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【ザ・法論】+☆+KK8+☆+【論戦2日目】

41IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/02/04(土) 12:17:53 ID:HEi5mqY.
KKでは「犠牲」を否定的な用語としてつかわれていますが、これをもって犠牲のようにみえる献身をやめる人もおるかもしれません。
神智系においては「磔刑」の第四イニシエーションがあります。

  『第4イニシエーションつまり「磔刑」を受ける人間の生涯は通常大いなる犠牲と苦悩の生涯である。
   それは「大いなる放棄」を行う人間の生涯であり、現世的にみてさえ、奮闘的で困難な苦悩にみちた生涯である。
   彼はすべてを、完成されたパーソナリティでさえも、犠牲の祭壇に供し、すべてが奪われる。
   そして、すべてが放棄される。友人、金銭、名声、人格、世界での地位、家族、生命そのものさえもが。』  *…『トランスヒマラヤ密教入門』 第三巻第三章6

42ゼロ:2006/02/04(土) 14:14:17 ID:ryqHTOmo
わかりにくいならば、私が列挙しておきましょう。


イエス「天の父よ、我が御名において、地上の迷える国たみを救いたまえ」

覚鑁「仏よ、我が御名において、堕落せし修行僧たちを救いたまえ」

ゼロ「主エルカンターレよ、我が御名において、ネット中毒の悪しき信者たちを救いたまえ」


アンチシンパを問わず、読んで違和感を感じるのが、普通の感覚です!!(笑)

誰しもがこの言の葉を口することが許されているわけではありません。

自分の「分」を超えない一生を送る、というのは非常に大切なことです・・・・・


卵さんが感じる「直感」というのも大切にして欲しいと私は思います!!

43エートス:2006/02/06(月) 08:14:24 ID:8w2SOpTI
>>38-40
いつも長々丁寧に書いていただきありがとう。内容は多岐に渡っているようですし、今回はY他でゼロ氏もキャンキャン吠えているし、ここでは、ゼロ氏と共通の問題について順を追って進めましょうか。

>一般論としては、「愛を与えて生きれば天国に通じ、愛を奪って生きれば地獄へ通じる」とされています。

>指導者として多くのものを迷わせた罪というのがあるそうです。それに引っかかってくると、その指導のために人生を狂わせた人々が無事天上界にあがってこないと、その人自身も恨みの念波などによって浮上がかなわないそうです。

あなたのレスをまとめると、地獄への切符にはダブルスタンダードもありということでいいですね。

ここからわたしの質問です。

最澄は嫉妬のために地獄にいる(_この点には訂正なかったようなのでこれを前提にしますが_)そうですが、これは一般人として真理に裁かれた(裁かれたという言い方は適切でないかもしれないが)ということだよね。だとすれば、最澄天台本覚思想のほうは、堕落した思想ではあったが「セーフ」だった、ということで了解していいね?

さて、イエスを救世主とするキリスト教は多くを救いましたが、また、多くを迷わせたと言えるでしょう。かつてキリスト教の名の下においてどのようなことが行われたかはご存じですね。そうした恨みの念波をイエスは受けているのではないのですか。

さらに、KK自体がこの世で指導なりしていて、主に金銭関係と予言関係で多くの人の恨みや不興をかっていますね。大部分は存命中だと思いますが、この先、そうした人々が天上界に行かれなくて恨みの念波を送ってきた場合は、大川氏も多くの者を迷わせた罪を負わなければならないのではありませんか。

44エートス:2006/02/06(月) 08:17:28 ID:8w2SOpTI
次に

他宗を邪教と宣告することに関して、あなたとゼロ氏は正反対のことを書かれているのだが、これはどちらが本当のKKの考え方なんでしょうか。

卵氏
>幸福の科学としては、宗教界全体が淫祠邪教的な蔭の部分があればそれを捨て去り、正しい方向に流れることが望ましいはずで、他の団体をなきものにするというような目的ではないはずです。

ゼロ氏
>邪教を広める罪は、もちろん地獄行きです!!
>逆に邪教を潰すのも我々の仕事のひとつです。


お次は唯物論者の行方ですが

>地獄というよりは、自分で自分の死後の生存を否定してしまうと、行き場がなくなってしまうようです。

先日、現役信者氏は「行き場がなくなる」ではなくて、「唯物論者であっても天国にいる場合がある」とはっきり書かれていました。それをアンチは信じない・・・とまでも。

それから、こんなことは言いたくはないのですが敢えて言わせて貰うと

>ゼロ氏と私と共通しているのは、直感で判断してしまっているところです。

直感を否定はしませんが、直感ならばその人がそう感じるという以外には根拠がないですよね。では、わたしが対話している相手はKKの信者さんではなくて、じつは自分教の教祖さんということなのですかね・・・。形式ではなくて本質的な意味で・・・ですが。

45エートス:2006/02/06(月) 08:22:10 ID:8w2SOpTI
次に、これは大川氏の言葉からの意見ですか?それとも聖書学からの意見ですか?

>ただ、イエス様の贖罪説については後世つくりあげたものだったかと。

あしゅらっしゅ氏の投稿中にありましたよ。

>これを初めて読んだときびっくりしたのですが、他の人の分まで自らが犠牲となり不幸を背負うというような考え方は美談のようでいて、実際には不幸の拡大再生産になりかねないということではないでしょうか。

自己犠牲願望の裏には、自己処罰、あるいは道徳的自己弁護があるというのは気が利いた心理分析の本にはよく書かれていることでね、特に目新しいことやビックリするようなことではないのですよ。

宗教だから、自己処罰を解決するには「信ぜよ」ということでしょうが、心理学にはそれとしての解決方法があります。

>イエスさまと覚鑁の違いにおいては、結局他の多くの者の罪を背負いきる、もしくは浄化に導くだけの実力、使命の違いではとも考えられます。

先に「自己犠牲の精神が不幸につながる」と書かれていたと思ったら、今度は「自己犠牲の程度」が観点になっていますね。あるいはもともと偉大な存在とそうでない凡な存在の分相応ということでしょうか。

>懺悔から、偉大な理想のほうに現実を引き寄せるだけの積極的展開を他者への愛ゆえに行えるかどうか、それとも現実に妥協して理想そのものを曲げてしまい失意の内にとどまったか、ではないでしょうか。

このあなたの仮説はやはりよく分からないので、イエスと覚鑁の具体的な比較をお願いしたいのですが・・・。

例えば_偉大な理想に現実を引き寄せたのはイエスのどのような行為を指しているのか_現実に妥協して理想を曲げたのは覚鑁のどのような行為を指しているのか_など、どうぞよろしくお願いします。

46たまご:2006/02/07(火) 09:15:27 ID:T44E7XeM
>>43エートス氏

>最澄は嫉妬のために地獄にいる(_この点には訂正なかったようなのでこれを前提にしますが_)そうですが、これは一般人として真理に裁かれた(裁かれたという言い方は適切でないかもしれないが)ということだよね。だとすれば、最澄天台本覚思想のほうは、堕落した思想ではあったが「セーフ」だった、ということで了解していいね?

悉皆成仏論が出た時点でアウトになったのではないでしょうか。魂の本質に仏神と同質のものがあるとするのは間違いではないけれども、それを磨き出すことなく、そのまま機能する性質のものだとしたときには、違うでしょうということですから。平等と差別(しゃべつと読むそうですが)を知るということは、悟りの道を説くにあたって外せないのではないでしょうか。

>さて、イエスを救世主とするキリスト教は多くを救いましたが、また、多くを迷わせたと言えるでしょう。かつてキリスト教の名の下においてどのようなことが行われたかはご存じですね。そうした恨みの念波をイエスは受けているのではないのですか。

九次元霊ですから、許す愛の力において人間心の限界を超えた愛の体現者です。肉体を去る段階の自己認識において、最澄と比較するにはあたらない愛、悟りの段階でおられると思います。人々のマイナス想念を吸収し溶かしてしまうようなイメージではないかと思いますし、それは神と一体となって生ききった方であるからこその境地であるかと考えます。

>さらに、KK自体がこの世で指導なりしていて、主に金銭関係と予言関係で多くの人の恨みや不興をかっていますね。大部分は存命中だと思いますが、この先、そうした人々が天上界に行かれなくて恨みの念波を送ってきた場合は、大川氏も多くの者を迷わせた罪を負わなければならないのではありませんか。

宗教というのは、その確立において百年単位の経過観察を要しているようです。時間的規模からみれば、まだまだ一里塚でしょう。愛や魂を育むという過程には、色んな局面が用意されていると考えています。
しかし、全ての人は愛の大河の住人ですから、宗教であるからこそ、価値観の衝突も、永遠という視点での進歩と調和の学びとしての理解が可能になってくるのだと考えます。
もし、そのように幸福の科学に対し恨む思いでこの世を去られたとしても、それも仏との縁ですから、悪しき世界に行かれた時には、天使・菩薩の方々が全力で救済に向かわれると思いますし、地上においても、同じ思いで、同じ願いでもって皆活動していると理解しています。

むしろ、あの世などない、死後は無であると頑張った学者さんなどのほうが、説得が大変なようです。布団をかぶってじっと蛹のようになったままの魂でおられるそうで、何とも気の毒な状態であるようです。

47たまご:2006/02/08(水) 00:38:15 ID:x30NDDoA
>>44
>他宗を邪教と宣告することに関して、あなたとゼロ氏は正反対のことを書かれているのだが、これはどちらが本当のKKの考え方なんでしょうか。
ゼロ氏
>邪教を広める罪は、もちろん地獄行きです!!
>逆に邪教を潰すのも我々の仕事のひとつです。

正しいものを広める過程、切磋琢磨の過程でそのような結果が出ることもある、というお話は聞いたことがありますが。

>直感を否定はしませんが、直感ならばその人がそう感じるという以外には根拠がないですよね。では、わたしが対話している相手はKKの信者さんではなくて、じつは自分教の教祖さんということなのですかね・・・。形式ではなくて本質的な意味で・・・ですが。

学んだものを自身の言葉で表現すれば、自分教と言われる、ということでしょうか。根拠がないわけではなくて、書くという表現に収まらないだけのことではないでしょうか。たとえば悟りの世界についても、認識の変容を説法する側とそれを理解しようとする側の溝を埋め合わせるだけでも何万巻経典を学び尽くし、議論してはいきますが、目で見て判るという等しい理解は難しいものがあると思います。それは、どちらが上というものでなく、認識するための地図の違いとでもあるかと思います。
或る意味では、人は皆自分教ですよね。小さな神様として、自身で判断し、自由にものを考え意思決定していくという意味で。

ですから、洗脳とは無縁の教えですよと申し上げもしますが、解る範囲で書かせていただいていても、私の材料の種類、料理の仕方、技術が適切でないという面も多々あると恥じております。

48たまご:2006/02/08(水) 08:56:58 ID:x30NDDoA
>>目で見て判るという等しい理解は難しいものがあると思います。それは、どちらが上というものでなく、認識するための地図の違いとでもあるかと思います。

訂正です。「どちらが上というものでなく」について、悟りの段階においても認識力においても、洞察力においても実力差、段階差はあります。が、私が正しくそれを判定できるわけはないので、このように書きました。信者さんとそうでないかたなど、立場の違いに上下感の誤解が含まれては困るので、「どちらが上というものでなく」としました。これでは悉皆成仏になってしまいますものね、ごめんなさい〜!

49エートス:2006/02/08(水) 21:51:10 ID:SMvtjoto
>>46
卵氏
>悉皆成仏論が出た時点でアウトになったのではないでしょうか。
これは主語がないので誰のことか分からないのですが、最澄のことなら「嫉妬から地獄にいる」というのは
誤りだから訂正ということですね。

覚鑁だとすれば、「差別と平等を知らしめることをしなかった」に関してで引っかかるのは『五輪九字明秘密釈』
の中で、真言密教の「即身成仏思想」と浄土教の「極楽往生思想」の同一性を述べたということでしょうか。

即身成仏思想はどちらかというと自力系ですから、もし同一性を述べているなら、逆に、むしろ大川氏が異端的で
あるとした浄土教を正統な仏教の流れに引き戻しているとすら思えるのですが。この点はいかがでしょう。
また「同一性の思想」を前提にするなら、それを広めた親鸞などは地獄にいなければならないですね。

いずれにしてもこの点に言及するなら、少なくとも『五輪九字明秘密釈』から説明していただきたいですネ。

50エートス:2006/02/08(水) 21:54:42 ID:SMvtjoto
>>49
研究書として紹介されている以下の文献があります。

興教大師 覚鑁−教義の考察(Japonica Neerlandica7)
発行:Hotei Publishing(2000年)
原題:A study into the thought of Kogyo Daishi Kakuban/With a translation of his Gorin kuji myo himitsushaku
/Japonica Neerlandica 7
へニー・ファン・デル・フェーレ著
初版発行:2001年8月16日

英文ですが、簡単なダイジェストが載っています。

<内容説明>
覚鑁 (1095-1143) は真言宗中興の祖と仰がれ、研究上欠かすことの出来ない重要人物である。本書では覚鑁の
一生をたどりながら、彼の業績、特に教義に考察を加えている。一般に覚鑁は阿弥陀の教えと儀式を真言宗に取り
入れたと信じられているが、著者の研究では覚鑁の究極の目的は多宗派の儀式を正統真言宗の視点から説明する
ことであったことが明らかにされている。第五章における覚鑁の代表的著作「五輪九字明秘密釈」と第四章の
「阿弥陀秘釈」の解釈がそのことを裏付ける。本文英文。人名・重要語等には日本語を付す。モノクロ図版3点。

以上はネットで調べましたが、その過程で、覚鑁については、もう一つ別の問題が生じているのを認識しました。

というのは、覚鑁で検索する限りは悪く書かれたサイトはありません。それどころか真言中興の祖として多くの仏教者の尊敬と感謝を集めています。つまり多くの人を
迷わせてはいない_むしろ救っている_ということなのではありませんか。

51エートス:2006/02/08(水) 21:58:36 ID:SMvtjoto
>>46
> 卵氏
>九次元霊ですから、許す愛の力において人間心の限界を超えた愛の体現者です。肉体を去る段階の自己認識に
おいて、最澄と比較するにはあたらない愛、悟りの段階でおられると思います。人々のマイナス想念を吸収し
溶かしてしまうようなイメージではないかと思いますし、それは神と一体となって生ききった方であるからこ
その境地であるかと考えます。

この世とあの世にわたってある法則はただ1つ「因果」であるとわたしは聞いていますが、KK的最上次元になるとこの法則は通用しなくなるのですね。どのあたりから通用しなくなるのでしょうか。神格というのは9次元までいかなくても、もう少し下の方にもいたような気がするのですが。

またさきほどの>>50の覚鑁の件でいうと、いくら人々の感謝やプラスの想念を吸収しても「ダメなものはダメ」
として裁定されるということでしょうか。

>もし、そのように幸福の科学に対し恨む思いでこの世を去られたとしても、それも仏との縁ですから、悪しき世界に行かれた時には、天使・菩薩の方々が全力で救済に向かわれると思いますし、地上においても、同じ思いで、同じ願いでもって皆活動していると理解しています。

ここでもKKに少しでも縁があれば反省無しに救われる_と「因果」は無視されるわけですか。
それはエルカンターレが法則にとらわれない存在だからになるのですか。

ところでゼロ氏が「あなたとダイア氏とゼロ氏はネットに常住している」と書かれていましたね。それに対して、現役信者氏は、当会に「ネット伝道」という言葉はない、勘違いも甚だしい_と言う主旨を書かれていました。いったいどちらが本当なんでしょうか。あなた方三人はもしかしたらモグリKKなの?

52エートス:2006/02/08(水) 22:48:51 ID:db2g10YA
>>47
卵氏
>学んだものを自身の言葉で表現すれば、自分教と言われる、ということでしょうか。根拠がないわけではなくて、書くという表現に収まらないだけのことではないでしょうか。

なに言ってるんですか。直感で書いているといったのはあなたですよ。そしてゼロ氏もね。だから、ああそうですかと反応したまでで。直感で書くのと、学んだものを自分の言葉に直して書くのとは意味が違いますよ。学んだことなら、あなたとゼロ氏の言うことが以下のように180度違ってくるはずがないでしょ。

また、書くという表現に収まらないなら、こうしたBBSで法論も伝道もできませんよ。書くこと以外の表現手段はここには無いんだから。

卵氏
>幸福の科学としては、宗教界全体が淫祠邪教的な蔭の部分があればそれを捨て去り、正しい方向に流れることが望ましいはずで、他の団体をなきものにするというような目的ではないはずです。
ゼロ氏
>邪教を広める罪は、もちろん地獄行きです!!
>逆に邪教を潰すのも我々の仕事のひとつです。

卵氏
>正しいものを広める過程、切磋琢磨の過程でそのような結果が出ることもある、というお話は聞いたことがありますが。

邪教を潰す結果になったのではなくて、目的のことです。

>ですから、洗脳とは無縁の教えですよと申し上げもしますが、解る範囲で書かせていただいていても、私の材料の種類、料理の仕方、技術が適切でないという面も多々あると恥じております。

洗脳と無縁であるかないかは、教義の問題ではなく、ひとえに信者さんの態度だと思いますがね。洗脳とは技術的な問題だから、教義自体で洗脳はできないんですよ。

>或る意味では、人は皆自分教ですよね。小さな神様として、自身で判断し、自由にものを考え意思決定していくという意味で。

自身で判断し、自由にものを考え意志決定しているように意識は感じていても、実態は多くの影響を無意識的に被っています。特に情報過多の現代ではね。それに気が付かないから神様でいられるんです。

53エートス:2006/02/11(土) 00:22:50 ID:kCDXPd8Q
>>37 >>42 >>51あたりの流れにかな。

ゼロ氏
あらー、言い返さずにはいられないご性格だから、どうするのかと思ってたら2ちゃんに書いてたんですね。2ちゃんねるの皆様にはウザイ思いをおかけして申し訳ありませんです。


967 :名無しさん@3周年:2006/02/09(木) 22:54:08 ID:82P0Tw/T
>ザ・法論、アク禁かよ!!(笑)
> 借りるぞ、2ちゃんを・・・・・・・・・・

あのね、ゼロ氏。アク禁になっても片山第2BBSにレスしたいのならね、あなたへの制限がなさそうな第一BBSあたりでされたらよいんじゃないですか。

>>ところでゼロ氏が「あなたとダイア氏とゼロ氏はネットに常住している」と書かれていましたね。それに対して、現役信者氏は、当会に「ネット伝道」 という言葉はない、勘違いも甚だしい_と言う主旨を書かれていました。いったいどちらが本当なんでしょうか。あなた方三人はもしかしたらモグリKKなの?

>当会に「ネット伝道」という概念はありません。

ふーん、じゃああなた方は毎日何やってんの。

> ソドムが、自分が「都合の悪い部分はスルーですか??」という発言をするために、逆に自分が全投稿にレスをする、というスタイルになっています。

あーそうか、あなたがネットにいるのは「他人のせい」なのだね。そうかそうか。恩ある仏に少しでも報いたいという気持ちだ、といつも書かれているソドム氏のモチベーションとは全然違うわね。それでスルーって言われるとプライドが傷ついちゃうのだネ。

>日本の大学で一番難しいから、という安易な理由で受験し、東大理・にストレートで入った為に、目標を、なおさら見失っている感があります。

はー、なにを訳のわからないことを言ってるのだか。2ちゃんねるの皆さんではないけど、あたま大丈夫?と心配してしまいますよ。得意の自分がいかに優位にいるかを自分で確認するための印象操作ですかネ。

それともあなたの学歴コンプレックスが延々と騒ぎますか。わたしはソドム氏のような人にはおおいに迷って、多くのことを経験して、さらに大きく成長していただきたいですね。あなたには、なんだっけ、すでに「有」の状態なのかもしれないから無理だと思うけど。

「ソドム氏なんかには人を救えない」とか脊髄反射だけで喚き散らす前にだね、あなたが自分の宗教者としての救済の体験を語ればよい。あなたの発言からはつねに虚構と虚勢しか感じられないんですよ。

まー意味がわからなければね。あなた、自分とソドム氏の議論をプリントアウトして、道すがらの人でも、できなければ友人にでも見せてごらんなさいよ。どっちが自分とかは言わずにネ。そこで返ってくるレスポンスですこしでも目が覚めると良いですね。

54エートス:2006/02/11(土) 00:33:38 ID:kCDXPd8Q
>>53 の最後がトップページじゃ省略されてしまうので再掲示。

あなたの発言からはつねに虚構と虚勢しか感じられないんですよ。

まー意味がわからなければね。あなた、自分とソドム氏の議論をプリントアウトして、道すがらの人でも、できなければ友人にでも見せてごらんなさいよ。どっちが自分とかは言わずにネ。そこで返ってくるレスポンスですこしでも目が覚めると良いですね。

ということで、あなたが法論スレでのわたしの投稿にヨソ板でレスされたのでここで書きましたが・・・、あなたとの問答は、内容のレベルが低すぎて法論スレにはまったくそぐわないです。ですから続きは雑談スレ、または次回以降は「ひかりもの」スレで対応いたします。

ちょうどYではまたまた「ひかりもの群団」がぴかぴかぴかぴかと預言者気取りで雄弁になっているしね。ひかりものをおだてあげて遠足の引導者してるのがあなたという構図でしょうかネ。

55たまご:2006/02/11(土) 09:06:44 ID:sgnG/dtM
エートス氏
おはようございます、いつもありがとうございます。
とり急ぎ以下について
>>もし、そのように幸福の科学に対し恨む思いでこの世を去られたとしても、それも仏との縁ですから、悪しき世界に行かれた時には、天使・菩薩の方々が全力で救済に向かわれると思いますし、地上においても、同じ思いで、同じ願いでもって皆活動していると理解しています。

>ここでもKKに少しでも縁があれば反省無しに救われる_と「因果」は無視されるわけですか。
それはエルカンターレが法則にとらわれない存在だからになるのですか。

救いというのをどう考えるか、なのですが。たとえあの世の霊でも、自分の過ちを知る事なく天上界には戻れないそうです。
「何が問題なのか」を自己認識できる(反省、懺悔)ように導くということで、すぐに天界に引っ張り上げられるようなことをもって、天使・菩薩の救済と書いたのではないのですが。
「苦しい、寒い〜」と叫ぶ意識しか出ないような落ち方だと、落ち着いて意識が通じるまでというか、パニック状態が沈静化するまでは放っておくしかないような場合もあるようで…。

Yで、今この瞬間の心が天国か地獄かというようなことを、確かあしゅらしゅさんが書かれていましたけれど、あれも真実だなーと思います。
「天国地獄は、日々一瞬一瞬の思いにあり、行いにあり」といわれています。肉体を去ったからといって、いきなり煩悩のまったくない無垢な魂として霊になれるわけではないですから、生きている内から反省の習慣を身につけることが大事なのですよね。

たとえば私が地獄にいってしまい「苦しい、何でだ〜!あー誰か教えて〜、助けてください〜」と叫んだときに、どういう天使菩薩が叱りに来られるのかわかりませんが、何故間違ったのかを諭す、「あー自分はここが間違っていたのか、本来、仏の子であったのに自らの魂を汚し、人に迷惑をかけ申し訳ないことしました(…と涙の懺悔反省)」となるような気付きのきっかけを示していただく、という“救済”です。

56エートス:2006/02/14(火) 01:19:59 ID:zUM6fZ1E
>>55
卵氏
>すぐに天界に引っ張り上げられるようなことをもって、天使・菩薩の救済と書いたのではないのですが。

ここで言う「救済の意味」については了解しました。

>「何が問題なのか」を自己認識できる(反省、懺悔)ように導くということで、すぐに天界に引っ張り上げられるようなことをもって、天使・菩薩の救済と書いたのではないのですが。

まー例えアンチとしてでもKKと縁さえあれば、地獄にいようがなんだろうが、個別に高級霊が全力でフォローしに出向いてくれる_ただし、本人の反省や懺悔がなければそれも無駄足_というような教えがある。こんな理解でよろしいかな?

ひかりものスレッドにも書いたが、わたしはソドム氏の功績としては、「法論的な矛盾に信者さんが答えられない」こと以上にね、「部外者に信者さんの異常性をわかりやすく示した」ことが大きいと思いますよ。

あなた方は「狸」と言われたことが収まらないとは思うが、これは信者でもなんでもないソドム氏が言ったことでしょ。わたしは個人的には狸ウンヌンにはこだわっていませんが、逆に信者さんが「ソドム許すまじ」と火病になるから、この話題にもこだわるんでね。

こうした批判を受けたとき、信者の態度が立派できちんとしていればね、「ああ、そんなこともあったけど、大川氏はやはり、立派な弟子を育てているし、ちゃんとした宗教家だったんだな」と一般人の何割かは思ったかもしれない。

だが、KK信者さんのあの様子からは「やっぱり目が逝っちゃってるかなー」としか思われませんよ、あなたやごく少数の方々を除いてはね。

なにしろね、「何が問題なのか」を自己認識できる(反省、懺悔)_とあなたが書かれた、この「天使・菩薩に通じるような部分」が皆無でしょうに。それで救済やら至高の信仰の優位をただ叫ぶんだから・・・。ご遠慮申し上げます、となるのはいたしかたないでしょ。退会者であられるカラー氏の内心の経験談がそれを裏付けていますしね。

あなたは信者の視点から見ているから、たいした問題ではないと思っているのかもしれないが、これはね、内部から滲み出る実態ですから、「狸」と外部から言われるよりも、ずっと深刻な状態だと思いますがね。

>そうですね。ネット生活もその(妄想、逃避)最たるものだと思います。
でも、飽きるまで続けるしかないでしょうね。

逃避、妄想だけでなく、依存、コンプレックスの補償欲求でもあるのでしょうけどね。

まーあなた達の主を愚弄する不逞の輩に反撃し、攻撃するのは「善」であり「正義」であるという視点から、その品質がどうであろうとも、信者さんには、なんでも「仲間という属性で容認できる、許容範囲だろう」という心理が働いてしまうのでしょうけどネ。

ただ、客観的にみればね、これは「自己」や自分達の行動やその結果の責任を、常に「他」_他人に転嫁することを正当化している_って構図でしょう。わたしが理解している限りですが、これは、あなた方の教義がすすめる根本的なマインドに、真逆になっているのは間違いなさそうですネ。

57エートス:2006/02/14(火) 01:36:28 ID:vujoyhgc
まーこれは、以前にもAHW氏が「外敵を理由にすれば、愚民というものは簡単に結束するの図」という政治訓、帝王訓で例えていましたネ。「こうなる民は低品質であることが傍証されてしまう」という訓でもありますね。

あなたは「飽きるまで続けるしかない」と書かれましたが、他人はともかくと、自分では逃避だと気が付いているなら、なぜその妄想と逃避をYで続けておられるのだろうかね。別に誰もあなたに使命や義務を課しているわけではないのでしょ。何があなたを連日のYのキーボード叩きに向かわせるのか。

まーそれはいいとしても、ソドム氏もスキーに行かれるようだし、スーパーシンパ・ネオ氏も「俺に意見するようなKK信者は引っ込んでろ!」と仰せですし。

老婆心でのおせっかいですが、ゼロ氏の扇動に載せられて、ひかりものと縁を深めていつのまにか同化してしまう前に、すくなくともYからは足を洗ったほうがいいですよ。手前味噌というわけではないですが、狸発言にはむかついちゃうし、また互いに理解を深めたいってのなら、ソドム氏との仕切り直しは第2でなさることをお勧めします。

58エートス:2006/02/14(火) 01:41:51 ID:VQMinKvA
>>Y9629
サンライズ2006氏
>私はこれを、「ニーチェが嘲笑された」ととるのは誤りであるのではないかと思います。「『神は死んだ』と叫んだその言葉が、あの世に還ってから、数限りない霊人たちの嘲笑の的になりました」、とあるように、ニーチェの「言葉」が、霊人たちの嘲笑のまとととなったのではないのでしょうか。

また新しい方みたいですが、こんな説明でそのお友達は納得したんだろうか。

宗教ってのは心を扱うもんだろうに。こんな紙ッペラ同然の詭弁の教科書みたいな説明じゃあ、わたしは納得できないけどネ。それともこんな説明で納得できる人しか信者にはならないのがKKなんだろうか。

言葉はそれが生まれる背景を必ず持っています。ニーチェの「神は死んだ」という言葉の裏にある苦しみを汲むことができないKK版高級霊人とはなんだろう?と思いますね。

59中坊です:2006/02/21(火) 19:12:52 ID:6LcGZ5ik
現役信者氏へ
スレを移動し、あらためて聞きます。
「エル・カンターレ信仰」とは何ですか?
いままで、あなたが言うところのネット信者のエル・カンターレに対する考え、信仰を探りました。
しかし皆バラバラの見解を持っているようです。w
ありす氏などにもわかりやすく説明してください。

60現役信者:2006/02/22(水) 15:18:35 ID:W9wU/2hc
>>59@中坊
>「エル・カンターレ信仰」とは何ですか?
いままで、あなたが言うところのネット信者のエル・カンターレに対する考え、信仰を探りました。
しかし皆バラバラの見解を持っているようです。w
ありす氏などにもわかりやすく説明してください。


私の投稿、ちゃんと読んでいないね。
そのエル・カンターレ信仰は奥深くてまだ誰も分からないってのが答え。
信者がバラバラな見解を持っているのも、ま、仕方ない。。。がな
外部のしかも「アンチ」にいちいち説明するほどお人好しじゃないし、そういった時間も余裕もない。
ただ、内部論理としては補足や講義などで整合性は取れている。
取れているのに何故、バラバラな見解が出るのか。
教学が弱いのよ。ネット信者ってのは。これ以上は言わん。

俺は中坊とまともに会話が出来るほど人間が出来ていないので、あなたとの会話はしかねる。

挨拶がてらに投稿だけね。

それと、ありすさんに説明はいらんだろうよ。
最後の一文、余計ですと忠告しておく。中坊から大人になることを期待してね。

61IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/02/22(水) 23:27:47 ID:fe6DLmEw
>>59

おお、中坊です君。現役信者殿は答えてくれなかったな。これまでの君の投稿をみれば致し方ない。
「礼の精神」って知っていますか。KK書籍「信仰と情熱」の第一章、リーダーの条件として「礼」が最初にきております。

①大宇宙神霊、高級諸霊への礼 ②指導者への礼 ③衆生への礼 とあるね。

某信者氏などをはじめ光りものといわれるひとたちは、その文章をみるに、この精神に欠けていることにきづくであろうが。
退会者になった私としても今読み直してみて、この第一章信仰と情熱はよいとおもいます。おお?、誰だまだマイコンがとけていないなといっているのは。

62IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/02/23(木) 00:55:07 ID:3/ib/mgk
>>61

そしてその本にアリス・ベイリーの「グラマー」を添える。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/6228/1124476903/17

63エートス:2006/02/23(木) 01:43:18 ID:ZthpOMpc
>>59-61
中坊です氏、「釣るためwww」とか書いちゃってるからマジメに応えてもらいにくいかもしれませんネ。でも現役信者氏は、一応、答だけは形の上ではくれてますネ。

まーそれ以前に常駐の信者さんが今はほとんど皆無状態なんですよね。

青の青氏や百式氏もどうしているのだろう。おいとま投稿もないまま、今年に入ってからぷっつりなので心配はしています。BBS上の付き合いだけだから、実際に不慮の事故とか不幸があっても知る術が何もありませんから・・・ネ。

ところで
>>Y9944 のIAOO.KK氏とファイン氏

>>執着の対称は目の前に現れている世界だと思う。

>目の前に現れない世界もです。
>自分の考え、そして「私」さえも。

>>目の前に現れている世界から自由になるのが解脱だと思う。

>対象に同一化しないことが無執着であり、自由になることです。

お見事ニャリ、至言です。
「心が全て」とは、顕れているものは全て心の作用と考えることだから、目の前に現れる世界も、感じる世界も、「私」の心の作用だね。それに執着するとは、つまり「私」さえも執着であるということですね。

ちなみに、対象と同一化することを心理学で投影などといいますよね。この投影の状態から心を正常な状態に引き戻すことが、宗教でいう無執着なんだろうと思う。よく言われる、全てをあるがままに見る、ということになるのかな。

64中坊です:2006/03/01(水) 10:50:12 ID:BH4AAuPA
>>60現役信者氏
あれっ?お答え有り難うございました。
たぶんスルーだと思っていたもので、しばらく片山から離れていました。どうも失礼しました。
ただ内容について言わせてもらえば、「エル・カン信仰」は誰にも分からんという答えにはがっかりしました。これは拡大解釈すると、あなたがた信者は、「本尊信仰」を持っていないということになるからです。
たとえば、他の宗教信者に「本尊信仰」を聞いた場合、おそらくアンチが口を挟む余地のない答えが返ってくるでしょう。
またあなたがた信者は、エル・カンターレという存在について何も分かっていないということにもなるのです。
今回の質問は、いわば「前フリ」です。次回は、その問題にもっと踏み込んだ質問を用意してます。いま準備をしています。
余裕があれば、ご返事ください。w

65中坊です:2006/03/01(水) 11:02:55 ID:BH4AAuPA
>>61
おおっ、「礼の精神」ですか!うーむご指摘有り難うございます。
これからは、肝に銘じて質問していこうと思います。

66たまご:2006/03/04(土) 00:04:03 ID:SUMmTW9s
五輪九字明秘密釈について検索して…

原典は勿論読んではおりません。が、これはと思われる方の考察を見つけました。リンクの貼り方がいまだに分からないので、アナログな紹介。
橋豊氏(作家・エッセイスト?)のホームページにある学習ノートです。空海に始まって、覚鑁について、著述からの考察が綴られています。ソドム氏の発想の原点が少しわかりました。

67主管理人の黒田★:2006/03/04(土) 05:18:12 ID:KraiPa16
橋豊ホームページ
http://www5b.biglobe.ne.jp/~yutakas/
「空海の肖像」のこと
http://www5b.biglobe.ne.jp/~yutakas/kuukai-a.html
五輪九字明秘密釈ノート
http://www5b.biglobe.ne.jp/~yutakas/kakuban-2.html

URLのコピーの仕方は 片方の文字はしっこをクリックしてもう片方の文字のはしまでマウスポインタを引きずって文字選択状態にするんです。そして右クリックしてポップアップメニューが
出てきてコピーのメニューが出てくるはずです。

68たまご:2006/03/05(日) 00:16:52 ID:QbReqt9A
>>67
黒田氏ありがとうございます。
恐縮です。

69マンダム!:2006/03/05(日) 23:43:58 ID:g25IBVZ.
「中坊です」さん

>ただ内容について言わせてもらえば、「エル・カン信仰」は誰にも分からんという答えにはがっかりしました。これは拡大解釈すると、あなたがた信者は、「本尊信仰」を持っていないということになるからです。

「初めまして」の様で。
タダ、「エル・カンターレ信仰」については、本当にマダマダ謎が多く、一人間の「頭脳」だけでは到底及び知れないモノが有るノは、確かに「感じられる」。
と言うノも、当会において「エル・カンターレ」とは、「法の意識」がその本来の姿である、と言われ、且つ、「宇宙即我」を体現している、とも説明されている。この大宇宙全てに「法の血管」が張り巡らされている、とも成れば、ドコからドコまでのコトを指すノか、全く範囲が特定出来なく成るノも、至極当たり前のコトでしょうな。
「現役信者」さんは、ネット信者について「教学が弱い」と仰っているが、多分コレは、「主エル・カンターレを巡る、総論的認識の部分に最も弱い」と言うコトでは無いか、と、私なりに推測する。
と言うノも、大抵の会員さんが真っ先に認識する「主エル・カンターレ」とは、

*私(及び、私に縁有る人々)の魂を創造して下さった主エル・カンターレ
*私(及び、私に縁有る人々)の人生を絶えず見守って下さっている主エルカンターレ
*この大宇宙の全てを統べられる存在である、と、【我々が認識する】主エル・カンターレ
*今世、肉を持ち、下生され、法を説かれている主エル・カンターレ(詰まり、「応身」としての存在だ)

の部分であり、詰まりは「私からの発想」で「主エル・カンターレ」を見ているに過ぎないからです。

70マンダム!:2006/03/05(日) 23:51:50 ID:g25IBVZ.
主エル・カンターレが「全ての法・魂・存在の根源」であるとすれば、本当の意味で主エル・カンターレを認識するには、恐らく「法の意識」からの発想で見なくてはならない。

・・・・・・この視点から見る為のヒントが、一応、御法話の中に、在る。「多次元宇宙の秘密」の中で総裁は、「私が仮に5万人の人に向けて話をしていると言うコトは、5万人の大川隆法が居て、一人一人に話をしているノと同じ認識と成る。コレが第1ステップである」と言う趣旨の説明をされている。

然し、コレが第1ステップであり、この先にまだまだ、遥かなる多次元宇宙と同化した視点が、無限段階、存在する。【恐らく、会員諸氏、誰一人として、この視点を持ち得ていない】。
だから、「誰にも分からない」と言うノでしょう、恐らくは。

71現役信者:2006/03/06(月) 14:57:58 ID:ivA6h46.
マンダムさんが投稿したので申し訳ないという気持ちでもう一投稿。

中坊くん
>ただ、内部論理としては補足や講義などで整合性は取れている。

と私は言っているのですね。
拡大解釈も何も出来るはずないのに「本尊信仰がない」と言うのは意味不明でございます。
当会には「家庭本尊」や各地の精舎に建立されている礼拝の為の「代理本尊」がございます。
と言うわけでございまして、あなたの「前フリ」は咀嚼力を増してから行ったほうが良いでしょう。


>>70のマンダムさんの投稿の補足
マンダムさんの主張の要旨を理解するのに「釈迦の本心」や「沈黙の仏陀」などが宜しいかと思います。他にも山ほどあるのだが。笑
ぜひ、卵氏には頑張ってお読み頂ければ幸いです。

72エートス:2006/03/07(火) 07:18:36 ID:W5pUwOKw
>>65
中坊です氏

そーですね。第2では中身のある議論を互いに気持ちよくできるのが理想ですネ。

>>66
卵氏
>ソドム氏の発想の原点が少しわかりました。

ゆっくりでもこーして話が進むのはいいね。まー出し惜しみしないで勉強なさった成果を書いてくださいね。
URLはコピペでも手書きでも http:// からただ書くだけで大丈夫ですよ。

>>67
黒田氏 参考URLありがとう。

73エートス:2006/03/07(火) 07:25:11 ID:W5pUwOKw
>>70
マンダム!氏

お久しゅうです。

>「現役信者」さんは、ネット信者について「教学が弱い」と仰っているが、多分コレは、「主エル・カンターレを巡る、総論的認識の部分に最も弱い」と言うコトでは無いか、と、私なりに推測する。

教学が弱いこと自体は別に構わないんですよ。KKの次元の考え方にもあるが、人の悟りには段階があるでしょうからね。問題は、彼らがその教学に弱いことを問題として自覚されていない、あるいは開きなおったりなさることでしょうね。

>大抵の会員さんが真っ先に認識する「主エル・カンターレ」とは、*私(及び、私に縁有る人々)の魂を創造して下さった主エル・カンターレ *私(及び、私に縁有る人々)の人生を絶えず見守って下さっている主エルカンターレ *この大宇宙の全てを統べられる存在である、と、【我々が認識する】主エル・カンターレ *今世、肉を持ち、下生され、法を説かれている主エル・カンターレ(詰まり、「応身」としての存在だ) の部分であり、詰まりは「私からの発想」で「主エル・カンターレ」を見ているに過ぎないからです。

これは、一見、「私(個)からの発想」でエル・カンターレを捉えているように読めますが、魂を創造して下さったというのは、知識として大川氏の著作から教えられたことではないのですか。大川氏がそう言及するまでは誰も知らなかった事柄になるわけですから。

「私(個)からの発想」でエル・カンターレを語るとすれば、それは千差万別のエル・カンターレ像となるはずですが、そうしたエル・カンターレ観をかろうじて語っておられるのが現役信者氏かなー。かろうじてですがネ。

>主エル・カンターレが「全ての法・魂・存在の根源」であるとすれば、本当の意味で主エル・カンターレを認識するには、恐らく「法の意識」からの発想で見なくてはならない。

これは「根源の立場から根源を認識しようとする」ということになるから、この発想が可能な認識の形があるとすれば、それは「徹底した相対化」でしょうね。もちろん相対化されるものには大川氏さんもが含まれるでしょう。

74IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/03/07(火) 14:36:10 ID:JTLZECNU
信仰において何を信じるかだけでなく如何様に信じるかも大切であると最近考えております。さて、徒然なるまま書かせていただきます。

エル・カンターレを信じてもらうために名前がエル・カンターレである必要はあるだろうか。KKの教えというものは「過去の宗教や思想や信条はこのようなものは海の藻屑となりはてるともかまわん」といわれているけれどもしっかり受け継いでるのではないか。しっかりかどうかわからんが。

KKが世界宗教として活動するときの問題の一つは総裁をエル・カンターレの直接の受肉と認めるかどうかで世界の大半は拒絶するとおもう。ということで総裁がエル・カンターレかどうかに拘泥するのはやめるべきではないかとおもう。そいうことで世界伝道用の本尊は総裁の写真はのせてないみたいですね。私は最初からこれにしてもらいたかった。

総裁はKKの信者さんのためだけに説法するのではないのだから、もっと難しい話をしてもいいとおもう。深い教えをやさしい言葉で説くのは難しいかもしれないが、ときにはやさしいのではないか。簡単な言葉ほと抽象的なのであるから。


・反省または八正道をするときものごとの原因をたどっていこうとするときに記憶や知覚力や認識の限界にぶち当たってしまいませんか?道をもとめる修行者たちよ。

75IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/03/07(火) 16:22:52 ID:JTLZECNU

 総裁が救世主であるかどうか自らわざわざいう必要はない。真に救世主であるならば周りが認めてくれるであろう。
これは「もとなる心へ」でも関谷氏がいっていた。GLAでもいわれていましたね。(「人につかず、組織につかず。法につけ」)
個人崇拝、大師崇拝への戒めは神智学がおこってからあってブラバッキー夫人は大師たちの個々人の名前を公表したことを後悔しておったそうです。
19〜20世紀のスピリチュアリズムのメッセージの中にもあります。

私は総裁への信仰よりもエル・カンターレへの信仰、KKのエル・カンターレ信仰よりも、その実在そのものが名前であるものへの信仰を強調したい。

76IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/03/07(火) 17:08:40 ID:JTLZECNU
>>75

これは前掲した「信仰と情熱」の大宇宙神霊への礼にからはじめるということなるでしょうか。普遍的なものからはじめて個別的なものでおわる。
KKの教えが総裁が本物であることセットにしてあるので総裁が本物でないことがわかったとき普遍的なものまで否定されてしまう。
これじゃいかんのですよ。とはいえ熱心に私がそんなに心配する必要はないか。

世界宗教を目指すKK。私のもってる旧黄金の法文庫本でマホメットに啓示を伝えたのはエル・ランティでガブリエルが通信役となったとある。
ごめん、新版もってないです。これをKK信者はイスラム圏での伝道で述べるのだろうか。それはやめとけ。

77IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/03/07(火) 17:32:56 ID:JTLZECNU
あ、途中で送信してしもた。

コーランの冒頭では…

なんだ、アラーが「恩寵をくださる方」として表現されている。アラーの神の意志が強調されるのは後だったのね。あ、これ旧約聖書のパクリがはいってる。
キリスト教と仲がわるいのはコーランの中に神の子という考えを否定する文言がはいっているからですね。というかマホメットはユダヤ教徒つれなくされてそのは反感からそんな啓示をだしたのか。
こまるなぁ。

78エートス:2006/03/08(水) 07:28:05 ID:KBGmQMSk
>>74
IAOO.KK氏
>総裁はKKの信者さんのためだけに説法するのではないのだから、もっと難しい話をしてもいいとおもう。深い教えをやさしい言葉で説くのは難しいかもしれないが、ときにはやさしいのではないか。簡単な言葉ほと抽象的なのであるから。

文意的にタイプミスがありそう?ですが、それはそうだろうと思いますよ。
むつかしいことでもやさしい言葉で説く_のが悟った方の身上の一つだろうとは思いますが、KK教義のように収拾がつかないほど間口が広く、かつ抽象的でやさしい言葉が羅列されていると。仏教的精神の真髄であろうところの修行体系というものが曖昧になってしまっている。

場合によってどーとでも解釈できるのであるから、それでは心の変容、変革どころか_現在の自分に都合の良い言葉だけに敏感に反応し_そればかりにしがみついてしまったり、また都合の悪い相手を貶める理由になる言葉を探しては_悦に入ってしまったりという。そーいったネットでも飽きれるほど観察されるKK信者さんビヘイビアの群れを生んでいるようにも思われますよね。

79エートス:2006/03/10(金) 02:19:16 ID:92GVCUss
>>74-77
IAOO.KK氏

きのう簡単なレスしたんだが、じっくり読んでみたら面白かったのでもう少し。

>信仰において何を信じるかだけでなく如何様に信じるかも大切であると最近考えております。

何を信じるか_ではなくて、如何様に信じるか_ということが「信仰者のふるまい」に帰結するわけだからね、現世ではむしろ「如何様に・・・」のほうが大切かもしれないと考えております。

>エル・カンターレを信じてもらうために名前がエル・カンターレである必要はあるだろうか。

エル・ヒポポタマースとかね。w

>KKが世界宗教として活動するときの問題の一つは総裁をエル・カンターレの直接の受肉と認めるかどうかで世界の大半は拒絶するとおもう。

「神の人間化」と考えるのか、「人間の神化」と考えるのか、どちらなんでしょうかね、KKは。イエスに関してキリスト教はただ一度限りの出来事ということで、はっきり前者を公式見解にしていますが。

>KKの教えが総裁が本物であることセットにしてあるので総裁が本物でないことがわかったとき普遍的なものまで否定されてしまう。

カントにしても、判断停止の態度はとったけど、神という普遍的なものは心情的には前提とされていたと思いますネ。
信仰は人間にとってアプリオリ(先天的)な心理傾向でもあるので、大川氏が本物であろうがなかろうが普遍的なものは_一部の信者を除いては_否定されないはずでしょ。というか、そこまでの普遍性はないでしょう、KKには。

>キリスト教と仲がわるいのはコーランの中に神の子という考えを否定する文言がはいっているからですね。というかマホメットはユダヤ教徒つれなくされてそのは反感からそんな啓示をだしたのか。

マホメットは「ユダヤ・キリスト教を完成させるべく地上に遣わされた最後の預言者」という位置付けですから、当然使徒としてこうした啓典の民に受け入れられるはずでした。

しかし、あなたも書いていたように、聖典の食い違いからマホメットは結局はそれまでの一神教徒に受け入れられることはなかった。だからこそ、正当性を確保するためにイスラムとしてのルーツをアブラハムに求め、新たな一神教として成立していった、とも言えますね。これはコーラン9−33の言葉ですが

「彼(神)こそは、たとえ多神教徒が嫌っても、お導きと真実の宗教をもたせ、これがあらゆる宗教にまさることを宣言するために使徒を遣わしたもうたお方です。」

>私のもってる旧黄金の法文庫本でマホメットに啓示を伝えたのはエル・ランティでガブリエルが通信役となったとある。

「後からでたものが正統であり、他の諸宗教に優越し、古い啓示、そしてこれ以降の新たな啓示や預言者はもはや必要ではない」「コーランは神が語った言葉そのものである」_等の主張は、実はKKとイスラムがかなり似た構造というか立場にあることを示していますね。

片や預言者で、片や現人神様そのものが主宰するところは異なりますがネ。

80IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/03/10(金) 23:18:27 ID:ROHipP9k
>>79

古本屋でかったコーランよんでるともう聖書よんでるような感じ。訳のせいでしょうか。サタンとうことばもでてきて。
「ブッシュは悪魔だ」とっ言っているとき「サタン」といってるのでせうかね。やれやれ。

>「後からでたものが正統であり、他の諸宗教に優越し、古い啓示、そしてこれ以降の新たな啓示や預言者はもはや必要ではない」「コーランは神が語った言葉そのものである」_等の主張は、実はKKとイスラムがかなり似た構造というか立場にあることを示していますね。

果たしてKKの総裁がここまで断言したかどうか…KK信者側からも反論はできるでしょうが、あなたがいうとうり上記のように聞こえるものもありますね。
あれはエルカンターレ宣言のときの講演であったでしょうか。

81中坊です:2006/03/12(日) 15:30:29 ID:ZkODF0FA
>>69マンダム!氏
お答え有り難うございました。
でも聞けば聞くほどエル・カンターレという存在について分からなくなってき
ます。ある信者は、神であり創造主であるという、ほかの信者はエル・カンは
そんな事言っていないという、かなり隔たりがあるわけです。
それをもって、私は本尊信仰は無いに等しいのではと考えたわけです。
最近昔の霊言集が手に入ったので、読んでいますが、高橋信次の存在と影響が
あまりにも強く、初期のKKは本尊が二体あったのではと思ってしまいました。
また根本の神についてなぜ信仰しないのか?という疑問もあるのです。

82中坊です:2006/03/13(月) 14:49:27 ID:rcT1Q5Qg
『かつてマホメットが「アラー」と呼び、モーゼやイエス・キリストが「ヤーヴェ」
 あるいは「エホバ」と呼んだ存在とは、「アール・エル・ランティ」という人類草
 創期からの偉大なる大霊であった。
 近年、この魂の一部が日本に肉体を持ち、心や魂の転生を科学的に解き明かした。
 これが「GLA」という団体を主宰した高橋信次、その人である。
 師は今もなお、その霊言によって多くの人々を神理に導いている。』
 「アラーの大警告」巻頭文より
大川氏は高橋氏のことを「師」と呼んでいます。
しかも「エル・ランティ」という現在の教義ではありえない存在を認めています。
明らかにこの文は、大川氏が本を売るために虚偽の内容を書いたことを示しています。
大川氏は、最初からこの本が虚偽の内容を含んでいることが分かっていながら、自ら
虚偽の内容の巻頭文を書き、本を売ったのです。この行為は詐欺に近いと思います。
また高橋信次氏に対する名誉毀損の疑いもあるように思われます。
信者の皆さんはこれらについてどう思いますか?

83IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/03/13(月) 21:54:44 ID:v2Obo3PM
>>82

信者でないけど。

>大川氏は高橋氏のことを「師」と呼んでいます。

かつての大川主宰、現総裁は講演でも高橋センセと呼んでいました。

エル・ランティは現在「エンリル」とよばれ裏系の神としてKK信者は否定的であるが依然として9次元霊。父・善川顧問がGLAの影響をうけてらして、
KKを作ったメンバーがGLA系の人たちですから、GLAは無視できませんね。

84たまご:2006/03/13(月) 22:51:19 ID:p8N2i5T6
>>83
>かつての大川主宰、現総裁は講演でも高橋センセと呼んでいました。

そういえば、当時どこでどなたがとは言われていませんでしたが、抗議の声があったらしいです。“ちゃんと相手を立てないのはけしからん”的なことを、総裁先生が注意されたというような話です。

85IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/03/14(火) 19:38:54 ID:G8m95jfA
>>84

そういえば2chでどなたがとはおぼえていませんが、抗議の声があったとおもいます。

”大川センセ”って呼ぶなって、私が注意されたというような話です。

86IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/03/14(火) 20:20:00 ID:G8m95jfA
>>79

>エル・ヒポポタマースとかね。w

 聖なる光のカバなぁのだー。

>「神の人間化」と考えるのか、「人間の神化」と考えるのか、どちらなんでしょうかね、KKは。

「(L・Cが)みていることができないからこの地上に生まれてきたのですッ!!」なら「神の人間化」かもしれません。
「私(R・O)はL・Cであルッ!」なら「人間の神化」なのかもしれません。
ふつうL・Cは地球そのものをのぞくそれ以下の生命の統括者としての9次元霊をさすとするのが基本的な見解とすべきですよ。信者さんにもいうけど。「R.・OはL・Cの一つの端末ですよ。」といったら信者さんに怒られました。

14次元や20次元L・CはもはやL・CであってL・Cではないというべきですよ。それをイコールR・Oとするのは人間の髪の毛一本をそれは人間全体ですといっているようなものです。ね、九州の真ん中あたりのチーム長!


>イエスに関してキリスト教はただ一度限りの出来事ということで、はっきり前者を公式見解にしていますが。

人智学ではイエスは神のひとり生まれの子=>神の神の二人生まれでない子=両親から生まれていない子=>キリストの降下 というふうになって、神智学的にもイエスとキリストは別の存在なんですよ。
また、Yであしゅらっしゅもちらっと言及していましたけどシュタイナー人智学では二人のイエスについて述べてます。ゴルゴダで磔になったイエスは仏陀やゾロアスターの霊体とキリスト神霊の集合体なんであるといってます。

87IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/03/14(火) 21:15:53 ID:G8m95jfA
簡単にエリアの預言 「ノストラダムスの新予言・第四章」  初版第一刷 1988年6月20日

 第一の予言 1992〜5年 中東を中心にWW3。
 第二の予言 1999年8月 世界の大都市に異常現象。
 第三の予言 2012年 核戦争 世界人口の1/3が消失、ソ連は中国に亡ぼされる。
 第四の予言 日本を中心にルネッサンス運動〜2100年頃まで。
 第五の予言 キリストがカナダに再臨。 2300年。  
 第六の予言 今からおよそ500年後 アメリカの一部海没、ムー大陸浮上。
 第七の予言 3200年ごろ人類が地球を脱出。

88IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/03/15(水) 00:10:06 ID:zsu0Lz8.
>>86

ホットゾヌでの書き込みは 日本語変換がBUGります。

訂正

神の神の二人生まれでない子=>二人生まれでない子

89中坊です:2006/03/15(水) 12:40:08 ID:lv5bc7Ew
>>84たまごさん
ふつう相手をたてるときでも、「先生」とは言っても「師」とはいいませんよ。大川氏は、大悟する前に「裏の7次元の存在である高橋信次氏」に宗教について教わり、また霊言集を出す際も教えを仰いだのです。だから「師」と書いているのです。
というふうに考えるのが自然だと思います。
そうすると地球における最高大霊のエル・カンターレが、なぜ裏の7次元の存在に教えを乞うことになったのかという疑問も沸いてくるわけです。

90AHW:2006/03/16(木) 00:08:13 ID:3d5JTBKk
>>87 IAOO.KK氏 ぉ)これがエリアたん版未来予言か

まあ高級霊人諸氏版のはおろか、総裁氏本人気付での予言(世紀末予言のみじゃなく良い方向のも、悪い方向のもだな)もほぼすべて外しまくり。
「いや、単に予想・予測だったのだ」と地盤崩壊級のいい訳を言い出しても、どうみても三流「曲がりや」そのものだろ。
下げマンじゃないが法話とやらで言及されな著名人系は、見事にほぼ全員こけまくるし下げ髪じゃまいかw

「こりゃひどくね、そのうちまとめて批判するか」と第2で前に自分も触れてた「リバティ」法話「予言外れのいい訳」内容、ネタ氏、じゃなかったネオ氏がYで自暴暴露してたわな。

これだけ外しまくると、自分的にひそかに注目してるのは、2037年だっだけ?(違ってたらすまそ)
「高次元存在になるほど狂わない」とされてる「没年」とかも全然外れまくるだろうと思われ。
その頃には、山のような防衛神学が「ああでもないこうでもない」と内部限定できあがってそうだがw

それに引き換え、このところの「Xデーが近い」ふいんきがバリバリで、ワクテカ。kk予言よりは当たりそうだわ。

91エートス:2006/03/17(金) 07:38:56 ID:inCXUpGY
>>Y語るトピ10852
卵氏

>宗教団体が「買い」かどうかという視点も面白いですね。信仰は一人でも成立するものです。また、無限供給のものです。株式投資に対し、見返りがありますが、信仰においては厳密にいわゆるこの世での恩恵というのは副次的なものであって、目的ではないですから、対比自体、本当は成立し得ないと思います。

わたしは対比は成立すると思いますよ。投資対象は会社、つまり法人でしょ。雨と無知氏が書かれた「投資対象として買い」というのは、法人の評価で、それは宗教法人にも当てはまるのではないですか。

心が全てというあなた方の前提に照らせば、この世的な法人も「それにかかわる人々の心の現れ」と考えることができるでしょう。「真の信仰は違う」というなら、そもそも宗教法人化する必要もないわけでね。

>それから、何人も内心の自由、信教の自由を侵すことはできないはず。
>その観点からみれば、攻撃的アンチ諸氏の心のほうが心配です。

えー前文と後文の接続具合が、どうも私の読解力ではかなり意味不明なんですが?

内心の自由や信教の自由をネットのアンチ諸氏が侵している、あるいは侵せるとは思えないのだが、「KKはおかしいのではないか」と表現することかな。

仮にそうなら創価学会や真如苑にとってはKKは「攻撃的アンチ」でしょ。他信仰を「邪教」とか、天変地異の原因の一つ、とかまで言ってるのだから。それに表現の自由との関係はどうなるんだろうか。

92RANDY:2006/03/22(水) 20:10:13 ID:fVzxT7iw
…唐突ながらお邪魔しますよ。


【ザ・雑談】☆Part2☆
>>21
現役信者氏


>良い店だから飲食代金タダにしてしまえばそれでいいのか?従業員に給料払えずじまいで閉店。ってオチ。

仰る通り、商売ならば、現役信者氏の考え方が一般的でしょう。

けれども今は、宗教の話をしてるんですよ。
現役信者さんの比喩を、与える愛を重視する宗教的な考え方に直すとこうなります。

【ある飲食店で、美味しい料理が出来た。お客さんにも好評で、大繁盛した。
そのうち、お客さんや、同業者が美味しい料理のレシピを尋ねてきた。
店の主人は、喜んでレシピ、秘伝を教えた。その結果、美味しい料理が、
どこでも食べられるようになり、飲食店は倒産した。しかし店の主人は、
大満足だった。なぜなら美味しい料理は、広まり、
みんなが美味しい料理を食べられるようになったからだ。めでたし、めでたし】


>布教誌が当会にはあります。これは無償で配布しているものです。

キリスト教などは、薄い冊子はもちろん、根本経典の聖書を無料配布してますよね。
ホテルとかにも寄贈しているというし。
実際、私自身も、友人も頂いたことがあります。

kkも、キリスト教と同様に、根本的な経典を無料配布してもよいのではありませんか。
たとえば『正心法語』などは、掌サイズだし、内容もよくまとまっていますね。
これは無料配布には丁度いいように思います。

あと、もしもkkに無料配布する資金力がないならば、著作権を放棄すればOKでしょう。
もし『正心法語』に価値があるならば、裕福で志のある人たちが自分たちの資金で、配布するでしょう。


>総合信仰誌「月刊・幸福の科学」
>幸福体験集「ザ・伝道」
>心の教育誌「ヘルメス・エンゼンルズ」
>学生・青年向け小冊子「ヤング・ブッダ」

>これらは全国で毎月配布されています。
>裕福な信者限定では無いことがこれでお分かりいただけますね。

以前は、千円くらいだった霊言集が、今は改定されて、二万円という話を聞きましたよ。
ある信者の話だと、「以前より、光の量がスゴイんですよ!」ということですね。

93現役信者:2006/03/22(水) 20:24:17 ID:1KjIUnHg
>>ランディ氏
>けれども今は、宗教の話をしてるんですよ。

あなた、組織ってのをご存知?
宗教には組織はいらないってのなら、あなたは素人どころか論外です。
この手の話しは今まで何度も何度も繰り返してきて、いい加減嫌気がさしてきています。

一言
「潰れたらいかんじゃないか」

あなた、組織を維持・継続させるのは利益であると言うこと知っていますか?

ほんとすいませんがうんざりします。
他の親切な信者さんが居ればその方にお聞きしてくださいませ。

最後に、無償配布している冊子はあると答えているのに、それにはスルーで今度は2万円話ですか?
裕福な信者限定じゃございませんと例を示して答えている私の誠意は無視ですか?

時間も余り取れない仕事できない男なのでこの辺で。失礼しました。

94RANDY:2006/03/22(水) 22:21:46 ID:fVzxT7iw
>>93
現役信者氏

>宗教には組織はいらないってのなら、あなたは素人どころか論外です。

「いらない」とは思いませんよ。
私が言いたいのは、宗教の目的は、信仰、教えの実行であり、組織は、その手段でしかないということです。

>この手の話しは今まで何度も何度も繰り返してきて、いい加減嫌気がさしてきています

組織論などに限らず、大概の問題は、数千年も前から議論され続けているものばかりでしょうね。

>「潰れたらいかんじゃないか」

一般に組織というものは、本来の目的を忘却し、ただ組織の存続それ自体が目的になって行くものなんですよね。
そのようにして組織は腐敗して行くようです。

>あなた、組織を維持・継続させるのは利益であると言うこと知っていますか?

いかなる場合も、組織の維持・継続が利益になるとは思いませんが、
そういう場合があるということは分かりますよ。

95RANDY:2006/03/22(水) 22:26:12 ID:fVzxT7iw
>>93
現役信者氏

>無償配布している冊子はあると答えているのに、それにはスルーで今度は2万円話ですか?
>裕福な信者限定じゃございませんと例を示して答えている私の誠意は無視ですか?

言い訳になるかもしれませんが、「スルー」という意図はありませんでした。
ただ新たな顧客取り込みのために、チラシ、パンフレットが無料というのは私企業でもやることじゃん、みたいなことで取り上げなかったわけです。
しかし結果的に、「スルー」したという誤解を招いてしまったことは、どうもすみませんでした。
ただね。一冊二万円というのはインパクトありますよね。

あとキリスト教だと、教団が聖書とか寄付してるわけでしょ。
でもkkは、経典を信者が買い取り、周囲に配ったりしてる。
「信者に買い取らせず、kk自体が配ったらいいじゃん」と思いますよ。

>ほんとすいませんがうんざりします。
>他の親切な信者さんが居ればその方にお聞きしてくださいませ。
>時間も余り取れない仕事できない男なのでこの辺で。失礼しました。

御迷惑をお掛けしました。
御返答は、義務ではありませんから、忙しい場合、気が向かない等は、それこそ「スルー」で結構です。

最後に、仕方がないから、こちらから書きますが、kkは、「与える愛」「利他」などを説きつつも、「発展」なども説いてますし、この世的なものとの妥協も容認しているようですから、私企業のような面が出てきてもおかしくないかも知れませんね。
一冊二万円だとか、教祖の写真がいくらだとか、お金がかかることはkk的には問題ないのでしょうね。

96エートス:2006/03/23(木) 02:28:33 ID:93UgiI3M
>>RANDY氏 現役氏

>私としては、KKには、後者であって欲しいものですが、この点については、現役信者氏およびkkとは意見が分かれるようですね。

私は現役信者氏の解説で納得していますよ。「思想に著作権はない」というのは_思想は人となりを通じて広がる_という私の考えと一致しています。生き方そのものが思想といってもいいかな。

>>内部向け限定御法話等は、信者さんたちの悟りの段階に応じて用意されている研修等も指すので、まず、信者自身がきっちり学習して、仏法真理の一端でも体得してもらい、その上で外部向けに発表していくと言うスタイルです。

外部向けの発表とは、一つには信者さんの態度であると思うのです。大げさに言えば生き方で人に影響を与えることですね。研修がこうしたことを目指して体系化されているなら、わたしは評価しますよ。

しかし現状では教団あるいは信者さんの態度に関して評判はイマイチ好ましくない・・・。ということはどこか教学のシステムに欠陥があるのではないでしょうか。

一方、外部に対して華々しく行って悲惨な結果に終わった様々なパフォーマンスがあったわけでしょ。これらに関しては内部向けの御法話で云々などで済ませるのではなくて、きちんと外部に発表すべきことではないか_と思うのです。公式HPもあることですし。これが無い限り諸矛盾とみえる点について、うさんくさい目で見られてもしかたがないでしょうね。

97マンダム!:2006/03/23(木) 02:40:17 ID:nGCWtp3c
「ザ・雑談」>>32「現役信者」さん

>私が一石投じる以前の話ですが、釣られている人が出てきているので「おいおい」って言う感じに近くて投稿した次第です。

私も、「釣られかかった」一人だ。全く、面目無い。
尤も、私が「本物か?」と言う趣旨の投稿をしてから、又、相当のデータが集積され、ソレをも読み進めて行く内、どうも、「綻び」が目に付く様に成って行った。
貴方の御指摘通り、「そんな質問に一々答えては居られない」こう言う言い回し、総裁は、されないノでした。

今も尚、「el cantare」氏に対し、様々な角度から「質問」が成されている。然し、明確な態度で答えているモノも有るが、ある種の質問は、どうも巧く交わされている感じだ。

実は私は、アレからズット考え続け、彼に対する「必殺の質問」とでも言うベキ物を、2・3、用意している。
ま、私がコレを出すまでも無く、「正体」は露呈するモノと思ってはいるが、コレを質問するか否かは、明日、「大悟祭」に参加し、「真の仏の光」の真っ只中で、考えるコトとしましょう。

98あきら:2006/03/23(木) 18:07:20 ID:Y0xAbsQk
608の私の発言に誤りがありました
渋沢栄一が日本郵船を作ったという記述ですが、
三菱です。
皆さんすいませんでした。

99あきら:2006/03/23(木) 19:52:08 ID:Y0xAbsQk
特に現役信者さんすいませんでした。

渋沢さんのことは知れば知るほど奥が深いです。
何年かまえに、聖杯と剣さんに指摘されたことがあるのですが、
渋沢さんがある肥料会社が火事になった時、当時は保険会社もなくて
という発言を私がしましたが、この時点では、歴史をよくみるとあった
ようです。
三十数歳で日本で初めての銀行の頭取をされて、普通はそこの役職に留まるのが凡人なのですが、
中年を迎えるあたりの年で、肥料会社のパイオニアとして起業されていました。
この方は知るほどに底が知れません。
私は渋沢さんの知名度を上げるどころか、邪魔をしていたのかもしれませんね。

100エートス_アテンド★:2006/03/24(金) 00:40:48 ID:Wh55rjkY
あきら氏

おひさしぶり。
過去ログの訂正とは、これまた律儀な方ですね。

101RANDY:2006/03/24(金) 07:55:41 ID:Yz6w0VlM
>>96
エートス氏

意見の相違は残念ですが、レスは感謝します。
この種の問題は、自分にとって重要ですけど、他人にとっては関心のもてない問題なんだなと思っていたところだったんで、文に目を通してくれた人がいると確認できたのはうれしいですよ。

102現役信者:2006/03/24(金) 19:23:18 ID:eYfbXeJ2
>>エートス氏
>外部向けの発表とは、一つには信者さんの態度であると思うのです。大げさに言えば生き方で人に影響を与えることですね。研修がこうしたことを目指して体系化されているなら、わたしは評価しますよ。

体系化されつつあるだろう、と言うのが私の見解です。ここら辺は含みを持たせてたほうが良いと思います。
当会も信者数が増えるにつけ、研修の内容にも幅が出てきてますし、色々な人の悩み等に応えるためにソフトの面がかなり充実してきていると思います。
以前エートスさんが言っていた主の多面体の話なども、主観に左右されやすくなると言う危険性が無いわけではありません。
独自解釈で信仰を語ることを許容するなら、そもそも信仰などいらないはずです。
すすき氏を眺めているとよくお分かりでしょう。
全国各地に散らばる精舎では代理本尊が安置されており、その代理本尊は主の多面体の一端をお示し下さり、その中から各自が悟りの因子を求め、発見し、磨きをかけていくと言うスタイルです。
ネットに散らばる信者の姿は醜聞と言っても過言ではないです。それは私も認めます。
しかし、その人たちは全信者の0.1%程度だろうと実感しています。

精舎研修や各種祈願、御法話拝聴会や、特別御法話拝聴会などに参加されていない方が多いはずです。
偽者が出現したときにマンダムさんが、「必殺の質問を用意している」と言っていました。
私も釣られてくる信者が多いのなら出そうと用意しているものもあります。
私は沖縄なので沖縄正心館限定御法話「沖縄正心館に寄せて」の中から質問すると言うことも出来るのですね。

私が何をいいたいかと言うと、要するに、当会は成長段階にあり、研修等も含め、ハード・ソフト両面に充実が図られていると言うことです。
アンチが全ての情報を把握することは不可能であり、巧妙に成り済ましても見抜ける材料はあるということ。
もう一点。ネット上に浮かび上がる信者たちは、私が何度も何度も主張している通り、「一部の信者」であり、全体的な姿からは程遠いのだ、と言うことです。
ハードな面に関してはアンチも情報が流通しているので把握して辻褄合わせくらいは出来ましょうが、
中身、ソフトの面に関してはお手上げ状態でしょう。
細かく、○○正心館にての○○研修での内容なのですが・・・とやられると途端にパンクでしょう。
情報が無いからです。

踊らされた信者は言葉は汚いですが阿呆です。
そもそも求道心が根付いていないが為に躍らされるのです。

一つのサンプルとして、また、反面教師として眺めたいと思います。

103現役信者:2006/03/24(金) 19:39:19 ID:eYfbXeJ2
>>しかし現状では教団あるいは信者さんの態度に関して評判はイマイチ好ましくない・・・。ということはどこか教学のシステムに欠陥があるのではないでしょうか。

と言うより、ネットに散らばる信者は、そもそも研修自体を受けていないし、教学が弱すぎる。システムが機能する以前の問題です。
各地に散らばっている精舎の研修や、そこでしか聞けない御法話等も全然聞いていないであろうと思う。
或いは、学んだ内容を内部に体系化して消化し切れていないと言うことであろう。

そうでなければ、あれほどの個人的見解をさも当会の意見のように堂々と主張できるはずがない。ゼロさんなどは間違いだらけである。

以前にも申し上げたが、何度も言いたい。
せめて手元に「全経典」を揃えてから、各経典を読破して自分の中で体系化して、悟りを深め、伝道活動を疎かにせず、一生懸命生きていくことが何にもまして大事なことであろうと。
少数派の幸福より多数の幸福を求めなければいけないと私は思う。
信者になってもらうと言う以前に、まず、当会の思想を受けいれられる土台を作るのが大事である、と言う風に私は思います。

PTA活動にしても剣道の指導にしても、その中に当会の思想也を溶け込ませて分かりやすく教えていくことが大事ではないでしょうか。

みんな飛びすぎなんよ。脊髄反射的なレスと言う形容がピッタリ。

耐え忍びの徳というのは極めて重要であると私はそう理解しています。

104現役信者:2006/03/24(金) 19:42:59 ID:eYfbXeJ2
>>あきらさん

わざわざ丁寧な修正ありがとう。律儀な方ですね。
私、仕事柄こちらに常駐できませんけど、また何かの話題でお話しできたらいいですね。

105現役信者:2006/03/24(金) 20:04:30 ID:eYfbXeJ2
>>ランディ氏@94
>いかなる場合も、組織の維持・継続が利益になるとは思いませんが、
そういう場合があるということは分かりますよ。

ちゃう。逆です。逆。
組織を維持するためには利益が必要だと言うこと。
これは宗教組織であろうが会社組織であろうが当然のことだと主張しているんですね。
その上で、

>一般に組織というものは、本来の目的を忘却し、ただ組織の存続それ自体が目的になって行くものなんですよね。
そのようにして組織は腐敗して行くようです。

これに対しては、当会がそうならないことを祈るとしか言えません。一在家信者の若造がのたまう事じゃないと謙虚に書いておきます。

健全な相互批判が内部で蓄積されているならば良いでしょう。
私も組織を持つ身ですから、わが身の言葉として受け止めます。

>>@95
>ただね。一冊二万円というのはインパクトありますよね。

このインパクト、非常に大事なことであると私は思います。
霊言集を新たに内部向け経典として出されている真意は。。。ここでは申せません。不服を言われても私にも立場があるのですいません。
丁寧に返信頂いたので答えられるギリギリの範囲で申し上げました。

それでは。

106AHW:2006/03/25(土) 00:54:02 ID:gLb.n7NM
>>103 げねき氏 応援の合間だかなんだかわからんが乙!

>そうでなければ、あれほどの個人的見解をさも当会の意見のように堂々と主張できるはずがない。ゼロさんなどは間違いだらけである。
>みんな飛びすぎなんよ。脊髄反射的なレスと言う形容がピッタリ。
>耐え忍びの徳というのは極めて重要であると私はそう理解しています。

これに異論はないんだが、思い出した。
前にここでゼロ氏にげねき氏がクレームつけて完全に食い違った
「毛沢東、レーニンの居場所の話」いったいどっちが正しのだい?
ゼロは「黄金の法で即確認!!」と勝ち誇ってたが、げねきの訂正はないままだったわな。
その内部の研修やら限定法話群やらの中で、じつは位置付け変更されてるってことか?
そういえば「本当は11正道に進化」してるとか、マジ聞いたこともない内容も書いてたよなw

107plenty:2006/03/25(土) 03:45:48 ID:Un9aHfu2
>>RANDYさん、げねきさん
横レス失礼します。

霊言集が内部向け経典として出されている真意とのことですが、
私の知っている範囲内でしたらお話しましょう。

霊言集が内部向けでかつ、編集されて再度出された事に関して以下のような説明が施されていたように思います。

①これが「あの世がある」ということの証明になればいい(大川氏談
②霊言集を学ぶことによって「法」の多様性を身に付け、カルマの解消につなげるため。
もしくは「光線の色」(価値観のこと)の違う人たちに相互理解をもたらすため。
③資金源・・・「支部精舎」の建立に関わることだったと思う。支部エルカン像だったっけな?
 
あと、②と③は連関していて、
「霊人」たちが「降り」やすいような「磁場」をつくることが目的だと説明されていたと記憶している。
「霊人直伝メッセージ公案」というのが支部の研修の一環としてあるのですよ。
kk的に言えば霊人たちに「波長」をあわせるために霊言集は必須アイテムなわけですね。

2万円もするのは、ある程度信仰が深く、それだけの覚悟を持ったもののみが拝受することを許されるものだから・・・
と言う風に説明されていたように思います。
生兵法は怪我のもと、というやつですね。

それから、これは「方便に過ぎないからあしからず」というようなことも口を酸っぱくして言われていたように思います。

108plenty:2006/03/25(土) 03:48:25 ID:Un9aHfu2
>>107
ちなみに、これは出された当初の説明なので、
今はまた違った位置づけがなされているかもしれません。

109RANDY:2006/03/25(土) 16:10:15 ID:7SZc00MU
>>現役信者氏

>>102
>ハードな面に関してはアンチも情報が流通しているので把握して辻褄合わせくらいは出来ましょうが、
中身、ソフトの面に関してはお手上げ状態でしょう。

○なるほど。現役信者氏の含みを持たせた発言の真意は、アンチ対策、組織防衛の辺にあったわけですね。

>>103
ネットに散らばる信者は、そもそも研修自体を受けていないし、教学が弱すぎる。システムが機能する以前の問題です。

【教学が弱い理由】は、およそ二つあるように思います。
●一つは、教学の費用の問題。
むかーし、私が活動会員だった頃でも、「全部の書籍等を揃えるのは経済的理由から難しい」と嘆く会員は多かった。というより、殆どの会員は、その点で悩んでいました。
でも一寸だけ希望がありました。それは「会員が増えれば、会の財政が潤い、書籍等が手に入れやすくなるだろう」というもの。――が、現実はそう甘くなかった。

たとえば数年前、私は正月に支部に行き、ビデオを見たのですが、その時は植福一万円請求されましたよ。これでは、普通の庶民は、常に最新の講演をビデオ等で見続けるのは難しいでしょう。
〈与える愛〉という立場からすれば〈学ぶ意識があっても、学ぶための費用の捻出ができない〉という状況を放置してはおけないように思います。

●もう一つは自力と他力の問題。
懐古趣味と言われるかもしれませんが、むかーしは〈kkの会員であろうが、なかろうが、自分自身が真理を学び、実践すれば天国、その逆なら地獄行き〉という感じだったはずです。〈自力救済〉の鉄則を周知徹底すれば、向学心は高まるでしょう。

110RANDY:2006/03/25(土) 16:15:07 ID:7SZc00MU
>>現役信者氏
>>105
>組織を維持するためには利益が必要だと言うこと。
これは宗教組織であろうが会社組織であろうが当然のことだと主張しているんですね。

○こういう正直さは大切だと思います。正直さの中には、kkでは禁忌事項である自己保存、奪う愛はありませんよね。

>健全な相互批判が内部で蓄積されているならば良いでしょう。

○kkは、今でも〈ユートピア建設〉を目的にしているのでしょうか。
以前、私はこのことを踏まえて、当時のF本部長に「kk会員以外の人たちと平和に共存し、絆を深めるにはどうすればよいですか?」と質問したことがあります。
答えはこんな感じでした。
「一朝一夕に、互いに理解し、絆を深めることはできない。そのためには時間を掛けて、語り合い、付き合い続ける他はないでしょう」

この答えを受けて、私はこう考えました。
全世界の人々をkk信者とするのは難しい→とすればユートピア建設のためには、kk内部と外部との調和が不可欠だ→このためにはkk内部と外部の交わりの機会を持つことが必要(当時のF本部長談)→kkは外部に対して、もっと門戸を開いて率直な意見交換するべきではないか。

こういう考え方は〈アンチ対策〉には弱くなるかもしれませんが、信者限定催し等を減らせば、内部だけで固まる機会も減り、一般人の見解も聞けるので、〈デンパ化およびカルト化防止対策〉にはなるはずです。

以上のような考え方は、現役信者氏からすれば承服しがたい、腹立たしい部分も多々含んでいるかもしれませんが、脱会者の一人として、当時学んでいた真理を思い出しつつ綴ってみた次第です。

111RANDY:2006/03/25(土) 16:18:55 ID:7SZc00MU
>>107
plenty氏
とても分かり易い、御解説ありがとうございます。

①②については、大体は、私が活動会員だったころから言われていたことですね。なんだか懐かしいです。
③については、少なくとも「お金が要るから」と正直に表明している点は潔いと思います。

>「方便に過ぎないからあしからず」というようなことも口を酸っぱくして言われていたように思います。

それにしても、方便が多いと会員、信者は大変でしょうね。
思い返してみれば、私がkkの集いに参加するようになって間も無く、kkは宗教法人となりました。その際の先輩会員の説明はこんな感じでした。
「法律では、宗教法人の認可のためには、本尊が必要なのだそうだ。だから取りあえず主宰先生の写真が本尊になった。形骸化された既存宗教を基にして制定された現行法では、『人間は本来神の子であり、神の子たる本質の部分こそが本尊である』なんていうのは認められないらしい」

また正心鏡だったかが出た時は、こんな感じの説明だったような…
「普通の人にとって心を鎮め、調和するためには、心を集中する対象があった方がよい。そのための方便として、正心鏡がある」

人を導くための方便は、〈与える愛〉かもしれません。でも私が会員だったころ、すでに、〈正しき心の探求〉よりも、主宰の写真・正心鏡を拝むのが信心と考えているらしい人が出てきていたので、これにはちょっと複雑です。

なんか全体的にアンチ的な発言になってしまっているかもしれません。もしそうなら恐縮です。

112plenty:2006/03/25(土) 20:27:09 ID:NsordbpU
RANDYさん、こんちゃわ。
挨拶が遅れて申し訳。はじめまして。

>①②については、大体は、私が活動会員だったころから言われていたことですね。なんだか懐かしいです

ああ、知っていましたか。なら余計なお世話だったかもしれませんね。

>それにしても、方便が多いと会員、信者は大変でしょうね。

その通りですね。
どうしてもその「方便」こそ真理だとしてしまう人たちは出てきてしまう。
それはkk側もわかっていてやってるのではないかとさえ思えてしまうことがあります。

また、方便としての理由付けは便利な手段なのかもしれませんね。

私の信頼できる情報筋に依れば、
写真の本尊ではなく、法輪が掘り込んである細工の折りたたみ式本尊に変わったのだとか。
(世界伝道のため、という理由だと聞いている)
さすがに写真はまずいということに気付いたのでしょうか・・・

113plenty:2006/03/25(土) 20:29:26 ID:NsordbpU
だあっ、漢字の間違い訂正する前に間違えて投稿してしまった・・・

掘り込んである右→彫りこんである、でしたスマソ・・・
もっといえば、法輪の模様がついている、とすべきでしょうか。
キンピカなんだそうでございます。

114エートス:2006/03/26(日) 01:17:26 ID:Akywfffo
>>112
plenty氏

特設は特設で、法論は法論で、ということでw

>どうしてもその「方便」こそ真理だとしてしまう人たちは出てきてしまう。
それはkk側もわかっていてやってるのではないかとさえ思えてしまうことがあります。

このあたりはソドム氏にチェックしてもらいたいところですが

方便というのは、釈迦が機根に応じて様々な形で法を説いたという「随機の説法」に由来する考え方で、法華経の立場では、はっきり「真実」は「方便」の上位に置かれています。いわゆる一乗思想ですが、大日経になると、それがさらに発展して、教義とは、全て仏陀の悟りの内容を人々に理解させるための手段で、本来全てが「方便」であるとされるようになります。

わたしは後者がより仏教の本質「空」に近いと思っていますが、どうもRANDY氏の
お話しを聞くと、KKでは「取りあえず方便」が横行しているのかと感じました。

また、主宰の写真・正心鏡_これは何だか分かりませんが鏡が御本尊だったのでしょうか_そしてあなたが言われる折りたたみの法輪、というように御本尊が変わっているのですね。そうすると信者はいちいち御本尊とやらを取り替えるんでしょうか?あなたが「わかってやってる」という意味はこのようなことかと推察していますが。

写真が御本尊というのは、戦時中の天皇陛下のお写真_御真影でしたっけ_の例もあることだし、ありえないことではないと思いますが、むしろ、御本尊がコロコロ変わるというのは、ちょっと違和感がありますね。

世界伝道に絡むとすれば、偶像崇拝はNGになるでしょうが、それでは内面の信仰を示す礼拝の対象としてはあまりにお手軽な変更ですね。それぞれの御本尊が仏教的な方便としての意味_内面的体験の深化の過程_に対応しているわけではないということか。

素朴な感想を言わせてもらうと、生きてる人の写真を拝むのはなんだか生々しくて私は抵抗を感じますネ。その前に100万円でコケるか。w

「写真は遠慮しまーす」とか言っちゃまずいのかな?信者さんでも感覚的にダメな人はいるんじゃなかろうか。いやそれでは信者というものはつとまらないのか。

115RANDY:2006/03/26(日) 08:23:49 ID:P3vvIQ4k
>>112
plenty氏
こちらこそ挨拶が遅れました。はじめまして。こんにちは。

>ああ、知っていましたか。なら余計なお世話だったかもしれませんね。

そんなことはありませんよ。脱会してからしばらく経つので、何が継続し、何が改変されているのか分からないのです。plenty氏の書き込みは勉強になります。

>>114
エートス氏

>大日経になると、それがさらに発展して、教義とは、全て仏陀の悟りの内容を人々に理解させるための手段で、本来全てが「方便」であるとされるようになります。

なるほど。そういえば古い経にも「法に執着するな」という趣旨の教えがありますね。「川を渡り終えたら、もう筏は必要ない。かように法にも執着すべきでない」みたいなものです。教義は全て方便という考え方の萌芽は、かなり以前からあったのかもしれません。

>主宰の写真・正心鏡_これは何だか分かりませんが鏡が御本尊だったのでしょうか

主宰の写真→ポスター・カレンダーくらいの大きさの写真で、「釈迦大如来」という文字もあったように思います。会員たちは写真に向って、「正心法語」を唱えるわけです。
正心鏡→ORの文字が重なったマークがありますよね。そのマークがついたもので、折り畳み式と「タテ」みたいなものがあったんじゃないかな。そしてさらに大小、つまり自宅用、携帯用と二種あると…ちなみに正心鏡はフライデー事件後、他の品物とセットで「神器」七万円として登場しました。

>素朴な感想を言わせてもらうと、生きてる人の写真を拝むのはなんだか生々しくて私は抵抗を感じますネ。その前に100万円でコケるか。w

私の場合、本尊の礼拝は他の会員に習ってしてるうちに慣れました。百万円についても「へえ、すごいね」くらいの感想だけ。「正心法語」の唱和については、はじめはキモイと思いましたが、じきに慣れてしまいました。そもそも礼拝、唱和はごく当たり前のように、淡々と進行するので、異議申し立てをする空気は全然ないんですよね。だからそのうち、自分にとってもそれが当たり前になって行く。
しつこいようだけど、上のような経験があるんで、kkが世間と乖離しないためにも、kkはもっと門戸を開放して、外部の率直な意見を聞くべきだと思うんですね。

116現役信者:2006/04/06(木) 18:45:14 ID:zLTfc1xw
時間空いたので少しだけレスを。

>>109@ランディ氏
>●一つは、教学の費用の問題。

これには反論しておきたいです。
教学は費用の問題では無い。とハッキリ言っておきます。
向学心・向上心が大事であると思っています。
私は14から信仰に出会っていますが、お金などもちろん無く、お布施が出来ませんでした。
しかし、学びたいという意識はあったようで、月刊誌を穴が開くまで読んだり、
何とか御法話を拝聴して頭の隅々にまで叩き込んだり、
学校サボって支部に入り浸って、朝からバイトの時間まで書籍を借りて読んでいました。
幅広く教学に励みたいが費用が高い、という言い方には承服出来かねる気持ちがあります。

「井の中の蛙大海を知らず されど空の深さを知るなり」

一点突破で悟りを追求する形もある、と私は思います。
本当に貧乏で何も出来ない、形としてお布施も出来ないという人に限って、
「成功したらお布施が出来るから祈願をする」という人がいる。
欲心むき出しの言葉ですが、本来、信仰とはこの世的な事とは無頓着であるべきだと私は思います。
真剣に道を求めているならば、当会の信者限定の根本経典「正心法語」や「祈願文1・2」を開き、
徹底的に勉強するということも出来るはずです。
祈願文には「仏説○○○」という風に、色合いが違う内容があります。
それはなぜそうなるのだろう?と考えるのも教学になるだろうと思います。
毎日、正心法語を1時間かけて考えてみる、というのも教学でしょう。

教学は費用の問題ではなく、志の問題であり、意志の問題でもあると思います。
必死になって研修費用を貯めて参加する人と、お金があるからちょっと行ってみようという人の違いは大きい。

私は高校中退です。中退した本当の理由は父が事業に失敗し多額の負債を抱えてしまったからです。
家計を助けるためにバイトしていたんですね。本当は、私は物理学者になりたかった。
相対性理論を読んで感動したからですが、私が大学に行けなかったのは父のせいだと言うつもりなどありません。
私は私の運命があり、それを静かに受け入れて、淡々と努力を続けるだけです。

与える愛の立場からすればこそ、布施の修行を用意している姿勢に私は共感を覚えます。
苦労が人を鍛えるし、困難があればこそ人は発奮するものです。
それが後に教訓となり、砥石となり、未来の自分が過去の自分を誇らしく思える。
それが健全な発達となり、真の意味での愛が分かるものだと思いますよ。

117現役信者:2006/04/06(木) 18:48:30 ID:zLTfc1xw
>>109@ランディ氏
>●もう一つは自力と他力の問題。
懐古趣味と言われるかもしれませんが、むかーしは
〈kkの会員であろうが、なかろうが、自分自身が真理を学び、実践すれば天国、その逆なら地獄行き〉という感じだったはずです。

私は今でもそうだと思います。



>〈自力救済〉の鉄則を周知徹底すれば、向学心は高まるでしょう。

その通りです。
しかし、バランスの問題もあると、ケースバイケースで考える柔軟さも大切だと思っております。

118現役信者:2006/04/06(木) 18:57:09 ID:zLTfc1xw
>>110@ランディ氏
>以前、私はこのことを踏まえて、当時のF本部長に「kk会員以外の人たちと平和に共存し、絆を深めるにはどうすればよいですか?」と質問したことがあります。
答えはこんな感じでした。
「一朝一夕に、互いに理解し、絆を深めることはできない。そのためには時間を掛けて、語り合い、付き合い続ける他はないでしょう」
この答えを受けて、私はこう考えました。
全世界の人々をkk信者とするのは難しい→とすればユートピア建設のためには、kk内部と外部との調和が不可欠だ→このためにはkk内部と外部の交わりの機会を持つことが必要(当時のF本部長談)→kkは外部に対して、もっと門戸を開いて率直な意見交換するべきではないか。


私は少し色合いが違います。
開けっぴろげにするよりは、むしろ、信者個人個人が内部と外部の「橋渡し役」になるべきだと。
信者個人を「接点」という風に捉えております。
であるからこそ、自力型の考え方もでてくるし、
この言い方は悪いですが、「グレーゾーン」の部分が普遍性をもたらすであろうと思っています。

で、こっからはホント、個人的な意見。
私は全世界の人が幸福の科学の信者にならなくても良いと思っています。
違う先生を好きであっても構わないんです。
当会の思想、考え方を流布するのが、また、幸福の科学の思想が「常識」になれば良いと思っています。
「愛の発展段階説」が世界標準になれば信者は自然と増えるでしょう。

あっと、時間が無くなったのでこの辺で。

119RANDY:2006/04/09(日) 14:14:08 ID:vnoW45zg
もう一言書いといた方が、第三者には分かり易いと思うんで……もう一言。
 
>>116 現役信者氏
そういえばkk教義によれば、人は自らの生まれる環境等を選択して生まれるのでしたね。また「一念岩をも通す」というか、志によって環境を変えて、道を切り開くのも可能と思考するのでした。こういうkk教義から言えば、現役信者氏の意見は正論ですね。

一方、私は機会の平等を考えていましたよ。kkの全書籍・テープ等を揃えるには、百万円超えの費用が要るでしょう。これは庶民には中々苦しいです。しかし50万、30万、10万円と値が下がれば、庶民でも手が出せそうです。もし無料となれば、大方の人たちに学びの機会は与えられます(便宜上、点字本を必要とする障碍者、日本語の出来ない外国人などの問題は略)。

私としては、こういう状況に至って、ようやく「kkの全書籍・テープ等を学ばないのは本人の責任」と言えるのだと考えてましたよ。でもこの考えは、kk側からは、与える愛というよりは、悪しき平等主義、甘えの原理、サヨ的に見えるのかな。それにしても、こんな言い方をしたら大袈裟かもしれませんが〈与える愛〉の解釈は、kk的転生の原理を認めるか否か、または唯心論か唯物論かとでは、随分、差が生じるものですね。当たり前といえば当たり前なんですけど。

そうそう。話は飛びますが、昨今はゆとり教育等の影響で、親の経済力によって子供の受ける教育レベルが左右される傾向が強まっていますね。kk教義的には、こういう状況も容認されるのかな。「子供は自らの家庭環境を選んで生まれてきた」という感じで――。この場合の格差も容認されるとすれば、私としては一寸複雑な気分ですな。

あと現役信者氏は、一点突破学習法(当方が勝手に命名してしまいました)を提言しておられますね。ユニークな方法論だと思います。ただし賢人であれば一を聞いて十を知るのは可能でしょうが、一般人は十を聞いて、ようやく一を知るものですからね。やはり一般人の学習法としては、kk書籍を幅広く繰り返し学習するのが原則でしょうね。もちろん例外としては一点突破学習法も有効ですけど。

最後に蛇足ながら、私の地元の市立図書館には、90年頃にはkk本が7、80冊はありましたよ。これはある会員さんが寄贈したものでした。また自営業を営む会員は、自営店に書棚を備え付けて、顧客にkk本を貸し出してました。当時、まだ若かった私は、これらをフル活用してました。
ただし今は、地元の図書館の書架にはkk本は無くなってます。無くなったのはもう大分前のことですけどね。あと新刊のkk本も見かけませんね。GLAなんかの本はありますけど。

当方としては、さすがにもう、著作権放棄だの、教学は無料にすべきだのと極論は言いません。ですけど90年頃の地方の伝道(献本)の精神は上記のような感じだったという情報だけお伝えしときます。こんなことは現役信者氏はとうに御承知だと思いますけど、念のためにね――。

120あきら:2006/04/10(月) 15:25:21 ID:ThbVm2rA
エートスアテンドさんはじめまして。
現役信者さんに質問
私はよく自分と対話してるんですけど、実は守護霊とか他の霊人と対話しているのではないかと
最近考えるようになりました。
対話による結論はあなた方でいうインスピレーションなのでしょうか?
憑依のようにババッと何かを思ったり、行動したりというのはありません。
自分を完全に支配している状況で、対話が無意識にスタートします。
ほぼ、考える暇があれば覚醒中はおろか、夢の中でひらめいたりもあります。
ただ、私の場合、霊的思考力なるものはあるようですが、五感からアウトプット
される力はありません。霊視、霊聴とか・・・
そういった事は守護霊の方で蓋をしているようです。実務経験を持たせる為だと
思いますし、私自身興味ありません。

じゃあさっきでたインスピレーション
養老孟子の馬鹿の壁はエマニュエル・カントの純粋理性批判と内容は同じであり、
純粋理性批判の現代バージョンである。養老さんの指導霊はカント。
養老さんのこれからの使命は、カントが純粋理性批判的思考によって、現在という枠
を超えて未来の国際連合の必要性を予言したように、養老さんが300年ぐらい先の
スパンで必要な事を組み立てていく手伝いをするという事。超ばかの壁を書くぐらいの人なんだから
未来のことも予測できます。

現役信者さんこれは霊的な力ですか?

121現役信者:2006/04/10(月) 15:51:57 ID:YNFZHDs2
>ランディ氏
>一方、私は機会の平等を考えていましたよ。kkの全書籍・テープ等を揃えるには、百万円超えの費用が要るでしょう。
>これは庶民には中々苦しいです。

いや、何度も言うがそれはおかしい。
100万一気に準備するのは大変かも知れない、しかし、コツコツ貯めていけば可能だ。
2万円貯金して、五年も経てば100万は作れる。
意志の問題だと何度もいって置く。
信仰は一生涯かけていくものだからして、「コツコツが勝つコツ」を地で実践すれば良い。
私の知人に「死ぬまでに幸福の科学に一兆円寄付する」と意気込んでる奴がいます。
奴は本当に頑張っています。それこそ死に物狂いで。

私は20歳の頃に一人目が生まれて、金銭的に厳しかった。
その中でやりくりして悟りの挑戦上・下巻を手に入れた時は流石に嬉しかった。

喜びを味わえるのはお金の問題ではない。金銭の多寡でもない。
意志が大事で、そこに至るまでの努力する心が非常に大事であると。

初めて総本山に参拝に訪れたときの感動は今でも忘れない。
必死になって貯めたからだ。
目標を設定して、到達するために精進を重ねると言うのは非常に大事なことであります。

>あと現役信者氏は、一点突破学習法(当方が勝手に命名してしまいました)を提言しておられますね。ユニークな方法論だと思います。
ただし賢人であれば一を聞いて十を知るのは可能でしょうが、一般人は十を聞いて、ようやく一を知るものですからね。
やはり一般人の学習法としては、kk書籍を幅広く繰り返し学習するのが原則でしょうね。
もちろん例外としては一点突破学習法も有効ですけど。

うん?別に賢人でも凡人でも「学ぶ意志」と言うのはそう変わらないでしょう。
賢人でも凡人でも繰り返し学習するのは当然で、それが私には当たり前だと思います。
一点突破学習でも「繰り返し学習する」ということには変わりない。

経典を揃えることが生き甲斐である、という様な信者さんも知っていますが、
揃えたのは良いが、封も切っていないと言うのは勿体無いです。笑
因みに私は最近、書籍は2冊購入します。一冊は線引きのために。
もう一冊は白紙の状態で読みたいためにです

信仰の対象の変遷については、教祖存命中なので当たり前だと思いますが。
本尊制定の権限は教祖が握っているので、その方が変更と言えば変更なのです。
幹部が勝手に「本尊変更」と言い出したら意味が分からなくなりますでしょう。

誤解を招かないよう真っ向勝負で書いておきます。

122現役信者:2006/04/10(月) 16:01:28 ID:YNFZHDs2
ニーチェが与えたインパクトは流石だと思います。
初期の頃の作品はビシビシ来るものがありますが、キリスト教が彼への救いにならなかったくらいの劣等感は深いものだった。
そこの闇に堕ちたのでしょう。
私の論ですが、彼は理想が低すぎたのではないかと思います。

>AHW氏

スターリンの話でしょ?
レーニンと毛沢東は5次元に、スターリンは深い地獄に堕ちている。
黄金の法P125に書いてあります。

123現役信者:2006/04/10(月) 16:09:14 ID:YNFZHDs2
みなさまに訂正。

わたし、ゼロさんに間違いを出していますね。
レーニンと毛沢東は天国へ。スターリンは地獄へ。
逆に言っていました。お詫びします。

124現役信者:2006/04/10(月) 16:31:09 ID:YNFZHDs2
>>120@あきらさん

これまた単刀直入というか何と言うか。。。
霊的な力ってのは誰しも持っているものだと思いますよ。
その思考なりの幅が非常に重要で、智慧の水門が必要になります、と大川隆法総裁先生は内部向け経典「奇跡のメカニズム」で話されています。
ここでは詳しく言えませんが、是非、お手元に用意されても損はしないと思いますよ。

インスピレーション自体はマクロ的な眼で眺めると、ユングの言う共時性的な面も出てくるでしょう。
養老孟子の論がカントの純粋理性批判の内容と同じかどうか、私には思えませんが、意見はやはり分かれるでしょう。

これと同じで、あなたが自分の守護霊と対話している意識であっても、本当は悪霊からのインスピレーションだって中には混じっているかもしれません。
混線したりするので、天台師の言う一念三千論が大事になってくるでしょう。
あなたの心を何に合わせるか、合わせようとしているか、それを知ることが大事で、その心を知るということが悟りへの第1歩でありましょう。
霊的な感覚を持ったところで所詮、それはあの世の実証でしかないわけで、
その奥にある法脈というか愛の大河と一体となる形が良いであろうと思います。

実務経験を持たせる、持つ、ってのは大事なことで、この世的な躓きから、かえって憑依を加速させるというのはありえると思います。
言えば、識と般若の関係でしょう。
「悟りの挑戦上・下巻」「沈黙の仏陀」「神理学要論」「心の挑戦」などがお勧めです。


ひらめきは多数あっても、今の状態で使えるものと使えないものがあって、現状に合わせた形で見抜く智慧が必要です。
この智慧の部分が救いになりますよ。しかし、智慧を得るのは大変なことだと思います。
頭が良い、思想の幅が広い、とかだけでは智慧にはなりません。
正しい仏法真理を軸として、判断の基準に据えられると、理解が早くなるものだと思います。

以上、「私の」考えです。強調しておきます。
ヤサ先生とかがズバッと教えてくれそうですが。

125とおりすがり:2006/04/10(月) 17:55:33 ID:ndzFKSPI
レーニン6次元政治家の村じゃないかい?

126RANDY:2006/04/11(火) 21:24:14 ID:SdD3XkWI
>>121
現役信者氏
 今回はできるだけ分かり易い様に、たとえ話をしますね。

ある日、A氏とB氏の二人が、川で溺れている人を見つけたらどうするか話し合っていた。
A「自分なら、陸から縄を投げてやる。そうして『縄まで泳げ! そしてそれを掴め! 意思があるなら必ず出来る』と叫ぶだろう」
B「溺れている時、泳げるものだろうか? 掴めるものだろうか?」
A「大丈夫。意思さえあれば、必ず泳げるし、掴める。実際かつて自分はそうして助けられた」
B「なるほど。しかし誰もが、A氏のように精強であるとは限らないのではないか」
A「いや本気で助かろうという意思があれば可能だ。私はできた」
B「Aができたのは分かった。しかし誰もがAのように出来るとは限らないと言っている。女子供、年寄り、病人が溺れていた場合は、意思があっても縄まで泳げるとは限らない。縄を掴めるとは限らない。それならば、まず発見者が川に飛び込み、溺れているものを助け、介抱した後で、今後のために、川に落ちない方法、泳ぎの方法などを教えてやるべきだろう。もちろんこれらを学ぶかどうかは本人の選択であり、自力による」

上の話に沿って言えば、私の考え方はどちらかといえばBです。また仮にA方式であっても、なるたけ縄は溺れている者の掴み易い位置に投げてやるべきだと考えます。もし縄が明後日の方に飛んだら、正しい方向に投げ直してやるべきです。要するに、救助される側だけでなく、救う側にも努力が必要だということです。信者が助かりたいと思い努力するのは当然ですが、kk側も教学費用の減免措置くらいしてやれよということですね。

(実際、現役信者氏は経済的に苦境にあるとき、支部で本を読ませてもらったというし、私の地元の支部でも、以前は金欠中の会員だの、一般の人だのに対しては臨機応変の対応があったと記憶しております。でも現役信者氏のレスを見ると、今はそういうのは無さそうだね)

また私は、個人的には、現役信者氏が仰るような精神論、精神主義は嫌いじゃありませんよ。ただそれらは、あくまで自戒の言葉として用いるべきだと考えております。他人を戒める言葉でなくて、自分の怠け心を戒める言葉ですね。自分と他人は個性が違うもんだから、自分が精神主義で生きられたからといって、他人もそうなるとは限らないと思うしね。

一方、現役信者氏の場合、レスを読む限りは、教学費用の問題でなく、本人の意思の問題であるという主張ですから、kk側の課題は認めておられないようですね。教祖・kkは正しいという信仰をお持ちなのですから、それは当然のことかもしれません。

また現役信者氏は、誰もが自分と同じような意思の力を持っていると考えておられる。自分に出来たことは他人にも出来ると信じておられる。kk教義は、人類はみな神の子――今は仏の子?――ということですから、そう考えるのもkk的には正しいのでしょう。

やはり、この辺の話は、結局、信仰者と非信仰者とでは立論の前提が異なり、いくら話し合っても話は合わず、平行線を辿るのかもしれません。――うーん。もしかしたらお互いの意見は違うね、ということさえ、合意できないかもしれませんね。

思い返してみれば、私自身もkkだった頃は、人類は神の子だから、相手が誰であれ本気で話し合えば、合意できるとか信じてましたよ。合意できないのは、「相手がまだ目覚めていないからだ」「属する霊団の色が違うのだろう」と考えたりしてね。でも今のkkでは、教祖に一本化されてるそうだから、色の違いによる違いも認められないのかもしれませんね。

次は、学習方法の話。正心法語を引用しつつ書きたい所ですが、それは止めておきます。その代わりに山頭火の有名な一句を例示しときます。

分け入っても分け入っても青い山

普通の人にとって、この句は、何回繰り返し口ずさんでも、「分け入っても分け入っても青い山」なんですね。でもある程度の教養人であれば、「青山=墳墓の地、墓場」ということを知ってるわけです。元からこの句は単なる写実ではないと知ってるわけです。

私が、凡人は正心法語を繰り返し読んでも、その真意は中々分からないだろうというのはこの意味です。また思索しようにも、その材料(知識等)が無い凡人には難しかろうということです。

127RANDY:2006/04/11(火) 21:26:28 ID:SdD3XkWI
現役信者氏へ
>>126のつづき

「Bみたいなのは有り得ん」と思うかもしれないので一言。

私は釈尊の生涯はBっぽいと思ってます。
たとえば釈尊には、連続殺人犯がいるところにノコノコ出掛けて行くエピソードがありますね。そうして殺人犯に説法して改心させてしまう。これはある意味、ワニやピラニアがウヨウヨしている川で溺れた人を助けるために、自ら川に飛び込んだのと同じでしょ。

また釈尊は殺人犯を引き渡せといわれても、かくまったわけです。これは人を救うために、ヘドロの下水に飛び込んだと同じかも。

それから釈尊は死ぬまで、教えを説いて歩いたんですよね。自らの足でずっと旅し続けてる。ホントに死ぬ直前も法を説いている。法を説く事を惜しまない。これって死ぬまで自ら川に飛び込むことを止めなかったという感じがします。

釈尊のエピソードが、実際の釈尊の姿を正しく伝えているかは分かりません。ですが昔の人たちは、こういうエピソードに現れてる釈尊の生き方を理想としていただろうことは推測できるわけです。だから私はBみたいな生き方に惹かれるのは、そんなに妙な願望ではなかろうと思うんですけどね。

128壮一です:2006/04/14(金) 12:03:22 ID:OFM/7R3.
「人類の進化、440万年前のラミダス猿人から道筋

 猿人のアウストラロピテクス属の中で最も古いアナメンシス猿人の化石を、
 日本や中国などの研究チームがエチオピアで新たに発見した。同じ地域で見
 つかっていたラミダス猿人から進化したことがわかった。アウストラロピテ
 クス属は現代の人類の直接の祖先と考えられている。現代の人類へ直結する
 進化の道筋は、約440万年前のラミダス猿人までさかのぼれることになっ
 た。13日発行の英科学誌ネイチャーに発表する。」
 朝日新聞2006年4月13日付より

現代科学は、KKの教義を否定する方向へどんどん流れているわけです。
KKの教義を真に受ければ、猿人や原人は否定されなくてはならないのです。
また恐竜の化石といっしょに人類の化石がでてこなければならないのです。

KK信者の皆さんあなたがたは、現代科学の恩恵(遺伝子治療など)を受けて
いながら、それを否定しなければならないという矛盾した立場にあることを自
覚しなければならない。そして現代科学が、解明する人類の起源から目をそむ
けて生きていかなくてはならない。大変ですね。w

129ことりん:2006/04/14(金) 17:10:33 ID:5PHxUnL6
>>128
壮一くん、はじめまして〜KK平信徒のことりんです。

発見された骨の化石は、大抵、野山で遭難して亡くなった生物たちでしょ?
そうね、ピラミッドとか遺跡とかに埋葬されている
骨の進化等(遺伝子レベル調査)はどうでしょ?
科学データーみたことある?
エジプトの某大学がデーター出しているでしょ?

ほんの数万年前の人類の化石になぜ銃痕がある骨が
博物館にあるのでしょうか?
オーパーツをしらべると矛盾だらけだよ〜♪
検索してみて〜♪

いっぺん、海外旅行して目で見て調べてきてみたら?
人の情報より、自分で経験した情報の方がいいよ。

現代科学は、今発見されている物質を
元に証明できる範囲でしかないのですからね。

ま、仮に想像してみてよ〜
恐竜の時代に人類の人口がどのくらいだったか、
知らないでしょうが〜

地球人口が一気に増えたのは今世紀になってからなのですよ。
調べてます?
今の時代と比べてむかぁ〜しは少ないのですよ。

だから「野山で遭難した人骨が出でこない〜」っていっても無理ですわ。
象が針の穴に糸を通すくらいの確立ですわ。

今の時代だったら、人数が多いから、
ま、400万年後に土葬されている一部のお墓で、
保存状態が良かったら発見されるかもね。

ま、私は歴史についての疑問はさらさら否定的にみていないので
こんな答えですわ。
あ、そうそう、私が習ったのは日本書紀の歴史ですわ。
二人の神様が棒で泥をねって日本列島をつくったそうですわ。(笑)
いつの時代かしらね。

130あきら:2006/04/17(月) 13:31:54 ID:dYDYuGsE
現役信者さんお返事ありがとうございます。
今現役信さんの言葉が胸から腹の辺りから出ているのがわかりますよ。
言葉も頭から出す人は多くいます、この人たちは、感情論で判断する凡人一般です。頭を使っているように見せて感情に頭が利用されている人たちです。胸で出す人は割合的に少なくなります。感動屋さんや、ハートで物を言う人です、腹で物を言う人は和尚さんとか、宗教関係者の方、学者でも上の方です、腹でも腹の下、丹田で物を言える人は智恵を人にあげられる方です。菩薩クラスです。



奇跡のメカニズムは読んだことがありませんが、おそらく水門というキーワードから推測するに、チャクラもその射程範囲に入ると思いました。その本にはチャクラという言葉が出てきませんか?上記の事はチャクラも関連があります。丹田で思考できるというのはいわゆるひらいている状態です。同通
している状態です。

現役信者さん、知識の多い少ないではないのですとおっしゃってますね、まず思考の座標がずれていると、全てがずれてくる、努力しても、始まりが悪ければ、目指す彼岸には到達できません。
同感です。
心穏やかな涅槃の状態で、愛情のあふれるような状態で、私な何かできるだろううかという問い掛けがある状態で、更に自己反省を通して洗練された状態で、発せられる智恵が大切ですよね。

131現役信者:2006/04/17(月) 15:28:07 ID:xvLjWOW.
多店舗展開に乗り出して体も心もボロボロなりかけの、ギリギリ人生仕事できない男、現役信者でございます。


ランディ氏

詳しく説明していただきありがとうございます。
言っている意味が飛んでいるのでちょっとどれからレスしていいのやら。。。

溺れている人がいたら、助けるのが先です。
次に溺れた人には溺れないように泳ぐ練習をさせるのが大切だと思います。
その次には実際に泳がせて、泳げるようになったこと認識させて育てるのが大事です。
そういうことです。
ただ、ケースバイケースとして、どの点に重点を置くかは変わるわけです。
ですので私の答えとしては、一貫している。
ランディさんの例え話を採れば、AとBを織り交ぜたCと言う概念が必要です。と言うことです。

時間がホント無いのでまた別の機会に。

132現役信者:2006/04/17(月) 15:45:42 ID:xvLjWOW.
>>あきらさん

チャクラそのものの話しは出てきませんが類似した話しが出てきます。
説かれている内容は、要約すると、霊能力や霊的な器官というのは人間にはある。
しかし、それに振り回されずに生きる態度が大事であると。
それは智慧の水門であり、これらが弱いと霊的な能力に翻弄される、と。
実務的な力は非常に大事です。
私の意見ですが、仕事能力は悟りと比例すると思います。「大悟の法−第3章仕事能力と悟り−」

実社会でどの様な形で実績を挙げるかは、後の人生に関わる重大事です。
私はアンチでも信者でも一般でも何でも、仕事の出来ない人は一端の意見を言う資格は無いと思います。
こねくり回して自己正当化に汲々とするよりかは、昼夜違わず働け!と言いたくなります。
私の家内の祖母。90歳を目前にして、毎日畑でオクラをつくっています。

俺も頑張らなくちゃな!

133マンダム!:2006/04/18(火) 02:40:23 ID:KQieZsR6
「壮一です」さんドモ。

>現代科学は、KKの教義を否定する方向へどんどん流れているわけです。
>KKの教義を真に受ければ、猿人や原人は否定されなくてはならないのです。
>また恐竜の化石といっしょに人類の化石がでてこなければならないのです。

例の新聞記事、「440万年前の猿人の化石発見!」と、確かに、「進化論の信憑性を裏付ける、決定的証拠」とも、取れる。認めましょう。

が、その記事中で実際に述べられているノは、「そう言う化石が発見された」と言うコトに止まっているでしょう。そして、

>現代の人類へ直結する進化の道筋は、約440万年前のラミダス猿人までさかのぼれることになった<

この「結論」にしても、「ラミダス猿人」の存在が確認されたトコロまでは良しとして、その前の時代のコトについては、触れられていない・・・。

進化論を否定する立場の『太陽の法』等の中でも、「1億5千万年ほど前、エル・カンターレの本体が下生した時代」から、「ガーナ文明(70数万年前)までの時代」のコトについて、一切、触れられていないが、この「空白の時代」について、幾許かでも解き明かされないと、本当は、「猿人・類人猿の誕生」の謎について、単に「コレこそが、現代人の祖先だ!」とは、述べられないハズだ。
ソレは、如何せん、この「空白の時代」が長過ぎるからです!この間に、何が起こっていてもおかしくは無い!猿人誕生のプロセスについて、私に一つ、仮説が有るが、ソレは、余りに荒唐無稽であるから、まだ、述べないでおこうか。

兎も角、今回の「発見」で【確かに】解ったコトとは、

*少なくとも440万年前には、猿人が存在していたコトが明らかと成ったノであるから、実際に猿人が地球上に始めて出現したノは、更に遡った時代である、と推定出来る*

と言うコトであり、「現代人は、猿が進化したモノであるコトの証拠が見付かった」では無い・・・!

134RANDY:2006/04/20(木) 17:40:03 ID:AJ7D99kk
>>131
現役信者氏

>多店舗展開に乗り出して体も心もボロボロなりかけの、ギリギリ人生仕事できない男、現役信者でございます。

忙しいところ、わざわざレスして頂き、有難うございます。感謝しております。

>ランディさんの例え話を採れば、AとBを織り交ぜたCと言う概念が必要です。と言うことです。

なるほど。この辺については考えてみる必要がありそうだ。恥ずかしながら、概念Cについては想定してませんでしたよ。こういう気付きがあるから、対話は面白いんですよね。

>時間がホント無いのでまた別の機会に。

――はい、わかりました。では、またの機会に。実は、当方もやることがたまり始めていてた所でしたよ。

135RANDY:2006/04/20(木) 17:44:18 ID:AJ7D99kk
遅レスで、いまさら感があるかもしれませんが、方便について、面白い一文を見つけたので……ココ、置いときます。

ある人が、こう言いました。「仏教で地獄の話をするのは、すべて性根の腐った連中を改心させるためです。地獄の話で相手を恐れさせて、相手に善を行わせるのです」と。それに対して先生は、こう言いました。「天地をつらぬくほどの至誠をもってしても、なかなか改心しない人がいるというのに、ウソの教えなんかで、どうして人を改心させることができるでしょうか」と。(『近思録』編集朱子・呂祖謙 訳解福田晃市)

136あきら:2006/04/28(金) 22:19:00 ID:fsplpuDA
現役信者さんへ
仕事だけに埋没してはいけないし、より所だけに腐してはいけない。
生来私自身が宗教に深く気持ちを共感している節があるので、宗教に
のみ価値観を持つ事を意図的に避けています。
実感として宗教的な気持ちが高ぶると、実務能力は下がりますね、
実務能力ばかりあげていると、純粋な気持ちが薄れてくるようです。
大川さんは現役信者さんがおっしゃるようではなく、悟りと実務能力は反比例すると言ってますよ。
「おこもり」の話を思い出してください。
宗教的エリートは社会的エリートではない場合が多いとも言ってます。
社会的には凡庸でも、還ると偉い人だったりして。
話がまたそれますが、大川さんが宗教の近代化を謳っているのはその辺がポイントになってくるでしょうね。宗教的エリート即社会的エリートの時代。
宗教意識向上以前にモラル意識の向上を孔子意識体はねらっています。
所謂進化計画です。宗教、神というキーワードなしに同じレベルの事をする。古くからある儒教システムの考えです。(あきら自己対話によると)

137あきら:2006/05/06(土) 14:46:59 ID:Ps9pNo0U
テーマ「宗教、神というキーワードなしで同じレベルのことをする」
こんなことできるんかな?と思う人もいるかもしれませんが、
もうすでに完了しているとも言えます。
これは割と長い歴史があります、まず2500年前に生まれた孔子がそうした考えを基調とした救済思想の種を中国でばら撒いてます。その実は朝鮮半島を経由し、日本列島にも届いております。
果実は腐敗してまた種を生むのですが、日本神道系の神々は大事に種を育ててきました。
神道系の考えは生長の家に現れているように、信ずるものも信じないものも、できるだけ多く許していきたい和解していきたいという発想がありますので、ここは宗教のようで宗教のようでない一面があります。
あと、神道系のかたの影響で日本の文化というのは、一人の人格神を信仰対象としていない多神教の面がありますので、現在、日本は世界の宗教のメルティングポットの様相を呈しております。
戦後政策の影響もありましたが、もともとそういう温床があったということは明記しておきます。
そういうわけで、他の国で迫害にあった信者がこの国にきて生活しているということがあるわけです。
1995年の時点で日本だけで新興宗教が1000ほどあると言われていましたが、「現在この国は価値観の多様性、信仰の多様性を認める文化があるといえます。」
で、ヨーロッパや他の国々では善悪は神が決めるという考えに基づいているのですが、善悪は常識が決めるというのは日本の特色であるとはあまり知られていません。それぐらい常識でしょう?ということばは海外では日本ほど使われません。
おそらく教会という単語の頻度は日本人が常識という単語を使う頻度に対応するでしょう。中国では家族でしょうね。ちなみにおとなりの韓国人の40パーセントはクリスチャンです。
日本人は神や宗教より常識が好きなんです。
「常識とは?」
モラルです。モラルとは善悪の判断力です。
善悪の判断力というのは宗教にとって共通する命題です。ですから、一神教を信じる国の人は、善悪の判断に迷ったら神や宗教に決めてもらうと考えます。道徳的判断は神からもらうと考えています。
しかし、日本人は道徳は社会が決めると考えます、
ここに宗教を近代化させるための「テコ」入れの余地があります。
世界を一つの社会として、道徳的にどうなのかと考えるのは日本人の使命なのだと思います。価値観の多様性、信仰の多様性を認めるのが、当たり前なのだ、人の人格として最低限のレベルなのだということを言えるのは、日本人だけなのです。これから宗教としても価値観の多様性を認める懐の深いものが残っていくでしょう、他のものは見直され淘汰されていきます。一信者のレベルでも言える事です。
イエスや釈迦もいますが、もっとモラルについて、科学的にアプローチをしているのは孔子です。秩序だけでなく、人の進化の面も担当しています。
これから政治家レベルで、日本の使命とか、これから世界を一つの社会として価値観の確立をしていく人の輩出が望まれます。マクロレベルでみても日本は本当に経済力もありますしね、地方の一県の県民総生産は東南アジアの
ある国の国民総生産に匹敵します。関東地区を出すまでもなく、近畿地方、中部地区の経済力を併せて100年前にヨーロッパで世界地図を描きかえる列強と呼ばれた国の経済力に匹敵し、勝ります。


そういう国造りをしたのは誰か、何かと考えたかったら、自分の身近な先祖とか、ルーツに想いを馳せてみたらいいでしょう、石田梅岩みたいな人もいるでしょうから。道徳を大事にする名も無きプロの人間として、使命をまっとうした普通の人々がいます。
国の格を高めていきたいものです。住人はどうなの?と苦笑されないように中身から高めていきたいものです。そのうち日本って昔は凄かったよねー言われないようにしたいものです。
会社では社格を、店では店格を、個人では人格を大事にしていきたいものです。社格を気にする人はそうそう変な事はできないですよ普通。あと、自分の属する県を誇りにして欲しいものです、昔は藩の格が下がらないようにとか言ってましたが、県格というのも意識していければ、県民として個人を高められます。
要はね、宗教なくても困らない社会ができればそれに越したことはないんですよ。救済する対象がなくなるぐらいの社会でなければいけない。
ただ、神とか宗教っていうのは、現代では逆に救済範囲が狭いんですよね。

138あきら:2006/05/08(月) 21:05:40 ID:Syg2Mt/s
現役信者さんが、純粋理性批判と養老氏のバカの壁が内容的に一致しているかは意見の分かれるところと言っておられましたが、どのように一致しているか検証してみましょう。

純粋理性批判という理論において大事なキーワードは、「恣意する」「アプリオリ」「アポステリオリ」「理性」に要約されます。
に対して、バカの壁は「フィルター」「経験」です。
「恣意する」とは、たとえば、「あなたは卵で例えると半熟です、ちゃんと出来上がるまでに当会の教えを勉強しなさい。」と勧誘されたとして、この場合に恣意しているところは、勧誘する人はされる人が未完成であると自覚させる言動にあります。実際に未完成かどうか全く別の問題であるにもかかわらず、わざわざ不十分なのだと理解させようとするところ、このわざわざAというところにもっていこうとする意図に恣意があると言います。
                            続く。

139エートス:2006/05/11(木) 01:32:35 ID:swIlL9/U
>>138
あきら氏

寄稿ありがとう。あなたが書かれた倫理と宗教ってテーマ、実は他のスレッドでホットなトピックなんですよ、初代氏と現役信者氏の間でネ。

現役氏はお忙しいようでなかなかあなたへのレスが無いままのようですが、今しばらくお待ちくださいネ。遅くなってもたぶんレスはくれる人だと思うので。

ところで、あなたは日本を軸にしてモラルの話を展開しておられるが、モラルについては「近代ヨーロッパの倫理観」と「東洋的な良心論」にはたしかに大きな隔たりがありますね。

いわゆる「義務の相克」のようなヨーロッパの倫理学では解決できない問題に、東洋の倫理はどう答えるのか?知りたいですね。

このあたりについては、これから和辻哲郎あたりの本を読んでみたいと思っているのですが、なかなか暇が作れないままなんです。

140あきら:2006/05/11(木) 23:14:44 ID:AbhSv0H.
今日も自己対話がありました。

「恣意する事」
私は役人の仕事をする32歳です、大学は東大(世間的にかなり良いとされる大学)を出て、まぁ人から羨むとまではいきませんが、役立たずとは言われない程度の人生を生きてきているという自信はあります。

学生時代、私が片思いしていたAという女性がいたのですが、そのAさんという女性はKという少し変わり者Kの事が好きだったようで、私は直感的にそれを気づいていました。

Kが変わり者というのは、人が誰でも持っているような、他人を軽蔑する気持ちとか、排除したい気持ち、いじめたい気持ちという感情がまったくといっていいほどなかったのです。そういうKの性格に対して私は正直嫉妬していたと思いますが、その当時はまだ若かったため、そうした感情を別の認識としてすりかえなければ自分が自分でいられなくなりそうでした。

ある日の放課後、Kの机の中に、あきらかに教科書ではない一冊の本があるのを私は目ざとく見つけました。その本はどこかのある宗教団体が出版している本だったのですが、私はそちらの方面に詳しかったわけではなかったので、ただ、ただ、不思議なやつだなとしか思っていませんでした。その当時は、カルト系新興宗教がニュースで話題になっていたことはおぼろげながら覚えています。

倫理の授業でやたらいい点数を取るKが先生からそれだけはよく褒められていました、Aがどうやったらこんなつまらないもの覚えられるのか?と相談しようとしているところを私はむしょうに二人の間を邪魔したくなり、「こいつ○○っていう宗教に入ってるから詳しいっちゃよ(九州弁)。」と、私はAがKに対して変な風に思ってくれればと思い、揚げ足を取ったのです。「宗教って今なんかこわかばい?」とAはKに対して私の計算通り、少し距離を取っていました。

私は今思うと本当に、Kが倫理のテストで良い点数を取る事に対する純粋な原因を指摘したかったのではなく、ただ単に二人の間を邪魔したかったのだと回顧する。しかし私にとっては、あれはあれで、必要悪だったのではないかと思うし、Kに対して悪いことをしたとは思わないのですが、あなたはどう思いますか?


以上、あきらの完全なるフィクションですが、このフィクションで大事な所は、Kの宗教に対する事実云々より、邪魔をしたいという「恣意」が語り手にその瞬間にあったという事です。語り手は今でも悪いとは思ってませんので、この人の学生時代の行為、この人の現在の思考は「純粋理性」によるものと言えます。カントはこの「純粋理性」を「批判」しているんですが、養老氏はこの「純粋理性」を価値「フィルター」と置き換えています。
                          
私個人が思うにこの語り手のような人は、プライオリティー(自己優先)を重視する種の人であり、高学歴の方に少なからずいるタイプの人です。マスコミやメディアは全くのところ恣意だらけで本当の情報価値のあるものというのは、私は実際は少ないのだと認識しています。例、筑紫さんは左派の恣意に忙しいですよね。


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