50:34 ID:eATZr/6I
>>651
こんばんは。
自分が相手にしてあげたいこと、
相手が自分に望んでいること、
どっちを優先するか、難しい問題ですね。
653
:
よしもん
◆JIBI0e8P7s
:2011/02/02(水) 15:43:43 ID:PJ8BQE3Y
私も、遅まきながら、支部活動をがんばっております。
善悪の基準ですが、それを説くのが宗教の使命です。
幸福の科学が正しい宗教であるか、間違った宗教であるか、
それが問題なのですが、大川先生は、立宗25年という節目に
「救世の法」を世に問い、『結論は出た』と宣言されています。
大川先生こそ、リアルな世界にて、宗教法人を立ち上げ、
日本、そして、世界に精舎を建設され、そして、信者を養成
してこられたお方です。幸福の科学の善悪の基準から照らせば、
舞さんの発言、思い、行動は、間違っています。
それは、崖っぷちを目隠し状態で歩いているのと一緒です。
私は憎しみの心は持っていません。
舞さんには、泥中に咲く花のように、清らかで美しい女性に
「戻って」頂きたい、ただそれだけです。
654
:
タム
◆M/L2k2Eq72
:2011/02/03(木) 19:59:43 ID:wmctPC1o
雑談スレpart4の876にレスしときました!
他の人はみんな、そっちに書いてるので。
655
:
ありす
:2011/02/07(月) 15:09:20 ID:yfpESLNI
ネットで、討論するのなら 攻撃しないこと。
必ず、水掛け論になるわ。
み〜んな ネット遊泳してね、魂が欲っしている言葉を
探しているのよ。
自分が見つけた 真理を 届けましょうね。
656
:
よしもん
◆JIBI0e8P7s
:2011/02/07(月) 22:37:40 ID:FbUD4GIU
ありすさん
その通りだと思います。
ですので、私は、攻撃はしません。
愛に敵なし。愛と光の言葉で、皆様に幸福の花束をお届けします。
657
:
ありす
:2011/02/08(火) 17:32:50 ID:yfpESLNI
よしもんさん
小さな親切大きなおせっかい と言われないように
相手が 欲しい幸福の花束を 届けてくださいませ。
あそこでは、造花を「ムチ」のように ばしばしと
叩いているように 感じましたわ(^^;)
658
:
よしもん
◆JIBI0e8P7s
:2011/02/08(火) 20:44:00 ID:PJ8BQE3Y
>>657
ありすさん
2ちゃんに、たっくさん、経典のお知らせを貼り付けておきました♪
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