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【ザ・法論】+☆+KK8+☆+【論戦2日目】

1片山第弐BBSイケイケ共同管理隊(*^o^)/\(^-^)/\(`д`)★:2006/01/22(日) 03:07:22 ID:oBsY1B7s
このスレッドはKK全般 (教義 行動様式 文化を含む)につき論ずることを主な目的としています。
本格的な法論の展開、まじめな議論や質問、立ち入った討論はこのスレでお願いします。

一問一答が基本系の「Q&Aそもさんスレッド」でやりとりが収まらなくなったときも、こちらに移動してください。
なお、まったく本格的でない議論などは【ザ・雑談】スレの方でお願いします。

★コピペ爆撃や一方的な対話を無視したカキコなどの荒らしはお断りです。管理人や支援者の仕事を増やさないようによろしくお願い致します。

※ 「ザ・掲示板」で100式氏の建てたスレット +☆+幸福の科学+☆+(http://religion.log.thebbs.jp/1100102545.html)〜 +☆+幸福の科学Ⅵ+☆+(http://religion.log.thebbs.jp/1116638711.html)からスレタイを継承した引っ越し板です。
本来は8番目のスレということで「+☆+KKⅧ+☆+」となるですが、「Ⅷ」は機種依存文字のため文字化けして判読できない!と指摘が寄せられたので「+☆+KK8+☆+」といたします。(;´▽`A``

前スレ 【ザ】+☆+KKⅦ+☆
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/6228/1119480892/
過去ログ倉庫行きの場合
http://jbbs.livedoor.jp/study/6228/storage/1119480892.html

雑談スレ 【ザ・雑談!】 (第2BBS内)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/6228/1123415562/
Q&Aそもさんスレ 【ザ・問答】 (第2BBS内)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/6228/1127563497/
片山掲示板案内スレ (第2BBS内)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/6228/1137758935/t
掲示板へ書き込む前に (黒田支援サイト)
http://homepage2.nifty.com/KurodaRyunosuke/Katayama/site-low.html
片山第弐掲示板案内 (黒田支援サイト)
http://homepage2.nifty.com/KurodaRyunosuke/Katayama/threadGuide.html

Yahoo! 幸福の科学 会員と語るトピ
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=1
2ちゃんねる ★★『幸福の科学』統合スレッドpart126★★
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1136707289/l50
2ちゃんねる ★★『幸福の科学』統合スレッドpart127★★
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1137845517/l50

542タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/01(月) 19:26:03 ID:wGwICP.I
>>541
丁寧なレスをありがとうございます。

よしもんさんのお考えが分かりかけてきた気がします。
でも、二点ほど質問してもいいでしょうか。

まず一つ目は、総裁発言については、その霊の持つ人生の総決算の部分(理念、
信念、願いなど)の部分でズレはないだろうという意味だという解釈が妥当である
という根拠は何かはありますか。

たとえば、その文章の前後の発言でそう言っているとか……。それとも、
よしもんさんの宗教的直感や教義理解がその根拠でしょうか。

と、いうのは、>>529にあるリンク先における話の流れを読むと、総裁の発言は、
人生の総決算の部分のズレに限定されたものではないように、わたしには読める
んですよね。

二つ目は、人生経験はそのエッセンスの部分だけが魂に残るにすぎないという説や、
前々から繰り返し書かれてる、天上界に還ると地上での出来事の多くは忘却してし
まうという説についてです。これらの説は、総裁はいつ頃から説かれてますでしょうか。

なんだか質問ばかりで済みません。よしもんさんの考えをよく知り、理解したいので、
迷惑かなと心配しつつも、思い切って質問を続けてます。

543よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/01(月) 20:52:47 ID:ZPdJL1xk
>>542

タムさん

私の解釈の部分が大きいですね。
大川先生としては、
・我がが霊言は真実
・霊は、生前の記憶プラス霊界における学習、経験を併せ持つ
・高級霊ではない、普通の霊は、生前、人間として生きていたこと
 すら忘れていることが多い。
ということを教えて下さっています。
また、もし私がこの世でそこそこの業績をあげて、やがて死んで、
何百年かして、地上の霊能者から呼ばれたら、どうなるかな、
と考えてみたとき、おそらく、地上生活時代を相当忘れている
だろうな、と思うのです。心に深く刻み込まれたものだけが
象徴的に残る、そんな感じがします。
なので、霊の語る内容には、霊が、大川総裁の記憶中枢の中から
探してきて語るとか、理念的に信じられていることを語る
(たとえば、イエス・キリスト誕生日のクリスマスのイメージ)
場合もある、そのように思っています。
でも、結局は、私は、大川先生の霊言が、心に響いた、ということ
ですね。これに尽きると思います。
物事を知識的にしか理解しないようなタイプの方ですと、おそらく、
理解不能だと思います。
前にも言いましたが、霊界におけるの人間指導のルールとして、
どうも、最後の一線、信じるか信じないか、というところは必ず
残しておく、そんな気がしています。
長文失礼しました。

544タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/01(月) 21:24:11 ID:wGwICP.I
>>543
>私の解釈の部分が大きいですね。

◎了解しました!


>・高級霊ではない、普通の霊は、生前、人間として生きていたこと
> すら忘れていることが多い。

◎う〜ん。よしもんさんが言ってたのは、普通の霊ではなくて、HSで
霊言集を出すような高級霊であっても、一つ前の前世であった事件、
出来事でさえ忘れてしまうという説だったような……。


>また、もし私がこの世でそこそこの業績をあげて、やがて死んで、
>何百年かして、地上の霊能者から呼ばれたら、どうなるかな、
>と考えてみたとき、おそらく、地上生活時代を相当忘れている
>だろうな、と思うのです。心に深く刻み込まれたものだけが
>象徴的に残る、そんな感じがします。
>なので、霊の語る内容には、霊が、大川総裁の記憶中枢の中から
>探してきて語るとか、理念的に信じられていることを語る
>(たとえば、イエス・キリスト誕生日のクリスマスのイメージ)
>場合もある、そのように思っています。

◎「そんな感じがします」「そのように思っています」ということからすると、
もしかしたら、高級霊であっても地上の生活時代の出来事を相当に忘れ
ているというのは、よしもんさんの推測だということでしょうか。
そうではなくて、もし、総裁がそういうことを明言していたなら、
演題・年月日などを教えてほしいのですけど。

545IAOO.KK ◆IAOOKk3rmo:2010/11/02(火) 00:56:38 ID:aG/NcYSw
>>531

訂正させて頂きます。

「私は大川隆法を仏陀と信じます。」
「何故ですか?」
「彼の説く教えが仏法真理だからです。」
「仏法真理とはなんですか?」
「仏法真理とは、仏の心、仏の教え、仏の生命の
流転する姿です。そしてまた、人類の過去、現在、未来をおりなす
一本の黄金の糸のことです」
「仏の心、仏の教え、仏の生命の
流転する姿であり人類の過去、現在、未来をおりなす
一本の黄金の糸とはなんですか?」
「仏の意志でありそれが仏の光と熱となって世界を創造し、維持している力です。
 仏の光と熱は叡智と愛となって三界の生命を希望と喜びで満たしてゆきます。
 私は彼を仏陀と信じますが、もし彼の力によって、幸福の科学によって
 この日の本の國、そして世界を救い導くことができなかったならば
 彼は仏陀でなかったことになります。
 人類が自らを救おうとすることは人類の意志であり、仏の心に叶うことです。
 このため世界を救う力とならないものは仏からでたものではなく、
 人からでたものです。

「わかりました、彼が仏陀かどうかは彼を信じるものたちが
 明らかにするでしょう。」

546タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/02(火) 18:53:01 ID:wGwICP.I
>>544

ところで、例の一文について、自分の解釈も書いておきます。

>「研究者が見ても、内容的にずれていないはずであります。
おそらく一致しているでしょう。一致しているのは本人が言っ
ているからであります。」

この文は、「信仰者が見れば〜一致しているでしょう」ではな
く、「(信仰者だけでなく)研究者が見ても〜一致しているで
しょう」となっているように思えます。
そして、大川総裁は「研究者」を「信仰のない唯物論者」と
みなしていることが多々あります。

これらの理由から、上の一文は、こんな意味ではないかと推測
します。↓
「信仰を持たない唯物論者である研究者が見ても、霊言の内容
と三次元的史実にズレはないはずであります。おそらく一致し
ているでしょう。一致しているのは本人が言っているからで
あります」

ちなみに、『大川隆法の霊言』という書籍には、大川総裁の霊
言集について、研究者らのコメントを掲載してあります。そこ
では三次元的な史実……事件、出来事のみならず、本人の個性
・傾向・思想など、さまざまな面から霊言の間違いが指摘され
ています。
そうして、この類の指摘が多数なされた霊言集は、絶版となり、
削除修正の上で、内部限定の経典として再発行されて今に至
っています。

最後におことわりしておくと、恥ずかしながら、わたしは上の
一文のある原典は手元にありませんので、この一文の前後の
言葉は参照できてません。よって上の解釈は、この一文だけを
読んでの解釈ということになります。

547よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/02(火) 19:02:22 ID:ZPdJL1xk
>>545

IAOO.KKさん

これでよいと思います。最後はやはり信仰心であると
思いますので。

548よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/02(火) 19:21:48 ID:ZPdJL1xk
>>544

タムさん

冷静に考えてみると、やはり、私の霊言の理解は、信仰の部分が
大きいですね。知識人から見れば、史実との相違が多いのでしょう。
私はインテリではないので、わかりませんが。
でも、私としては、学びとしての糧が多いし、心奮わせる「何か」
があります。うまく言葉で説明できませんが。
大川先生の見解はただ一つ、「この霊言は真実、我を信じよ」
ということです。霊が語っていることだ、ということですね。

549:2010/11/02(火) 19:26:49 ID:0Z0rRtMI
>>546
>「研究者が見ても、内容的にずれていないはずであります。おそらく一致しているでしょう。一致しているのは本人が言っているからであり
ます。」

意味合いとしてはそうゆう意味でも、いざふたをあけてみたら、何%か間違いがあったということじゃないの

95%正しければ上等と考えるか、5%間違ってるからおかしいと考えるかの違いだと思うけど

550よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/02(火) 19:28:04 ID:ZPdJL1xk
>>546

タムさん

>そうして、この類の指摘が多数なされた霊言集は、絶版となり、
>削除修正の上で、内部限定の経典として再発行されて今に至
>っています。

ということでしたが、削除修正は、悪霊現象的なドロドロした
部分と、方便の時代の内容の部分であり、基本的な内容自体は
変わっていないです。
ちなみに私は、過去の霊言集をほぼすべて持っています。
それを全部読んでいます。修正後の霊言は1〜7巻まで
読みました。基本的に変わりはありませんでしたので、
その先は読んでません。

551タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/02(火) 19:50:55 ID:wGwICP.I
よしもんさん、申し訳ないけれども、当方が今、もっとも知りたいのは、
死んだら生前の記憶をほとんど無くすとか、
高級霊は地上でのことを覚えていないとか、
そういったことは、よしもんさんの推論なのか、
それとも、大川総裁がどこかで話したのか、だとすれば、
その演題と年月日はどうかということだったりします。
うるさく催促するみたいですけど、よろしくお願いします。

552タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/02(火) 20:16:45 ID:wGwICP.I
>>550
削除の具体的な一例がありますよ。

http://lexposition.blogs-de-voyage.fr/%E6%95%99%E7%BE%A9/

---ここから引用-------------------

sa054:894: ◆JBLfMwCXhY:2003-05-12 01:32:00:★『幸福の科学』総合スレッドPART54

×内村の霊(?)「その後、まず、私の妻が亡くなった。
          私にとってはつらい事件(不敬事件)でありました。そして、
          あいついで、私の子供たちも亡くなっていきました」
          (内村鑑三霊示集 大川隆法著p65)

鈴木教授 「この文章だと、事件のわりとすぐ後に子供が死んだと解釈でき
      ますね。ところが、事件は明治24年。娘のルツが死んだのは、
      明治45年です。20年後の娘の死と事件は関係ないことです。」


---中略----------------------------


311 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2008/05/12(月) 04:14:04 ID:D/cDNtQh
(『幸福の科学』統合スレッドpart214)

「娘が次々に死んでいきました」という記述は見あたらないね。
「妻が亡くなった」とある。
記憶違いじゃね?
 
内村の霊(?)「私は「不敬事件」を起こしたのです。・・・
       ずいぶん攻撃を受けました。・・・
       私は新聞によって、自分が免職になっているのを知りました。
       その後、私の妻が亡くなった。」
(内村鑑三の霊言① 大川隆法著p.90〜92)

332 名前: ◆JBLfMwCXhY [] 投稿日:2008/05/12(月) 14:42:12 ID:Lqr28AN1

それは、修正後に会員限定で特別販売してるヤツですね。
また、指摘された箇所をコソーリ修正してたのか。
姑息な・・・・・

349 名前:アジサイ[] 投稿日:2008/05/12(月) 21:33:01 ID:/R8cRGma
>>311
それは本当ですか??どうして同じ書籍を読んで、アンチの人が貼り付けるとそうなってしまうのでしょうか??? 
書籍を持っていない人に、、嘘を刷り込むつもりですか???

395 名前:初代[] 投稿日:2008/05/13(火) 08:29:50 ID:Q7BQKvul
>>311
「霊言①」という表記、またページ数からですが、それは『霊言全集』からの引用でしょ。

改訂されているとしたら、それは誤りを認めたことになります。

何度も言及しておりますが、そもそも講義で総裁は…
「研究者が見ても、内容的にずれていないはずであります。おそらく一致しているでしょう。一致しているのは本人が言っているからであります。」
…と、おっしゃっていました。

 研究者の指摘を受けて自ら引っ込めたとするなら、致命的なわけです。

>>349 アジサイさんへ

上記のようなことですよ。 元々出版されたものには「あいついで…子供たち」という記述がありました。しかし、『霊言全集』でその箇所は削除されたということでしょう。
『霊示集』の引用は私が保証します。『霊言全集』の該当箇所については、自分の目で確かめてください。

---ここまで引用----------------------

553IAOO.KK ◆IAOOKk3rmo:2010/11/02(火) 22:06:54 ID:0j9V3XHY
>>548

>があります。うまく言葉で説明できませんが。
大川先生の見解はただ一つ、「この霊言は真実、我を信じよ」
ということです。霊が語っていることだ、ということですね。

訂正しますね。

「この霊言は霊が語っていることは真実。
 信じるものはついてきない。
 しかし、霊が語っている内容は間違いがある。」

でよすね。

554ジーク ◆CYNzCEPsCQ:2010/11/02(火) 23:15:06 ID:fFiGlmk.
>>550
>よしもんさん
突然、すみません。(悪霊現象的なドロドロした部分と、方便の時代の内容の部分であり、)
っていうのは、違います。会内ではそういう説明でしょうが、実は違う理由が有るのです。
しかし、矛盾する文章を削った上に、2万円で、会員限定で売るのだから、本当、あきれます。

555IAOO.KK ◆IAOOKk3rmo:2010/11/02(火) 23:48:34 ID:0j9V3XHY
霊言集は本当はそのまま乗せて解説のせとけばいいんだ。

556ジーク ◆CYNzCEPsCQ:2010/11/03(水) 00:36:56 ID:fFiGlmk.
>>555
普通だったら、そうするよね。何故しないか、本人も説明できないから・・・。
「妄想で、好き勝手書きました」とは、言えませんW

557よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/03(水) 03:05:56 ID:ZPdJL1xk
>>551

タムさん

私の推論です。数多くの霊言を読んでいて、そう感じました。

558よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/03(水) 03:11:53 ID:ZPdJL1xk
>>553

IAOO.KKさん

>しかし、霊が語っている内容は間違いがある。

訂正
しかし、霊が語っている内容は史実と若干のずれがある。

559よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/03(水) 03:23:09 ID:ZPdJL1xk
>>554

私は絶版の霊言、ほとんどすべて持っていますので、
問題ないです。会員でなくても、努力次第で手に入ります。
会員限定の再刊版も、それがいい、という方がいらっしゃると
思います。

560タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/03(水) 07:41:23 ID:dyZoJ4mA
>>557
>私の推論です。数多くの霊言を読んでいて、そう感じました。

◎なるほど。たしか霊言集では、生前のことにはもう関心がないとか、生前のことを語ってもあなた方には益がないとか言ってたかと思う。それを、生前のことを忘れてしまっていると受け取ったということでしょうか……。


ちなみに、わたしのHS教義理解は、こんな感じです。

・一般人の中には、自分が死んでも、その事実に気づかない人がいる。(この場合当然に生前の記憶を保持しているでしょう)

・低位霊界では、生前と似たような生活形態を続けられている。
(生前の記憶があるから、生前と似たような生活をするのでしょう)

・高次元に行くほど観自在となる。
(自己の思いと行いが記録された想念帯を読むことができる。自由自在に過去の記憶を呼び起こせる)

・地獄では自分の本性が露呈される。
(盗癖、虚言癖、凶暴性……自分の中の突出した傾向性が表出される。地獄の苦しみの中では過去を思い出し反省することは難しい)

・地獄では自分が何者であったかも忘れてしまう。
(地獄にいる間に、蛇や狐に変化して、自分が人間だったことさえ忘れてしまう)


以上の材料から、わたしは次のように考えます。

・HS教義からすれば、生前のことを忘れてしまうのは地獄霊ということになるだろう。高級霊は高次元に行くほど、必要に応じて過去を思い出せる。

・だから、生前のことを思い出せないとしたら、それは地獄霊である可能性が高い。

・生前のことを思い出せたとしても記憶違いが少なくないなら、それは観自在力がなく想念帯を読めないレベルの霊であると推測される。

・もしも高級霊が、生前のことを間違って言ったなら、それは意図的なものであるから、そこには何らかのメッセージがあると思われる。よって、その間違い部分を安易に削除修正してはならない。
もしも削除修正がなされたならば、それは単なる間違いに過ぎなかったことになり、高度なメッセージが込められた高級霊の言葉ではなかった可能性が高まる。


自分的には、HS教義の流れで考えると、こんな風な結論になりそうに思います。

561IAOO.KK ◆IAOOKk3rmo:2010/11/03(水) 07:57:06 ID:0j9V3XHY
>>558

総裁が間違いがあるといっているじゃない。

562タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/03(水) 19:17:54 ID:dyZoJ4mA
>>552
つけたし。

霊言集ではない基本書などの削除修正。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/10817/1273230373/22-25


このように一般販売されている書籍の中の削除修正は調査確認できるものの、
『大川隆法の霊言』で指摘されていた親鸞の個性の違いなどは、霊言集の絶版、
再発行後にどのように変化したか、それとも変化なしか、確認できないのが、
外部の者の辛いところ・・・。

563よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/03(水) 19:42:26 ID:ZPdJL1xk
>>560

基本教義は、大川先生が編まれておりますので、そちらを
学習すればよいと思います。
ただ、霊言のニーズというのはあります。それはあの世の存在証明
である、と大川先生はおっしゃっています。
記念すべき最初の霊言書、「日蓮の霊言」は、もう、出版時点で、
相当に削除されています。それは、大川先生、善川顧問に対する
個人的な指導、会発足に関する指導、そういった膨大な霊言が
背後にあります。ですので、完全に純粋な霊言というのは、
今年になって行われた公開霊言しかないのです。

564よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/03(水) 19:50:19 ID:ZPdJL1xk
>>561

IAOO.KKさん

「間違い」というと誤解があると思い、訂正させて頂きました。
霊だって完璧ではないから、間違うこともあるでしょうね。
でも、それを前面に出してしまっては、やはり信憑性に問題が
出てくる。アンチの方々はそれを狙っているのかもしれませんが、
信者サイドからすると、それは、表に出すことではありません。
これは、会社にたとえるとよくわかります。
自分が営業で、お得意先で、
「社長が〜と申しておりました。しかし、間違いもあります」
とは言いませんよね。
「社長が〜と申しておちました。しかし、状況によって、ずれが
生じる可能性があります」
と言いますよね。

565よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/03(水) 19:59:02 ID:ZPdJL1xk
>>562

タムさん

リンクの資料、読ませて頂きました。すごいですね。
この研究熱心さ、すごいです。
ここまで探究される方であれば、削除訂正版の霊言では
さぞかし物足りないであろうと思います。
ただ、霊言というのは、そういう緻密な研究の対象には
合わないと思います。やはり、霊の言葉というのは、心で読むべき
ものだと思うのです。これは私の感想です。
霊言というのは、ちょっと、そういう方面での緻密な分析には、
なじまない、と思います。
経典にこんなお話しがありましたね。ここに料理があったとします。
料理は、おいしく頂けばよいのです。しかし、この料理の魚は
なんという名前なのか、何歳くらいなのか、毒は入っていないのか、
骨は何本あるのか、とバラバラにしていったら、せっかくの料理が
だいなしになる。そんなたとえ話があったと思います。
でも、私はタムさんのご努力には敬意を表したいと思います。

566タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/03(水) 20:09:56 ID:dyZoJ4mA
>>563
あのですね。たとえば五年間かけて霊言を録り、念入りに編集して、
出版した霊言集でさえ、出版後何年も経たないうちに、再度、削除
修正を加えなければならなかったとすると、最近の一発録り霊言は、
もっと悲惨なことになるかもしれません。

>>564
HSはそういう風に、なぜか商売をたとえに出すことが多いんですよね。
宗教と商売は違うでしょうに・・・。

宗教の場合は、間違いがあっても別に構わないといえば、構わないん
ですよ。
逆に、それを隠そうとするのがおかしい。神の言葉、高級霊の言葉
ならば、なぜに、地上の都合で改変したり、隠す必要があるのか。
そのままでいいし、そのままでなければならないだろうに。

聖書などでも、間違いがあるとかいわれているけれども、そのまんま
発表されている、自由に議論されている。

一方、HSでは、間違いを隠そうとしたり、改変したりする。これでは、
何か後ろ暗いところがあるのか、それともHSの言葉は、数年の
賞味期限しかないのではないか、などと思われしまうかもしれません。

567タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/03(水) 20:19:31 ID:dyZoJ4mA
>>565
>霊の言葉というのは、心で読むべき
>ものだと思うのです。これは私の感想です。

そういえば、レムリアルネサンスの信奉者のtamaさんという人も、
同じようなことを言ってました。


>料理は、おいしく頂けばよいのです。

自分が味わう分にはそれでいいでしょう。ただ人様にお勧めしよう
とする場合は、よくよく吟味する必要は出てくるでしょう。

568よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/03(水) 23:48:46 ID:ZPdJL1xk
>>566

タムさん

うーん、そこまで言われてしまうと、私も困ってしまうのですが。
これは、会の上層部で、こうしようと決められたのでしょうから。
私は別に構わないと思っているのですが。
霊言はあくまで霊言であって、基本の柱は、大川先生の教えである
ので、それでよいのでは?ダメですか。ダメですよね。
ちょっと困りましたね。

569タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/04(木) 20:30:28 ID:dyZoJ4mA
……ですね。(笑)
霊言集も、大川総裁の基本書も同じ流れですし。


・霊言集発刊

・「研究者が見ても、内容的にずれていないはずであります。(〜略〜) 本人が言っているからであります。」

・研究者らから批判される。

・霊言集は絶版ののち、削除修正されて再発行。
(参考⇒>>552)


・基本書発刊

・これが釈迦の本心だ、本当の仏教だ。

・研究者らから批判を受ける。

・『釈迦の本心』など削除修正される。
(参考⇒>>562)


そういえば、この間の選挙はこんな流れでしたね。当初は自民の大きめの派閥くらいの当選者を出すと豪語していたものの、だんだんとしぼんでゆき、最後は当選者なしは織り込み済みだとか何とか言い出すという。

霊言集にしても、基本書にしても、選挙にしても、はじめに大風呂敷を広げて、その後で一般向きにはこそっとたたんで、信者向けには方便だったとか何とかいっておくパターンが多い気がする……。

いつもダメ出しばかりで申し訳ないですけども、正直にいえば、やっぱりそういうことになります。でも、あくまでこれは、こちらの感想であって、よしもんさんら信者さんは別の意見を持っていて当然なんですけどね。よしもんさんにはお忙しいところを相手してもらって感謝してます。

570タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/04(木) 20:39:17 ID:dyZoJ4mA
そういえば、会員になって、よいこともありました。

それは、「それは平静心ではありません、愛の不足です!」
という言葉を知ったこと……。これは今でも大事にしている
言葉ではあります。

571よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/04(木) 23:31:47 ID:ZPdJL1xk
>>569

タムさん

幸福の科学は常に進化している、ということではないでしょうか。
勝って奢らず、負けから教訓を得る。七転び八起きの精神ですね。
やはり、闘う前から、小さなことを言っていたら、もう、
お年寄りですよ。大言壮語を吐き、叩きのめされて、謙虚さを
学び、なお立ち上がってくる。これが、若者です。
幸福の科学は基本的に若者なんですよ。
宗教の耐用年数は2〜3000年です。そう考えると、幸福の科学は
今や青春のまっさかり、失敗もある、失敗して失敗して、
最後に大勝利を収める、これが幸福の科学であると思います。

572よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/04(木) 23:42:07 ID:ZPdJL1xk
>>570

タムさん

>「それは平静心ではありません、愛の不足です!」

これは、ワンルーム型の反省に対するお叱りのお言葉ですね。
反省行に精進し、もう反省することがない、と思っている人に、
「一歩、外に出てみよ」、ということだと思います。
反省からの発展、という教えだと思います。
こういっては、大変失礼なのですが、失礼と思ってあえて言う
のですが、タムさん、ちょっと考えすぎなんではないかな、
という気がします。
頭の良い方の悪い癖のようなものでしょうか。
私はちょうどいいくらいに頭が悪いのが幸いなのかもしれません。

573タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/05(金) 07:15:10 ID:dyZoJ4mA
>>571
なるほど。そういう見方もあるのかもしれませんね。
ただ、わたしの見立てでは、
「同じ間違いを繰り返してばかりいる。
無責任ゆえに反省できないのだろう」
ということになります。
辛口でごめんなさい。

>>572
こちらの方も意見が分かれたみたいですね。
「それは平静心ではありません、愛の不足です!」というのは、
一言で言えば、人間性の回復をうったえているのだろう
と思います。もうちょい詳しいことは、雑談スレの方に
書いておきました。

考えすぎというのは図星です。(笑)
もともとその傾向があることと、会員時代に考えなしに
猪突猛進してしまったことの反省もあります。

よしもんさんはこれから本気の伝道活動を開始するよう
だけれども、伝道するより先に、まずはもっと支部通いをして、
HSの実態がいかなるものか、よくよく見極めた方が無難ですよ。

信仰心や使命感がもえたぎっているのは理解できるけども、
HSが本当に人様にお勧めできるものなのか、その実態を
自分の目で時間をかけて確認してからでも、伝道は遅くは無いでしょう。

574よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/05(金) 13:18:22 ID:ZPdJL1xk
>>573

タムさん

>「同じ間違いを繰り返してばかりいる。
>無責任ゆえに反省できないのだろう」

まあ、私も一緒ですから。
怠け心はいけない、と反省しつつも、また怠け心が出てくる。
いかんいかん、と反省しても、また怠け心が出てくる。
これは、吉田松陰先生から見れば、上記のタムさんの言葉が出てくる
わけです。

>「それは平静心ではありません、愛の不足です!」というのは、
>一言で言えば、人間性の回復をうったえているのだろう

そういう解釈でしたか。私は、平静心から愛の心が出る、
波立った心から愛は出ない、と思っていますので、ワンルーム型
反省に対する教えだと思ったのです。

>まずはもっと支部通いをして、
>HSの実態がいかなるものか、よくよく見極めた方が無難ですよ。

活動しなければ、何も見えないと思います。いわば「お客さん」
ですから。活動を通して、幸福の科学の真の姿を見ていこうと
思います。

575タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/07(日) 08:04:43 ID:dyZoJ4mA
よしもんさん。

霊言の話は一段落したように思うので、前々から疑問に思っていたことを、
おたずねしてもよろしいでしょうか。

幸福の科学では、狂信・妄信をどのように説明しているのでしょうか?

よしもんさんの言うところによると、大川総裁の言葉をそのまま受け入れる
ことが信仰であるらしい。だとしたら、狂信・妄信とはどういう状態をいうの
でしょう……。ちょっと疑問に思いました。

576よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/07(日) 15:30:45 ID:ZPdJL1xk
>>575

タムさん

幸福の科学では、狂信・妄信を戒めていますね。
幸福の原理の教えの中に、「知」というものがあります。
これがまさに、狂信や妄信への戒めそのものだと思います。

>よしもんさんの言うところによると、大川総裁の言葉をそのまま
>受け入れることが信仰であるらしい。

これは、どういうことか、というと、「正しさ」とは何か、
ということを、きっちり押さえておかなければ、何が正しくて、
何が間違っているのか、判断のしようがない、ということです。

私は、善悪の判断を、幸福の科学の教えを基準に行っています。
これを狂信・妄信、と呼ぶか、ということですね。
私は、それは違う、と思います。

何が「正しいこと」なのかを探究する時間も必要ですが、
それを見つけたならば、それに賭けるしかないのです。
それが「信仰」です。

タムさんは、何が「正しい」ことだと思われますか。
それが、幸福の科学になければ、何を基準に善悪の判断をしますか。

577タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/08(月) 20:02:14 ID:dyZoJ4mA
>>576
>私は、善悪の判断を、幸福の科学の教えを基準に行っています。
>これを狂信・妄信、と呼ぶか、ということですね。
>私は、それは違う、と思います。

なるほど。HS的には、よしもんさんの信仰は妄信ではないという
ことのようですね。

自分の方の感想としては、HSには、節度ある信仰を保ち、妄信
を予防する教えは、無いとはいわないまでも、かなり少ないように
思えます。

まず、「知ること」と、「信じること」では、「信じること」の範囲の方が
広大で、奥が深いのでしょうから、知によって、信をコントロールする
のは困難でしょう。

また、反省の前提として、信仰心があるのでしょうから、信仰にブレーキ
をかけるような反省は難しいでしょう。

結局、HSの教えは、信仰に最大価値をおくために、信仰を制御する
ような教えに乏しく、その暴走を止められないのではないでしょうか。
妄信を戒める教えもあるんでしょうが、どちらかといえば、信を煽る
ような教えが多すぎるのではないかな。


>タムさんは、何が「正しい」ことだと思われますか。
>それが、幸福の科学になければ、何を基準に善悪の判断をしますか。

わたしは無宗教ですから、明確に何が基準だとはいえないですね。
何かの基準があることは確かですが、それを言葉で言い表すのは難しい。

578よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/09(火) 18:38:10 ID:ZPdJL1xk
>>577

タムさん

「知ること」と「信じること」「反省」の関係ですね。

幸福の科学は抜きに考えて、「正しい教え」があったとします。
その「正しい教え」には、それを説いた方がいるはずです。
その「正しい教え」を学ぶためには、それを説いた方が、
「正しい方」であることを「信じる」必要があります。
この「信じる」というところが、信仰です。
「正しい方」が「正しい教え」を説いている、と信じたとき、
はじめて、その「正しい教え」を「知る」「学ぶ」ことができます。
「正しい教え」を知り、学んではじめて、自分の思い、行いに
ついて、間違っていないか、「反省」することができます。
私はそのように理解しています。
私は、「正しい教え」を幸福の科学に見つけました。
本を何十冊か読み、「正しい教え」であることを確信し、
大川先生を信じました。そして、学び続けました。その確信は
入会後、現在に至るまで、掲示板でさんざんな批判をあびても、
確信は揺るがないです。なぜなら、アンチの方々の批判に、どうも
正当性がないように思えるからです。

579タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/10(水) 20:47:31 ID:dyZoJ4mA
>>578
ふむふむ。
幸福の科学抜きといいつつも、しっかり、HS方式に則ってるよー。
信者さんなら、そういう流れになって当然ですけどね。

ただ、わたしは信者ではないので、それとは、ほぼ正反対の考え方
をしてるようです……。

まず、「学び」のために、「説法者への信」が必要とは思ってはいませ
んね。どちらかといえば、「信」よりも、好奇心、興味、関心などの方が
必須なのではないかな。

たとえば、釈迦やイエスを、仏陀だ救世主だと信じていない無宗教の
人であっても、興味さえあれば仏典や聖書を学ぶことは可能でしょう。
むしろそういう人の方が、信仰心が旺盛すぎる人よりも、原理主義や
教条主義にはならずに、バランスのよい学びができそうでさえある。

反省については、「教えへの信」や「説法者への信」は、できうる限り
排除した方がいいでしょう。信じていることは反省できないからです。

「この教えは正しい」「教祖は正しい」などと強く信じていれば信じている
ほどに、それらについて反省することは困難でしょう。
熱烈信者の反省は、多くの場合、自分の信念を、改めて確信するため
の儀式になってるのが実情ではないでしょうか。

反省をするには、何らかの基準が必要でしょうけども、その基準を絶対視
しすぎても、これまた反省は難しくなるものだと思います。

580よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/10(水) 23:24:01 ID:ZPdJL1xk
>>579

しっかりHS方式になっていますか。
これを、仏陀とか、イエス・キリストに置き換えても
構わないと思っているのですが。
ただ、私のスタンスはこれですね。
教えを学ぶには、師が必要なのです。師を信じなければ、
師の持つすばらしいところをすべて吸収することはできなく
なります。どうしても、自分の都合のいいところだけを、
都合よく解釈してしまいそうな気がします。
また、信仰を立てる、というのは、逃げ場がなくなることを
意味します。それだけの覚悟が試されるということですね。
信仰は人を真に強くする、という側面があると思います。

581タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/11(木) 18:54:28 ID:dyZoJ4mA
>>580
>私のスタンスはこれですね。

◎自分の考え方は自由に決めてよいと思います。
ただその考え方を、他者にもお勧めしようとするならば、
それの短所長所などをそれなりに調べた上でないとまずい
でしょう。


>教えを学ぶには、師が必要なのです。師を信じなければ、
>師の持つすばらしいところをすべて吸収することはできなく
>なります。どうしても、自分の都合のいいところだけを、
>都合よく解釈してしまいそうな気がします。

◎人には自分が見たいものしか見ないという性質がある
そうです。この性質は、師を信じたからといって、無く
なるものではないでしょう。


>また、信仰を立てる、というのは、逃げ場がなくなることを
>意味します。それだけの覚悟が試されるということですね。
>信仰は人を真に強くする、という側面があると思います。

◎殉教者を見れば、確かに信仰にはそういう一面があるかも
しれません。まさか、よしもんさんは殉教を覚悟してるので
しょうか。

582よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/12(金) 12:28:46 ID:ZPdJL1xk
>>581

タムさん

>◎自分の考え方は自由に決めてよいと思います。
>ただその考え方を、他者にもお勧めしようとするならば、
>それの短所長所などをそれなりに調べた上でないとまずい
>でしょう。

そうですね。やはり、自分が、すばらしい、と思ったところ
を伝えていくしかないですね。それをどう判断されるか、
それは各人の自由です。
私たち幸福の科学の会員は、自分がすばらしい、と思ったところを
熱意を持って伝えていきます。

>◎人には自分が見たいものしか見ないという性質がある
>そうです。この性質は、師を信じたからといって、無く
>なるものではないでしょう。

信じなければ、自分の見たいものしか見ない、ということになる
と思います。信じればこそ、その教えの中から、自分にないところを
吸収し、進歩、向上していくものだと思います。

>◎殉教者を見れば、確かに信仰にはそういう一面があるかも
>しれません。まさか、よしもんさんは殉教を覚悟してるので
>しょうか。

当然です。最後に、肉体生命をとるか、信仰をとるか、という
選択に迫られたら、迷わず、信仰をとります。肉体の命など、
たかだか数十年です。しかし、魂は永遠です。
数十年の生き易さをとるか、永遠の魂の誇りを守るか、これは、
選択の余地はありません。

583タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/12(金) 19:03:48 ID:dyZoJ4mA
>>582
>そうですね。やはり、自分が、すばらしい、と思ったところ
>を伝えていくしかないですね。それをどう判断されるか、
>それは各人の自由です。

繰り返しますけど、わたしが言っているのは、宗教選択は本人の自由であるが、
自分が選んだ宗教を他人にお勧めしようとするなら、その宗教について念入りな
検証作業をしておく義務があるだろうということです。
自分が素晴らしいと思った宗教は、どんどん布教し、それを受け入れるかは
各人が判断すればいいというものではないよ。


>信じなければ、自分の見たいものしか見ない、ということになる
>と思います。信じればこそ、その教えの中から、自分にないところを
>吸収し、進歩、向上していくものだと思います。

わたしの意見は、信者であれ、そうでないのであれ、人は見たいものしか見ない
という性質があるだろうということ。信者になったからといって、見たくないものを
直視できるようになることはないということ。
むしろ、2ちゃんでの、よしもんさんら信者の姿を拝見していると、信者になると、
一般人以上に、見たいものしか見ない、信じたいものしか見ないという性質が
強固なものになるとも言えそうではあります。


>当然です。最後に、肉体生命をとるか、信仰をとるか、という
>選択に迫られたら、迷わず、信仰をとります。肉体の命など、
>たかだか数十年です。しかし、魂は永遠です。
>数十年の生き易さをとるか、永遠の魂の誇りを守るか、これは、
>選択の余地はありません。

よしもんさんにとっての信仰・殉教というのは、こういうものなんでしょうか。
地上での数十年の生き易さよりも、永遠の魂を選択するというのは、本当の信仰・
殉教とは、ちょっと違うような気がする。ごめんね。

584よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/12(金) 20:29:28 ID:ZPdJL1xk
>>583

タムさん

>自分が素晴らしいと思った宗教は、どんどん布教し、
>それを受け入れるかは
>各人が判断すればいいというものではないよ。

宗教は、どうしても、最後は信仰のところなので、客観的に
調べつくしてどうなるものでもありません。
やはり、本に触れて、支部に触れてみて、ご法話に触れてみて、
最後はやはり信じるか、信じないか、しかないでしょう。

>信者になったからといって、見たくないものを
>直視できるようになることはないということ。

見るに耐えない批判、というのはありますね。速攻スルーみたいな。
そういうことではなくて、信仰が立たないうちは、教えの中にも、
自分に都合のいいところだけを読み、都合の悪いことがでると、
離れていく、これではいけない、と思うのです。

タムさんの考えられる殉教、とはどういうものなのでしょうか。
イエス・キリストの弟子も、やはり最後は信仰をとって、
殉教されていったと思いますが。

585タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/14(日) 08:03:47 ID:dyZoJ4mA
>>584
>宗教は、どうしても、最後は信仰のところなので、客観的に
>調べつくしてどうなるものでもありません。
>やはり、本に触れて、支部に触れてみて、ご法話に触れてみて、
>最後はやはり信じるか、信じないか、しかないでしょう。

◎はい。自分が宗教選択するときは、客観的に調べつくすよりも、直に
その宗教に触れてみて決断するという感じでもいいでしょう。
ただ他人様に、宗教をお勧めするときには、なるだけ客観的に調査して、
「この宗教に悪いところ、危険なところは無い」という結論が出てからでな
ければ、お勧めをしてはいけないのではないか。これは伝道者の責務では
なかろうかってことです。

>見るに耐えない批判、というのはありますね。速攻スルーみたいな。
>そういうことではなくて、信仰が立たないうちは、教えの中にも、
>自分に都合のいいところだけを読み、都合の悪いことがでると、
>離れていく、これではいけない、と思うのです。

◎だからね、「見たいものを見る」というのは人の性みたいなものだから、
「これではいけない」と自戒したって、人はそういう風にできているのだから
どーしようもないと思うのですよね。
たとえば、読書信者から熱烈信者に移行したとき、「今までは自分に都合
のいいところだけ読んでた」と反省したとしても、「見たいものを見る」という
性には全く変化なしです。
読者信者のころと、熱烈信者になってからは、「見たいもの」の基準が変わ
っただけで、「見たいものを見る」という性質は変わっていない。
こういった意味合いで、信仰や反省というものは、人に自分は変わったと錯覚
させることはできるだろうけれども、根本から変える力があるかどうかは微妙です。


>タムさんの考えられる殉教、とはどういうものなのでしょうか。

◎殉教には、およそ二種ありそう。一つは地上の権威に平伏し、天国行きを
保障された殉教。もう一つは地上の権威を批判し、堕地獄認定される殉教。
宗教改革者は後者でしょうね。

586よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/15(月) 01:02:33 ID:ZPdJL1xk
>>585

タムさん

私はよくも悪くも、伝道してこなかった人間なのですが、入会して
12年、大伝道を決意しました。幸福の科学は間違いないと
思っています。

>、「今までは自分に都合
>のいいところだけ読んでた」と反省したとしても、「見たいものを見る」という
>性には全く変化なしです。

私も最初から、大川先生の教えのすべてを受け入れていたわけでは
ありません。「愛から祈りへ」という詩篇の経典があるのですが、
あれはどうも受け付けなかったですね。でも、すこしずつ、空白部分を
埋めるように努力していきました。なかなか自分を変えるというのは
難しいものです。でも、信仰が、それを突破するのです。

>◎殉教には、およそ二種ありそう。一つは地上の権威に平伏し、天国行きを
>保障された殉教。もう一つは地上の権威を批判し、堕地獄認定される殉教。
>宗教改革者は後者でしょうね

殉教というものは、自分の信念を貫くだけだと思います。死後の行き先
とか、地上の権威とか、あまり関係ないような気がするのですが。

587タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/15(月) 19:38:58 ID:eATZr/6I
>>586
>私はよくも悪くも、伝道してこなかった人間なのですが、入会して
>12年、大伝道を決意しました。幸福の科学は間違いないと
>思っています。

◎この話題、こんな感じで、なかなか前に進みませんな。(笑)

「幸福の科学は間違いないと思います。伝道します」
「幸福の科学を正しいと信じるのは自由だが、他者にお勧めするなら、本当に間違いがないか客観的に検証してからにすべきでは?」
「幸福の科学は間違いないと思います。伝道します」
「幸福の科学を正しいと信じるのは自由だが、〜」(以下略)

よしもんさんは、「伝道する前に、その宗教におかしなところがないかを客観的に検証をする責任がある」という意見について、どう考えているんでしょうか。
「自分は幸福の科学は正しいと信じている。伝道する前に、幸福の科学の正しさについて、改めて客観的に検証しなければならぬという必要性は感じない」という意見でしょうか。
わたしは意見交換はしても、他人の思いと行動に、ああしろこうしろと指図する気はないので、それならそれで構わないのですけど……。

>私も最初から、大川先生の教えのすべてを受け入れていたわけでは
>ありません。「愛から祈りへ」という詩篇の経典があるのですが、
>あれはどうも受け付けなかったですね。でも、すこしずつ、空白部分を
>埋めるように努力していきました。なかなか自分を変えるというのは
>難しいものです。でも、信仰が、それを突破するのです。

◎信仰に関する部分だけを見れば、今まで受け入れられなかったことを受け入れられるようになったという面はあるでしょう。
でもね、もっと大きな視点から見れば、HS信仰が強まるほどに、HS批判からは目をそむけることが多くなりがちなものです。よしもんさんにはそういう傾向はありませんか。
これをして、人は信仰によって、見たいものの趣味は変わっても、見たいものを見るという性質は変わらないし、むしろその性質はより強固なものになるといっているわけです。

>殉教というものは、自分の信念を貫くだけだと思います。死後の行き先
>とか、地上の権威とか、あまり関係ないような気がするのですが。

◎死後の行き先が出てきたのは、よしもんさんが>>582で、殉教と死後の生に触れたからですよ。
また地上の権威というのは、生き神様や教団のことです。地上の権威を批判というのは、生き神様や教団ではなく、天上の神に従うということです。
早い話が、HS信者と、HS退会アンチのことを言ってます。

588タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/15(月) 21:40:45 ID:eATZr/6I
180 名前:よしもん ◆JIBI0e8P7s [] 投稿日:2010/11/15(月) 19:41:51 ID:LtJcOsPb
>>168
続きます。

私は、入会当時から、ネットをやっていたので、幸福の科学で
検索しては、アンチの方々の意見を見ていた。
アンチの意見も、10年前からあまり進化しているようには
見えない。基本的に一緒だ。
ただ、会の運営には様々な問題はあると思っている。
その中で、傷つかれた方もおられることを知っている。
職員、リーダー会員の心ない言葉もあったと思う。しかし、それは
必ず反省のときがくる。幸福の科学の職員、会員が必ず天国に
還ると思ったら大間違いだ。私とて、天国に還れる保障はない。
でも、法の核心に迫る批判はいまだかつて聞いたことはない。
まあ、せいぜい、旧版と新版の矛盾、既成宗教との矛盾、
あとはゴシップ、このくらいだ。
だいたい、何かを比較して、矛盾をついてくるのがアンチの特徴だ。
それも、重箱の隅をつつくような矛盾だ。
新たな仏陀が誕生した今、それをスタンダードとすればそれでいい
のではないのだろうか。
--------------------------------------------------------------------

できれば、なにをもってして「法の核心」とするのか、ちょい詳しく説明してほしいですね。

589よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/16(火) 12:56:48 ID:ZPdJL1xk
>>587

>よしもんさんは、「伝道する前に、その宗教におかしなところがない>かを客観的に検証をする責任がある」という意見について、どう考え>ているんでしょうか。

それは大事だと思います。私は確信をして、会員になって伝道を
しようとしているのです。
批判には耳を傾けてますよ。でも、どの批判も正当性がないです。
小さな矛盾を突くか、ゴシップか、どちらかしかないように思えます。
私からすると、幸福の科学におかしい点は現在のところ、
見当たりません。

>HS信仰が強まるほどに、HS批判からは目をそむけることが多くなりが>ちなものです。よしもんさんにはそういう傾向はありませんか。

ないですね。でなければ、2ちゃんねるに出没しません。
目を背けたければ掲示板等の情報をシャットアウトすればいいだけ
ですから。それで、支部のイイシラセだけを見ていればいいのですから。

あと、死後の行き先ですが、これは、心の中そのものだと思って
います。心が汚れていれば、汚れた世界に行きますし、
心清ければ、清い世界に行きます。心が愛に満たされていれば、
愛に満ちた世界に還りますし、憎悪で満たされていれば、憎悪の
世界に赴きます。

590よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/16(火) 13:02:22 ID:ZPdJL1xk
>>588

タムさん

>できれば、なにをもってして「法の核心」とするのか、ちょい詳しく>説明してほしいですね。

幸福の科学の基本教義は、「正しき心の探究」です。
その具体的な教えが幸福の原理、愛、知、反省、発展の四正道です。
その教えは、愛、悟り、ユートピア建設へと展開されていきます。

これが、法の根幹です。この基本教義をさらに、詳しく、様々な
角度で説かれたのが、数ある経典、ご法話です。幸福実現党の
政治提言なども、この基本教義を政治に展開した内容になっている
はずです。

591タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/16(火) 19:57:41 ID:eATZr/6I
>>589
>批判には耳を傾けてますよ。でも、どの批判も正当性がないです。
>小さな矛盾を突くか、ゴシップか、どちらかしかないように思えます。

◎よしもんさん的には、批判に耳を傾けているということですね。
わたしの方から見ると、正直にいって、そうは見えてなかったりします。
たとえば、よしもんさんは、批判に対して、客観的な論理で返答するというよりも、
「信仰です」「言葉遣いが悪くて読む気になりません」ということが多いようです。
今回の「正当性がない」「小さな矛盾」というのも、なぜそうなのかの証明なしに、
よしもんさんの主観的な印象を語っているだけでしょう。
「ゴシップ」というのは、おそらくファルコン告発などについていっているのでしょうけど、
ファルコン告発がただのデマ、うそであると論証なしに、「ゴシップ」と決め付けても
それは批判にまじめに耳を傾け、答えたことにはならないかと……。


>私からすると、幸福の科学におかしい点は現在のところ、
>見当たりません。

◎はい。熱心な信者さんからみたら、幸福の科学におかしい点が見つからないのは
当然です。今、論点になっているのは、信者である自分からみてどうかではなく、
信仰から離れて客観的に検証したらどうかということかと思います。


>>HS信仰が強まるほどに、HS批判からは目をそむけることが多くなりが
>>ちなものです。よしもんさんにはそういう傾向はありませんか。

>ないですね。でなければ、2ちゃんねるに出没しません。
>目を背けたければ掲示板等の情報をシャットアウトすればいいだけ
>ですから。それで、支部のイイシラセだけを見ていればいいのですから。

◎「HS批判から目をそむける」というのは、2ちゃんのHS批判を読まないというだけ
でないです。HS批判を読んでも、「正当性がない」「ゴシップだ」「瑣末な問題にすぎな
い」などと客観的な検証もなしに決め付けて、まともにとりあわないことも、当然に含ん
でます。
よしもんさんは、これにくわえて、アンチに問い詰められると「信仰です」で終いにしたり、
ひたすら自分の信仰告白と、HSの宣伝を連投することが多すぎるように見えます。

592タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/16(火) 20:07:15 ID:eATZr/6I
>>590
なるほど。
よしもんさんの考える法の根幹とは、「正しき心の探求」であり、その次が「四正道」
なわけですね。

わたしはまた、昔だったらそれで正解かもしれないが、今は、HSでもっとも重要なのは、
エルカンターレ信仰だろうと思ってました。
エルカンターレ信仰があってこそ、「正しき心の探求」……いわば神の心の探求ができる
のだろうから。

よしもんさん的には、エルカンターレ信仰よりも、正しき心の探求が優先事項になるの
でしょうか。

593よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/17(水) 12:56:32 ID:ZPdJL1xk
>>591

タムさん

最終的には、大川先生を信じるか、ファルコン氏をはじめ、
元大川総裁側近のお話しを信じるか、どちらかしかないですよね。

でも、たとえば、アイマイミーさん、この人は、したらばで、
私を速攻で工作員認定されましたよね。ご自身のブログで、
強烈な批判を書かれていました。私も正直驚きました。
私が工作員でないことは私が一番よく知っています。

ファルコン氏、この方の文章を読んでいると、正直、ちょっと
気持ちが悪くなってくるのです。ちょっと見るに耐えない、
という感じです。家畜に鬼畜、下劣な言葉のオンパレードです。
「デパス大川」はないだろう、と思いましたよ。
デパスを飲んでらっしゃる方の人権侵害ですよ。なぜ、こんな人の
言うことに、耳を傾けなければならないのでしょうか。

タムさんのように、紳士的に批判される場合は、私も答えよう、
という気が起こりますが、批判の根拠に、アイマイミーさんの言とか、
ファルコン告発を持ってこられたら、もう、どうしようも
ありません。
私は大川先生を信じています、としか言いようがないじゃないですか。

私はそう思っています。

594よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/17(水) 13:05:52 ID:ZPdJL1xk
>>592

タムさん

「正しき心の探究」とエル・カンターレ信仰ですね。
これは、大事なことですので、2ちゃんねるでも語らないと
いけないですね。

「正しき心の探究」というのは、別に、どの宗教でもいいんです。
仏法真理を説いている宗教ならできることなんです。

しかし、エル・カンターレ信仰は違います。
エル・カンターレが、地球系霊団の最高指導霊であり、
至高神、神々の主であり、
エル・カンターレが地球における最高の権限を持っている、
という絶対の信仰が求められます。

エル・カンターレ信仰においては、イエス・キリストは、
エル・カンターレの指導を受ける立場であるし、釈迦も、
エル・カンターレの分身にしかすぎません。

ということで、これは優先順位としたら、当然、エル・カンターレ
信仰がまず先にあってしかるべきなのですが、方便としてまず、
真理を学び、エル・カンターレ信仰へと昇華していく、ということ
もあると思います。
すっと、エル・カンターレ信仰に入れれば、それがベストです。

595タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/17(水) 19:26:12 ID:eATZr/6I
>>593
>最終的には、大川先生を信じるか、ファルコン氏をはじめ、
>元大川総裁側近のお話しを信じるか、どちらかしかないですよね。

◎わたしはどちらも信じ切れないという立場かな。わたしは仏陀の悟りを
得ていないから大川総裁が仏陀の悟りを得ているかどうか判定のしよう
がない。
またファルコン告発の真偽を判定する材料をもたないから、その真偽は
わからない。
結論としては、信じることもなく、信じないこともなく、わからないというとこ
ろかな。

>ファルコン氏、この方の文章を読んでいると、正直、ちょっと
>気持ちが悪くなってくるのです。ちょっと見るに耐えない、
>という感じです。

◎信者さんであればそうかもしれませんな。そのあたりは責任感とか、
使命感、義務感とかで立ち向かうしかないのかも。

>批判の根拠に、アイマイミーさんの言とか、
>ファルコン告発を持ってこられたら、もう、どうしようも
>ありません。
>私は大川先生を信じています、としか言いようがないじゃないですか。

◎一般人への伝道でなく、アンチの批判に対してはそれでいいかもしれま
せんね。
ただ、過去には、ファルコン告発に対して、信者さんらは「嘘だ、大川総裁
を信じる」と反発していたものの、その後、ファルコン告発が正しかったと
いうことがちょくちょくあったということは情報として知っておいた方がいいです。
ファルコン告発の中には、事実と確定されたものがちょくちょくあるんです。

596タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/17(水) 19:36:41 ID:eATZr/6I
>>594
もうちょい踏み込んで、質問してもいいでしょうか。

今、エルカンターレは、天上界と地上に存在してますよね。
エルカンターレ信仰は、天上界に残っているエルカンターレに向かうのでしょうか、
それとも、地上に降りたエルカンターレ本体に対して向けるものでしょうか?
はたまた両方に対してでしょうか。

それから、エルカンターレの能力についてですが、今のHSでは次のうち、どちらが主流になってますか。
①天上界にあるエルカンターレは全知全能である。地上に降りた大川隆法総裁も全知全能である。
②天上界にあるエルカンターレは全知全能である。しかし大川隆法総裁は三次元的肉体的制約があり全知全能ではない。

以上、質問は二つです。

597よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/18(木) 20:15:29 ID:ZPdJL1xk
>>595

タムさん

ファルコン告発の中で書かれていることがすべてウソとは、
私も言いません。でも、事実を、ありのままの事実として、
客観的に書かれているかどうかは大いに疑問があります。
私は、事実であっても相当、悪意をまぜていると思います。
それに対して、幸福の科学を批判したい、という人と気持ちが
同調して、あたかもそれが本質であるかのような錯覚を
覚えさせるのだと思います。
私は思うのですが、なんで、大川先生がデパスを飲んでいる、
という話題に対し、「以後、デパス大川と呼びます」というような
余計なことを言うのでしょうか。ただ、デパスを飲んでいる、
という事実のみを公表するだけでいいじゃないですか。
やはり、そこに私は悪意を感じますね。

598よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/18(木) 20:26:17 ID:ZPdJL1xk
>>596

タムさん

>今、エルカンターレは、天上界と地上に存在してますよね。
>エルカンターレ信仰は、天上界に残っているエルカンターレに
>向かうのでしょうか、
>それとも、地上に降りたエルカンターレ本体に対して向けるもの
>でしょうか?
>はたまた両方に対してでしょうか。

エル・カンターレはエル・カンターレです。大川総裁と呼ばれている
肉体は、ただの人間です。
大川総裁の「心」「思い」「理想」こそ、エル・カンターレなので
あり、大川総裁の心の部分で、天上界のエル・カンターレと一体と
なっている、とお考え頂きたいと思います。
ただ、おっしゃるとおり、ややこしいです。本当は、エル・カンターレ
信仰というのは、大川総裁帰天後に立ち上がってくるものなのです。
幸福の科学は、総裁在世中に世界宗教を目指していますので、
早々とエル・カンターレ信仰を立ち上げているのです。

>それから、エルカンターレの能力についてですが、今のHSでは
>次のうち、どちらが主流になってますか。
>①天上界にあるエルカンターレは全知全能である。地上に降りた
>大川隆法総裁も全知全能である。
>②天上界にあるエルカンターレは全知全能である。しかし
>大川隆法総裁は三次元的肉体的制約があり全知全能ではない。

②ですね。どちらが主流というものではないです。
エル・カンターレの魂と言えど、肉体に宿ることによって、
相当パワーが落ちているはずです。それでも、私たちと比べれば、
スーパーパワーなのですが。
とはいえ、エル・カンターレは私たちの目では見えませんし、
その教えを聞くことができません。そのために、肉体に宿って、
教えを地上世界に降ろすのです。

599タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/20(土) 07:58:07 ID:eATZr/6I
>>597
◎前にも書いたと思うけれども、ファルコン告発は、信者による酷い誹謗中傷を
あびながら、書かれたものなんだよね。そのために、言葉使いが荒くなる傾向
はあるかもしれない。折を見て、過去ログを確認すればいいよ。


>>598
>大川総裁の心の部分で、天上界のエル・カンターレと一体と
>なっている、とお考え頂きたいと思います。

◎大川総裁の考えはエル・カンターレの考えだと受け止めました。


>②ですね。どちらが主流というものではないです。
>エル・カンターレの魂と言えど、肉体に宿ることによって、
>相当パワーが落ちているはずです。

◎やっぱり②ですか。②は矛盾してるんですよね。
全能というのは、いつでもどこでも全能のはずです。
エル・カンターレは天上界では全能だけども、肉体に宿ったらパワーが落ちて、全能
ではなくなるというのであれば、もともとエル・カンターレは、全能ではないということ
になるかと思います。

600タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/20(土) 08:42:07 ID:eATZr/6I
ここらで、無理やり、話を戻します。(笑)
どこまで戻すかというと、「法の核心に迫る批判はいまだかつて聞いたことはない。(>>588)」までです。

ここまでのやりとりでわかったのは、法の核心というのは、結局のところ、信仰のことだということ。

法の核心というのは、「主エル・カンターレは正しい、主エル・カンターレの説く法は正しい」という信仰だろうし、一心にエル・カンターレを信じる心を揺さぶることは、どんな批判によっても不可能。

論理である批判が、論理ではない信仰に影響を及ぼすことは甚だ困難であるし、また、事実を提示した批判が、事実ではないことを信じる信仰に打撃を与えることも少ない。

「法の核心に迫る批判はいまだかつて聞いたことはない。(>>588)」という言葉は、現実に法の核心に迫る批判がないというよりも、信仰は論理や事実による干渉は受け付けないということを如実に示した言葉であると思う。


ついでに、正しき心の探求と四正道について……。これらの根底にあるのは、正邪善悪を分かつということなんですよね。
・悪しき心ではなく、正しき心を目指す、
・奪う愛ではなく、与える愛を選ぶ、
・唯物論的知識ではなく、霊的人生観に基づく知を獲得する、
・他者のせいにするのではなく、自己責任として反省する、
・この世的成功だけでなく、この世とあの世を貫く成功、発展をとげる……
簡単にいえば、悪から離れ、善を取ることをすすめてる。

ところが、釈尊は二千年以上も前に、悪を捨て、善をとることを批判してる。
「五二〇 安らぎに帰して、善悪を捨て去り、塵を離れ、この世とかの世とを知り、生と死とを超越した人、――このような人がまさにその故に〈道の人〉と呼ばれる。」(『ブッダのことば-スッタニパータ-』岩波文庫)
「七一五 (輪廻の)流れを断ち切った修行僧には執着が存在しない。なすべき(善)となすべからざる(悪)とを捨て去っていて、かれには煩悶が存在しない。」(同上)

また、同書の註にはこうある。
「善をも悪をもなさず、善悪を超越するのが聖者(ムニ)の理想であった。善だけをなすというのではないのである。」

大川総裁は、正邪善悪を分かち、正、善を選ぶことを強調する。
釈尊は、正邪善悪を分かつことでなく、どちらをも超越することを説いている。
おそらく、思想的な深さ、高さは、釈尊の方が圧倒的なものがあるし、この思想は、正邪善悪の区分に執着する正しき心の探求や四正道に対する強烈な批判になるかと思う。

601よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/22(月) 22:04:38 ID:ZPdJL1xk
>>599

タムさん

>ファルコン告発は、信者による酷い誹謗中傷を
>あびながら、書かれたものなんだよね。そのために、
>言葉使いが荒くなる傾向はあるかもしれない。

荒くなる、というレベルには思えませんでした。私には。
気分が悪くなるので、あまり見てないんですけど、ちょっと
見た範囲で、家畜に鬼畜、ぶんなぐったろか、デパス大川・・・
なぜ、このような言葉使いをする人の言葉を信じるか。
私にはわかりません。
私も熱くなることはありますが、ここまでひどい言葉は決して
使いません。

あと、主、エル・カンターレの全知全能の件ですね。
これは、地上世界で、エル・カンターレの力を開放してしまうと、
地上世界のルールが壊れてしまう、ということです。
地上世界は、霊界のルールを弱めています。なぜかといえば、
そこが、魂修行の場であるからです。霊界の自由自在性や、
霊の持つ創造力、念っただけで現れる力、というものが相当、
弱められています。これは、エル・カンターレであっても
同様です。簡単に言ってしまうと、肉体に宿り、物質世界に生きる、
ということは、それだけ厳しい修行なのです。

602よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/22(月) 22:16:49 ID:ZPdJL1xk
>>600

タムさん

法の核心についてですね。

タムさんが書いてくださった下記の教え、これですね。

・悪しき心ではなく、正しき心を目指す、
・奪う愛ではなく、与える愛を選ぶ、
・唯物論的知識ではなく、霊的人生観に基づく知を獲得する、
・他者のせいにするのではなく、自己責任として反省する、
・この世的成功だけでなく、この世とあの世を貫く成功、
 発展をとげる……

うん、私にはピタっときますね。これですよ。どうですか、
タムさん、これ、間違ってますか?

>ところが、釈尊は二千年以上も前に、悪を捨て、善をとることを
>批判してる。

これは、本当のことでしょうか。釈迦の最後の言葉は、こうでした。
「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を
完成させよ。」太陽の法より

ここから、善悪を超越せよ、とは読み取れません。仏典には、
くどいほど、不放逸、不放逸、と書かれています。
これは、とりもなおさず、タムさんが書いてくださった、上記の
幸福の科学の教えとぴったり一致する、と私は思うのです。

603タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/23(火) 19:37:08 ID:eATZr/6I
>>601
>荒くなる、というレベルには思えませんでした。私には。
>気分が悪くなるので、あまり見てないんですけど、ちょっと
>見た範囲で、家畜に鬼畜、ぶんなぐったろか、デパス大川・・・
>なぜ、このような言葉使いをする人の言葉を信じるか。
>私にはわかりません。
>私も熱くなることはありますが、ここまでひどい言葉は決して
>使いません。

◎読めないなら仕方ないですね。
あと、ファルコン氏の言葉を信じるか、信じないかというよりも、
その内容を検証しようという姿勢が大事かと思います。


>あと、主、エル・カンターレの全知全能の件ですね。
>これは、地上世界で、エル・カンターレの力を開放してしまうと、
>地上世界のルールが壊れてしまう、ということです。

>霊界の自由自在性や、
>霊の持つ創造力、念っただけで現れる力、というものが相当、
>弱められています。これは、エル・カンターレであっても
>同様です。

◎主エル・カンターレは、地上世界のルールを壊さずに、
力を解き放つことができないし、地上ではその力を弱められて
しまうということですね。
やっぱり、主エルカンターレは全能ではないみたいですね。
全能ではないとすると、神とか、絶対者とはいえないです。

604タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/23(火) 19:50:41 ID:eATZr/6I
>>602
>・悪しき心ではなく、正しき心を目指す、
>・奪う愛ではなく、与える愛を選ぶ、
>・唯物論的知識ではなく、霊的人生観に基づく知を獲得する、
>・他者のせいにするのではなく、自己責任として反省する、
>・この世的成功だけでなく、この世とあの世を貫く成功、
> 発展をとげる……

>うん、私にはピタっときますね。これですよ。どうですか、
>タムさん、これ、間違ってますか?

◎正しいとか、間違っているとかいうよりも、ざっくり言って、
これは一つの主義であり、一つの価値観によるものだから、
普遍的な価値は持たないでしょう。


>>ところが、釈尊は二千年以上も前に、悪を捨て、善をとることを
>>批判してる。

>これは、本当のことでしょうか。釈迦の最後の言葉は、こうでした。
>「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を
>完成させよ。」太陽の法より

>ここから、善悪を超越せよ、とは読み取れません。仏典には、
>くどいほど、不放逸、不放逸、と書かれています。
>これは、とりもなおさず、タムさんが書いてくださった、上記の
>幸福の科学の教えとぴったり一致する、と私は思うのです。

◎自分の見立てだと、釈尊の教えと、大川さんの教えとは、まるで
正反対のものです。
たとえば釈尊は無執着と解脱を説く。だから悪からも善からも離れ、
この世もあの世も超えよという。自説は正しいとして、やたらと
自己主張することを戒めたりもする。
大川さんは、自分は正しいと繰り返し、他宗教をやたらと非難する。
悪を捨て善を取れと説き、何が善であるかは自分が決めるという。
あの世を超えることではなく、あの世での階層を上がることを尊ん
でいる。
どっからどう見ても、両者の教えはまったく違うでしょう。

605よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/23(火) 23:28:11 ID:ZPdJL1xk
>>603

タムさん

私はちらっとファルコン告発というものを見ましたが、その、
ちらっと見ただけでも、言葉が相当乱れていました。
タムさんは相当、読んでおられると思うのですが、やはり、
そういう、家畜に鬼畜、デパス大川のたぐいの言葉使いを全体に
わたって使っておられるのでしょうか。

あと、全知全能の件については、たとえば、地上に降臨した
救世主、イエス・キリストもまた、十字架にかかってしまいました。
タムさんは、イエス・キリストも、救世主とはみなされない
でしょうか。

606よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/23(火) 23:36:19 ID:ZPdJL1xk
>>604

タムさん

>◎正しいとか、間違っているとかいうよりも、ざっくり言って、
>これは一つの主義であり、一つの価値観によるものだから、
>普遍的な価値は持たないでしょう。

したらば時代にアイマイミーさんも同じことをおっしゃっていました。
私はそのことについて再質問しようと思ったのですが、速攻で
工作員にされてしまい、切られてしまったので質問できていない
のですが、教義というものは、主義や価値観とは違うものなので
しょうか。
とすると、どういったものが普遍的な教義になりうるのでしょうか。
そういう普遍的な教義を持った宗教があったら、教えてください。

>◎自分の見立てだと、釈尊の教えと、大川さんの教えとは、まるで
>正反対のものです。
>たとえば釈尊は無執着と解脱を説く。だから悪からも善からも離れ、
>この世もあの世も超えよという。

無執着と解脱というのは、幸福の科学で言えば、正しき心の探究、
その中でも、知と反省の原理によって、到達するものでは
ないでしょうか。
悪を去り、善を選び取っていく中に、解脱への道が開かれるのだと
思っています。

607タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/24(水) 18:51:37 ID:eATZr/6I
>>605
これまでのやりとりからすると、ファルコン告発の言葉遣いについては、
これ以上、話しても、あんまり意味ないかもしれません。わたしと、
よしもんさんとでは、言葉の感覚が違うようですから。
こっちが「問題なし」としたところで、よしもんさんは「問題ありで、
とても読めない」とすることの繰り返しになるだけかと。

イエスについては、わたしはイエスは救世主だとか、救世主でないとか、
さほど考えませんね。十字架にかけられたから救世主とみなさない
とも考えないです。


>>606
>教義というものは、主義や価値観とは違うものなので
>しょうか。

◎似たようなものだと思います。


>どういったものが普遍的な教義になりうるのでしょうか。

◎教義は、主義や価値観みたいなものだから、普遍とはならない
でしょう。


>普遍的な教義を持った宗教があったら、教えてください。

◎客観的な事実から出発し、対象を決して価値評価しないと
いう宗教が存在するなら、それがそうでしょう。


>無執着と解脱というのは、幸福の科学で言えば、正しき心の探究、
>その中でも、知と反省の原理によって、到達するものでは
>ないでしょうか。

◎それは無理っぽい。
HSでは、信仰は絶対に手放してはいけないものなのでしょう。
あの世は確固として実在し、霊的人生観を堅持しなければなら
ないのでしょう。
釈迦説は、それとは反対に、信仰や法を捨てよと説くし、
また解脱すれば、この世からも、あの世からも離れ、在るのでも
なく、無いのでもないようになるそうですから。
両者はまったくの別物ですね。

608よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/24(水) 19:49:04 ID:ZPdJL1xk
>>608

タムさん

ファルコン告発の件、了解致しました。

>イエスについては、わたしはイエスは救世主だとか、
>救世主でないとか、
>さほど考えませんね。十字架にかけられたから救世主とみなさない
>とも考えないです。

ということは、主、エル・カンターレも、この世では全知全能でない
ことをもって、救世主であるかどうかは考えない、ということ
でしたでしょうか。また、選挙で大敗したことをもって、救世主とは
みなさない、と考えないでしょうか。

>>普遍的な教義を持った宗教があったら、教えてください。
>◎客観的な事実から出発し、対象を決して価値評価しないと
>いう宗教が存在するなら、それがそうでしょう。

それは、科学技術信仰でしょうか。それとも拝金主義でしょうか。
客観的な事実から出発する宗教ってちょっと考えられないのですが。
タムさんは、何か信仰をお持ちでしたでしょうか。

お気を悪くされたらすいません。もし、よろしければ、教えて
頂ければ幸いです。

609タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/24(水) 20:02:42 ID:eATZr/6I
>>608
大川総裁の場合は、選挙で大勝利するといって、大敗北したでしょう。
また今世紀中に日本人全員を会員にしてみせるといって、できなかったでしょう。
「こうする」といってできなかったのだから、全能ではないとするのが自然な見方でしょう。

イエスの場合は、十字架にかけられて後に復活するという予言の通りになったのだから、
神の全能さはますます強化されたということになるのではないでしょうか。

あと、わたしには、「これを信じる!」という宗教、主義、思想などはないですよ。
ついでにいうと、「これは絶対に信じない!」というのも、ないような気がする。

610よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/25(木) 12:40:57 ID:ZPdJL1xk
>>609

やはり、宗教的予言というのは、どうしても、この世的には時間が
ずれてしまう、特に、10年後に起こることが、明日起こる、
というように見えてしまう、ということがあると私は思っています。

タムさんは、信仰をお持ちでないですか。では、何を心のよりどころ
として生きていかれるのでしょうか。特に、人生最大の逆境にあって
どういう判断をされるのでしょうか。

人間はやがて死にますが、もし、魂が存在していて、死後も、
自分の意識があったら、どうされますでしょうか?

611タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/25(木) 20:25:20 ID:eATZr/6I
>>610

そういえば、HSでは、予言の時期がずれることもあるとかいいますね。
でも、世間的には、時期を確定できないのであれば、それは予言とは
いえないかもしれないですね。たとえばさ、「日本に大地震が来る」という
ような類の予言は、時期を確定しないなら、そのうち当たることになるからね。
こんなの予言と認める人は少ないでしょう。

わたしが信仰は持ってないというのは、特定の宗教を信じきってはいない
という程度の話ですよ。どっかの宗教教義を信奉したり、そこの神様ばかり
を特別に拝むことはないというようなこと……。

とはいえ、どちらかというと、自分を守ってくれている存在を感じるとか、
その手の感覚は、結構、強い方ではないかと、自分では思います。
「何事のおわしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼれる」というのも、
わかるような気がするし。

逆境うんぬんについては、そのときにならなくちゃ分からないですね。ただ、
良心に思い切り逆らうということはないでしょうね。それをすると、結果が良かれ、
悪しかれ、気分が悪くなるのは経験上、わかりきってることですから。

死後にも自分の意識があったらどうするかについては、きっと、「おお、霊界って
あるんだな」と思ういますよ。唯物論、唯心論、それから唯霊論……どれが本当だ
と信じているわけでもないので、死後の生があっても、なくても、さほどショックは
ないかと思います。

612よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/26(金) 00:46:47 ID:ZPdJL1xk
>>611

タムさん

では、万が一、幸福の科学の言っていることが本当のことで、
死んで魂になった後、エル・カンターレが地球の至高神であったら
どうされますでしょうか。

613タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/26(金) 21:13:31 ID:eATZr/6I
>>612
「おお、本物だったか!」と思いますよ。

でも、その問いは、今となっては空しい気がしますよ。

天上のエルカンターレは全知全能で、地上の大川総裁は全知全能ではないのでしょう。
ということは、地上の大川総裁が何を説いたにしても、それは大川総裁の限られた認識力
の範囲内でわかったことにすぎないってことです。
大霊界という大海原のうちの、一滴について語ったにすぎないってことです。
大川総裁に帰依しなくても、天上のエルカンターレの手の平の上に、ちょこんと、のせられて
いる可能性が高いということです。

天上のエルカンターレは全知全能で、地上の大川総裁は全知全能ではないというのは、
 天上のエルカンターレ>>>>>越えられない壁>>>>>地上の大川総裁
ということになるから、強いて大川総裁を信じ、帰依しなければならないということも
なくなるってことです。
全知全能と、そうでないものとでは、人間と蟻よりも、もっともっと大きな差がありますから。

こう考えると、「大川総裁の説くことが本当だったら?」という問いは、大川総裁は全知全能
であるという前提に立った上でないと空しいよ。

614よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/27(土) 00:05:14 ID:ZPdJL1xk
>>613

主、エル・カンターレというのは、人間の目に見えるものでは
ありません。
そのために、その魂が肉体に宿って、地上の人間に主の教えを
人間の言葉で説くわけです。
でも、ここで、信じることは難しいのです。なぜか。
それは、地上に使わされた、エル・カンターレは、肉体に宿る
ことによって、私たちと外見はほとんど変わらないからです。
だから、聖書にもよく書かれているとおり、「つまづく」のです。
信じることが難しい、この地上世界の中にあって、信仰をとること
が、とても価値を持つのです。目で見て確認ができるものを
信じる、と言ったって、尊くもなにもないですよ。
信仰者としての誇りもないですよ。
ですので、再誕の仏陀、救世主への信仰をもてなかった、ということは
悔いても悔やみきれないほどの後悔を残すのです。

615タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/27(土) 07:36:30 ID:eATZr/6I
その主張も、今となっては空しいと思います。

よしもんさんによれば、天上のエルカンターレは全知全能だが、
地上の大川総裁は全知全能ではないのでしょう。ということは、
大川総裁は、天上のエルカンターレの御心を百パーセント体現
しているとは必ずしもいえないことであり、大川総裁を信じる
ことが、そのまま天上のエルカンターレを信じることになる
とは限らないということですよ。
むしろ、大川総裁を信じないことが、天上のエルカンターレを
信じることになる場合が少なくないということにもなりえる。
こういう状況からは、大川総裁を信じないことが後悔につながる
という考え方は説得力に乏しくなります。

それから、天上のエルカンターレは目に見えず、よくわからない
が、肉体を持つ大川総裁を信じることはできるというのは、
ある種の唯物論信仰といえなくもないです。目に見えない、物質
ではない、天上の高次なる存在を直接信じるのではなく、目に見
える、肉体を持つ大川総裁を介して信仰するのだから、そういわ
れても仕方ないでしょう。
この点から見ても、肉体を持つ大川総裁を信じないで、天上の
エルカンターレを信じるというのは、唯物論の影響から抜け出し、
より純粋な信仰に近いことであり、より正しいといえなくもない。

聖書について言えば、よくあるのはこういう流れですよ。
・人が神に神である証を求める。
・神は奇跡を見せる。
・人は神だと信じるが、そのうちに信じなくなる。
・そこで神は再び奇跡を見せる。
・人は神を信じるが、また信じなくなる。
・神は再々奇跡を見せる。
・人は神を信じるが〜
こういうことが延々と繰り返されている。神様は忍耐強く、決して
人を見捨てずにいてくださるという話。
聖書の神は、目で見てわかる奇跡をあらわしてくれる神だから、
HS正当化のために聖書を引っ張り出すのは得策ではないと思います。

616タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/27(土) 07:53:48 ID:eATZr/6I
それにしても、信者さんらの発言を見ていると、
・大川総裁を完全無欠の全知全能かのごとくに崇拝、信仰している人、
・大川総裁を全知全能ではなく、不完全として、その背後にある天上のエルカンターレを信仰するという人、
・大川総裁と天上のエルカンターレは必ずしもイコールではないとしながらも、大川総裁と天上のエルカンターレをともに信じるという人、
……いろいろですね。

HSでは、信仰が大切だ、信仰を持たなくてはならないと説くけれども、
その信仰とは何であるかは、きちんと説明されていないのだろうか。
信仰の定義もせずに、信仰が大切だ、信仰を持てと強弁したところで、
空しい気がする。

617タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/27(土) 08:05:25 ID:eATZr/6I
>>615
大川総裁を否定することが、天上のエルカンターレを信じることにつながる
ということの、一つの例は、レムリア・ルネッサンスですな。(笑)

五次元文庫から出てるアマーリエさんの著作を見ると、大川総裁の著作よりも、
はるかに文章が丁寧で、きれいで、波動が整えられていて、より精神的である。
アマーリエさんの本と比較すると、大川総裁の本の波動はあらあらしく、乱れてい
て、かなり物質的である。

言葉はきれいでなければならないという基準と、
天上のエルカンターレは全能だが、地上の大川総裁はそうではないという見方
からすると、レムリア・ルネッサンスとアマーリエさんを否定するのは、困難にな
ってしまいそうですね。

618よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/27(土) 12:45:10 ID:ZPdJL1xk
>>615

本仏、主、エル・カンターレが霊天上界におられ、地上世界には、
エル・カンターレが地上世界に投影された大川隆法先生という
存在がおられ、そして、エル・カンターレ像、ご本尊という、
これも、「モノ」ではありますが、エル・カンターレを象徴
したものがあります。
そのいずれに向けて、祈りを捧げても、最終的には、天上界の
主、エル・カンターレに届きます。
また、天上界の主、エル・カンターレのみを信じ、
地上に現れた、エル・カンターレの地上世界における表現形式
であるところの、仏陀、大川隆法先生、そして、その教え、経典、
ご法話、そして、仏の創りし、仏法真理の伝道機関、すなわち
幸福の科学、仏法真理を政治に展開した幸福実現党、そして、
主、エル・カンターレより下賜を許された、エル・カンターレを
象徴したご本尊、いずれも、主、エル・カンターレへとつながる
尊いものです。
ですので、天上界のエル・カンターレを信じるけど、地上世界の
エル・カンターレを信じない、というのは、よしもんの心は
認めるが、肉体人間のよしもんは信じない、肉体人間のよしもんを
信じることは、唯物論につながる、と言っているのと一緒です。
肉体人間よしもんなくば、よしもんの心が地上世界で表現できません。
なので、肉体も心も、よしもんを象徴するよしもんの掲示板に
おける発言、いずれも、よしもんです。どれもよしもんに通じます。
長文失礼致しました。

619よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/27(土) 12:52:27 ID:ZPdJL1xk
>>615

タムさん

>聖書について言えば、よくあるのはこういう流れですよ。
>・人が神に神である証を求める。
>・神は奇跡を見せる。
>・人は神だと信じるが、そのうちに信じなくなる。
>・そこで神は再び奇跡を見せる。
>・人は神を信じるが、また信じなくなる。
>・神は再々奇跡を見せる。
>・人は神を信じるが〜
>こういうことが延々と繰り返されている。神様は忍耐強く、決して
>人を見捨てずにいてくださるという話。
>聖書の神は、目で見てわかる奇跡をあらわしてくれる神だから、
>HS正当化のために聖書を引っ張り出すのは得策ではないと思います。

幸福の科学も一緒です。大川先生は、現代における奇跡、すなわち
霊界存在の証明、というものを、霊言という形で現そう、と
お考えになられました。
かつての救世主が行われていたような、水をぶどう酒に変えるとか、
死人を蘇らせるとか、パンをちぎって5000人に分け与えるとか、
それもすごいのですが、それは、あまり、真理の学習には
つながらないです。
霊言という形で録音し、人間の限界を超えたスピード、量、質で
書籍として発刊することで、霊界存在の証明とともに、書籍に
なったことによって、私たちが、反復して学習ができるということ、
また、後世においても、学習材料として提供できるということ、
幸福の科学の奇跡は、ここに重点を置いています。

620よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/27(土) 12:59:05 ID:ZPdJL1xk
>>617

レムリア・ルネッサンスの件、私は、この団体の教えとか、書籍とか
読んだことがないのですが、この団体は、幸福の科学の分派的
活動である、と聞いています。幸福の科学の見解としては、
総裁在世中に、このような分派を作ることは許さない、という
ことでしたので、私もその考えを支持します。
言葉使いを正す、というのは、2ちゃんねる掲示板の荒廃に
見るに見かねて私が発言した内容です。
かりそめにも、この世的に組織的に活動し、書籍を出すからには、
それは言葉使いに注意しないといけないでしょう。
しかし、実を言うと、本当に大事なのは、やはり、心が整っているか、
その念いが仏のほうに向いているか、ということです。

621タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/27(土) 19:53:28 ID:eATZr/6I
>>618
エルカンターレ像などを拝むと、天上のエルカンターレに届くと
いうのは、かなり物質的ですね。エルカンターレ像に光が降りて
くるとかいうのも、かなり物質的な考え方。
精神重視ならば、エルカンターレ像があろうがなかろうが、心が
天上のエルカンターレに向いたなら、祈りが届き、その心境に応
じて光が降りてくるという風になるかと思います。

天上界のエルカンターレを信じるが、地上の大川総裁を信じない
というのは、図であらわせば、わかりやすいかもしれません。
まずは大きい円を描いて、その中心に、大きい円の中にすっぽり
入る小さい円を描くとするでしょう。
大きい円が天上のエルカンターレで、小さい円が地上の大川総裁
ということです。つまり小さい円の大川総裁を信じないが、天上
のエルカンターレを信じるということが有り得るってことです。

↓ここの図でいえば、Aが大川総裁で、Bが天上のエルカンターレ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Venn_A_subset_B.svg

よしもんさんを例にとれば、Aは地上で肉体に閉じ込められている
よしもんさんで、Bは霊界にあるよしもんさんの魂の兄弟なり、
潜在意識なりということになるかと。

もうちょい説明してみますか。
天上のエルカンターレは全知全能で、地上の大川総裁は全知全能
ではないということは、換言すれば、天上のエルカンターレは
全知であり、常に正しいことを言えるが、地上の大川総裁は全知
ではないため、時には間違い、正しくないことをいってしまうと
いうこと。

ということは、正しいものを探求しようとする場合は、天上のエル
カンターレを信仰することは結構なことであるが、正しくないこと
をいう可能性のある地上の大川総裁を信仰することはできないとい
うこと。「大川総裁は、自分よりも優れているから、師として尊敬
する」という場合は有り得るけれども、「大川総裁は正しい」と
いう信仰は持ち得ないことになる。

よしもんさんは、正邪善悪の話のときに、正しさを求めるといって
いたかと思います。本気で正しさを求めるならば、全知ではなく、
正しくないことを言う可能性のある大川総裁を信仰するというのは、
おかしなことだと思います。

622よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/28(日) 00:00:56 ID:ZPdJL1xk
>>621

タムさん

図説までして頂き、ありがとうございます。
ご本尊を通じてお祈りする、ということが物質的、といえば、
確かに物質的かもしれません。
でも、物質の力をお借りすると、祈りもやりやすいこともまた
事実だと思います。仏教も、後世、数多くの仏像が造られましたが、
これはやはり、目には見えない仏の存在を、衆生にわかりやすく、
教えるためのものであったと思います。
あと、図説にもありますが、中の円であるAに入る、ということは、
非常に稀有なことなのです。Aを含まないBの部分というのは、
言ってみれば、後世のエル・カンターレ信仰です。
Aである地上世界における仏陀なくば、Bに参入することは
ごく限られた高度な悟りを持つ者に限られてしまいます。
Aがあるから、Bへの到達が私たちにも可能となってくるのであり、
AのないBは、これは難しいですよ。難しい、ということは
救済力が落ちる、ということです。
もっとも、地上に降りた仏陀は、そのBの力を100%発揮
できないかもしれませんが、しかし、私たちの目や耳で、
その教えを学ぶことができるのですから、これはありがたいことです。

623タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/28(日) 08:00:37 ID:eATZr/6I
>>622
その理屈はかなり苦しいかと……。
天上のエルカンターレを全知全能として、地上の大川総裁をそうで
はないとすることは、両者の間に越えられない壁があるということ
です。これは>>613で書きました。図でいえば、AとBの境目に超えら
れない壁があるってことです。

また大川総裁が全知全能でないということは、時には間違いを犯し、
正しくないことを言うということです。その大川総裁を信仰すると
いうことは、大川総裁の間違いを正しいと信じることになります。
つまり大川総裁に全幅の信頼をおいて信仰することは、完全に正し
い天上のエルカンターレから遠ざかる結果になってしまうわけです。
このことは>>621に書きました。

それから天上のエルカンターレは、幸福の科学だけでなく、あらゆ
る正しい宗教を指導しているのでしょう。先の図でいえば、Bの円の
中には、Aという円だけでなく、他にも、釈迦、ヘルメスなど無数の円
があるということです。つまりエルカンターレに達するには数え切れ
ないほど無数の円(縁)があるということです。

HS的には、天上のエルカンターレの本体である大川総裁を介して天上
のエルカンターレを知ることができるのは、今生限りであるというこ
とになるかもしれません。けれども大川総裁は全知ではないというこ
とですから、大川総裁がエルカンターレの本体であるかどうかの真偽
はこれまた不明ということになるかと思います。

>>619
イエスと大川総裁とでは、奇跡の動機が正反対でしょう。
イエスの奇跡は、すべてが人助けのためといっていいくらいです。「奇跡
ができる自分は偉い」などとはいわない。
でも大川総裁の場合は、自分の霊言は人間の限界を超えたスピード
と量だと自画自賛するんですよね。

またイエスは、律法で他者を裁く人を批判して、愛こそが大事だと
説いたのでしょう。
大川総裁はといえば、一種の律法である仏法真理なるもので、
あれはだめこれはだめと人々をがんじがらめに縛っている。仏法真理を
守れば天国で、破れば堕地獄という風に。

>>620
うん、言葉の丁寧さだけでなくて、その背後の心の整い方に関しても、
HS本よりも、レムリア本の方が、ずっと優れているようです。
五次元文庫からでてるアマーリエさんの本を読んで確認すればわかり
ます。

「ルが暗躍してるんだ。波動がよいのは見た目だけだ。だまされては
いけない」などと自分に言い聞かせながら読まないと、レムリアに
鞍替えしたくなるかもしれません。(笑)

教団の大きさではHSが有利ですが、精妙さではレムリア勝利ですね。

624よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/28(日) 08:47:51 ID:ZPdJL1xk
>>623

タムさん

注:文中、Bは大きな円、天上界のエル・カンターレ、AはBの中に
  含まれる円、地上に降臨したエル・カンターレ、大川総裁を示す。

タムさんが図示して下さったように、Aという地上における
エル・カンターレ、すなわち大川総裁は、Bという大きな円、
すなわち天上界における主、エル・カンターレの一部です。
AはBに含まれているものであり、超えられない壁、というもの
ではないと思います。むしろ、Aは、Bの中の、地上世界への
メッセンジャーです。

また大川総裁に間違いはありません。全知全能としての力が
肉体に宿ることによって、パワーダウンすることはあっても、
法の核心、教えの根本に間違いはありません。
タムさんが、図示して下さったように、AはBの一部であり、
AがBから外れる、ということはないのです。

Bである天上界のエル・カンターレは、様々な宗教を指導する
でしょうし、ヘルメスや釈尊、イエス・キリストを指導しました。
ゆえに、Aを通じなくても、Bへの参入は可能です。
しかし、それは、過去に説かれた教えが永い年月を経た形骸化した
教えから、Bの真意を汲み取らねばならないので、かなり難しい
です。ゆえに、現代、Aが出てきているのです。

Aの真偽のほどは、後世になってみないと固まらない、というのは
あると思います。でも、Aが地上世界在世中に、その教えを信じ、
Aを支える仕事というのは、とても尊い、稀有なことです。
Aの教えを直接学び、Aを支える仕事は仏弟子の本懐、と言えます。

また、Aは、奇跡として霊言の発刊スピード、質、量を自画自賛
しているわけではなく、それで霊界の存在証明を行っている、と
しています。

私は幸福の科学の教えから、仏法真理の確かな手ごたえを感じます。
そう感じない人もおられますでしょう。それは、人それぞれであり、
仕方ないことです。いつか、分かるときがくると信じてやみません。

また、仏法真理というのは、仏の光の法則そのものです。
仏の光を受け入れれば幸福になり、仏の光を遮る思いを出せば、
幸福にはなれない、しかし、罪を犯しても、仏法真理を悟り、
反省すれば、許される、と説いています。イエス・キリストの
放蕩息子のたとえと一緒です。

625タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/28(日) 10:26:11 ID:eATZr/6I
>>624
わたしの言ってることは、その図を平面としてだけではなく、立体として
考えてみてもらえば分かり易くなるかもしれません。

まず天上のエルカンターレという円があるとして、その真ん中あたりがグ
ッと盛り上がり、さらに盛り上がり、管のようになって、地上に降り立っ
たのが大川総裁であると見るわけです。

そうして、天上のエルカンターレが全知全能であるならば、そこから伸び
た管もまた全知全能であるはずです。でも地上にまで伸びた管の先っぽで
ある大川総裁が全知全能とはいえないといいます。全知全能という状態と、
全知全能ではない状態との間には無限な隔たりがあるのですから、管の長
さは無限であることになり、結果としては、天上のエルカンターレと、地
上の大川総裁との間には、越えられない壁があることになります。

ついでにいうと、この間、小耳にはさんだ話では、一人一人の心のうちに、
エルカンターレが秘められているとか……。そんなら天上のエルカンター
レからは無数の管が伸びて各人の心に達しているともいえそうです。この
点から見ても、強いて大川総裁を信仰する理由はなくなりそうです。

それから、真理についてですが、真理は、普遍であり、不朽であるからこ
そ、真理というのでしょう。たとえば、「神を愛し、隣人を愛せ」という
真理は形骸化することはありません。縁起説もそうです。「修身・斉家・
治国・平天下」というのもそうでしょう。こういう真理はいつの時代でも
輝きを失わないものです。

形骸化するのは、真理ではなく、教団による真理解釈です。「神を愛し、
隣人を愛せ」という真理は朽ちることが無いが、「神を愛するなら教団に
布施せよ、隣人を愛するなら伝道して教勢を伸ばせ」という真理解釈は過
ぎてゆくものです。
天上の神は永遠だが、地上の生き神様はやがては消えてゆくということも
いえます。

HSでは「今がチャンス」というような考え方をするようですが、神様は、
時代や地域を限定して、チャンスを与えるようなせこい事はしないはずで
す。神が愛であるならば、いつでも、どこでも、救われるチャンスを与え
ているはずです。この意味で、「今がチャンスであり、特別な時である」
という見方は、神は愛であることを信じていないことになるかもしれない。

霊界の存在証明については、心霊科学の方面でさまざまに検証されていま
す。HSの霊言は事実錯誤が多すぎて、霊界の存在証明というよりかは、む
しろ、その反対になり、心霊科学の方面で働いている人たちの足を引っ張
る行為にしかなってないように思います。

626よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/28(日) 23:07:11 ID:ZPdJL1xk
>>625

タムさん

おっしゃることは理解できます。地上世界における不完全な仏陀
とか、救世主によらずとも、私たちは、自力で悟りの世界に
直参できる、という考え方ですよね。
でも、それはとてつもなく難しいことです。やはり、私たちが
神の世界について考えることができる、というのは、いつの時代にも
神や仏の世界を説く、仏陀、救世主、預言者と呼ばれる存在が
地上世界に生まれて、不完全ながらも、教えを説いてくださる
からです。それが聖書となったり、哲学書となったり、仏典に
なったりしているのです。
でも、私たちが一番大きく飛躍できるチャンスというのは、
やはり、大師が地上世界で直接、教えを説いているときなのです。
私たちは、永遠の命を持って、あの世と地上世界を転生する
存在なのですが、生きて地上世界の仏陀にめぐり合うのは、
1回の転生が、10回分、いや、それ以上の価値を持つ、という
ことなのです。そして、そのときが、地上世界に光を広げ、
地上世界を浄化するときでもあるのです。

627タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/29(月) 18:59:55 ID:eATZr/6I
>>626
>でも、私たちが一番大きく飛躍できるチャンスというのは、
>やはり、大師が地上世界で直接、教えを説いているときなのです。

◎だから、私が言ってるのは、HS教義の基本からいえば「今がチャンス」
という考え方はおかしいのではないかってことですよ。

HSは神は愛であるという。であるならば、神はいつでもどこでも人々を救
おうとしているはずです。特定の時と場所にいる人たちだけに、特別に多
くのチャンスを与えるということはないでしょう。

HSは自己責任を説きます。自己責任が成立するためには、人は環境による
支配を受けず、己の意識次第で、いつでも、どこでも悟れるとしなければ
ならない。もし仏陀と共にいれば悟りやすく、そうでなければ悟りにくい
とすれば、人は環境に支配されているのであって、自己責任論はなりたた
なくなる。

HSは人は自分の認識力の範囲でしか、物事を理解できないと説いているは
ず。そうであれば、自分の認識力の範囲内でしか真理を理解できないのだ
から、目の前で高い真理を説かれたからといって、それを体得できるとい
うわけにはいかないだろう。……云々。

わたしはこういった点から、「今がチャンス」というのはおかしいといっ
てるわけ。もちろんHSには、一種の選民思想があり、過去世の実績などから、
特別に仏陀とめぐり合えただの、今すぐ悟れなくても仏縁をつけるチャンス
だの……「今がチャンス」を裏付ける教えもあるのはわかってます。

でもそういうのって、どっちかといえば、HS教団の論理であって、神は愛、
自己責任、認識力の限界などよりも普遍の真理に近いとは言い難いものでは
ないでしょうか。その意味からすれば、やっぱり「今がチャンス」というの
はおかしいと考えるわけですよ。

ついでにいえば、「今がチャンス」というのは、地上に仏陀が出現したとい
う外面的な条件が整うことをいうのではなく、その人が心から真理を求めて
いるときや、認識力が高まり、これまでより深い真理を受け入れる態勢が整
ったときこそをいうものだと思います。つまり、悟りのチャンスというもの
は、精神的な条件が整ったときをいうのであって、仏陀が地上に現れたとい
う外面的側な環境が整ったことをいうのではない。でもHSは、それを繰り返し、
強調する。この辺りも、HSは精神主義というよりも、すごく物質的この世的です。

628タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/29(月) 19:11:53 ID:eATZr/6I
>>627
それにしても、よしもんさんは、霊言の議論などの頃には、大川総裁が言うから
信じるというように全幅の信頼をおいていたようだけれども、その後は大川総裁
は全知全能ではないとし、その次には2ちゃんではその霊査能力は100パーセン
トではないとし、ついには、仏陀とその教えを不完全だということまで書いてますね。

仏陀とは解脱した者のことであり、覚者でもあるのでしょう。不完全な仏陀とは……
不完全な解脱者であり、不完全な覚者でもあることになるだろうし、これって結局、
悟っていない、仏陀ではないということにしかならないでしょう。

大川総裁を不完全な仏陀で、不完全な教えを説いているのだとすれば、ますます
大川総裁に帰依しなければならない理由はどこにもなくなりそうです。

「大川総裁を信じず、天上のエルカンターレを信じるというのは間違いだ」というため
には、やっぱり大川総裁は天上のエルカンターレと同様に完全無欠の全知全能であ
るとする以外にはないと思いますよ。

この点、大川総裁を完全だと崇拝する亭白さんの信仰の方が筋が通ってるのではな
いでしょうか。わたしはとてもじゃないが、亭白さんのような信仰は持てないが、一本、
筋が通っているといえなくもないとは思う。

629よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/30(火) 13:08:15 ID:ZPdJL1xk
>>627

タムさん

再誕の仏陀と同じ時代に生まれ合わせる、というのは、
一番大きく飛躍できるチャンス、という点について

これは、たとえて言えば、私があるタレントのファンだったとして、
そのタレントは滅多に姿を現さないし、突然現れるとします。
いつもは一方通行のファンレターしか送れません。
まれに、お返事がくることもあるかもしれません。
しかし、たまたま、今、自分のいるところが、あるコンサートホールの
前で、そのタレントが来ていたとします。
しかも、握手会があったとします。さあ、どうするか。
迷わず、コンサートホールに入りますよね。
しかし、別なファンは、そのタレントは別にいつでもいらっしゃるから、
別にコンサートホールに行く必要はない、と言います。
私は、え〜何で?もったいない、これもまた何かのご縁ですよ、と言います。
でも、そのタレントはいつも私たちに、勇気を与えてくださっている、
だから、その、何かのご縁などという非科学的な言い方はやめなさい、
と言います。

私の感想は、こんな感じかな。

630よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/30(火) 13:14:18 ID:ZPdJL1xk
>>628

タムさん

仏陀とて、肉体に宿れば、半神半人です。人間としての限界は
当然あります。仏陀というのは超人ではないのです。
仏陀の、仏陀と言われるゆえんは、心の潜在意識の宝庫を
開いて、霊的世界観の真実を悟るところにあります。
しかし、だからと言って、仏陀が完全な人生を生きられるか、
といえば、それはないと思います。釈迦も、病気になったり、
最後は毒キノコを出されたのを食べて寿命を縮めた、といいます。
ですので、私は、地上の仏陀に完全は求めません。
地上の仏陀の教えを信じ、学び、自分の人生を向上させることを
主眼とします。

631タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/30(火) 20:10:15 ID:eATZr/6I
>>629
わたしが提示している疑問は、そのたとえ話にのっかっていうならば、こうですよ。

・神が愛ならば、各人の心のうちにタレント(仏陀)を内在させ、本人が求めるときに
合えるようにしているだろう。地上に降りたタレント(仏陀)と同時代人だけがタレント
(仏陀)と会えるというような不公平はしないだろう。

・人は自分の認識力の範囲でしか物事を理解できないならば、心のうちのタレント
(仏陀)と出会えない人は、地上のタレント(仏陀)と向き合っても、その顔も声も、見
えず聞こえないだろう。それは本当には向き合っていないことなので、なんらの縁が
生ずる可能性は低いだろう。……云々。

>>630
うん。信仰を長く続けたいならば、その方がいいと思います。
大川総裁に完全さを求めるとか、あまり高望みしすぎない方が、信仰は続けられるはずです。

632よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/12/01(水) 14:09:27 ID:ZPdJL1xk
>>631

タムさん

仏陀が地上に生まれるときに、生まれ合わせることができる、
というのは、やはり、過去何十回もの転生において、どれだけ
仏に向かって努力精進してきたか、で選ばれると思うのです。

内在する仏への信仰もよいですが、地上の仏陀にめぐり合える、
というのは、ありがたいことだと私は思います。

633タム ◆M/L2k2Eq72:2010/12/01(水) 19:18:46 ID:eATZr/6I
>>632

うん。信者さんが、そこのところで、すごく幸福感を感じるのは、よく理解できます。
わたしも、一応は、元信者ですから。

でも、傍から見た場合、そこのところは、HS教義のうちでも、結構、深いキズに
なっているとは思う。

元信者から一言、いわせてもらうと、心のうちから、「自分は選ばれし者だ、使命が
あるのだ」という願望を一掃して、自分の平凡性をとことん自覚し、「自分は平凡だし、
とりたてて、他人と違うところはない」という風に、無理なく、自然に思えるようになった
ときには、それ以前よりも、より事実を事実として、物事をありのままに認識できる
ようになると思う。

634よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/12/02(木) 14:16:49 ID:ZPdJL1xk
>>633

タムさん

まあ、よい意味での選民思想というのはあると思いますね。
無告の民を救わねばならない、というような意識。
でも、それが、傲慢へと変じる可能性もなくはないです。
ゆえに、常に仏に対する信仰による感謝と謙虚さを維持しなければ
なりません。
逆に、冷静になりすぎて、信仰心が薄れて消えていってしまうことも
また、問題だと思います。
難しいところです。

635タム ◆M/L2k2Eq72:2010/12/02(木) 20:37:51 ID:eATZr/6I
>>634
>無告の民を救わねばならない、というような意識。

◎それは、メサイア・コンプレックスというやつかもしれない。気をつけた方がいいよ。


>逆に、冷静になりすぎて、信仰心が薄れて消えていってしまうことも
>また、問題だと思います。

◎自らの平凡性の自覚と、ありのままの事実を認識し、受け入れるというのは、
神への信頼と感謝に支えられてこそ、達成、可能なものなんだけどね。
まあ、わたしはそれが不足しているから、なかなか上記のことを達成できないのだけど。

636よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/12/02(木) 21:24:48 ID:ZPdJL1xk
>>635

タムさん

タイムリーなことに、今日、妻が、「選ばれし人となるためには」
幸福の科学出版(会員限定)を頂いてきました。
「鍛えられ、磨かれ、鋼鉄のような信仰心を持つこと、
それが「選ばれし人となる」ということである。」
まえがきより

637タム ◆M/L2k2Eq72:2010/12/02(木) 21:35:57 ID:eATZr/6I
>>636
>「鍛えられ、磨かれ、鋼鉄のような信仰心を持つこと、
>それが「選ばれし人となる」ということである。」


◎そういえば、HSでは、信仰心は自分で維持するものでしたね。

実は、わたしは、信仰心は、自分の力で持ったり、捨てたりはできない、
神様が、プレゼントしてくださったり、取り上げたりするものだという考え
方を支持してます

638よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/12/02(木) 23:05:22 ID:ZPdJL1xk
>>637

タムさん

>実は、わたしは、信仰心は、自分の力で持ったり、捨てたりはできない、
神様が、プレゼントしてくださったり、取り上げたりするものだという考え
方を支持してます


予定説みたいなものですか?
今世、幸福の科学にめぐり合ったのは、全知全能の神の予定であり、
そこからアンチになるのも、これも全知全能なる神の計画であった、
そんな感じでしょうか。

639タム ◆M/L2k2Eq72:2010/12/03(金) 18:41:47 ID:eATZr/6I
>>638
◎たとえば、よしもんさんは、意思の力によって、HSを棄教することはできないでしょう。
ていうか、HSを棄教しようという意思さえも持てないのじゃないでしょうか。

私の場合も、同じようなもんです。HSを信じたくても信じられず、信じようという意思も
持てない。

つまり人の心は、自力ではいかんともしがたいものがある。それを神様によると表現する
わけですよ。


>予定説みたいなものですか?

◎もしも神が全知全能だとすれば、全知だから、未来になにが起きるか知ってる
ことになるかと思います。ということは、未来は決まってるということでしょう。
また、神の摂理が世界を統べているのであれば、世界は神の摂理によって運営
されているということで、すべては決定されてることになるでしょう。二二が四みたいに。
でも、全知全能の神が存在する、神の摂理が世界を統べているなどという前提が
うそっぱちであれば、未来は未定ということになるんだろうと思います。


>今世、幸福の科学にめぐり合ったのは、全知全能の神の予定であり、
>そこからアンチになるのも、これも全知全能なる神の計画であった、
>そんな感じでしょうか。

◎それって目的論みたいな感じですかね。私は、目的論は嫌いです。
神の意思を勝手に自己都合解釈して、自己正当化してるように思えるので。

640よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/12/03(金) 21:07:05 ID:ZPdJL1xk
>>639

私の場合、いつの間にか、この世に生まれていて、人間はいつか
死ぬ、ということに気づいて、自分という存在は一体なんだろう、
なぜ、自分は生きているのだろうか、死んだらどうなるのか、
疑問に思っていました。
それに、明確に答えてくださったのが、幸福の科学の教えであった
のです。なので、せっかく発見した宝物をわざわざ、捨てるような
ことは思いもよらないですし、それが、自分の意思で何もできない、
ということにはならない、と思います。
タムさんは何のために生まれてきたのですか。
私は、幸福の科学にめぐり合い、その仏法真理を学ぶために、
生まれてきたのです。

641タム ◆M/L2k2Eq72:2010/12/04(土) 09:32:01 ID:eATZr/6I
>>640
よしもんさんは、今のところ、エルカンターレ信仰については、
意思と心とが合致してるから、そう思うのは当然です。
以前の自分もそうでした。

でも、そのうちに、「エルカンターレ信仰を保持したい、そうしな
ければならぬ」という意思によっては、「エルカンターレ信仰は
おかしい、まちがっている」という心を払拭することはできない
ことに気づきました。

考えてみれば、心には、意思だけでなく、感性、感情、理性、
良心、その他いろいろな側面があるんですよね。だから心の
一面にすぎない意思でもって、心の全体を動かそうというのは、
どだい無理なことなんでしょう。

たとえば、感性が「汚い」と感じているのに、意志力でもって「美
しい」と思うのは難しい。喜怒哀楽の感情を意志力でもって抑圧
し続けるのは難しい。論理的な思考を放棄して、意志力でトンデ
モ理論を正論と思い込むのも難しい。良心が「間違っている」とい
うのに、意志力で「いや、正しい」と信じ込むのも難しい。

もっと具体的にいえば、好きになってはいけない人を好きになって
しまう、好きでいなければならない人を嫌いになってしまう、仕事に
打ち込まなければならないのに、やる気がでない……心が意思の
いうことを聞いてくれないことは少なくないでしょ。

「自分の意思で何もできない」とまでは思いませんが、心というもの
は、意思だけではいかんともしがたい部分もあるんだよね。

あと、私の場合は、善く生きたいという気持ちはあるけど、「何のた
めに生まれてきたか」という問題意識は特にないですよ。

それはそうと、HS教義の話題から、だいぶ、それてきたようです!


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