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【ザ・法論】+☆+KK8+☆+【論戦2日目】

20ソドム:2006/01/27(金) 20:24:01 ID:yQV6uWWE
>ソドゴモ君 KKでは法の化石化をやっちゃいけないという指針を総裁がだしていた。教学をおろそかにする面があったとしたらここにも原因があるかもしれない。

まぁ、どこの教団でも教学ってのはあまり重視されないものかもしれません。理屈で人は動きませんからね。

でも、KKの教学はあんまりだと思いますね、私は。

21エートス:2006/01/28(土) 06:44:15 ID:6B3GybFY
>>雑談スレ634-645
ソドム氏
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/6228/1123415562/nt634-635
>実際、その通りであれは弘法大師の主観的主張ですからね。

主観から発しない認識はありえないと思う。だからそれはそれで構わないと思います。それをどう裏付けていくかということでね。

心の領域は心の領域としての方法論があると思いますよ。わたしは追体験の体系というのがその裏付けに当たるかなと思います。

まーちょっと脱線しますが、よく議論の初心者が_客観がなんたらかんたら_とか得意気に、いや滑稽に?振り回したりしますよネ。まるで_客観優位こそが真理である_とでも言いたげに。意見や価値観の提示なんてのはなんであれ「主観」です。

ただ、その主観の「成熟度の問題」なんだよネ。より成熟するほどに、より普遍的な説得力が伴ってくるもので。そして共感する人も多くなる。とくに宗教の法論じゃ、この「主観どうしの切磋琢磨」というのが不可欠と思います。

>私のような凡夫は「弘法大師のように智慧に優れ、諸宗教を研究した方が、その本質を見抜いて秩序立てておられるのだ」と信じるほかありません。まるでKK信者のように。

ソドム氏の好感度が高いのは、こーして全然飾らないところにもあるよ。あなたがYで相手しているKK信者さんや、キリスト者を似非で騙ってるキリスト侮辱者の輩さんやらと正反対でネ。

22エートス:2006/01/28(土) 06:58:47 ID:6B3GybFY
>>21続 【心の次第と大風呂敷】

>・・その本質を見抜いて秩序立てておられるのだ」と信じるほかありません。まるでKK信者のように。

「真言行者の住心の次第を表す」と『十住心論』に書かれていることから、信じるだけっていうことでもなさそうに思えますが。

「心の次第」ということは、思想段階が表してるそれぞれ普遍的な心の本質を秩序立てて表そうとしている_ということではありませんか。そのために各宗教の諸相が象徴的に使われている。

だからその諸相は、自己の深い観察_自分の中には様々な段階があることを瞑想や修行において感得すること_によって追体験が可能なのではないかと思います。

形式や儀式にこだわらなければならないのは、その追体験を導く導線として必要だからではないでしょうか。ただし、当初の精神が失われ形式だけが残ってしまうことも往々にあり得ますが。

言い方は抽象的ですが、内面の体験という裏付けがなければね、こうした話ってただの「大風呂敷」にもなるでしょうから。KKはかなりそれっぽい訳ですがね。

以前シロテン氏だったかな、あなたがヘビになった夢を見た_と恥もなく書いていたけど・・・。夢の諸相について、それが教えてくれる自分の心の状態_その善し悪し_を判断するための初歩的な術すら教わっていないのか、KK信者諸氏は、と思いましたよ。

23エートス:2006/01/28(土) 07:01:46 ID:VXmMF3CI
>>22続 【三宝印 相対化】

>この辺の事と、私が提示した「三法印」問答なんですが、実は今私自身が研究してるんです。真如苑に「涅槃経」を伊藤真乗が解説した書物がありましてね。

なるほど納得。たしかにあなたの意見と仏教教学をすり合わせるには、これはまあ避けて通れない研究かもしれない。

さて、体験的な裏付けがなければ大風呂敷はいくらでも広がります。逆に裏付けがあれば「ここまでは説ける、ここまでは説けない」というのが修行者に鮮明になるのではないでしょうか。

「涅槃経」が伊藤という人を待たなければならなかったのはそうしたことではないかなとも思います。

>しかもそれが三法印を旗印にしたことと矛盾せずに全く新しい「涅槃の4徳」というものを提示してるんですよ。

こう振られるととっても知りたい気がするけど部外秘だろうネ。わたしの例の親戚に今度会ったときに聞いてみようかしらネ。びくーりされちゃうだけか。

24たまご:2006/01/28(土) 14:53:47 ID:hoRwMrG6
>>13
エートス氏
なかなかこちらに来れずで、失礼続きしております。

>でね、法相宗の徳一と天台最高!最澄の「仏性論争」というのがあるんだけども、
天台学の立場から最澄は_「仏性は本来無差別平等である」_と反論したわけ。
だから天台の立場をとる空海が、法相宗の主張と同じ意味で上の言い方をしたとは考えにくい。

このあたりの論点については、’92の月刊誌12月号、『悟りの挑戦.下巻』に集録されているます。
仏性と成仏という章題です。
一切衆生悉有仏性ではあるけれども、一センダイの問題、「極悪人や、誰にも仏性があるとしている大乗すらも批判するならば、如何にしてももはや問題外で、その悟りの縁がない」として一蹴してしまう点です。これについて、「繭の中の蚕」になぞらえて書かれています。どんな人でも愛や慈悲という仏の性質自体は持っていると思うと。ただ、繭があまりにも強くがっしりしていると中の蚕がでられないように、人間(蚕)が出した煩悩(糸)でできる繭であるけれども、固すぎて中のものが出せないような状態が“いっせんだい”であろうということです。
“断善根”といった善の根も断ち切れているというような人間であったとしても、「彼らでも、核には仏性があるのだ」という優しいまなざしが必要ですと。

さて、三一権実論争については、歴史的には徳一の三乗思想は、比叡山と違い、後に優秀な弟子が続かなかったために一乗思想のほうが主流になってしまいました。が、中に「理論としてみる限りは徳一のほうが正しいのです。」とあります。「徳一が最澄に対し、仏性には理仏性(種として誰にも仏性はある)と行仏性(修行して、この世で磨きだしてこそ成仏が可能)があり、という箇所です。徳一の言う理仏性・行仏性は“因・縁・果”の“縁”(すなわち修行という条件)がなければ果としての悟りはないでしょう。しかし、最澄はどうしてもそれが解らなかったようだと。存在論としての仏性論を機能論としての仏性論にむすびつけたと。
基本的には行仏性について、「五姓各別」とした法相宗の考え方のほうが正しいとしています。人間としての違いを認めるかどうかの議論ですと位置づけしています。

道元、親鸞、日蓮といった叡山で学んだために根本には一乗思想を持ってはいたが、叡山修行後「何かおかしいのではないか」と疑問をもち、それぞれが悟りを追究していった結果鎌倉仏教という新興宗教を興していった流れになったと。
宗教改革が入っていると同時に、最澄からのもともとの間違いも同時に流れてしまった、ということだそうです。

本覚、始覚は結局、仏性と成仏、つまり平等と公平の問題であると書かれています。仏性としては平等、しかし努力の過程、修行という縁についての果としては、やはり公平の観点から、悟りの段階は、厳然と違いとしてでてくるということです。“結果平等”の考え方ではどんなものでも天国に行けるという堕落につながりますから、「仏性があるから、努力しなくても、みな如来になれるのだ」は間違いで、可能性としてはあるが、その可能性チャンスを使ってどうするかの結果については平等ではないということだそうです。
天台大師は本来始覚的であったのに、天台本覚思想を極まですすめ、仏教の堕落を招いたことを言われています。
ですが、当会としては、希望の原理、愛の原理として「皆、仏神の子です」
という考え方をとり、また「これは「かくあるべし」という宗教原理として使うべきで、実態論としての真理にしていってしまうと大きな問題が起きることもあるということです。」とあります。

25エートス:2006/01/29(日) 01:45:39 ID:SJkKqUwY
>>24
卵氏
>なかなかこちらに来れずで、失礼続きしております。

いやいや、気遣いなさらずに。こんなに丁寧に書いていただいてありがとう。あなたのキーボード練習に終わらせないようにしっかり勉強させてもらいますよ。

KKによる仏教の教相判尺について、あなたの説明で先ず分かったのは

1 最澄が理仏性と行仏性の違いが解らなかった(とする)
2 空海が法相宗寄りの見解であった
3 最澄からのもともとの間違いを鎌倉の新宗教は引き継いでいる
4 最澄は存在論としての仏性論を機能論としての仏性論にむすびつけた
5 天台大師は本来始覚的であったのに、天台本覚思想を極まですすめたので、仏教の堕落を招いた
6 仏性と成仏とは平等と公平に還元される問題とする

1と4
縁がなければ果としての悟りがない、というのは確かにその通りです。しかし、最澄は解らなかったというより、修行を「自誓戒」に結びつけて新しく教団の規範とすることで、別の道を模索したように思います。

このあたりはもう少し調べてみないと分かりませんが、最澄は当時、奈良仏教との間に戒律論争を抱えていたでしょ。それで「大乗菩薩戒」を主張する立場としては、一乗に傾かざるを得ないでしょう。

26エートス:2006/01/29(日) 01:52:00 ID:SJkKqUwY
>>25の続き

2
空海が法相よりの見解だったというのは分かります。それでもおかしくないですね。

3
「自誓戒」とは人間の被救済願望と仏の救済願望が一致するところに成立するので、後に天台が生み出したいわゆる鎌倉の念仏系の宗派に繋がる可能性があります。

天台は宗派の解体ともいえるような「専宗」の各派を生みましたが、それに対して真言は、新古の真言に分離しただけで、真言自体の一貫性は保っているということをどこかで読んだことがある。

5
本覚思想の堕落が日本独自のものではなく中国に遡っていく見解は初めて知りました。

6
平等は存在論であり理想論、公平は認識論であり現実論とも理解できます。

で、もし、仏説への理解不足が最澄にあるとすればだが、それを誤って引き継いだ道元、親鸞、日蓮が天国に。そして正しい法解釈をしたはずの真言の流れを引く覚鑁がなぜ地獄にいるのか?しかも悪魔級として。ということですよネ。

これは大川氏の教相判尺を説明いただいても相変わらず解決しません。それどころか、「堕落した思想を説いた」という理由にますます説得力が無くなってしまう。

やはりゼロ氏の言っているダブルスタンダードはここでも成り立たないのではないでしょうか。御自分のところの教義に照らせばね。

27たまご:2006/01/29(日) 14:37:08 ID:ekPObSVM
>>25>>26
エートス氏
いつもながらのダラダラ文に目を通していただきありがとうございました。

5 天台大師は本来始覚的であったのに、天台本覚思想を極まですすめたので、仏教の堕落を招いた

『「みなさん、すぐ如来になれますよ」と言ったときに、もはや宗教の使命もなければ、修行論もなくなるのです。日本の天台宗は、その名を冠しているところの天台大師が本来、始学的であったことを顧みて、その宗祖の教えに反して、天台本学思想を極まで押し進めて日本仏教を堕落させた罪を謙虚に反省すべきです。』

が、原文なので、私の書き方がおかしかったようです。すみません。続きをまた後ほどにと思います。
あと、AHWさんがあまり登場されていないと寂しいですね。

28たまご:2006/01/29(日) 23:29:39 ID:ekPObSVM
>で、もし、仏説への理解不足が最澄にあるとすればだが、それを誤って引き継いだ道元、親鸞、日蓮が天国に。そして正しい法解釈をしたはずの真言の流れを引く覚鑁がなぜ地獄にいるのか?しかも悪魔級として。ということですよネ。

道元は悉皆成仏論に疑問を持ち質問したが叡山の僧は誰も答えられなかったそうです。留学してきなさいということになった道元は、修行を通してこそ悟りは得られるとして曹洞宗を興すにいたった。
浄土教も一乗思想を根底には持っているけれども、縁としての部分を念仏を唱えること、また阿弥陀信仰、信仰心によって、救われるのではないかと考えたと。特に法然は天台宗の絶対的一元論を、人間の持つ闇の部分にに率直に目を向け、相対的二元論に解釈しなおそうと努力しています、とあります。
日蓮は法然の念仏により救われるという解釈を排撃しつつも、自身は法華経の唱題で救われると言う教義を打ち出したと。日蓮については、単に唱題による救いを説く以前に、大変な教学を修めていた方だったようです。
いずれも、大衆の救済という共通の主眼点があるように思えるのですか。

また、三一権実論争に戻って
「この論争の中心は、“一乗真実・三乗方便”とみるか、“三乗真実・一乗方便”とみるかの教義上の真偽をめぐる問題と、“一切皆成”とみるか、五姓各別”とみるかの人間観の違いの問題です」とあります。

「最澄はこの論争に疲労困憊し、亡くなってしまいそれにて論争のピリオドが打たれましたが、総合大学として叡山が確立したため、そして、徳一のほうが後につづく弟子にめぐまれず、鎌倉期には一乗思想になって、三乗思想のほうは誰も信じなくなっていた」とあります。
「しかし、一切衆生悉有仏性から、悉皆成仏のほうに強引に持っていってしまい、最澄以降、現世そのものを肯定し、腐敗と堕落を生む方向へ向かったのは歴史的事実です」

この後修行論がなくなってきて、ご利益宗教のなかに、成仏を甘く解釈する思想が毒水のように流れ、その源泉が“悉皆成仏(死ねば皆仏)であると。
興教大師については、以後調べていないので、また次にいたします。
もとのソドム氏ゼロ氏の応酬を見ていなかったので、的はずれかもしれませんが…。

29AHW:2006/01/30(月) 00:11:36 ID:JMrtYIlE
>>27-28 たまご氏 ちょと待った

>「最澄以降、現世そのものを肯定し、腐敗と堕落を生む方向へ向かったのは歴史的事実です」

と最澄以降をこう批判してるのは総裁氏の言というか書籍からか?

これ見て思ったが、「現世を肯定してる(発展原理とやら)」のは
大川氏も自慢するように「kk教えの一大特徴!」なんじゃないのか?

んで、ヨソ板でも指摘されてるようなkkの腐敗と堕落が現象化しているとも言えるんではないか。

「現世肯定が堕落を招く」ってならさ、自分の説で自らの堕落する運命を指摘している、
ってことにもならないか?

んで、ネットではファビョ逝ってる系の信者がそここに闊歩する。
ネット普及時代になって、それ以前には外からよくわからなかった
「信者個人のクオリティー」が普通に良くわかるようになっただろ。
その共通する本音や、特徴的な傾向、まあ選民的な傲慢さとか無反省ぶりが、さらけ出されるようにもなったよな。
誰かの個人批判ではなく、これはまさにkk信仰の果実群そのものだろ。

話題の興教大師、覚鑁個人については良くは知らなかったんで、
ソドム氏に刺激されここをちらちら流し読みしてる程度だが。
http://kobodaishi.xrea.jp/kakuban.html
結構有名な成田山も覚鑁たん関係かね。
で、天台本覚思想と一線を隠す覚鑁がなんで毒水増幅者になるんだ?

30AHW:2006/01/30(月) 00:24:28 ID:aZToDS/I
>>29
一線をかくす だな。
結局、普通に真言宗の流れの中にあるんだろ。覚鑁は。

だいたい大川氏の提出してくる思想はそもそ矛盾が多過ぎてさ、統合的に理解しろという方が無理。

例のリバティネタの検証で、ちょっともらいものだった書籍とか引っ張り出してめくってるんだが、
言ってることが全然変わっていく。

GLA高橋信次が「覚鑁は正法を邪魔する悪魔ニダ!!」をそのまま継承し
さもありなんと便乗非難していたようにしか見えないわな。

ところがその高橋をあっさり切り捨てた折にはね
「仙人の霊あそび、いい加減なさくらによる霊現象、霊査もいいかげん」
「なんでそんな彼の説に深入りする必要はない」と言ってのけてる。

しかし信者諸氏は「覚鑁=悪魔は宇宙の実態のひとつ」として、
「はじめに結論ありき」の議論枠から出ることはない。
「もしや違うかも?」という可能性すら検討することもない。

これは一例にすぎんが、まあ万事こんなことばかりなんじゃまいか?

31たまご:2006/01/30(月) 00:24:45 ID:TvJ0BnBQ

おー!!AHWさん、その節は失礼しましたm(_ _)m
遅いので、今日はこれだけです。すみません。

32エートス:2006/02/01(水) 02:35:08 ID:FzLRZHfE
>>28
卵氏
>興教大師については、以後調べていないので、また次にいたします。もとのソドム氏ゼロ氏の応酬を見ていなかったので、的はずれかもしれませんが…。

別に的はずれではないですよ。このソドム氏vsゼロ氏の応酬の感想でわたしは空海に触れたね。それであなたが有名な「仏性論争」を大川氏がどう扱っているかくわしく教えてくださったものと思っていました。

教義をめぐってこの論争がはじまったのはね、ひとえに高僧と評価の伝わる覚鑁を「アンチエルカンで悪魔なのだー」と、KKが世人に対し宣告しているのが原因でしょ?
こうした争点ではね、感情論では絶対に議論に勝てないものなんだが、見ていますと反論しようとする信者さん側は、ただ感情に走るしかなくなる状態なんだよね。

もう一度ゼロ氏の_教祖的な_発言を確認しておきましょかね。

>>Y8578 ゼロ氏
>再三、出てきている、「基準、基準」というのは「教義の内容によって、教祖が天国に帰れない場合の基準」つまり「邪教か否かの基準」です。
これとは別に、当然、我々が天国に行ける基準、行けない基準、というのがあります。

>「教祖が天国に行くか地獄に行くかを分かつ宇宙の真理」は、ただひとつ。
>絶対者と人間の厳然たる違いを教えのなかに盛り込むこと。
>人霊が造物主を超えることができないことを明確に説き切ること。
>この一点に尽きます・・・・・・・・・

応酬の内容は簡単なことで、ゼロ氏は、「一般人と宗教の教祖が地獄に行く「基準」は異なり、教祖の場合は堕落した教え_この場合は堕落した本覚思想_を説くことで地獄に行く」、と述べています。

興教大師が地獄にいるのは、絶対者と人間の厳然たる区別を教えに盛り込んでいない堕落した本覚思想を説いたから、ということです。

33エートス:2006/02/01(水) 02:51:26 ID:/sextScg
それでね、その具体的な実証例としてゼロ氏は以下の2文を挙げてるわけネ。

>>弘法大師は、 『成仏は、 我が身そのものに可能性がある』といい
>覚鑁は、 『成仏は、 我が身の内に既にある』という。

「既にある」というのが堕落している根拠だとする。それで、あなたが>>24>>27-28などで書いて下さったことは、このゼロ氏いわく「KKの教えだ」と息巻いていることに「反対の根拠」を出してくれてるわけでね。実のところはどうなのかを、あなたにお聞きたいわけですよ。

>>28の卵氏wrote
>「しかし、一切衆生悉有仏性から、悉皆成仏のほうに強引に持っていってしまい、最澄以降、現世そのものを肯定し、腐敗と堕落を生む方向へ向かったのは歴史的事実です」

>この後修行論がなくなってきて、ご利益宗教のなかに、成仏を甘く解釈する思想が毒水のように流れ、その源泉が“悉皆成仏(死ねば皆仏)であると。

ここに「堕落」という言葉がありますよね。こうした堕落した本覚思想は全て天台の流れでしょ。この毒水の流れの中にいるはずの親鸞が天国で、空海の真言を引き継いだ覚鑁がなぜ地獄にいるのですか、というのがやはり論点ですね。

>いずれも、大衆の救済という共通の主眼点があるように思えるのですか。

これは意味がちょっと不明なんですが、「大衆の救済という主眼点があれば堕落した思想を説いても地獄には行かない」ということでしょうか?だとすれば新たな「基準」になりますが。

私の言っている文意はお分かりいただけるよね。たくさん書籍から抜き書きしていただくのも大変だろうから、もし意図が分からなければ質問して下さいね。

34エートス:2006/02/01(水) 03:02:54 ID:/sextScg
卵氏
ゼロ氏の上記発言を再度引用します。私からの感想提示のため。

>「教祖が天国に行くか地獄に行くかを分かつ宇宙の真理」は、ただひとつ。
>絶対者と人間の厳然たる違いを教えのなかに盛り込むこと。
>人霊が造物主を超えることができないことを明確に説き切ること。
>この一点に尽きます・・・・・・・・・

通常、聖書をちゃんと読んでいない方は、イエスが神についていろいろ述べていると思っていますが、それは違うんですよね。聖書学者の研究でも、イエスが直に神に触れた説法をしているのは福音書ではたった2箇所しかないそうです。つまりこんなことは「明確には説ききって」いないのですよ。

もちろんイエスの祈りの言葉の中には神よ神よと神はでてきますが、これは「教えを説く」ことではありませんから除かれる。

以下その2箇所を引用します。

マタイ5-45
「天の父は悪い者の上にも善い者の上にも太陽を昇らせてくださる」
マタイ25-2
「今日生きていて、明日は炉に入れられる野の草でさえ神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたに、それ以上してくださらないはずがあろうか。」

ここに絶対者と人間の厳然たる区別があるのでしょうか。わたしは厳然たる区別があるのはイエスの言葉じゃない「旧約」だと思いますがね。そして、厳然たる区別を説いている旧約の造物主エホバ神って、KK教義によればエルカン系ではないエンリル神ってことなんでしょ。KKが教義変更をせざるおえなかったほどの砂漠の問題児とされている。

35たまご:2006/02/03(金) 21:52:11 ID:zWJMXpp2
>>29AHW氏
雑談での現役氏のハードボイルドな寄稿におそれいっております。
さて、
>これ見て思ったが、「現世を肯定してる(発展原理とやら)」のは
大川氏も自慢するように「kk教えの一大特徴!」なんじゃないのか?

似て非なりかと。現世、この世は仮の世である。永遠に変わらず続く世界でもなく、人はこの世に永遠にとどまることはできない、また存在しているように見える諸々の事象も実在の世界から観たならば幻である、という“一切皆空”でまず常にあらずと否定がある。
されども、この世に生まれここにある自己存在の中に仏神の意図を観じた時に、この世での生が全く違った意味を持つものと変わるわけで、
“真空無相”から“真空妙有”という観の転回があっての発展の原理です。
仏神の眼から見た発展の肯定です。

パウロと親鸞はよく比較されます。エートス氏より天台の流れを引く親鸞と空海の流れを引く覚鑁について書いておられますが、私は“信仰”が結果を分けたのではないかと考えています。両者とも所謂プロフェッショナルな魂です。修行の目的、手段、様々に本来想定したレベルもしくは仕事があって、そこにどれだけ近づくことができたのかと考えると、自己採点として赴く世界であるとはいえ、かなり厳密なものがあろうと考えられます。
天台の悉皆成仏論、“死ねば、皆、仏様”としてしまうのは実態とあまりにもかけ離れています。誰でも死ねば仏であるならば、他の人の幸福のため、悟りの向上のため努力した人、好き勝手に怠けた人の死後の行き先が同じでは、縁起に反します。さらに、現代では霊魂、死後の実在までも否定し、無我説の誤った解釈から死後は無であるとする仏教者まで出ています。
釈迦の修行論としての縁起を、甘い解釈に持っていったのが天台本覚思想であり、心の修行論を超能力信仰、霊能力開発に曲げていってしまったのが密教の一部の流れなのではと愚考します。

36エートス:2006/02/04(土) 00:57:28 ID:pq2Q/M/M
>>35
卵氏
>パウロと親鸞はよく比較されます。エートス氏より天台の流れを引く親鸞と空海の流れを引く覚鑁について書いておられますが、私は“信仰”が結果を分けたのではないかと考えています。

信仰が天国と地獄を分けるのは、ほとんど全ての宗教で言い習わされていることです。今、論点になっているのは、具体的には何をもって天国と地獄に行き先が分れるのかということです。

>両者とも所謂プロフェッショナルな魂です。修行の目的、手段、様々に本来想定したレベルもしくは仕事があって、そこにどれだけ近づくことができたのかと考えると、自己採点として赴く世界であるとはいえ、かなり厳密なものがあろうと考えられます。

プロフェッショナルという表現がありますがどういう意味なのか。KK的には本来高次元の霊格を備えていた霊人が・・・という意味?

いずれにせよ教祖になる人とわれわれ一般人とは「基準」が異なるということですね。これはゼロ氏が書いていることと同じです。で、プロは本来の仕事が果たせなかった場合に地獄に行くということですか?

しかし覚鑁は地獄で至らざるを振り返っているどころではないんでしょ。悪魔としてあなた方には脅威となっている。これは自己採点の域を超えているのではありませんか?

また、最澄が地獄にいるのは嫉妬からという話ではなかったですか?

>天台の悉皆成仏論、“死ねば、皆、仏様”としてしまうのは実態とあまりにもかけ離れています。誰でも死ねば仏であるならば、他の人の幸福のため、悟りの向上のため努力した人、好き勝手に怠けた人の死後の行き先が同じでは、縁起に反します。

これはゼロ氏の言う堕落した本覚思想のことですよね。そうするとやはり堕落した思想だと地獄ですか?

37エートス:2006/02/04(土) 01:04:55 ID:pq2Q/M/M
>さらに、現代では霊魂、死後の実在までも否定し、無我説の誤った解釈から死後は無であるとする仏教者まで出ています。

ではあの世を否定している場合は地獄なのですか?しかし現役信者氏は唯物論者であっても天国にいる場合があると書かれていますが。

さらに、信者ゼロ氏はまた新しい基準を出したようです。今回は、「絶対者と人間の厳然たる違いを教えのなかに盛り込むこと」でもなければ、「堕落した思想を説いた」でもなくて、次の新しい説が出されました。

>>Y9114 ゼロ氏
>仏近き自分が、皆になりかわって贖えるものである、錯覚したところに、大きな陥穽が待ちうけていた、というふうに考えられます。

これは以前卵氏が傲慢な宗教者だと覚鑁を批判してみせたことと似ていますが、これはキリスト教で言われている、イエスの行為と同じだとわたしは以前にもこちらに書きました。

このあたりはスルーされててレスは戴いてなかったですが、イエスの贖いが錯覚ではなく覚鑁の贖いが錯覚であるとできる理由はなんですか?

あなたとゼロ氏の地獄落ち基準で、私はますます混乱してきています。KK教義の初学者のわたしにもわかるように説明していただけませんか。

38たまご:2006/02/04(土) 01:59:10 ID:KKEDZ.mo
>信仰が天国と地獄を分けるのは、ほとんど全ての宗教で言い習わされていることです。今、論点になっているのは、具体的には何をもって天国と地獄に行き先が分れるのかということです。

自分を超えた力、或いは存在に対するプラスの意味での畏敬、崇敬の念ではないでしょうか。ただ単に畏怖、恐れを抱かせるという信仰はダークサイドにつながりかねないのでは。
一般論としては、「愛を与えて生きれば天国に通じ、愛を奪って生きれば地獄へ通じる」とされています。愛を与えるといっても段階があり、生きている間にかけた愛の総量が採点のようにでるのではないでしょうか。

>プロフェッショナルという表現がありますがどういう意味なのか。KK的には本来高次元の霊格を備えていた霊人が・・・という意味?

宗教家というのは、この世とあの世の架け橋となる専門家という意味です。

>しかし覚鑁は地獄で至らざるを振り返っているどころではないんでしょ。悪魔としてあなた方には脅威となっている。これは自己採点の域を超えているのではありませんか?
>また、最澄が地獄にいるのは嫉妬からという話ではなかったですか?

指導者として多くのものを迷わせた罪というのがあるそうです。それに引っかかってくると、その指導のために人生を狂わせた人々が無事天上界にあがってこないと、その人自身も恨みの念波などによって浮上がかなわないそうです。そのような実態を知ってしまったから、総裁先生においても六年という実証期間をおいて、ご自身に宗教家としての素質があるかどうかということを確信されるまでは活動にはいられなかったようです。
地上というのは、地獄に近い磁場になりやすく、高次元の霊界よりも地獄からの指導のほうが入りやすいそうです。実際にある教団などに指導として入り込んでいるとして問題にされていたようですが…。
ただ、現在も継続していることなのかどうかは特に言及されていないのではっきりこうですとは、私は申し上げようがないです。
幸福の科学としては、宗教界全体が淫祠邪教的な蔭の部分があればそれを捨て去り、正しい方向に流れることが望ましいはずで、他の団体をなきものにするというような目的ではないはずです。
日陰においやられていた信仰の世界を、人間にとって必要なものとして前面に押し出すという役割の一端があるのだと考えています。

>そうするとやはり堕落した思想だと地獄ですか?

思想自体が力を持つかどうかは、それを信じ行う個々によって違いますね。私個人としては、仏教のこのあたりの思想、修行論の部分というのは“厳しいなぁ”という感想です。同じ菩薩界でも悟り、上求菩提(じょうぐぼだい)を得意とする霊人もおられるし、救済、下化衆生(げけしゅじょう)に専念しておられる霊人、また科学の分野で人類の進歩に寄与された霊人など、菩薩といえども役割も個性も豊かなようです。
仏教の系統は特に悟りを追究されるのではないでしょうか。その中でも親鸞といった方は異色です。あるご法話のなかでも親鸞について、“仏教としては異端ぎりぎりですね”というようなコメントがあったと思います。

>ではあの世を否定している場合は地獄なのですか?しかし現役信者氏は唯物論者であっても天国にいる場合があると書かれていますが。

地獄というよりは、自分で自分の死後の生存を否定してしまうと、行き場がなくなってしまうようです。シックスセンスの世界は絵空事ではないそうで。霊界に還れず地上でさまよい、本人にそのつもりはなくても残された家族によりかかって、家族の障りになる場合も多々あるらしいですよ。

39たまご:2006/02/04(土) 02:23:54 ID:KKEDZ.mo
続き
>これは以前卵氏が傲慢な宗教者だと覚鑁を批判してみせたことと似ていますが、これはキリスト教で言われている、イエスの行為と同じだとわたしは以前にもこちらに書きました。

>このあたりはスルーされててレスは戴いてなかったですが、イエスの贖いが錯覚ではなく覚鑁の贖いが錯覚であるとできる理由はなんですか?

やたらなことは書けないので、もう少し調べる時間をいただければありがたいです。ゼロ氏と私と共通しているのは、直感で判断してしまっているところです。たぶん…。
ただ、イエス様の贖罪説については後世つくりあげたものだったかと。
遅くなってしまいましたので、また改めてm(_ _)m

40たまご:2006/02/04(土) 11:01:48 ID:KKEDZ.mo
>>39
続き
自虐的精神について、『幸福への道標』という経典にも述べられています。この辺りがヒントだと考えられるのですが、
「優れた魂は人を許すことはできます。人を許すことに専念することもあります。しかし、自分自身を許すことはできないでいます。
自分自身を許すことができない部分に魂の偏狭さがあります。ストイシズムによる狭さがあります。他人を許すのみならず、自分自身をも許してしまうことです。それは、自分が偉大な神の子の一人であるということ、自分も神の力の一部であることを信ずることにほかなりません。神の子である自分が不幸であってよいことではないのです。」とあります。

これを初めて読んだときびっくりしたのですが、他の人の分まで自らが犠牲となり不幸を背負うというような考え方は美談のようでいて、実際には不幸の拡大再生産になりかねないということではないでしょうか。
たとえ、光の天使の境涯にあった魂でも、「苦難困難我が身に降りたまえ」と苦難礼賛してしまうと、この世において成功することが少なく、それが後に続くものにとって、この世における不幸肯定思想にもなってしまうからのようです。

「自分がこの世で成功することは神の意に反することだ、世に苦しんでいる人が一人でもいるかぎり自分は幸福になってはいけない、という思想を持ったときには、かならずその自虐的な思いが自己処罰を呼び込むことになっていきます。」
「幸福になるのは権利ではなく、義務であるのだ、という観点を強く心に刻んで欲しいと思います。」ともあります。

地獄の底をも支えているのが仏神の慈悲の姿でもあると教えていただいています。大きな流れで考えてみたときに、人類全体が自灯明の時代に入っていくことによって、“犠牲”という形、パターンからの学びをそろそろ終わらせなくてはいけない局面にあるのかも知れません。天使・菩薩の使命遂行への指導をも含むという、一段上の修正が入ってきた時代とも考えられます。
イエスさまと覚鑁の違いにおいては、結局他の多くの者の罪を背負いきる、もしくは浄化に導くだけの実力、使命の違いではとも考えられます。懺悔から、偉大な理想のほうに現実を引き寄せるだけの積極的展開を他者への愛ゆえに行えるかどうか、それとも現実に妥協して理想そのものを曲げてしまい失意の内にとどまったか、ではないでしょうか。
犠牲を犠牲のままで終わらせてしまうこと自体が、本人にとっても残され後に続くものにとっても罪であるようにも思えます。

41IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/02/04(土) 12:17:53 ID:HEi5mqY.
KKでは「犠牲」を否定的な用語としてつかわれていますが、これをもって犠牲のようにみえる献身をやめる人もおるかもしれません。
神智系においては「磔刑」の第四イニシエーションがあります。

  『第4イニシエーションつまり「磔刑」を受ける人間の生涯は通常大いなる犠牲と苦悩の生涯である。
   それは「大いなる放棄」を行う人間の生涯であり、現世的にみてさえ、奮闘的で困難な苦悩にみちた生涯である。
   彼はすべてを、完成されたパーソナリティでさえも、犠牲の祭壇に供し、すべてが奪われる。
   そして、すべてが放棄される。友人、金銭、名声、人格、世界での地位、家族、生命そのものさえもが。』  *…『トランスヒマラヤ密教入門』 第三巻第三章6

42ゼロ:2006/02/04(土) 14:14:17 ID:ryqHTOmo
わかりにくいならば、私が列挙しておきましょう。


イエス「天の父よ、我が御名において、地上の迷える国たみを救いたまえ」

覚鑁「仏よ、我が御名において、堕落せし修行僧たちを救いたまえ」

ゼロ「主エルカンターレよ、我が御名において、ネット中毒の悪しき信者たちを救いたまえ」


アンチシンパを問わず、読んで違和感を感じるのが、普通の感覚です!!(笑)

誰しもがこの言の葉を口することが許されているわけではありません。

自分の「分」を超えない一生を送る、というのは非常に大切なことです・・・・・


卵さんが感じる「直感」というのも大切にして欲しいと私は思います!!

43エートス:2006/02/06(月) 08:14:24 ID:8w2SOpTI
>>38-40
いつも長々丁寧に書いていただきありがとう。内容は多岐に渡っているようですし、今回はY他でゼロ氏もキャンキャン吠えているし、ここでは、ゼロ氏と共通の問題について順を追って進めましょうか。

>一般論としては、「愛を与えて生きれば天国に通じ、愛を奪って生きれば地獄へ通じる」とされています。

>指導者として多くのものを迷わせた罪というのがあるそうです。それに引っかかってくると、その指導のために人生を狂わせた人々が無事天上界にあがってこないと、その人自身も恨みの念波などによって浮上がかなわないそうです。

あなたのレスをまとめると、地獄への切符にはダブルスタンダードもありということでいいですね。

ここからわたしの質問です。

最澄は嫉妬のために地獄にいる(_この点には訂正なかったようなのでこれを前提にしますが_)そうですが、これは一般人として真理に裁かれた(裁かれたという言い方は適切でないかもしれないが)ということだよね。だとすれば、最澄天台本覚思想のほうは、堕落した思想ではあったが「セーフ」だった、ということで了解していいね?

さて、イエスを救世主とするキリスト教は多くを救いましたが、また、多くを迷わせたと言えるでしょう。かつてキリスト教の名の下においてどのようなことが行われたかはご存じですね。そうした恨みの念波をイエスは受けているのではないのですか。

さらに、KK自体がこの世で指導なりしていて、主に金銭関係と予言関係で多くの人の恨みや不興をかっていますね。大部分は存命中だと思いますが、この先、そうした人々が天上界に行かれなくて恨みの念波を送ってきた場合は、大川氏も多くの者を迷わせた罪を負わなければならないのではありませんか。

44エートス:2006/02/06(月) 08:17:28 ID:8w2SOpTI
次に

他宗を邪教と宣告することに関して、あなたとゼロ氏は正反対のことを書かれているのだが、これはどちらが本当のKKの考え方なんでしょうか。

卵氏
>幸福の科学としては、宗教界全体が淫祠邪教的な蔭の部分があればそれを捨て去り、正しい方向に流れることが望ましいはずで、他の団体をなきものにするというような目的ではないはずです。

ゼロ氏
>邪教を広める罪は、もちろん地獄行きです!!
>逆に邪教を潰すのも我々の仕事のひとつです。


お次は唯物論者の行方ですが

>地獄というよりは、自分で自分の死後の生存を否定してしまうと、行き場がなくなってしまうようです。

先日、現役信者氏は「行き場がなくなる」ではなくて、「唯物論者であっても天国にいる場合がある」とはっきり書かれていました。それをアンチは信じない・・・とまでも。

それから、こんなことは言いたくはないのですが敢えて言わせて貰うと

>ゼロ氏と私と共通しているのは、直感で判断してしまっているところです。

直感を否定はしませんが、直感ならばその人がそう感じるという以外には根拠がないですよね。では、わたしが対話している相手はKKの信者さんではなくて、じつは自分教の教祖さんということなのですかね・・・。形式ではなくて本質的な意味で・・・ですが。

45エートス:2006/02/06(月) 08:22:10 ID:8w2SOpTI
次に、これは大川氏の言葉からの意見ですか?それとも聖書学からの意見ですか?

>ただ、イエス様の贖罪説については後世つくりあげたものだったかと。

あしゅらっしゅ氏の投稿中にありましたよ。

>これを初めて読んだときびっくりしたのですが、他の人の分まで自らが犠牲となり不幸を背負うというような考え方は美談のようでいて、実際には不幸の拡大再生産になりかねないということではないでしょうか。

自己犠牲願望の裏には、自己処罰、あるいは道徳的自己弁護があるというのは気が利いた心理分析の本にはよく書かれていることでね、特に目新しいことやビックリするようなことではないのですよ。

宗教だから、自己処罰を解決するには「信ぜよ」ということでしょうが、心理学にはそれとしての解決方法があります。

>イエスさまと覚鑁の違いにおいては、結局他の多くの者の罪を背負いきる、もしくは浄化に導くだけの実力、使命の違いではとも考えられます。

先に「自己犠牲の精神が不幸につながる」と書かれていたと思ったら、今度は「自己犠牲の程度」が観点になっていますね。あるいはもともと偉大な存在とそうでない凡な存在の分相応ということでしょうか。

>懺悔から、偉大な理想のほうに現実を引き寄せるだけの積極的展開を他者への愛ゆえに行えるかどうか、それとも現実に妥協して理想そのものを曲げてしまい失意の内にとどまったか、ではないでしょうか。

このあなたの仮説はやはりよく分からないので、イエスと覚鑁の具体的な比較をお願いしたいのですが・・・。

例えば_偉大な理想に現実を引き寄せたのはイエスのどのような行為を指しているのか_現実に妥協して理想を曲げたのは覚鑁のどのような行為を指しているのか_など、どうぞよろしくお願いします。

46たまご:2006/02/07(火) 09:15:27 ID:T44E7XeM
>>43エートス氏

>最澄は嫉妬のために地獄にいる(_この点には訂正なかったようなのでこれを前提にしますが_)そうですが、これは一般人として真理に裁かれた(裁かれたという言い方は適切でないかもしれないが)ということだよね。だとすれば、最澄天台本覚思想のほうは、堕落した思想ではあったが「セーフ」だった、ということで了解していいね?

悉皆成仏論が出た時点でアウトになったのではないでしょうか。魂の本質に仏神と同質のものがあるとするのは間違いではないけれども、それを磨き出すことなく、そのまま機能する性質のものだとしたときには、違うでしょうということですから。平等と差別(しゃべつと読むそうですが)を知るということは、悟りの道を説くにあたって外せないのではないでしょうか。

>さて、イエスを救世主とするキリスト教は多くを救いましたが、また、多くを迷わせたと言えるでしょう。かつてキリスト教の名の下においてどのようなことが行われたかはご存じですね。そうした恨みの念波をイエスは受けているのではないのですか。

九次元霊ですから、許す愛の力において人間心の限界を超えた愛の体現者です。肉体を去る段階の自己認識において、最澄と比較するにはあたらない愛、悟りの段階でおられると思います。人々のマイナス想念を吸収し溶かしてしまうようなイメージではないかと思いますし、それは神と一体となって生ききった方であるからこその境地であるかと考えます。

>さらに、KK自体がこの世で指導なりしていて、主に金銭関係と予言関係で多くの人の恨みや不興をかっていますね。大部分は存命中だと思いますが、この先、そうした人々が天上界に行かれなくて恨みの念波を送ってきた場合は、大川氏も多くの者を迷わせた罪を負わなければならないのではありませんか。

宗教というのは、その確立において百年単位の経過観察を要しているようです。時間的規模からみれば、まだまだ一里塚でしょう。愛や魂を育むという過程には、色んな局面が用意されていると考えています。
しかし、全ての人は愛の大河の住人ですから、宗教であるからこそ、価値観の衝突も、永遠という視点での進歩と調和の学びとしての理解が可能になってくるのだと考えます。
もし、そのように幸福の科学に対し恨む思いでこの世を去られたとしても、それも仏との縁ですから、悪しき世界に行かれた時には、天使・菩薩の方々が全力で救済に向かわれると思いますし、地上においても、同じ思いで、同じ願いでもって皆活動していると理解しています。

むしろ、あの世などない、死後は無であると頑張った学者さんなどのほうが、説得が大変なようです。布団をかぶってじっと蛹のようになったままの魂でおられるそうで、何とも気の毒な状態であるようです。

47たまご:2006/02/08(水) 00:38:15 ID:x30NDDoA
>>44
>他宗を邪教と宣告することに関して、あなたとゼロ氏は正反対のことを書かれているのだが、これはどちらが本当のKKの考え方なんでしょうか。
ゼロ氏
>邪教を広める罪は、もちろん地獄行きです!!
>逆に邪教を潰すのも我々の仕事のひとつです。

正しいものを広める過程、切磋琢磨の過程でそのような結果が出ることもある、というお話は聞いたことがありますが。

>直感を否定はしませんが、直感ならばその人がそう感じるという以外には根拠がないですよね。では、わたしが対話している相手はKKの信者さんではなくて、じつは自分教の教祖さんということなのですかね・・・。形式ではなくて本質的な意味で・・・ですが。

学んだものを自身の言葉で表現すれば、自分教と言われる、ということでしょうか。根拠がないわけではなくて、書くという表現に収まらないだけのことではないでしょうか。たとえば悟りの世界についても、認識の変容を説法する側とそれを理解しようとする側の溝を埋め合わせるだけでも何万巻経典を学び尽くし、議論してはいきますが、目で見て判るという等しい理解は難しいものがあると思います。それは、どちらが上というものでなく、認識するための地図の違いとでもあるかと思います。
或る意味では、人は皆自分教ですよね。小さな神様として、自身で判断し、自由にものを考え意思決定していくという意味で。

ですから、洗脳とは無縁の教えですよと申し上げもしますが、解る範囲で書かせていただいていても、私の材料の種類、料理の仕方、技術が適切でないという面も多々あると恥じております。

48たまご:2006/02/08(水) 08:56:58 ID:x30NDDoA
>>目で見て判るという等しい理解は難しいものがあると思います。それは、どちらが上というものでなく、認識するための地図の違いとでもあるかと思います。

訂正です。「どちらが上というものでなく」について、悟りの段階においても認識力においても、洞察力においても実力差、段階差はあります。が、私が正しくそれを判定できるわけはないので、このように書きました。信者さんとそうでないかたなど、立場の違いに上下感の誤解が含まれては困るので、「どちらが上というものでなく」としました。これでは悉皆成仏になってしまいますものね、ごめんなさい〜!

49エートス:2006/02/08(水) 21:51:10 ID:SMvtjoto
>>46
卵氏
>悉皆成仏論が出た時点でアウトになったのではないでしょうか。
これは主語がないので誰のことか分からないのですが、最澄のことなら「嫉妬から地獄にいる」というのは
誤りだから訂正ということですね。

覚鑁だとすれば、「差別と平等を知らしめることをしなかった」に関してで引っかかるのは『五輪九字明秘密釈』
の中で、真言密教の「即身成仏思想」と浄土教の「極楽往生思想」の同一性を述べたということでしょうか。

即身成仏思想はどちらかというと自力系ですから、もし同一性を述べているなら、逆に、むしろ大川氏が異端的で
あるとした浄土教を正統な仏教の流れに引き戻しているとすら思えるのですが。この点はいかがでしょう。
また「同一性の思想」を前提にするなら、それを広めた親鸞などは地獄にいなければならないですね。

いずれにしてもこの点に言及するなら、少なくとも『五輪九字明秘密釈』から説明していただきたいですネ。

50エートス:2006/02/08(水) 21:54:42 ID:SMvtjoto
>>49
研究書として紹介されている以下の文献があります。

興教大師 覚鑁−教義の考察(Japonica Neerlandica7)
発行:Hotei Publishing(2000年)
原題:A study into the thought of Kogyo Daishi Kakuban/With a translation of his Gorin kuji myo himitsushaku
/Japonica Neerlandica 7
へニー・ファン・デル・フェーレ著
初版発行:2001年8月16日

英文ですが、簡単なダイジェストが載っています。

<内容説明>
覚鑁 (1095-1143) は真言宗中興の祖と仰がれ、研究上欠かすことの出来ない重要人物である。本書では覚鑁の
一生をたどりながら、彼の業績、特に教義に考察を加えている。一般に覚鑁は阿弥陀の教えと儀式を真言宗に取り
入れたと信じられているが、著者の研究では覚鑁の究極の目的は多宗派の儀式を正統真言宗の視点から説明する
ことであったことが明らかにされている。第五章における覚鑁の代表的著作「五輪九字明秘密釈」と第四章の
「阿弥陀秘釈」の解釈がそのことを裏付ける。本文英文。人名・重要語等には日本語を付す。モノクロ図版3点。

以上はネットで調べましたが、その過程で、覚鑁については、もう一つ別の問題が生じているのを認識しました。

というのは、覚鑁で検索する限りは悪く書かれたサイトはありません。それどころか真言中興の祖として多くの仏教者の尊敬と感謝を集めています。つまり多くの人を
迷わせてはいない_むしろ救っている_ということなのではありませんか。

51エートス:2006/02/08(水) 21:58:36 ID:SMvtjoto
>>46
> 卵氏
>九次元霊ですから、許す愛の力において人間心の限界を超えた愛の体現者です。肉体を去る段階の自己認識に
おいて、最澄と比較するにはあたらない愛、悟りの段階でおられると思います。人々のマイナス想念を吸収し
溶かしてしまうようなイメージではないかと思いますし、それは神と一体となって生ききった方であるからこ
その境地であるかと考えます。

この世とあの世にわたってある法則はただ1つ「因果」であるとわたしは聞いていますが、KK的最上次元になるとこの法則は通用しなくなるのですね。どのあたりから通用しなくなるのでしょうか。神格というのは9次元までいかなくても、もう少し下の方にもいたような気がするのですが。

またさきほどの>>50の覚鑁の件でいうと、いくら人々の感謝やプラスの想念を吸収しても「ダメなものはダメ」
として裁定されるということでしょうか。

>もし、そのように幸福の科学に対し恨む思いでこの世を去られたとしても、それも仏との縁ですから、悪しき世界に行かれた時には、天使・菩薩の方々が全力で救済に向かわれると思いますし、地上においても、同じ思いで、同じ願いでもって皆活動していると理解しています。

ここでもKKに少しでも縁があれば反省無しに救われる_と「因果」は無視されるわけですか。
それはエルカンターレが法則にとらわれない存在だからになるのですか。

ところでゼロ氏が「あなたとダイア氏とゼロ氏はネットに常住している」と書かれていましたね。それに対して、現役信者氏は、当会に「ネット伝道」という言葉はない、勘違いも甚だしい_と言う主旨を書かれていました。いったいどちらが本当なんでしょうか。あなた方三人はもしかしたらモグリKKなの?

52エートス:2006/02/08(水) 22:48:51 ID:db2g10YA
>>47
卵氏
>学んだものを自身の言葉で表現すれば、自分教と言われる、ということでしょうか。根拠がないわけではなくて、書くという表現に収まらないだけのことではないでしょうか。

なに言ってるんですか。直感で書いているといったのはあなたですよ。そしてゼロ氏もね。だから、ああそうですかと反応したまでで。直感で書くのと、学んだものを自分の言葉に直して書くのとは意味が違いますよ。学んだことなら、あなたとゼロ氏の言うことが以下のように180度違ってくるはずがないでしょ。

また、書くという表現に収まらないなら、こうしたBBSで法論も伝道もできませんよ。書くこと以外の表現手段はここには無いんだから。

卵氏
>幸福の科学としては、宗教界全体が淫祠邪教的な蔭の部分があればそれを捨て去り、正しい方向に流れることが望ましいはずで、他の団体をなきものにするというような目的ではないはずです。
ゼロ氏
>邪教を広める罪は、もちろん地獄行きです!!
>逆に邪教を潰すのも我々の仕事のひとつです。

卵氏
>正しいものを広める過程、切磋琢磨の過程でそのような結果が出ることもある、というお話は聞いたことがありますが。

邪教を潰す結果になったのではなくて、目的のことです。

>ですから、洗脳とは無縁の教えですよと申し上げもしますが、解る範囲で書かせていただいていても、私の材料の種類、料理の仕方、技術が適切でないという面も多々あると恥じております。

洗脳と無縁であるかないかは、教義の問題ではなく、ひとえに信者さんの態度だと思いますがね。洗脳とは技術的な問題だから、教義自体で洗脳はできないんですよ。

>或る意味では、人は皆自分教ですよね。小さな神様として、自身で判断し、自由にものを考え意思決定していくという意味で。

自身で判断し、自由にものを考え意志決定しているように意識は感じていても、実態は多くの影響を無意識的に被っています。特に情報過多の現代ではね。それに気が付かないから神様でいられるんです。

53エートス:2006/02/11(土) 00:22:50 ID:kCDXPd8Q
>>37 >>42 >>51あたりの流れにかな。

ゼロ氏
あらー、言い返さずにはいられないご性格だから、どうするのかと思ってたら2ちゃんに書いてたんですね。2ちゃんねるの皆様にはウザイ思いをおかけして申し訳ありませんです。


967 :名無しさん@3周年:2006/02/09(木) 22:54:08 ID:82P0Tw/T
>ザ・法論、アク禁かよ!!(笑)
> 借りるぞ、2ちゃんを・・・・・・・・・・

あのね、ゼロ氏。アク禁になっても片山第2BBSにレスしたいのならね、あなたへの制限がなさそうな第一BBSあたりでされたらよいんじゃないですか。

>>ところでゼロ氏が「あなたとダイア氏とゼロ氏はネットに常住している」と書かれていましたね。それに対して、現役信者氏は、当会に「ネット伝道」 という言葉はない、勘違いも甚だしい_と言う主旨を書かれていました。いったいどちらが本当なんでしょうか。あなた方三人はもしかしたらモグリKKなの?

>当会に「ネット伝道」という概念はありません。

ふーん、じゃああなた方は毎日何やってんの。

> ソドムが、自分が「都合の悪い部分はスルーですか??」という発言をするために、逆に自分が全投稿にレスをする、というスタイルになっています。

あーそうか、あなたがネットにいるのは「他人のせい」なのだね。そうかそうか。恩ある仏に少しでも報いたいという気持ちだ、といつも書かれているソドム氏のモチベーションとは全然違うわね。それでスルーって言われるとプライドが傷ついちゃうのだネ。

>日本の大学で一番難しいから、という安易な理由で受験し、東大理・にストレートで入った為に、目標を、なおさら見失っている感があります。

はー、なにを訳のわからないことを言ってるのだか。2ちゃんねるの皆さんではないけど、あたま大丈夫?と心配してしまいますよ。得意の自分がいかに優位にいるかを自分で確認するための印象操作ですかネ。

それともあなたの学歴コンプレックスが延々と騒ぎますか。わたしはソドム氏のような人にはおおいに迷って、多くのことを経験して、さらに大きく成長していただきたいですね。あなたには、なんだっけ、すでに「有」の状態なのかもしれないから無理だと思うけど。

「ソドム氏なんかには人を救えない」とか脊髄反射だけで喚き散らす前にだね、あなたが自分の宗教者としての救済の体験を語ればよい。あなたの発言からはつねに虚構と虚勢しか感じられないんですよ。

まー意味がわからなければね。あなた、自分とソドム氏の議論をプリントアウトして、道すがらの人でも、できなければ友人にでも見せてごらんなさいよ。どっちが自分とかは言わずにネ。そこで返ってくるレスポンスですこしでも目が覚めると良いですね。

54エートス:2006/02/11(土) 00:33:38 ID:kCDXPd8Q
>>53 の最後がトップページじゃ省略されてしまうので再掲示。

あなたの発言からはつねに虚構と虚勢しか感じられないんですよ。

まー意味がわからなければね。あなた、自分とソドム氏の議論をプリントアウトして、道すがらの人でも、できなければ友人にでも見せてごらんなさいよ。どっちが自分とかは言わずにネ。そこで返ってくるレスポンスですこしでも目が覚めると良いですね。

ということで、あなたが法論スレでのわたしの投稿にヨソ板でレスされたのでここで書きましたが・・・、あなたとの問答は、内容のレベルが低すぎて法論スレにはまったくそぐわないです。ですから続きは雑談スレ、または次回以降は「ひかりもの」スレで対応いたします。

ちょうどYではまたまた「ひかりもの群団」がぴかぴかぴかぴかと預言者気取りで雄弁になっているしね。ひかりものをおだてあげて遠足の引導者してるのがあなたという構図でしょうかネ。

55たまご:2006/02/11(土) 09:06:44 ID:sgnG/dtM
エートス氏
おはようございます、いつもありがとうございます。
とり急ぎ以下について
>>もし、そのように幸福の科学に対し恨む思いでこの世を去られたとしても、それも仏との縁ですから、悪しき世界に行かれた時には、天使・菩薩の方々が全力で救済に向かわれると思いますし、地上においても、同じ思いで、同じ願いでもって皆活動していると理解しています。

>ここでもKKに少しでも縁があれば反省無しに救われる_と「因果」は無視されるわけですか。
それはエルカンターレが法則にとらわれない存在だからになるのですか。

救いというのをどう考えるか、なのですが。たとえあの世の霊でも、自分の過ちを知る事なく天上界には戻れないそうです。
「何が問題なのか」を自己認識できる(反省、懺悔)ように導くということで、すぐに天界に引っ張り上げられるようなことをもって、天使・菩薩の救済と書いたのではないのですが。
「苦しい、寒い〜」と叫ぶ意識しか出ないような落ち方だと、落ち着いて意識が通じるまでというか、パニック状態が沈静化するまでは放っておくしかないような場合もあるようで…。

Yで、今この瞬間の心が天国か地獄かというようなことを、確かあしゅらしゅさんが書かれていましたけれど、あれも真実だなーと思います。
「天国地獄は、日々一瞬一瞬の思いにあり、行いにあり」といわれています。肉体を去ったからといって、いきなり煩悩のまったくない無垢な魂として霊になれるわけではないですから、生きている内から反省の習慣を身につけることが大事なのですよね。

たとえば私が地獄にいってしまい「苦しい、何でだ〜!あー誰か教えて〜、助けてください〜」と叫んだときに、どういう天使菩薩が叱りに来られるのかわかりませんが、何故間違ったのかを諭す、「あー自分はここが間違っていたのか、本来、仏の子であったのに自らの魂を汚し、人に迷惑をかけ申し訳ないことしました(…と涙の懺悔反省)」となるような気付きのきっかけを示していただく、という“救済”です。

56エートス:2006/02/14(火) 01:19:59 ID:zUM6fZ1E
>>55
卵氏
>すぐに天界に引っ張り上げられるようなことをもって、天使・菩薩の救済と書いたのではないのですが。

ここで言う「救済の意味」については了解しました。

>「何が問題なのか」を自己認識できる(反省、懺悔)ように導くということで、すぐに天界に引っ張り上げられるようなことをもって、天使・菩薩の救済と書いたのではないのですが。

まー例えアンチとしてでもKKと縁さえあれば、地獄にいようがなんだろうが、個別に高級霊が全力でフォローしに出向いてくれる_ただし、本人の反省や懺悔がなければそれも無駄足_というような教えがある。こんな理解でよろしいかな?

ひかりものスレッドにも書いたが、わたしはソドム氏の功績としては、「法論的な矛盾に信者さんが答えられない」こと以上にね、「部外者に信者さんの異常性をわかりやすく示した」ことが大きいと思いますよ。

あなた方は「狸」と言われたことが収まらないとは思うが、これは信者でもなんでもないソドム氏が言ったことでしょ。わたしは個人的には狸ウンヌンにはこだわっていませんが、逆に信者さんが「ソドム許すまじ」と火病になるから、この話題にもこだわるんでね。

こうした批判を受けたとき、信者の態度が立派できちんとしていればね、「ああ、そんなこともあったけど、大川氏はやはり、立派な弟子を育てているし、ちゃんとした宗教家だったんだな」と一般人の何割かは思ったかもしれない。

だが、KK信者さんのあの様子からは「やっぱり目が逝っちゃってるかなー」としか思われませんよ、あなたやごく少数の方々を除いてはね。

なにしろね、「何が問題なのか」を自己認識できる(反省、懺悔)_とあなたが書かれた、この「天使・菩薩に通じるような部分」が皆無でしょうに。それで救済やら至高の信仰の優位をただ叫ぶんだから・・・。ご遠慮申し上げます、となるのはいたしかたないでしょ。退会者であられるカラー氏の内心の経験談がそれを裏付けていますしね。

あなたは信者の視点から見ているから、たいした問題ではないと思っているのかもしれないが、これはね、内部から滲み出る実態ですから、「狸」と外部から言われるよりも、ずっと深刻な状態だと思いますがね。

>そうですね。ネット生活もその(妄想、逃避)最たるものだと思います。
でも、飽きるまで続けるしかないでしょうね。

逃避、妄想だけでなく、依存、コンプレックスの補償欲求でもあるのでしょうけどね。

まーあなた達の主を愚弄する不逞の輩に反撃し、攻撃するのは「善」であり「正義」であるという視点から、その品質がどうであろうとも、信者さんには、なんでも「仲間という属性で容認できる、許容範囲だろう」という心理が働いてしまうのでしょうけどネ。

ただ、客観的にみればね、これは「自己」や自分達の行動やその結果の責任を、常に「他」_他人に転嫁することを正当化している_って構図でしょう。わたしが理解している限りですが、これは、あなた方の教義がすすめる根本的なマインドに、真逆になっているのは間違いなさそうですネ。

57エートス:2006/02/14(火) 01:36:28 ID:vujoyhgc
まーこれは、以前にもAHW氏が「外敵を理由にすれば、愚民というものは簡単に結束するの図」という政治訓、帝王訓で例えていましたネ。「こうなる民は低品質であることが傍証されてしまう」という訓でもありますね。

あなたは「飽きるまで続けるしかない」と書かれましたが、他人はともかくと、自分では逃避だと気が付いているなら、なぜその妄想と逃避をYで続けておられるのだろうかね。別に誰もあなたに使命や義務を課しているわけではないのでしょ。何があなたを連日のYのキーボード叩きに向かわせるのか。

まーそれはいいとしても、ソドム氏もスキーに行かれるようだし、スーパーシンパ・ネオ氏も「俺に意見するようなKK信者は引っ込んでろ!」と仰せですし。

老婆心でのおせっかいですが、ゼロ氏の扇動に載せられて、ひかりものと縁を深めていつのまにか同化してしまう前に、すくなくともYからは足を洗ったほうがいいですよ。手前味噌というわけではないですが、狸発言にはむかついちゃうし、また互いに理解を深めたいってのなら、ソドム氏との仕切り直しは第2でなさることをお勧めします。

58エートス:2006/02/14(火) 01:41:51 ID:VQMinKvA
>>Y9629
サンライズ2006氏
>私はこれを、「ニーチェが嘲笑された」ととるのは誤りであるのではないかと思います。「『神は死んだ』と叫んだその言葉が、あの世に還ってから、数限りない霊人たちの嘲笑の的になりました」、とあるように、ニーチェの「言葉」が、霊人たちの嘲笑のまとととなったのではないのでしょうか。

また新しい方みたいですが、こんな説明でそのお友達は納得したんだろうか。

宗教ってのは心を扱うもんだろうに。こんな紙ッペラ同然の詭弁の教科書みたいな説明じゃあ、わたしは納得できないけどネ。それともこんな説明で納得できる人しか信者にはならないのがKKなんだろうか。

言葉はそれが生まれる背景を必ず持っています。ニーチェの「神は死んだ」という言葉の裏にある苦しみを汲むことができないKK版高級霊人とはなんだろう?と思いますね。

59中坊です:2006/02/21(火) 19:12:52 ID:6LcGZ5ik
現役信者氏へ
スレを移動し、あらためて聞きます。
「エル・カンターレ信仰」とは何ですか?
いままで、あなたが言うところのネット信者のエル・カンターレに対する考え、信仰を探りました。
しかし皆バラバラの見解を持っているようです。w
ありす氏などにもわかりやすく説明してください。

60現役信者:2006/02/22(水) 15:18:35 ID:W9wU/2hc
>>59@中坊
>「エル・カンターレ信仰」とは何ですか?
いままで、あなたが言うところのネット信者のエル・カンターレに対する考え、信仰を探りました。
しかし皆バラバラの見解を持っているようです。w
ありす氏などにもわかりやすく説明してください。


私の投稿、ちゃんと読んでいないね。
そのエル・カンターレ信仰は奥深くてまだ誰も分からないってのが答え。
信者がバラバラな見解を持っているのも、ま、仕方ない。。。がな
外部のしかも「アンチ」にいちいち説明するほどお人好しじゃないし、そういった時間も余裕もない。
ただ、内部論理としては補足や講義などで整合性は取れている。
取れているのに何故、バラバラな見解が出るのか。
教学が弱いのよ。ネット信者ってのは。これ以上は言わん。

俺は中坊とまともに会話が出来るほど人間が出来ていないので、あなたとの会話はしかねる。

挨拶がてらに投稿だけね。

それと、ありすさんに説明はいらんだろうよ。
最後の一文、余計ですと忠告しておく。中坊から大人になることを期待してね。

61IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/02/22(水) 23:27:47 ID:fe6DLmEw
>>59

おお、中坊です君。現役信者殿は答えてくれなかったな。これまでの君の投稿をみれば致し方ない。
「礼の精神」って知っていますか。KK書籍「信仰と情熱」の第一章、リーダーの条件として「礼」が最初にきております。

①大宇宙神霊、高級諸霊への礼 ②指導者への礼 ③衆生への礼 とあるね。

某信者氏などをはじめ光りものといわれるひとたちは、その文章をみるに、この精神に欠けていることにきづくであろうが。
退会者になった私としても今読み直してみて、この第一章信仰と情熱はよいとおもいます。おお?、誰だまだマイコンがとけていないなといっているのは。

62IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/02/23(木) 00:55:07 ID:3/ib/mgk
>>61

そしてその本にアリス・ベイリーの「グラマー」を添える。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/6228/1124476903/17

63エートス:2006/02/23(木) 01:43:18 ID:ZthpOMpc
>>59-61
中坊です氏、「釣るためwww」とか書いちゃってるからマジメに応えてもらいにくいかもしれませんネ。でも現役信者氏は、一応、答だけは形の上ではくれてますネ。

まーそれ以前に常駐の信者さんが今はほとんど皆無状態なんですよね。

青の青氏や百式氏もどうしているのだろう。おいとま投稿もないまま、今年に入ってからぷっつりなので心配はしています。BBS上の付き合いだけだから、実際に不慮の事故とか不幸があっても知る術が何もありませんから・・・ネ。

ところで
>>Y9944 のIAOO.KK氏とファイン氏

>>執着の対称は目の前に現れている世界だと思う。

>目の前に現れない世界もです。
>自分の考え、そして「私」さえも。

>>目の前に現れている世界から自由になるのが解脱だと思う。

>対象に同一化しないことが無執着であり、自由になることです。

お見事ニャリ、至言です。
「心が全て」とは、顕れているものは全て心の作用と考えることだから、目の前に現れる世界も、感じる世界も、「私」の心の作用だね。それに執着するとは、つまり「私」さえも執着であるということですね。

ちなみに、対象と同一化することを心理学で投影などといいますよね。この投影の状態から心を正常な状態に引き戻すことが、宗教でいう無執着なんだろうと思う。よく言われる、全てをあるがままに見る、ということになるのかな。

64中坊です:2006/03/01(水) 10:50:12 ID:BH4AAuPA
>>60現役信者氏
あれっ?お答え有り難うございました。
たぶんスルーだと思っていたもので、しばらく片山から離れていました。どうも失礼しました。
ただ内容について言わせてもらえば、「エル・カン信仰」は誰にも分からんという答えにはがっかりしました。これは拡大解釈すると、あなたがた信者は、「本尊信仰」を持っていないということになるからです。
たとえば、他の宗教信者に「本尊信仰」を聞いた場合、おそらくアンチが口を挟む余地のない答えが返ってくるでしょう。
またあなたがた信者は、エル・カンターレという存在について何も分かっていないということにもなるのです。
今回の質問は、いわば「前フリ」です。次回は、その問題にもっと踏み込んだ質問を用意してます。いま準備をしています。
余裕があれば、ご返事ください。w

65中坊です:2006/03/01(水) 11:02:55 ID:BH4AAuPA
>>61
おおっ、「礼の精神」ですか!うーむご指摘有り難うございます。
これからは、肝に銘じて質問していこうと思います。

66たまご:2006/03/04(土) 00:04:03 ID:SUMmTW9s
五輪九字明秘密釈について検索して…

原典は勿論読んではおりません。が、これはと思われる方の考察を見つけました。リンクの貼り方がいまだに分からないので、アナログな紹介。
橋豊氏(作家・エッセイスト?)のホームページにある学習ノートです。空海に始まって、覚鑁について、著述からの考察が綴られています。ソドム氏の発想の原点が少しわかりました。

67主管理人の黒田★:2006/03/04(土) 05:18:12 ID:KraiPa16
橋豊ホームページ
http://www5b.biglobe.ne.jp/~yutakas/
「空海の肖像」のこと
http://www5b.biglobe.ne.jp/~yutakas/kuukai-a.html
五輪九字明秘密釈ノート
http://www5b.biglobe.ne.jp/~yutakas/kakuban-2.html

URLのコピーの仕方は 片方の文字はしっこをクリックしてもう片方の文字のはしまでマウスポインタを引きずって文字選択状態にするんです。そして右クリックしてポップアップメニューが
出てきてコピーのメニューが出てくるはずです。

68たまご:2006/03/05(日) 00:16:52 ID:QbReqt9A
>>67
黒田氏ありがとうございます。
恐縮です。

69マンダム!:2006/03/05(日) 23:43:58 ID:g25IBVZ.
「中坊です」さん

>ただ内容について言わせてもらえば、「エル・カン信仰」は誰にも分からんという答えにはがっかりしました。これは拡大解釈すると、あなたがた信者は、「本尊信仰」を持っていないということになるからです。

「初めまして」の様で。
タダ、「エル・カンターレ信仰」については、本当にマダマダ謎が多く、一人間の「頭脳」だけでは到底及び知れないモノが有るノは、確かに「感じられる」。
と言うノも、当会において「エル・カンターレ」とは、「法の意識」がその本来の姿である、と言われ、且つ、「宇宙即我」を体現している、とも説明されている。この大宇宙全てに「法の血管」が張り巡らされている、とも成れば、ドコからドコまでのコトを指すノか、全く範囲が特定出来なく成るノも、至極当たり前のコトでしょうな。
「現役信者」さんは、ネット信者について「教学が弱い」と仰っているが、多分コレは、「主エル・カンターレを巡る、総論的認識の部分に最も弱い」と言うコトでは無いか、と、私なりに推測する。
と言うノも、大抵の会員さんが真っ先に認識する「主エル・カンターレ」とは、

*私(及び、私に縁有る人々)の魂を創造して下さった主エル・カンターレ
*私(及び、私に縁有る人々)の人生を絶えず見守って下さっている主エルカンターレ
*この大宇宙の全てを統べられる存在である、と、【我々が認識する】主エル・カンターレ
*今世、肉を持ち、下生され、法を説かれている主エル・カンターレ(詰まり、「応身」としての存在だ)

の部分であり、詰まりは「私からの発想」で「主エル・カンターレ」を見ているに過ぎないからです。

70マンダム!:2006/03/05(日) 23:51:50 ID:g25IBVZ.
主エル・カンターレが「全ての法・魂・存在の根源」であるとすれば、本当の意味で主エル・カンターレを認識するには、恐らく「法の意識」からの発想で見なくてはならない。

・・・・・・この視点から見る為のヒントが、一応、御法話の中に、在る。「多次元宇宙の秘密」の中で総裁は、「私が仮に5万人の人に向けて話をしていると言うコトは、5万人の大川隆法が居て、一人一人に話をしているノと同じ認識と成る。コレが第1ステップである」と言う趣旨の説明をされている。

然し、コレが第1ステップであり、この先にまだまだ、遥かなる多次元宇宙と同化した視点が、無限段階、存在する。【恐らく、会員諸氏、誰一人として、この視点を持ち得ていない】。
だから、「誰にも分からない」と言うノでしょう、恐らくは。

71現役信者:2006/03/06(月) 14:57:58 ID:ivA6h46.
マンダムさんが投稿したので申し訳ないという気持ちでもう一投稿。

中坊くん
>ただ、内部論理としては補足や講義などで整合性は取れている。

と私は言っているのですね。
拡大解釈も何も出来るはずないのに「本尊信仰がない」と言うのは意味不明でございます。
当会には「家庭本尊」や各地の精舎に建立されている礼拝の為の「代理本尊」がございます。
と言うわけでございまして、あなたの「前フリ」は咀嚼力を増してから行ったほうが良いでしょう。


>>70のマンダムさんの投稿の補足
マンダムさんの主張の要旨を理解するのに「釈迦の本心」や「沈黙の仏陀」などが宜しいかと思います。他にも山ほどあるのだが。笑
ぜひ、卵氏には頑張ってお読み頂ければ幸いです。

72エートス:2006/03/07(火) 07:18:36 ID:W5pUwOKw
>>65
中坊です氏

そーですね。第2では中身のある議論を互いに気持ちよくできるのが理想ですネ。

>>66
卵氏
>ソドム氏の発想の原点が少しわかりました。

ゆっくりでもこーして話が進むのはいいね。まー出し惜しみしないで勉強なさった成果を書いてくださいね。
URLはコピペでも手書きでも http:// からただ書くだけで大丈夫ですよ。

>>67
黒田氏 参考URLありがとう。

73エートス:2006/03/07(火) 07:25:11 ID:W5pUwOKw
>>70
マンダム!氏

お久しゅうです。

>「現役信者」さんは、ネット信者について「教学が弱い」と仰っているが、多分コレは、「主エル・カンターレを巡る、総論的認識の部分に最も弱い」と言うコトでは無いか、と、私なりに推測する。

教学が弱いこと自体は別に構わないんですよ。KKの次元の考え方にもあるが、人の悟りには段階があるでしょうからね。問題は、彼らがその教学に弱いことを問題として自覚されていない、あるいは開きなおったりなさることでしょうね。

>大抵の会員さんが真っ先に認識する「主エル・カンターレ」とは、*私(及び、私に縁有る人々)の魂を創造して下さった主エル・カンターレ *私(及び、私に縁有る人々)の人生を絶えず見守って下さっている主エルカンターレ *この大宇宙の全てを統べられる存在である、と、【我々が認識する】主エル・カンターレ *今世、肉を持ち、下生され、法を説かれている主エル・カンターレ(詰まり、「応身」としての存在だ) の部分であり、詰まりは「私からの発想」で「主エル・カンターレ」を見ているに過ぎないからです。

これは、一見、「私(個)からの発想」でエル・カンターレを捉えているように読めますが、魂を創造して下さったというのは、知識として大川氏の著作から教えられたことではないのですか。大川氏がそう言及するまでは誰も知らなかった事柄になるわけですから。

「私(個)からの発想」でエル・カンターレを語るとすれば、それは千差万別のエル・カンターレ像となるはずですが、そうしたエル・カンターレ観をかろうじて語っておられるのが現役信者氏かなー。かろうじてですがネ。

>主エル・カンターレが「全ての法・魂・存在の根源」であるとすれば、本当の意味で主エル・カンターレを認識するには、恐らく「法の意識」からの発想で見なくてはならない。

これは「根源の立場から根源を認識しようとする」ということになるから、この発想が可能な認識の形があるとすれば、それは「徹底した相対化」でしょうね。もちろん相対化されるものには大川氏さんもが含まれるでしょう。

74IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/03/07(火) 14:36:10 ID:JTLZECNU
信仰において何を信じるかだけでなく如何様に信じるかも大切であると最近考えております。さて、徒然なるまま書かせていただきます。

エル・カンターレを信じてもらうために名前がエル・カンターレである必要はあるだろうか。KKの教えというものは「過去の宗教や思想や信条はこのようなものは海の藻屑となりはてるともかまわん」といわれているけれどもしっかり受け継いでるのではないか。しっかりかどうかわからんが。

KKが世界宗教として活動するときの問題の一つは総裁をエル・カンターレの直接の受肉と認めるかどうかで世界の大半は拒絶するとおもう。ということで総裁がエル・カンターレかどうかに拘泥するのはやめるべきではないかとおもう。そいうことで世界伝道用の本尊は総裁の写真はのせてないみたいですね。私は最初からこれにしてもらいたかった。

総裁はKKの信者さんのためだけに説法するのではないのだから、もっと難しい話をしてもいいとおもう。深い教えをやさしい言葉で説くのは難しいかもしれないが、ときにはやさしいのではないか。簡単な言葉ほと抽象的なのであるから。


・反省または八正道をするときものごとの原因をたどっていこうとするときに記憶や知覚力や認識の限界にぶち当たってしまいませんか?道をもとめる修行者たちよ。

75IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/03/07(火) 16:22:52 ID:JTLZECNU

 総裁が救世主であるかどうか自らわざわざいう必要はない。真に救世主であるならば周りが認めてくれるであろう。
これは「もとなる心へ」でも関谷氏がいっていた。GLAでもいわれていましたね。(「人につかず、組織につかず。法につけ」)
個人崇拝、大師崇拝への戒めは神智学がおこってからあってブラバッキー夫人は大師たちの個々人の名前を公表したことを後悔しておったそうです。
19〜20世紀のスピリチュアリズムのメッセージの中にもあります。

私は総裁への信仰よりもエル・カンターレへの信仰、KKのエル・カンターレ信仰よりも、その実在そのものが名前であるものへの信仰を強調したい。

76IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/03/07(火) 17:08:40 ID:JTLZECNU
>>75

これは前掲した「信仰と情熱」の大宇宙神霊への礼にからはじめるということなるでしょうか。普遍的なものからはじめて個別的なものでおわる。
KKの教えが総裁が本物であることセットにしてあるので総裁が本物でないことがわかったとき普遍的なものまで否定されてしまう。
これじゃいかんのですよ。とはいえ熱心に私がそんなに心配する必要はないか。

世界宗教を目指すKK。私のもってる旧黄金の法文庫本でマホメットに啓示を伝えたのはエル・ランティでガブリエルが通信役となったとある。
ごめん、新版もってないです。これをKK信者はイスラム圏での伝道で述べるのだろうか。それはやめとけ。

77IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/03/07(火) 17:32:56 ID:JTLZECNU
あ、途中で送信してしもた。

コーランの冒頭では…

なんだ、アラーが「恩寵をくださる方」として表現されている。アラーの神の意志が強調されるのは後だったのね。あ、これ旧約聖書のパクリがはいってる。
キリスト教と仲がわるいのはコーランの中に神の子という考えを否定する文言がはいっているからですね。というかマホメットはユダヤ教徒つれなくされてそのは反感からそんな啓示をだしたのか。
こまるなぁ。

78エートス:2006/03/08(水) 07:28:05 ID:KBGmQMSk
>>74
IAOO.KK氏
>総裁はKKの信者さんのためだけに説法するのではないのだから、もっと難しい話をしてもいいとおもう。深い教えをやさしい言葉で説くのは難しいかもしれないが、ときにはやさしいのではないか。簡単な言葉ほと抽象的なのであるから。

文意的にタイプミスがありそう?ですが、それはそうだろうと思いますよ。
むつかしいことでもやさしい言葉で説く_のが悟った方の身上の一つだろうとは思いますが、KK教義のように収拾がつかないほど間口が広く、かつ抽象的でやさしい言葉が羅列されていると。仏教的精神の真髄であろうところの修行体系というものが曖昧になってしまっている。

場合によってどーとでも解釈できるのであるから、それでは心の変容、変革どころか_現在の自分に都合の良い言葉だけに敏感に反応し_そればかりにしがみついてしまったり、また都合の悪い相手を貶める理由になる言葉を探しては_悦に入ってしまったりという。そーいったネットでも飽きれるほど観察されるKK信者さんビヘイビアの群れを生んでいるようにも思われますよね。

79エートス:2006/03/10(金) 02:19:16 ID:92GVCUss
>>74-77
IAOO.KK氏

きのう簡単なレスしたんだが、じっくり読んでみたら面白かったのでもう少し。

>信仰において何を信じるかだけでなく如何様に信じるかも大切であると最近考えております。

何を信じるか_ではなくて、如何様に信じるか_ということが「信仰者のふるまい」に帰結するわけだからね、現世ではむしろ「如何様に・・・」のほうが大切かもしれないと考えております。

>エル・カンターレを信じてもらうために名前がエル・カンターレである必要はあるだろうか。

エル・ヒポポタマースとかね。w

>KKが世界宗教として活動するときの問題の一つは総裁をエル・カンターレの直接の受肉と認めるかどうかで世界の大半は拒絶するとおもう。

「神の人間化」と考えるのか、「人間の神化」と考えるのか、どちらなんでしょうかね、KKは。イエスに関してキリスト教はただ一度限りの出来事ということで、はっきり前者を公式見解にしていますが。

>KKの教えが総裁が本物であることセットにしてあるので総裁が本物でないことがわかったとき普遍的なものまで否定されてしまう。

カントにしても、判断停止の態度はとったけど、神という普遍的なものは心情的には前提とされていたと思いますネ。
信仰は人間にとってアプリオリ(先天的)な心理傾向でもあるので、大川氏が本物であろうがなかろうが普遍的なものは_一部の信者を除いては_否定されないはずでしょ。というか、そこまでの普遍性はないでしょう、KKには。

>キリスト教と仲がわるいのはコーランの中に神の子という考えを否定する文言がはいっているからですね。というかマホメットはユダヤ教徒つれなくされてそのは反感からそんな啓示をだしたのか。

マホメットは「ユダヤ・キリスト教を完成させるべく地上に遣わされた最後の預言者」という位置付けですから、当然使徒としてこうした啓典の民に受け入れられるはずでした。

しかし、あなたも書いていたように、聖典の食い違いからマホメットは結局はそれまでの一神教徒に受け入れられることはなかった。だからこそ、正当性を確保するためにイスラムとしてのルーツをアブラハムに求め、新たな一神教として成立していった、とも言えますね。これはコーラン9−33の言葉ですが

「彼(神)こそは、たとえ多神教徒が嫌っても、お導きと真実の宗教をもたせ、これがあらゆる宗教にまさることを宣言するために使徒を遣わしたもうたお方です。」

>私のもってる旧黄金の法文庫本でマホメットに啓示を伝えたのはエル・ランティでガブリエルが通信役となったとある。

「後からでたものが正統であり、他の諸宗教に優越し、古い啓示、そしてこれ以降の新たな啓示や預言者はもはや必要ではない」「コーランは神が語った言葉そのものである」_等の主張は、実はKKとイスラムがかなり似た構造というか立場にあることを示していますね。

片や預言者で、片や現人神様そのものが主宰するところは異なりますがネ。

80IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/03/10(金) 23:18:27 ID:ROHipP9k
>>79

古本屋でかったコーランよんでるともう聖書よんでるような感じ。訳のせいでしょうか。サタンとうことばもでてきて。
「ブッシュは悪魔だ」とっ言っているとき「サタン」といってるのでせうかね。やれやれ。

>「後からでたものが正統であり、他の諸宗教に優越し、古い啓示、そしてこれ以降の新たな啓示や預言者はもはや必要ではない」「コーランは神が語った言葉そのものである」_等の主張は、実はKKとイスラムがかなり似た構造というか立場にあることを示していますね。

果たしてKKの総裁がここまで断言したかどうか…KK信者側からも反論はできるでしょうが、あなたがいうとうり上記のように聞こえるものもありますね。
あれはエルカンターレ宣言のときの講演であったでしょうか。

81中坊です:2006/03/12(日) 15:30:29 ID:ZkODF0FA
>>69マンダム!氏
お答え有り難うございました。
でも聞けば聞くほどエル・カンターレという存在について分からなくなってき
ます。ある信者は、神であり創造主であるという、ほかの信者はエル・カンは
そんな事言っていないという、かなり隔たりがあるわけです。
それをもって、私は本尊信仰は無いに等しいのではと考えたわけです。
最近昔の霊言集が手に入ったので、読んでいますが、高橋信次の存在と影響が
あまりにも強く、初期のKKは本尊が二体あったのではと思ってしまいました。
また根本の神についてなぜ信仰しないのか?という疑問もあるのです。

82中坊です:2006/03/13(月) 14:49:27 ID:rcT1Q5Qg
『かつてマホメットが「アラー」と呼び、モーゼやイエス・キリストが「ヤーヴェ」
 あるいは「エホバ」と呼んだ存在とは、「アール・エル・ランティ」という人類草
 創期からの偉大なる大霊であった。
 近年、この魂の一部が日本に肉体を持ち、心や魂の転生を科学的に解き明かした。
 これが「GLA」という団体を主宰した高橋信次、その人である。
 師は今もなお、その霊言によって多くの人々を神理に導いている。』
 「アラーの大警告」巻頭文より
大川氏は高橋氏のことを「師」と呼んでいます。
しかも「エル・ランティ」という現在の教義ではありえない存在を認めています。
明らかにこの文は、大川氏が本を売るために虚偽の内容を書いたことを示しています。
大川氏は、最初からこの本が虚偽の内容を含んでいることが分かっていながら、自ら
虚偽の内容の巻頭文を書き、本を売ったのです。この行為は詐欺に近いと思います。
また高橋信次氏に対する名誉毀損の疑いもあるように思われます。
信者の皆さんはこれらについてどう思いますか?

83IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/03/13(月) 21:54:44 ID:v2Obo3PM
>>82

信者でないけど。

>大川氏は高橋氏のことを「師」と呼んでいます。

かつての大川主宰、現総裁は講演でも高橋センセと呼んでいました。

エル・ランティは現在「エンリル」とよばれ裏系の神としてKK信者は否定的であるが依然として9次元霊。父・善川顧問がGLAの影響をうけてらして、
KKを作ったメンバーがGLA系の人たちですから、GLAは無視できませんね。

84たまご:2006/03/13(月) 22:51:19 ID:p8N2i5T6
>>83
>かつての大川主宰、現総裁は講演でも高橋センセと呼んでいました。

そういえば、当時どこでどなたがとは言われていませんでしたが、抗議の声があったらしいです。“ちゃんと相手を立てないのはけしからん”的なことを、総裁先生が注意されたというような話です。

85IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/03/14(火) 19:38:54 ID:G8m95jfA
>>84

そういえば2chでどなたがとはおぼえていませんが、抗議の声があったとおもいます。

”大川センセ”って呼ぶなって、私が注意されたというような話です。

86IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/03/14(火) 20:20:00 ID:G8m95jfA
>>79

>エル・ヒポポタマースとかね。w

 聖なる光のカバなぁのだー。

>「神の人間化」と考えるのか、「人間の神化」と考えるのか、どちらなんでしょうかね、KKは。

「(L・Cが)みていることができないからこの地上に生まれてきたのですッ!!」なら「神の人間化」かもしれません。
「私(R・O)はL・Cであルッ!」なら「人間の神化」なのかもしれません。
ふつうL・Cは地球そのものをのぞくそれ以下の生命の統括者としての9次元霊をさすとするのが基本的な見解とすべきですよ。信者さんにもいうけど。「R.・OはL・Cの一つの端末ですよ。」といったら信者さんに怒られました。

14次元や20次元L・CはもはやL・CであってL・Cではないというべきですよ。それをイコールR・Oとするのは人間の髪の毛一本をそれは人間全体ですといっているようなものです。ね、九州の真ん中あたりのチーム長!


>イエスに関してキリスト教はただ一度限りの出来事ということで、はっきり前者を公式見解にしていますが。

人智学ではイエスは神のひとり生まれの子=>神の神の二人生まれでない子=両親から生まれていない子=>キリストの降下 というふうになって、神智学的にもイエスとキリストは別の存在なんですよ。
また、Yであしゅらっしゅもちらっと言及していましたけどシュタイナー人智学では二人のイエスについて述べてます。ゴルゴダで磔になったイエスは仏陀やゾロアスターの霊体とキリスト神霊の集合体なんであるといってます。

87IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/03/14(火) 21:15:53 ID:G8m95jfA
簡単にエリアの預言 「ノストラダムスの新予言・第四章」  初版第一刷 1988年6月20日

 第一の予言 1992〜5年 中東を中心にWW3。
 第二の予言 1999年8月 世界の大都市に異常現象。
 第三の予言 2012年 核戦争 世界人口の1/3が消失、ソ連は中国に亡ぼされる。
 第四の予言 日本を中心にルネッサンス運動〜2100年頃まで。
 第五の予言 キリストがカナダに再臨。 2300年。  
 第六の予言 今からおよそ500年後 アメリカの一部海没、ムー大陸浮上。
 第七の予言 3200年ごろ人類が地球を脱出。

88IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/03/15(水) 00:10:06 ID:zsu0Lz8.
>>86

ホットゾヌでの書き込みは 日本語変換がBUGります。

訂正

神の神の二人生まれでない子=>二人生まれでない子

89中坊です:2006/03/15(水) 12:40:08 ID:lv5bc7Ew
>>84たまごさん
ふつう相手をたてるときでも、「先生」とは言っても「師」とはいいませんよ。大川氏は、大悟する前に「裏の7次元の存在である高橋信次氏」に宗教について教わり、また霊言集を出す際も教えを仰いだのです。だから「師」と書いているのです。
というふうに考えるのが自然だと思います。
そうすると地球における最高大霊のエル・カンターレが、なぜ裏の7次元の存在に教えを乞うことになったのかという疑問も沸いてくるわけです。

90AHW:2006/03/16(木) 00:08:13 ID:3d5JTBKk
>>87 IAOO.KK氏 ぉ)これがエリアたん版未来予言か

まあ高級霊人諸氏版のはおろか、総裁氏本人気付での予言(世紀末予言のみじゃなく良い方向のも、悪い方向のもだな)もほぼすべて外しまくり。
「いや、単に予想・予測だったのだ」と地盤崩壊級のいい訳を言い出しても、どうみても三流「曲がりや」そのものだろ。
下げマンじゃないが法話とやらで言及されな著名人系は、見事にほぼ全員こけまくるし下げ髪じゃまいかw

「こりゃひどくね、そのうちまとめて批判するか」と第2で前に自分も触れてた「リバティ」法話「予言外れのいい訳」内容、ネタ氏、じゃなかったネオ氏がYで自暴暴露してたわな。

これだけ外しまくると、自分的にひそかに注目してるのは、2037年だっだけ?(違ってたらすまそ)
「高次元存在になるほど狂わない」とされてる「没年」とかも全然外れまくるだろうと思われ。
その頃には、山のような防衛神学が「ああでもないこうでもない」と内部限定できあがってそうだがw

それに引き換え、このところの「Xデーが近い」ふいんきがバリバリで、ワクテカ。kk予言よりは当たりそうだわ。

91エートス:2006/03/17(金) 07:38:56 ID:inCXUpGY
>>Y語るトピ10852
卵氏

>宗教団体が「買い」かどうかという視点も面白いですね。信仰は一人でも成立するものです。また、無限供給のものです。株式投資に対し、見返りがありますが、信仰においては厳密にいわゆるこの世での恩恵というのは副次的なものであって、目的ではないですから、対比自体、本当は成立し得ないと思います。

わたしは対比は成立すると思いますよ。投資対象は会社、つまり法人でしょ。雨と無知氏が書かれた「投資対象として買い」というのは、法人の評価で、それは宗教法人にも当てはまるのではないですか。

心が全てというあなた方の前提に照らせば、この世的な法人も「それにかかわる人々の心の現れ」と考えることができるでしょう。「真の信仰は違う」というなら、そもそも宗教法人化する必要もないわけでね。

>それから、何人も内心の自由、信教の自由を侵すことはできないはず。
>その観点からみれば、攻撃的アンチ諸氏の心のほうが心配です。

えー前文と後文の接続具合が、どうも私の読解力ではかなり意味不明なんですが?

内心の自由や信教の自由をネットのアンチ諸氏が侵している、あるいは侵せるとは思えないのだが、「KKはおかしいのではないか」と表現することかな。

仮にそうなら創価学会や真如苑にとってはKKは「攻撃的アンチ」でしょ。他信仰を「邪教」とか、天変地異の原因の一つ、とかまで言ってるのだから。それに表現の自由との関係はどうなるんだろうか。

92RANDY:2006/03/22(水) 20:10:13 ID:fVzxT7iw
…唐突ながらお邪魔しますよ。


【ザ・雑談】☆Part2☆
>>21
現役信者氏


>良い店だから飲食代金タダにしてしまえばそれでいいのか?従業員に給料払えずじまいで閉店。ってオチ。

仰る通り、商売ならば、現役信者氏の考え方が一般的でしょう。

けれども今は、宗教の話をしてるんですよ。
現役信者さんの比喩を、与える愛を重視する宗教的な考え方に直すとこうなります。

【ある飲食店で、美味しい料理が出来た。お客さんにも好評で、大繁盛した。
そのうち、お客さんや、同業者が美味しい料理のレシピを尋ねてきた。
店の主人は、喜んでレシピ、秘伝を教えた。その結果、美味しい料理が、
どこでも食べられるようになり、飲食店は倒産した。しかし店の主人は、
大満足だった。なぜなら美味しい料理は、広まり、
みんなが美味しい料理を食べられるようになったからだ。めでたし、めでたし】


>布教誌が当会にはあります。これは無償で配布しているものです。

キリスト教などは、薄い冊子はもちろん、根本経典の聖書を無料配布してますよね。
ホテルとかにも寄贈しているというし。
実際、私自身も、友人も頂いたことがあります。

kkも、キリスト教と同様に、根本的な経典を無料配布してもよいのではありませんか。
たとえば『正心法語』などは、掌サイズだし、内容もよくまとまっていますね。
これは無料配布には丁度いいように思います。

あと、もしもkkに無料配布する資金力がないならば、著作権を放棄すればOKでしょう。
もし『正心法語』に価値があるならば、裕福で志のある人たちが自分たちの資金で、配布するでしょう。


>総合信仰誌「月刊・幸福の科学」
>幸福体験集「ザ・伝道」
>心の教育誌「ヘルメス・エンゼンルズ」
>学生・青年向け小冊子「ヤング・ブッダ」

>これらは全国で毎月配布されています。
>裕福な信者限定では無いことがこれでお分かりいただけますね。

以前は、千円くらいだった霊言集が、今は改定されて、二万円という話を聞きましたよ。
ある信者の話だと、「以前より、光の量がスゴイんですよ!」ということですね。

93現役信者:2006/03/22(水) 20:24:17 ID:1KjIUnHg
>>ランディ氏
>けれども今は、宗教の話をしてるんですよ。

あなた、組織ってのをご存知?
宗教には組織はいらないってのなら、あなたは素人どころか論外です。
この手の話しは今まで何度も何度も繰り返してきて、いい加減嫌気がさしてきています。

一言
「潰れたらいかんじゃないか」

あなた、組織を維持・継続させるのは利益であると言うこと知っていますか?

ほんとすいませんがうんざりします。
他の親切な信者さんが居ればその方にお聞きしてくださいませ。

最後に、無償配布している冊子はあると答えているのに、それにはスルーで今度は2万円話ですか?
裕福な信者限定じゃございませんと例を示して答えている私の誠意は無視ですか?

時間も余り取れない仕事できない男なのでこの辺で。失礼しました。

94RANDY:2006/03/22(水) 22:21:46 ID:fVzxT7iw
>>93
現役信者氏

>宗教には組織はいらないってのなら、あなたは素人どころか論外です。

「いらない」とは思いませんよ。
私が言いたいのは、宗教の目的は、信仰、教えの実行であり、組織は、その手段でしかないということです。

>この手の話しは今まで何度も何度も繰り返してきて、いい加減嫌気がさしてきています

組織論などに限らず、大概の問題は、数千年も前から議論され続けているものばかりでしょうね。

>「潰れたらいかんじゃないか」

一般に組織というものは、本来の目的を忘却し、ただ組織の存続それ自体が目的になって行くものなんですよね。
そのようにして組織は腐敗して行くようです。

>あなた、組織を維持・継続させるのは利益であると言うこと知っていますか?

いかなる場合も、組織の維持・継続が利益になるとは思いませんが、
そういう場合があるということは分かりますよ。

95RANDY:2006/03/22(水) 22:26:12 ID:fVzxT7iw
>>93
現役信者氏

>無償配布している冊子はあると答えているのに、それにはスルーで今度は2万円話ですか?
>裕福な信者限定じゃございませんと例を示して答えている私の誠意は無視ですか?

言い訳になるかもしれませんが、「スルー」という意図はありませんでした。
ただ新たな顧客取り込みのために、チラシ、パンフレットが無料というのは私企業でもやることじゃん、みたいなことで取り上げなかったわけです。
しかし結果的に、「スルー」したという誤解を招いてしまったことは、どうもすみませんでした。
ただね。一冊二万円というのはインパクトありますよね。

あとキリスト教だと、教団が聖書とか寄付してるわけでしょ。
でもkkは、経典を信者が買い取り、周囲に配ったりしてる。
「信者に買い取らせず、kk自体が配ったらいいじゃん」と思いますよ。

>ほんとすいませんがうんざりします。
>他の親切な信者さんが居ればその方にお聞きしてくださいませ。
>時間も余り取れない仕事できない男なのでこの辺で。失礼しました。

御迷惑をお掛けしました。
御返答は、義務ではありませんから、忙しい場合、気が向かない等は、それこそ「スルー」で結構です。

最後に、仕方がないから、こちらから書きますが、kkは、「与える愛」「利他」などを説きつつも、「発展」なども説いてますし、この世的なものとの妥協も容認しているようですから、私企業のような面が出てきてもおかしくないかも知れませんね。
一冊二万円だとか、教祖の写真がいくらだとか、お金がかかることはkk的には問題ないのでしょうね。

96エートス:2006/03/23(木) 02:28:33 ID:93UgiI3M
>>RANDY氏 現役氏

>私としては、KKには、後者であって欲しいものですが、この点については、現役信者氏およびkkとは意見が分かれるようですね。

私は現役信者氏の解説で納得していますよ。「思想に著作権はない」というのは_思想は人となりを通じて広がる_という私の考えと一致しています。生き方そのものが思想といってもいいかな。

>>内部向け限定御法話等は、信者さんたちの悟りの段階に応じて用意されている研修等も指すので、まず、信者自身がきっちり学習して、仏法真理の一端でも体得してもらい、その上で外部向けに発表していくと言うスタイルです。

外部向けの発表とは、一つには信者さんの態度であると思うのです。大げさに言えば生き方で人に影響を与えることですね。研修がこうしたことを目指して体系化されているなら、わたしは評価しますよ。

しかし現状では教団あるいは信者さんの態度に関して評判はイマイチ好ましくない・・・。ということはどこか教学のシステムに欠陥があるのではないでしょうか。

一方、外部に対して華々しく行って悲惨な結果に終わった様々なパフォーマンスがあったわけでしょ。これらに関しては内部向けの御法話で云々などで済ませるのではなくて、きちんと外部に発表すべきことではないか_と思うのです。公式HPもあることですし。これが無い限り諸矛盾とみえる点について、うさんくさい目で見られてもしかたがないでしょうね。

97マンダム!:2006/03/23(木) 02:40:17 ID:nGCWtp3c
「ザ・雑談」>>32「現役信者」さん

>私が一石投じる以前の話ですが、釣られている人が出てきているので「おいおい」って言う感じに近くて投稿した次第です。

私も、「釣られかかった」一人だ。全く、面目無い。
尤も、私が「本物か?」と言う趣旨の投稿をしてから、又、相当のデータが集積され、ソレをも読み進めて行く内、どうも、「綻び」が目に付く様に成って行った。
貴方の御指摘通り、「そんな質問に一々答えては居られない」こう言う言い回し、総裁は、されないノでした。

今も尚、「el cantare」氏に対し、様々な角度から「質問」が成されている。然し、明確な態度で答えているモノも有るが、ある種の質問は、どうも巧く交わされている感じだ。

実は私は、アレからズット考え続け、彼に対する「必殺の質問」とでも言うベキ物を、2・3、用意している。
ま、私がコレを出すまでも無く、「正体」は露呈するモノと思ってはいるが、コレを質問するか否かは、明日、「大悟祭」に参加し、「真の仏の光」の真っ只中で、考えるコトとしましょう。

98あきら:2006/03/23(木) 18:07:20 ID:Y0xAbsQk
608の私の発言に誤りがありました
渋沢栄一が日本郵船を作ったという記述ですが、
三菱です。
皆さんすいませんでした。

99あきら:2006/03/23(木) 19:52:08 ID:Y0xAbsQk
特に現役信者さんすいませんでした。

渋沢さんのことは知れば知るほど奥が深いです。
何年かまえに、聖杯と剣さんに指摘されたことがあるのですが、
渋沢さんがある肥料会社が火事になった時、当時は保険会社もなくて
という発言を私がしましたが、この時点では、歴史をよくみるとあった
ようです。
三十数歳で日本で初めての銀行の頭取をされて、普通はそこの役職に留まるのが凡人なのですが、
中年を迎えるあたりの年で、肥料会社のパイオニアとして起業されていました。
この方は知るほどに底が知れません。
私は渋沢さんの知名度を上げるどころか、邪魔をしていたのかもしれませんね。

100エートス_アテンド★:2006/03/24(金) 00:40:48 ID:Wh55rjkY
あきら氏

おひさしぶり。
過去ログの訂正とは、これまた律儀な方ですね。

101RANDY:2006/03/24(金) 07:55:41 ID:Yz6w0VlM
>>96
エートス氏

意見の相違は残念ですが、レスは感謝します。
この種の問題は、自分にとって重要ですけど、他人にとっては関心のもてない問題なんだなと思っていたところだったんで、文に目を通してくれた人がいると確認できたのはうれしいですよ。

102現役信者:2006/03/24(金) 19:23:18 ID:eYfbXeJ2
>>エートス氏
>外部向けの発表とは、一つには信者さんの態度であると思うのです。大げさに言えば生き方で人に影響を与えることですね。研修がこうしたことを目指して体系化されているなら、わたしは評価しますよ。

体系化されつつあるだろう、と言うのが私の見解です。ここら辺は含みを持たせてたほうが良いと思います。
当会も信者数が増えるにつけ、研修の内容にも幅が出てきてますし、色々な人の悩み等に応えるためにソフトの面がかなり充実してきていると思います。
以前エートスさんが言っていた主の多面体の話なども、主観に左右されやすくなると言う危険性が無いわけではありません。
独自解釈で信仰を語ることを許容するなら、そもそも信仰などいらないはずです。
すすき氏を眺めているとよくお分かりでしょう。
全国各地に散らばる精舎では代理本尊が安置されており、その代理本尊は主の多面体の一端をお示し下さり、その中から各自が悟りの因子を求め、発見し、磨きをかけていくと言うスタイルです。
ネットに散らばる信者の姿は醜聞と言っても過言ではないです。それは私も認めます。
しかし、その人たちは全信者の0.1%程度だろうと実感しています。

精舎研修や各種祈願、御法話拝聴会や、特別御法話拝聴会などに参加されていない方が多いはずです。
偽者が出現したときにマンダムさんが、「必殺の質問を用意している」と言っていました。
私も釣られてくる信者が多いのなら出そうと用意しているものもあります。
私は沖縄なので沖縄正心館限定御法話「沖縄正心館に寄せて」の中から質問すると言うことも出来るのですね。

私が何をいいたいかと言うと、要するに、当会は成長段階にあり、研修等も含め、ハード・ソフト両面に充実が図られていると言うことです。
アンチが全ての情報を把握することは不可能であり、巧妙に成り済ましても見抜ける材料はあるということ。
もう一点。ネット上に浮かび上がる信者たちは、私が何度も何度も主張している通り、「一部の信者」であり、全体的な姿からは程遠いのだ、と言うことです。
ハードな面に関してはアンチも情報が流通しているので把握して辻褄合わせくらいは出来ましょうが、
中身、ソフトの面に関してはお手上げ状態でしょう。
細かく、○○正心館にての○○研修での内容なのですが・・・とやられると途端にパンクでしょう。
情報が無いからです。

踊らされた信者は言葉は汚いですが阿呆です。
そもそも求道心が根付いていないが為に躍らされるのです。

一つのサンプルとして、また、反面教師として眺めたいと思います。

103現役信者:2006/03/24(金) 19:39:19 ID:eYfbXeJ2
>>しかし現状では教団あるいは信者さんの態度に関して評判はイマイチ好ましくない・・・。ということはどこか教学のシステムに欠陥があるのではないでしょうか。

と言うより、ネットに散らばる信者は、そもそも研修自体を受けていないし、教学が弱すぎる。システムが機能する以前の問題です。
各地に散らばっている精舎の研修や、そこでしか聞けない御法話等も全然聞いていないであろうと思う。
或いは、学んだ内容を内部に体系化して消化し切れていないと言うことであろう。

そうでなければ、あれほどの個人的見解をさも当会の意見のように堂々と主張できるはずがない。ゼロさんなどは間違いだらけである。

以前にも申し上げたが、何度も言いたい。
せめて手元に「全経典」を揃えてから、各経典を読破して自分の中で体系化して、悟りを深め、伝道活動を疎かにせず、一生懸命生きていくことが何にもまして大事なことであろうと。
少数派の幸福より多数の幸福を求めなければいけないと私は思う。
信者になってもらうと言う以前に、まず、当会の思想を受けいれられる土台を作るのが大事である、と言う風に私は思います。

PTA活動にしても剣道の指導にしても、その中に当会の思想也を溶け込ませて分かりやすく教えていくことが大事ではないでしょうか。

みんな飛びすぎなんよ。脊髄反射的なレスと言う形容がピッタリ。

耐え忍びの徳というのは極めて重要であると私はそう理解しています。

104現役信者:2006/03/24(金) 19:42:59 ID:eYfbXeJ2
>>あきらさん

わざわざ丁寧な修正ありがとう。律儀な方ですね。
私、仕事柄こちらに常駐できませんけど、また何かの話題でお話しできたらいいですね。

105現役信者:2006/03/24(金) 20:04:30 ID:eYfbXeJ2
>>ランディ氏@94
>いかなる場合も、組織の維持・継続が利益になるとは思いませんが、
そういう場合があるということは分かりますよ。

ちゃう。逆です。逆。
組織を維持するためには利益が必要だと言うこと。
これは宗教組織であろうが会社組織であろうが当然のことだと主張しているんですね。
その上で、

>一般に組織というものは、本来の目的を忘却し、ただ組織の存続それ自体が目的になって行くものなんですよね。
そのようにして組織は腐敗して行くようです。

これに対しては、当会がそうならないことを祈るとしか言えません。一在家信者の若造がのたまう事じゃないと謙虚に書いておきます。

健全な相互批判が内部で蓄積されているならば良いでしょう。
私も組織を持つ身ですから、わが身の言葉として受け止めます。

>>@95
>ただね。一冊二万円というのはインパクトありますよね。

このインパクト、非常に大事なことであると私は思います。
霊言集を新たに内部向け経典として出されている真意は。。。ここでは申せません。不服を言われても私にも立場があるのですいません。
丁寧に返信頂いたので答えられるギリギリの範囲で申し上げました。

それでは。

106AHW:2006/03/25(土) 00:54:02 ID:gLb.n7NM
>>103 げねき氏 応援の合間だかなんだかわからんが乙!

>そうでなければ、あれほどの個人的見解をさも当会の意見のように堂々と主張できるはずがない。ゼロさんなどは間違いだらけである。
>みんな飛びすぎなんよ。脊髄反射的なレスと言う形容がピッタリ。
>耐え忍びの徳というのは極めて重要であると私はそう理解しています。

これに異論はないんだが、思い出した。
前にここでゼロ氏にげねき氏がクレームつけて完全に食い違った
「毛沢東、レーニンの居場所の話」いったいどっちが正しのだい?
ゼロは「黄金の法で即確認!!」と勝ち誇ってたが、げねきの訂正はないままだったわな。
その内部の研修やら限定法話群やらの中で、じつは位置付け変更されてるってことか?
そういえば「本当は11正道に進化」してるとか、マジ聞いたこともない内容も書いてたよなw

107plenty:2006/03/25(土) 03:45:48 ID:Un9aHfu2
>>RANDYさん、げねきさん
横レス失礼します。

霊言集が内部向け経典として出されている真意とのことですが、
私の知っている範囲内でしたらお話しましょう。

霊言集が内部向けでかつ、編集されて再度出された事に関して以下のような説明が施されていたように思います。

①これが「あの世がある」ということの証明になればいい(大川氏談
②霊言集を学ぶことによって「法」の多様性を身に付け、カルマの解消につなげるため。
もしくは「光線の色」(価値観のこと)の違う人たちに相互理解をもたらすため。
③資金源・・・「支部精舎」の建立に関わることだったと思う。支部エルカン像だったっけな?
 
あと、②と③は連関していて、
「霊人」たちが「降り」やすいような「磁場」をつくることが目的だと説明されていたと記憶している。
「霊人直伝メッセージ公案」というのが支部の研修の一環としてあるのですよ。
kk的に言えば霊人たちに「波長」をあわせるために霊言集は必須アイテムなわけですね。

2万円もするのは、ある程度信仰が深く、それだけの覚悟を持ったもののみが拝受することを許されるものだから・・・
と言う風に説明されていたように思います。
生兵法は怪我のもと、というやつですね。

それから、これは「方便に過ぎないからあしからず」というようなことも口を酸っぱくして言われていたように思います。

108plenty:2006/03/25(土) 03:48:25 ID:Un9aHfu2
>>107
ちなみに、これは出された当初の説明なので、
今はまた違った位置づけがなされているかもしれません。

109RANDY:2006/03/25(土) 16:10:15 ID:7SZc00MU
>>現役信者氏

>>102
>ハードな面に関してはアンチも情報が流通しているので把握して辻褄合わせくらいは出来ましょうが、
中身、ソフトの面に関してはお手上げ状態でしょう。

○なるほど。現役信者氏の含みを持たせた発言の真意は、アンチ対策、組織防衛の辺にあったわけですね。

>>103
ネットに散らばる信者は、そもそも研修自体を受けていないし、教学が弱すぎる。システムが機能する以前の問題です。

【教学が弱い理由】は、およそ二つあるように思います。
●一つは、教学の費用の問題。
むかーし、私が活動会員だった頃でも、「全部の書籍等を揃えるのは経済的理由から難しい」と嘆く会員は多かった。というより、殆どの会員は、その点で悩んでいました。
でも一寸だけ希望がありました。それは「会員が増えれば、会の財政が潤い、書籍等が手に入れやすくなるだろう」というもの。――が、現実はそう甘くなかった。

たとえば数年前、私は正月に支部に行き、ビデオを見たのですが、その時は植福一万円請求されましたよ。これでは、普通の庶民は、常に最新の講演をビデオ等で見続けるのは難しいでしょう。
〈与える愛〉という立場からすれば〈学ぶ意識があっても、学ぶための費用の捻出ができない〉という状況を放置してはおけないように思います。

●もう一つは自力と他力の問題。
懐古趣味と言われるかもしれませんが、むかーしは〈kkの会員であろうが、なかろうが、自分自身が真理を学び、実践すれば天国、その逆なら地獄行き〉という感じだったはずです。〈自力救済〉の鉄則を周知徹底すれば、向学心は高まるでしょう。

110RANDY:2006/03/25(土) 16:15:07 ID:7SZc00MU
>>現役信者氏
>>105
>組織を維持するためには利益が必要だと言うこと。
これは宗教組織であろうが会社組織であろうが当然のことだと主張しているんですね。

○こういう正直さは大切だと思います。正直さの中には、kkでは禁忌事項である自己保存、奪う愛はありませんよね。

>健全な相互批判が内部で蓄積されているならば良いでしょう。

○kkは、今でも〈ユートピア建設〉を目的にしているのでしょうか。
以前、私はこのことを踏まえて、当時のF本部長に「kk会員以外の人たちと平和に共存し、絆を深めるにはどうすればよいですか?」と質問したことがあります。
答えはこんな感じでした。
「一朝一夕に、互いに理解し、絆を深めることはできない。そのためには時間を掛けて、語り合い、付き合い続ける他はないでしょう」

この答えを受けて、私はこう考えました。
全世界の人々をkk信者とするのは難しい→とすればユートピア建設のためには、kk内部と外部との調和が不可欠だ→このためにはkk内部と外部の交わりの機会を持つことが必要(当時のF本部長談)→kkは外部に対して、もっと門戸を開いて率直な意見交換するべきではないか。

こういう考え方は〈アンチ対策〉には弱くなるかもしれませんが、信者限定催し等を減らせば、内部だけで固まる機会も減り、一般人の見解も聞けるので、〈デンパ化およびカルト化防止対策〉にはなるはずです。

以上のような考え方は、現役信者氏からすれば承服しがたい、腹立たしい部分も多々含んでいるかもしれませんが、脱会者の一人として、当時学んでいた真理を思い出しつつ綴ってみた次第です。

111RANDY:2006/03/25(土) 16:18:55 ID:7SZc00MU
>>107
plenty氏
とても分かり易い、御解説ありがとうございます。

①②については、大体は、私が活動会員だったころから言われていたことですね。なんだか懐かしいです。
③については、少なくとも「お金が要るから」と正直に表明している点は潔いと思います。

>「方便に過ぎないからあしからず」というようなことも口を酸っぱくして言われていたように思います。

それにしても、方便が多いと会員、信者は大変でしょうね。
思い返してみれば、私がkkの集いに参加するようになって間も無く、kkは宗教法人となりました。その際の先輩会員の説明はこんな感じでした。
「法律では、宗教法人の認可のためには、本尊が必要なのだそうだ。だから取りあえず主宰先生の写真が本尊になった。形骸化された既存宗教を基にして制定された現行法では、『人間は本来神の子であり、神の子たる本質の部分こそが本尊である』なんていうのは認められないらしい」

また正心鏡だったかが出た時は、こんな感じの説明だったような…
「普通の人にとって心を鎮め、調和するためには、心を集中する対象があった方がよい。そのための方便として、正心鏡がある」

人を導くための方便は、〈与える愛〉かもしれません。でも私が会員だったころ、すでに、〈正しき心の探求〉よりも、主宰の写真・正心鏡を拝むのが信心と考えているらしい人が出てきていたので、これにはちょっと複雑です。

なんか全体的にアンチ的な発言になってしまっているかもしれません。もしそうなら恐縮です。

112plenty:2006/03/25(土) 20:27:09 ID:NsordbpU
RANDYさん、こんちゃわ。
挨拶が遅れて申し訳。はじめまして。

>①②については、大体は、私が活動会員だったころから言われていたことですね。なんだか懐かしいです

ああ、知っていましたか。なら余計なお世話だったかもしれませんね。

>それにしても、方便が多いと会員、信者は大変でしょうね。

その通りですね。
どうしてもその「方便」こそ真理だとしてしまう人たちは出てきてしまう。
それはkk側もわかっていてやってるのではないかとさえ思えてしまうことがあります。

また、方便としての理由付けは便利な手段なのかもしれませんね。

私の信頼できる情報筋に依れば、
写真の本尊ではなく、法輪が掘り込んである細工の折りたたみ式本尊に変わったのだとか。
(世界伝道のため、という理由だと聞いている)
さすがに写真はまずいということに気付いたのでしょうか・・・

113plenty:2006/03/25(土) 20:29:26 ID:NsordbpU
だあっ、漢字の間違い訂正する前に間違えて投稿してしまった・・・

掘り込んである右→彫りこんである、でしたスマソ・・・
もっといえば、法輪の模様がついている、とすべきでしょうか。
キンピカなんだそうでございます。

114エートス:2006/03/26(日) 01:17:26 ID:Akywfffo
>>112
plenty氏

特設は特設で、法論は法論で、ということでw

>どうしてもその「方便」こそ真理だとしてしまう人たちは出てきてしまう。
それはkk側もわかっていてやってるのではないかとさえ思えてしまうことがあります。

このあたりはソドム氏にチェックしてもらいたいところですが

方便というのは、釈迦が機根に応じて様々な形で法を説いたという「随機の説法」に由来する考え方で、法華経の立場では、はっきり「真実」は「方便」の上位に置かれています。いわゆる一乗思想ですが、大日経になると、それがさらに発展して、教義とは、全て仏陀の悟りの内容を人々に理解させるための手段で、本来全てが「方便」であるとされるようになります。

わたしは後者がより仏教の本質「空」に近いと思っていますが、どうもRANDY氏の
お話しを聞くと、KKでは「取りあえず方便」が横行しているのかと感じました。

また、主宰の写真・正心鏡_これは何だか分かりませんが鏡が御本尊だったのでしょうか_そしてあなたが言われる折りたたみの法輪、というように御本尊が変わっているのですね。そうすると信者はいちいち御本尊とやらを取り替えるんでしょうか?あなたが「わかってやってる」という意味はこのようなことかと推察していますが。

写真が御本尊というのは、戦時中の天皇陛下のお写真_御真影でしたっけ_の例もあることだし、ありえないことではないと思いますが、むしろ、御本尊がコロコロ変わるというのは、ちょっと違和感がありますね。

世界伝道に絡むとすれば、偶像崇拝はNGになるでしょうが、それでは内面の信仰を示す礼拝の対象としてはあまりにお手軽な変更ですね。それぞれの御本尊が仏教的な方便としての意味_内面的体験の深化の過程_に対応しているわけではないということか。

素朴な感想を言わせてもらうと、生きてる人の写真を拝むのはなんだか生々しくて私は抵抗を感じますネ。その前に100万円でコケるか。w

「写真は遠慮しまーす」とか言っちゃまずいのかな?信者さんでも感覚的にダメな人はいるんじゃなかろうか。いやそれでは信者というものはつとまらないのか。

115RANDY:2006/03/26(日) 08:23:49 ID:P3vvIQ4k
>>112
plenty氏
こちらこそ挨拶が遅れました。はじめまして。こんにちは。

>ああ、知っていましたか。なら余計なお世話だったかもしれませんね。

そんなことはありませんよ。脱会してからしばらく経つので、何が継続し、何が改変されているのか分からないのです。plenty氏の書き込みは勉強になります。

>>114
エートス氏

>大日経になると、それがさらに発展して、教義とは、全て仏陀の悟りの内容を人々に理解させるための手段で、本来全てが「方便」であるとされるようになります。

なるほど。そういえば古い経にも「法に執着するな」という趣旨の教えがありますね。「川を渡り終えたら、もう筏は必要ない。かように法にも執着すべきでない」みたいなものです。教義は全て方便という考え方の萌芽は、かなり以前からあったのかもしれません。

>主宰の写真・正心鏡_これは何だか分かりませんが鏡が御本尊だったのでしょうか

主宰の写真→ポスター・カレンダーくらいの大きさの写真で、「釈迦大如来」という文字もあったように思います。会員たちは写真に向って、「正心法語」を唱えるわけです。
正心鏡→ORの文字が重なったマークがありますよね。そのマークがついたもので、折り畳み式と「タテ」みたいなものがあったんじゃないかな。そしてさらに大小、つまり自宅用、携帯用と二種あると…ちなみに正心鏡はフライデー事件後、他の品物とセットで「神器」七万円として登場しました。

>素朴な感想を言わせてもらうと、生きてる人の写真を拝むのはなんだか生々しくて私は抵抗を感じますネ。その前に100万円でコケるか。w

私の場合、本尊の礼拝は他の会員に習ってしてるうちに慣れました。百万円についても「へえ、すごいね」くらいの感想だけ。「正心法語」の唱和については、はじめはキモイと思いましたが、じきに慣れてしまいました。そもそも礼拝、唱和はごく当たり前のように、淡々と進行するので、異議申し立てをする空気は全然ないんですよね。だからそのうち、自分にとってもそれが当たり前になって行く。
しつこいようだけど、上のような経験があるんで、kkが世間と乖離しないためにも、kkはもっと門戸を開放して、外部の率直な意見を聞くべきだと思うんですね。

116現役信者:2006/04/06(木) 18:45:14 ID:zLTfc1xw
時間空いたので少しだけレスを。

>>109@ランディ氏
>●一つは、教学の費用の問題。

これには反論しておきたいです。
教学は費用の問題では無い。とハッキリ言っておきます。
向学心・向上心が大事であると思っています。
私は14から信仰に出会っていますが、お金などもちろん無く、お布施が出来ませんでした。
しかし、学びたいという意識はあったようで、月刊誌を穴が開くまで読んだり、
何とか御法話を拝聴して頭の隅々にまで叩き込んだり、
学校サボって支部に入り浸って、朝からバイトの時間まで書籍を借りて読んでいました。
幅広く教学に励みたいが費用が高い、という言い方には承服出来かねる気持ちがあります。

「井の中の蛙大海を知らず されど空の深さを知るなり」

一点突破で悟りを追求する形もある、と私は思います。
本当に貧乏で何も出来ない、形としてお布施も出来ないという人に限って、
「成功したらお布施が出来るから祈願をする」という人がいる。
欲心むき出しの言葉ですが、本来、信仰とはこの世的な事とは無頓着であるべきだと私は思います。
真剣に道を求めているならば、当会の信者限定の根本経典「正心法語」や「祈願文1・2」を開き、
徹底的に勉強するということも出来るはずです。
祈願文には「仏説○○○」という風に、色合いが違う内容があります。
それはなぜそうなるのだろう?と考えるのも教学になるだろうと思います。
毎日、正心法語を1時間かけて考えてみる、というのも教学でしょう。

教学は費用の問題ではなく、志の問題であり、意志の問題でもあると思います。
必死になって研修費用を貯めて参加する人と、お金があるからちょっと行ってみようという人の違いは大きい。

私は高校中退です。中退した本当の理由は父が事業に失敗し多額の負債を抱えてしまったからです。
家計を助けるためにバイトしていたんですね。本当は、私は物理学者になりたかった。
相対性理論を読んで感動したからですが、私が大学に行けなかったのは父のせいだと言うつもりなどありません。
私は私の運命があり、それを静かに受け入れて、淡々と努力を続けるだけです。

与える愛の立場からすればこそ、布施の修行を用意している姿勢に私は共感を覚えます。
苦労が人を鍛えるし、困難があればこそ人は発奮するものです。
それが後に教訓となり、砥石となり、未来の自分が過去の自分を誇らしく思える。
それが健全な発達となり、真の意味での愛が分かるものだと思いますよ。

117現役信者:2006/04/06(木) 18:48:30 ID:zLTfc1xw
>>109@ランディ氏
>●もう一つは自力と他力の問題。
懐古趣味と言われるかもしれませんが、むかーしは
〈kkの会員であろうが、なかろうが、自分自身が真理を学び、実践すれば天国、その逆なら地獄行き〉という感じだったはずです。

私は今でもそうだと思います。



>〈自力救済〉の鉄則を周知徹底すれば、向学心は高まるでしょう。

その通りです。
しかし、バランスの問題もあると、ケースバイケースで考える柔軟さも大切だと思っております。

118現役信者:2006/04/06(木) 18:57:09 ID:zLTfc1xw
>>110@ランディ氏
>以前、私はこのことを踏まえて、当時のF本部長に「kk会員以外の人たちと平和に共存し、絆を深めるにはどうすればよいですか?」と質問したことがあります。
答えはこんな感じでした。
「一朝一夕に、互いに理解し、絆を深めることはできない。そのためには時間を掛けて、語り合い、付き合い続ける他はないでしょう」
この答えを受けて、私はこう考えました。
全世界の人々をkk信者とするのは難しい→とすればユートピア建設のためには、kk内部と外部との調和が不可欠だ→このためにはkk内部と外部の交わりの機会を持つことが必要(当時のF本部長談)→kkは外部に対して、もっと門戸を開いて率直な意見交換するべきではないか。


私は少し色合いが違います。
開けっぴろげにするよりは、むしろ、信者個人個人が内部と外部の「橋渡し役」になるべきだと。
信者個人を「接点」という風に捉えております。
であるからこそ、自力型の考え方もでてくるし、
この言い方は悪いですが、「グレーゾーン」の部分が普遍性をもたらすであろうと思っています。

で、こっからはホント、個人的な意見。
私は全世界の人が幸福の科学の信者にならなくても良いと思っています。
違う先生を好きであっても構わないんです。
当会の思想、考え方を流布するのが、また、幸福の科学の思想が「常識」になれば良いと思っています。
「愛の発展段階説」が世界標準になれば信者は自然と増えるでしょう。

あっと、時間が無くなったのでこの辺で。

119RANDY:2006/04/09(日) 14:14:08 ID:vnoW45zg
もう一言書いといた方が、第三者には分かり易いと思うんで……もう一言。
 
>>116 現役信者氏
そういえばkk教義によれば、人は自らの生まれる環境等を選択して生まれるのでしたね。また「一念岩をも通す」というか、志によって環境を変えて、道を切り開くのも可能と思考するのでした。こういうkk教義から言えば、現役信者氏の意見は正論ですね。

一方、私は機会の平等を考えていましたよ。kkの全書籍・テープ等を揃えるには、百万円超えの費用が要るでしょう。これは庶民には中々苦しいです。しかし50万、30万、10万円と値が下がれば、庶民でも手が出せそうです。もし無料となれば、大方の人たちに学びの機会は与えられます(便宜上、点字本を必要とする障碍者、日本語の出来ない外国人などの問題は略)。

私としては、こういう状況に至って、ようやく「kkの全書籍・テープ等を学ばないのは本人の責任」と言えるのだと考えてましたよ。でもこの考えは、kk側からは、与える愛というよりは、悪しき平等主義、甘えの原理、サヨ的に見えるのかな。それにしても、こんな言い方をしたら大袈裟かもしれませんが〈与える愛〉の解釈は、kk的転生の原理を認めるか否か、または唯心論か唯物論かとでは、随分、差が生じるものですね。当たり前といえば当たり前なんですけど。

そうそう。話は飛びますが、昨今はゆとり教育等の影響で、親の経済力によって子供の受ける教育レベルが左右される傾向が強まっていますね。kk教義的には、こういう状況も容認されるのかな。「子供は自らの家庭環境を選んで生まれてきた」という感じで――。この場合の格差も容認されるとすれば、私としては一寸複雑な気分ですな。

あと現役信者氏は、一点突破学習法(当方が勝手に命名してしまいました)を提言しておられますね。ユニークな方法論だと思います。ただし賢人であれば一を聞いて十を知るのは可能でしょうが、一般人は十を聞いて、ようやく一を知るものですからね。やはり一般人の学習法としては、kk書籍を幅広く繰り返し学習するのが原則でしょうね。もちろん例外としては一点突破学習法も有効ですけど。

最後に蛇足ながら、私の地元の市立図書館には、90年頃にはkk本が7、80冊はありましたよ。これはある会員さんが寄贈したものでした。また自営業を営む会員は、自営店に書棚を備え付けて、顧客にkk本を貸し出してました。当時、まだ若かった私は、これらをフル活用してました。
ただし今は、地元の図書館の書架にはkk本は無くなってます。無くなったのはもう大分前のことですけどね。あと新刊のkk本も見かけませんね。GLAなんかの本はありますけど。

当方としては、さすがにもう、著作権放棄だの、教学は無料にすべきだのと極論は言いません。ですけど90年頃の地方の伝道(献本)の精神は上記のような感じだったという情報だけお伝えしときます。こんなことは現役信者氏はとうに御承知だと思いますけど、念のためにね――。

120あきら:2006/04/10(月) 15:25:21 ID:ThbVm2rA
エートスアテンドさんはじめまして。
現役信者さんに質問
私はよく自分と対話してるんですけど、実は守護霊とか他の霊人と対話しているのではないかと
最近考えるようになりました。
対話による結論はあなた方でいうインスピレーションなのでしょうか?
憑依のようにババッと何かを思ったり、行動したりというのはありません。
自分を完全に支配している状況で、対話が無意識にスタートします。
ほぼ、考える暇があれば覚醒中はおろか、夢の中でひらめいたりもあります。
ただ、私の場合、霊的思考力なるものはあるようですが、五感からアウトプット
される力はありません。霊視、霊聴とか・・・
そういった事は守護霊の方で蓋をしているようです。実務経験を持たせる為だと
思いますし、私自身興味ありません。

じゃあさっきでたインスピレーション
養老孟子の馬鹿の壁はエマニュエル・カントの純粋理性批判と内容は同じであり、
純粋理性批判の現代バージョンである。養老さんの指導霊はカント。
養老さんのこれからの使命は、カントが純粋理性批判的思考によって、現在という枠
を超えて未来の国際連合の必要性を予言したように、養老さんが300年ぐらい先の
スパンで必要な事を組み立てていく手伝いをするという事。超ばかの壁を書くぐらいの人なんだから
未来のことも予測できます。

現役信者さんこれは霊的な力ですか?

121現役信者:2006/04/10(月) 15:51:57 ID:YNFZHDs2
>ランディ氏
>一方、私は機会の平等を考えていましたよ。kkの全書籍・テープ等を揃えるには、百万円超えの費用が要るでしょう。
>これは庶民には中々苦しいです。

いや、何度も言うがそれはおかしい。
100万一気に準備するのは大変かも知れない、しかし、コツコツ貯めていけば可能だ。
2万円貯金して、五年も経てば100万は作れる。
意志の問題だと何度もいって置く。
信仰は一生涯かけていくものだからして、「コツコツが勝つコツ」を地で実践すれば良い。
私の知人に「死ぬまでに幸福の科学に一兆円寄付する」と意気込んでる奴がいます。
奴は本当に頑張っています。それこそ死に物狂いで。

私は20歳の頃に一人目が生まれて、金銭的に厳しかった。
その中でやりくりして悟りの挑戦上・下巻を手に入れた時は流石に嬉しかった。

喜びを味わえるのはお金の問題ではない。金銭の多寡でもない。
意志が大事で、そこに至るまでの努力する心が非常に大事であると。

初めて総本山に参拝に訪れたときの感動は今でも忘れない。
必死になって貯めたからだ。
目標を設定して、到達するために精進を重ねると言うのは非常に大事なことであります。

>あと現役信者氏は、一点突破学習法(当方が勝手に命名してしまいました)を提言しておられますね。ユニークな方法論だと思います。
ただし賢人であれば一を聞いて十を知るのは可能でしょうが、一般人は十を聞いて、ようやく一を知るものですからね。
やはり一般人の学習法としては、kk書籍を幅広く繰り返し学習するのが原則でしょうね。
もちろん例外としては一点突破学習法も有効ですけど。

うん?別に賢人でも凡人でも「学ぶ意志」と言うのはそう変わらないでしょう。
賢人でも凡人でも繰り返し学習するのは当然で、それが私には当たり前だと思います。
一点突破学習でも「繰り返し学習する」ということには変わりない。

経典を揃えることが生き甲斐である、という様な信者さんも知っていますが、
揃えたのは良いが、封も切っていないと言うのは勿体無いです。笑
因みに私は最近、書籍は2冊購入します。一冊は線引きのために。
もう一冊は白紙の状態で読みたいためにです

信仰の対象の変遷については、教祖存命中なので当たり前だと思いますが。
本尊制定の権限は教祖が握っているので、その方が変更と言えば変更なのです。
幹部が勝手に「本尊変更」と言い出したら意味が分からなくなりますでしょう。

誤解を招かないよう真っ向勝負で書いておきます。

122現役信者:2006/04/10(月) 16:01:28 ID:YNFZHDs2
ニーチェが与えたインパクトは流石だと思います。
初期の頃の作品はビシビシ来るものがありますが、キリスト教が彼への救いにならなかったくらいの劣等感は深いものだった。
そこの闇に堕ちたのでしょう。
私の論ですが、彼は理想が低すぎたのではないかと思います。

>AHW氏

スターリンの話でしょ?
レーニンと毛沢東は5次元に、スターリンは深い地獄に堕ちている。
黄金の法P125に書いてあります。

123現役信者:2006/04/10(月) 16:09:14 ID:YNFZHDs2
みなさまに訂正。

わたし、ゼロさんに間違いを出していますね。
レーニンと毛沢東は天国へ。スターリンは地獄へ。
逆に言っていました。お詫びします。

124現役信者:2006/04/10(月) 16:31:09 ID:YNFZHDs2
>>120@あきらさん

これまた単刀直入というか何と言うか。。。
霊的な力ってのは誰しも持っているものだと思いますよ。
その思考なりの幅が非常に重要で、智慧の水門が必要になります、と大川隆法総裁先生は内部向け経典「奇跡のメカニズム」で話されています。
ここでは詳しく言えませんが、是非、お手元に用意されても損はしないと思いますよ。

インスピレーション自体はマクロ的な眼で眺めると、ユングの言う共時性的な面も出てくるでしょう。
養老孟子の論がカントの純粋理性批判の内容と同じかどうか、私には思えませんが、意見はやはり分かれるでしょう。

これと同じで、あなたが自分の守護霊と対話している意識であっても、本当は悪霊からのインスピレーションだって中には混じっているかもしれません。
混線したりするので、天台師の言う一念三千論が大事になってくるでしょう。
あなたの心を何に合わせるか、合わせようとしているか、それを知ることが大事で、その心を知るということが悟りへの第1歩でありましょう。
霊的な感覚を持ったところで所詮、それはあの世の実証でしかないわけで、
その奥にある法脈というか愛の大河と一体となる形が良いであろうと思います。

実務経験を持たせる、持つ、ってのは大事なことで、この世的な躓きから、かえって憑依を加速させるというのはありえると思います。
言えば、識と般若の関係でしょう。
「悟りの挑戦上・下巻」「沈黙の仏陀」「神理学要論」「心の挑戦」などがお勧めです。


ひらめきは多数あっても、今の状態で使えるものと使えないものがあって、現状に合わせた形で見抜く智慧が必要です。
この智慧の部分が救いになりますよ。しかし、智慧を得るのは大変なことだと思います。
頭が良い、思想の幅が広い、とかだけでは智慧にはなりません。
正しい仏法真理を軸として、判断の基準に据えられると、理解が早くなるものだと思います。

以上、「私の」考えです。強調しておきます。
ヤサ先生とかがズバッと教えてくれそうですが。

125とおりすがり:2006/04/10(月) 17:55:33 ID:ndzFKSPI
レーニン6次元政治家の村じゃないかい?

126RANDY:2006/04/11(火) 21:24:14 ID:SdD3XkWI
>>121
現役信者氏
 今回はできるだけ分かり易い様に、たとえ話をしますね。

ある日、A氏とB氏の二人が、川で溺れている人を見つけたらどうするか話し合っていた。
A「自分なら、陸から縄を投げてやる。そうして『縄まで泳げ! そしてそれを掴め! 意思があるなら必ず出来る』と叫ぶだろう」
B「溺れている時、泳げるものだろうか? 掴めるものだろうか?」
A「大丈夫。意思さえあれば、必ず泳げるし、掴める。実際かつて自分はそうして助けられた」
B「なるほど。しかし誰もが、A氏のように精強であるとは限らないのではないか」
A「いや本気で助かろうという意思があれば可能だ。私はできた」
B「Aができたのは分かった。しかし誰もがAのように出来るとは限らないと言っている。女子供、年寄り、病人が溺れていた場合は、意思があっても縄まで泳げるとは限らない。縄を掴めるとは限らない。それならば、まず発見者が川に飛び込み、溺れているものを助け、介抱した後で、今後のために、川に落ちない方法、泳ぎの方法などを教えてやるべきだろう。もちろんこれらを学ぶかどうかは本人の選択であり、自力による」

上の話に沿って言えば、私の考え方はどちらかといえばBです。また仮にA方式であっても、なるたけ縄は溺れている者の掴み易い位置に投げてやるべきだと考えます。もし縄が明後日の方に飛んだら、正しい方向に投げ直してやるべきです。要するに、救助される側だけでなく、救う側にも努力が必要だということです。信者が助かりたいと思い努力するのは当然ですが、kk側も教学費用の減免措置くらいしてやれよということですね。

(実際、現役信者氏は経済的に苦境にあるとき、支部で本を読ませてもらったというし、私の地元の支部でも、以前は金欠中の会員だの、一般の人だのに対しては臨機応変の対応があったと記憶しております。でも現役信者氏のレスを見ると、今はそういうのは無さそうだね)

また私は、個人的には、現役信者氏が仰るような精神論、精神主義は嫌いじゃありませんよ。ただそれらは、あくまで自戒の言葉として用いるべきだと考えております。他人を戒める言葉でなくて、自分の怠け心を戒める言葉ですね。自分と他人は個性が違うもんだから、自分が精神主義で生きられたからといって、他人もそうなるとは限らないと思うしね。

一方、現役信者氏の場合、レスを読む限りは、教学費用の問題でなく、本人の意思の問題であるという主張ですから、kk側の課題は認めておられないようですね。教祖・kkは正しいという信仰をお持ちなのですから、それは当然のことかもしれません。

また現役信者氏は、誰もが自分と同じような意思の力を持っていると考えておられる。自分に出来たことは他人にも出来ると信じておられる。kk教義は、人類はみな神の子――今は仏の子?――ということですから、そう考えるのもkk的には正しいのでしょう。

やはり、この辺の話は、結局、信仰者と非信仰者とでは立論の前提が異なり、いくら話し合っても話は合わず、平行線を辿るのかもしれません。――うーん。もしかしたらお互いの意見は違うね、ということさえ、合意できないかもしれませんね。

思い返してみれば、私自身もkkだった頃は、人類は神の子だから、相手が誰であれ本気で話し合えば、合意できるとか信じてましたよ。合意できないのは、「相手がまだ目覚めていないからだ」「属する霊団の色が違うのだろう」と考えたりしてね。でも今のkkでは、教祖に一本化されてるそうだから、色の違いによる違いも認められないのかもしれませんね。

次は、学習方法の話。正心法語を引用しつつ書きたい所ですが、それは止めておきます。その代わりに山頭火の有名な一句を例示しときます。

分け入っても分け入っても青い山

普通の人にとって、この句は、何回繰り返し口ずさんでも、「分け入っても分け入っても青い山」なんですね。でもある程度の教養人であれば、「青山=墳墓の地、墓場」ということを知ってるわけです。元からこの句は単なる写実ではないと知ってるわけです。

私が、凡人は正心法語を繰り返し読んでも、その真意は中々分からないだろうというのはこの意味です。また思索しようにも、その材料(知識等)が無い凡人には難しかろうということです。

127RANDY:2006/04/11(火) 21:26:28 ID:SdD3XkWI
現役信者氏へ
>>126のつづき

「Bみたいなのは有り得ん」と思うかもしれないので一言。

私は釈尊の生涯はBっぽいと思ってます。
たとえば釈尊には、連続殺人犯がいるところにノコノコ出掛けて行くエピソードがありますね。そうして殺人犯に説法して改心させてしまう。これはある意味、ワニやピラニアがウヨウヨしている川で溺れた人を助けるために、自ら川に飛び込んだのと同じでしょ。

また釈尊は殺人犯を引き渡せといわれても、かくまったわけです。これは人を救うために、ヘドロの下水に飛び込んだと同じかも。

それから釈尊は死ぬまで、教えを説いて歩いたんですよね。自らの足でずっと旅し続けてる。ホントに死ぬ直前も法を説いている。法を説く事を惜しまない。これって死ぬまで自ら川に飛び込むことを止めなかったという感じがします。

釈尊のエピソードが、実際の釈尊の姿を正しく伝えているかは分かりません。ですが昔の人たちは、こういうエピソードに現れてる釈尊の生き方を理想としていただろうことは推測できるわけです。だから私はBみたいな生き方に惹かれるのは、そんなに妙な願望ではなかろうと思うんですけどね。

128壮一です:2006/04/14(金) 12:03:22 ID:OFM/7R3.
「人類の進化、440万年前のラミダス猿人から道筋

 猿人のアウストラロピテクス属の中で最も古いアナメンシス猿人の化石を、
 日本や中国などの研究チームがエチオピアで新たに発見した。同じ地域で見
 つかっていたラミダス猿人から進化したことがわかった。アウストラロピテ
 クス属は現代の人類の直接の祖先と考えられている。現代の人類へ直結する
 進化の道筋は、約440万年前のラミダス猿人までさかのぼれることになっ
 た。13日発行の英科学誌ネイチャーに発表する。」
 朝日新聞2006年4月13日付より

現代科学は、KKの教義を否定する方向へどんどん流れているわけです。
KKの教義を真に受ければ、猿人や原人は否定されなくてはならないのです。
また恐竜の化石といっしょに人類の化石がでてこなければならないのです。

KK信者の皆さんあなたがたは、現代科学の恩恵(遺伝子治療など)を受けて
いながら、それを否定しなければならないという矛盾した立場にあることを自
覚しなければならない。そして現代科学が、解明する人類の起源から目をそむ
けて生きていかなくてはならない。大変ですね。w

129ことりん:2006/04/14(金) 17:10:33 ID:5PHxUnL6
>>128
壮一くん、はじめまして〜KK平信徒のことりんです。

発見された骨の化石は、大抵、野山で遭難して亡くなった生物たちでしょ?
そうね、ピラミッドとか遺跡とかに埋葬されている
骨の進化等(遺伝子レベル調査)はどうでしょ?
科学データーみたことある?
エジプトの某大学がデーター出しているでしょ?

ほんの数万年前の人類の化石になぜ銃痕がある骨が
博物館にあるのでしょうか?
オーパーツをしらべると矛盾だらけだよ〜♪
検索してみて〜♪

いっぺん、海外旅行して目で見て調べてきてみたら?
人の情報より、自分で経験した情報の方がいいよ。

現代科学は、今発見されている物質を
元に証明できる範囲でしかないのですからね。

ま、仮に想像してみてよ〜
恐竜の時代に人類の人口がどのくらいだったか、
知らないでしょうが〜

地球人口が一気に増えたのは今世紀になってからなのですよ。
調べてます?
今の時代と比べてむかぁ〜しは少ないのですよ。

だから「野山で遭難した人骨が出でこない〜」っていっても無理ですわ。
象が針の穴に糸を通すくらいの確立ですわ。

今の時代だったら、人数が多いから、
ま、400万年後に土葬されている一部のお墓で、
保存状態が良かったら発見されるかもね。

ま、私は歴史についての疑問はさらさら否定的にみていないので
こんな答えですわ。
あ、そうそう、私が習ったのは日本書紀の歴史ですわ。
二人の神様が棒で泥をねって日本列島をつくったそうですわ。(笑)
いつの時代かしらね。

130あきら:2006/04/17(月) 13:31:54 ID:dYDYuGsE
現役信者さんお返事ありがとうございます。
今現役信さんの言葉が胸から腹の辺りから出ているのがわかりますよ。
言葉も頭から出す人は多くいます、この人たちは、感情論で判断する凡人一般です。頭を使っているように見せて感情に頭が利用されている人たちです。胸で出す人は割合的に少なくなります。感動屋さんや、ハートで物を言う人です、腹で物を言う人は和尚さんとか、宗教関係者の方、学者でも上の方です、腹でも腹の下、丹田で物を言える人は智恵を人にあげられる方です。菩薩クラスです。



奇跡のメカニズムは読んだことがありませんが、おそらく水門というキーワードから推測するに、チャクラもその射程範囲に入ると思いました。その本にはチャクラという言葉が出てきませんか?上記の事はチャクラも関連があります。丹田で思考できるというのはいわゆるひらいている状態です。同通
している状態です。

現役信者さん、知識の多い少ないではないのですとおっしゃってますね、まず思考の座標がずれていると、全てがずれてくる、努力しても、始まりが悪ければ、目指す彼岸には到達できません。
同感です。
心穏やかな涅槃の状態で、愛情のあふれるような状態で、私な何かできるだろううかという問い掛けがある状態で、更に自己反省を通して洗練された状態で、発せられる智恵が大切ですよね。

131現役信者:2006/04/17(月) 15:28:07 ID:xvLjWOW.
多店舗展開に乗り出して体も心もボロボロなりかけの、ギリギリ人生仕事できない男、現役信者でございます。


ランディ氏

詳しく説明していただきありがとうございます。
言っている意味が飛んでいるのでちょっとどれからレスしていいのやら。。。

溺れている人がいたら、助けるのが先です。
次に溺れた人には溺れないように泳ぐ練習をさせるのが大切だと思います。
その次には実際に泳がせて、泳げるようになったこと認識させて育てるのが大事です。
そういうことです。
ただ、ケースバイケースとして、どの点に重点を置くかは変わるわけです。
ですので私の答えとしては、一貫している。
ランディさんの例え話を採れば、AとBを織り交ぜたCと言う概念が必要です。と言うことです。

時間がホント無いのでまた別の機会に。

132現役信者:2006/04/17(月) 15:45:42 ID:xvLjWOW.
>>あきらさん

チャクラそのものの話しは出てきませんが類似した話しが出てきます。
説かれている内容は、要約すると、霊能力や霊的な器官というのは人間にはある。
しかし、それに振り回されずに生きる態度が大事であると。
それは智慧の水門であり、これらが弱いと霊的な能力に翻弄される、と。
実務的な力は非常に大事です。
私の意見ですが、仕事能力は悟りと比例すると思います。「大悟の法−第3章仕事能力と悟り−」

実社会でどの様な形で実績を挙げるかは、後の人生に関わる重大事です。
私はアンチでも信者でも一般でも何でも、仕事の出来ない人は一端の意見を言う資格は無いと思います。
こねくり回して自己正当化に汲々とするよりかは、昼夜違わず働け!と言いたくなります。
私の家内の祖母。90歳を目前にして、毎日畑でオクラをつくっています。

俺も頑張らなくちゃな!

133マンダム!:2006/04/18(火) 02:40:23 ID:KQieZsR6
「壮一です」さんドモ。

>現代科学は、KKの教義を否定する方向へどんどん流れているわけです。
>KKの教義を真に受ければ、猿人や原人は否定されなくてはならないのです。
>また恐竜の化石といっしょに人類の化石がでてこなければならないのです。

例の新聞記事、「440万年前の猿人の化石発見!」と、確かに、「進化論の信憑性を裏付ける、決定的証拠」とも、取れる。認めましょう。

が、その記事中で実際に述べられているノは、「そう言う化石が発見された」と言うコトに止まっているでしょう。そして、

>現代の人類へ直結する進化の道筋は、約440万年前のラミダス猿人までさかのぼれることになった<

この「結論」にしても、「ラミダス猿人」の存在が確認されたトコロまでは良しとして、その前の時代のコトについては、触れられていない・・・。

進化論を否定する立場の『太陽の法』等の中でも、「1億5千万年ほど前、エル・カンターレの本体が下生した時代」から、「ガーナ文明(70数万年前)までの時代」のコトについて、一切、触れられていないが、この「空白の時代」について、幾許かでも解き明かされないと、本当は、「猿人・類人猿の誕生」の謎について、単に「コレこそが、現代人の祖先だ!」とは、述べられないハズだ。
ソレは、如何せん、この「空白の時代」が長過ぎるからです!この間に、何が起こっていてもおかしくは無い!猿人誕生のプロセスについて、私に一つ、仮説が有るが、ソレは、余りに荒唐無稽であるから、まだ、述べないでおこうか。

兎も角、今回の「発見」で【確かに】解ったコトとは、

*少なくとも440万年前には、猿人が存在していたコトが明らかと成ったノであるから、実際に猿人が地球上に始めて出現したノは、更に遡った時代である、と推定出来る*

と言うコトであり、「現代人は、猿が進化したモノであるコトの証拠が見付かった」では無い・・・!

134RANDY:2006/04/20(木) 17:40:03 ID:AJ7D99kk
>>131
現役信者氏

>多店舗展開に乗り出して体も心もボロボロなりかけの、ギリギリ人生仕事できない男、現役信者でございます。

忙しいところ、わざわざレスして頂き、有難うございます。感謝しております。

>ランディさんの例え話を採れば、AとBを織り交ぜたCと言う概念が必要です。と言うことです。

なるほど。この辺については考えてみる必要がありそうだ。恥ずかしながら、概念Cについては想定してませんでしたよ。こういう気付きがあるから、対話は面白いんですよね。

>時間がホント無いのでまた別の機会に。

――はい、わかりました。では、またの機会に。実は、当方もやることがたまり始めていてた所でしたよ。

135RANDY:2006/04/20(木) 17:44:18 ID:AJ7D99kk
遅レスで、いまさら感があるかもしれませんが、方便について、面白い一文を見つけたので……ココ、置いときます。

ある人が、こう言いました。「仏教で地獄の話をするのは、すべて性根の腐った連中を改心させるためです。地獄の話で相手を恐れさせて、相手に善を行わせるのです」と。それに対して先生は、こう言いました。「天地をつらぬくほどの至誠をもってしても、なかなか改心しない人がいるというのに、ウソの教えなんかで、どうして人を改心させることができるでしょうか」と。(『近思録』編集朱子・呂祖謙 訳解福田晃市)

136あきら:2006/04/28(金) 22:19:00 ID:fsplpuDA
現役信者さんへ
仕事だけに埋没してはいけないし、より所だけに腐してはいけない。
生来私自身が宗教に深く気持ちを共感している節があるので、宗教に
のみ価値観を持つ事を意図的に避けています。
実感として宗教的な気持ちが高ぶると、実務能力は下がりますね、
実務能力ばかりあげていると、純粋な気持ちが薄れてくるようです。
大川さんは現役信者さんがおっしゃるようではなく、悟りと実務能力は反比例すると言ってますよ。
「おこもり」の話を思い出してください。
宗教的エリートは社会的エリートではない場合が多いとも言ってます。
社会的には凡庸でも、還ると偉い人だったりして。
話がまたそれますが、大川さんが宗教の近代化を謳っているのはその辺がポイントになってくるでしょうね。宗教的エリート即社会的エリートの時代。
宗教意識向上以前にモラル意識の向上を孔子意識体はねらっています。
所謂進化計画です。宗教、神というキーワードなしに同じレベルの事をする。古くからある儒教システムの考えです。(あきら自己対話によると)

137あきら:2006/05/06(土) 14:46:59 ID:Ps9pNo0U
テーマ「宗教、神というキーワードなしで同じレベルのことをする」
こんなことできるんかな?と思う人もいるかもしれませんが、
もうすでに完了しているとも言えます。
これは割と長い歴史があります、まず2500年前に生まれた孔子がそうした考えを基調とした救済思想の種を中国でばら撒いてます。その実は朝鮮半島を経由し、日本列島にも届いております。
果実は腐敗してまた種を生むのですが、日本神道系の神々は大事に種を育ててきました。
神道系の考えは生長の家に現れているように、信ずるものも信じないものも、できるだけ多く許していきたい和解していきたいという発想がありますので、ここは宗教のようで宗教のようでない一面があります。
あと、神道系のかたの影響で日本の文化というのは、一人の人格神を信仰対象としていない多神教の面がありますので、現在、日本は世界の宗教のメルティングポットの様相を呈しております。
戦後政策の影響もありましたが、もともとそういう温床があったということは明記しておきます。
そういうわけで、他の国で迫害にあった信者がこの国にきて生活しているということがあるわけです。
1995年の時点で日本だけで新興宗教が1000ほどあると言われていましたが、「現在この国は価値観の多様性、信仰の多様性を認める文化があるといえます。」
で、ヨーロッパや他の国々では善悪は神が決めるという考えに基づいているのですが、善悪は常識が決めるというのは日本の特色であるとはあまり知られていません。それぐらい常識でしょう?ということばは海外では日本ほど使われません。
おそらく教会という単語の頻度は日本人が常識という単語を使う頻度に対応するでしょう。中国では家族でしょうね。ちなみにおとなりの韓国人の40パーセントはクリスチャンです。
日本人は神や宗教より常識が好きなんです。
「常識とは?」
モラルです。モラルとは善悪の判断力です。
善悪の判断力というのは宗教にとって共通する命題です。ですから、一神教を信じる国の人は、善悪の判断に迷ったら神や宗教に決めてもらうと考えます。道徳的判断は神からもらうと考えています。
しかし、日本人は道徳は社会が決めると考えます、
ここに宗教を近代化させるための「テコ」入れの余地があります。
世界を一つの社会として、道徳的にどうなのかと考えるのは日本人の使命なのだと思います。価値観の多様性、信仰の多様性を認めるのが、当たり前なのだ、人の人格として最低限のレベルなのだということを言えるのは、日本人だけなのです。これから宗教としても価値観の多様性を認める懐の深いものが残っていくでしょう、他のものは見直され淘汰されていきます。一信者のレベルでも言える事です。
イエスや釈迦もいますが、もっとモラルについて、科学的にアプローチをしているのは孔子です。秩序だけでなく、人の進化の面も担当しています。
これから政治家レベルで、日本の使命とか、これから世界を一つの社会として価値観の確立をしていく人の輩出が望まれます。マクロレベルでみても日本は本当に経済力もありますしね、地方の一県の県民総生産は東南アジアの
ある国の国民総生産に匹敵します。関東地区を出すまでもなく、近畿地方、中部地区の経済力を併せて100年前にヨーロッパで世界地図を描きかえる列強と呼ばれた国の経済力に匹敵し、勝ります。


そういう国造りをしたのは誰か、何かと考えたかったら、自分の身近な先祖とか、ルーツに想いを馳せてみたらいいでしょう、石田梅岩みたいな人もいるでしょうから。道徳を大事にする名も無きプロの人間として、使命をまっとうした普通の人々がいます。
国の格を高めていきたいものです。住人はどうなの?と苦笑されないように中身から高めていきたいものです。そのうち日本って昔は凄かったよねー言われないようにしたいものです。
会社では社格を、店では店格を、個人では人格を大事にしていきたいものです。社格を気にする人はそうそう変な事はできないですよ普通。あと、自分の属する県を誇りにして欲しいものです、昔は藩の格が下がらないようにとか言ってましたが、県格というのも意識していければ、県民として個人を高められます。
要はね、宗教なくても困らない社会ができればそれに越したことはないんですよ。救済する対象がなくなるぐらいの社会でなければいけない。
ただ、神とか宗教っていうのは、現代では逆に救済範囲が狭いんですよね。

138あきら:2006/05/08(月) 21:05:40 ID:Syg2Mt/s
現役信者さんが、純粋理性批判と養老氏のバカの壁が内容的に一致しているかは意見の分かれるところと言っておられましたが、どのように一致しているか検証してみましょう。

純粋理性批判という理論において大事なキーワードは、「恣意する」「アプリオリ」「アポステリオリ」「理性」に要約されます。
に対して、バカの壁は「フィルター」「経験」です。
「恣意する」とは、たとえば、「あなたは卵で例えると半熟です、ちゃんと出来上がるまでに当会の教えを勉強しなさい。」と勧誘されたとして、この場合に恣意しているところは、勧誘する人はされる人が未完成であると自覚させる言動にあります。実際に未完成かどうか全く別の問題であるにもかかわらず、わざわざ不十分なのだと理解させようとするところ、このわざわざAというところにもっていこうとする意図に恣意があると言います。
                            続く。

139エートス:2006/05/11(木) 01:32:35 ID:swIlL9/U
>>138
あきら氏

寄稿ありがとう。あなたが書かれた倫理と宗教ってテーマ、実は他のスレッドでホットなトピックなんですよ、初代氏と現役信者氏の間でネ。

現役氏はお忙しいようでなかなかあなたへのレスが無いままのようですが、今しばらくお待ちくださいネ。遅くなってもたぶんレスはくれる人だと思うので。

ところで、あなたは日本を軸にしてモラルの話を展開しておられるが、モラルについては「近代ヨーロッパの倫理観」と「東洋的な良心論」にはたしかに大きな隔たりがありますね。

いわゆる「義務の相克」のようなヨーロッパの倫理学では解決できない問題に、東洋の倫理はどう答えるのか?知りたいですね。

このあたりについては、これから和辻哲郎あたりの本を読んでみたいと思っているのですが、なかなか暇が作れないままなんです。

140あきら:2006/05/11(木) 23:14:44 ID:AbhSv0H.
今日も自己対話がありました。

「恣意する事」
私は役人の仕事をする32歳です、大学は東大(世間的にかなり良いとされる大学)を出て、まぁ人から羨むとまではいきませんが、役立たずとは言われない程度の人生を生きてきているという自信はあります。

学生時代、私が片思いしていたAという女性がいたのですが、そのAさんという女性はKという少し変わり者Kの事が好きだったようで、私は直感的にそれを気づいていました。

Kが変わり者というのは、人が誰でも持っているような、他人を軽蔑する気持ちとか、排除したい気持ち、いじめたい気持ちという感情がまったくといっていいほどなかったのです。そういうKの性格に対して私は正直嫉妬していたと思いますが、その当時はまだ若かったため、そうした感情を別の認識としてすりかえなければ自分が自分でいられなくなりそうでした。

ある日の放課後、Kの机の中に、あきらかに教科書ではない一冊の本があるのを私は目ざとく見つけました。その本はどこかのある宗教団体が出版している本だったのですが、私はそちらの方面に詳しかったわけではなかったので、ただ、ただ、不思議なやつだなとしか思っていませんでした。その当時は、カルト系新興宗教がニュースで話題になっていたことはおぼろげながら覚えています。

倫理の授業でやたらいい点数を取るKが先生からそれだけはよく褒められていました、Aがどうやったらこんなつまらないもの覚えられるのか?と相談しようとしているところを私はむしょうに二人の間を邪魔したくなり、「こいつ○○っていう宗教に入ってるから詳しいっちゃよ(九州弁)。」と、私はAがKに対して変な風に思ってくれればと思い、揚げ足を取ったのです。「宗教って今なんかこわかばい?」とAはKに対して私の計算通り、少し距離を取っていました。

私は今思うと本当に、Kが倫理のテストで良い点数を取る事に対する純粋な原因を指摘したかったのではなく、ただ単に二人の間を邪魔したかったのだと回顧する。しかし私にとっては、あれはあれで、必要悪だったのではないかと思うし、Kに対して悪いことをしたとは思わないのですが、あなたはどう思いますか?


以上、あきらの完全なるフィクションですが、このフィクションで大事な所は、Kの宗教に対する事実云々より、邪魔をしたいという「恣意」が語り手にその瞬間にあったという事です。語り手は今でも悪いとは思ってませんので、この人の学生時代の行為、この人の現在の思考は「純粋理性」によるものと言えます。カントはこの「純粋理性」を「批判」しているんですが、養老氏はこの「純粋理性」を価値「フィルター」と置き換えています。
                          
私個人が思うにこの語り手のような人は、プライオリティー(自己優先)を重視する種の人であり、高学歴の方に少なからずいるタイプの人です。マスコミやメディアは全くのところ恣意だらけで本当の情報価値のあるものというのは、私は実際は少ないのだと認識しています。例、筑紫さんは左派の恣意に忙しいですよね。

141あきら:2006/05/11(木) 23:55:53 ID:g87uFDm.
エートスさんこんにちは、和辻さんは貴方から初めて名を知った方です。ありがとうございます、知り合いを紹介してもらったようにうれしいです。
明日あたり、鎌倉にふらっと休みを利用して行こうかと思っていましたら、この人、北鎌倉、東慶寺で眠っているそうですね、縁ですかねぇ。

義務の相克ですか、幸福の科学で言い換えると、奪う愛の相克ですか?
東洋的に解決されてきた方法論は、多くは予防論と言ってもいいかもしれないのですが、そうならないように、率先垂範する、むしろそういう義務の相克が起こりそうな時に自分が請け負う事を美徳と考えますね。そういう人物が君子的と信頼される。文章化、成文化してなるべく物理的に分かる問題として外にある現象としてとらえたがるのが西欧文明ですが、東洋文明は内側こそ知るべき宇宙です。総じて問題は内面化されます。

エートスさんこれぐらいの回答でもよろしいでしょうか?

すいません、私あなたの名前が凄く気になってたんですが、どうしてエートスと言うのですか?私は天照の照が読みであきらと読むからなんですよ。

142エートス:2006/05/13(土) 02:04:40 ID:S3jfOdgw
>>141
あきら氏

エートスは丸山真男が使った「武士のエートス」からとっています。

>義務の相克ですか、幸福の科学で言い換えると、奪う愛の相克ですか?

西洋的倫理的な「義務」というものが「奪う愛」なのか良くわからないのですが。ではKK的にいうとこーした状況はどう考えられているんだろうか。

例えばですね、「兄貴が万引きしたのを偶然目撃した時に、それを肉親の情をもって大方には隠すのか、それとも盗みはすべきでないという道徳法則を優先させるのか」ということですね。孔子は迷わず肉親の情を優先させるようにも思うんですが。

>東洋的に解決されてきた方法論は、多くは予防論と言ってもいいかもしれないのですが、そうならないように、率先垂範する

これは「礼」_いわゆる社会規範か_を重視した法家の思想ですね。

>むしろそういう義務の相克が起こりそうな時に自分が請け負う事を「美徳」と考えますね。そういう人物が君子的と信頼される。
>文章化、成文化してなるべく物理的に分かる問題として外にある現象としてとらえたがるのが西欧文明ですが、東洋文明は内側こそ知るべき宇宙です。

ここの前半から後半への文脈をイマイチ捉えることができないでいるのですが・・・。筋が通っていなくても自分が不条理を請け負って解決と平安を導くというのは確かに東洋的ですね。「おっしゃ!ここはワイにまかせとけや。いいっていいって、待ってろや」

物理的にわかる問題として「外にある現象としてとらえる」というのはよくわかります。物理的にわかるっていうのは「普遍性」があって理性的記述が可能ってことでもあって、「道徳法則は普遍的なものなんだ」というのはカント以来の伝統ですしね。

「内側こそ知るべき宇宙」ということは、道徳を主観的にとらえる立場でしょうか。これは良心のはたらきですから、外にある現象の道徳は良心によって否定されることもあり得るのだ、と理解できます。

自分が請け負うとは、自分の良心が請け負うことでしょうから、ここで義務の相克は解消されるのでしょうね。

>総じて問題は内面化されます。

あー、これが東洋のすぐれたところですね。しかし、しんどいんことですよね、内面化は。

143IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/05/17(水) 23:33:01 ID:.U9OAEsg
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&amp;board=1835217&amp;tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&amp;sid=1835217&amp;mid=13728
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ヤフーの続きです。楽しい幼稚園の回答例の自己批評とヴァイロラ男爵の回答例への批評・批判です

A.幸福の科学信者が自分なりの判断力を持たず、大川や教団に言われたことをそのまま鵜呑みにしてしまうのは、彼らが精神的に子どもだからである。彼らは幼稚園児のように簡単に「はまる」ことや「つもり」になることができる人間たちなのだ。
だから「エル・カンターレ・ファイト」などのお遊戯を、大の大人がやれるのである。

☆.これは一面の真理を突いているので全否定はできないはずである。真理には常識・人間知ではかれない部分があり、自分の認識を超えた部分においては霊的指導者(以下グルと呼ぶ)の助言や知識の伝授をまたねばならない場合があるからである。これは正しい道においてもあることである。KKにおいていえば初期の高橋信次や谷口雅春の過去世認定をいったいどれだけの信者が異議をとなえただろうか?総裁がそういうならそうなのであろうと大部分の信者がおもったのではないのか?

B.ます、私たち信者は総裁先生のおっしゃることに感動し先生を信じてみることに決めたのです。私たちは神が愛であることを信じ、神が愛であるがゆえに我々人類を導き育てることを約束してくださり、地上に導き手を使わして下さることを信じます。私たちは大川隆法総裁を仏陀とみなし、その教えを恭しくうけとることにしました。たしかに「エル・カンターレ・ファイト」は群衆のまえでやると奇異にみられるものですが、これは主より賜った大切な法印であると我ら信者>まず、私たち信者は総裁先生のおっしゃることに感動し先生を信じてみることに決めたのです。私たちは神が愛であることを信じ、神が愛であるがゆえに我々人類を導き育てることを約束してくださり、地上に導き手を使わして下さることを信じます。私たちは大川隆法総裁を仏陀とみなし、その教えを恭しくうけとることにしました。たしかに「エル・カンターレ・ファイト」は群衆のまえでやると奇異にみられるものですが、これは主より賜った大切な法印であると我ら信者は認識しております。  

☆.これは現在のKKの指導理念にそったつもりである。「信仰のすすめ」というのがあったとおもうが知よりも信、信仰と愛をもってきた。また、法を恭しくうけるという態度は仏典でも仏陀再誕でも教えられていることである。これを「鵜呑み」とみられるのが嫌な信者がおるようである。また、L・C・F(エルカンファイトの略)を人前で云々であるが、人前でやることを私は嘲笑はしていない。ただ、私はL・C・Fを絶対に形式どうりにやらないと効かないというものではないとおもう。

C.>彼らは、大川隆法は仏陀の生まれ変わりであり、幸福の科学は「最高、最強、最大の教え」であるとするが、その教えは壮大なもののように見えて、実際には「プラスチック製のおもちゃ」であり、日銀の銀行券を子供銀行のお札にかえて喜んでいるようなものである。

☆.これも一部真実をついているのではないか? このようなことがいわれるのはすべての信者が教学をきちっとやって伝道行為をなすのではない以上仕方のないことである。「最大、最強、最高の教えである」といわれて、「ああ、そうなんだ」と納得してまうのが大半の信者じゃなかろうか。何が「最大・最強・最大の教え」なのかととっさに聞かれてちゃんと答えられる信者はれだけいるか?答えられたとしてどれだけの人に納得されるだろうか?

144IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/05/17(水) 23:33:56 ID:.U9OAEsg
>>143


D.大川総裁が仏陀かどうかはその教えを実践するものが、非利己的で愛に満ち、柔和で、人と世界への奉仕を心がけているかどうかで判断して頂きたいとおもいます。もし、そうでなければ大川総裁は仏陀でないとおもってくださって結構です。

☆.これは信者にはなかなか言えないことかもしれないが、現在のこの世に生きている人を救っていける教えであってこそ未来の人をも救っていけるという考えてある。これはKKでもいわれいたことではなかったのかとおもう。KK信者は何がなんでも大川総裁を仏陀を信じてもらわなくてはならないのであろうか?それは焦りを生ずるのではないか?恭子先生もいっていた。日々少しづつでも進歩してくれることを神様は望むのだと、日々、人々を進歩させる真理や教えがKKの教えでなくてもいいではないか!全ての人にアプローチする一つの真理などというものはないという言葉がある。この”一つの真理”を”一つの宗教”に置き換えてみてもらいたい。また、このD.の内容では総裁は仏陀でないとは断言していなし、信者は既に菩薩でなければならないともいっていない。厳しくいうが信者の態度をみて信じてもらえなかったのはある意味信者の身勝手と怠惰のためである。熱烈信者であっても仏のいうことを素直に聞いていないということである。千載一遇のチャンスというのならば目にみえて周囲から良い意味で「かわったな」といわれる程でなければならんのである。総裁の教えが如何に素晴らしくとも信者の態度が悪ければ人類は彼を仏陀とは認めないだろう。

E.>幸福の科学では、御本尊である大川の写真を額装して「御尊影」として礼拝の対象としているが、生きた人間を本尊とする教団は他に例を見ない。彼らは自分たちのやっていることが、一般の人間にはいかに奇異なものに見えるかが全くわかっていないのだ。

☆.昔は天皇陛下を神の如く扱っていたし、写真付き釈迦大如来額縁なども現世的には収入の確保のために必要なものであったとおもう。私はそのように理解していた。私はまったく買うつもりはなかった。かつてKKでは「肉体をもった人間に絶対の帰依をしてはならない」という教えもあったくらいであるし、これは20世紀初期からの霊的な潮流ではないのか。であるから私は人間総裁ではなく、L・Cを信じよというのである。さて、大川総裁とシェア・インターナショナルのマイトレーヤー、どちらが人類に認知されるだろうかw

F.幸福の科学は大川隆法を現生の仏陀として信仰の対象にする団体です。

☆.そうなんだから仕方がない(丹波哲朗風)

G.>信者たちは、自分たちがおとぎの国(天国)の住人だという「つもり」になっている。彼らが許すことができないのは、おとぎの国に「はまる」ことのない人間たちである。「サンタクロースなどいない」という大人は、彼らをひどく不機嫌にさせる。現実に引き戻そうとする者は「唯物論者」であり、憎むべき悪魔なのだ。


H.われわれ信者はもとは一般人でありましたが、仏へ向かって一歩づつ前進する決意です。人はみな仏性があり本質的に仏です。人が仏の御胸へと向かって歩むことを妨げるすべての勢力と戦う決意です。とくに人間の仏性を抹殺し、否定しさる思想と団体に対して戦ってまいります。


☆.G.はたとえばネオパウロのような人を批判しているわけである。アンチのA.C.E.Gの発言に対していちいち真っ向から反駁していないということを気づいていますかKK信者。アンチからも批判がでそうだがアンチに毒をかえさず、積極的な善の言葉で答えることに務めた。D.においては消極的だといわれるだろうが相手に押しつけないということが大切なんだと思う。2chでも書いたけれども次のがショーペン・ハウエルの言葉だそうだ。
 
「信仰の強制は、不信仰を喚起するだけである」

神智学では「ハイラーキーは今日戦う組織である」ということでH.のような論調であった。


I.>彼らが望む「ユートピア」とは、全ての大人を排除した、幼稚園児だけの社会のことなのである。

J.私たちが望む「ユートピア」は全ての人が仏の子としてお互いを認め愛しあえるような幸福な社会です。仏とは愛の神、エル・カンターレのことです。

145IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/05/17(水) 23:34:51 ID:.U9OAEsg
>>143

B.(既出の為内容省略)


K.@この時点ですでに見解に間違いが見られます。
 アンチがどういう認識で見ているかということがよく判る文章です。
 しかも、自分たちの見解が絶対になっているので、それを否定する者の発言は異常な発言であると結論付けることになります。

☆.どの時点かな、明確に教えてもらうと助かるのであるが。
「エル・カンターレ・ファイト」は群衆のまえでやると奇異にみられる”の部分だろうか?
奇異にみられることぐらいは理解せねばね。信者がL・C・Fを必死にやるときは周りのことなど考えていないというぐらいはわかりますよ。2chのアンチによれば映画館でやった信者がおるとF誌にかかれていたという。一般人から奇異に見られても仕方ないだろう。映画に来た一般人がL・C・Fのことを知ったらどう思うだろうか。「俺を悪魔憑きかなんかとおもってんのか?」といって怒るかも知れないね。L・C・Hのほうがよかったかもしれん。
『自分たちの見解が絶対になっているので、それを否定する者の発言は異常な発言であると結論付けることになります』これはKK信者、アンチ双方にいえることであって自分が絶対的な視点からみているわけではないというのならアンチの見解に一定の理解を示さねばならないと思う。


 
@回答例@

K1. 私たち信者は、総裁先生の説かれる仏法真理について、実生活に照らして検討し、非常に現実的な教えであるという納得の積み重ねの上で、総裁先生を仏陀であると確信し、帰依しました。(一部には、確信まで至らなくとも、もっと学んでみたいという意志をもって帰依する者もいますが、そういう研究肌の人はそう多くはいません)

☆.”非常に現実的な教えであるという納得の積み重ねの上で…ると確信し、帰依しました”これはヴァイオラと一部の信者の体験でしょう。正しくは私のB.前段とK1.を併置すべきものです。霊言集や霊示集において霊人が語ったという事実は世人が納得できる形で証明することのできない非現実的な教えであり、その内容も古今東西の真理の文献をもとに創作してものであるということもKKの外におる人間には否定できないことである。そのため総裁が仏陀でなくても(仏陀等の一時的なオーバーシャドウである場合もある)一定のレベルまでの啓発をもたらし得るのである。また、”研究肌の人は多くいません”というのが初期入会信者の批判のようにも聞こえる。

K2.また、入信後も各人それぞれの判断において、自らの課題を克服しています。その証拠に、皆が全く同じ行動をしてはおらず、自分ができること、自分に必要と思われる課題を、自らの判断において修行課題として学習・実践しています。『幼稚園児のように簡単に「はまる」ことや「つもり」になることができる』という見解は、他人からの見え方としては有り得ることですが、実際には、自らの経験則による理解と納得が大きく影響し、この経験則が【悟り】へと誘う智慧の基となっているのは確かです。

☆.「はまる」ことや「つもり」になると批判されることの理由の一部には、信者がKKに入信して家族や家庭関係において不和や経済問題を引き起こす場合があるからである。これは宗教団体入信に関して一般的にあることであってKKもそれにもれていなかったということである。

K3. さらに、この経験則からくる理解と納得からくる、小さな悟りの積み重ねが、信仰を深めていくことにもなります。
 【悪霊撃退】や【病気平癒】などの修法は、信仰を深めている者が、一定の約束事の下に行って、始めて効果があるものです。従って、誰がやっても出来る様な簡単なものではありません。修法を行なえる要件を満たした資格の無い者が、「お遊戯だ」と思ってしまうのは、ある意味、無理もないことですが、他人に見せるのが目的ではないので、実際に体現した者が納得出来れば良いことです。(信者であっても、実際に体現したことのあるものは、そう多くはいないでしょう)


☆.修法はそれを受ける資格があるものがやっても必ず肉体的に効果があらわれる訳でもない。批判的に申せば、外見的にはやってもやらなくても同じにみえるということである。自然の確立以上に効能があるのかどうか幸福の科学であるから統計をとってもらいたいものだが期待はできない。悪霊撃退、病気平癒など効能を急ぐならば多少高額でもKKでない定評のあるその筋の専門家に頼んだ方がよいのではないだろうか。また、論者はそれらの修法は霊験があまりないと言っている。正直で結構である。

K4.これが、アンチとの決定的な違いです。

すばらしい決め文句である。が、そんなことはわかっている。双方の歩み寄りを目指してほしい。

146IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/05/17(水) 23:44:09 ID:.U9OAEsg
K5. 黒田氏の回答例では、キリスト教的な思考なのかどうか判りませんが、「ギブ・アンド・テイク」の思考に陥りやすい考え恋におちたシェイクスピア
が込められているのと、仏陀と自分の関係を、教師と生徒の関係に近いものと捉えているとしか思えません。 容認出来ない内容です。

☆.「ギブ・アンド・テイク」的志向が裏的であるという暗喩を感じながらも言わせてもらえば、私は回答例をタコ富士7171の論調をうけて世間の何分の一かの人びと、仕事に忙しく、宗教のことなどかまっていられない、宗教などろくなものではないと思っている人に対してアプローチできるように書いてみたのである。「ギブ・アンド・テイク」を求める人には「ギブ・アンド・テイク」的に語っているだけで、本当に私の回答例においてテイクといえる箇所があったであろうか?あなたがそう思うのはKK教義を鵜呑みにしているか、自分のプライドのためかもしれない。あなたがいうように日々の生活の中で小さな悟りを得ているというならば、アンチに理解を示す態度をもっともてると思う。また、聖書を引用したからキリスト教的思考なのではないし、私はクリスチャンではない。エル・カンターレの弟子を自認するならば、キリストの使徒でもなければならない。ちなみに神智学においてはキリストは未来の仏陀、弥勒である。

☆.”仏陀と自分の関係を、教師と生徒の関係に近いものと捉えているとしか思えません”ということであるが、ではなんであるのか?
 基本的に仏陀と自分の関係は師と弟子の関係です。大師と弟子の意識の融合が起こったとしても当人の固有性は失われず師弟関係は消滅するわけではない。貪り、怒り、無明、慢心、疑い、邪見などを克服し、低位我から高位我への意識の境界をまたぎ、抽象知性の階層において活動できるほどの弟子でもないかぎり、生命的に高度な意識の関係を知覚するのは難しい。知覚したかのように思えても、高度に洗練された欲望の感知であったという場合がある。未だ意識の分離感覚があるパーソナリティ(低位我)のときにおいては師と弟子という表現は適切であります。仏陀再誕ではそのような表現でした。諸々の比丘、比丘尼よと語りかけられた。容認して頂きたい。

K6.私が云うと奇異に見える人もいるかもしれませんが、知識がいくらあっても、正しく使いこなせなければ智慧にはなりませんし、悟りには程遠いものです。悟りに近づいているのか、遠ざかっているのかを感知するには、知識を、実践を通して証明していくしかありません。

☆.真理知識を学んでのち実践して体得して行かなくてはならない為に真理を説く仏陀をまず信頼しなければならない。これが信仰でもあり、弟子の礼でもある。やはりまず信仰、正信ありきではないか。

147IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/05/17(水) 23:45:38 ID:.U9OAEsg
>>146

K7.それは自分自身にも云えることですが、実践といっても、間違った方向で努力するばかりでは意味がありません。実行しながら軌道修正し、知識を正しく使ってこそ、真理を掴むことができるのです。

☆.人間は、はじめは哀れなフォースの犠牲者である。
 
K8.正見ができていなければ、ごみの山が宝の山に見えると云いますが、どちらがごみの山で、どちらが宝の山なのか、議論だけで答えを出すのは無理です。
 批判するのは簡単だけれど、正しく実践をしているという話を聞いたことがありません。間違って実践してアンチになったというのはよくある話ですが。

☆.KK退会者すすきの僞総裁信仰事件もあって感慨深いが、等級を違えてこれと同じことが総裁と信者の間で起こっているのではないのか。
  あなたはその神秘体験を捨てさっても、あなたはしっかりと立つことができるでしょうか。
  仏陀が仏陀でなくても、あなたは道を歩みつづけるでしょうか。それともやめるでしょうか。
  大川隆法があの世で「実は僕は仏陀じゃないんだ」といっても「そうでしたか、私は別にかまいません。あなたのおかげで進歩できました」といえるだろうか。
  私は、大川隆法があの世で「私は仏陀である」といっても「そうでしたか、私は別にかまいません。あなたのおかげで進歩できました」といおう。

K9.成功者のところには成功者が集まる。お金持ちのところにお金は集まる。
   智慧を得る者は、益々智慧が増す。信仰深き者は益々信仰が深まる。
   この法則から外れた者は、益々離れていく。
   どちらに向かって努力しているのでしょうか?

   以下は、同様の見解のため省略。

☆. 道をはずれたものたちは、いつかまた戻ってくる、彼らは遠くはなれてしまったが、いつか必ず父の家へ戻るだろう。

☆総括☆

100満点中 59点 (及第点60点)

ヴァイオラ…。これはジェークスピアにの「十二夜」にでてくるキャラでしょうか?
ヴァイオラさんの回答から「アンチのおまえらにはわかんねーだろーな、せいぜい地獄へ堕ちないように気をつけな」という波動を感じました。
総じてアンチや第三者への感化力はあまりないでしょう。

148IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/05/17(水) 23:52:11 ID:.U9OAEsg
まず、1個訂正。

ヴァイロラ男爵 じゃなくって ヴァイオラ男爵。
由来はマジンガーZの阿修羅男爵。

149IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/05/18(木) 00:44:17 ID:j0dGacPY
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&amp;action=m&amp;board=1835217&amp;tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&amp;sid=1835217&amp;mid=13731

>ぎらぎら波動は出していないつもりですが。

KK信者以外の読者に判断をまとう。

>ただ、延々と議論する暇はないので、結構、圧縮して書いたつもりです。
 論点としては、自分の意志によって、自己責任において、仏法真理を実践しようと努力し、正しく実践できた時、出来なかった時にどうなるかを目の当たりにすることで、真実を掴み、信仰を深めているのであって、「つもり」になっているのではないということです。

私はタコ富士でないし、完全アンチでもはないのでタコ富士の「つもり」云々には興味がない。
真理を実践し、実践し出た結果を検討吟味することによって、信仰を深めるのではなくて、その真理に基づいて行動したことがどのような結果をもたらしたかがわかるだけでなのではないのかと。

ききたいことは次の二つ。

1.その真理に基づいて行動した場合に、全て期待したとうりの結果がでなかったらあなたは信仰を失うのか?
2.また、絶対に信仰を反故にできないために、あらゆる手段を尽くしてでもその真理を実践することによって期待する結果をだす方向へと行動してしまうのではないのか?

> そこまで至らない場合、信仰心に揺らぎが生じることもあるでしょうが、強い信仰心を持ち続けている信者は、全員、そういった試練をクリアした上で信仰を深めているのだということは云い切れます。
 ですから、延々と議論したとしても、実践を通した理解が前提に無い場合は、相容れないものがどうしても残ってしまうと思います。

信仰を深めるというがそんなに大事なことなのだろうか。
あなたの場合は大川隆法を仏陀と信じることからはじまるのであろうが、本来、何故信仰がいわれるのかというとキリスト意識の開花への努力を促すためである。
私には信じがたいものを一生懸命信じようとしているようにみえる。あなたが仏陀と自分を教師と生徒ぐらいにしかおもっていないと追求するのはそんなところに理由がありそうだ。
本当は大川隆法が仏陀だから真理を実践するのではないはずだ。

>これが云いたかったことであり、議論を目的とした内容ではありません。
>これで多少、掲示板の流れが変わってくれたら良いのですが。

ヤフーはアンチがトピ主のトピで、みんなで語ろうというトピですから。
語ればよほどのことがないかぎりなんでもOKのトピですから。
あなたたの力ではどうもできないでしょう。

150ザぼ〜ん:ザぼ〜ん
ザぼ〜ん

151ジラン:2006/06/09(金) 10:51:02 ID:9OptlByI
ちょっくらお邪魔します。コピペ。

128 :名無しさん@3周年:2006/06/09(金) 07:12:14 ID:85M7INyw
不倫自体を責める気はないが、不倫をするな!と教えているその本人が不倫をするとは、
呆れてしまう。
しかも教祖だぞ。
そんな偽善者を信じるとは、なさけない信者たちだ。
第一、GLAの教義を盗用しているのだから・・・・・
教義を盗み、人を騙し、女を寝取る・・・・これ悪魔の所業だな。

138 :名無しさん@3周年:2006/06/09(金) 10:45:15 ID:Tmx63tp4
>>128
kkの教義や戒律というのは
上が下に守らせるためにあるもので、上は守らなくてもよいのだ。
上が守ってなくても、下の者はそれを批判してはいけない。
それがkkの三宝帰依。

152主管理人の黒田:2006/06/11(日) 23:31:48 ID:qp9hptWo
>>151

久しぶりの投稿ですなっ。アンチ活動 乙。

KKのテープ出だしの人の声 覚えてますか? 
あの声をおもいだしながら テーマをほじくりだすならば、


  『 戒律とは何か 』

153ザぼ〜ん:ザぼ〜ん
ザぼ〜ん

154ザぼ〜ん:ザぼ〜ん
ザぼ〜ん

155主管理人の黒田</b> ◆JyycbKlO3s<b>[TRACKBACK]:2006/06/14(水) 21:07:01 ID:NBaHKTgs
>>153
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/6228/1137866842/r153
>>154
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/6228/1137866842/r154


上記2投稿を 【ザ・雑談】☆Part2☆  へ移動します。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/6228/1142778535/r190

156主管理人の黒田★:2006/06/14(水) 21:32:13 ID:NBaHKTgs
>>155

以降、ジラン氏に対しましては、同じような投稿は雑談スレへ投稿をお願いします。
今後、法論スレにおいては同じような投稿を為す場合には、最後の段落で問題提起文を付して頂きますようお願いします。

例えば、 

『177 :ファルコン ◆ejUolgR5L2 :2006/06/14(水) 08:45:39 ID:WUq3kncC
それにしても、新しい彼女が元kk職員なもんで、どばどば情報が入って来る。
それぞれに人脈があるからね。

持つべきモノは良き彼女。

アンチの皆さんへ報告すると、kkでは、私の告発に関して、かなり質問が行っているようです。
徐々に、静かに、動揺が始まっているようですね。喜ばしいことです。

ただ、私の主目標はグループ1「kkに関心を持った人々」をこれ以上の犠牲者にしないこと、
グループ2「信者の家族」の皆さんへの材料提供なので、基軸を見失わないように心がけます。 』

ファルコンの新彼女の登場によって、KKの実態がますます明らかになりそうだなっ w
大○がきょ○子ちゃん以外に女性と関係をもつとしたら仏法真理的観点からみてどのような理論が成り立つのかな? www

という風に。 w や www は 入れなくても結構ですが。

157ジラン:2006/06/15(木) 17:56:20 ID:yEFAOnyM
問題提起文ということですね。まあ信者が自分なりに考えればいいという考えでいましたw

もし私が上記の177の問題提起をするならば

以前から言ってきたことだが、大部分のアンチは信者以上に情報を持っている、特にファルコン氏の場合は元職員で、それも宗務を経験しかつ幹部や幹部の妻達とも人脈があり、なおかつ現在でも元kk職員の彼女がいて新しい情報もどばどばと入って来る。
kk側から情報を規制され、入って来るのは会員を騙すために改ざんされたり捏造された嘘情報ばかりという一般の信者とは、情報の質も量も雲泥の差である。
まして沖縄や九州の信者なら、敵を欺くならまずは味方からというように支部職員自体本当のことは伝えられず嘘情報しか与えられていないし、地方本部職員であっても左遷されてくるkk的に見てもクズ職員ばかりである。
そのような状況で、少ないしかも嘘情報をもとに幼い頭でファルコン氏というよりkkの真実に立ち向かうのか。
立ち向かっても傍から見れば墓穴を掘り低レベルさをさらけ出すだけでということさえ理解できないということを知らなければならない。

その現状の中で、法論とはkkの現実から眼をそらせるために、kkから与えられた玩具のようなものである。
法論という粘土細工をして遊んでいればkkの現実、例えば大川の愛人との肉体関係の問題なども忘れられる。
そのためにkkは信者に法というものを与えたのだということをよく考えてみる必要がある。

といったところですね。

158AHW:2006/06/16(金) 00:07:05 ID:oyNx53lc
>>151-157 ジラン氏、黒田氏乙です。

kk行動様式への批判につなげる議論ですね。
第2は、ほぼなんでもあり、kk行動様式を議論も可という前提だから
がんがんやっていいと思われですが、
純アンチ視点から(詐欺教祖、問題カルト教団を前提にした上で)の
行動様式を批判するに適したスレが現状で無いかもね。
法論スレは教義での議論が主題だろし、雑談はまあ雑談。
純アンチ視点ご用達の問題提起スレとか、作れないかどうか考えてみます。

>>151 2ちゃんコピペ(この名無しさんはジラン氏?)

このコピペから抽出できる論点ってのは、ファル氏告発が「全て真」と仮定した上で
「kkの法というのは上から下へという方向しかないのか?」
「上はその説く法の治外法権領域にいれる」「それでいいのか?」
「神からの被造物への宗教だってことだからそれでいい、というの?」
ってとこだろか。

あとは、「ふしだらな」という形容詞が名詞「不倫」の種類だけに限定してかかってるのか
「あらゆる不倫=ふしだらだ」と定義して「それをするな」という命令文全体にかかってるのか。

ふしだらでない不倫なら・・・とかいった感じのこと、前に2ちゃんでガラス玉らしき奴が書いてたよな。
内部での経典説明ではどうなってんだろ?

159AHW:2006/06/16(金) 00:28:17 ID:DVZG5nQg
>>157 ジラン氏
>法論という粘土細工をして遊んでいればkkの現実、例えば大川の愛人との肉体関係の問題なども忘れられる。
>そのためにkkは信者に法というものを与えたのだということをよく考えてみる必要がある。

大川氏がそのために与えたのだ、という断定まではわからんけど、
いいじち君など熱烈信者諸氏は、逃避というより何とも思わないんでは。
ファル氏告発の論点ってのは大きくはたぶん二つある。

一つはいわゆる法人としての適法性の問題。
資産や所得税の脱税を目的とした偽装疑惑やら、サクセスとかいう塾事業での脱税告発など。
これは信者からすれば、もしそういう状態だったとしてそれが表面化しても、
その違法状態ってのは「見解の相違と不手際が集積したもの」にすぎず
修正納税などで適法状態になって解消されてしまえば「ちゃら」って感じかも。

二つめは、教祖氏個人の私生活での人格、言動、倫理観にかんする暴露系情報。
性での乱行疑惑、アイジーン疑惑(しかも強権で強奪系)、家庭崩壊、子息との軋轢などなど。
これは非熱烈層からかなりの離脱者を(潜在的にも)輩出できそう。
ただ熱烈信者は「傷害や闘争、殺人してるわけでもなし」
「超英雄だからそのくらいの色なんてさもありなん。致命的でない」
「それぞれがそれなりに幸福なら、別に事実でも問題ない」とかだろねぇ。

160IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/06/16(金) 01:23:26 ID:B1Vota46
>159

>ただ熱烈信者は「傷害や闘争、殺人してるわけでもなし」
>「超英雄だからそのくらいの色なんてさもありなん。致命的でない」
>「それぞれがそれなりに幸福なら、別に事実でも問題ない」とかだろねぇ。

人倫系で擁護しようとしていたのは 青の青氏。 以下がそれ。

【ザ】+☆+KKⅦ+☆ 

名前: 青の青 投稿日:2005/12/14(水) 19:11:39 H.iUfsXc

擁護に使えそうな話を。

幸福の科学原論・3に、男には支配欲がある、優位に立たないと男性ホルモンが回らなくて勤労意欲が衰える。
というのがあるけれども、使いにくいか・・・

神秘の法のパワーとしてのオカルティズムで性的器官のチャクラについて触れています。
「性欲は霊的な能力と関係が有る」
「精力、性欲が減退した状態では、悪霊などの侵入があっても防げません」
「性的なパワーが高い状態にあると、強い念力パワーが出ます」

これはストレートに使えるなあ、「高い精力、性欲を維持する為に美女が愛人が必要だったのです!」ってできる。

****

私は精力、性欲とは 活力、プラーナの意味でとらえるべきだとおもいます。
ゼロ殿なら躊躇せず擁護してきそうな気がします…。BBS2では彼はアク禁してますがw

161エートス:2006/06/17(土) 02:46:55 ID:ugzJgfNQ
黒田氏
若葉氏へのレスで哲学したくなるようないいこと書いてますね。ただいまコートジボワールvsオランダ観戦中。ポストモダンモードでレスしてみましょう。

>>Y語るトピ13840
>KK信者としての立場とアンチの立場にも立てる視点を持つことによって客観的な視点が得られるのではないかと。

純粋客観的な視点を持つということはあり得るのか。外界は確固として存在し心はそれを忠実に反映するという前提があればいいのですが、それがなければ、客観的な事実が果たして本当に存在するかどうかも問題設定の枠組みになります。

>KKの信者であるかぎりは、総裁が仏陀再誕であり、L・カンターレでなければならないのでそこに偏見がでてくる。
アンチにしても大川は詐欺師、KKはカルト宗教であるという視点がはずせないためにそこに偏見がでてくる。

偏見は事物の理解を容易にする。というか分かったつもりにさせてくれる。いや、むしろ偏見がなければこの動的で多元的で本当のところなんだか分からないこの世界をとらえることは微力な人間には不可能かもしれません。

大川氏という人物を巡って、あるいはKKを巡って180度異なるパラダイムが生じているわけですが、アルキメデスの点を外部に求めずに、両者を止揚する視点を内部に持つことははたして可能でしょうか。それともその格闘の過程で満足する能力しか人は持ち合わせていないのでしょうか。

162エートス:2006/06/17(土) 02:59:41 ID:ugzJgfNQ
これは雑談向きなんだけど。

コートジボワール負けちゃったよ。試合終了と同時に審判が十字を切って神に無事終了を感謝していた。ゲームの面白さもさることながら、こうしたちょっとしたしぐさや選手の表情が実に魅力的なんだよね、ワールドカップは。

だからはまちゃって、予選からこんな調子だから、決勝トーナメントが始まったら寝不足で病気になりそう。w

ではおやすみなさい。

163IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/06/17(土) 16:44:55 ID:IWstLgzA
>>161

>純粋客観的な視点を持つということはあり得るのか?

若葉氏への返信で、そうしたものがなければ仏教的な悟りもないのではないかと書きました。
これはは純粋客観というよりかは直観というべきでしょうか。

>外界は確固として存在し心はそれを忠実に反映するという前提があればいいのですが、それがなければ、客観的な事実が果たして本当に存在するかどうかも問題設定の枠組みになります。

諸行無常でない外界は外界たりえないともいえませんでしょうか。完全に静止した空間は何ら外界として知覚しえないとおもいます。
いや、写真みたいになるだろうという人もいるかもしれませんがそれとて光や電気、知覚信号が写真と脳まで動いていますから。

内界は確固として存在し、外界はそれを限定的に反映するのでしょう。外界は知覚器官が作り出す幻影であるというのが仏教などの宗教の主張だと理解してます。
内界は外界からみれば実在で普遍的で静的でありながら、外界を創造するということにおいて動的である。内界はイデアであって原因である。
内界において客観的なものは存在しない。…等々。

164エートス:2006/06/18(日) 22:24:46 ID:h8pvHBEA
>>163
IAOO.KK氏

レスありがとう。クロアチア戦見てますよ。川口お見事、PK止めたよ!

>若葉氏への返信で、そうしたものがなければ仏教的な悟りもないのではないかと書きました。これはは純粋客観というよりかは直観というべきでしょうか。

そう、純粋客観的な視点は直感であろうというのは当たっていると思います。ただし、その直感が直感として個人の内に留められ態度のバックグラウンドになっているいるうちは
いいのですが、言葉にして伝えようとした瞬間から、再構成が始まるのではないかということです。

KKに関して言えば大川氏はの依拠するところは直感だとしても紡ぎだす言葉は直感以外のものに従属しているのではないかということです。

>諸行無常でない外界は外界たりえないともいえませんでしょうか。完全に静止した空間は何ら外界として知覚しえないとおもいます。
いや、写真みたいになるだろうという人もいるかもしれませんがそれとて光や電気、知覚信号が写真と脳まで動いていますから。

諸行無常・諸法無我が外界の実態だとすれば、その本質は純粋客観的視点以外で捉えることはできないでしょうね。

>内界は確固として存在し、外界はそれを限定的に反映するのでしょう。外界は知覚器官が作り出す幻影であるというのが仏教などの宗教の主張だと理解してます。

この場合の内界はいわゆる心、外界はいわゆる世界と考えていいのでしょうか。それによって存在論か認識論かの話になってくるように思えます。

165IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/06/18(日) 23:58:16 ID:f9K01Yy.
>>164

>この場合の内界はいわゆる心、外界はいわゆる世界と考えていいのでしょうか。それによって存在論か認識論かの話になってくるように思えます。

ふつうは内界といえば心の世界を意味するわけですけれど、通常の意識、覚醒意識のときや夢をみている意識のときなど、視覚や聴覚などに五感化されるものすべてが外界であるとしたいのです。
そして、認識さえもが五感として知覚されます。心、これを第六感とすべきでしょうか。人間が感覚的に把握できる感情、思考さえもが外界としてみたいのです。
心が変化するものとして知覚・認識されるならそれは外界であるし、そうでないなら内界である。
目がものを見るが目は目自身はみることができないように、思考する者が思考でないといった対比をおもいうかべながら、あらゆる知覚に捕捉されうるものとあらゆる認識を外界としその他を内界としてみます。


>諸行無常・諸法無我が外界の実態だとすれば、その本質は純粋客観的視点以外で捉えることはできないでしょうね。

純粋客観というと私心をいれない観察というニュアンスですね。これをあなたは直感と表現されました。
外界を観察するものが外界すべてに自分から光をむけて外界から反射してくるすべての光をうけとめたとき外界の本質を捉える。
すなわち外界と同化して外界の本質を捉える。これを直観もしくは純粋理性とか純粋主観というべきかもしれません。
KKではなんて言いいましたでしょうか般若の知恵だったかな?

>KKに関して言えば大川氏はの依拠するところは直感だとしても紡ぎだす言葉は直感以外のものに従属しているのではないかということです。

そうですね。
アンチならそれは直感というよりパクリかいい加減な思いつきなのではとツッコミがはいりそうですが、例えば薬師如来=エドガー・ケイシーとか。
薬師如来って抽象固有名詞じゃないのかと。それは\(^^\) (/^^)/オイトイテ
大川総裁自身自分がどんな話をしたのか覚えてないわからないというようなことをいってたし、表現しきれなくて、面倒で適当に言ったというのがとくに霊言集・霊示集にみられるんではないかと思う。
大川霊言を劣化させるとアマリエ霊言になると考えるとわかりやすい。
ヤサはアンチから内村鑑三霊示集についてつっこまれて2千年前は気候がちがうんやといっていたのを思い出しました。
R・シュタイナーは昔と現代とはものの感じ方が全然違うといっています_ケルト人は自然現象から神霊を感じとった的な日本人その他もですが_これはおおざっぱにゆうとKKでは昔は霊能者がおおかったみたいなかんじてす。

>そう、純粋客観的な視点は直感であろうというのは当たっていると思います。ただし、その直感が直感として個人の内に留められ態度のバックグラウンドになっているいるうちは
いいのですが、言葉にして伝えようとした瞬間から、再構成が始まるのではないかということです。

ええ、霊界通信ものでもそういった高級霊の吐露もありました。ようするに語らずに心の裡に秘めとけと。

166IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/06/19(月) 00:09:48 ID:Zr/jAPJc
>>165

>R・シュタイナーは昔と現代とはものの感じ方が全然違うといっています_ケルト人は自然現象から神霊を感じとった的な日本人その他もですが_これはおおざっぱにゆうとKKでは昔は霊能者がおおかったみたいなかんじてす。

これは 内村鑑三霊示集で雪が降ったというのは、当時のイエス誕生のときの世相、ローカルオーラをアストラル的に霊視するとそう見えると。
砂漠は夜寒いというから実は雪ではなくて寒いから雪と誤解したと。必死で弁護してみる。

神智学的にイエスとキリストは別の霊でキリストがイエスに乗り移ったのがイエス=キリストなんですけれども。

167IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/06/19(月) 01:06:26 ID:Zr/jAPJc
>>165

>外界を観察するものが外界すべてに自分から光をむけて外界から反射してくるすべての光をうけとめたとき外界の本質を捉える。
すなわち外界と同化して外界の本質を捉える。

ちょっと改良しますね。

観察者が観察対象に観察者自身の光を投射し観察対象から反射するすべての光を吸収したとき外界の本質を捉える。
この視点を変えた表現が外界と同化して外界の本質を捉える。
本質を捉えるというと外界としての認識のようありますが観察者が光を発し光が対象に到達したことによによって観察者が観察対象になり、観察対象から光が観察者にもどったことよって観察者が観察対象の本質となったのだと。
観察者と観察対象とを分けているのは観察者の知覚器官である。もともと観察と観察対象(外界)をわけているのは分離作用そのものであり動きであり運動であり時間である。

こんなんでました。

168IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/06/19(月) 01:08:55 ID:Zr/jAPJc
>>167

脱字。

本質を捉えるというと外界としての認識のようありますが=>本質を捉えるというと外界としての認識のようでありますが

169IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/06/20(火) 23:16:49 ID:RKmsLhOE
>>168

脱字2 且つ 訂正。

もともと観察と観察対象(外界)をわけているのは分離作用そのものであり => もともと観察者と観察対象(外界)をわけているのは分離作用であり


* 分離作用があればまた逆の作用がありましょう。融合作用というべきか。
  もともと全ては一つなのにどうして様々なものに分化していくのかと思っていましたけれど上記のように対になる作用があるからでした。
  これで絶対的なもの(究極の一なるイデア)が相対的なもの(現象世界)に変わってゆくことに矛盾がなくなってくる。
    
  易のプログラムをつくっていたので太極からヒントをえたところです。

170エートス:2006/06/21(水) 20:24:59 ID:af5Q9JiQ
なるほど、これを並べてみると分かります。内界は全てを包括し、外界はそれを部分的に反映するということですね。

>内界は確固として存在し、外界はそれを限定的に反映するのでしょう。
>あらゆる知覚に捕捉されうるものとあらゆる認識を外界としその他を内界としてみます。

そうすると、次は限定的あるいは部分的に反映させる要因は何かという疑問に突き当たります。

>砂漠は夜寒いというから実は雪ではなくて寒いから雪と誤解したと。必死で弁護してみる。

これはあなたの世界観からすれば問題ないと思います。霊言の主_この場合は内村鑑三ですか_の認識力が限定的だったということで、あるいは大川氏という媒体を通すことで大川氏の認識力に限定されたということでね。

>観察者が観察対象に観察者自身の光を投射し観察対象から反射するすべての光を吸収したとき外界の本質を捉える。

あなたは神智学の知識がおありだから、この光というのはたぶんそちら方面のテクニカルタームだと思いますが、これはわたしにはよく分かりません。

>もともと観察者と観察対象(外界)をわけているのは分離作用であり

この文脈だと観察者が内界のような印象を受けますが、観察者が観察者それ自体を知覚しているから観察者になれるわけで、知覚の作用が働いている以上は観察者は内界にはなりえないのではないでしょうか。そうすると分離作用というのは外界における分離作用になると思います。

171エートス:2006/06/21(水) 20:28:11 ID:af5Q9JiQ
すみません、アンカー忘れました。
わたしの170のアンカーは以下の通りです。

>>169
IAOO.KK氏

172IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/06/21(水) 23:19:38 ID:IFL/nBRo
>>170

>>観察者が観察対象に観察者自身の光を投射し観察対象から反射するすべての光を吸収したとき外界の本質を捉える。

>あなたは神智学の知識がおありだから、この光というのはたぶんそちら方面のテクニカルタームだと思いますが、これはわたしにはよく分かりません。

これはKKでも言及されいますが__光は照らす(ものごとを明らかにする)__太陽の光のことのみではなく認識する主体にとって必要なものです。
認識主体自身が光りを発し、反射された光が認識主体にもとってこなければ認識は生まれないのです。これはR・シュタイナーからきてますが。

>この文脈だと観察者が内界のような印象を受けますが、観察者が観察者それ自体を知覚しているから観察者になれるわけで、知覚の作用が働いている以上は観察者は内界にはなりえないのではないでしょうか。

いや、実際は観察者は観察者自身を知覚していません。知覚しているのは観察者の携えているものなんです。そうでなければ観察者は観察者の立脚点をうちないます。観察者自身が観察行為をすることによって自己自身を観察するなら自己消滅してしまうでしょう。
そのおかげて観察対象は観察対象自身たりうるのでしょう。例えば人間は人間の体や感情や思考を観察しますがそれは人間の本質ではありません。観察者自身ではありません。観察者自身が観察者自身を観察しているのならば、それは目は目自身をみることができるといっているようなものです。
神智学はこれが無知の状態だといっています。無明ですね。それで、観察者、観察主体さえもそれを包摂する相対的に内界の存在には外界にみえるということになります。
そのような存在にいたってはじめて最初の観察者が観察対象になります。

>そうすると分離作用というのは外界における分離作用になると思います。

分離作用が始まると同時に原始的な外界が成立しています。考えることそのものが分離作用なんですね。A=Bという数式さえ存在しますw
まだおかしいところがあったら指摘してください。私も考えながらやってますw

173IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/06/21(水) 23:38:15 ID:IFL/nBRo
>>172

観察者は観察者の立脚点をうちないます。=>観察者は観察者の立脚点を失います。

>分離作用が始まると同時に原始的な外界が成立しています。考えることそのものが分離作用なんですね。A=Bという数式さえ存在しますw
まだおかしいところがあったら指摘してください。私も考えながらやってますw

原始的外界はそれより外界のものにとっては相対的に内界ですね。分離作用と対になる融合作用は分離作用を成立させます。
なぜ分離がはじまるのかは理由はわからないかもしれません。宗教的には「それはかみの御心だ」とかいう表現がつかわれます。
分離する理由はなく意志または衝動または欲求があるだけなのではないのかと考えています。

はじめに無色の円があり、これが宇宙そのものとすると次に太極にわかれるのでしょうが、何で分かれるんだろうw
たぶん、別れたいからw

174IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/06/22(木) 00:41:06 ID:uFhXNBLY

>観察者自身が観察者自身を観察しているのならば、それは目は目自身をみることができるといっているようなものです。

これ、「目は目自身をみることができる」といえるのはいう人が目以上の存在だからですね。
また、人間が自然を目で観察してそれを視覚として知覚できるのは何故でしょう。可視光線があるからです。
人間は自分からものを見るため十分な可視光線を発している訳ではないのにものを認識できるのは何故か。
人間の魂が脳に対して光を送り、脳が反射したものを受け取っているからです。
また秘教的にいっても太陽の本質と人間の魂の本質は同一のもので、物質的にも人間はその存在するためのエネルギーをを太陽に追っています。
神智学を学んでいて疑問におもうのは人間は太陽系をはずれると脱魂して気絶するのだろうかとw

175IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/06/22(木) 00:50:35 ID:uFhXNBLY
>>174

>人間が自然を目で観察してそれを視覚として知覚できるのは何故でしょう。

☆人間の魂が脳に対して光を送り、脳が反射したものを受け取っているからです。
  私はこのように説明しましたが、R・シュタイナーは「観察する人の自我がその観察物のところにいってもどってきているからだ。」といってました。
  まぁ、意識がなければ認識もないと。そりゃそうだが…。

176IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/06/22(木) 01:00:18 ID:uFhXNBLY
>>175

ということで人間が熟睡すると目をあけていても対象をを視覚化してとらえないということは観察者自身は肉体ではないし、知覚でとらえているのは観察者の装備であるということにならないでしょうか。
これ高橋信次センセも使ってたネタ。

177エートス:2006/06/24(土) 00:13:10 ID:oLJvCvyM
>>172
IAOO.KK氏

実は例の国際蹴鞠大会の後遺症で今日は非常に眠いので変なことを書くかもしれないが、お許しを。以下はなんとなくわかるようなわからないような。

>いや、実際は観察者は観察者自身を知覚していません。知覚しているのは観察者の携えているものなんです。

つまり自我意識があるうちは観察者自身ではないということですね。

>そうでなければ観察者は観察者の立脚点をうしないます。観察者自身が観察行為をすることによって自己自身を観察するなら自己消滅してしまうでしょう。

自己消滅というより観察という行為は自己分裂あるいは自己分離を促すということではないのですか、観察者と被観察者に。つまりオリジナルはオリジナルとして被観察者になることなく存在し続ける。そう考えると分かりやすいのですが。

>それは目は目自身をみることができるといっているようなものです。

目は鏡に映せば見ることができます。だから投影というのは必要であり、自己認識の手段であると思うのですが、それも全て外界での作用と考えるなら、内界は永遠に捉えることはできないと思うしかないのでしょうか。

>なぜ分離がはじまるのかは理由はわからないかもしれません。宗教的には「それはかみの御心だ」とかいう表現がつかわれます。
分離する理由はなく意志または衝動または欲求があるだけなのではないのかと考えています。

このあたりはよくわかりますね。KKは因果律を宇宙的な原理としていますが、分離融合もたぶん宇宙的原理なんでしょう。

美術部だったということで美術関係の話を少し。

>ということで人間が熟睡すると目をあけていても対象をを視覚化してとらえないということは観察者自身は肉体ではないし、知覚でとらえているのは観察者の装備であるということにならないでしょうか。

印象派の先駆けであるモネは視覚の持っている対象物を映す機能をとことん追求しようとした結果、光そのものを描くことへシフトしましたが、その結果生まれた絵は何の形にもみえなくなっていきました。

また、ピカソやブラックが抽象空間をキャンバスに映し始めたときはいわゆる「均質化」が起こり、どれが誰の絵かが分からないような状況になりました。

これらは全て主観をできるだけ排してものそれ自体をとらえようという欲求から起こったわけですが、対象を視覚化してとらえようという試みを押し進めていくとそこにいわゆる三次元空間での形は残らなくなることが伺えます。

ですから必ずしも熟睡の例は観察者が肉体ではないことを示すものではないと思います。
知覚は自我意識を離れることはできませんからこれは装備と考えていいでしょう。

178IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/06/24(土) 11:41:51 ID:rw539qmU
>177

>自己消滅というより観察という行為は自己分裂あるいは自己分離を促すということではないのですか、観察者と被観察者に。つまりオリジナルはオリジナルとして被観察者になることなく存在し続ける。そう考えると分かりやすいのですが。

「観察者自身が観察行為をすることによって自己自身を観察するなら自己消滅してしまうでしょう。」は観察者がいた次元から観察者が内界に撤退するという言い方の下手な表現でした。
私の主張からいうと観察者と観察対象は同次元のものではないので、観察者が観察者自身を観察しようとするとき観察者自身は一段内界に退きそこから観察者自身であったものを観察するという言い方になります。
これは自分の肉体諸器官を知覚観察しそれを自分自身でないとみなし、次に自分の感情を観察しそれも自分自身でないとみなし、次に思考を観察しそれも自分自身でないとみなし、前三者全てを総合したものさえも自分自身でないとみなし次々と裡へ退いていく課程を想定しています。
これは観察者自身からどんどん非自己を切り離していますが同時に内的な統合感覚、統合認識、統覚を取り戻しているはずなんです。そう思えない場合は自分自身でないが自分自身とおもっているに執着しているからでしょう。

観察行為は観察対象を観察者自身と同一視したときは自己分離でありそうでないときは自己融合を引き起こす。これは観察対象が観察者かそうでないかにかかわらずです。
これはふつうは反対なんじゃないかとおもうけれども自己自身の内界からの切り離され具合、外界との自己認識の巻き込まれ具合から考えるとこれでいいと思います。ここでいう自己は遍在する自己になりましょう。

>目は鏡に映せば見ることができます。だから投影というのは必要であり、自己認識の手段であると思うのですが、

否定はできません。ラージャ・ヨガでは「宇宙は魂のために存在する」とあり宇宙魂が自己自身を認識するために宇宙が存在するんでしょう。人間にしても同様だと思います。

>それも全て外界での作用と考えるなら、内界は永遠に捉えることはできないと思うしかないのでしょうか。

そうかもしれません。ただそれは対象を知覚するという方法以外の認識の仕方があれば解決できるでしょう。先日は対象との同化といいました。ここでは合一と言い直すべきでしょうか。でも内界は既に大いなる自己として既に全てが知られており、小さな自己は分離が生じているため、また無知なるがゆえにそれに気づいていないのだといっておきたいです。

>これらは全て主観をできるだけ排してものそれ自体をとらえようという欲求から起こったわけですが、対象を視覚化してとらえようという試みを押し進めていくとそこにいわゆる三次元空間での形は残らなくなることが伺えます。

ピカソの抽象画などはイデア的なものの静的な部分の二次元的表現なんでしょうけれど、「均質化」は平面に抽象的なものを強引に展開するからそうなるのであって存在の継続性に置いて均質であって表現において多態なんだろうとおもいます。ゲーテも原植物という理念をもっておったそうです。エーテル視力というのはものが突き抜けてみえるといいますが、アストラル視力というのは上下左右表裏中から見えらしいです。

>ですから必ずしも熟睡の例は観察者が肉体ではないことを示すものではないと思います。

「観察者」が観察する肉体人間という意味ならば観察者は肉体でしょう。
「観察者」が観察対象を認識する主体としてみたならば観察者は肉体ではないでよいですか?
覚醒中において目がつぶれたらものが観察できないし、脳の視覚野やその他の領域が損傷したら眼球で見えても見ることができないわけですが、目がつぶれただけでは認識主体は健在であるし、目が健全で視覚情報を受容しても脳が損傷しておれば認識主体が存在しないと断定しえるのかどうか。
断定しえるとしたら、さきに例としてだした「熟睡時に目をあけて…」には脳が損傷していない場合の話ですが、脳の該当部分の電気活性状態こそが観察者・認識主体なのでしょうか?
しかし、これとて夥しい数の脳細胞たちの彼らなりの観察とそれに基づく反応の集合でそれが活発な状態のことあります。唯物的な見方からみても物的なものからエネルギー的(=霊的、非物質的)なものへと観察者・認識主体を捜しもとめねばならないように感じます。

179エートス:2006/06/24(土) 22:47:08 ID:oLJvCvyM
>>178
IAOO.KK氏

>私の主張からいうと観察者と観察対象は同次元のものではないので、観察者が観察者自身を観察しようとするとき観察者自身は一段内界に退きそこから観察者自身であったものを観察するという言い方になります。

観察者が内界に退く、すなわち他次元に退くあるいは移動するということですね。そうすると非観察者は置いていかれるわけで、それは分離することと同義にはならないのですか。

>これは観察者自身からどんどん非自己を切り離していますが同時に内的な統合感覚、統合認識、統覚を取り戻しているはずなんです。

外部的には分離であるが内部的には統合であるというのは分かりますが、統合の感覚は自己認識ですから、まだそこでは分離がおきていると思うのですが。

>観察行為は観察対象を観察者自身と同一視したときは自己分離でありそうでないときは自己融合を引き起こす。これは観察対象が観察者かそうでないかにかかわらずです。

自己分離は自己融合と相対するものですがベクトルが反対というだけで、機能としては同じものなので置き換え可能でしょう。しかし融合あるいは統合という感覚がある限りは自己認識機能は残っているはずです。

>これはふつうは反対なんじゃないかとおもうけれども自己自身の内界からの切り離され具合、外界との自己認識の巻き込まれ具合から考えるとこれでいいと思います。ここでいう自己は遍在する自己になりましょう。

いや、この逆説は理解できますよ。

>ただそれは対象を知覚するという方法以外の認識の仕方があれば解決できるでしょう。

あるとすれば直感でしょうね。

>「均質化」は平面に抽象的なものを強引に展開するからそうなるのであって存在の継続性に置いて均質であって表現において多態なんだろうとおもいます。

写真は光の粒子という抽象的なものをとらえることで平面に画像を焼き付けます。その画像はきわめて具象的で均質化は起りません。しかし画家が写真と同じことをすると均質化が起きるということは、もちろんあなたがおっしゃるように目そのものの問題ではないということです。

そこには認識の機能が働くわけですが、先験性をできるだけ排した目に映るものが均質であるということは世界がそうしたものである可能性を否定できないということです。つまり認識して初めて世界が存在するということですね。

>ですから必ずしも熟睡の例は観察者が肉体ではないことを示すものではないと思います。

私が言いたかったのは「熟睡時に目を開けて、、、」とは目の機能に関しては言いうることですが、脳の機能に関しては舌足らずな例、つまり唯物的な域を出ていないということです。説明が不十分でした。

180IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/06/25(日) 00:53:48 ID:kucqYZlo
>>179


>観察者が内界に退く、すなわち他次元に退くあるいは移動するということですね。そうすると非観察者は置いていかれるわけで、それは分離することと同義にはならないのですか

分離といってもいいですが分離というと同質のものが二つに分かれる感じがありますので解脱とでも呼びたいです。

私の主張からいうとそれは分離ではなく、融合であって、観察者はパワーの源にちかづきより根源的で高質のエネルギーを操作できるようになり、
かつて観察者自身であったが観察者でなくなったものやそもそも当初より観察対象として認識していたものに注意を払わなくなり、事実上観察者にとっては分離してしまった観察対象は認識の対象外となり存在しなくなるということがひとつです。
大いなる自己との合一がすすむと同時に対象の本質との融合も進む。観察者自身の融合が拡大して対象との同一化をやめて観察対象から自由になったとき、脱ぎ捨てたとおもったものは観察者自身のなかに対象の本質として包含されているということになります。
かえって抜き捨てたものを手中に収めている。抜き捨て自由になった対象とおもわれたものは実は実質がないただの形態になっています。
形態としてはあるんだろうと認識すればあるし、しなければない。結局は意識の焦点が移動しただけでもともとは対象を捨てもしてないし、拾いもしてないとうことになりましょうか。


>外部的には分離であるが内部的には統合であるというのは分かりますが、統合の感覚は自己認識ですから、まだそこでは分離がおきていると思うのですが。

対象を知覚したり、思考原理を使用するかぎりは分離はおきている。直感や直観を使用するならば分離はおきていないということでいいでしょうか。

ちなみに第3光線の主は機能は分割しえないものを分割する機能で「時間を分与するもの」とか「空間の主」とか「見られたものを解釈するもの」とか呼ばれます。
KKでは青色光線の長は誰だったかしら。

181青の青:2006/06/28(水) 02:00:48 ID:tCWYIVGw
人倫系擁護の青の青復活ですw
愛を宿さない存在は存在しない。では悪魔に宿る愛とは何か?
それは天使を鍛えるという事。
悪あってこそ、悪魔あってこそ、天使は修業が出来るのです。
では修業の成果をご披露しましょう。(おおっと天使宣言になってしまったw)

  『戒律とは何か』
戒律をもっと身近に簡単に例えるならば、「子供は火や刃物を使っちゃいけません」これです。
火や刃物の恐ろしさを知らない子供は、これらを振り回したりして遊ぶ事があります。
それは一歩間違えれば、生活を破壊し、人間関係を破壊し、命をも奪ってしまう、恐ろしいものです。
しかし、その恐ろしい物を使える事こそが、人間らしさだとも言えます。
人間はこれらを使って文明を築いてきました。
火や刃物の恐ろしさを知った上で、その有用性、素晴らしさを知り、発揮してきたのです。

>上が下に守らせるためにあるもので、上は守らなくてもよいのだ。
>上が守ってなくても、下の者はそれを批判してはいけない。

つまりこれは、大人は使っても良いが、子供は駄目だ。悟っているならいいが、悟っていないなら駄目だ。
この様になります。

182青の青:2006/06/28(水) 02:35:23 ID:tCWYIVGw
火や刃物で破壊されるのは物質ですから、人間にもはっきり解ります。
しかし、戒律によって守られているのは目に見えない『心』です。
心が守られるとは何か、それは結局『悪想念』を出さないようにするということ。
これは加害者、戒律を破った者だけではありません、被害者もそうです。
むしろ被害者こそ多量の悪想念を出す場合が多いかもしれません。

では本題の不倫に入りましょう。
異性との性的関係、それは何か。
人間が、いや生物が最も重視する愛の行為ではありませんか。
勿論、強姦のような奪う愛であってはいけません。
与える愛の想いである事が大前提、大原則です。(強姦から夫婦が生まれるような国も在るようですが・・・例外でしょう、やはり)

では、悪想念が出ない『不倫』で有るならば『ふしだら』とならないのか?
ならない。私はそう答えたい。
悪想念さえ出ないのであれば、男女が結ばれる事は、世界に愛が増える事だと思う。お互いの関心を増し、絆を増す行為で有るからだ。

183青の青:2006/06/28(水) 03:11:16 ID:tCWYIVGw
さて、悪想念が出る事についても言及しておこう。
加害者、浮気をする側が悪想念を出す、性欲肉欲の悪想念を出すという事が罪であると言う事は解りやすいであろう。
しかし、被害者の側が裏切られたと思い、憎しみ、嫉妬の悪想念を出すという事が罪であるという事を受け入れるのは難しい事だと思う。
だがしかし、罪なのだ。どんな事情があろうと、自らの出した悪想念は自らのものである。自己責任なのだ。
被害者が悪想念を出すのは結局は、独占欲、そして不信である。
真に悟った者ならば、この世に愛が増えた事を祝福しなければならない。

さて、この様な事を言えば、欲に溺れる者が増えるのが世の常なのであろう。
それを防ぐためにも、人間は精神的なものに目覚めていかなければならないだろう。

悪想念のない不倫を実現するためには、結構な高いハードルがある。
第一に、夫婦に固い信頼があること。
第二に、自分と相手が独占欲を持っていないこと。
第三に、責任をとる能力と自覚があること。つまり子供を育てるということ。
通常であれば、第一の信頼があれば、不倫をしようとは思わないものだ。しかし、これが世界に愛を増やす聖なる行為であると見る事が出来れば、実行されるであろう。

184青の青:2006/06/28(水) 03:37:50 ID:tCWYIVGw
愛を深め合う方法について、少し考えを述べたい。
愛を深め合い、信頼を深め合う、
それは結局は、愛を与え合うという事だと考える。

愛を与えるには、相手の望むものを与えなければ、やはり喜びは少ないだろう。
その為には相手に望んでもらわなくてはならない。
「親死に、子死に、孫死に・・・」この様な足る事を知り過ぎたような人は、逆に愛を受け取りにくくなり、与えられても喜びが少なくなるのではないだろうか?
また、与える方にしてみても、与えられるものがなかったならば、一種の挫折のように感じ、悲しみがあると思われる。
つまり、愛を深め合う為には、望みを言い合い、そして叶え合う、これであると思う。
この、望みを言うということは、わがままを言うという風に現れる事は充分予想される。

185青の青:2006/06/28(水) 03:52:16 ID:tCWYIVGw
念縛りについて考えてみたい。

愛というものは、愛した相手の願いを何なりと聞き届けたい、少しでも役に立ちたい、そういう思いを抱かせる。
この愛の思いは、仏にも同じであると考える。
そして、仏の思いは法則として表れ、念の法則として現れていると思う。
総裁先生もまた、全ての者を愛しておられるのだろう。
そして、強く願われているものを優先しようとしてしまう、
それが念縛りなのではないだろうか。

186青の青:2006/06/28(水) 04:42:18 ID:tCWYIVGw
予言についても書いてみましょう。

予言が外れたと言って批判されることも多いですが、
「予言を外れさせるために来た」というような事もいっていますからね。
予言が当たったら当たったで救済力がないと批判される事になるはずです。
予言をしなかったらしなかったで、予言も出来ないと批判が出るでしょう。
ラクダと兄弟のたとえ話があります。
ラクダを連れた兄弟が砂漠を旅していたらすれ違った旅人に「ラクダに乗らないとは愚かな兄弟だ」と言われ、兄が乗れば次の旅人に「弟思いでない兄だ」と言われ、弟が乗れば「兄をないがしろにしている」と言われ、2人で乗れば「動物虐待だ」と言われ、最後にはラクダを担いだというたとえ話です。
批判とはこの様な所があるという話です。
それでは何故予言をしたか、それは危機を回避するため、備えるためと考えるべきでしょう。
防災訓練の参加者は、災害があったあとに増えるものです。
危機が迫っていると知らなければ、備える事も、回避のために努力する事もしない愚かな所があるものです。

では良い方の予言はどうなのか?目標は高い方が良いものだ、ということでしょう。
予言と言ったってそれを成就させるのは信者一人一人の努力ですから。

187ジラン:2006/06/28(水) 18:14:20 ID:7BrWnnCs
>>上が下に守らせるためにあるもので、上は守らなくてもよいのだ。
>>上が守ってなくても、下の者はそれを批判してはいけない。

>つまりこれは、大人は使っても良いが、子供は駄目だ。悟っているならいいが、悟っていないなら駄目だ。
この様になります。

kkでは悟ってなければ不倫は駄目だが、悟っていれば不倫して複数の若い女性と肉体関係を持って生で中田氏やり放題だ。
この様になります。

悟りが進めば殺人も許されるとしたオウムの教義と本質的に同じものがあると思われます。

188ジラン:2006/06/28(水) 18:25:39 ID:7BrWnnCs
オウムのポアの思想にしても
悟った者は「悪想念」を出さない殺人が出来る。
地下鉄に乗っている悪人達にこれ以上罪を犯させない、あるいは既に犯した罪に対する懺悔として悟りたる者サリンを使い死刑執行という功徳を積んだ。
と解釈することも出来ます。

青の青氏の解釈を使えばオウム麻原ももkk大川も正当化できるのです。

189ジラン:2006/06/28(水) 18:31:31 ID:7BrWnnCs
>>183 引用省略のためアンカー付き
>第一の信頼があれば、不倫をしようとは思わないものだ。しかし、これが世界に愛を増やす聖なる行為であると見る事が出来れば、実行されるであろう。

「愛を増やす聖なる行為」と言ってはいるが
大川が愛人と肉体関係を持ち「光を入れる」と言って愛人の膣内に「精子を注入する」ことが、
何故「愛を増やす聖なる行為」なのか説明がなされていない。
この部分のを説明できるのだろうか?

190ジラン:2006/06/28(水) 18:48:26 ID:7BrWnnCs
反論に先回りして書いておくと
殺人は家族等が悲しむなど迷惑がかかるが、聖なる不倫による和姦ならマイコンが溶けないうちは誰にも迷惑がかからないというかもしれないが、
死刑にしても家族など悲し者がいる。死刑反対派であれば懲役刑でも悲しむ家族などがいる。
しかし罪を犯したのなら止むを得ない。
kkで許される不倫があるようにオウムでも許される私刑(法律によらない刑)があることも考えられる。
また大川の外れた予言のように、「この地下鉄の乗客は生きていればとんでもない罪を犯すと」予言することも出来る。

したがって悟りたるものは不倫も殺人も許されるという考えも出来る。

191ジラン:2006/06/28(水) 19:08:31 ID:7BrWnnCs
不倫でも愛人の親が知って、もしその親がkk的信仰心がない、もしくはkk的信仰心や悟りが低い場合悲しむでしょうね。普通なら。

ただ「愛を増やす聖なる行為」ならkk的悟りの低い親の悲しみなど、kk的には瑣末なことなのでしょう。

192初代:2006/06/28(水) 19:43:56 ID:VYScEijc
>>186 青の青さんへ

以前、こちらのどっかに書いたと思いますが、探すのが面倒なので再編集版を。

>予言が外れたと言って批判されることも多いですが、「予言を外れさせるために来た」というような事もいっていますからね。

もちろん、知っています。

>予言が当たったら当たったで救済力がないと批判される事になるはずです。

ところがどっこい、論理的にそういうことにはならない。
KK教団が拡大し世の価値転換が起きていた場合、おっしゃるように予言は外れて「よし」。
しかし、その逆の場合、予言は当たっていなくてはならなかった。
そして、その場合むしろ(KK的)道理が通ることで、自らの信用が増すことになったはずなんよね。
解りますでしょうか?

>それでは何故予言をしたか、それは危機を回避するため、備えるためと考えるべきでしょう。…危機が迫っていると知らなければ、備える事も、回避のために努力する事もしない愚かな所があるものです。…予言と言ったってそれを成就させるのは信者一人一人の努力ですから。

危機を回避するために、教団は何を優先課題として動いて、何を成したか?
KKのいう「備え」とやらは何であったか?
信者一人一人…その総和としての教団の努力と、前世紀末までに成せたことは?

予言ですが、「このまま行くとこうなる」ので「教団として、このような活動に重点をおく」ということで進められていたわけで、当然ながら活動に成果がなければ「このまま行ってしまう」のが道理。
KKは世紀末予言路線を敷いていた。そして、活動の重点項目を幾つか持ってそれに臨んでいた。反として「講談社」「創価学会」「核兵器」等、正として「三塚博」「国内外伝道と拠点作り」等。
でね、活動の成果が芳しくなかったのにもかかわらず天変地異回避とはこれ如何に?ということよ、何度となく問うてきておりますが。
「悲劇的な予言が回避されてよかった」でも「今、頑張り続けている」でもない。「KKの活動によって“2000年まで”に、世の中の何が変わったというのでしょうか?」というシンプルな問いです。

お分かりのことでしょうが、未だに講談社は日本一の出版社であり続け、創価学会は日本一の宗教団体であり、公明党の獲得票数は微増を続け政権与党の側に就き、地球を何度も破壊できる核兵器は世界中にあり続けている。三塚博は政治の中心に近づくことなく亡くなられた。
また、信者さんでしょうから、2000年までに幾つ「精舎」「正心館」等の施設が建てられたかについてはご存知のことでしょう。
予言で煽りに煽り、かき集められ大本営発表された「信者数1000万人」がハリボテだったことは、信者サイドとて認められますよね?

教義的にも補足。
KKでは、天変地異は因果律とセットで語られていました。
人類の悪想念の集積の結果、それはノミの付いた体を犬が掻くが如く、至極当然の流れの末に起こるとされた。KK的に表現するなら、人情の及ばない10次元レベルで粛々と執り行われる冷徹な「法則」。
一方、人レベルでいっても死後の世界があるとする立場からいえば、人の「死」それ自体は決して悲しむべきものではない。もちろん、親しき者との別れという瞬間的な悲しみすらありはしないだろうと言っているわけではない。しかし、長い目で見た悲しみではなくなる。これが、宗教が提供する達観のひとつでしょう。
つまり、天変地異は単純に悲しむべき出来事というわけではないはず。人類の悔い改めなくば、当然の果として起きる事。また、多くの人類の死も、各個人の心境によって行く先を決められるという、ただそれだけのことともいえる。
宗教的価値からいえば、「悔い改め>この世の死」なのは明らか。逆にいえばやよ、悔い改めなき状況の継続の方が、天変地異よりも酷いことになる。


あと、「らくだと兄弟のたとえ話」ですか…。
結局、外れた予言にツッコミが入っているわけで、上記のように当たっていれば入れられるツッコミはありませんので、譬えの引用としては的外れかと。

復活期限は2日ということですね。
レスして昇天希望です。
最悪、再復活時にレスを。

193青の青:2006/06/28(水) 21:51:11 ID:tCWYIVGw
>>ジラン氏
私の考えが容易に受け入れられるとは私自身思ってはいないし、信者であってもあなたの様に受け入れられないと言う方は多いだろう。
私の言ったハードルは生易しいものとは思わない。
告発を事実と仮定してだが、現在の騒ぎをみれば、総裁の行為は失敗だったとするべきだろう。
いや、だがしかし、戒律を越えたる境地に導くには、先ず批判を覚悟で越えて見せなければ、考えさせる事さえ出来ないのではないだろうか?

それから、悟っていればやりたい放題、というのは違う。何でもかんでも勝手気ままにやっていいというのではない。
悟った者は、幸福が広がり、喜びが広がる事を我が喜びとする。
だから、悲しみ、怒りが広がるような行為を悟った者が求める事はない。もしも、そのような行為があったとするならば、それ以上の人を導くようなものを含んでいるはずだ。

私は「火や刃物は大人はいいが子供は駄目」と例えたが、大人なら火や刃物で好き勝手やっていいという訳ではない、当然だ。
大人であっても火や刃物を人に向けたりしてはいけない。
しかし医者などであれば火や刃物を向けることが許される。
この様にダメとされることも知恵あるものがより高次な目的のためなら良しとされる。幸福が広がるからである。
戒律というものは幸福を守るために存在している、しかし、幸福を押し止めている側面も同時に存在している事を指摘したい。

>「光を入れる」と言って愛人の膣内に「精子を注入する」ことが、何故「愛を増やす聖なる行為」なのか

「精子を注入する」が重要ポイントだと見るが、そこはよくは解らない。避妊すれば認めると言う訳ではないのだろうけれども。
まあ、ナマの方が気持ちいいと言う話ならあるようだが。
ポリネシアンセックスというのを聞いた事はあるかな?非常に気持ちいいらしい、非常に興味津々なのだが、それはコンドームがあると上手くいかないらしい。生態電流がどうとか言っている者がいたが。先生のセックスはあんな感じなんだろうか?

194ジラン:2006/06/28(水) 22:18:01 ID:7BrWnnCs
好き放題ではないがやりたい放題ではないが、あるものがより高次な目的のために知恵を持って行うならば、大川の愛人との性交渉も、オウムによるポアも許されるということですね。

>「精子を注入する」が重要ポイントだと見るが、
これは重要ポイントじゃないよ。重要ポイントは大川が不邪淫の戒を破っていること。

あと、ファルコンさんがいいの出してくれたよ。でも「愛を増やす聖なる行為」にはワンステップはいるけれど。

391 :ファルコン ◆ejUolgR5L2 :2006/06/28(水) 22:05:01 ID:Y5jOF05F
何故、私の尋問をした富岡無空が、当初
「総裁先生に愛人なんかいるわけ無い。第一、そんな時間的、空間的余裕などあるはず無い」と主張した。
だが、私の報告書を読んだとたん
「総裁先生は、昔ファラオだったんだから、複数のお后がいて当然だ」に変わった。
私の報告に時間的、空間的矛盾が無かったからだ。
この報告書の存在も客観的事実。それを否定するなら、この報告書を具体的に否定して見せよ。

195ジラン:2006/06/28(水) 22:40:12 ID:7BrWnnCs
富岡のはkk的には模範解答なのかもしれないが
その模範解答を会員に公表できずにビューティー問題は嘘だったとする理由は何故だろうね?

というか事実を隠されている信者側から見てどう思うのか?

196青の青:2006/06/28(水) 23:30:16 ID:tCWYIVGw
>>初代氏
伝道の手段として勧誘はある。
信者が増える事が伝道の全てではない。成果の全てではない。

最近はスピリチュアルブームだそうだ、オーラの泉という番組も結構人気が有る様子。
この様に人々の興味関心が霊的なものにシフトしていき、ブームとなることは私は成果だと考える。
今世紀になって唐突に興味を抱くようになったわけではないはずだ。

>KKのいう「備え」とやらは何であったか?

心を見つめ心を正す、結局はこれしかないと思います。
これを多くの人たちに為してもらうために、伝道はあると思います。
それ以外の他団体やら箱物やらは副次的なものと私は思います。

予言が当たっていれば「外れさせるために来た」と言う発言は槍玉に上がると思います。
外れさせる能力を持っていると暗に示している物ですから。

197青の青:2006/06/28(水) 23:42:36 ID:tCWYIVGw
>>194ジラン氏
>重要ポイントは大川が不邪淫の戒を破っていること。

戒律には幸福を押し止めている側面も同時に存在している。
これが端的な回答です。
故に人間は戒律を(正しくですよ)越えて行くべきだと考えます。

>>「総裁先生は、昔ファラオだったんだから、複数のお后がいて当然だ」
>富岡のはkk的には模範解答なのかもしれないが

私は模範だとは思えませんね、過去世は過去世、今世は今世でしょう。

>の模範解答を会員に公表できずにビューティー問題は嘘だったとする理由は何故だろうね?
容易に受け入れられるとは思えないからでしょう。
もしも私が責任ある立場だったら、言えませんよ。

198ジラン:2006/06/29(木) 01:22:47 ID:V0qGczhU
富岡がどういう立場か知っているのか?青氏も随分偉くなたもんだw

大川も麻原も正しく戒律を超えたということだな。

大川の場合、正しく戒律を超えたのに会員には容易に受け入れられるとは思えない。
会員どころか中枢職員の間でもなかった事にしなければならない内容の
どこが幸福を守り幸福を広げていく行為なのか?
そして誰のための幸福なのか?救世主なら自分が気持ちいいセックスをしてそれで幸福ならば世を救えるということなのか?
そして臭い物に蓋をするように事実を否定し嘘をよしとすることが会員の幸福だといいたいのか?

君はただ大川のすることだから無条件に矛盾から目を背け正当化して、かつその行為をネットで世間に晒しているだけだ。

199ジラン:2006/06/29(木) 01:26:37 ID:V0qGczhU
大川が殺人をしても同じことが言えるかもしれない。一昔前だったら大川が不倫をして愛人たちとセックスをしているなどという情報は想像もつかなかった。それが今かなりの信憑性を持って公開された。

そしてなにより君自身がそれを受け入れる方向でいる。事実だとしても自分の信仰が揺れないように、自分にだけ理解できる理屈を作っている。

岡目八目とはよくいったものだが、それが第三者的には、本質的にオウムと変わらない背徳礼賛の思想だということだ。

200ジラン:2006/06/29(木) 01:30:38 ID:V0qGczhU
大川の不倫情報なんてものは、いくら隠しても、
というか先にネットで公開されているのだが、それをなかったことにしようとしても、すぐに伝わってしまうことぐらいわかるだろう。
それを隠そうとする幹部、たとえば富岡がいくらkk的には講師として優秀だとしても、無駄な努力をしている能無しにしか外部には見えない。

201ジラン:2006/06/29(木) 01:52:40 ID:V0qGczhU
正しいという基準が「大川」になっているということは
第三者的に見れば非常に危険だと言える。
いくら青氏が「大人であっても火や刃物を人に向けたりしてはいけない。
しかし医者などであれば火や刃物を向けることが許される。」などと喩えを持ち出しても

これは「大人であっても火や刃物を人に向けたりしてはいけない。
しかし大川であれば火や刃物を向ける、更に人を傷つけることが許される。」に簡単に置き換えられる。

ましてkk的三位一体で仏と僧が一体であれば「kk信者であればであれば火や刃物を向ける、更に人を傷つけることが許される。」になる。
これが「愛大川無罪」ですね。

202AHW:2006/06/29(木) 02:00:04 ID:XclZFWDA
青氏は、元祖「愛kk無罪」論展開者だったからね。

2ちゃんじゃいいじち氏が、愛人関連情報が事実でも自分はやめないが何か?ってこともなげに表明してたから、
もちろん信者間で感じ方はわかれるとは思うけど結構、たいしたことじゃないだろがって連中は多そうだわな。

税金や適法関係の指摘と違ってさ、大川氏個人のプライベートなあれやこれや部分ってのは
ほんとに実証も反証も困難な(証拠確保って意味ね)範疇であるのは間違いない。
写真やビデオ、あるいは直接当事者による証言や告発とかがないと。

そういう実証が出なければ、kk側は永遠に捏造、中傷だからで処理可能(内部向け)だし
万が一実証がでれば、社会の破壊を実行したアレフほどでないにしてもさらに激減するのは間違いない。

203ジラン:2006/06/29(木) 02:17:42 ID:V0qGczhU
kkの理論というのは、一つの事象に対する複数の考えの中から
大川やkkに(最も)都合のいいものを、検証なしで無条件に採用するということです。

中途半端な理屈しかなく、結局「大川やkkの実情がどうであっても自分の信仰心は揺らがない」に行き着くのです。
kk擁護のはずが自分の信仰に摩り替えて一件落着ですw
傍から見ればkk信者個人の信仰など関心ないことなのですが
信者にとっては大宇宙や大川と同じぐらい大切なもので
「信仰揺らがない宣言」をすれば勝利したような気になっている。

kkや大川の実情が一般常識から見て酷ければ酷いほど、傍から見ればkk信者の信仰心が馬鹿げたものと見られるということです。

大川の愛人問題を例に挙げれば、どのような理屈をつけたとしても「kk信者は不倫して、愛人の性器に自分の下半身をおっ起てツッコンでピストン運動している教祖を信仰対象にして、一生懸命信仰宣言してるんだなw」ということになります。

204AHW:2006/06/29(木) 02:20:56 ID:.R1PEN02
ジラン氏が今日の議論の中で逐一強調されてる
「なるほど、それならアレフ麻原と同じなんですな」って部分。

折れの認識だと、kk・アレフに限らず宗教ってもの自体に、
もともとそういう構造というか行動様式が備わっている。
大きな宗教でも小さなのでも伝統宗教や世界的宗教でもそだね。
程度の問題、解釈と運用の問題と言わざるをえんかな。

今世紀でもプロテスタント中心国家アメリカたんは、神の意思を実現しているのだ、と目をらんらんさせて言いながら(陶酔しながら)
戦争をしかけてイラク侵攻、占領し、属国化を行なってる。
その本音はもっといろいろ別にたくさんあっただろうが
これをごり押しするのに宗教信条をたやすくもってくる。

60年前イラク的にも徹底的に惨敗した日本もまた、
高天原の神々の理想なのだとかを掲げながら白VS有色な勝ち目ない戦争を遂行した。

ナチスはニーチェ系影響大だから、超人が神をこえた世界秩序を作ろうと第三帝国を掲げたわな。

例は霧ないのでこのへんにしときますが、
何がいいたいのかというと人間に戦争は切り離せない。
戦争(では虐殺行為が国家装置を通じて正当化されるんだが)と宗教も切ってもきり離せない。
宗教のかわりに思想の場合もあるけど、折れ的にはそういうのみんな宗教だな。

では宗教が不要と思ってるの?と聞かれれば折れは不要とは思わない。
やはり徳性っていうものは涵養されるべきと考える。

205AHW:2006/06/29(木) 02:25:26 ID:.R1PEN02
>>203 ジラン氏
ぁぁ!)せっかくまとめ的な論考が続いてるところ邪魔しちゃったようでスマンです。
雑談スレに戻ります。

206ジラン:2006/06/29(木) 02:32:12 ID:V0qGczhU
AHW氏の言われる「構造というか行動様式」は宗教やイデオロギーにおいて共通はしていますが、反社会性が強くなるほどその傾向が顕著に現れてくるということです。

宗教の持つ徳性と反社会性、全ての宗教が持っていても、その割合が一概に同じだとは言えない。
また他がそうだからkkを「大目に見ろ」というのではkkが自称する救世事業とは程遠いものになってしまうということです。
kkも、kkが批判している(していた)邪教と同じ仲間なんだよ、ということですね。
kkだけが例外で素晴らしいというのはkk信者の思い上がりでしかないということです。

207ジラン:2006/06/29(木) 02:37:34 ID:V0qGczhU
>>205
全然邪魔ではないですよ。
kkが批判している邪教と同じであるが、同じ欠点を持っている、それでもkk信者は自分のところは違う、それどころか最高だと思っている。
そしてkk信者の信仰対象は、不倫して下半身を勃起させてピストン運動しているわけですよ。

208AHW:2006/06/29(木) 02:41:28 ID:.R1PEN02
>>207
>宗教の持つ徳性と反社会性、全ての宗教が持っていても、その割合が一概に同じだとは言えない。

まったく同意です。
だから程度と解釈運用の問題になるだろうって考えてる。

反社会性とは端的にゃ社会破壊行動の顕在化の程度ってことだよね。

kkのみ突出した例外で素晴らしいってのは信仰の世界だかんねw
外から信仰者個人の世界観に介入するのはむづかしい。

209ジラン:2006/06/29(木) 02:49:11 ID:V0qGczhU
kkの客観的現実と信者の妄想とのギャップを明確にすることが大変面白いのです。

AHWさんと話せる機会も今までなかったし、いい機械だと思ってます。

210AHW:2006/06/29(木) 03:04:47 ID:giYt2Vvk
>>207
うぃ。かつて批判した邪教と相似な構造を後からつけたしてくる、
ってのは顕著に感じます。

箱物主義、偶像礼拝の積極的肯定、脱税(節税)志向、布施のどんどん高額?化、先祖供養、教祖身辺の色恋沙汰

>>209
なにしろ一昔前と違って2ちゃんが伸びまくりなので読むだけでお腹いっぱい!!な日が多いす。
たまに名無しでぼそっと書いたりしてますが。

ロム専信者の中には、ファルコン氏活動以降、そのギャップに
たえられなくなった脱落者候補者たんがじわじわ増加してると思われ。

あとは、青氏やいいじち氏のようなそれがなにか?系だろうね。
長期で二極化していくと思われです。

不倫だ愛人をどう考えるかといえば、青氏が展開してる論と似たようなの
昔の霊言集の高橋信次「愛の賛歌」だたっけ?これとかにあった気がする。

高橋ものは「絶対おもしろいから読め」と昔大量にもらった。
たしかにぐいぐい引っ張るようでおもしろかった記憶がある。
既製宗教の概念にとらわれない自由で新しい宗教だとわかるだろ、と彼は強調していたな・・・。
で、方便終わったで、この辺はもう無効な仙人の戯言だったんだよね?w

211AHW:2006/06/29(木) 03:15:04 ID:giYt2Vvk
あとは、いいじちゼロ氏が前から引き合いにだして連呼してる
「光輝く女性のために」って内部講話。

これは内容をぜひ知りたいわなぁ。ヤサ先生概要だけでも原典からうpしてくれんかな?
家庭ユートピアと女性についての保守的な教義を変更したと、
いいじち氏の発言からは類推できるのだが。

>>209 ジラン氏はやはり正体は知的ですよねw

そろそ目開けてられない・・・ぅぅ落ちますスマソ。またいつでも書いてください。

第二はルールとか志向とかいろいろあるから、過激な表現のは弾かれ易いかもですが、
荒らしじゃなければ排除措置とかは無いはずでつんで!!

212初代:2006/06/29(木) 07:02:43 ID:dZT9xaHU
>>196 青の青さんへ

>伝道の手段として勧誘はある。信者が増える事が伝道の全てではない。

そうおっしゃるということは、もちのろん、予言を全面に押し出しての大伝道期の会内の雰囲気というものを御存知の上でですよね?
「人の心からの変革」こそが重要ならば、「入会の勧め」(勧誘〜信者数の増加を追うこと)が活動の中心になることはない。むしろ、主客の転倒に細心の注意が払われなければいけないところ。
熱に浮かされるような名簿提出型の伝道が世紀末を前に確かにあり、そうやって信者数カウントに貢献した者たちは殆ど実質信者として残ってはいないでしょう。それが、「「信者数1000万人」がハリボテだったことは、信者サイドとて認められますよね?」と書いた意味です。

>成果の全てではない。

信者数の話とは別に、その「成果」として見るべきものの例として、「反として「講談社」「創価学会」「核兵器」等、正として「三塚博」「国内外伝道と拠点作り」等」を挙げているのですが、コメントなしですか?

>最近はスピリチュアルブームだそうだ、オーラの泉という番組も結構人気が有る様子。この様に人々の興味関心が霊的なものにシフトしていき、ブームとなることは私は成果だと考える。今世紀になって唐突に興味を抱くようになったわけではないはずだ。

そもそもKK予言は、前世紀末を期限とした悪想念の除去、精神的価値への転換をということだったわけで、今に至る緩やかで狭いブームなんぞどうでもええよ。

>>KKのいう「備え」とやらは何であったか?

>心を見つめ心を正す、結局はこれしかないと思います。これを多くの人たちに為してもらうために、伝道はあると思います。それ以外の他団体やら箱物やらは副次的なものと私は思います。

でしょ。
なので上記に戻る。

>予言が当たっていれば「外れさせるために来た」と言う発言は槍玉に上がると思います。外れさせる能力を持っていると暗に示している物ですから。

違うと書いたでしょ。
成果があった場合のみ外れてよし。
成果がなければ当たっていなければならない。

213IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/06/29(木) 15:12:57 ID:Ty8QKNKU
エートス氏

>わたしはこの世界を自分はどう解釈するのか常に迷っているのですよ。泳いでいるのではなくて溺れているんです。w

かつて投稿した内容を再掲します。

参考: ルドルフ。シュタイナーの七つの世界観と精神十二宮

○七つの世界観          ○三つのトーン(または四つ)
グノーシス   土星       
論理主義    木星        太陽  有神論
主意主義    火星        月   直観主義
経験論     太陽        地球  自然主義、派生=>擬人論
神秘主義    金星
先験論     水星
オカルト主義  月   


観念論   白羊宮 おひつじ座
合理主義  金牛宮 おうし座
数理論   双子宮 双子座
唯物論   巨蟹宮 かに座
感覚論   獅子宮 獅子座
現象論   処女宮 乙女座
実在論   天秤宮 天秤座
力本論   天蠍宮 さそり座
単子論   人馬宮 射手座
唯霊論   磨  宮 山羊座
神霊主義  宝瓶宮 水瓶座
心魂論   双魚宮 魚座

12+7=19+3=22+1=23 で 23の世界観をもつことが正しいと R・シュタイナーはいっておりますね。
また、シュタイナーはヘーゲルは観念論の星座における論理主義(木星)でフィヒテは心魂論の星座において論理主義、
ショーペンハウアーは心魂論の星座(魚座)における主意主義(火星)、ハマーリングの「意志の原始論」は主意主義の単子(モナド)論だなどといってます。

三つまたは四つのトーンで七つの惑星に一つづつのって12宮をとうして世界をみてみると世界の実相がわかるかもしれません。
しかし素人にとって非常な労力をようするでしょう。

「星と人間」 精神科学と天体  シュタイナー著 西川高範訳 風濤社

214主管理人の黒田★:2006/06/29(木) 15:41:40 ID:Ty8QKNKU
>>213

ついでにいうと

KKは 太陽のトーンで金星でしょうか。偶然の符合であろうかおそろしス。

215青の青:2006/06/29(木) 21:56:37 ID:t.sqro2I
>>初代氏
10次元レベルで執り行われる「法則」。
これを作用させるのが悪想念、集合想念と言ったほうが正確でしょうか、
そしてこれが3次元に現出するには時間がかかる。
タイムラグがあるものなのだから、「どうでもええよ」と言って切り捨てるのは暴論です。
ブームが起これるということは、それを受け入れるだけの素地が出来上がっていたからのはずです。

216初代:2006/06/29(木) 22:25:26 ID:deYrkneA
>>215 青の青さんへ

余命幾ばくもないとのこと、取り急ぎ。

>これを作用させるのが悪想念、集合想念と言ったほうが正確でしょうか…

もちろん、そのように理解していますよ。

>…そしてこれが3次元に現出するには時間がかかる。

なら、何故「前世紀末」という時期を特定明言したのか…と。

>タイムラグがあるものなのだから…

なら、当然そのタイムラグを予言内容に含ませていなくてはならなかったはずでしょ。

>…「どうでもええよ」と言って切り捨てるのは暴論です。ブームが起これるということは、それを受け入れるだけの素地が出来上がっていたからのはずです。

だからね、くどいようですが「前世紀末まで」の話ですので。

それから、霊能ブームですか…そんなもん、周期的にやって来るもんですやん。今までもそう、そしてこれからも…。

217IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/06/29(木) 22:56:24 ID:6LeJXL4U
>>215-216

タイムラグのことなら

春分点が一つのハウス(天宮)を通過するのに2150年だからキリスト生誕をかりに0年なら1999年じゃなくて1900〜2050年の幅があってもいい鴨。
俺的にはWWⅠから原爆投下までが世紀末。1999年にまつわる精神世界・オカルト本といえば ノストラダムスとエドガー・ケイシーかな。

218青の青:2006/06/29(木) 23:05:32 ID:t.sqro2I
>>216初代氏
話がかみ合いませんね、前世紀末に?創価が消え、講談社が消え、核兵器が消え、三塚氏が総理になり、国内外伝道と拠点が次々・・・
こういう『予言』だったのですか?方針ではなく?

>前世紀末を期限とした悪想念の除去、精神的価値への転換

このように書いていらっしゃいましたが?

219初代:2006/06/29(木) 23:25:32 ID:Ix3jC/uQ
>>218 青の青さんへ

>前世紀末に?

ピークが来ると。

>創価が消え、講談社が消え、核兵器が消え、三塚氏が総理になり、国内外伝道と拠点が次々・・・

別に100%成らなくてもいいけど、少しくらいは…ね。

>こういう『予言』だったのですか?方針ではなく?

ですから、1999年をピークとした災厄の予言、そして軽減(回避)のための方針ってことでしょ。

>>前世紀末を期限とした悪想念の除去、精神的価値への転換

>このように書いていらっしゃいましたが?

はい。
で、それが成ったとでも?

220IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/06/29(木) 23:33:27 ID:6LeJXL4U
いやぁぁ、ノストラ映画のポールシフトやバンアレン帯がこわれえ放射線がふりそそぐとか恐怖でした!
赤い夕日や月をみるとドキッとしませんでしたか? w

221IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/06/29(木) 23:35:35 ID:6LeJXL4U
>>220


ちなみに、私の信仰心で隕石をエルカンファイトで真っ二つに割るのは無理とおもってました!

222青の青:2006/06/29(木) 23:58:58 ID:t.sqro2I
>>219初代氏
>はい。
>で、それが成ったとでも?

悪想念の総量と集合想念の方向性、それをハイどうぞ、とは出来ませんからね。
しかし、それが現象化するのはこれからなんですから。
それに、「このまま行けば」ですからね、このまま行けば悪想念がデッドラインを越えるってことでしょう。
それとも、猶予期限でもあるのかな?グラフでも書きたいね・・・

223青の青:2006/06/30(金) 00:03:09 ID:JneEv8AE
>>220IAOO,KK氏
ポールシフトとか、むしろ期待してた私はダメダメですかね、やっぱり。

224IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/06/30(金) 00:11:35 ID:HHggHFt6
>>223

怖いものみたさはあるでしょう。
そうしたものを経験して心ある文明がひらけていくならいいんじゃないでしょうか。
天変地異を経験して人類が環境破壊をやめ、神と自然と人を愛せるようになれば何億人死のうがそれでいいっす。

225初代:2006/06/30(金) 03:27:42 ID:34ZvLgIE
>>222-224

もう、死んじゃったかな…。

青の青さんへ
>悪想念の総量と集合想念の方向性、それをハイどうぞ、とは出来ませんからね。

あのさぁ、地球規模の災厄が迫っているって話でしたからね、1999年を前に世の価値観が劇的に転換していなきゃダメなわけ。
「ホラ見てご覧」って誰の目にも明らかに分かるくらいにね。

>しかし、それが現象化するのはこれからなんですから。

またか…「これから」じゃなくて、「1999年まで」の話をしてる。

>それに、「このまま行けば」ですからね、このまま行けば悪想念がデッドラインを越えるってことでしょう。

だ・か・ら、そのまま行ったのに何も起こらなかったのは何故ですか? と訊いている。

>それとも、猶予期限でもあるのかな?

1999年だったでしょ。

>ポールシフトとか、むしろ期待してた私はダメダメですかね、やっぱり。

それがちっともダメダメじゃないのよね。↓

黒田さんへ
>そうしたものを経験して心ある文明がひらけていくならいいんじゃないでしょうか。天変地異を経験して人類が環境破壊をやめ、神と自然と人を愛せるようになれば何億人死のうがそれでいいっす。

正にそれが、KKが予言を絡めて主張していたこと。
◆JBLさんなんかも指摘されていましたが、輝ける未来の前の災厄ってシナリオだったからね、つまり予言の外れは喜ばしいことでも何でもない。
予言も外れ、価値転換も起きずってことですから。

226青の青:2006/06/30(金) 05:40:07 ID:JneEv8AE
>>初代氏
>>1999年を前に世の価値観が劇的に転換していなきゃダメなわけ。
何故でしょう?前世紀中に理想社会が出来ないといけないと言っている様にも見えますが?
集合想念の指向性を考えに入れて欲しい。
悪想念の増大傾向が減少に転じるだけでも回避できたのではないでしょうか?

>◆JBLさんなんかも指摘されていましたが、輝ける未来の前の災厄ってシナリオだったからね、つまり予言の外れは喜ばしいことでも何でもない。
>予言も外れ、価値転換も起きずってことですから。
価値転換が起きずということは、現在も悪想念が増え続けているということになりませんか?増えているのですか?
どの書籍か忘れましたが、あの世を信じる人が7割ほどに増えたと言う話があったはずです、これなども価値転換と言えると思います。

227初代:2006/06/30(金) 07:31:06 ID:AJJCBvwE
>>226 青の青さんへ

>前世紀中に理想社会が出来ないといけないと言っている様にも見えますが?

そもそも、そういう予言の内容ではありませんでしたし、私の趣旨もそうではありませんよ。

>悪想念の増大傾向が減少に転じるだけでも回避できたのではないでしょうか?

あのね、例えば蛇口から流れ出る水量が絞れたとして、溢れかけている風呂釜は、相変わらず溢れに向かっているでしょ。

>価値転換が起きずということは、現在も悪想念が増え続けているということになりませんか?増えているのですか?

増でも減でも結構ですが…。
上記のように、じゃあ“溜まっていた”分は何処へ行った? ということよ。

>どの書籍か忘れましたが、あの世を信じる人が7割ほどに増えたと言う話があったはずです、これなども価値転換と言えると思います。

ソースは総裁の法話ですかね。
私は、1999年を前に世界の宗教(精神的信条)勢力地図に激変があったことに気付きませんでしたよ。例えばそうですね、クリスチャンの殆どは元々「天国」を信じていただろうし…。
出来れば、統計的資料を示して頂ければと思う。1999年に向かって、「あの世を信じる人の割合」の“変遷”について。

228IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/06/30(金) 16:07:48 ID:qZp.nKCM
参考 :ノストラダムスの新予言 
     第3章 黙示録ヨハネの霊訓
     5 現代の日本に出した三如来、次には日本神道系からも

 【要約】

 1900年以降、日本に三人の如来を生み出した。谷口雅春、高橋信次、大川隆法。
 2020年日本神道系から法を継ぐ如来が現れる。
 
 以上要約。

******

 谷口雅春、高橋信次 は 現在KK教義では 如来と見なされいないで間違いないですか?
 しかし、KK的に痛いとこですな。黙示録のヨハネ(たしか如来格だったはず)に語らせてコレですから。

229ことりん:2006/07/02(日) 16:23:32 ID:DTon0sds
あの世でも出世街道があって、上がり下がりされているのかも?(笑)

230ヒロ:2006/07/03(月) 00:49:19 ID:7FVxu0Q2
>KK的に痛いとこですな。黙示録のヨハネ(たしか如来格だったはず)に語らせてコレですから。

痛いなぁ〜確かに激痛かもw。
ちなみに昨今の大雨のせいか、不思議な夢を見ました。
電車で旅に出ていると、大雨が降ってきてドンドン水嵩が増して、
電車の窓まで水嵩が濁流の様に流れ込んで来るのですw。

三次元的な夢である事を祈ります。

231初代:2006/07/04(火) 06:42:55 ID:vRzCIMYU
>>229 ことりんさんへ
>あの世でも出世街道があって、上がり下がりされているのかも?(笑)

マジ、教義知らんのか?
一旦上がったが下がったって話じゃない。
上がってたってのがウソで、実際そこには居なかったって話。
笑ごっちゃないよ。

232ことりん:2006/07/04(火) 22:45:50 ID:OKcLGBEA
>>231
はじめまして?

こんな教義?知りません。

だって、私、天上界へ帰って、見てきた者じゃありませんもの。
それが、本当かどうかは、主がちゃんと話してくださるんでしょ?

霊能者があの世を見てきてもあやふやな点が多いのは、
たえず、変化しているからですわ。
あっちは、三次元じゃないんですもの。

過去も現在も未来も一緒ですもん。
その上、魂の次元移動があるからいちいち
そんな些細な細かいことまで
三次元の本にする必要がないから
省略されているんじゃないかな?と
思っています。

233IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/07/05(水) 01:11:06 ID:WAA6A1m2
>>232

ヨハネの黙示録は1986年の8月14日、初版が1988年の6月20日。
わたしのもってるノス新予言は19刷で1990年です。1981年3月23日啓示をうけてから8,9年の出版やね。

旧版黄金の法には谷口雅春はイザナギノミコトでプロティノス如来界上段界の人であると。高橋信次は9次元霊アール・エル・ランティであると。
新版の黄金の法に何と書いてありますか?

>それが、本当かどうかは、主がちゃんと話してくださるんでしょ?

話したね。今資料を確認してない。

>霊能者があの世を見てきてもあやふやな点が多いのは、
>たえず、変化しているからですわ。
>あっちは、三次元じゃないんですもの。

パラレルワールドの話をもちこまないかぎりは過去は変わらない。
過去をサイコメトリーする霊のレベル次第。
8次元如来界のはずのあの有名なキリスト弟子のヨハネが現代人のために預言をおろすのに霊視をまちかったのだろうか!?
それと大川総裁の恣意が混じった結果なのでしょうか!
どちらにしろ総裁の霊言の信憑性が疑われるのです。

>過去も現在も未来も一緒ですもん。

過去世認定の話です。不確定の未来の話や現在のではありません。

>その上、魂の次元移動があるからいちいち
>そんな些細な細かいことまで
>三次元の本にする必要がないから
>省略されているんじゃないかな?と
>思っています。

省略されるようなどうでもいいことではありません。
KKは本来霊人の霊言を世にだすことによってはじまっているの。
あの世の実在の証明がいい加減でいいわけないです。総裁と総裁の説く教えへの信頼性が問題になるの。
エル・カンターレ本体の下生にしては頼りないじゃない?
霊人が言いたいままにいわせたと総裁はおっしゃるけれども、すぐさま修正入れろよと。
後からいうと「なんだってぇぇぇ?」てなるだろうが!
仙人に如来のアメノミナカヌシが光一元を説いていいわけね。ひょっとしてアメノミナカヌシも裏ですかと。
まぁ今から考えても谷口雅春は裏的かもしれん。人間は肉体にあらず、本来悪なし、病なしっていうのだから。
アンチ的な見方をすれば収入源としての元成長の家や元GLAの信者を引き留めておくための初期KK教義だったのかとおもってしまうのね。

234初代:2006/07/05(水) 07:03:18 ID:l99CYVRM
>>232 ことりんさんへ
>こんな教義?知りません。

あなたは信者でありながら、書籍(経典)も読んでいないし、講演(法話)も聴いていないということでしょうか?

>だって、私、天上界へ帰って、見てきた者じゃありませんもの。

総裁の話を見て確認して来た人なんて、一人もいないよ。

>それが、本当かどうかは、主がちゃんと話してくださるんでしょ?

だ・か・ら、「書籍(経典)も読んでいないし、講演(法話)も聴いていないということでしょうか?」と言わせてもらっている。
嘗て「如来だ」と話し、その後「如来ではない」と話しているでしょ。

>霊能者があの世を見てきてもあやふやな点が多いのは、たえず、変化しているからですわ。

あの世で状況が変わったって話ではなく、前言撤回のケースやって言ってるやろ。
解らんやっちゃなー。

>魂の次元移動があるからいちいちそんな些細な細かいことまで三次元の本にする必要がないから省略されているんじゃないかな?と思っています。

「些細」ではないし、「省略」を持ち出してフォロー出来るレベルの問題じゃない。

あなたも、頭整理した方がいい。
擁護するにしても、独自解釈の癖はよくないよとアドバイスしておく。
まあ、ネット系信者全般の特徴ではあるんだけどね。
語るなら、それこそ細心の注意を払うべし!

235ことりん:2006/07/05(水) 13:33:41 ID:XQlWcT/Q
>>234
>あなたは信者でありながら、書籍(経典)も読んでいないし、
>講演(法話)も聴いていないということでしょうか?

そうですね。初代さんのように総てを網羅していないのは事実です♪
まだまだ、初代さんの努力から比べたら、
生まれたてのひよこのような勉強です。

けれど、主の擁護より、なんでそういう思考になるのかな?
と、疑問だらけなの〜教えてください。と思うのですわ。

霊言集は、主の肉体をお借りしてあの世の方々が
自由に発言なさったと教えてもらっています。
これは、違うのでしょうか?

数十人の人格で話され本になっています。
これも一人の人間としての才能として
片付いてしまうのでしょうか?
疑問だらけです。
教えてください♪

236ことりん:2006/07/05(水) 13:43:46 ID:XQlWcT/Q
>>233
>アンチ的な見方をすれば収入源としての元成長の家や
>元GLAの信者を引き留めておくための初期KK教義だったのかと
>おもってしまうのね。

私の生活圏にGLAという団体さんがないので
あまり理解が乏しいです。

よい方向に解釈しすぎといわれるかもしれませんが、
その当時に集まった方々が希望する願う事だったので、
主の肉体をお借りして話されたのでは?とおもっています。

お金儲けのためにしたのならなぜ否定せずにそのままにしておかなかったのかな?

237IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/07/05(水) 13:44:54 ID:bMpKQ28M
>>234
>>仙人に如来のアメノミナカヌシが光一元を説いていいわけね。ひょっとしてアメノミナカヌシも裏ですかと。

これは生前の谷口氏に成長の家の大神(=KKでは天之御中主神)が指導していたということで前世仙人である谷口氏に
如来である天之御中主神が指導していたということで、それは如来である天之御中主神も裏であったのですかということです。

ま、これは谷口氏の過去世がアーラーラ・カーラマだったかサンジャヤ・ベーラッティプッタだったかと聞いていたのでそういっています。
原典にあたれないので正確ではありません。ただ谷口氏に関しては如来から梵天に訂正されたと2chの過去ログにありましたけれども。

238IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/07/05(水) 18:06:46 ID:8xlWm2dg
>>237

>これは谷口氏の過去世がアーラーラ・カーラマ

2chの傍観者によればアラーラ・カーラマの弟子が園頭氏であるということです。
だったら高橋信次がアラーラ・カーラマなんでしょう。

さて、新・黄金の法では谷口雅春はイザナギノミコトになっておりました。
ではのこるは谷口氏の過去世はサンジャヤ・ベーラッティプッタの件はこれはガセネタだったのでしょうか!?
当方で資料確認を進めさせて頂きます。(´Д`;)

239エートス:2006/07/05(水) 19:41:32 ID:pHGu3eow
>>236
ことりん氏

>霊言集は、主の肉体をお借りしてあの世の方々が
自由に発言なさったと教えてもらっています。
これは、違うのでしょうか?

>数十人の人格で話され本になっています。
これも一人の人間としての才能として
片付いてしまうのでしょうか?
疑問だらけです。

わたしは霊言集については詳しくはないのですが、問題になっているのは、その内容がある時期を境に変わったことであって、自由に発言なさったとか、多くの人格で話しているということではないと思うんですが。

で、変わったことについての明確な説明がなされていないので、結局いろいろな意味で怪しいということになってるんじゃないですか? その上、説明できる唯一の人が生きているわけで。

初代氏が追求されている予言に関しても、内部的に説明があればいいと信者さんは言うかもしれないが、一般に向けて出された出版物の内容にかかわることだし、出しっ放し言いっぱなしでは「義の無いところに信立たず」ではないでしょうか。

240エートス:2006/07/05(水) 20:09:27 ID:pHGu3eow
>>213
IAOO.KK師
レスおくれて申し訳ない。ありがとうございました。

>三つまたは四つのトーンで七つの惑星に一つづつのって12宮をとうして世界をみてみると世界の実相がわかるかもしれません。しかし素人にとって非常な労力をようするでしょう。

確かにそれぞれの主義あるいは思想の観点を理解するだけでも大変でしょうね。こうした23の世界観を持つことが正しいということは、正しい見方は存在しないという同義語に思えますね。

ちょっとお聞きしたいのですが、このなかに含まれていない主義は_例えば構造主義_なんどは必要ないということで排除されているんでしょうか。

241IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/07/05(水) 22:22:59 ID:8xlWm2dg
>ちょっとお聞きしたいのですが、このなかに含まれていない主義は_例えば構造主義_なんどは必要ないということで排除されているんでしょうか。

排除することないとおもいますよ。どれかにあてはめればいいのじゃないでしょうか。
構造主義を適用しようする人の精神的気質(7つの惑星、太陽、月も含む)と外界にたいするものの見方(12宮)・対象の扱い方できまってくるとおもいます。

構造主義というのはわたしの理解からいえばパソコンソフトウェアをつくるときにオブジェクト指向でUML図を書くようなものです。
このようなものを書こうとする動機や事象のとらえかたをふりかえってみれば適用されてくる世界観もきまってくるとおもいます。
構造主義もものごとに原型のようなものがあってそれをみつけ原型と個々のもの関係位置づけて個々のものを理解しようというのですから
少なくとも原型があるのだと想定していることになります。これによってあるていど世界観がしぼりこまれるのではないでしょうか。
しかしまた、原型をどのようにとらえるのかによって世界観もきまってくるし、個々の事柄に優位性を付与しているのなら別の世界観になってくるでしょう。


わたしは構造主義をとらえるなら 神秘主義->合理主義 か 経験論->実在論 か 論理主義−現象論 か 主意主義−>観念論 など
まだあるかもしれませんがこんなふうjに複数のニュアンスが考えられるのかなと。


構造主義
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A7%8B%E9%80%A0%E4%B8%BB%E7%BE%A9

242IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/07/06(木) 00:20:39 ID:ROPNAQJE
>>240

>確かにそれぞれの主義あるいは思想の観点を理解するだけでも大変でしょうね。
こうした23の世界観を持つことが正しいということは、正しい見方は存在しないという同義語に思えますね

通常の人間は包括的なものの見方はしていないということで、そのような見方ができるほどには進化していないということじゃないでしょうか。
人間やその構成要素その他あらゆるものが7つの特質に色つけられているのである限定的な範囲内でしか包括的な見方はできないようになっているんでしょう。
もっともよいのは自分の特質を見極めそれを活かすということ、そして特質により長所と短所があるので短所を修正してバランスをとるようにと指導されておりますね。

243AHW:2006/07/06(木) 09:00:52 ID:LOJZd7RM
>>237-238 黒田氏
アーララネーカマってのは、大川方便修正理論では、たしか生前の高橋氏を
指導してた指導霊の正体ってことだった記憶が。
生前の釈迦をよく見ていた仙人たんなので、釈迦のふりをして生前の高橋を
いかにもそれらしく指導できた、とかなんとか?

谷口氏は「格落としの刑」には遭ったが、前世とかは変わってないんじゃなかったけ?
谷口が仙人かもってのは初耳w

244エートス:2006/07/06(木) 22:45:13 ID:z97UV8HM
>>241
IAOO.kk師
神智学のときは先生ね。

>排除することないとおもいますよ。どれかにあてはめればいいのじゃないでしょうか。
構造主義を適用しようする人の精神的気質(7つの惑星、太陽、月も含む)と外界にたいするものの見方(12宮)・対象の扱い方できまってくるとおもいます。

なるほど、こうやって応用するのね。構造主義はなんだろうね、わたしから見ると否定的意味論だから直観主義ー現象論あたりかな。

>もっともよいのは自分の特質を見極めそれを活かすということ、そして特質により長所と短所があるので短所を修正してバランスをとるようにと指導されておりますね。

特質を見極めるための象徴的モデルの提示としごくマトモな指導。ベイリーその指導者の一人なんでしょ。なんでヤサ氏は粗大ゴミだせって目の敵にするんだろう。ところでシュタイナーってKK的にはどんな人なんですか?

245エートス:2006/07/06(木) 23:36:48 ID:z97UV8HM
>>244
AHW氏
>谷口氏は「格落としの刑」には遭ったが、前世とかは変わってないんじゃなかったけ?
谷口が仙人かもってのは初耳w

この谷口氏の過去を語ったのは黙示録のヨハネということがわかりました。それで黙示録のヨハネはキリストの弟子、すなわち使徒とされていたらしいですね。

しかし黙示録の成立年代から、黙示録のヨハネと使徒ヨハネは同じ人ではないはずなんだけど。福音書作者ももちろん別人。なんか良く分からないですね。

246IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/07/07(金) 08:14:12 ID:rQxRsOBo
>ところでシュタイナーってKK的にはどんな人なんですか?

アカシャ年代記よりを書いてKK初期にでていた霊格一覧表には黙示録のヨハネと同じランク8次元だったはず。
とうとうKKの霊言、霊示集にはでてこんかった。総裁にしてみれはあまりだしたくないのだろうとおもいます。
もう初期KK並かそれ以上の学徒、学僧系の信者じゃないとついてこれかもしれない。
総裁が紹介した頭がよくなる瞑想で今日起こったことを逆に思い出してみるというのはシュタイナーがいってることです。

247ヒロ:2006/07/07(金) 08:21:01 ID:fKTxmadk
混乱しとるな〜w

アーラーラ・カーラマは北一輝や三国志時代の裏道教のオジサンだろ?

谷口雅春氏は哲学者プロフィノスでは無かったか?何時から仙人に変化
したんだ〜w?

それに、黙示録のヨハネと福音書のヨハネは別人。
講義で総裁(当時主宰)先生が訂正しているw。

ま、外部のデマゴーグはこんなもんというのが如実に出てるね…。

248IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/07/07(金) 09:09:43 ID:rQxRsOBo
>>244

>ベイリーその指導者の一人なんでしょ。なんでヤサ氏は粗大ゴミだせって目の敵にするんだろう。

KK的には裏とされる占星学、魔術、ヨーガなど密教知識が豊富なのでそれも理由ですし、心の教えを忘れてそのようなものに凝るのは危険だからなんでしょう。
しかし、ちゃんと読むなら無我、奉仕、愛の大切さはきちんととかれているんです。
なおかつ、これに関してはキリストの再臨にむけての人類の準備を整えるそのための秘教知識の普及や奉仕団体の創出の役割を担ってます。
KK本では「あなたがたがキリストの再誕の予言をのこしていくんです」とかいっていますが仕事として先に着手してるのはA・ベイリーやルドルフ・シュタイナーなんです。
ただ、キリストの再臨については神智学の世界ではひと悶着あったようですが。
ベンジャミン・クレームはキリストはもう地上にきておられるとかいって…キリストがアフリカ人や白人や黒人に変身できるんですね。
イエスがキリスト(マイトレーヤー・弥勒・世界教師)と一緒に子供に化けたりしてます。ちょっと信じられませんけど。


ルドルフ・シュタイナー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%BC

秘教学徒の部屋
http://hikyogakuto.com/

249ことりん:2006/07/07(金) 13:33:07 ID:cyKo2PTs
>>239
レスありがとうございます♪

>問題になっているのは、その内容がある時期を境に変わったこと

御本人がおられるから、こんなところであ〜だこ〜だというより
手紙にでも「質問〜♪」ってかいて、
リバティー編集部経由にでも問うたらいいんじゃないかしら?
納得のいく答えを主・御本人から、代理サンたちを使ってでも
教えてくださるわ。
聴きにいくという行動を取られたいいのにとおもうのです。
ちゃんと答えてくださいます。

250エートス:2006/07/08(土) 00:19:42 ID:Mq7FaevA
>>249
ことりん氏
>御本人がおられるから、こんなところであ〜だこ〜だというより
手紙にでも「質問〜♪」ってかいて、
リバティー編集部経由にでも問うたらいいんじゃないかしら?
納得のいく答えを主・御本人から、代理サンたちを使ってでも
教えてくださるわ。
聴きにいくという行動を取られたいいのにとおもうのです。
ちゃんと答えてくださいます。

あなたがた信者さんは伝道ということを非常に尊い使命だとお考えですよね。で、ネットに書かれる信者さんもKKとはいかなるものかというのを伝えたいというモチベーションがあるわけで、だからこそ信仰告白をしてネットに書かれるわけだ。

とすれば、私のような一般人が分からないから教えてほしいと言ったら、リバティー編集部に聞いてくださいということにはならないと思いますが。また初代氏は公式見解を確かめてくださいとこれまで何度もお願いしてきているはずです。

またこうした言い方はあなたの先に書かれた以下の疑問にも当てはまりますよ。

>霊言集は、主の肉体をお借りしてあの世の方々が
自由に発言なさったと教えてもらっています。
これは、違うのでしょうか?

>数十人の人格で話され本になっています。
これも一人の人間としての才能として
片付いてしまうのでしょうか?
疑問だらけです。

疑問だらけなら、リバティー編集部経由なりで「こんな話が出ているんですが本当のところはどうなんでしょうか」とかお聞きになって、まあできれば結果をご報告いただきたいところです。

251エートス:2006/07/08(土) 00:28:32 ID:Mq7FaevA
>>247
ヒロ氏
>それに、黙示録のヨハネと福音書のヨハネは別人。
講義で総裁(当時主宰)先生が訂正しているw。

どうもどうもお久しぶりです。わたしQ資料に関心があってチョコチョコ本を読んでるんですが、別人ということで了解です。で、も少しお聞きしたいのだが、黙示録のヨハネと福音書のヨハネとついでに使徒ヨハネのKKでの人物評というか位置付けというか、それはどう整理されているんでしょうか。

252ことりん:2006/07/08(土) 01:31:09 ID:Mr8XtmZc
>>250

>私のような一般人が分からないから教えてほしいと言ったら、
>リバティー編集部に聞いてくださいということにはならないと
>思いますが。また初代氏は公式見解を確かめてくださいと
>これまで何度もお願いしてきているはずです。

そうですね。私からみたら素直に信じているものなので
なんで、そんなに疑問におもうのかしら?と
その疑問に質問したくなるんですわ。

初代氏にしても一般の方にしても、
こんな狭い世界のそれもKK世界の一部の会員さんたちに
聴いても同じ答えが返ってきたと思いますわ。

だって、ネットで真剣に伝道しようとおもっている会員は少ないですわ。
私は、ネットで伝道しようとおもっていませんから。
私が知っている範囲であれば、書き込みしますが、
知らないことは知らないと正直にカキコしています。
それを無知と罵られても、まだ、不勉強ですみませんと
反省しています。

だけど、、真剣に信実を知りたいとおもうならば、
「リアル世界のところで自らお調べください。場所はここです」と
書きこしているのですわ。
あそこは、かならず、答えてくださいますもの。
一般の人に理解していただけれるように伝える場所なのですから。

肉体には魂が入っています。そして、あの世に帰った人たちの
思いを伝えようとするためには、この世の肉体を使わないと
伝えられません。
だから、霊能者は、あの世の者が思い残した言葉を伝える仕事もします。

その肉体だけをみて 「その人がうそを言った」と
言われてもその肉体の本当の魂が嘘を
言ったことにならないと私はそう信じているのですわ。

魂の存在を信じていない人からみたら
肉体も魂も一緒に思ってしまうのでしょうか?

自由に話をさせた代償は、今償われていると思っていますわ。

それに、あの世の霊人方々の間違いに突っ込みをいれるほど、
私はまだまだ不勉強なので恐ろしくってできませんわ。

彼らのような人生をいっぺん体験してみたら?っていわれそうですもの。
「パッション」って映画をみて「無理!!!」って
涙を流してしまったひ弱なことりんですから。

253ことりん:2006/07/08(土) 01:44:05 ID:Mr8XtmZc
>>250 追加
・霊言集は、「数十人の高級諸霊が主の肉体をお借りして
レベルに関係なく自由に発言なされている。」と教えてもらっています。

私は、これは本当だとおもっているけれど、
ここのBBSでは、初代氏や一般の方々は違うといわれたので
どうしてそう考えるのかな?
教えて欲しいと質問したのですわ。

254初代:2006/07/08(土) 07:00:42 ID:ceOVT4UA
>>250 エートスさんへ

代弁して頂いた形になりましたね、ありがとう。

>分からないから教えてほしいと言ったら、リバティー編集部に聞いてくださいということにはならないと思いますが。…リバティー編集部経由なりで「こんな話が出ているんですが本当のところはどうなんでしょうか」とかお聞きになって、まあできれば結果をご報告いただきたいところです。

そういうことです。

>>252-253 ことりんさんへ
>あそこは、かならず、答えてくださいますもの。一般の人に理解していただけれるように伝える場所なのですから。

エートスさんが代弁してくれた通りです。
「必ず」とおっしゃるなら、あなたが聞いて報告してくださればいい。
こちらは「答えはしないよ」と思っているわけですから、それごと否定して頂ければ、更にインパクトありなわけで。

>霊言集は、「数十人の高級諸霊が主の肉体をお借りしてレベルに関係なく自由に発言なされている。」と教えてもらっています。私は、これは本当だとおもっているけれど、ここのBBSでは、初代氏や一般の方々は違うといわれたので…

その公式見解については、もちろん知っておりますよ。
それで私についていえば、その前提を一旦認めて議論しても構わないという立場を採っています。

>どうしてそう考えるのかな?

言葉だけではなく、本当に理解したいというのなら、コレ(↓)ぐらいは最低読み切ってくださいよね。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/6228/1119480892/210-368

>教えて欲しいと質問したのですわ。

こちらは答え(応え)ましたよ。
あなたも、リバティー編集部への問い合わせとその結果報告、こちらのBBSへ“必ず”入れてください。

255現役信者:2006/07/08(土) 10:49:04 ID:e9lBmgVk
ことりんさんへ

初代氏との問答は控えたほうが宜しいかなと思います。
私たち信者が公式見解を聞いて、こちらのBBSで報告をすると言う義理は何もございません。

何度も書いている通り、会の中では講義等で教義の成り立ちについては伺っております。
それを書き込むのは在家信者としては慎んだほうが宜しいかと思います。
それで宜しいと、初代氏も語っているので立場的にはすっきりするですね。
全国津々浦々に展開する精舎等で拝聴できる御法話の中に、当時の経緯や、どういった事が実際にはあったかなど、色々お話しくださっていますが、こちらで書き込むという事は控えたほうが宜しいでしょう。
そういった義理も何も無いんですから。


皆様へ
私は公私共に本当に忙しくて、掲示板等に書き込みをするということが出来ません。
店舗も順調に増え、従業員も増え、発展の度合いを強めています。
ススキのおっさんがなにやら訳の分からないことをほざいていますが、私に限っては信仰が揺らぐことは一切無く、一生涯懸けて信仰を貫く所存です。

256ことりん:2006/07/08(土) 21:20:06 ID:Mr8XtmZc
>>254
初代さんは、私があなたの疑問の代理人として聞いてきてといわれているのですが、ご自分でされるのが怖いのですか?
何をおそれているのでしょうか?

私は自分の疑問があれば、直接・主に問うて答えていただいています。
速攻で答えてくださいます。
中には時間をかけて教えてくださることがありますが、
かならず答えてくださいます。

素直に聴くだけ、ただそれだけですわ。

>>255
現役信者さん、だれもあえてしないので答えました。
彼らの求めに私になりに答えました。
あとは、彼らが判断し行動されるのみですわ。
私は、行動しました。

こけることもつまずくことも墓穴することも
いしなげられることもひなんうけることも
いろいろありました。
けれど、すべて大切な経験です。

忙しさの中にゆとりを持つ姿勢が大事と言われました。
自分でゆとりを持っていかないと周囲はついていけません。
忙しいとかたずけるのは、余裕のない証拠と判断されますわ。

私もこの間、短距離ランナーの仕事をやめました。
この人生の終わりまで長距離ランナーでありたいと目標をもっています。
お互い頑張りましょう。

257エートス:2006/07/08(土) 22:16:39 ID:Mq7FaevA
>>256
ことりん氏
>初代さんは、私があなたの疑問の代理人として聞いてきてといわれているのですが、ご自分でされるのが怖いのですか?
何をおそれているのでしょうか?

おそれるの何のという感情にかかわる言葉がどこから出てきたかは分かりかねますが、
そういうことではないんですよ。

>私は自分の疑問があれば、直接・主に問うて答えていただいています。
速攻で答えてくださいます。
中には時間をかけて教えてくださることがありますが、
かならず答えてくださいます。

初代氏の方法論が文献学的ということは分かりますか?これまでKKから公式に提示された
資料を基本として、それに信者さんその他から提供される内部的な資料を2次資料とし
て批判を行っているわけです。

それに対してあなたが速攻で答えてもらうというのはあなたの主観でしかないわけで、
きつい言い方ですが、資料としての価値はないのですよ。求めているのはあくまでも
公式見解、またはそれに準ずる客観性をそなえたものなんです。

もちろん現役信者氏の述べるように義理はないんですよ。批判者への批判の自由も信者
さんにはもちろんあります。ただし、客観的な反証の材料が必要なわけです。それを欠い
たアンチ批判は印象操作としか見なされませんということなんです。

またKK自体はアンチの疑問に答える気はないだろうと思います。その気があればなんら
かの方法ですでに行っているでしょう。KKが放置している以上は反証の客観的資料は
提供されないし、再度言いますが、信者さんにはそうした資料を提供する義理はないが
主観的な批判もできないということです。

258エートス:2006/07/08(土) 22:24:55 ID:Mq7FaevA
>>255
現役信者氏
>>ススキのおっさんがなにやら訳の分からないことをほざいていますが、私に限っては信仰が揺らぐことは一切無く、一生涯懸けて信仰を貫く所存です。

この訳の分からない記事はわたしも読みました。若葉氏同様わたしも根拠が見つからなくて訝しく思っていましたが、ご本人から正式の否定がありましたね。

まあオッサンの脳内妄想か印象操作の類いだったんでしょうが。オッサンに言わせれば
何かの主観的根拠があるんでしょうね。

259ことりん:2006/07/08(土) 22:42:26 ID:Mr8XtmZc
>>257

そうですわね。ここで水掛け論をしたってなんの証明にもなりませんわ。
それに、私が知っていることでカキコできる範囲はここまでですもの。

公式にしてもらうためにも
疑問に思っておられる方々・・・ご本人から「内容証明書」等で
送られてみてはどうでしょ?
別に胸をはって言える証拠?があるのでしょ?

リバティの編集部は、間違えがあれば公式に答えますわ。
みずから行動されてはいかがでしょうか?

260エートス:2006/07/08(土) 22:53:08 ID:Mq7FaevA
せっかくですから、少しこの話題で書いておきましょう。

わたしがQ資料に関心があることはヒロ氏へのレスで書きました。これは聖書の文献学的
批判から掘り起こされたものですが、イエスのリアルタイムの言行録といったものと
考えていただければいいと思います。

この資料には最近Y語るトピで話題のクリスマスの誕生もなければ、福音書でおなじみの
磔のシーンもなく、全くイエスの神秘性とは無縁です。

で、その内容はさておき、こうした方法で聖書を読んでいこうとする研究者は教会や
信仰者の側からの容赦ない批判を浴びせられました。その批判というのはもちろん
根拠のある客観的なものではありません。

しかし、こうした研究が従来の硬直したキリスト教に改革をもたらすとして、
すぐれた研究書は内容の堅さにもかかわらず、ベストセラーになっているものも
あるし、多くの一般の人々に好意的に迎えられています。

こうした構図はKKに限らず起りうることだというのは信者さんは知っておいたほうが
いいと思いますネ。

ところで、直に書き込んでいるので改行が乱れて、先のいくつかの投稿が読みにくかった
と思います。みなさんどうも申し訳ない。

261初代:2006/07/09(日) 07:09:32 ID:MM4n7Hjk
>>255 ぱいん(現役信者)さんへ

忙しいところ割って入って来ては、「義理がない」「義理がない」の連呼には、正直呆れたよ。

私は「書けなきゃ書くことはないよ」と言ってます。

ことりんさんは「必ず」「答える」と言って入ってきた。
しかし、「だれもあえてしないので答えました。彼らの求めに私になりに答えました。あとは、彼らが判断し行動されるのみですわ。私は、行動しました。」と言う。
何も出来なきゃ最初から絡んでくるんじゃないよ、まったく…。

>会の中では講義等で教義の成り立ちについては伺っております。それを書き込むのは在家信者としては慎んだほうが宜しいかと思います。…全国津々浦々に展開する精舎等で拝聴できる御法話の中に、当時の経緯や、どういった事が実際にはあったかなど、色々お話しくださっていますが、こちらで書き込むという事は控えたほうが宜しいでしょう。

「公には出来ない」「教団施設でどうぞ」ってことですね。
つまり、あなた的には「一般人がリバティー編集部に訊いても…」ってことで。

262初代:2006/07/09(日) 07:10:33 ID:MM4n7Hjk
>>256 ことりんさんへ
>初代さんは、私があなたの疑問の代理人として聞いてきてといわれているのですが、ご自分でされるのが怖いのですか?何をおそれているのでしょうか?

これまたエートスさんが代弁してくれていますが、そういうことではないんですよ。

>私は自分の疑問があれば、直接・主に問うて答えていただいています。速攻で答えてくださいます。…かならず答えてくださいます。

だ・か・ら、主でもリバティー編集部でも何でも結構ですから、「答え」だけを書きなよ。
あなたが訊いてきたことに、こちらは答えた。もちろん、読んでいただけましたよね?コレ↓
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/6228/1119480892/210-368

>だれもあえてしないので答えました。彼らの求めに私になりに答えました。あとは、彼らが判断し行動されるのみですわ。私は、行動しました。

あのね、ネットでの問い掛けに対して、リアルで訊きに行けって言葉は今まで腐るほど受けている。
あなたのそれは「行動」でも何でもないよとキッチリ言っておく。

263エートス:2006/07/09(日) 08:29:06 ID:I1sa9hlY
>>248
IAOO.KK師

>>KK的には裏とされる占星学、魔術、ヨーガなど密教知識が豊富なのでそれも理由ですし、心の教えを忘れてそのようなものに凝るのは危険だからなんでしょう。
しかし、ちゃんと読むなら無我、奉仕、愛の大切さはきちんととかれているんです。

裏っていうのは仏教の顕蜜の密の部分ということですね。 KKでもインスピレーションと
かで霊的な導きがあることは言われますよね。また実際に施設ではそうした祈願とかが
あるようだし。

それに、そもそもの始まりは大川氏に降りた霊的な啓示でしょ。KK自体が秘教的要素の
上に成立している訳で、自分とこはいいけど他はだめっていうのは解せない。

例のオッサンみたいにイカレちゃうと困るけど、結局、宗教の質じゃなくて信者の質に
よるんじゃないの、危険かどうかというのは。だから神智学は危険でKKは安全というこ
とにはならないような気がするんですが。

264AHW:2006/07/10(月) 07:08:11 ID:u5MPrXMo
>>246 黒田氏 エートス氏
kkワールドじゃシュタイナは谷口氏の文筆を指導してた一人だったはず。
谷口氏はプロティノス、イザナギという系譜かと。
あと稗田阿礼とかも?違ってたらスマソ。

>>247 ヒロ氏
黒田氏がこれ書いたのって別にデマゴーグってわけじゃないだろ。
一昨年あたりまで信者籍あった黒田氏なわけでw
どっかでそんなの見かけたんでただ疑問に思っただけと思われ。
まあ教義の変更とか何でもありありイメージが印象定着してるのは確かかも。

>>255 げねき氏 わざわざおっさんデマゴーグの否定乙!w

スレ違いだが、前回のげねき予言どおりにエスカレートして自爆こきながら推移しとるねw

まあ時間ないって理由は社業発展に尽くすトップとして正当とは思うが、
言ったまま長期に放置のままだと各方面に顰蹙を買いやすい。
聖杯氏はじめ、まとも対話の可能性あるシンパ代表として、
君の復帰をいろんな意味で待ってる奴、アンチにも結構いるようだお。

265ことりん:2006/07/10(月) 13:46:46 ID:QoUaCEfg
>>262
>・・・、「答え」だけを書きなよ。・・・・・
>あのね、ネットでの問い掛けに対して、
>リアルで訊きに行けって言葉は今まで腐るほど受けている。
>あなたのそれは「行動」でも何でもないよとキッチリ言っておく。

ポン!〜ここのアンチの人ってリアル社会で行動おこさないんだ。
なぁ〜んだ。

私の疑問解けましたわ。初代さんに感謝ですわ。有難うございます。

   「答え」〜自ら捜し求めるもの。

他の人からうけるものは、ヒントだけしかいただけませんわ。

「人生は一冊の問題集」の言葉の意味を思い出しましたわ。

       日々修行ですわね。

初代さん、あなたの希望する、求めている答えの言葉を
      私がかきこして答えて差し上げれなくってごめんなさい。

266ザぼ〜ん:ザぼ〜ん
ザぼ〜ん

267エートス:2006/07/10(月) 20:35:27 ID:JTeh7kXc
>>265
ことりん氏

>ポン!〜ここのアンチの人ってリアル社会で行動おこさないんだ。
なぁ〜んだ。

ここのンチとは文脈から見て初代氏だと思うのですが、初代氏がリアルで行動する
必要はないんですよ。彼はネットを手段として教義検証を続け教義上の矛盾点を
あぶり出してきた。それは「おかしいんじゃないの」という問題提議です。
それに対して信者はその矛盾について「ああでもない、こうでもない」と反論してきた
経緯があったわけでしょ。

初代氏は「教えてください」とは言っていない。「ああでもない。こうでもない」という
独自解釈じゃなくて、問題定義に対して反論あるいは釈明があるなら「公式見解」を
もってしてくださいということです。それは初代氏が検証を信者の話ではなく、
KKの出版物に依拠しているからです。

あなたは、次元が上がったり下がったりすることを以下のように書きました。
>>229
>あの世でも出世街道があって、上がり下がりされているのかも?(笑)

これに対して初代氏は以下のように書いた。
>>234
>あの世で状況が変わったって話ではなく、前言撤回のケースやって言ってるやろ。

議論というのは何が問題になっているかという共通の認識が双方に無ければ成り立たない
のは分かりますか。現在問題になっているのはKKの出版物で過去と現在に出版された
中で、いわゆる霊人という人たちのあの世での格が変化しているということです。
すなわち教義に関して前言撤回が行われたということですね。

で、必ず答えてくれるから聞いてみろ、リアルで行動しろ、ということですが、
前言撤回は事実ですしそれは「おかしなこと」でしょ。「おかしい」というのは、
「矛盾してませんか」ということでどうしてですかということではないのです。
わかりますか。

だからKKとして無視するならそれでもいいし、内部的に矛盾は解決されているという
ことを書く一部の信者もいますが、いずれにしてもそれが外部に向けて発信されなければ
通りませんよ、ということです。

268IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/07/10(月) 20:38:11 ID:gTIZSZo6
>>264


>kkワールドじゃシュタイナは谷口氏の文筆を指導してた一人だったはず

そうだたですか?

アルベルト・シュバイツァーじゃなかったかな。でも、生前ルドルフ・シュタイナーとも面識があるらし。


アルベルト・シュバイツァー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%BC
シュバイツァーとシュタイナー
http://homepage.mac.com/satokk/schweitzer.html

269エートス:2006/07/10(月) 20:41:12 ID:JTeh7kXc
>>265
続 ことりん氏
>>「答え」〜自ら捜し求めるもの。他の人からうけるものは、ヒントだけしかいただけませんわ。

きついことを言うのはいやなんだが
あなたがこうした結論に達したのはあなた自身の問題であり、ここでの話題に対して
あなたに必要なのは「それについては答えられません」という一言だけです。
もし初代氏に答えたければ、あなたがリアルで公式見解をゲットすべく行動すべき
なんです。

また、あなたは「主に伺えばいつでも速攻で答えは与えられると」いう前言と正反対の
ことを書かれていますが、いきなり「答えは自ら探し求めるもの」となったのでは、
あなたの発言の信用性にかかわるとは思いませんか。前言撤回がもたらす波紋というの
は、影響力の点でははるかに違いますがそれと同じことなんです。

お詫び
266は長くなりすぎたので削除させていただきました。内容は267~8と同じです。それでも省略になってしまいましたが。

270エートス:2006/07/10(月) 20:44:26 ID:JTeh7kXc
あ、私がぐずぐずしているうちに268が入ってしまった。268の主管、申し訳ない。
266の内容は267と269です。

271主管理人の黒田★:2006/07/10(月) 21:22:40 ID:gTIZSZo6
>>270

はい。共同管理人の皆様には日頃のご協力を感謝し、信任しております。
単なる誤記など、緊急性のないものは後で告知スレカキコで結構です。

ことりんを相手にみなさんがた法論スレとして微笑ましい展開を繰り広げてらっしゃるようであります。

272エートス:2006/07/10(月) 23:05:52 ID:JTeh7kXc
>>268
IAOO.KK師
>アルベルト・シュバイツァーじゃなかったかな。でも、生前ルドルフ・シュタイナーとも面識があるらし。

あなたが書いてくださったシュタイナー像から見ると、シュタイナーは神秘主義から
出発して人の生き方_まー倫理とでも言っておきましょうか_に至る道を示そうとした
方のようですね。

一方、シュバイツアーはもちろん神秘主義を否定はしていませんが、直接的神秘体験を
もとにした神秘主義よりも形而上学的神秘主義を高く評価しました。カント、プラトン、
ヘーゲルなどですね。

倫理的な実践で得られる体験が超越的な存在との一体感をもたらす、つまり倫理から出発
して神秘に至る道を模索したシュバイツアーはシュタイナーとは正反対の方向性を持って
いるのじゃなかろうかと思います。

その意味ではKKはシュタイナー的ですね。

273ことりん:2006/07/11(火) 14:12:13 ID:L1Yo4Qf6
>>267

エートスさん方々は、私をいじめていませんわ。
むしろ、やさしく私の理解レベルまで下げて
教えてくださっているのですわ。

>KKの出版物に依拠しているからです。

これなんですわ。
責任を追及されているので、御本人が出版社に間違いを指摘されてみては?と思うのですわ。
遠くにすむ信者は、出版物と支部などで主の代理人さん方々からしか
情報が入りません。
情報が少ない分、想像の産物扱いのときもあります。
けれど、私は、出版物や主の代理人さん方々からの主の教えを
素直に信じています。
それに、疑問に思えば、主に問えば答えてくださいます。

自ら行動して答えを探します。

そして、時間のかかるものもありますが、
自分の欲している答えを見つけますわ。

人から与えられた答えばかりに満足できませんもの。
それは、その人の求めている答えですもの。
私の求めている答えではありませんから。

でも、私のレベルでは、ここのお話についていくためには
まだまだですので雑談のほうへ移動します。
お騒がせしてすみませんでした。
ではでは〜♪

274IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/07/12(水) 12:29:44 ID:cGr1nZmk
2ちゃんねる KKスレ  説明のために段落に記号をつけた。


782 名前:ファルコン ◆ejUolgR5L2 本日のレス 投稿日:2006/07/12(水) 07:05:05 gAomWf0a
では少し答えておきましょう。
>>721

(A)
1 私はこの件についてとっくに書いている。
大川は軽井沢で、女性職員達に「天上界で光を入れるのは、地上ではセックスするのと同じ」という趣旨の話をしている。
大川訓話なんだから、これ、KKでは絶対の真実だぞ。

(B)
つまり、高級霊(あきらかにここでは大川本人を指している)とセックスすると光が入るってな理屈らしい。で、
霊格が向上するのは光の総量が増えた時ってのがKK理論だ。ここから「高級霊とセックスをすると手軽に
霊格が向上する。」という解釈が導ける。

(C)
これによって大川は洗脳したんだよ。さらに色々大川は語っているのだが、これは非公開なので今は書けない。
だが、一言。この男、ただの俗物オヤジだよ。そうとしか取れない言葉を語っている。

************

(A)について
”地上ではセックスするのと同じ”というのはいいすぎである。
女性職員が文字どうりに地上の肉体的セックスと同じだと理解し、ROとセックスをすれば霊格があがると理解したならば異常である。
”天上界で光を入れるのは、地上ではセックスするのと同じ”といわれたときの状況を提示すべきである。

(B)について
”高級霊とセックスすると光がはいる”というとき地上の肉体的なセックスが行われているわけではないと解釈すべきである。
”霊格が向上するのは光の総量が増えた時”というのはKK理論でとかれていたのか確認を要するが、
 地上や霊界での経験と学習、救済活動の結果として霊格(意識の重心位置)が向上し、それと同時に光の総量(扱えるエネルギーとフォースの

種類や量)が増大するのである。また、オーバシャドウというものがあるので霊人から発散されている光が本人のものではないこともある。
”高級霊とセックスをすると手軽に霊格が向上する”というのはセックスの解釈が”交流”という意味であって、手軽に”という言葉が”見かけ

上の時間が短い”という意味で解釈されるならば正しい。


”天上界で光を入れるのは、地上ではセックスするのと同じ”とは

『高級霊との交流によって、愛の熱と啓発の光と創造する力もたらされる』とでも表現しなおされるべきである。

275主管理人の黒田★:2006/07/12(水) 12:40:35 ID:cGr1nZmk
>>274

霊界の結婚・セックスについては

隈本確 大霊界 神々の不思議と謎 3章 自由・平等は神界のすがた 3節 霊界の秩序 からが参考になります。

276青の青:2006/07/31(月) 14:42:55 ID:nhw3/iBw
>>225、227 初代氏
>それがちっともダメダメじゃないのよね。
>>224 IAOO,KK氏
>神と自然と人を愛せるようになれば何億人死のうがそれでいいっす。

これでいいのだろうか、これは正しい心と言えるんだろうか?
天変地異が起これば、人々が仏神にすがろうとするというのはあるのでしょう、それで伝道が楽になるというのはあるでしょう。
しかしそれは、社会主義国の粛清と似たようなものになってしまうんじゃないですか。
それは正しい心、仏の心ではないと思うんです。
天変地異というのは、緊急手術のような、手足を切断するようなものだと思うんです。最悪を防ぐためのものだと。

10次元地球意識が天変地異を起こすという話を信じるのであるならば、起こらないということは地球意識が必要ないと判断したってことになります。
それは、希望があるから、それに賭けていてくれるってことじゃないですか。
希望、光ですね、悪想念の方ばかり見ていましたが、光の方の評価も考えなければならないはずですね。
光は信仰心の度合い、悟りの度合いで、かなり変わるようですからね。単純に人数では計れない。
大規模天変地異が無かったという現実を素直に受け止めるならば、天変地異を回避させるだけの悟りの高い人達が居る、ということになりますね。

277青の青:2006/07/31(月) 15:17:27 ID:nhw3/iBw
>>227 初代氏
>上記のように、じゃあ“溜まっていた”分は何処へ行った? ということよ。

今くみ出しているんですよ、これからくみ出されていくんですよ。そこが光ですね。
溢れかえった時に天変地異が起きると考えられる訳ですから、くみ出して行く流れがある以上、それに期待を掛けてくれるんじゃないんでしょうか。
それが仏の心だと私は思います。

正しき心の探求ということを改めて言いたいと思います。
天変地異を望むという事は、多くの死を望み不幸を望んでいるということ、
そして、安易な道、安きに流れていく悪しき心であると思います。
予言が当たったか外れたかと、疑問を持つのは結構ですが、この一点は反省しなければならないと思います。

疑問は結構です。疑問に耐えられない真理など真理ではないと思います。
疑問を通してこそ確信があるのだと思います。
ただし、結論ありきの疑問では歪むでしょうけれど。

278青の青:2006/07/31(月) 15:36:08 ID:nhw3/iBw
先月2chで「幸福の科学の言う幸福とは何なのか?」という質問を見かけました、答えてみたいと思います。

それは、「人を幸福に出来る自分となる事」このように私は捉えます。
つまりは、与える愛という基本的なことであり、そして悟りの極致でもあるようです。
これが即ち、利自即利他であり、この世とあの世を貫く幸福であり、無我なる愛であると思います。

279IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/07/31(月) 17:09:18 ID:l7EcExA6
>>276-277


KK教義に依っていえば地上を縁として地獄界はできた。
そしてこの地上を神の国とすることが人類の目標であるからそれが実現されることはよいこと。
顕現していないもので顕現しないものはないという法則からいえば霊界にも光がもたらされた結果であるということ。
天変地異で犠牲になった人びともそれなりの責任と償いの苦痛をうけたということです。
これは必ずしも安易なものではない。

天変地異_ポールシフトや大洪水のような_は人間に例えれば手足を切断するようなものではなく、
のびすぎた爪をきったり、寝返りをうったり、シャワーを浴びるようなものだと推測する。
天変地異自体は地球霊の身体に備わる反射行動であってそれ自体は悪ではない。
また、社会主義の粛正のようなものでもない。

人の不幸を望む心は悪ではありましょうが、苦痛、魂の叫び、暗黒…このようなものをとうして人間は
光へと導かれてきた。闇から光りへと人間が導かれることを願うのならばそれは祈りです。

天変地異がきそうだったが仏(=大川総裁)とKKによって光がもたらされ天変地異は回避された。
それほどまでの光の力であったというならば、昨今の世界各地の紛争、テロ、天災地災はなんなのか。
これらに関して私は大川仏がおろうがおるまいが変わらない世界が何百年もつついているような気がする。
KKが世界に対して何をしたというのであろうか?
大川本の出版と配布に精をだした、まさにこれによって危機を回避したのであると。
よろしい!
では2020年から2037年にかけて日本は現代のエルサレムとなり、世界のメッカともなることもないかもしれませんな。

280初代:2006/07/31(月) 19:21:40 ID:jVAPT/Ug
>>276-277 青の青さんへ

>>神と自然と人を愛せるようになれば何億人死のうがそれでいいっす。

>これでいいのだろうか、これは正しい心と言えるんだろうか?

いいも悪いも、言えるも何も、それがKK的終末論の主張するところだったでしょうが。
黒田さんが>>279で書いておられるように…
>>天変地異_ポールシフトや大洪水のような_は人間に例えれば手足を切断するようなものではなく、のびすぎた爪をきったり、寝返りをうったり、シャワーを浴びるようなものだと推測する。天変地異自体は地球霊の身体に備わる反射行動であってそれ自体は悪ではない。
…ということよ。

>天変地異が起これば、人々が仏神にすがろうとするというのはあるのでしょう、それで伝道が楽になるというのはあるでしょう。

人の目から見れば、狭くは「伝道」でもいいでしょう。広く「価値転換のキッカケ」ってことね。
神の目から見れば、上記にある黒田さんの言葉になる。

>しかしそれは、社会主義国の粛清と似たようなものになってしまうんじゃないですか。それは正しい心、仏の心ではないと思うんです。天変地異というのは、緊急手術のような、手足を切断するようなものだと思うんです。最悪を防ぐためのものだと。

つまりは、そうではないってことね。

>10次元地球意識が天変地異を起こすという話を信じるのであるならば、起こらないということは地球意識が必要ないと判断したってことになります。

いや、「理屈の通らぬ予言の外れ」ってことです。

>大規模天変地異が無かったという現実を素直に受け止めるならば、天変地異を回避させるだけの悟りの高い人達が居る、ということになりますね。

何処の誰ですか?

>今くみ出しているんですよ、これからくみ出されていくんですよ。そこが光ですね。溢れかえった時に天変地異が起きると考えられる訳ですから、くみ出して行く流れがある以上、それに期待を掛けてくれるんじゃないんでしょうか。それが仏の心だと私は思います。

またか…。
1999年をピークに予言がなされていたでしょ。
それを越えて「くみ出される流れ」も予言に組み込んでいたのなら、そういう表現を採っていなければならなかったでしょうが。

>天変地異を望むという事は、多くの死を望み不幸を望んでいるということ、そして、安易な道、安きに流れていく悪しき心であると思います。

だ・か・ら、精神的価値の前に、そして、死後生存の魂の前に、この世の死は単純な不幸ではなかろうて。
価値の転換を産まず、ダラダラと生きながらえることをこそ「安きに流れ」と表現しなければならない。

>疑問は結構です。

でしょ。

>疑問に耐えられない真理など真理ではないと思います。

そりゃ、そうでしょうよ。

281IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/07/31(月) 20:57:08 ID:l7EcExA6
>>279

駄目だししましょう。


>KKが世界に対して何をしたというのであろうか?
>大川本の出版と配布に精をだした、まさにこれによって危機を回避したのであると。

既に海外にも支部が設置され、大川本も売れているらしい。そしてリバティの出版など。
しかし、このようなものでは光の強さを推し量ることは当て推量にしかならないとおもいます。
KKネット界隈の私たちのような立場からみるよ海外支部がどれのどの伝道効果をあげているのかわからない。
KK機関誌にしてもいいとこだけしか書かないから。
大川仏教真理本の大半は信者か支部が複数または大量に購入しているとおもわれるので間引いて考えねばならん。
90年代KK信者五百数十万人まだ主の願いに達していないみたいな発表があって、これも信用できない数字です。
現在ネット上では2万から30万の会員だろうという値踏みがでています。上記の五百数十万からはえらい減りようですが
少なくとも大量の偽登録や退会者の発生があってるということ。現在ののこった会員で今後の世界がかえられるのでしょうか!?
ちょっときついもんがあると思う。一部ネットKK信者さんをみてると冷や汗がでます。
最近はネパール釈尊館落慶なんてありましたがネパール館関係の坊さんは総裁を仏陀と認めていないではないんでしょうか?
はたして大川総裁は仏陀として世界に認められているのでしょうか?

>よろしい!
>では2020年から2037年にかけて日本は現代のエルサレムとなり、世界のメッカともなることもないかもしれませんな。

これは新・黄金の法の予言から引き合いに出したものですが、本によれば世紀末の大災害後、日本に真理を求める声が高まり、
その流れできてるんでありますから、この天変地異がないということは日本の人々や世界の人々の心に真理を求める心が天変地異がおこったときほど高まってないことになり、
そんな風にはならなにだろうと私はいっておるんですね。
青の青氏の言を借りていえば、天変地異を回避しえた栄光のKKサンガーは現在顕現しているところの天変地異の回避の結果おこった緩慢な世紀末現象の解消にその余力を傾注していかねばならんのであると。
そのためKKが日本を現代のエルサレムすることは天変地異がおこるよりもさらに困難を極めることになりましょう。ってこと。

282青の青:2006/08/01(火) 07:14:22 ID:l.4TNdQo
>>280初代氏
>またか…。
>1999年をピークに予言がなされていたでしょ。
この点、どうにも納得がいきません。
1999年に、風呂釜の水が溢れてしまいますよ。ということではないのですか?
それで、光を強めて、一生懸命くみ出した、と。
それで、1999年に溢れる状況、つまり、地球規模の天変地異(ポールシフトをイメージしてますが)
は回避出来た、と。
そりゃあ、溢れなかっただけですから、風呂釜に水は残ってますよ、当然。
何かおかしい話ですか?
>>279IAOO,KK氏
>天変地異がきそうだったが仏(=大川総裁)とKKによって光がもたらされ天変地異は回避された。
>それほどまでの光の力であったというならば、昨今の世界各地の紛争、テロ、天災地災はなんなのか。
風呂釜に残ってる分に相当する分の物は起こるでしょう。何かおかしい話ですか?

>>280初代氏 
>だ・か・ら、精神的価値の前に、そして、死後生存の魂の前に、この世の死は単純な不幸ではなかろうて。
>価値の転換を産まず、ダラダラと生きながらえることをこそ「安きに流れ」と表現しなければならない。
危険思想のように見えますが・・・あまり命を軽く見てもらっては困ります。
魂修業の視点が抜けてませんか?
より多くの人々に法を伝えるのが理想です。来世でいいやなどと思っているのですか?それこそ安きに流れです。
今世、今ただ今、どこまで頑張れるか、それが修業じゃないですか。

283初代:2006/08/01(火) 07:38:54 ID:amOUPYWY
>>282 青の青さんへ

>>1999年をピークに予言がなされていたでしょ。

>この点、どうにも納得がいきません。1999年に、風呂釜の水が溢れてしまいますよ。ということではないのですか?

でしたよね。

>それで、光を強めて、一生懸命くみ出した、と。

光を強める…それが「伝道」であったり、KKが採った幾つかの「キャンペーン」だったわけでしょ?
で、会員数はハリボテ、キャンペーンの成果なしですが、何か?…と。

>>だ・か・ら、精神的価値の前に、そして、死後生存の魂の前に、この世の死は単純な不幸ではなかろうて。価値の転換を産まず、ダラダラと生きながらえることをこそ「安きに流れ」と表現しなければならない。

>危険思想のように見えますが・・・あまり命を軽く見てもらっては困ります。

あなたも教義を理解していないくちですか?
冷徹な法則をいっているのであって、もちろんそれがKKの主張するところですが。

>魂修業の視点が抜けてませんか?

なら、天変地異なんぞ元々いらんやんっちゅー話。

>より多くの人々に法を伝えるのが理想です。来世でいいやなどと思っているのですか?それこそ安きに流れです。今世、今ただ今、どこまで頑張れるか、それが修業じゃないですか。

それは“信者”限定で有効な後付けの理屈。

284青の青:2006/08/01(火) 07:40:59 ID:l.4TNdQo
>>281iaoo,kk氏
>KKネット界隈の私たちのような立場からみるよ海外支部がどれのどの伝道効果をあげているのかわからない。
月に何人かは海外支部の方が来ますね。
ブラジルなんかは随分と頑張っているらしいです。月に100人三帰するとか、押さえてそれだとか。
ぱっとしない所もあるようですがね。

>現在ののこった会員で今後の世界がかえられるのでしょうか!?
光の強いのが残っていると考えたいですね。実際その傾向になっているとは思いますが。傾向は・・・

>最近はネパール釈尊館落慶なんてありましたがネパール館関係の坊さんは総裁を仏陀と認めていないではないんでしょうか?
技師団が三帰したってやってました。

>KKが日本を現代のエルサレムすることは天変地異がおこるよりもさらに困難を極めることになりましょう。
困難であろうがなかろうが、何が起ころうが起こるまいが、やること、やるべき事は何も変わりません。
日々心を磨き学習し伝道する。これだけです。他にありません。
終始一貫しているはずです。

285青の青:2006/08/01(火) 14:38:23 ID:l.4TNdQo
>日々心を磨き学習し伝道する。これだけです。他にありません。

他に無いというのは違うか、ここは修正します。

286ザぼ〜ん:ザぼ〜ん
ザぼ〜ん

287マンダム!:2006/08/03(木) 14:10:05 ID:Wnhfub26
お久!
「予言ネタ」が復活して来ている様な。参考程度には成るかも知れぬ。
「雑資料集」に書いて来たモノを転載しておきましょう(一部訂正)。

ココのトコロ、「第2BBS」の方で、「予言の外れ」についての、アンチ諸氏の不満が再燃している様な雰囲気が有る。
まあ、コレについては、我々会員の側の見解は、「外れたノでは無く、回避させたノである」と言うコトで、大方、一致を見ているが、矢張り、「教祖の様な、影響力の大きい人物が、己の口に出したコトに責任も持てないノか!」と言う方向からの批判は、未だに数多い。

然しながら、「己の口に出したコト」と言う観点からは、『信仰告白の時代』において、「危機の予言を、むしろ外れさせるために」(原文ママ)と言う御言葉も有るコトであるし、過去「2チャン」他において散見された、「大川は、自分の予言が当たる可能性について、むしろ『嬉々として』喋っていた印象が有る」等の批判にしても、「魂の永遠性」「仏神やあの世の実在」を大前提とする(本当は、「大前提」どころの話では無く、「事実」であるノだが)仏弟子達の前に在って、「肉体の死を以って、あなた方の聖なる使命は終わったりはしない、あなた方の光の使命は、永遠なり」と言うコトの方を強調したに違い無い、と、私なりに想像する・・・。

288マンダム!:2006/08/03(木) 14:35:42 ID:LXRquHMY
(第3BBS転載分・続)
然しながら、今にして思えば奇妙な出来事が、過去に散見される。「御生誕祭ORエル・カンターレ聖夜祭IN東京ドーム」に行かれたコトの有る方々は、チョットの間、記憶をタイム・ラフティングして戴きたい・・・。

私自身について言えば、93年春に入会し、「祭典IN東京ドーム」には、合計6回参加している。オーロラビジョン中には、総裁のアップ画像を始め、様々な様相が映し出されていた・・・。
やがて「至福の時」が終わりを告げ、ビジョン中には「誓再会」との文字が大きく掲げられ、閉幕と成る。我々は「いつの日にか、我等仏弟子、必ずや、再び、集結せん!」との思いを胸に、ドームを後にする・・・。

と、少々、自己陶酔気味と成ってしまったが(笑)、祭典終了時の大まかな流れは、まあ、こんなトコロだろう。
この時の「誓再会」の特大文字は、どの回であっても、等しく、「大書」されていたが、
・・・・・・!94年エル・カンターレ聖夜祭においてだけは、何故か、この「誓再会」の表示が無かったノである・・・・・・!

今にして思えば、戦慄を覚えないだろうか?この94年末の段階で、年明けに大地震が起こり、心ならずも、志(詰まり、「ユートピア建設」と言う志だ)半ばにして、地上生命を終えざるを得なく成る人々(改めて、被災者の方々におかれては、大変、御気の毒でありました)が出てしまうコトを、予見していたかの様な、この展開・・・・・・!

(転載分=以上)

然し、この世の職業分類で言えば、総裁は「宗教家」であり、「予言者」に非ず。「『法』による救済」がその使命であり、「予言」関連で語ったコトと言えば、平たく言うなら、「ノストラダムス達の予言は本当だ。ソレについて、仏法真理の観点から解き明かそう。そして、この危機を回避すべく、力を尽くそうでは無いか」と言うコトであったろう。

そんな中、何気無く「誓再会・無し」が来ている。アレは多分、「目前に迫っている危機に関して、暗に示した。然し、気付いて欲しい!」と言うメッセージてあったノだろう・・・。

289IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/08/23(水) 23:21:36 ID:oGIqP9x.
エートス氏 根本的な法則の話題について語るのでここで書きますね。


>「想念世界の展開は無制約で自由」だがしかし「異なる想念世界の同居は不可能という制約がある」という解でいいのでしょうか。

ちょっと考えてみましょう。
100%の自由といえば何が自由かといえば本人が意思によって思考を開始することを止めることはできないということ。
「エネルギーは思考に従う」という法則がありますが、開始された思考によってその霊のおる空間質量が反応して形態をまとっていくわけですね。
でも思考力が弱いとできあがるものも脆く、すぐ消えたり、曲がったりしますね。ここでもう既に制約があります。


>「想念放出の自由。これのヨリ上位にあって支配している法則として、波長同通の法則がある」ということですよネ。とするとやはり100%の自由という表現はおかしくないかな。

自由があるところに責任と義務があるということで。想念放出の自由だけでなく想念を放出しない義務もあります。
自分の想念で他人を傷つけてはならないので自分で規制できない分は上位の霊から仕切りをいれてもらっているはずです。
これが階層の区分であり、領域の区分になっていくんでしょう。これは自由にともなう責任、秩序と調和なんでしょうね。
しかし、無間地獄でもなければ完全に断絶してはいないはずです。

波長同通の法則とは突き詰めていえば知覚の原理ですね。
特定知覚はそれに応じた知覚器官がないと知覚しえないということ。
特定の知覚は本人が使用している身体機能による制約で不自由ということでしょう。
ある世界における意識生活の短い人は不自由に気づいてないかもしれません。
「100%自由だ!」とかいっているうちはある特定の霊界での新人霊であるということだとおもいます。

>とするとすでに天国という中でマイナスの要因となるのは何でしょうか。しかも似たもの同士でしか暮らせないのだとなれば・・・なおさらマイナスの要因は生じにくいように思うのですが。

KKでも同じような人しかいない霊界はマンネリをうむ的な説明があってその為に地上に生まれ自分と異なる者とを接触する機会をもつという説明があったはずです。
高橋信次霊の芋と芋の皮剥きの話があったとおもう。同じような人としか接していないと同じようなことしか思いつかないという欠点があるんじゃないでしょうか。
隣人や広い意味での隣人__地域・民族とか、他の領域の霊界や宇宙など__との意識の壁が厚い場合は似たもの同士で居続けるということは精神的に偏った異常な世界が発生してくると思います。
地上の人間世界も一種の地獄ですよネ。

私も含めて皆さん、欠点直していかないと、天国いけないと思いますよ。だから、半ば死んですぐ天国にいくのは無理だろうなとおもってます。
ま、とにかく、お金のために働かなくてよい霊界にいきたいw

290IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/08/23(水) 23:25:40 ID:oGIqP9x.
>しかし、無間地獄でもなければ完全に断絶してはいないはずです。

厳密には完全な断絶とかないっすね。

291IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/08/23(水) 23:46:24 ID:oGIqP9x.
>>290

>100%の自由という表現はおかしくないかな。

おかしいといえばおかしい。
KKでも思いは一念三千とかいって心の針はどこにでもむくと…説いていました。
全くしらないことには心の針は向きようがないんだとおもいます。

100%の自由が達成されるときとは神になったときですしょうか。すべての欲望が消え失せ全智を得たときでしょうか。
そういえば100%の自由をゼロチーム長も力説してたですねぇ。

イヤ、なんか徒然なるままに書いてしまった。

292ザぼ〜ん:ザぼ〜ん
ザぼ〜ん

293ザぼ〜ん:ザぼ〜ん
ザぼ〜ん

294エートス:2006/08/27(日) 16:30:04 ID:2Km91f.M
>>289
IAOO.KK氏

一生懸命考えてみたのですが、わたしの読解力の欠如か、どうも理解できないことが多いですね。トンチンカンな質問だとしたらお許しください。

>100%の自由といえば何が自由かといえば本人が意思によって思考を開始することを止めることはできないということ。
>自由があるところに責任と義務があるということで。想念放出の自由だけでなく想念を放出しない義務もあります。

我々の通常の状態を観察してみると、思考は意志にかかわりなく常に活動してますよね。
むしろアウグスチヌスも悩まされたことからわかるように、思考は意識のコントロールを受け付けないかのようにふるまいますね。

思考することが、即、空間質量を変化させることを想念の放出というならば、それを意識的に止めることは睡眠中以外はできないのでは。
つまり、悪いことを考えたらそれが形態となり、ああマズかったなと反省したら、またそれが善の形態をとる。
こんな感じで次々と展開していくならわかりますが、放出しない状態_仮死状態しか想像できませんが_が恣意的に作りだせるものなのか。

>自分の想念で他人を傷つけてはならないので自分で規制できない分は上位の霊から仕切りをいれてもらっているはずです。
これが階層の区分であり、領域の区分になっていくんでしょう。これは自由にともなう責任、秩序と調和なんでしょうね。

例えば殺してやりたいという想念はそれが影響を与えないように上位の霊によって封鎖されるということなのでしょうか。
卵氏の解説によれば、仕切りというより下に落っこっちゃうように解釈できるのですが。

同じ想念でも受け取り方によって傷つく人もあればそうでない人もあるはずですね。
相手の中に善悪を認めることは_投影ともいいますが_自分の中の善悪への感応なんですよね。
自分の中に悪の観念がなければある想念を悪と感じることはありませんから。

わたしは、物理的な知覚の問題ではなくてそうした投影が波長同通の基本だとするほうが理解しやすいのですが。。。

>KKでも同じような人しかいない霊界はマンネリをうむ的な説明があってその為に地上に生まれ自分と異なる者とを接触する機会をもつという説明があったはずです。
高橋信次霊の芋と芋の皮剥きの話があったとおもう。同じような人としか接していないと同じようなことしか思いつかないという欠点があるんじゃないでしょうか。

これはひどくわかります。ネット信者を観察していて、よくもまー飽きずに同じことを繰り返してるもんだと思います。
異なる出自をもつ人との接触があるはずのこの世でさえそうなんだから、あの世に帰ったらそのまま固まっちゃうんだろうね、彼らは。

>私も含めて皆さん、欠点直していかないと、天国いけないと思いますよ。だから、半ば死んですぐ天国にいくのは無理だろうなとおもってます。

霊界と天国とはまた違うということなんですね。普通、欠点のない人はいないわけで_大川氏だって欠点はあるでしょう_でも、そうやって開き直っちゃいけないのね。

>ま、とにかく、お金のために働かなくてよい霊界にいきたいw

思いは現実に形になるのが霊界らしいからその点は大丈夫じゃないの。w

295IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/08/29(火) 01:07:11 ID:2Rc82hpo
>>294
>>289
IAOO.KK氏

>我々の通常の状態を観察してみると、思考は意志にかかわりなく常に活動してますよね。
むしろアウグスチヌスも悩まされたことからわかるように、思考は意識のコントロールを受け付けないかのようにふるまいますね。

★勝手に動き回る想念とは他人が始動した思考形態や思考形態に情緒質量が添加されたものかもしれません。

>思考することが、即、空間質量を変化させることを想念の放出というならば、それを意識的に止めることは睡眠中以外はできないのでは。
つまり、悪いことを考えたらそれが形態となり、ああマズかったなと反省したら、またそれが善の形態をとる。
こんな感じで次々と展開していくならわかりますが、放出しない状態_仮死状態しか想像できませんが_が恣意的に作りだせるものなのか。

★思考による波動の伝播を止めるという高度なテクニックは普通の人にはできません。でも本来はやらねばならないことです。
霊界では考えていることはしゃべったり行動したりしているのと同じですので。
意志によって思考することを許さないか、思考したとしても周辺の空間に伝播しないように想念形態を包囲しておくとしか説明できません。


>例えば殺してやりたいという想念はそれが影響を与えないように上位の霊によって封鎖されるということなのでしょうか。
卵氏の解説によれば、仕切りというより下に落っこっちゃうように解釈できるのですが。

★私のいう「仕切り」は同次元で棲み分けがなされる”領域”を区切る仕切りと次元が違うことによる仕切りの両方の意味でつかいましたが仕切りというのはいかにも恣意的な表現ですが領域の仕切りも次元の違いも神々の意識的な仕切り動作であります。

>同じ想念でも受け取り方によって傷つく人もあればそうでない人もあるはずですね。
相手の中に善悪を認めることは_投影ともいいますが_自分の中の善悪への感応なんですよね。
自分の中に悪の観念がなければある想念を悪と感じることはありませんから。

★そのようです。しか想念をそのまま100%受け取ったならば受け取り方に違いはないかもしれません。相手が感じたように感じるかもしれません。

>わたしは、物理的な知覚の問題ではなくてそうした投影が波長同通の基本だとするほうが理解しやすいのですが。。。

★知覚とはいかなる霊界の次元のものであっても知覚対象と同質の質量でできた感覚器官が知覚対象の動きをうけとめた結果、知覚対象と知覚器官と知覚者の三つの魂どうしが共鳴したものであるとおもいますので物的霊的関係なく波長同通の基本は知覚原理つまり接触媒介をとうした異なる魂の間のふれあいだと思います。
投影を私がシュタイナー調で解釈してみると
「相手の中の善悪がわかるのは相手の善悪を感じ取る受容器官を自分のうちにもっているからだ。そのおまえの受容器官は相手の善悪と同質の質量で構成されているであろう。おまえの中にこの受容器官がなかったならおまえにとってその善悪は知覚しなかっただろうし、存在しなかっただろう。それらの感覚器官がなかったならさまざまな善悪を介しておまえと相手は出会うことはなかったであろう、汝の高い自己は悪を知らない。
 同じ物事に対して違う解釈が生じるのは、実際は同じものに接していないからであるか、または、同じ思考器官や情緒器官、肉体器官をを有していないからにすぎない。」

296IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/09/06(水) 21:11:54 ID:GbbUNSCw
2chの ★★『幸福の科学』統合スレッドpart144★★  No.13で
特別灌頂10万円(過去の一切の罪が消える) などと紹介されてましたが。

.+☆+幸福の科学Ⅲ+☆+

[40]100式 05/02/06 22:30 e0RwGoCOm.
>>36
ジラン氏の指摘は特別灌頂のことだね。
わかりやすく言えば心を癒す儀式。
どんなに反省しても心に残る罪の意識をいやしてもらえるのだ。
何をしても罪を問われない免罪符のようなのとは根本的に違う。
「不落因果」ではなくて「不昧因果」なのだ。
普通の会員はこのことをちゃんと理解している。

会員さんは何故このような儀式がありえるのか理解しているのでしょうか。
どんなに反省しても心にのこる罪は執着とちがうのでしょうか?


********

297100式:2006/09/07(木) 00:21:18 ID:H6w4ISek
K氏

ほ〜、昔そんなコメントをしてたのか〜
確かにワシだな。しかし、記憶にないぞ!!

別な言い方では、
「魂を洗濯するようなもので、きれいになる、汚れが落ちる。
しかし、魂のデコボコは直らない。傾向性は変わらない」
つまり、ほっとくと、同じところがまた汚れるってことか。

>どんなに反省しても心にのこる罪は執着とちがうのでしょうか?
経験は心に刻み込まれているからね。
反省を重ねて、霊的に罪が消えても、自分の行為は記憶している。
執着ではなく、記憶なんでしょう。
『大悟の法』の第1章のアングリマーラの話が参考になるんじゃないかな。

298100式:2006/09/07(木) 00:25:41 ID:H6w4ISek
追加
反省を重ねる→魂の傾向性が変わっていく
ってことらしい。

299主管理人の黒田★:2006/09/07(木) 02:09:21 ID:m/Ip6Kww
>>297

『大悟の法』はもってないのでなしでいきます。
アングリマーラは人をたくさん殺したら悟れるといわれて人を殺し、のちに釈迦弟子になった人の話だったとおもいますが。

>経験は心に刻み込まれているからね。
反省を重ねて、霊的に罪が消えても、自分の行為は記憶している。
執着ではなく、記憶なんでしょう。
『大悟の法』の第1章のアングリマーラの話が参考になるんじゃないかな。

わたしの質問がわるかったかもしれません。
>どんなに反省しても心にのこる罪は執着とちがうのでしょうか?
ではなく
>どんなに反省しても心にのこる罪の意識は執着とちがうのでしょうか?
でした。

まず、話の前提として因果は眩ませないといのがありますね。
これからカルマという法則が知られる。

反省や灌頂などの祈願によって解消されるものとは
罪の意識ですよね。これが執着ではないかと申しあげている。
この苦しみは苦悩、苦痛でもあるがなぜ執着なのかといえばそれ事柄にたいして縛られているからです。
これは為された過ちと自分を同一化して自分を罪悪な存在と見なしているからです。
反省しても罪の意識がとれないのならば、それは実際反省してるのではない。できていないのではないでしょうか。
それは為された過ちと真の自己とが同じ者ではないと喝破できないからかもしれません。

KKは反省してるのであるならば反省して以降行動がかわるはずであるという考えがあるとおもいますが
、修正された行動がなし得るならば心は癒されていくでしょう。
この場合は灌頂など必要ありませんね。修正された行動がなしえない環境であるなら灌頂を行う理由になりましょう。

この特別灌頂をうけて実際癒された人が何人いるのかと…催眠術のほうが効くのではないかと…。
ま、この話はヽ(^_^;))((^。^;)ノ

>反省を重ねて、霊的に罪が消えても、自分の行為は記憶している。
執着ではなく、記憶なんでしょう。

反省をして消えうるのは心のしこり、罪の意識、執着だと思います。
不眩因果であるから罪は消えない。他人に何か罪に思われることをなした事実は永遠不滅にのこる。
相手の進化に対してどのような責任を負ったのか、負わなかったのかは反省して変わるものではないと思います。
そいうことで反省して罪が消えるという言い方はまずいんじゃないでしょうか。
アングリマーラは後にアラハンの悟りを開いたとしても殺した人に対して、霊界か来世でなんらかの埋め合わせをしなければならないのではないでしょうか。
こうして罪が消えるのだ表現するのであると思います。

しかしながら、「罪を許すために来た」とは正しくは如何なる意味だったのでしょうかね…。

300IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/09/07(木) 02:10:13 ID:m/Ip6Kww
>>299

しまった。またハンドルが! 修正印。

301主管理人の黒田★:2006/09/07(木) 02:18:10 ID:m/Ip6Kww
>>298

ほほぉ、修正されましたか。

魂の傾向性とは変えうるもので、転生課程に身につけた後天的なもの。
必ずしも本人の魂の特性、いいかえれば魂の使命とは一致せず、
神々や人種、民族、下位の動植物鉱物王国の存在との供業の産物で魂の力によって修正されるべきものと書くつもりでしたが削除したとこです。

302IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/09/07(木) 02:19:25 ID:m/Ip6Kww
>>301

うわ!がっくり! 修正印。

303100式:2006/09/07(木) 02:57:50 ID:H6w4ISek
K氏

やはり「大悟の法」のアングリマーラの所を読まれると良い。
古本屋で探せば100円なんだろうなw

かいつまんで説明します。
殺人鬼だったアングリマーラは仏陀に出会い、仏陀に帰依しました。
しかし、町の人はアングリマーラを許さず、
彼が托鉢に出かけると石を投げつけました。
アングリマーラは泣きながら、仏陀にこのことを話しました。
仏陀は、次のように答えました。
「お前は今、過去の罪を滅ぼすために尊い修行をしているのだ。耐えよ」
アングリマーラは血を流しながらも修行を続け、次第に認められるようになりました。
あるとき、難産の女性が苦しんでいるのを知ったアングリマーラが、
どうすればこの女性を助けることができるのかと仏陀に質問しました。
仏陀の返事は、その女性の所に行って、「生まれてよりこのかた、一度も命をあやめたことのないこの私の功徳の力により、この母子安からん」ととなえなさいというものでした。
アングリマーラは、それは妄語になるのでとても言えないと反対しましたが、
仏陀の返事は「私の言ったとおりに唱えなさい」でした。
アングリマーラがその女性の所へ行きそのように唱えると、無事出産したということです。
これは、「過去に大勢の人を殺したアングリマーラであっても、仏陀の教えに帰依し、心を入れ替えて修行に励んだならば、生きながらにして過去の罪は消える。過去にさかのぼって、生まれた時点から清らかになる。悟りにはそういう力がある」
ということです。
ってな感じ。ちと要約してるんで、できれば参照してほしい。

反省やら利他行を通じて悟りを得れば、過去にさかのぼって罪が消えるのだ
と説かれております。御理解いただけたでしょうか?

304IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/09/07(木) 08:12:44 ID:m/Ip6Kww
>>303

こんなのみつけた。
http://www.h4.dion.ne.jp/~fmvbiblo/Q&amp;A/Q&amp;A-20050105.htm

305100式:2006/09/07(木) 13:56:53 ID:H6w4ISek

お、なかなか詳しいですね。
もうひとつ付け足しますと、
『黄金の法』の第1章に想念帯についての記述がありますが、
「いったん灰色で書かれた文字であっても、その思いと行いを反省することによって、金色に変わる」
って書かれてます。これも同じ意味でしょう。

306RANDY:2006/09/07(木) 17:59:46 ID:GBiw2/yA
雑談から誘導されて来ましたよ。なんか流れを遮ってしまいそうだけど、特別灌頂の話題とかぶる部分もありそうなんで、一応、載せときます。



100式氏

雑談スレの>>426から
>自我我欲の混じった活動であっても、な〜んにもやらないよりは一歩前進だろ?

○○菩薩顕彰制度等の議論は、もしかしたら〈形が先か、心が先か〉の論議に行き着くのかも、です。

〈形が先〉という考え方は、「形を整えれば、自ずから心も定まってくる」ということでしょうか。これだと自我我欲が混じっていても、とにかく活動を続けていれば、自ずから心もそれに相応しい心境へと変化して行くとされます。これから見れば、○○菩薩というのもアリなのかもしれませんね。

ただ私がKKに共感したのは、〈心が先〉というか〈心が最重要〉という思想でした。KKは当初、「既成宗教は形にとらわれていて、心を忘れている。本当に重要なのは心である」とか言ってたと思う。この思想だと、いくら形を整えても、心がきちんとしてないとダメって感じになる。

たとえば、いくら真理知識を学んでも、愛が欠けてれば仙人界行き、伝道実績がスゴクてもそれで鼻高々になれば天狗さんとか、そんな感じですね。

そういえば現役時代には、「聖母マリアの霊言は録れない」というエピソードを聞いたことがあります。「聖母マリアは、霊言収録しようにも、口を開いて真理を説くことはせず、ただ黙って座しているだけだから霊言は録れない。ただその透明感、清らかさは激凄まじい」というやつです。

私はこのエピソードは結構好きだったんですね。聖母マリアは難しい法は説かない。奇蹟も行わない。ただひたすら純粋に、息子を愛し、慈しんでいたことによって高級霊だというわけです。行いによってというより、思いによって高級霊となったわけです。

この考え方から行くと、寝たきりで、二十四時間介護を受けてる重度障碍者であっても、真理を学ぶのが難しい知的障碍者でも、内気、口下手で伝道できなくても、心が愛で溢れていれば、それだけでヒーローなんですよね。

私はこんな感じの思想に共感してたわけです。多分、根っからの〈心が先〉派かもね。だから〈形が先〉には、ちょっとついてけない気がしますね。特別灌頂とかいう儀式も、受け入れがたいですね。

KKには、反省と発展、愛と知のように、ある種の対立、矛盾があるような教えが並存してます。本当は、〈心が先か〉〈形が先か〉も、「あれか、これか」ではなく、並存可能なんでしょうけど、私はやっぱ〈心が先〉優先派なんでしょうね。

あと100式氏、雑談スレ>>430「師弟の道」わざわざ有難うございます。
月刊誌の冒頭にあったオープニング・メッセージだったかな。あんな感じの文章ですね。なんか最後の二行が、どんでん返しみたいになってる。

307RANDY:2006/09/07(木) 18:27:41 ID:GBiw2/yA
横からだけど、私なりに、〈罪が消えるか?〉論議の整理。

①まず間違った行為

②罪の意識の発生

③反省または特別灌頂(罪が消える? 罪の意識が改善される? 罪を犯した行為自体が消える?)

まず①の行為自体は消しようがないでしょうね。タイムマシンで過去に戻って、行為を止めたとしても、それは「罪を犯した後、タイムマシンで戻って、罪を犯させないようにした」ということだけで、はじめに罪を犯した事実は消えないですね。

②の罪の意識は解消されることはあるかもしれませんね。許された、償った場合は、罪の意識は消えるかもしれない。でも案外、罪の意識を消す一番簡便な方法は、忘却だったりするかも。

次は、〈罪が消えるか〉という問いですけど、これは難しいですね。反省して想念体が金色に輝いたとしても、それは〈想念体にある罪の記録が改められた〉とは言えても、必ずしも〈罪が消えた〉とは言えないようにも思える。

また〈罪が消えるか〉を話すには、まず〈罪は有るか〉という議論が必要かもしれません。普通、〈有〉が〈無〉になったり、〈無〉が〈有〉にはならないんですよね。だから〈罪が消える〉とは、厳密には、〈本来罪なし。罪が有ると勘違いしていたのが改められると、本来罪なしが現出する〉という意味なのかも。こう考えると、〈罪が消える〉こともありそうな気がしてくる。

でも〈罪〉は物質じゃないから、「〈有〉が〈無〉に、〈無〉が〈有〉にならん」とかの理屈は通用しないかもしれない。とすると、やっぱ〈罪〉は、〈有〉になったり、〈無〉になったりするのかな。それなら〈本当に有った罪が、本当に消える〉という事は、有り得ることになる。

議論の整理をしてみるつもりが、なんか話がぐるぐる回ってきたんで、馬鹿がばれる前に、とりあえずここまで。

308エートス:2006/09/07(木) 22:54:49 ID:BIUiy1h.
>>410 雑談
RANDY氏

これは雑談の話題でしたが法論に移しますね。

>殿様が狩をする時、侍らがおかしなタイミングで大声を出したので、殿様が「今度下手なタイミングで声を出したら切腹申し付ける」と叱ったら、侍らはわざと変なタイミングで、前以上に大声を出したというもの。

これ面白い話ですね。カントの定言と仮言命令を連想しましたよ。

>侍らの言い分は、こうだったらしい。「『声を出すな』と仰るなら、それだけを仰られれば良いのです。『声を出したら切腹させる』などと言われて、声を出さなければ、切腹を恐れる臆病者になってしまいます。これは武士の恥でございます」
>私は武士の言い分に一理あると思うんで、「〜〜せよ」というなら、「〜〜せよ」だけでいい、「〜〜したら、……してあげる」と言われたくないですね。それを言われたら、「なんだ。君は僕のことをそんな人間だと思ってたのか」と思ってしまう。

条件なしの「声を出す」なという命令は定言命令的ですね。カントはこれを仮言命令より上位に置きました。
しかし条件付きの命令に従うことを定言命令の下に置くこと自体がプライドのなせる業かもしれないとこの武士の話を読んで感じました。
大カント様に逆らう気はないんだけど、条件が付こうが付くまいが気にせず命令に従うというのが理想的かもしれない。

309エートス:2006/09/07(木) 22:56:03 ID:BIUiy1h.
>>428
100式氏

>>それはそれで本人の課題なんだろうと思うけど。まー逆に課題をあぶりだすためには制度というのは有効かもしれないですね。
>鋭い御指摘。そのとおりだと思います。

賛同いただいたけどちょっと引っかかるんだよね。そのあぶりだされた課題をどうするかということでね。

組織とか制度とかはこの世的な存在でしょ。組織や制度と個人の関係が課題をあぶりだすかのように葛藤を引き起こすのは世の常ですよね。
こうした葛藤の中にある個人は課題の解決の道を宗教に求める場合もあるわけでその組織が宗教自体に作られた場合はどうなるんだろうかと思いますね。

ネットで知る限り、退会につながる動機の多くが組織との関係にあるわけで、結局課題の解決の道が示せなかったということなのではないのでしょうか。

310100式:2006/09/08(金) 23:22:14 ID:ZR3eIMcU
RANDY氏

>○○菩薩顕彰制度等の議論は、もしかしたら〈形が先か、心が先か〉の論議に行き着くのかも、です。

そういう風に対立して捉えることじゃあないと思うんだけどな。
本質的にはあなたの言っていること。心優先だよ。
でもね。それだけじゃついていけない人、入りこめない人もいる。
だから、形からやってみようというのも大切なんだよ。
ちなみに、本物の活動家は、こういった制度に関わらず、人知れず熱心に活動しているもの。
そういった人の努力を賞賛しましょう、祝福しましょうってことでもある。
活動の中に身をおかないと理解できないかもしれないね。

311100式:2006/09/08(金) 23:25:59 ID:ZR3eIMcU
エートス氏

あぶりだされるのが本人の課題、そして法は説かれている。
法に従って課題をクリアしていくと悟りが上がっていく。

大変ありがたいことだと思います。

312エートス:2006/09/08(金) 23:57:12 ID:y.hBDGFo
>>311
100式氏

>あぶりだされるのが本人の課題、そして法は説かれている。
法に従って課題をクリアしていくと悟りが上がっていく。

そうすると、先日来のことりん氏の支部とあなたのリーダーとしてのお考えが異なる点は説かれている法ではどう解釈するのでしょうか。
回す回さないの話。方針の違いはどう解釈されるかということね。

313エートス:2006/09/09(土) 00:22:57 ID:xkci2hCU
>>310
100式氏
>でもね。それだけじゃついていけない人、入りこめない人もいる。
だから、形からやってみようというのも大切なんだよ。

○○菩薩って結構ハードル高いんでしょ。
形式としてもついていくのは大変なんじゃないの、気持ちが伴わないと。

日本の剣道とか茶道とか道がつくものが示すように、ついていくとか入り込むという話は初心者の話でしょ。

確かに心と形とどちらが先かという話は東洋思想の立場からはわたしも抵抗を感じますが、これはリーダー会員さんの回答としては物足りないですね。

部外者のわたしが言うのもなんですが。

314100式:2006/09/09(土) 01:12:23 ID:2NEVRY.o
エートス氏
>>312
ことりん氏の支部では、
「布教誌は原則ただではもらえない。安易に回すと嫉妬を買う」
こんな環境ですね。
ウチの支部だと、まあ簡単に調達できる。だいぶ環境が違います。
より多くの信者が参加することが望ましいので、
「知恵を使って上手にやってください」
ってことになる。

>>313
初心者向けの話をしています。
布教菩薩はポスティングでOKなので、誰でもできます。

315エートス:2006/09/09(土) 23:14:23 ID:xkci2hCU
>>314
100式氏

>ことりん氏の支部では、
「布教誌は原則ただではもらえない。安易に回すと嫉妬を買う」
こんな環境ですね。

ことりん氏は嫉妬とは書いていなかったけど。平等ではないとクレームがついたと書いていただけですが。
わたしがこうした違いは法でどう解釈されるのかと聞いたわけは、平等という観点からこの世的な倫理を優先させる法とそうでない法があり、
どちらをとるかで支部の方針が大きく変わるのだろうかということなのですが、どうもそういった話ではないようですね。

>より多くの信者が参加することが望ましいので、
>「知恵を使って上手にやってください」
>ってことになる。

「知恵を使って上手にやる」というのは社会ではどこでも求められることで、「法」という名でわざわざ言及するようなことかと思いますね。

>初心者向けの話をしています。
>布教菩薩はポスティングでOKなので、誰でもできます。

小乗仏教が目指す悟りはアラハンでしたね。菩薩はその上ですからね。
「菩薩になるのは簡単ですよ、あなたもすぐに菩薩になれます」といわれているようで初心者向けというのはちょっとびっくりしてしまう。

形から入るという主張はわからないでもないが、形式とは階梯を踏んでいくものだと思いますね。いきなり飛びすぎじゃないの。
それに、嫉妬する菩薩というのも何だかねー。こうした方も結果的に数字を出せば菩薩なんでしょ。

これに関してはRANDY氏に1票入れたくなりましたね。

316ことりん:2006/09/10(日) 00:06:26 ID:IyIuxTzw
>>314

連続して表彰を頂いている時に
私がうれしくって「簡単にできた〜♪」と
騒いでしまったのが悪いんですわ。

回して下さった方が配布に不自由な体なので
その方の手足となりて動いていただけなのです。
でも、その方との関係がずっとだと、
私の発展が止まってしまうから
助言してくださったのだと
勝手に思っています。

簡単に手に入る方法だと苦労が伴いませんから。

317RANDY:2006/09/10(日) 07:10:09 ID:o3jW0cAE
100式氏

>>310
>それだけじゃついていけない人、入りこめない人もいる。
だから、形からやってみようというのも大切なんだよ。

それは了解です。ただKKは〈貧者の一灯〉を良しとしてますよね。これはノルマ達成すればいいのではなく、自分の為しうる限りをすることこそが尊いという趣旨の話ですよね。それから行くと、一定量を基準とする顕彰制度って、整合性がとれない気がするんです。

あと「菩薩」という命名にすごく抵抗感がある。これについては、私が現役時代にも「大黒天」みたいな呼称があり、普通に使ってたんで、命名すること自体に違和感があるのではなく、単に「菩薩」の称号だけは止めてくれよという感じですかね。

>>313
>布教菩薩はポスティングでOKなので、誰でもできます。

これは多分、たまたまこんな言い回しになっただけだと思うけど、冊子の配布って、本気でやろうとすると、結構、奥が深いもんですよね。私が現役時代に聞いたエピソードにこんなのがありました。

「ある会員は、一戸一戸に手を合わせて、その家の人々の幸福を願い、冊子配布できることに感謝しつつ、ポスティングしていた。それを見ていた一般の人が、感動して会員になった」

私はこれに影響受けて、真似しようとしたけど、数戸で挫折してしまいましたよ。まず外で合掌してるのを、人に見られるのが恥ずかしい。相手の幸福を、ググっと強く念じるのは精神力、体力がやたら消耗する。だから合掌は省略し、心の内で、「この家の人たちが幸福になりますように……」と念じるというより、呟くだけにして配ってました。

また団地だと一階にあるポストに、まとめてささっと入れれば楽なんだけど、それをすると、まとめて入れたのは、まとめて捨てられるという悲しい現実があるわけです。だから、うちの支部では、階段上がって一戸一戸ドアの郵便受けに入れてた。これはかなりの体力勝負。「幸福になりますように……」と祈る余裕もなくなる。ただぜえぜえ息して、汗かいて、無心「……」でひたすら配るのみ。

今にして思えば、汗だらけで階段上り下りしてたんで、途中で出くわした住民を驚かしちゃったかもしれない。挨拶も「はあはあ、こ、んにちは…はあはあ」となってただろうし。不気味だったかな?

あと仲間で配布するのは何とかできるのだけれども、自分一人で配ろうとして、支部から冊子を持って帰ると、怠け心が出るのか、はかどらなかったですね。だから一人で配布を継続できる人は尊敬する。

なんか体験談みたいの書いてしまったけれども、配布後はそれなりに「自分なりにお役に立てたかな」感があって、爽快感、充実感というようなご褒美がありました。今となっては、これもまたよい思い出かもね。

318RANDY:2006/09/10(日) 07:19:06 ID:o3jW0cAE
>>308
>エートス氏

その話のネタモトを明かしときますと、『史談と史論(上)/海音寺潮五郎著』講談社文庫の中の、「ボッケモン人国」です。

319青の青:2006/09/11(月) 22:04:56 ID:Gy9SlsMI
菩薩顕彰制度ですか、一度表彰されれば菩薩だと確約するっていうのであれば、他で表彰される必要もないでしょうね。
瞬間菩薩とか、如来とか、そんな表現もありましたっけかねえ、一時的に心境が高くなる、と。
やっぱり継続性がないと本物ではないですよね、連続何回って表彰される人は本物なんだと思いますよ。

320青の青:2006/09/11(月) 23:54:58 ID:Gy9SlsMI
>>283 初代氏
>光を強める…それが「伝道」であったり、KKが採った幾つかの「キャンペーン」だったわけでしょ?
>で、会員数はハリボテ、キャンペーンの成果なしですが、何か?…と。

霊的な知識や心の教えを知る、それは無明を払う光であります。
下手な伝道だったのは事実なのでしょう、当時の事は知りません。中学か小学の年代のはずです。
ですが、真理への縁にはなったはずです、「いいこと言っている」と伝道された方々は思ったはずです。
その「いいこと」が、その方々に学びとなり、益する瞬間があれば、それは光です。

コンビニなんかでは、有害図書の扱いを改善するようになったと思いますが、ちがいましたか?
立派な成果だと思いますよ。人々の意識が向上したということで、それもまた光だと考えます。

>>>だ・か・ら、精神的価値の前に、そして、死後生存の魂の前に、この世の死は単純な不幸ではなかろうて。価値の転換を産まず、ダラダラと生きながらえることをこそ「安きに流れ」と表現しなければならない。
>>危険思想のように見えますが・・・あまり命を軽く見てもらっては困ります。
>あなたも教義を理解していないくちですか?
>冷徹な法則をいっているのであって、もちろんそれがKKの主張するところですが。
>>魂修業の視点が抜けてませんか?
>なら、天変地異なんぞ元々いらんやんっちゅー話。

悪想念増えまくって、地獄に落ちまくって、挙句の果てに核戦争なんかで地球が滅びてしまうと、
悪ってものは滅びを呼ぶものです、破滅を招くものです。そういうものだから悪なんです。
地球が使えなくなったら魂修業出来ないでしょう、そういう事態を防ぐためのシステムだと私は考えています。

>>より多くの人々に法を伝えるのが理想です。来世でいいやなどと思っているのですか?それこそ安きに流れです。今世、今ただ今、どこまで頑張れるか、それが修業じゃないですか。
>それは“信者”限定で有効な後付けの理屈。

何を言っているのですか?信者でなければ法は要らないとでも?信者でなければ今頑張らなくて言いと?100年後でも千年後でもいいから今は楽すると?
何が言いたいのか、さっぱりわかりません。

321マンダム!:2006/09/12(火) 00:06:22 ID:KPZsDNYw
皆さんにおかれましても、御元気そうで、何より。
久しぶりに、少々カキコしましょう。

>>319
>やっぱり継続性がないと本物ではないですよね、連続何回って表彰される人は本物なんだと思いますよ。

ココから導かれるコトと言えば・・・・・・、

*「表彰されるか、否か」「本物だ、と人に言われるか、否か」と言うコトに関わり無く、本当に動機・目的・継続性、何れにおいても正当であるならば、その人は、いやさ、「その人の魂」は、真に、幸福と成って行くであろう、そして、幸福であり続けるであろう*

こう成るノでしょう・・・。「確かに一時、幸福であったかも知れないが、スグ、又、不幸に成ってしまった」などと言う状態、その人自身も、仏も、喜びはしないでしょう。
仏は「幸福であり続ける」コトをこそ、喜ばれる(と、私は推察する)。
継続性が問題にされる背景には、コレが有る、と思われます・・・。

322マンダム!:2006/09/12(火) 00:49:11 ID:RgmBxYPM
「青の青」氏
「始めまして」でしたかな?

>>>より多くの人々に法を伝えるのが理想です。来世でいいやなどと思っているのですか?それこそ安きに流れです。今世、今ただ今、どこまで頑張れるか、それが修業じゃないですか。
>>それは“信者”限定で有効な後付けの理屈。

>何を言っているのですか?信者でなければ法は要らないとでも?信者でなければ今頑張らなくて言いと?100年後でも千年後でもいいから今は楽すると?
>何が言いたいのか、さっぱりわかりません。

おっと、いきり立たない、いきり立たない。
この「初代」さんの言を補足すると、

*「より多くの人に法を伝えるノが理想」と言う価値観自体が、幸福の科学を信ずる者以外の人類には、【少なくとも、法を知らしめない内は】理解が難しかろう*

と言うコトでしょう?
我々信者側が、つい誤解しがちなトコロですが、当会を信じぬ人々から見れば、当会を取り巻く世界が、非常に閉ざされた、狭いモノである、と見えていると言う事実。
【ソレが、「信者限定」と言った語句に、顕われている】。
「ソレが実は、コレほど深く、広く、全てを包含するほどのモノである」コトを伝えるノは、他ならぬ、我々。
そして、この「信の世界」は、

信ずる人が増えれば、増えるほどに、
信ずる人、一人びとりの学びが深まれば、深まるほどに、
信ずる人同士の魂の結び付きが強まれば、強まるほどに、
法灯が末永く点れば、点るほどに、
「心の価値」に目覚めれば、目覚めるほどに、
「真理知識」が普及すれば、普及するほどに(その意味でも、この度の『映画・永遠の法』を、幅広い人々に観て戴くコトが重要と成る)、
他者への「与える愛」が満ち満ちれば、満ち満ちるほどに、

深く、高く、広く成って行く・・・・・・ノでありましょう?
あくまで、私見ですがね・・・。

323マンダム!:2006/09/12(火) 01:02:45 ID:RgmBxYPM
って、>>322の、特に後半部分は、どうも「行っちゃってる」印象を覆い難い、と、我ながら思うが(笑)、平たく言うと、

*伝道によって広がるファクターは、何も信者数や、「この世の在り方の、急速なる改善」だけに非ず。この「信の世界」が広がっているノである*

と、私は、私なりに、思っている・・・・・・!

「エートス」氏へ
ココ「ザ・法論」或いは「ザ・雑談」における、貴方からの問題提起に、私なりにレスをさせて頂くコト、決して、忘れてはいないノですよ。・・・。
タダ、色々「読むモノ」が山積していて、どうにも、ママならぬ・・・。

324初代:2006/09/12(火) 18:03:02 ID:HcweKnBw
>>320 青の青さんへ

>悪想念増えまくって、地獄に落ちまくって、挙句の果てに核戦争なんかで地球が滅びてしまうと、悪ってものは滅びを呼ぶものです、破滅を招くものです。そういうものだから悪なんです。地球が使えなくなったら魂修業出来ないでしょう、そういう事態を防ぐためのシステムだと私は考えています。

予言の内容を憶えてないのでしょうか?
「地球が滅びる」なんて一言も言ってませんでしたよ。
あなたの言う「修行の場がなくなるのを防ぐ」っていう理屈付けは通りませんので。

325100式:2006/09/12(火) 23:28:42 ID:23EXEQ6o
RANDY氏

みんなで菩薩を目指しましょう!!
てな活動だと思ってもらえれば良いです。
思いが大切ってのは、みんな重々承知していますよ。

一時期は熱心に活動されてたんですね。
気持ちよかったでしょう。
また、一緒に活動しませんか?
お待ちしています。

お待ちしています。

326100式:2006/09/12(火) 23:32:30 ID:23EXEQ6o
>>325
お待ちしています。
一行削除・・・
なんでこうなるの??(欽ちゃん風)

327100式:2006/09/12(火) 23:51:15 ID:23EXEQ6o
エートス氏
>>315
不均衡、不平等なことが起きた場合、一般人は嫉妬心を感じる。
ってことで嫉妬心と書いたんだけど、まあ何でもいいんですよ。
何やら「面白くない」ってな黒っぽい感情が出てくる。
こういうのは、どこの支部でもあるんじゃないですかね。

回す回さないはどっちでもいいんですよ。
そこで発生した軋轢をどう解消するか、
参加者をどう増やしていくか、
現場の人が、知恵を絞って解決していく。
前回よりも今回、今回よりも次回、
だんだんと成長していけるように努力する。
それが大事なことだと思います。

くどいんだけど、菩薩信者顕彰制度の菩薩と実際の霊格は別物だからね。
表彰される人は、菩薩を目指している人であって、
菩薩の霊格がある人ではありません。
そして、すべての人に菩薩を目指す権利があるのです。

328100式:2006/09/13(水) 00:00:37 ID:sTRBjfHo
ことりん氏

女性同士の、なんつーか、その、難しいですなぁw

そういえば、総裁先生が
「女性は怖い」とおっしゃってましたな。

ワシも、女性の狭間に入って、なんつーか、大変な時ありますw

まあ、お互い頑張りましょう!!

329青の青:2006/09/13(水) 00:25:06 ID:XH/rj0I6
>>322マンダム!氏
レスを頂いたりは初めてですね、ご助言ありがとうございます。

330青の青:2006/09/13(水) 00:56:39 ID:XH/rj0I6
>>>324初代氏
>「地球が滅びる」なんて一言も言ってませんでしたよ。

地球を何度も滅ぼすほどの核兵器が存在していると思ってたんですが、
ぐぐって調べてみると、地球を破壊できる訳ではないようですね。
文明を滅ぼすなら何十回も出来そうです、人類なら数回、ということのようです。

地球意識が何を思っているかというのは私の分を越えますので、これ以上は控えようと思います。

本題は「理屈の通らぬ予言の外れ」ということでしたが、
私の理屈は言いたいだけ言えたと思います。
あとはそれを受け入れるかどうか、信じるかどうかです。
結局は「信の世界」ということですね。

この話題は一区切りつけようかと思いますが、いかがでしょうか?

331ことりん:2006/09/13(水) 20:01:35 ID:BD/WwF82
>>328:100式さん♪

主は、前世時、大奥の方々の揉め事を
おぼえていらっしゃるからですわ(笑)

女は、とにかく男性にみとめてもらいたいのですわ。
私が一番って人が多いですわ。
えへへ、私もその一人かもしれません(^^;)

早く、自分をかえなきゃ〜とおもいます。
支部閉鎖なんて事にならないように。
法を学ばなきゃ〜と労働奉仕しています。

財力、知力のない人のための七つのお布施〜

『無財の七施』
①眼施(がんせ)
②和顔施(わがんせ)
③言辞施(ごんじせ)
④身施(しんせ)
⑤心施(しんせ)
⑥牀座施(しょうざせ)
⑦房舎施(ぼうじゃせ)

どれだけできるかなぁ〜?と思案しています(^^;)
でも、できることからこつこつします♪
応援ありがとうございます。
頑張ります〜♪

332IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/09/20(水) 23:40:04 ID:O/VRKJq.

○猜疑心

ORがエル・カンターレであることを信じることができない。

なぜか、その説く教えが過去にあったものの延長にすぎないから。
その説く教えを実践し、実践したものが真実であると確信したとしてもORがエル・カンターレであるとは限らないのではないか。
過去の教えを学びそれをアレンジしただけなのではないか。
ORの教えを実践しORがエルカンターレであると確信したとして、それが本人の願望の高まった状態にすぎず、願望に思考、判断を屈服させたにすぎないのではないか。
教義の不完全性や不整合性、不備を発見しても信仰の名の下にこまかしているのではないか。
過去KKで映像、音声、文字によって感動したこと喜び、嗚咽、ひらめき、これらは霊的利己主義に基づく欲望の発散でないといいきれるのか。
巷を騒がせているカルト教祖と信者の関係はORとその信者の関係とまったく似ていないといえるのか。


 自己分析

 信仰を維持できない原因

  自己保存欲、物質生活への欲望。
  時間と金銭をKK(教祖や教団)へ放棄することへの恐怖とこれにもとづく詐欺行為への警戒。


 黒田版 対処方法

 思考活動の強化。知覚力と認識力の増大。
 宗教団体をとうしての奉仕活動の拒否。
 
 ____とちらも困難を感ずることは白状しようw


 欲望を完全に制御できるまでは信仰は高められた欲求の結果であり、思考の代用である。
 思考を完全に統御できるまでは信仰は考え抜かれた推論による確信であり、直観の代用である。
 直観によって信仰は事実の認識となり、実在・真理・現実をありのままに把握しえる。

 KK信者たちよ。あなたがたは何によって信仰を得たのですか!?
 あなたがたの信仰が直観によるものだとどうしていえようか?



 久々のなりきりモードでごさいました。m(__)m

333ことりん:2006/10/02(月) 21:07:30 ID:1gCoIK56
>>KK信者たちよ。あなたがたは何によって信仰を得たのですか!?
 >>あなたがたの信仰が直観によるものだとどうしていえようか?

また、こりずにかきこしてごめんなさい。
でも、難しい言葉ばかりだから、わかんない。
どういう風にどんな言葉で答えたらいいのか〜わかんない。

て、うじうじ かんがえていたら、
信仰って素直に信じて主を仰ぐからじゃないのかな?
難しい言葉じゃないとみんなが理解できないのかな?っておもった。

ん〜ことりんは、直感型信仰なのかな?
これ好きだわぁ〜♪ってな感じで入ってま〜す♪
主の言葉の勉強は、まだまだですけどね。

これだけ、ネットや団体の中にいてて悪口聞いて知っても
本物だって素直に主を信じていることね。
だって、法友や団体が、好きだから入ったんじゃなくって
主に引かれてはいったんだもん。

だから、支部でいびられても平気だもん。
主は、ちゃんとみていてくださるから。
何か問題が生じていても私が正しければ、
助けてくださる。
間違っていたら「すかたん」しています(^^;)

今日も単車で自爆しました。
手に穴が開いて打撲が数箇所。
単車は無事だけど、仕事遅刻しました。
ごめんなさ〜い♪

地獄から出てきてまだまだひよこのKK会員の信仰告白です。

334初代:2006/10/08(日) 05:01:00 ID:nA9XGevI
>>324

こんなニュースが目に付き、総裁の発言を思い出したので、書き込んでおく。

>世界気象機関(WMO)は3日、今年の南極上空のオゾンホールが過去最大となったと発表した。米航空宇宙局(NASA)の観測では9月25日に、オゾンホールが過去最大となった2000年9月を上回り、日本の面積の約80倍にあたる2950万平方キロ・メートルに達した。欧州宇宙機関(ESA)の観測でも同じ日に、2000年とほぼ同じ2800万平方キロ・メートルとなった。今年は成層圏の温度が低く、オゾンを破壊する物質の量が多い期間が長く続いたためとみられる。

前世紀末が迫ってきたある時、人の努力(オゾン規制)で危機の状況も変わってくるという話をされていたかと。

335初代:2006/10/08(日) 06:58:56 ID:ljxlTAN.
神戸で震災があった時、創価学会施設との関連が嬉々として語られた。
まあ、好きに言えばいい。けどね、話は後付けだけでは終わらない。

創価学会による選挙違反監視に力を注ぎ、それでも公明党の獲得票数は微増を続けたばかりか政権与党側に就き、日本には何も起こらない。
東村山市議の自殺を、創価学会による「第二の坂本弁護士事件」とキャンペーンをはるも、騒ぎは終息。
さて、“後付け”の理屈は何処へ行った?

>>334

オゾンホールは閉じる傾向にはなかった。
2000年9月に最大を記録し、今年またその最大を超える。

「予言の外れ」…言ったことが成らないこと…いや、それ以前に現状認識にすら誤りがあった。
二重にダメ、ダメダメやんってことです。

336ことりん:2006/10/08(日) 18:13:26 ID:str2bs6o
悪い予言って当たったほうがいいのかな?(^^;)
悪いのは、外れて良い予言は欲しいって曖昧なのが
みんなに納得してもらえない理由なのかな?
誰もが、納得する予言ってぴったしかんかんじゃないとだめなのかな?

でも、のすとらだむすのおっちゃんみたいに
暗号ばっかりだとわかんなくなっちゃうわ(笑)

337エートス:2006/11/19(日) 23:03:00 ID:uPMb9XVg
例の男の子たちが無間地獄に落ちる話ね。
三者三様の理解のようですが、ニーチェファンのわたしとしては非常に気になりますね。

>現役信者氏
>ニーチェのいる地獄に堕ちたのが不思議だとありますが、そうでもないんですよ。
>ニーチェはもと菩薩。ロベルトとパトリックは菩薩の門まで行けているので非常に優秀な魂ではある。菩薩の門をくぐるのは非常に難しいことは「釈迦の本心」の最終章で書かれている通りです。
>彼らが退転した時に堕ちる地獄は深い闇です。それだけ落差があるからです。
>教義上は整合がきっちり取れています。
>何の問題もありません。私はむしろ教義に忠実に描かれている事に、陰ながらの努力を高く評価しています。

これの主旨は「菩薩一歩手前の人だと、ちょっとしたことでも無間地獄まで落っこちる」ということですネ。

>AHW氏
>「ロベルト、パトリックたんが、もともと6次元出な魂だから落差の原理で、ちょとした愚痴や嫉妬でも、地獄最深部に直行する」=教義に忠実ってのは、わけわからん。一念三千がkkの基本教義だろ? 


>たまご氏
>ロベルト、パトリックも菩薩界一歩手前、でもあるし、主人公をおびき寄せるための人質になって下のほうに誘導されて行っていたので、ニーチェスのあの場での目的は隆太で、彼を転向させることにあると見てました。

つまり「はじめに落ちたのはもっと浅いところでした」ということですね。

>100式氏
>パトリックとロベルトが地獄に落ちるシーンについては、
>「落ちたのは地獄の浅い所だった。そこへニーチェスが迎えに来た」または、「ニーチェスが悪のインスピレーションを送り、落ちる場所を操作した」とか考えてみた。
>普通、いくらなんでも、ニーチェスの所までは落ちないと思う。
>あそこは特別なんでね。何かあるんだな。何か。
>隆太が狙われていたのは事実だろうし、パトリックは無神論者なので、ニーチェスと縁がついていた可能性はある。
>この縁によって上記の2つのパターンが可能かと。

ふむふむ、では、素朴な信仰タイプに見えるロベルトさんはどうしましょうか。

このあたりは是非、公式見解とやらがあるのなら聞いてみたいですね。お互いに考え方の違う信者さんもそう思いませんか?

338AHW:2006/11/24(金) 08:42:36 ID:B9R/diZY
>>337
みんな、エートス氏がこっちに移したの気付いてないのか?

>つまり「はじめに落ちたのはもっと浅いところでした」ということですね

うぃ。この方がわかりやすい説だわな・・・。
主人公は大物ってことと、霊界に来てること連中は知っていたと。
何で知ってるんだ?w
まあ「現代のトスよ!!!!」とか最後の方で呼びかけられてたっけ。
あれも意味不明だったんだが、「誰よ、あんた?」って感じで。
名前からすると大川氏クラスの大物って設定なのか?

339100式:2006/11/26(日) 01:06:04 ID:0RAU4Xqg
>>338
AHW氏
「現代のトスよ。目覚めなさい!」について。
この辺が、ヌルイ理由の一つだと思われまする。
ヘルメス神がケリューケイオンの杖を振るい、
隆太の意識はアトランティスに飛ぶ。
ここで、過去世、トス神の直弟子だったと思い出すわけです。
その後トス神から語りかけられます。
「あなた方は永遠の神秘を垣間見た・・・
(中略)・・・大いなる未来を拓け」
と、つまり、直弟子であって分身ではないわけです。
現代のトスという意味は、
トス神が現代に生まれたならこんな感じだろうということ、
つまり、科学と霊界思想を融合する存在ってことです。
また、9次元まで行くので、あえて完璧な欠点のない性格に描かれています。
神近き人ですね。
結果、葛藤や苦悩とは無縁な、
映画の主人公としては面白くない人物になるわけです。

で、隆太は、おそらく7次元(上段階?)かと思われます。
8次元では?と言う人もいましたが、夕子といつも一緒に転生しているので、
如来格ではないと考えます。
何ゆえ重要人物かというと、霊界通信機の発明者としてノーベル賞を受賞するからで、
悪魔にとっては超目障りでしょうな。

他にヌルイと感じる所は、たとえば、照魔シアター。
さらりと流されてますな。
あそこで嘘はすべてバレるわけだし、
人を不幸にした場合、その人の苦悩まで味あわされるらしい。
結婚詐欺師なんか悲惨だろうな。
地獄の描写もヌルイ。
マジに描くと18禁になるし。
吐き気を催すようなシーンはさすがにマズイでしょ。
まあ、その辺は、ポイントだけ抑えて、簡単に流し、
天上界の美しさを描くことに専念したってことで良いと思いますね。

とりあえずこんなところで。

340100式:2006/11/26(日) 01:33:47 ID:0RAU4Xqg
>>337
エートス氏
パトリックとロベルトは、そのときは、「神に対する不満」
を吐き出しているわけですね。
当時の心境は似たようなもので、落ちた所は同じでもOKでしょう。
ニーチェスと縁がついているってことは、
要するに、ニーチェスの指導を受けるってことで、
悪想念を出している状態なら、一時的、部分的に影響下にある。
こういう考え方です。

まあ、こういったややこしい説ではなくて、もっと単純に、
地獄の浅い所にニーチェスが迎えに来た。
また、隆太を狙うため、彼らは監視下にあった。
このくらいで良いと思います。

341IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/11/27(月) 01:38:17 ID:iwjQBGyU
もの言うスレ から 引用

200 名前: RANDY 投稿日: 2006/11/26(日) 22:12:40 9PJ.S0yo

>「相手の次元に合わせる」って具体的に、どういうことなんでしょう。
>『永遠の法』の対決場面では、全然、悪役の次元に合わせてる感じはなかったでしょ。むしろ両者は正反対の思想を持ってた。それなのにお互いを認識し、対決してた。よく分からないですね。

 二通りのあり方がありますよ。

1. テレパシーの使用。 

2. その次元の霊体を塑造してそれを使用する。しゃべる。

1と2が同じ意味な場合がありますね。 KKでは想いは魂の行動という言葉がありました。
魂の身体活動が思考活動であるといいますかね。

342ありす:2006/11/27(月) 19:07:02 ID:6r32NWnw
名前:JBL 投稿日: 2006/11/26(日) 20:45:08 [ L.G1gDT6 ]
>救っても救っても
>本人が反省して悟らなければ同じことのくりかえしだから 
>主は、「・・・早く帰ってほしいなあ・・・」
>と思って待っててくださっているんじゃないのかな?

それは、本人がナットクするまで何回でも救うべきなんじゃないのかなあ。
大川総裁も大好きな諸葛孔明の逸話「孟獲を七たび捕らえて、七たび放つ」
の話と一緒です。

まあ、価値観の問題もあるでしょうが・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここでカキコするのがいいのかな?

ねぼすけの子供になんども
「夜は早く寝るの!」と口すっぱく言っても
こそこそと親の目をぬすんでは夜おそくまで起きてる。
で、いつも朝寝坊して遅刻しそうになるの。
私、親馬鹿だから学校に送って行くんだけど、
もう、数十回だよ!!!

もう、遅刻しても良い!
自助努力で起きて学校に行きなさい!
と突き放しながら影からはらはらどきどきしながら
観ています。(><)

救っても救っても進化してくれませんわ。
でも、某どこそのライオンの親みたいに崖から突き落とせと
言われてもできませんわ。
あ〜かなしい〜って感じかな?

賢くなる膨らし粉いれたいぃ〜(^^;)

343RANDY:2006/11/27(月) 19:59:44 ID:BElevGFM
IAOO.KK氏
>>341
それだと、霊界においても、様々な霊との交流が可能になりますよね。
とすると、三次元世界の価値ってどうなるんでしょ。
あの世でも、様々な霊と対話ができるならば、何のための三次元? と思えてきます。

一方、霊界においては、似たもの同士しか交流できないが、
地上において、肉体を持った場合は、様々な魂と交わることが可能であるとすると、
学びの場としての三次元の存在価値が理解できる気がします。
KKでは、この世での修行の意義について、こんな感じの話を強調してたと思った。「主宰先生の説法は今世しか来ません。あの世では絶対聴けません」みたいな感じで…。
私の話はやっぱ古いかな。

なんか話を広げたような、逸らしたような感じになっちゃったけど、結局のところ、「あの世の事はよう分からん。この世で、精一杯真面目に生きとけ」という結論になっちゃうのかな。

344IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2006/11/28(火) 00:18:15 ID:FB8PJjqw
>>343


>それだと、霊界においても、様々な霊との交流が可能になりますよね。

様々な霊との交流というものは直接感応できるか否かにかかわらずはじめからおこなわれているはずですから気づかないだけですよ。
霊存在のなかには物質界とか地獄界などみることもきくこともかんじることもできない存在だっておるはずです。

KKでは 九次元霊や八次元霊が地獄におもむく内容がありますが行こうとおもえばいけるがめったに行かない。
いかない人は全然いかない。行こうとか全然想わない。行く必要はまったく感じない。そんなのあったの?とか。
いってもそれは8,9次元の霊そのものではない。また、生きたいけど行けない占星学的、カルマ的、能力的制約がある。
いろんな事情があるはずなんです。

テレパシーにしても、通常の個人としての肉体人間が装備している最高の霊体を使用した通信手段であるので転生する
人間が活動する階層以上の意志疎通手段としては途端に不便になってくるはずなんですね。
そのような階層では抽象知性や直観が機能していなければならないのでしょうが、常にこちらが相手にあわせたり、相手がこちらにあわせてくれたりするもんではないとおもいます。
テレパシーにしても動物でもわかる本能的な内容、アストラル体を使用するものもあればメンタル体を駆使した低級言語や高級言語もあってテレパシーの波長の違いの問題も依然としてあるですよ。

ということで 様々霊との交流が可能であるが何でもかんでもというわけにはいかない。

映画の件でいえば 隆太たちやニーチェにしても今地上人でありかつて地上人であった人間同士であったのであり共通する霊体の装備があったから接触できたわけです。

波長同通の法則は依然としてありますよ。それは大霊界の基礎です。例外があるのはなぜかというと形而上学的には神との力学的関係とか神との関係性なんだろうし、
霊界事情としては通信設備または移動通信能力のありなしの問題だろうとおもいます。
人間の偉大なところは3次元物質界鉱物界から10次元の惑星ロゴス界までをつなぐ中間緩衝媒体になっているところ。

なにごとも原則と例外があるんだろうけど

おっさんやジークに九次元霊がおりるわけないと思うな。 
もしそうだとしたら釈迦や総裁そのものが人間臭い霊だということになるね。ちがうというならそれは 釈迦や総裁の霊の一時分霊の分霊の分霊。切れっ端霊だろう。
じっさいは思い浮かべた総裁のイメージを総裁といっているにすきない。といっても全く効果がないわけでもない。本人の浄化が十分にすすんでおればそれなりに威力を発揮するかもね。
たとえ実際の総裁がどんな人であろうとも。

345AHW:2006/11/28(火) 00:33:38 ID:SrobCGlI
>>339 百式氏 レスども

>つまり、科学と霊界思想を融合する存在ってことです
>何ゆえ重要人物かというと、霊界通信機の発明者としてノーベル賞を受賞するからで、
悪魔にとっては超目障りでしょうな。

これはまた新たなkkの予言発表(映画での教えとして)ということなのかね。
ノストラ映画の世紀末予言はかなり外れたわけだがw
kk世界観からしてニュー㌧さんやらエジソンさん級が出ないと無理なんでね?

霊界通信機ができても低位霊界しかようつながらんから、また混乱が起きる元とか言ってなかったけ?kk本で。
ってことは悪魔にもよりチャンスなんじゃまいか?w

>9次元まで行くので、あえて完璧な欠点のない性格に描かれています。

あえてってことは、わざとつまらないキャラ演出したってことか。

>神近き人ですね。結果、葛藤や苦悩とは無縁な、映画の主人公としては面白くない人物になるわけです。

いわゆる素朴な婦女子・子供向けの作品ならわからんでもないが、
「日本昔話」なんかの方がまだキャラの心理にリアリティがあるんだよな。
その点、雑談スレでも書いたが、アニメ黄金の法のほうが30倍くらいマシだったな。

346エートス:2006/11/28(火) 20:48:51 ID:0DtcbLnw
>>Y16973 
初代氏
黒星あれこれ、初代氏ほどには人間できていないエートスです。

ニ敗目が_信者パインさんの成長を見込み違う_となってますネ。
その時、あなたから彼にリアルディールの称号を進呈しているようですが、彼がどうも先祖がえりしていないかどうか心配です。w

彼が_わたしがわざとKKを貶めるように投稿をしている_とか書いてたのは、まーわたしも管理人の端くれですし別にかまわないんですが、
その後、退会者スレでのJBL氏への「調子に乗るなよ」という書き捨て台詞とそのあとは知らん顔のままってのはどーもねー。

で、三敗目は確定ということで。
タコ富士氏が貼ってくださった公判記録その他を読みましたが、個人的にも常識的にも行き過ぎだと思いましたよ。ほぼファシズムな手法じゃないの。

で、てっきり総裁氏の「反省すべきは反省した」とはこれについてのこったろうと思ったのですが・・・公式見解を確認したらどっこいそうじゃあなかったと。

「行き過ぎなんてとんでもない、全て聖戦の誇るべき歴史」「よって総裁がこの件を反省することなんてあってはならないことだし、あるわけない」という感じですよネ。

このKKという団体とその構成員の思考形式がよく顕われているんじゃないかなー。
わたしが主流であってくれれば安心できるなーと思う100式氏らの方が、この件じゃむしろ異端扱いという結果にもなっていますしネ。

347エートス:2006/11/28(火) 20:50:07 ID:0DtcbLnw
もし自分や知人の努める会社があーした攻撃にさらされたら、どのような団体だろうと怖いという印象しか残らないでしょうね。
またわたしと同様に、そう思った方はおそらく多いのではないでしょうか。

表の顔と裏の顔があるとまでおどろおどろしいことは言いませんが・・・少なくとも一般人が論考やらを読んで理解する文意と、会内で理解すべき文意がダブルスタンダードではあるでしょうネ。

世間解の大切さを口にしながらも、まーKKの教えはダブルスタンダードであるというのははっきりしたように思いました。
で、三帰誓願というのは結果的にダブルスタンダードを受け入れる事態におちいることだろうっていうのもわかりました。

宗教とはこうしたダブルスタンダードに陥り易く、それが由々しき問題を引き起こしてきた歴史たくさんありますネ。

まー熱烈信者代表のジーク氏などは、我が物顔に「それで当然!今も悪は許すまじ!」というノリだしね。

だから「今後はもう起こさないだろう」ってのは怪しいんじゃないでしょうか。
一切の行き過ぎも反省点も無いのだ、とは一般的な言葉で言えば「開き直り」にあたる訳で。
団体としてのKK自体と、ゼロ氏やジーク氏のいかれたメンタリティが似ている_という気がかなりして来たよ。

わたしのこの観戦感想、一読者の正直な声としてどなたかYにコピペしてくださっても構いませんよ。

348100式:2006/11/29(水) 23:11:43 ID:Kho67Jms
RANDY氏
>高級霊からのインスピレーションは、同レベルの存在じゃないと、受信できないことになってましたから。
原則そうですよ。
ただ、高級霊だと何でも可能なんです。
>「相手の次元に合わせる」って具体的に、どういうことなんでしょう。
一般に、次元が上がると光が強くなると言います。
仮に、5次元の人が6次元に行く、6次元の人が7次元に行く、
こういうことがあったとしたら、まぶしすぎて何にも見えないらしい。
逆に、上の次元の人が下に来ると光の塊に見える。
で、上の次元の人が光を落とすことで下の次元に合わせ、見える(認識できる)ようになるそうです。
K氏の説明がわかりやすいかも。
その辺の具体的なことはKKでは語られていないわけで、
そうなのかな〜といった感じ。

349100式:2006/11/30(木) 00:41:58 ID:N3QJJ8.2
AHW氏

>新たなkkの予言発表(映画での教えとして)ということなのかね。
そうらしいよ。
近未来には科学が霊界思想と融合してさらに発展する・・・ってこと。
「黄金の法」によると霊界通信機は2100年代の発明らしい。
しかし「永遠の法」の舞台はそこまで未来じゃあないね。
今から20〜50年後くらいじゃないかな〜と思う。

>ニュー㌧さんやらエジソンさん級が出ないと無理なんでね?
そう、だから隆太が如来だという人がいるわけで・・・
ワシとしては9次元まで垣間見ることでそこをクリアしたとみたんだが・・・
実際はどうなんだろうね?

>霊界通信機ができても低位霊界しかようつながらんから、また混乱が起きる元とか言ってなかったけ?
4次元にしかつながらないとありますね。
混乱というか、つながる相手によって、幸・不幸が分かれてしまうとあります。
>悪魔にもよりチャンスなんじゃまいか?w
これに乗じる悪魔も当然いると思います。
しかし、隆太が対峙したニーチェスは無神論を広めようとしている存在ですから、彼らからすれば超目障りでしょう。

>わざとつまらないキャラ演出したってことか。
そう思いますね。
天上界、すなわち悟りの世界を演出するためにね。
>黄金の法のほうが30倍くらいマシだったな。
信者の中でもそういう意見は多いですよ。
ただ、楽しむとか感動するとかとは違う良さがあると思いますね。

350RANDY:2006/12/01(金) 21:54:28 ID:u2CxOpSQ
〈波長同通〉
頭を整理するため、ちょっと話を整理させてください。
まず波長同通を厳格に解釈すると、これトンデモっぽくなりそう。…人には個性がある。個性は千差万別、百人百様、人様々。誰かと誰かが何から何まで全て完全に一致する同一個性って普通ないですね。だから波長が完全合致しなければ、他者と意思疎通できないとしたら、誰とも意思疎通できなくなるかもしれない。これだとトンデモですね。

だから波長同通といっても、完全一致しないとダメなんじゃなくて、ある程度の幅があるんだろうと思う。私はおおむね同波長ならば、意思疎通できるんだろうと推測してる。ただこのおおむねという〈幅〉なるものが、どの程度の〈幅〉かは分かり難い。個人的には、最大幅でも隣りの次元まで、一つ飛びの次元までは難しかろ、と思ってます。

これに対して、IAOO.KK氏は、意思疎通に関しては、波長の合致だけが条件じゃなく、様々な制約や、双方の共通性についてのご指摘ですね。
>>344
>占星学的、カルマ的、能力的制約がある。
>映画の件でいえば 隆太たちやニーチェにしても今地上人でありかつて地上人であった人間同士であったのであり共通する霊体の装備があったから接触できたわけです。

共通する霊体の装備については、以前、読んだ心霊関連の本にあった話を思い出しました。それによると、「人は死んだら霊となる。したがって霊の目を持つ。だからもはや肉体人間は見えず、霊しか見えなくなる」みたいなことが書いてた。

〈肉体を見るには肉の目が必要であり、霊を見るには霊の目が必要〉らしい。これから行くと、高級霊は、最低限、幽体や霊体を着て出現しないと、四次元五次元あたりの霊人には認識できないかもしれない。…三次元の肉体人間は、高級霊がそのままの状態では認識できず、物質化してくれることで、ようやっと「ああ天使だ」と認知できる。四次元五次元あたりの霊人も、高級霊が自分たちの体と同じ形態になってくれた方が認識しやすいでしょうね。

ただここでちょっと疑問が生じる。肉体人間だと互いに無関心でも、体が衝突することがある。けれどもあの世だと、互いに無関心だと、衝突してもぶつからずに、体を突き抜けちゃうという話があるんですよね。…幽体と幽体、霊体と霊体であっても、互いに無関心だと、体が突き抜けてしまうのであれば、高級霊が幽体等をまとって四次元とかに降りても、四次元霊がそれに注意を向けてくれなければ、対話は成立しなそうに思える。

どうしたら四次元霊は、幽体を着た高級霊に気付くのかな? これには何か親和性のようなもの、共通項みたいなものが必要な気はする。

ただそれらが希薄でも、持続的に念を送れば、勘付いてもらえるかもね。「おれはココにいる。おれの話を聴いて欲しい」とか念を送ればね。…三次元では、愛念を抱いて視線を送れば、相手が後ろを振り返ることはあるし_(キモイと思われる危険性は多分にあるけど)_その延長で考えると、念を送る事で気付いてもらえそうな気はします。。

お互いの存在を認識したら、次は、対話だけど、これは難しそうではある。映画の地獄でのやりとりを見ても、話し合いは平行線で、挙句の果ては戦いになってしまってる。…三次元でも、伝道したりとか、誰かと話し合いをしたりしても、相手の意見を変えてもらうのはかなり難儀ではあるし。多分だけど、天使が愛に満ちた説法をしたとしても、阿修羅は阿修羅として理解、餓鬼は餓鬼としての理解しかしないのではないだろか。

この辺の話は、〈悟りに応じた認識力〉の話になってきそうではあるけど、これも自分の意識・個性と親和性類似性があるものしか認識、理解できないとすると、波長同通とも関連ありそうではある。

351RANDY:2006/12/01(金) 21:56:50 ID:u2CxOpSQ
100式氏
>>348
>高級霊だと何でも可能なんです。

うーん。これはなんとコメントしたらよいか、難問です。私は波長同通についてはわりと狭く考えてる方かもしれない。IAOO.KK氏は、一定の制限を認めつつも、私よりは広い範囲の意思の疎通が可能と考えてるみたい。100式氏は、「高級霊だと何でも可能」ということね。

>5次元の人が6次元に行く、6次元の人が7次元に行く、
こういうことがあったとしたら、まぶしすぎて何にも見えないらしい。

それは多分、あくまで比喩に過ぎない気はします。六次元が七次元を眩しいと感じたとしても、それは七次元を外側から見てるだけでしょ。それは、本当に七次元に行ったのとは違うと思う。

「七次元に行く」というのは、「七次元に入る」という感じで、七次元を内側から見る感じでしょ。でも六次元存在では、七次元存在を内側から見ることは無理でしょ。七次元に入るには、七次元の心境であってはじめて可能で、その時はじめて七次元の内側が分かるんじゃないかな。

NHKFMの電波の中に、文化放送の電波を入れるとか、その逆とか可能なんだろうか。六次元波長と七次元波長が重なるなんてよくわからないですね。…六次元が七次元に行く(入る)には、やっぱ七次元の波長にならなきゃ無理のような気はします。でもまあ、次元を波長ではなく、空間と見れば、また話は違ってくるのかもしれないけど。

352エートス:2006/12/02(土) 00:25:48 ID:fbProLm6
>>348
100式氏

>>高級霊からのインスピレーションは、同レベルの存在じゃないと、受信できないことになってましたから。
>原則そうですよ。
>ただ、高級霊だと何でも可能なんです。

これってすごく危なくない。高級霊はなんでもありかもしれないけど、反対側の高級霊もかなりいろいろできるんでしょ。
そうしたら、インスピレーションがどっちからかは分からないんじゃないかな。

逆からきていても、自分では上位からのインスピレーションだと思い込んでいる可能性が高いんじゃないの。
さらに、誰かさんみたいに自分はちゃんとした会員だとか思っていると、よけい自分で判断することはできないような気がする。

で、何ページというお告げでしたとかインスピレーションとか開陳しちゃうんだから。
でもあなた「変」だって言われてよかったね。おめでとうございます。w

353100式:2006/12/04(月) 20:42:51 ID:ivhagnvY
RANDY氏
>>350
>どうしたら四次元霊は、幽体を着た高級霊に気付くのかな? これには何か親和性のようなもの、共通項みたいなものが必要な気はする。
縁が必要だといわれていますね。
後は信仰心でもいけるんじゃないかと。
レベルは違っていても、方向性が似ていれば通じるんじゃないでしょうか。

>ただそれらが希薄でも、持続的に念を送れば、勘付いてもらえるかもね。「おれはココにいる。おれの話を聴いて欲しい」とか念を送ればね。…三次元では、愛念を抱いて視線を送れば、相手が後ろを振り返ることはあるし_(キモイと思われる危険性は多分にあるけど)_その延長で考えると、念を送る事で気付いてもらえそうな気はします。。
そうだと思います。
供養なんかがそれにあたると思います。

>映画の地獄でのやりとりを見ても、話し合いは平行線で、挙句の果ては戦いになってしまってる。
アレは拒否し続けていた地獄霊が救われるシーンです。
しかし、傷ついた天使も描かれていますから、
うまくいかない場合も多々あるというか、なかなかうまくいかないんでしょう。

>…三次元でも、伝道したりとか、誰かと話し合いをしたりしても、相手の意見を変えてもらうのはかなり難儀ではあるし。多分だけど、天使が愛に満ちた説法をしたとしても、阿修羅は阿修羅として理解、餓鬼は餓鬼としての理解しかしないのではないだろか。
原則そうだと思いますが、感化力ってのもあると思います。
高級霊と接していると感化されるんですよ。
磁石にくっついた釘がそのうちに磁力を帯びていく・・・みたいな。
直接でなくても、間接でもいいみたいで、
本を読み続けるとかね。
そういうので感化されるでしょ?

>この辺の話は、〈悟りに応じた認識力〉の話になってきそうではあるけど、これも自分の意識・個性と親和性類似性があるものしか認識、理解できないとすると、波長同通とも関連ありそうではある。
関係あると思いますよ。

>>351
>100式氏は、「高級霊だと何でも可能」ということね。
高級霊だと、どんな奇跡でも起こせるらしい。
しかし、普通は起こらない。
めったに起こらない。だから奇跡。
何でもできるが、めったにやらないという認識。

>七次元に入るには、七次元の心境であってはじめて可能で、その時はじめて七次元の内側が分かるんじゃないかな。
そうなれば7次元の住人なんで、問題は無いね。
普通はありえないんだが、霊界エレベーターみたいなもの、高級霊の起こす奇跡によって、
6次元存在が7次元に行くとそうなる・・・らしいと。

>六次元波長と七次元波長が重なるなんてよくわからないですね。
>でもまあ、次元を波長ではなく、空間と見れば、また話は違ってくるのかもしれないけど。
3次元、4次元・・・となっていくわけで、上位の次元は下位の次元を包含するわけさ。
だから、空間なんだが、そこに特有の波長を持つってことじゃないかな。
うまく説明できないww

354100式:2006/12/04(月) 20:46:34 ID:ivhagnvY
>>352
エートス氏
>これってすごく危なくない。
危ないっすね。
一般に高級霊からのインスピレーションってなものは、
めったにないんで。
KK信者においては、精舎研修や祈願等での神秘体験限定、と考えてよい。
日常から起こっているなら危ないですわ。

>反対側の高級霊もかなりいろいろできるんでしょ。
そうなんよ。
だから、精舎において、変な願いに返事が返ってくるなら、
良くて裏、ほとんどが下、なんだそうな。

>そうしたら、インスピレーションがどっちからかは分からないんじゃないかな。
反省とは無縁で霊感有りな人は超危険。
精舎だからと安心できない。

>逆からきていても、自分では上位からのインスピレーションだと思い込んでいる可能性が高いんじゃないの。
ありうるでしょうね。

>さらに、誰かさんみたいに自分はちゃんとした会員だとか思っていると、よけい自分で判断することはできないような気がする。
端から見るとよくわかるでしょ。本人は自覚しにくい。

>でもあなた「変」だって言われてよかったね。おめでとうございます。w
複雑でゴザイマス。
アレでも法友、マトモになって欲しいのは当然です。
今の所、支部には行ってるようだし、支部批判はしていないし、ギリギリかもね。
ああいう人が支部批判始めたら、ホントまずいっすね。

355AHW:2006/12/08(金) 00:09:44 ID:KzRV8o7Q
>>354 (゚ロ゚)ギョェ
>だから、精舎において、変な願いに返事が返ってくるなら、
>良くて裏、ほとんどが下、なんだそうな。
>精舎だからと安心できない。

なるほど。そういう内部での見解があるんだな。
ここでも結界は、本人ダメならあっさり決壊するですか。

>日常から起こっているなら危ないですわ。

百式氏的には、あのヤサ大先生はどうなんだ?w
過去世情報とか先生から授与してもらってたようだが・・・w

>>でもあなた「変」だって言われてよかったね。おめでとうございます。w
>複雑でゴザイマス。

というか、お前さん=実は女霊が中心!!!! なんだよな?
女性をもろに蔑視してるジーク氏とはソリが合わんのは当然かもなwww

>ああいう人が支部批判始めたら、ホントまずいっすね。

たまにだが何度かしっかり批判してたような気がするがw
つか、アレはいよいよ自分の振るまいがある程度公式に否定されたりしたら
あっさり反旗をひるがえすとも思われ。おっさんと同系統パターンだろな。

356青の青:2006/12/08(金) 06:49:38 ID:hObIgjbY
>>337 エートス氏
>>340 100式氏

ロベルトとパトリックが深い地獄に落ちたのは、100式氏が言うように「神への不満」をいったからでしょう。
人同士なら深いところには落ちないのですが、相手が「神」だったのがいけなかった。
なぜなら神への不満、不信、否定、これは悪魔の心であるからです。だから落ちたのです、悪魔の世界へ。

それよりも、なんでニーチェスなんでしょう、無意識界のはずなんですが、悪魔活動できないと思うんですけどね。
ニーチェファンが多いからなんでしょうか?
しかし、可哀想な話ではありますよね。「神は死んだ」っていう言葉をどんな思いで使ったかは知りませんが、この言葉がひとりでに罪を重ねているところがあるのでしょうね。

357青の青:2006/12/08(金) 07:23:16 ID:hObIgjbY
>>332 IAOO.KK氏
>KK信者たちよ。あなたがたは何によって信仰を得たのですか!?
>あなたがたの信仰が直観によるものだとどうしていえようか?

ズルイ問いかけですね。直感のどうしてを答えられたら、思考になってしまうじゃないですか。

この世は修業の場、テストの時間ですよ。明確な答えがわかっちゃったら意味無いでしょう。

358たまご:2006/12/08(金) 08:33:43 ID:wj5Y3NSc
青さんお帰りなさい!るろうさんも、よかったですね

>>355AHWさん
>たまにだが何度かしっかり批判してたような気がするがw
つか、アレはいよいよ自分の振るまいがある程度公式に否定されたりしたら
あっさり反旗をひるがえすとも思われ。おっさんと同系統パターンだろな。

ぇ!?脅かさないでください。いまヤフに書いてきてしまったばかり。
また誤解されてしまうかな・・。

359100式:2006/12/08(金) 18:40:05 ID:YLKwPRjk
>>355
AHW氏
結界があっても波長同通の法則は曲げられないわけで、
目的は天上界との交流なんで、
その状態のときに他所から干渉されないための結界だと、
こう考えてください。

ヤサ先生はね〜
最近、ネットに関わっていない一般信者からみればアホに見えると
自分で言ってるし。

過去世認定はほぼ創作だろうな。
しかし、ネット上のその人なり、雰囲気をよく掴んでいるんで、
たいした作家だと思うよ。

で、アンチには必ず入信を勧めるし、
ローエン氏に対する厳しい一言とか、
さすがやな〜と思わせるところもある。
侮れないわけ。

正直、何と評価して良いやら、ワカラン。

>というか、お前さん=実は女霊が中心!!!! なんだよな?

ヤサはそういっていたな。坂本竜馬の愛人とか・・・
真意はわからないが、エンターテイメント性は優れているよ。
意表を突かれたわな。笑ったし。真偽は霊界に帰ってからわかればいい。

>女性をもろに蔑視してるジーク氏とはソリが合わんのは当然かもなwww

かもね。

>自分の振るまいがある程度公式に否定されたりしたらあっさり反旗をひるがえすとも思われ。おっさんと同系統パターンだろな。

ん〜
実際、支部には従わないが、信者は辞めない人いるんで。
こりゃこれで困るんだが、リアルでも逆伝道みたいになる。
ワシとしては、支部から離れても信者は辞めないって思ってるんだが、
おっさんと同じパターンかどうか、様子を見るしかないですな。

360100式:2006/12/08(金) 18:46:52 ID:YLKwPRjk
>>356
青の青氏
黄金の法によると、
ニーチェとヒトラーは地獄の最深部でヘドロの沼でもだえている。
両手両足には重い鉄球のついた鎖がつけられているとの記述。
そんなんで、悪魔としての活動ができるのかという疑問は当然にあります。

361AHW:2006/12/09(土) 07:17:25 ID:eebAq8lQ
>>356 青氏 帰還乙!
>それよりも、なんでニーチェスなんでしょう、無意識界のはずなんですが、悪魔活動できないと思うんですけどね。
>ニーチェファンが多いからなんでしょうか?

無意識界って何だっけ? 無間地獄ってののナカーマ??
ヒトラーと普通に事前の作戦相談してたっぽかったがw

>しかし、可哀想な話ではありますよね。「神は死んだ」っていう言葉をどんな思いで使ったかは知りませんが、この言葉がひとりでに罪を重ねているところがあるのでしょうね。

ニーチェの場合、「元は高次元だったが・・・」って扱いなの?
違うならアレだが「元天使が落ちますた」ってなら元の偉人経歴くらい公表してやれよ
とは思うがな。

折れが覚えてるのは、たしか最澄だったけ。元高次元でも地獄にいるという。
本人の生前の振るまいや動機はさほど悪くなかったとしても、
思想が悪く影響したって罪になって無間地獄にいるとか。
思想家の場合は、本人が反省しても出れない連帯保証人みたいな立場みたいな?

ニーチェの扱いと明らかに違う気がするんだがなw

362AHW:2006/12/09(土) 07:32:55 ID:eebAq8lQ
>>358 たまご氏
>ぇ!?脅かさないでください。いまヤフに書いてきてしまったばかり。

表面は違うようでも、深層の行動パターンがクリソツって定評から
予想してみてるだけなんで。
まあ、ありえんというほど荒唐無稽でもないかと。

自我依存の対象として、kk生活が意味持つ間は縋りつき続けるだろ。
おっさんの場合、霊能ワールドが絡んでたからあっさり逝ったが
アレはそこらはダメらしいから、結果は同じとしてもゴールまで長引くかもな。

>また誤解されてしまうかな・・。

誤解ねえ・・w そもそも「誤解」とかいう次元の話じゃないんじゃまいか?
まあ、あのフルスロットルなマスターズ師弟ににカウンターするなら、
最低同程度のがむしゃらな逝っちゃってるパワーをベースで
本気で立ちはだからないと㍉かと。焼け石にホットおしぼりくらいにしかw

363AHW:2006/12/09(土) 08:04:24 ID:eebAq8lQ
>>359 百式氏
>その状態のときに他所から干渉されないための結界だと、
>こう考えてください。

よくわからんが、わかったことにしておくわ。

>侮れないわけ。

うぃ。電波部分についてはノーコメントだが、
ザの頃から折れは、大先生、教養ベースはかなりのもんと評価してる。
米国批判とかは、意見が同じとこもあったけな。
まあギャグのオリジナリティもなかなかのとこがあるしな。
マスターズ連中とは、人物が違う。
まあコピペ荒らしさえしなきゃ文句はない。

>実際、支部には従わないが、信者は辞めない人いるんで。
>こりゃこれで困るんだが、リアルでも逆伝道みたいになる。

ありす氏が言ってた、陶酔型でヤコ禅コース突入ってかw
青氏も、なにやら慢心君、困った君について愚痴ってたが、
kk的には「裏の問題児だから」って決着になるんだろなwたぶん。

>ワシとしては、支部から離れても信者は辞めないって思ってるんだが、
>おっさんと同じパターンかどうか、様子を見るしかないですな。

たまご氏へのレスでも触れたが、「僕は霊感ダメ」なのが最大の相違。
てか、ストッパーにはなるだろうて。コンプレックスをウルトラCで逆転できんから。

だが、もともと「私は阿羅漢らしいのですが?」で登場してるからなw
最近は「ページ付きインスぴレーション」とかも使いはじめてるようだし。
で、ネットでの霊能話に、興味しんしんがムキだしでw
ああいう情緒不安定、自我が未成熟、ワガママ三昧な人間がだな
(しかも強烈に信仰に依存してる) いよいよ追いこまれたら
はたと突然、「・・・(゚ロ゚)ギョェ 霊感に目覚ますた!!!」パターンもありそうだよw

364RANDY:2006/12/10(日) 11:42:29 ID:e76A.NY2
>>356 青の青 氏

>ロベルトとパトリックが深い地獄に落ちたのは、100式氏が言うように「神への不満」をいったからでしょう。


論語(先進篇)に、こうありますよ。

>顔淵が死んだ。先生がいわれた。
「ああ、神さまが私を滅ぼされた。神さまが私を滅ぼされた」(世界の名著・貝塚茂樹訳)

同書の解説にはこうあります。

>よき人間に幸運を与えるはずの天の神が、こともあろうにこの大事な弟子を若死にさせるとは、あまりに残酷ではないか。彼は怒りをこめて、天が自分を滅ぼしたと大声をあげた。ふだんは温厚に見える孔子は、たいへんな感情家なのであった。つい天の神に怒りをたたきつけてしまったのだ。

どうやら孔子は、神に対して、怒りをぶつけたようです。
また孔子の影響で、後世、宗教・霊とかを軽視、または信じない考え方も広まってますよね。でも孔子は、KK的には九次元です。

これと、ニーチェのこと、神への不信、不満は地獄に通じることとか考えると、なんかよく分からないですね。

365青の青:2006/12/10(日) 19:31:32 ID:VsH3x1kQ
>>361 AHW氏
>無意識界って何だっけ? 無間地獄ってののナカーマ??

自分を認識する事も出来ずに漂っている状態だったと記憶してますが・・・
っていうか無意識界はマルクスのほうだっけ???頭悪くて人名が出ると駄目だな・・・
以前のアリストテレス?も間違っていたみたいだし・・・

>ニーチェの場合、「元は高次元だったが・・・」って扱いなの?
>違うならアレだが「元天使が落ちますた」ってなら元の偉人経歴くらい公表してやれよ
>とは思うがな。

>思想が悪く影響したって罪になって無間地獄にいるとか。
>思想家の場合は、本人が反省しても出れない連帯保証人みたいな立場みたいな?

やっぱり大勢を魅了するような思想って、それなりの霊格が無いと出せないと思うんですよ。
だからニーチェもそうなんだと思います。

思想家や宗教家はホントに連帯保証人なんですよね。
確か幸福の原理って公演でも言ってたと思いますけれど、自分の思想や行動が因になって地獄に落ちる人が居ると、責任を問われてしまうんですよね。
逆に、天国に行く人が居ると、その分霊格が上がっていくわけですよ。そうやって上がっている人を神格があるって言うようですね。

地獄に行った人の恨みの念と、天国に行った人の感謝、尊敬の念、それを合わせて天国か地獄かが決まる、そんなかんじですかね。
自分のやった事でバタバタ死んだり、ボトボト地獄に落ちてたら、神様に顔向け出来ないですよ。
隠れちゃいますよ、その隠れる先が地獄ってわけですね。又は隠れてる状態が地獄ですね。

その状態を何とかするには、地上でその人の評価にNOを突きつけないとダメなんですよね。
あるいは悪い部分を認識できないとならない。
そうやって思想なんかを信奉する人が居なくなるような状況にならないと、地獄から上がりようが無いわけですよ。
だから、安易に褒めるような事は逆効果になりかねないので、するわけにはいかないんです。

>ニーチェの扱いと明らかに違う気がするんだがなw

心境の違い、心の清らかさに違いがあったせいなのかもしれません。
ニーチェの後年は明らかに悪霊の憑依状態だったとありますからね。
先に心境を、次に結果を判定されるらしいですから。

366青の青:2006/12/10(日) 20:03:30 ID:VsH3x1kQ
>>362 AHW氏
>あのフルスロットルなマスターズ師弟ににカウンターするなら、
>最低同程度のがむしゃらな逝っちゃってるパワーをベースで
>本気で立ちはだからないと㍉かと。

蹴っ飛ばす気でいかないとですね。

「慢心は堕地獄!増上慢は悪魔の心だ!」とやって、
エルカンファイト!ってやってみるとかw
厳しき愛、教導の怒りで頑張ってくださいね、たまごさん。

>kk的には「裏の問題児だから」って決着になるんだろなwたぶん。

ああ、確かに天狗タイプですよね。

367青の青:2006/12/10(日) 20:37:21 ID:VsH3x1kQ
>>364 RANDY氏

無神論、唯物論は自我我欲を増大させていく方へ持っていき、驕り高ぶった人間を生み出していってしまうのですが、孔子の教えにはそういうところは無いはずで、天国に入れる人間を作っていったはずです。

神に怒りをぶつけたその瞬間は地獄に通じていたかもしれませんが、死ぬまで怒り続けていたわけではないはずです。
一生のうちに心境が高い時もあれば、低い時もあります。その平均的なところがその人の境地といえるのです。
平均的に心境が高い人が、死ぬ直前に心が地獄に向いていたら、一度は地獄に落ちるかもしれません。しかし、すぐに反省して上がってくる、そんな感じだとおもいます。

368たまご:2006/12/10(日) 23:23:41 ID:UXEKc7X6
>>366 【青さん】
>「慢心は堕地獄!増上慢は悪魔の心だ!」とやって、
エルカンファイト!ってやってみるとかw
厳しき愛、教導の怒りで頑張ってくださいね、たまごさん。

いや・・、何と言いましょうか。
仕事場に若い女性が来て、「珍味買ってください!!」と迫られたのはかれこれ二十年前でしたか。

その後、数年前には夕方忙しい時間、玄関を開けると、
「施設の子供達の為に・・」といって、施設の資料として透明ケースにいれた写真を見せただけで、「寄付になるから、ハンカチを三千円で買ってくれ」と言われ、丁重にお帰り願ったり。
ある時は、コーヒー豆を100グラム二千円だったかな・・寄付だから買ってくれと・・。

後になって、それらが彼らだったことを知りました。
嘘って嫌ですよね。絶対正体を明かさないんですよね。何故そんなことができるか不思議。

長く所属していた場合、癖のようなものができてるのではないでしょうか。
そういう傾向が抜けきるのに同じ年数かかる・・というようなことも聞いたことがあります。
投稿のやり取りで何とかなるかというと、かなり難しいものがあるかと。

369AHW:2006/12/11(月) 00:14:05 ID:ixRy2Hmw
>>365 青氏
>自分を認識する事も出来ずに漂っている状態だったと記憶してますが・・・

てことは、仏教でいうとこの「無色界」とかに当たる用語ではないんだな。
意識を働かせることすらもできないほどの地獄世界ということか。
「意識こそが全てだ」みたいに言ってるのに、その意識が機能できん境地とはwww
(゚ロ゚)ギョェ
普通に索敵、謀計、戦闘活動なんてできるわけないに決まってるんでは?w

> っていうか無意識界はマルクスのほうだっけ???頭悪くて人名が出ると駄目だな・・・

折れに聞かんでくれw まあ謙虚でいいとも言えるかw

>やっぱり大勢を魅了するような思想って、それなりの霊格が無いと出せないと思うんですよ。
>だからニーチェもそうなんだと思います。

ふーん。まあ非公式見解ということで了解しとくです。

>その状態を何とかするには、地上でその人の評価にNOを突きつけないとダメなんですよね。
> あるいは悪い部分を認識できないとならない。

>>ニーチェの扱いと明らかに違う気がするんだがなw
> 心境の違い、心の清らかさに違いがあったせいなのかもしれません。
> 先に心境を、次に結果を判定されるらしいですから。

行間を補って読むとだな、kk理論的に筋道たてれば
「①本人の意識(動機の程度)と②結果責任(影響実績)の両方とも厳しく問われる」
ってことになるのか?

で、最澄=①はほぼパス ②でひっかかる → 無間地獄 (孤独だが意識ありで隔離)
ニーチェ=①でひっかかる ②もひっかかる → 無意識界 (意識は生死不明状態で隔離)

こういうことか?
しかしこんなんじゃニーチェが救われるってほぼ永遠にないような気がするがw

370AHW:2006/12/11(月) 00:25:22 ID:ixRy2Hmw
>>366 青氏は振るだけ振って逃げる気かw

>>368 たまご氏も 珍味、ハンカチ、豆・・・乙!!!
折れは一度もないお。半島様から押し売り遭遇の危機は幸いにも。

>長く所属していた場合、癖のようなものができてるのではないでしょうか。

なにげの痛烈、冷徹ぶりにw ワロスwww

でもまあ、エタノール氏や初代氏が指摘し続けてるが
楽天氏とジーク氏、ほんとに使う文脈が似てる。双子のようだわな。

371青の青:2006/12/11(月) 01:27:08 ID:r/wd3hiM
>>369 AHW氏
>行間を補って読むとだな

舌っ足らずでもうしわけないです^^;

>しかしこんなんじゃニーチェが救われるってほぼ永遠にないような気がするがw

「もはや人間として生まれるは これが最後と悟るべし」降魔経より。
という訳でして、かなり厳しい話なんですよね。
単なる脅しではなくて、理論的にもそうなるんですよね・・・
地上で思想を整理して、地獄で被害者を救済して、本人が反省していないといけない。
悪魔活動してると、罪が増えますからね・・・

>>370青氏は振るだけ振って逃げる気かw

う^^; Yは読んでるだけで時間が無くなりそうなもんで・・・

372青の青:2006/12/11(月) 01:29:48 ID:r/wd3hiM
>>368たまご氏

それは、T教会?

373たまご:2006/12/11(月) 22:33:24 ID:eCtEvtko
>>372
ピンポーン!

>>370
>>長く所属していた場合、癖のようなものができてるのではないでしょうか。

>なにげの痛烈、冷徹ぶりにw ワロスwww

ぇ?冷徹ですか。これは誰でも何がしかの癖は持ってませんか?
私もなかなか抜けない癖ありますし。

ゼロ氏はマスターズ?の称号を冠せられてしまっていますけど、
あの方は良くも悪くもーというと語弊があるけど、「正直な人だな」と、いつも思います。
たまーにツボにはまる笑いを提供してくれるのです。
(身内受けしかしない類のものですけど)
アレ?スレ違いでした。すみません、偉そうに。

ローエン氏が書いていることも間違ってはいないですが、
表現の仕方、センスの問題なのか、
(氏にとっては、直球のみでなく、カーブやシンカー織り交ぜのつもりの多重HNなのかとか)察してみますが、ともあれ婦人部受けは悪いタイプかもです(笑)

374エートス:2006/12/12(火) 00:56:19 ID:h26h4o..
>>373
たまご

>これは誰でも何がしかの癖は持ってませんか?
>私もなかなか抜けない癖ありますし。

それはそうだけど、その癖が周囲を困らせるようなとこまで行っちゃうと話は別でしょ。

>ゼロ氏はマスターズ?の称号を冠せられてしまっていますけど、
>あの方は良くも悪くもーというと語弊があるけど、「正直な人だな」と、いつも思います。

どこが「正直」なの、あれは典型的な「無自覚2枚_いや10枚_舌」じゃない。
正直に見えるのは「脊椎反射」してるからで、相手に対して誠意を尽くそうという気は無いよ。

>ローエン氏が書いていることも間違ってはいないですが、表現の仕方、センスの問題なのか、

これも驚いたなー、間違っていないとは教義上ということだろうけど、本当に表現やセンスの問題としか思えない?
心の問題には見えないの?
キューサイキューサイってよく信者さんは言うけど、相手をよく観察しなさいとは教わっていないのか。

>ともあれ婦人部受けは悪いタイプかもです(笑)

笑うようなシチュエーションではないと思うが、KK内部でのウケはいいと思うよ。
婦人部長に受けのいいタイプというのはよく分からないが、彼は支部では良い子的存在なんじゃないか。

375青の青:2006/12/12(火) 14:01:17 ID:cwL6PqHI
>>374 エートス氏
>婦人部長に受けのいいタイプというのはよく分からないが、彼は支部では良い子的存在なんじゃないか。

長はついてないぞwまあ、つまりはオバサンうけかな、それは良いかも知れないね。

「ボクこんなに頑張ったよ〜」
「まあイイ子ね〜ナデナデ」なんてね。

責任感無いから仕事させると評価が下がりまくるんだけどね。
依存で責任転嫁、だってだってと言い訳ばかり・・・
魂的にも子供なんだろうか?
「君、何回人間やったの?3回ぐらい?」とか聞いてみたいw

しかし、何もしない者よりはマシなのかもしれない、とかとも思う・・・
にごった水でも流れたほうが良いのだろうか?
濾過して飲むようなつわものも居るみたいだしな・・・

376青の青:2006/12/12(火) 14:39:08 ID:cwL6PqHI
退会者版>>47初代氏
>>http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/6228/1153239106/47
>で、コンビニの18禁雑誌がビニールで被われ始めたりして…天変地異回避…なんだと。

これ読んでがっかりしましたよ、私の主張を理解していない書き方ですね。
光とか悪想念とか言われても、結局この世的にしか理解できないんでしょ?
霊的な視点とか言われても全然わからないんでしょ?
私にはそのようにしか受け取れませんでした。

377青の青:2006/12/12(火) 15:13:32 ID:cwL6PqHI
>>AHW氏

どこかで「kk思想は差別感が強いから救済力があるとは思えない」とおっしゃっていたと思います。見当たらなかったんですが。
もう少し詳しく聞きたいと思うのですが。

仏教には差別即平等、平等即差別という言葉があるそうです。
平等に扱っても全員が同じように行動するわけではありませんから、結果には差が出ますよ、
その差を無視すれば、誰も頑張らなくなっていって、世の中は悪くなっていってしまうのではないですか?

社会主義、共産主義もそんなふうにして貧しくなって行ったんだって聞いていますよ。

378エートス:2006/12/13(水) 02:05:45 ID:QCDeQCpU
>>375
青の青氏
>長はついてないぞwまあ、つまりはオバサンうけかな、それは良いかも知れないね。

そうですね。間違えました。婦人部長受けがいいって自分でもピンとこなかった。
しかしオバサンとか言っちゃっていいの?お姉さまウケじゃないの。w

>しかし、何もしない者よりはマシなのかもしれない、とかとも思う・・・

そりゃアンチから言わせれば全然マシですよ、何もしないより。あのスーパー逆伝道な活躍は。
わたしだって一時は観察してておもしろかったもの。ワンパターンで最近は飽きてきちゃったけど。

379AHW:2006/12/13(水) 11:30:41 ID:pEkUC1BM
>>377
> どこかで「kk思想は差別感が強いから救済力があるとは思えない」とおっしゃっていたと思います。見当たらなかったんですが。
> もう少し詳しく聞きたいと思うのですが。

ぇ)折れだっけ?
スマンが場面をよく覚えとらんわなw 引用してくれると思い出せるかもです。
その上で、このテーマについて思ったことを書くと

> 仏教には差別即平等、平等即差別という言葉があるそうです。
> 社会主義、共産主義もそんなふうにして貧しくなって行ったんだって聞いていますよ。

輪廻を含めての「機会は平等、結果は公平に差別」ってkk理論は理解してるよ。
まあ共産イズムに対しての資本イズムと同じな意見で、これ自体にとくに反対はない。

だが、kkのいわんとする「救済」って状態がそもそも良くわからん。
「安寧を得る、安心立命を得る」っていう日本的な伝統的解釈と合致するのかどうか。
または西洋的に「神から契約の民としてされて約束され選民になる」のか。
「一切の執着から去り、中道に入る」という仏教的な成道をさすのか。

「知らないとマズイから、まず知識として知ること!!!」という理論も知ってるよ。
で、それが救済になるとは到底おもえん。数多くの脱会者諸氏の声は
「知って(信じようと努めたが)離れた層の多さ」も同時に証してるわな。
それを「惨めな敗残者・・」なんて見下す奴が昔からいるw

まあ自分を律することよりか、上下がはっきりしたkkワールド世界観に溺れて
救済者な自分に陶酔したり、醜い自我の肥大をもたらしてるのに救済されたと思ったり
はたまた本音と建前の乖離が激しい人間を生み出したり、
嘘吐き上等、反省拒否で上等を生み出し、傲慢そのものな椰子が跡を絶たずw
さらにメンヘルを悪化させたり・・・
これじゃあペコポン徳志向計画なんて無理ぽw
救済というよか、陶酔型人間の量産場になってるようにしか思えんw

380RANDY:2006/12/13(水) 18:42:11 ID:kMKSgm3s
青の青 氏
>>367
>無神論、唯物論は自我我欲を増大させていく方へ持っていき、驕り高ぶった人間を生み出していってしまうのですが、孔子の教えにはそういうところは無いはずで、天国に入れる人間を作っていったはずです。

うーん。漢〜清までの有様を見ると、ちょっと唸ってしまう感はありますね。
またサヨ系の人が指摘するように、孔子の教えには、身分差別を助長する面は、あることはあるでしょ。
けれど日本の場合は、孔子の教えによって、人格を磨いた人々が多くあったろうし、罪より功が多かったでしょうね。

>一生のうちに心境が高い時もあれば、低い時もあります。その平均的なところがその人の境地といえるのです。

これは以前、KK本で読んだとおりですね。

なんか遅くなっちゃったけど、一応レスしときます。

381青の青:2006/12/13(水) 21:35:14 ID:NkoE2diw
>>379AHW氏
>ぇ)折れだっけ?
>スマンが場面をよく覚えとらんわなw 引用してくれると思い出せるかもです。

あれ、人違いだったんでしょうか、探しても無かったんです。夢でも見たんだろうか・・・・・
とはいえ、レスありがとうございます。

>kkのいわんとする「救済」って状態がそもそも良くわからん。

成道がそうでしょうね、安心感等もあるでしょうけれども、それだけで終わるものではないですね。
選民というのは違いますね。仏性はみんなにあって、みんな仏が作られた兄弟ですからね。「宗教選択の時代」では洗脳という厳しい言葉で言われているものに入りますね。

魂修業として、成長していける道に入っていくことが「救済」だと考えています。

>「知らないとマズイから、まず知識として知ること!!!」という理論も知ってるよ。
で、それが救済になるとは到底おもえん。

これの救済力が出るのは死んだ後、地獄に落ちた後だったりするんですよね。
あの世で厳然とした結果を見せられたときに反省出来るように、なんですよ。
だから、
>「知って(信じようと努めたが)離れた層の多さ」
この辺の人たちとはまた違った話なんですよね。もっと上のレベルで反発しているものがあるんです。

退会者版でRANDY氏やエートス氏と論じていると、非常に赤(正義)と白(救い)の光線の違いというものを意識させられるんです。
過去の話で説明されれば、なるほどと思っているんだと思うんですが、現実の問題に対して応用が効かない。
あるいは、どの程度でどっちを打ち出すかという境界線がそれぞれに違うんですね。
その辺りの考え方の違いで反発を起こしているんだと、私には思えます。
あとは大局観というものも影響していると感じられます。一対一的にだけで考えてしまって、時代の流れまで目が向いていないのではないかと。
私にも難しい話なんで上手く言えませんが。

>それを「惨めな敗残者・・」なんて見下す奴が昔からいるw

慢心、か、どうしたらいいんだろう・・・

382100式:2006/12/15(金) 21:22:02 ID:/bPCFaPs
そういえば、何か寄付を求められたことがあって、
資料を見せるだけだったんで、それをよこせと、
奪取したうえで寄付したやったことがあったな。
見本みたいなやつを・・・
多分、T協会。
見本取られて、彼女困ったんかな??

あ、そうそう、ワシは婦人部ウケが非常に良いんですが、マジで。
ポイントは婦人部会議の時にアイスクリームの差し入れをすることやね。

ちなみにゼロ氏はウケはいいと思う。
以前書いたが、尻に敷かれるタイプっぽい。
目標にあと少し・・・ゼロさんお願い♪
で、婦人部の言いなりww
リアルでは知らんよ。想像です。

ローエン君はどうかな?
活動に邁進している婦人なら、仕事能力を見る目はある。
そして、女性に対する心遣いには敏感だ。
紅顔の美少年なら大歓迎だろうが、
まあ、アウトじゃないかな。

雑談ネタっぽかったですな。失礼しました。

AHW氏
>>363
>はたと突然、「・・・(゚ロ゚)ギョェ 霊感に目覚ますた!!!」パターンもありそうだよw

その時は近いかもしれない。
これ、深刻ですよ。

383現役信者:2007/02/06(火) 17:34:08 ID:wrp6WZbM
いじめ問題についての私見

何を隠そう、私は小学校1年生から4年生までの間、いじめられっ子でした。
先生に何を言っても無駄でした。父親は男気溢れる人なんで「勝つまで帰ってくるな」だけでしたし、母親は今で言うネグレクトでしたので、大変辛い状況でした。
4年生の頃に住居移転に伴って転校したんですが、女子にモップで払われたりしても我慢してました。
俺が我慢すれば良いと。当時の担任は50歳くらいの女性でしたが、目の前で私がいじめられているのを見ても、まぁ、知らん振りでした。
ずっと剣道を習っていたせいでしょうが、「剣士たるもの忍耐するべし」の教えでしたから、
むやみやたらに喧嘩するのはいかんと思っていました。
が、5年生の後半頃に同じ道場に通う同級生が、私に対していじめを始めました。
これは我慢の限界だと悟り、タイマン勝負してぼっこぼっこにしてやりました。
野生に火がついたのか、暴力癖では無いですが、降りかかる火の粉は払わねばならん。と言う事で対決はしてました。
その頃からはいじめなんてありません。
超簡単にかいつまんで説明するとこんな感じの体験を持っています。

それで、私が受けたいじめは約23年前のことです。
その頃から先生方の見て見ぬ振りはあったと思われます。実体験としてはっきり言えます。
うちの子供たちに「学校でいじめはあるか?」と聞いて見ますと、やはり近いのはあるそうです。
貧乏な家とか、環境の違いや個性の違いでのいじめはあるみたいです。
それを先生に言うと「とぼけた振り」をやはりします。

私は日教組自体に問題があると思いますし、そもそも左翼教育自体が子供たちの心を蝕んでいると思います。
政教分離規定を逆手に取った「倫理観の麻痺」は相当に成功を収めて居ると思います。
ゆとり教育もそうですが、いま流行の「ジェンダーフリー」なんていうのも眉唾です。
私は孔子に習い「男女7歳にして席を同じにせず」という教育感覚に近いですから、やはり男女の違いは明確に教え、役割の違いなのだと教えていくことが大事であると思います。
総裁先生も言っていますが「公教育から宗教を締め出したのはいけない」と私も思います。

似たような事例を出します。
私が通っていた頃の剣道の警察道場には「神棚」がきちんと据え付けてあり、道場出入りの際は、神棚に一礼して神仏を敬うという態度を徹底していました。
あの神棚には分御霊を奉納されており、きちんとした祭事の上、「神仏ここにおわし給い」という態度でしたが、
今の道場には神棚があるにせよ、剣道の先生方に「あの神棚の祭神はどなたですか?」と伺っても「分かりません。ただ無いと格好が着かないので置いてあるだけです」との返事。
これでは子供たちが「何のために精神修行をするのか?」が分からないと思います。
その結果、剣道の試合での成果のみが子供たちの関心の的であって、他者を労わる、一本取ったら相手に一本譲るという精神など皆目見当たりません。
「試合に勝つ為だけの剣道」であって「己に克つ剣道」では最早無いのです。
「何の為に強くなるのか?」これは大事な観点であると思います。

「何のために学校に通うのか?」と全く一緒であります。
警察署も公金。学校も公金。情けない限りです。
剣道の先生ではなく技術指導者に堕している現状は悲惨この上ないと思います。良くも悪くも剣道は日本精神の体現に近い武道だと思いますが、
それすらなし崩しにされている状態は危険ではないかと危機感を覚えるのは私だけでは無いです。

うちでは子供たちに拝礼や反省、祈りなどの大切さを折に触れて教えているのですが、やはり「目に見えない存在が居て、あなた方をじっと見守っておられるよ」と言う事が一番堪えるみたいです。

学校教育の現場に潜む悪は何十年とかけて日本を蝕んでいると思います。
総裁が三大悪魔が教育現場に潜んでいると仰っていましたが、その通りだと思います。
沖縄は特に沖教祖の影響は絶大ですが、まだ先祖崇拝という素朴ではあるものの、信仰を教える人たちが居る事で救われていると思います。

幸福の科学はこれから学校建設にも乗り出すと計画されていると仰っていますので、今回の総裁先生の発言は、
教育界に対して降魔の剣を振り下ろすぞという戦いの宣言であると思います。

これは全部私の個人的意見であります。
その他のアンチの疑問への返答もしたいですが、これは後ほど。

384エートス:2007/02/07(水) 20:30:06 ID:rKhRuG.2
>>383
現役信者氏

>野生に火がついたのか、暴力癖では無いですが、降りかかる火の粉は払わねばならん。と言う事で対決はしてました。

「目には目を」でいいんじゃないでしょうか。

>総裁先生も言っていますが「公教育から宗教を締め出したのはいけない」と私も思います。

宗教を締め出したのがいけないのではなくて「規範」を締め出したのが誤りだったと思いますよ。

公教育の場に限らず、現在、宗教的な教育を行っている私立でイジメがないかというとそうではない。
わたしは個人的にプロテスタントの高校でイジメにあって不登校になった学生を知っています。

どのような理由_信仰も含まれますが_があろうと守らねばならない「規範」
_例えば「親を敬う」「人を殺してはいけない」「弱いものをイジメてはいけない」などなど_があるということを子供に教えていかなければならないという社会的な合意が失われていると思います。
だいたい、お金がないわけじゃないのに給食費を払わない親が存在するのがわたしなんぞは今でも信じられません。情けなくなります。

殺してやりたい、イジメてやりたいという感情を抱くことは否定しません。わたしも子供時代に父親に殺意をいだいたことがありますが、それは誰でも、とは言いませんが、かなりあり得ることでしょう。
しかし、事を起こさせないためには無神論でも唯物論でもなんでもいいんですよ、ともかく理屈ぬきで根拠なしで「してはいけないこと」を教えることが必要なんです。

あなたが相手をボコボコニしたように、あまり勧められないとはいえ「目には目を」は1つの方法ですが、ともかく連鎖を断ち切らないといけない。

385初代:2007/02/08(木) 07:04:33 ID:TxtwQj62
>>384のエートスさんに、私も同じかな。
>…「規範」を締め出したのが誤りだったと思いますよ。…どのような理由…があろうと守らねばならない「規範」_例えば「親を敬う」「人を殺してはいけない」「弱いものをイジメてはいけない」などなど_があるということを子供に教えていかなければならないという社会的な合意が失われていると思います。…無神論でも唯物論でもなんでもいいんですよ、ともかく理屈ぬきで根拠なしで「してはいけないこと」を教えることが必要なんです。

ですね。
ある程度詰め込むべき「基礎学力」のことも言ってはりましたよね。
「子供の権利」系の発想じゃなくて、やっぱ大人と子供は「教え・教えられ」の関係で捉えた上で、尚且つ効果・効率もおさえていないとと思うのよね。

>あなたが相手をボコボコニしたように、あまり勧められないとはいえ「目には目を」は1つの方法ですが、ともかく連鎖を断ち切らないといけない。

ひろさちやさんが解説されていますが、“過剰な報復を防ぐ”「目には目を」の考え方も、ひとつあると私も思う。純な応報(感情)は自然なのですから。

386RANDY:2007/02/08(木) 22:04:23 ID:NPxd50KY
私は、規範を教えるのも大事だが、ホントの初歩的情緒教育からしなくちゃならないんじゃないかと思ったりしてます。

昨今のイジメ報道を見てると、残念ながら、いじめっ子らには、「可哀相だから、この位で止めておこう」みたいな手加減があまり感じられない。
反抗期、思春期に、わざと道徳を軽視し、破ろうとすることは理解できなくもない。
でも、いじめられっ子が泣いても、倒れて動かなくなっても、悪口、暴行を止めないとしたら、これはよく分からないですね。まして自殺するまで、いじめを止めないのはおかしい。普通、相手がある程度のダメージを受けたら、矛をおさめるだろうに。

「弱いものイジメはいけない!」と教えると同時に、
「弱いものイジメをしたら可哀相だ」「親を泣かせたら可哀相だ」というような感情も身につけてもらわなくちゃならない気もしてます。こういう感情が持てなければ、反省も難しいだろうし。

ただここで問題なのが、ある心理学の本を見たら、情緒面の発達は、2、3歳でほぼ止まると書いてたこと。
また本来は、まず、はじめに喜怒哀楽の情緒を教えて、それが一段落したら、次に、しつけ、ルールを教えるとも書いてた。
これが本当なら、小中学生になってからの情緒教育に、どれほどの効果があるかは心もとないですね。

あと、私の時代、道徳の尻を蹴飛ばす事を格好良いと考えてる連中のイジメを止めるのに効果があったのは、女子のこんな言葉。
「なによ。男のくせに、弱いものイジメして、情けない!」

ジェンダーフリーが進めば、意味ない言葉かもしれないけども、薄情で、ルール無視する輩でも、男の面子は潰されたくないのかもしれない。

387AHW:2007/02/09(金) 01:34:47 ID:b26MxjFo
>>383 げねき氏 
久々にイイ文章(エッセイ)を読ませてもらった。㌧くす
まあ褒め過ぎるとアレなんで控えめに書くが、「凛」としてる。

2ちゃんとか見てても、シンパ諸氏は教団発の情報の受け売り的なオウム言葉か、
ピントのずれたはったり闘争宣言や、一般論化ばかりで実がない中、
率直な自分の意見、信仰者としての事態の受けとめ方、意見投稿での礼節
主観と客観のバランスなど含めたいしたもんだ。

ちょとマジレスすれば、
たしかに規範意識の根源は、善悪をわかつ価値観への社会的合意だし、
では価値観の根源は?といわれたらそれは神学の分野になるな。
で、世俗価値にまで落とすなら宗教のフィールドにもなるだろ。

しかし、それがkk発の価値観でという必然性は伴わないはずだ。

kk教義では、善悪の生じる根本原因が「自由意思の相克」と定義されてる。
これはおそらくkkオリジナルの考え方だろうね。
相克の中で悲しみや憎悪や悲劇が生まれれば悪ということだな。
よって、相克の歪みへの「調整の思想」が必要だっていうわけだろ?

そこでは例えば、力強きものが、つまり勝った者が正義だというものも含めて
競争原理や結果主義も、一つの調整の道として肯定されるはずだ。

そうした善悪についての教えからしても、世俗宗教としてのkkが今回
主張してることはいかにも変なんだよ。
 (まあ折れには単にご都合主義にしかみえんわな、悪いが)
これ以上は、法論でもなくなるので別スレかな。

388エートス:2007/02/09(金) 03:00:41 ID:BF.i8d/Q
>>386
RANDY氏

>私は、規範を教えるのも大事だが、ホントの初歩的情緒教育からしなくちゃならないんじゃないかと思ったりしてます。

そうそう、その通りですね。
規範を教える前に、自分は愛されてるんだという理屈ぬき根拠抜き無条件の存在の肯定の感覚と、あなたが書かれたこの情緒の基盤が必要ですね。

>反抗期、思春期に、わざと道徳を軽視し、破ろうとすることは理解できなくもない。

道徳に対する反抗期の抵抗は内面に葛藤を生みますね。そしてそれがさらに精神的な成長を促すのだろうと思います。
ですからこの反抗は必要なことでしょう。
人の考え方は変化しますが情緒は一貫して流れていますからその葛藤を克服する支えになるのが情緒なんだろうと思います。

>ただここで問題なのが、ある心理学の本を見たら、情緒面の発達は、2、3歳でほぼ止まると書いてたこと。

確かに手遅れかもしれないけど、人間って結構不思議なところがあるからある程度は回復できる可能性もありますね。
どこの話だったか忘れたけど、服役中の人に捨てられた犬猫の世話をさせている刑務所だかがあったような。
成果が上がってるのかまでは知らないけど、これなんかも情緒の発達を促そうという試みなんでしょう。
犬猫に理屈は通らないからね。

389エートス:2007/02/09(金) 03:24:38 ID:BF.i8d/Q
>>387
>AHW

まだ書いてる深夜族エートスです。w これは雑談へのレスね。
実は一度寝たんだけど起きちゃったんです。

>kk教義では、善悪の生じる根本原因が「自由意思の相克」と定義されてる。
>これはおそらくkkオリジナルの考え方だろうね。
>相克の中で悲しみや憎悪や悲劇が生まれれば悪ということだな。
>よって、相克の歪みへの「調整の思想」が必要だっていうわけだろ?

この自由なんだけど、人が自由意志だと思っているのは本当に自由なんだろうかと思いますね。
信者は「仏は人に自由をあたえているわけでー」とかあっさり書いちゃいますけどね。

もし自由が与えられているとしても、完璧に自由意思で考え行動する人はいないでしょう。
むしろ不自由が与えられていると考えたほうがいいくらいで、さらに、不自由を知るからこそ自由がわかると思うんですよね。。

例の熱烈信者とかは、自分では信仰が篤いと思っていてもその隠れた動機が劣等感だったりするわけですよ。
そんなことには気が付かないから「掲示板に書くのは自分の自由意志」とか思い込んでる。
そー、思い込みなんですね。

人は自分では自由に考えてると思っても、様々なファクターに規制され影響を受けています。。
しかも、最初に「仏は人に自由を与えられている」とか教わっちゃってるからあんなことになっちゃうんでしょうね。

「仏は人に不自由をあたえましたが、あなたの場合それは何かを見つけるのが正しい心の探求です」のほうが全然まともになると思う。w

390初代:2007/02/09(金) 06:29:03 ID:BAR3/lPM
>>386 RANDYさんへ
>私の時代、道徳の尻を蹴飛ばす事を格好良いと考えてる連中のイジメを止めるのに効果があったのは、女子のこんな言葉。「なによ。男のくせに、弱いものイジメして、情けない!」ジェンダーフリーが進めば、意味ない言葉かもしれないけども、薄情で、ルール無視する輩でも、男の面子は潰されたくないのかもしれない。

いや、こういうことこそが大切なんだと思うよ。
「恥」の感覚ですよね。かっこよくいえば「美学」かな。
もし、もしもやよ、本当に「人に仏性あり」なんだとしたら機能するはずなんよね、こういうの。
「規範」が「理屈抜き」でも人の心に届くとするなら、実は深いところでは何らかの「理屈」が存在するだろう。たとえば、それを探っていくもののひとつに「宗教」もあるんだと思う。

391たまご:2007/02/10(土) 09:43:34 ID:dxJCXkss
事の発端はいじめであるけれど、教育の現場が抱えている課題はやまほどあると思います。
「学校」を開かれたものにしようと努力している部分もあって、自分の時代に比べ、親が学校に行く機会はかなり多いです。
その反作用としてか、保護者の顔色を窺うような先生も多く、そのような先生ですと、子供もついていかないようです。

また、かつての「親ならこうであろう」という対応をできない家庭が増えてもいて(給食費不払い問題も話題になっていますが)、現場の先生方も大変なようです。
うちの子は公立の中学に行っていますが、先生によっては授業が成り立っていなくて、ベランダに出て水風船を、下に居る下級生に投げたり・・などの行為が授業中に起こるのです。
いじめもずっとあって、子供曰く「格闘技のテレビがあった次の日はあいつらが興奮してるからヤバイ」のだそうです。実験の相手になるのは身体もひよひよして扱いやすい、ということで家の子などは格好のターゲットになっていました。
ことばによるものも日常茶飯事。「お前ウザい」といっていきなり顔にオーデコロンを吹きかけられたり。「やめろ」といっても消しゴムのかすを延々と飛ばしてくる・・などなど。上着にもズボンにも上履きの跡をつけて帰ってきた時には涙が出そうになりましたっけ。

おそらく、皆さんの想像以上に寒々しい教育現場があります。家の子の学校は昔もかなり荒れていたらしく、そういった経験上、それなりの配慮をしてはくれますが、双方を向き合わせ、先生方の前で謝罪させる、という対応の仕方です。初めの頃は、いじめたほうの保護者への連絡はまったくしていませんでした。三年近くごたごたしていますが、今回このようにいじめ問題を取り上げてもらえたのは、親としてはありがたい。

リバティでいじめを取り上げた昨年十二月、「教室の悪魔」山脇由貴子氏著 がポプラ社から出版されていて、知人が参考になればとくれたので読みました。
著者は東京都児童センターの心理司をされているかたなので、具体例、対応策、子供の状態のチェックなど実践的に書かれています。
興味のある方はどうぞご一読を。
以上現場からレポートでした。

392主管理人の黒田★:2007/02/11(日) 02:31:50 ID:7HezchyE

雑談スレPartⅢより移動

*****

71 名前: 現役信者 投稿日: 2007/02/10(土) 16:52:22 .RgK7hw2法論板への「いじめ問題についての私見」は板違いでしたね。お詫びします。
私の私見ですがパート2をば。

「一昔前のいじめと現代のいじめの違い」

これは私の実感として思うのですが、私たちの小学校の頃までは「番長」なるものはかろうじて存在していました。
ジャイアンですね。
いまは居ません。何故だろうと不思議に思っていたんですが、最近知りました。
日本の教育の方針は日教組が左翼なんで「何でも平等」が行き過ぎています。
ジャイアンがいて、スネオがいてのび太がいて出来杉君が居てという個性を埋没させてしまっていると思います。

今の子供たちは勉強は「塾」でするために学校で何をするのかが分かっていないと思います。
学校は「運動会や学芸会をするところ」であって勉強する所では無い。
学力も低下していますが今の教科書は恐ろしいくらい、子供を何とかして馬鹿に育てようとしている内容です。
昔のいじめはまだ「秩序」がありました。秩序があった?と反論する方もいらっしゃるでしょうが、
今に比べれば「秩序があった」と言う方が正確に今のいじめ問題を理解できると思います。
クラウゼビッツを持ち出すまでも無く、平和の反対語は「無秩序」であります。(異議のある方は後でお願いします)
今の学校は平和では無い状態ですから、学校の中は「無秩序」なのです。
小学校の教室で子供たちが机に座って授業を受けると言う光景は、最早過去の遺物であって、
騒がしい状態が今の教室の「当たり前の姿」なのだそうです。
そういった無秩序の状態にある学校が「学級崩壊」と言っても最初から崩壊しているのですから、
日本の未来を担う教育が崩壊している状態は、学級崩壊ではなく、日本崩壊と呼べるでしょう。
そう考えると、今のいじめ問題は日本の問題であり、早急に対策を考える必要があると私は思います。

昔のいじめは私の実体験から言うと番長の一言、「可哀想だから止めておけ」でピタリと終わりました。
これなどは秩序のある証拠です。
ジャイアンが勉強の出来る子に嫉妬していじめても、いじめている理由がハッキリしているため、
「なーんだ、ジャイアンは嫉妬してたのだな。情けない。」と分かりますし、注意すべき先生も「勉強しないお前が悪い!」で終わりです。
逆にジャイアンはのび太が隣町の子にいじめられたと聞くと人情を爆発させて「仇を取ってやる」となります。
その時に仲間意識が芽生え、ジャイアンも頼りになるなと認識し、互いに「反省」が入り「愛」の心が育つのです。
左翼的な平等思想では「強い者と弱い者がいるのがおかしい。それは差別だ。」となるのでしょうが、私はそうは思いません。
居て当たり前だと考えるのです。
「強い者は弱い者に優しくしなさい」と教えれば良いし、個性の違いを平等化するので無く、
個性の違いを受け入れられる思想を教える事が大事です。
教育の目的は「社会に有用な人材を育てる」と言う事であって、「個性を平等化した社会が理想社会である」と考える今の左翼は間違っています。

393IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2007/02/11(日) 02:32:45 ID:7HezchyE
72 名前: 現役信者 投稿日: 2007/02/10(土) 16:53:21 .RgK7hw2昔のいじめは宗教的に言うと「仏性あり」と言う認識が相互いに無意識にせよあったと思いますが、
今のいじめにはそれがありません。無秩序的に「破壊」しているのです。
行き過ぎた平等思想が秩序を破壊し、また個性を破壊し合っているのです。互いの生存を懸けた形で。
人間が自然状態にあると攻撃し合うと何かに書かれていましたが、今のいじめはそれに近い形で行われていると思います。
秩序を追い出した結果がどうなるか。それは簡単に想像できますでしょう。「やりたい放題」です。
善悪に関係ない状態です。やりたい放題は自由とは呼べません。自由は責任の所在がハッキリしての自由です。
そして「責任」とは秩序の中から自然派生してくるものなのです。

充分な説明や例を提示する事無く帰結させるのは気が引けるのですが(時間が無いので勘弁を)、
今のいじめ問題に対しての有効な手立ては、即効性はないものの、やはり「秩序の形成」であり、
新しい時代の新しい形での秩序を構築していく事が大事でしょう。
現在は私たちの時代の様な状態ではありません。携帯電話もあるしインターネットもある便利な時代です。
しかし逆に子供たちにとっては、情報が氾濫し、氾濫する洪水の中から何を判断基準にしたら良いのかが分からないと思います。

そういった洪水の様な現代であっても、やはり「大事な事として通用する概念」はやはり「愛」です。
「他者を思いやる愛の心」自らを奮起させる独立不羈の精神「自助努力の心」。
使い古された感のある言葉であっても時代に流されない大事な精神は、時間の波に晒されながらも、
深い砂地に黄金の輝きを放つものだと思います。

私の個人的な例で申し訳ないのですが、もちろん幸福の科学ですが、うちの子供たちには宗教的な礼拝や思想、
更には古典の素読など、意味が分からなくとも「勉強をしている」と言う雰囲気や、
「神様に見られている」「仏に見守られている」と言う雰囲気を味あわせて行くように心がけています。
うちは子供が5人いますので折に触れて、
「お前たち兄弟は仲良くしなさい。何故なら、お父さんとお母さんがあの世に還ったら頼りになるのはお前たち兄弟たちだけだよ」と教えています。

新しい時代の新しい価値観を構築して行くのは、その時代の主役達であるし、そういった責任はあるでしょう。
その責任を、ここにいるメンバーのばらばらな年代はどう感じますでしょうか?

しかし共通して言えるのは「秩序のある世界は良い世界である」と思うでしょう。
宗教的な違いから来る混乱は小学校や中学校で教えてもまだ分からないので大きくなったら勉強すれば良いかなと思います。
が、「秩序の形成が如何に大事であるか」を教えるのは2歳からでも可能です。

そういった意味で、未来の主役の子供たちに、しっかりと秩序形成の大事さを教え、
且つ、社会的貢献の気概を叩き込むために、今の秩序崩壊した学校を立て直す必要があると思います。

394初代:2007/02/12(月) 12:29:37 ID:eqO.S3SM
>>393

ある小学4年生の男児(軽度の知的障害(自閉症))が最近はまっているのが、クラッシック。
音楽そのものというより、CD再生に伴うデジタルの時間表示に心奪われている様子。指先でトントンとリズムをとりながら、身体を前後に揺すっている。
何度も、曲順番号と演奏時間を自由帳に書きとめていく。
彼、友達や先生の誕生日を記憶するのも得意としている。
で、モーツァルトやベートーベン、ショパン、ドボルザークの生誕年月日を訊ねてくる。
私、全く知らなかったので、ネットで調べて答えてあげると、一発で憶える。
モーツァルトが既に死んでしまっていることを知って、残念がる。「もっと生きててほしかったなぁ。」

「モーツァルトは何処に居る?」
「天国ちゃうかなぁ。」
「天国って?」
「神様のおる所。」「空の上にある。」「良い子にしてたら行ける。」
「地獄は?」「閻魔さんが居てるとこ。」
「そう、ウソついたり、友達をイジメたら、そこに行く。」「鬼も居てるらしいよ。」
「大地獄は?」
「閻魔さん。」
「小地獄は鬼。」「魔法使いは?」
「う〜ん、それはどっちにもおるんとちゃうかなぁ? 良い魔法使いと悪い魔法使いがおるから。」「他人の嫌がることしたら地獄、友達に優しくしたら天国やで、分かった?」
「うん。」
「どっちがいい?」
「天国。」

そんな会話ありますよ。

395AHW:2007/02/13(火) 07:18:15 ID:oEVwrxTA
>>389 エートス氏 レスども!!

>「仏は人に不自由をあたえましたが、あなたの場合それは何かを見つけるのが正しい心の探求です」のほうが全然まともになると思う。w

これは鋭いな。禿同です。

「自由!!自由!!」という題目唱えては、野放図に好き放題やってる奴ばかりだわ。
で、何かを攻撃するときは自由には責任や義務が伴うなんて当たり前のことを言う。

>>390 初代氏 恥の感覚の欠落

これが欠落してるんだよな。今の子供がとかもあるが、kkの場合もね。
ずっと前にも書いた気がするが、徳を尊ぶことや恥じるということ。
これが節制につながるし、げねき氏の言う秩序にもつながるはずで。
これが欠落していると、例えばひかりものスレみたいなことになる。
無反省で我はともかく相対的に正しいのは間違いない、になる。

今回のkkを見ていても、個人の資質だけでなくやはり団体の資質や
その性格が構成員に伝播しているような気がかなりしてきてる。

396AHW:2007/02/13(火) 07:48:06 ID:oEVwrxTA
>>391 たまご氏現場レポート乙!!

>教育の現場が抱えている課題はやまほどあると思います。

そらそうだろう。教育は国家百年の計だよ。
総裁氏もなんとかの法でそういうこと著書に書いてた気がするw
つまり問題意識はあったはずだが、これまで無策はこれいかに?
というのが折れのこのところの感想。

で、戦後、宗教を義務教育の場から排除したからだ、という議論は単純過ぎると思う。
まあ細かいことは端折るがまず愛国心が喪失してるのが一番の問題だろと
折れは感じるな。そこから健全な宗教心だって生じてくるだろうよ。

だが米国の属国で今はイイ!という意識が日本の支配層の中から変わらん限り、
教育や規範状態の改善はむづかしいと思われ。

まあ欧米なみに宗教全般についての教育はすべきだろうね。
教祖さんの説くこと以外には不勉強で構わんというな変な椰子ももともと減るだろし。
で、日本神道をちょとバカにしてるようなkkの教えを入れるべしなんてのは
どうみても現状改善について逆効果にしかならんと思われ。

>>392-393 げねき氏 再び凛とした寄稿ども!!

「秩序形成から・・」というのは禿同です。

しかしながらkkがその旗振りに適任な団体なのかというと激しく疑問ではあるよ。

折れはエートス氏と同じく、「ネットってのは個人でも団体でもその人格の質が
長期ではそのまま適性に反映される」と認識してる。
で、ずっと無茶苦茶でカオスやん。
一般人よりお宅の団体の人達の言動の方が劣悪なことがほとんどだ。

まあ、若かろうがなんだろうが最低でもげねき氏並の人物ばかりなら
ちょとは評価が変わるんだけどね。げねき氏がむしろ異例のように感じてしまうだなw

397エートス:2007/02/13(火) 21:12:56 ID:4Tl1XQLg
>>390 退会者スレッド
100式氏

>仏神の属性は善ですが?
>その規範も仏神からきていますが?

「善が神の属性であり、規範は仏神から流れ出たのだ」とお考えのようですがはたしてそうでしょうか。

規範とは平たく言えばルール・取り決めで、ルールそのものはその社会の合意事項ですから価値中立と考えていいんじゃないの。

例えばね、「人を殺してはいけないよ」という規範があるが、戦争においてはそれは通用しなくなるでしょ。
たくさん敵を倒したら勲章もらったりするね。人を殺すのは美徳になる。
「嘘をついてはいけない」という規範にしても「嘘も方便」という慣用(いい訳?)がありますね。

「善が神の属性であり」→「規範は仏神から流れ出たもの」であればね、規範とは善になるはずですよ。

規範は善であるという立場から、わたしの認識について間違いを説明していただくことはできますか?

398エートス:2007/02/13(火) 21:30:45 ID:4Tl1XQLg
>>394
初代氏

いい話ですね。

子供は成長するうちに、サンタクロースがいないことを知るように、だんだん天国や地獄は本当はないかもしれないと思うようになる。
しかし、子供のときに受け入れた物語がたとえ失われても、そこでできた心の空間が他の状況を受け入れる器になるんでしょうね。

どこで読んだか忘れてしまったが、アメリカで未成年の更生施設の収容者に対して童話の読み聞かせから始まって、最終的には物語を書かせるというプログラムがあるそうです。
できた物語はDVの家庭からシェルターに逃れている子供たちにプレゼントされる。

未成年の更生施設の子供たちは概して機能不全に陥った家庭の出身なのだが、このプログラムにはもう一度成長の軌跡をなぞりやりなおすという意味があるそうです。

399現役信者:2007/02/15(木) 16:41:41 ID:7T.K5F7I
「ネットで散見される信者の批判について」

私見とお断りしておきますが、言われても仕方ないと思うのもあるんで私がしっかりして信用性の担保になれれば幸いと思っております。
それを踏まえた上で、今までの批判されている信者さん達は年を取っている人が多いと言うのもあります。
当会の教えが「染み透りにくい」と思っております。仏教で言うと「有(個性が確立してしまい新しい個性を確立し難い段階)」の段階であって、
そういう面では致し方無いだろうなと思うのです。
S氏騒動のときでも私が批判の対象とした部分は「信仰」であって、かの御仁の信仰は当会の言う信仰では無いのですね。ですので、ゼロから信仰を学び直しなさいと言うのが反論の趣旨だったんです。

当会は出来てからまだ日が浅いため、評価は固まりつつあっても総裁の理想からは程とおいと言うのが現状でしょう。
日々努力しかないと思っておりますが、翻って学生部の子や、幸福の科学の子弟と話すと、割合立派な意見を述べるし、正義感の強い子が多いのには驚きです。
こちらにいらっしゃる皆様で、事の是非は置いといて、毎朝礼拝し感謝の一日から始められていた、と言う方はいますか?
私は15歳で出会っていますが、それでも慣習は中々直らず、毎朝の礼拝が出来るようになって来たのは数年前からです。

人生と言うのは間違いもあるし迷惑を被ったり、不機嫌になる事態に遭遇したり、また自身がそうしてしまうことも多々あると思うのです。
他人の為に良かれと思ってしたことが仇になって還って来る事もあります。
しかし、何かしらの規範を骨格として持っている方と言うのは、その規範で反省をします。リカバリーが非常に早いと思っております。
ふてくされてしまいたくなることもあるでしょう。投げ出してしまいたいこともあるでしょう。
でもそこが正念場と観念出来る人は、偉大な人格を築いているのだと思うのです。
因果の理法は「原因があって結果がある」「結果が因になり次なる結果を生みだす」と言う時間の流れの中での連鎖を教えています。
私はアンチと言う皆様の中にも素晴らしい人格をお持ちの方もいらっしゃると認めています。(JBL・ジラン等は話しにならない)
そういった態度が次なる果を生み出す為の因であると私は考えています。
口の汚さは私から見るとアンチも信者も同レベルであって(下手したらアンチの誰かの方が酷いと思う)、互いに鏡張りで応酬し合っているのだと思います。
そういった因果から抜け出すためにも、互いに愛の心を持ち、宗教的な愛の話しが嫌なら「水清ければ魚棲まず 不善責めれば人この世に住めず」の精神で、相身互いの心を持てたら結構ではないかと思います。

400現役信者:2007/02/15(木) 17:04:30 ID:7T.K5F7I
>>387@AHW
>2ちゃんとか見てても、シンパ諸氏は教団発の情報の受け売り的なオウム言葉か、
ピントのずれたはったり闘争宣言や、一般論化ばかりで実がない中、
率直な自分の意見、信仰者としての事態の受けとめ方、意見投稿での礼節
主観と客観のバランスなど含めたいしたもんだ。

お褒め頂きありがとうございます。

>しかし、それがkk発の価値観でという必然性は伴わないはずだ。

今はそうだと思いますが、当会は当会発の意見が、教えが普遍性を持って欲しいと願い日々活動中でございますので、その理想の実現に向けて取り組んでいる次第です。
当会内部においては「当会の価値観で押し広めて行くのが良い」と考え、またその情熱がエネルギーとなって湧き出て来るのだと思います。

>kk教義では、善悪の生じる根本原因が「自由意思の相克」と定義されてる。
これはおそらくkkオリジナルの考え方だろうね。
相克の中で悲しみや憎悪や悲劇が生まれれば悪ということだな。
よって、相克の歪みへの「調整の思想」が必要だっていうわけだろ?

悪の発生原因の説明にはもうひとつ。「人・時・所」の問題もあると。
複合的に見て判断しないと善悪の認定は非常に危険なものとなると私は思っております。
相克の歪みの調整については「愛」であります。「許す愛」と言う概念ですが(許す愛と言うのは積極的な力を持つとされている。参考書籍・大川隆法総裁著「大悟の法−第2章−罪を許す力」)、
この愛に拠って人々は生きて行く力を持つ事が出来ると私は考えます。
当会オリジナルの思想である「愛の発展段階説」が悪の超克に積極的な力を及ぼすものだと私は非常な期待を持っております。

>そこでは例えば、力強きものが、つまり勝った者が正義だというものも含めて
競争原理や結果主義も、一つの調整の道として肯定されるはずだ。

競争自体は総裁は肯定しておりますが、「結果主義」については総裁は良しとされていません。
総裁はこう仰いました。「私は結果は見ません 動機のみを問う」と。

今回の主張は学校側のなあなあ主義が起こしてるんだと思うし、そのご都合主義は「競争を追い出した結果」が生み出していると私は思います。
学校側が隠蔽する動機は何なのでしょうか?
本来機能していなければならないはずの「教師の倫理観や正義感の欠如」の反対側の心でしょう。
自己保身であります。教師の自己保身の犠牲になっている子供たちの身になって考えてみると事の重大さが見えてくるのではないでしょうか。

完全な余談
総裁先生のお子様をいじめたと言う事実。
私は「誰の子供をいじめるんじゃごうらぁ!!!」となります。
これは身内意見で身内感情です。はい。

401現役信者:2007/02/15(木) 17:21:30 ID:7T.K5F7I
>>384@エートス氏
>どのような理由_信仰も含まれますが_があろうと守らねばならない「規範」
_例えば「親を敬う」「人を殺してはいけない」「弱いものをイジメてはいけない」などなど_があるということを子供に教えていかなければならないという社会的な合意が失われていると思います。

ここが重要ですね。
何故そうなったかと言うアプローチが大事だと思います。

>しかし、事を起こさせないためには無神論でも唯物論でもなんでもいいんですよ、ともかく理屈ぬきで根拠なしで「してはいけないこと」を教えることが必要なんです。

昔の会津藩の藩校でしたっけね。子供たちが「何故してはならないの?」と問うた時、「ならぬものはなりませぬ」と答えた。これですね。
「ならんものならん!!」と言う権威で教育せねばならないように思います。
今は親の権威が失墜しているでしょうし、父性を家庭から締め出して良しとしている風潮が誤りであると思います。
男子は父親への反発心から自立心を養うと言われています。
私の従業員に男子を採用したんですが、いやはや、使えません。
責任感が欠如していて、言い方は語弊がありますが「女々しい奴」が本当に多いです。目を覆って耳も塞いで布団の中で号泣したくなります。
大工の現場で根性を叩き直そうと連れて行くのですが、速攻で逃げます。泣

>宗教を締め出したのがいけないのではなくて「規範」を締め出したのが誤りだったと思いますよ。

説明すると恐ろしい位長くなりますから機会があればですが、規範の基となるのはやはり宗教だと私は考えます。
規範と言うのはルールと言うのは仰る通りなんですが、社会的な合意事項に達するほどの権威と言うのは宗教以外に無いと私は結論しています。
小室直樹も似た様なニュアンスですね。
規範の背景に横たわっているのは権威だと思うのですね。
その権威の源はなんじゃろかい?と考えると法律ではなく、国民的合意形成に至るほどの慣習が権威として構築されて行くと考えます。
日本で言えば天皇家もそうでしょうし、聖徳太子の憲法17条でしょうし、その中でも「和を以って貴しとなせ」が国是となっているのも慣習として定着しているからではないでしょうか。

402青の青:2007/04/04(水) 12:38:36 ID:.Yrj6hmE
>>384エートス氏
>どのような理由_信仰も含まれますが_があろうと守らねばならない「規範」
>>397規範とは平たく言えばルール・取り決めで、ルールそのものはその社会の合意事項ですから価値中立と考えていいんじゃないの。

え〜っと、これって矛盾なんじゃないですか?ダブルスタンダード??

>ともかく理屈ぬきで根拠なしで「してはいけないこと」を教えることが必要なんです。

理屈が言えなくなったから「してはいけないこと」を言えなくなったんだと思いますよ。
それと、理屈ぬきで「ならんからならん」って言うのって信仰と同じですよね。
あるからあるって、真理は真理って。信仰の真骨頂ではないかとおもいます。
エートス氏、信仰と同じこと言っちゃってますね^^
 
>>389エートス氏
>「仏は人に不自由をあたえましたが、あなたの場合それは何かを見つけるのが正しい心の探求です」のほうが全然まともになると思う。w

「けど、不自由なんでしょ?正しい心を見つけたって為れないって意味になるんでしょ?」
なんて受け止められることも考えられますよ?
法を説くって難しいですね。
その不自由は個性と捉えるのが妥当でしょうけれども。

403青の青:2007/04/04(水) 12:42:31 ID:.Yrj6hmE
>>396AHW氏
>で、戦後、宗教を義務教育の場から排除したからだ、という議論は単純過ぎると思う。
>まあ細かいことは端折るがまず愛国心が喪失してるのが一番の問題だろと
>折れは感じるな。そこから健全な宗教心だって生じてくるだろうよ。

戦前の愛国心と宗教心信仰心は一体だったでしょうからね、天皇制ですから。生き神様w
宗教外したら一体だった愛国心も外れたわけだ。

>>397エートス氏
>>仏神の属性は善ですが?
>>その規範も仏神からきていますが?

>「善が神の属性であり、規範は仏神から流れ出たのだ」とお考えのようですがはたしてそうでしょうか。

善悪二元を超えて愛一元へ。
人間を生かしめ育む愛こそが仏神の属性であり、善悪は愛を学ぶための方便である。
と、こう言うべきでしょうね。
善悪は方便、仮のものですから、規範は価値中立と言うことが出来ますよ。

404青の青:2007/04/04(水) 14:03:37 ID:.Yrj6hmE
>>267自己レス
>>225、227 初代氏
>それがちっともダメダメじゃないのよね。
>>224 IAOO,KK氏
>神と自然と人を愛せるようになれば何億人死のうがそれでいいっす。
>>279天変地異_ポールシフトや大洪水のような_は人間に例えれば手足を切断するようなものではなく、
のびすぎた爪をきったり、寝返りをうったり、シャワーを浴びるようなものだと推測する。

(ユートピアの原理より)
神様という方は、私たちが考えている以上に思い切ったことをされることがあると、私は感じています。それは、愛というもののなかにはとても面倒見のいい、人に対する優しさもあるけれども、もっと高次の愛のなかには、思い切って外科手術をしてしまうような愛もあるからであります。それをその時にしなければ取り返しがつかない場合には、そうしたこともあり得るということであります。

(ダイナマイト思想、第7章ユートピアへの道、6節人間の喜び)
(要約)「神仏がほんとうに全知全能ならば、パッと光を照らして明るくしてやればいいじゃないか」
しかし、それは大事な観点を抜かしています。人間が作られたのは幸福を与えたいというねがいがあればこそ、そのために個性がある。「地上のことは人間に任せるよ」といわれているのです。
大きな権限、責任が与えられたということは、それ自体がよろこびです。だからこそ、人間の努力で地上を神仏の願うものに変えていく必要がある。それはありがたいことなのです。それを取られたら私たちのよろこびもまたありません。転生輪廻の意味もまたありません。

405青の青:2007/04/04(水) 14:12:07 ID:.Yrj6hmE
締りが悪いですが時間切れです;;またいつか・・・

406エートス:2007/05/12(土) 00:05:54 ID:tC8Epz9Q
>>401
現役信者氏

たまにはマジレスでコメントでも。

>>宗教を締め出したのがいけないのではなくて「規範」を締め出したのが誤りだったと思いますよ。

>説明すると恐ろしい位長くなりますから機会があればですが、規範の基となるのはやはり宗教だと私は考えます。

権威が規範のバックグラウンドである、というのはその通りでしょう。林道義さんの著書等で知られるようになった「父性」が権威を代表してますよね。

父性あるいは権威は神からもたらされた理念である_というのはわからなくはない。

しかし権威があっても規範がない宗教というものが存在します。たとえばキリスト教がそう。

「神と隣人を愛せよ」というのは規範ではない。
守れば○、破れば×、というように規範とは黒白がつけられるものですからね。

愛せよというすすめだと「このような愛しかたは○なのか×なのか?」などは自分で考えるしかない。
いや、下手をすれば自分で考えたとしても最終判断は神のみぞ知るということかもしれませんし、実際にキリスト教はそうした立場が強い。

自分の子供への真の愛情はだれにも負けないと思っていても、はたから見れば溺愛してるだけなんていうのは世間にいくらでもあることです。

で、わたしからのマジ質問ですが、規範なき宗教がつくったキリスト教社会_西洋社会にある規範の源泉、背景は何でしょうか。

407青の青:2007/06/13(水) 18:27:12 ID:ptmLoYqs
>>404
つまり、人間には地上を仏国土にする使命があるのだから、安易に天変地異を願う、つまり他力本願になってはいけないってことです。
人間の努力によって作り上げてこそ、喜びは大きいのであって、仏に代わってもらって手に入れたのでは、使命を果たす喜び、成長の喜びは無いってことです。

例えばゲームを自分でクリアーするほうが、他人がクリアーするのを見るより嬉しいでしょう?ということです。

天変地異が回避されたのは喜ぶべきことであって、まだまだ仏は期待しているんだっていうことなんです。
それから、回避されたのは海外への書籍販売経路が確立してきたことが大きかったと言われているそうです。

408青の青:2007/06/14(木) 04:16:17 ID:Le8RplOo
度々、何故フライデー事件は起きたのかという問題提起がなされます。
宗教ならもっと平和的であるべきだ、とか、kkの暴走なんだとか・・・
kkからは「宗教の反撃 景山民夫 小川知子編」「言論の自由対信教の自由 広報局編」などが出版されています。
これらを読んでみると、まだまだ理解が足りなかったなと感じたしだいです。
これらを参考にkkから見た事件のあらましをまとめてみたいとおもいます。

91年春、幸福の科学は宗教法人格を取得している。

 最初の記事
91年5月、講談社子会社スコラ社発行の「スコラ」5・23号 いいかげん度とバカバカしさなどとこき下ろす。記事の執筆に関して取材は無い。
翌週に「週刊現代」5・25号 ファジーな商法と呼び納税者番付で部門7位だったことで怪しい金集め団体と決め付けたがっているような記事、落としめの意図が見える。発売5日前に取材、問題摘出リポートという扱いについては語らない。
2週間後5月31日「フライデー」“なぞの教祖”、経歴ならどの著書にものっているのだが。

 捏造の始まり、記事は誹謗中傷から捏造へと悪化する。
翌月、6月24日「週刊現代」“3000億ブチあげ、大野望” さる“中堅会員”が総合本部で、みかん箱ほどの大きさの段ボール数箱に詰められた現金が搬入されるのを見た、しかし中堅会員という呼び方はないし、総合本部には一般会員はあまり訪れてこない、当然銀行振込を使っている。
この件に関する取材で無断撮影はしないという条件を記者は無視する、撮影に対する抗議に「絶対掲載しない」と約束するが、写真は載ってしまう。

409青の青:2007/06/14(木) 04:18:06 ID:Le8RplOo
 抗議文
6月29日に週刊現代編集長宛に、記事が事実無根であることと写真の無断掲載に関して抗議文を送付する。
しかし、回答や釈明は一切無い。

6月24日 日刊現代 3日連続 「精神世界のバブルに踊る この人たちの真贋」しかし内容は、学歴、金、教えは理解できない、だったようだ。

 7月、8月の一覧
7月5日 現代(月刊)7月12日フライデー 7月19日フライデー 7月22日週刊現代 8月5日現代(月刊) 8月9日フライデー 8月23日フライデー 8月30日フライデー

幸福の科学が抗議行動に入ったのは9月2日からである、それ以前の段階で講談社は誹謗中傷、捏造記事を掲載し、センセーショナルな見出しを新聞広告や電車内吊り広告などで人目にさらしつづけたのである。
8月22日に通告書、8月28日に警告書を出しているが、この時点でそれ以外の抗議は幸福の科学および会員からは行われていない。

410青の青:2007/06/14(木) 04:20:03 ID:Le8RplOo
8月9日のフライデー23・30合併号には代表的捏造記事のノイローゼ記事がある。
記事では、GLAの元幹部となっている石原相談室を開いている石原常次氏がこう語ったとされる。
「彼がまだ商社に居るころでした。ぼくのところにノイローゼの相談にきました『GLAの高橋佳子先生の[新創世記]を読んでいるうちにおかしくなってしまった。自分にはキツネが入っている。どうしたらいいでしょうか』と。分裂症気味で完全に鬱病状態でした。ノイローゼの人は名前や住所を隠す場合が多いんですが、彼も中川一郎と名乗っていました」

しかし、これの発売された4日後、石原氏本人から電話があり、「あの『フライデー』のなかで、早川ジャーナリストが書いていた、中川一郎と名乗る二十歳(相談当時)の青年は大川先生ではありません。早川氏の聞き違いだと思います。早川氏とは、電話で二分か、せいぜい五分ぐらい話しただけですから」(「」内は宗教の反撃より引用)
このような電話があり、ノイローゼ記事のあからさまな捏造が判明するのである。GLAの元幹部というのもでっち上げである。
そして、石原氏の証言では早川ジャーナリストが「幸福の科学が大きくなる前になんとかつぶしたいので、悪い評判があれば教えて欲しい」と語ったのだという。
いったい何故宗教法人となって半年もたたない幸福の科学をつぶしたいと考えたのか、謎なのである。

石原氏は9月4日文化放送のラジオ番組「梶原茂の本気でドンドン」に生出演までして記事のような事実はないと声明している。
しかも放送の2日前にフライデー編集部員が事実と認めて欲しいともちかけ、拒絶されているのだそうだ。

411青の青:2007/06/14(木) 04:23:30 ID:Le8RplOo
 抗議
フライデー23・30合併号の記事内容と写真の無断掲載に対て講談社野間佐和子社長とフライデー編集長、早川ジャーナリストの三者に対し、内容証明郵便で謝意を表明せよとの通告書を8月22日に送った。
しかし、なんの回答もよこさなかった。そして中傷記事はエスカレートしていくばかりだった。

通告書の返答が得られなかったため三者に対し8月28日、今度は警告書を送付した。意図的な捏造記事と判明した場合には法的処置をとる、すみやかな謝罪と訂正をもとめる、としたものだった。
また、石原氏の抗議書も同封された。

これに反応したのか、8月31日になって8月22日付けの通告書に対する回答文が、講談社『フライデー』からとして届いた。内容は、
「記事の内容は、石原氏が語ったことを、そのまま正確に引用したものであって、『フライデー』編集部では、なんの作為も加えては居ない」「なお、この企画は今後も続けていく所存である」と、この様な内容であった。

この反応は、事実誤認に基づく批判的記事を書いた他のメディアとはあまりにも違うものであった。
講談社以外のすべての新聞社、出版社などは相応の対応をしてくれていた。

というわけで、事態の解決にはまったく結びつかない回答書であったことが抗議活動へとつながっていきます。
(というか宣戦布告書だと故・景山氏も言っております)

412青の青:2007/06/15(金) 06:06:33 ID:RYy5d2Gw

ここからは被害についてを主に「宗教の反撃」第2章を参照しつつ書いていく。

まず2章冒頭に(49p)
「言論の自由に本来ともなっている、自己の述べた言論の内容に対する責任というものを認識してもらうために、具体的な抗議行動をとった」
と、抗議の意義が述べられている。
次に、出版社には抗議を受理する義務があると主張している。(52p)

本題の被害について、一人の実例が紹介されており、原告団2906人の被害もほぼ同様であると書かれている。
紹介されているのは、25歳女性、英語教師である。
彼女は91年1月正会員になる。そして6月『週刊現代』の見出しをみてショックを受けるが、彼女は「真実であるはずが無い、気にするだけ損よ」と自分に言い聞かせるのだが、翌日くらいから記事の影響が周辺に現れるようになる。
幸福の科学の書籍を貸していた教え子の一人が、「お兄ちゃんに大川隆法の本、もう読むなって言われた。危ないからやめろって。どうせ金儲けしか考えてないんだからって。家に置いといたらうるさいから、借りていた本、返します先生、ごめんなさい」といって返してきたのである。
個人の悩み、トラブルの解消、生徒の相談など、書籍のおかげで教育効果があがるようになってきていただけに、ショックは大きかった。
その生徒の兄は『週刊現代』立ち読みし、幸福の科学をとんでもない悪徳団体と思い込んでしまったらしいのである。普段は明るいその生徒が肩を落として帰っていく姿に、教師として、信仰者として、生徒の心が傷ついたことに、やりきれない悲しみを味わう。

413青の青:2007/06/15(金) 06:08:22 ID:RYy5d2Gw
8月、『フライデー』ノイローゼ記事が彼女の心をぐらつかせる。
「講談社という有名な出版社の雑誌で、ハッキリ書いてあって証言者もいる。いかがわしい団体なのだろうか?それを生徒に勧めてしまった自分は、教育者として失格ではないか?」
その後も『フライデー』見出しが新聞広告に躍るたび、彼女の心は揺れ続けた。
「信じていいの?騙されていたの?でも、教えは正しいと思う、だけど、日本一の出版社が嘘を書くなんてあるの?なら、私は何を信じたら?自分の理性的な判断で正しいと信じた幸福の科学が、いかがわしいものだとしたら、私の理性ってなに?私は何なの?私の生徒たちはどうなるの?」

彼女の葛藤は、やがて、石原氏の出演したラジオ番組の録音を聞くことで終焉を迎える。
その番組を聞いて彼女は、まずあっけにとられ、そして、激しい怒りを感じた。
「全部が嘘だというのなら、私のここ数週間の、夜も眠れないような悩みはいったい何だったの」
つづいて湧き上がったのは、激しい後悔の思いだった。
主宰(当時)先生を疑っていた自分が情けないと心の底から思った。自分の理性を信じ切れなかったことも、情けなく思えた。疑惑に駆られていた時点とは違う意味での後悔と、自分への信頼が崩れ落ちていく心境を、また味わわねばならなかった。

記事のおかげで、彼女の父親から頻繁に電話がかかるようになる。
「幸福の科学やめれって!いまに金ばかり取られるぞ」
以前は理解を示していた父親が、一変して否定的になる。情報過多に慣れている都会と違って、田舎の両親などは活字になっていることはすべて真実と、おもいがちであり、それが親子の間を断絶してしまった。

414青の青:2007/06/15(金) 06:09:51 ID:RYy5d2Gw
そして追い討ちは、月刊『現代』10月号、島田裕巳日本女子大助教授のペンになる。
「宗教学界の異才が初の本格追求 こんなものがはびこるのは日本の不幸だ!バブル宗教『幸福の科学』を徹底批判する」と題する文章だった。
女子高の教師である彼女にとって、日本女子大という存在は無視できない存在であり、その助教授がかいたこの文章は、彼女の高校にも波紋をなげかける。
同僚の先生たちの中に、彼女が会員と知った上で、生徒たちに「騙されないように」と言って回る人が出てきた。
それをきっかけに、生徒たちの態度は急によそよそしくなった。以前は慕っていた生徒たちまでが、挨拶すらしてくれなくなった。
また、同僚の先生は、休み時間に彼女を呼び出しては、「幸福の科学に入っているんだってね、お金集めとかしているようだけど、大丈夫なんですか?先生がどんな宗教をやってても自由だけれど、何も知らない生徒たちまで巻き込まないで下さいね。卒業生もですよ」と、告げたりもした。
こうして彼女は日増しに孤立していった。

彼女には4年前から結婚を前提に交際している婚約者が居た、彼女の信仰を理解しようと考え始めていた彼は、そのおかげで中傷記事を読み漁り、結果、不信感の虜になってしまったのである。
電話の都度、口論が多くなり、そして「結局、いくら金を注ぎ込んだんだ?やっぱり騙されとるんやろ。頼むからやめてくれよ、俺と幸福の科学と、どっちかを選ぶんだ」と、彼は言い放った。
数日後、電話で彼女は「自分は幸福の科学の信仰を捨てることは出来ない」と、告げ、彼女の婚約は破談になった。

以上が最も典型的な、精神的公害訴訟の原告のケースである。とある。

415青の青:2007/06/15(金) 06:11:37 ID:RYy5d2Gw
会長と副会長である景山民夫さん、小川知子さんの場合、被害はより直接的なものとなった。
小川知子さんの事務所の電話にはほぼ1日24時間、嫌がらせや脅迫の電話がかかり、留守番電話に切り替えても、脅しとか卑猥な言葉がテープの容量いっぱいまで吹き込まれるようになった。
テレビ局には出演を差し止めろという電話が殺到し、小川さんが出演するコマーシャルのスポンサーには誹謗の電話が相次いだ。

景山さんの事務所にも脅迫の電話が相次ぎ、「そんな事務所にいると、働けないようなからだにしてやるぞ」といった言葉を投げつけられたデスクの女性が、ショックで体調を崩した。
また、ヤクザ口調の男からの電話が景山さんの両親の自宅にまでかかってきた。男は、「お前、あんな風に世間を騒がしている、宗教ぐるいの息子を持って恥ずかしくはないのか」といったことを喋った。
事務所にタングステン鋼のカッター刃3枚を同封した脅迫状が送りつけられてきたり、自宅の駐車場に止めてあった車の部品を壊されたり、表札の一部が剥ぎ取られたりもした。

当時の指導局長の自宅には「お前の息子を殺してやるぞ」という電話が4回にわたってかかり、指導局長は警察に通報して捜査を依頼した。
幸福の科学の総合本部や地方本部、支部などには爆破予告の電話などが相次いだ。

他にも幸福の科学出版に対する営業妨害もある。
講談社は出版、流通、書店に対して巨大な影響力をもっている。講談社は全国の書店に対して幸福の科学の書籍を取次ぎに返本するよう働きかけたのである。
例えば、常時40冊も置いていてくれた書店が1冊も置いてくれなくなったり、書籍全冊を常備してくれていた書店が10冊程度しかおかないようになった。
また、景山さんの書籍にも講談社の営業マンが良い場所に置かないように圧力をかけていた。

こんなことをしていて、言論の自由を言う資格がどこにあるのだろうか?

416銀杏好き:2007/06/15(金) 20:25:10 ID:9bIUPx2E
青の青さん。こんばんは。
論戦ができるような私ではないのですが、一つ疑問に思ったことがあったので書かせて下さい。

25歳の高校の英語教師の方はこの段階ですでにKKの信者であるのですから、大川氏の書籍の内容は彼女の信仰に直結するものでしょう。
「彼女の信仰を前提」にその書籍を生徒に読むように「勧めただけではなく貸与した行為」は、明らかに行き過ぎと思われます。
その高校がもし公立校であれば、処罰の対象にもなりかねません。

この件は、KKと講談社のトラブル経緯や彼女の周囲の人々の信仰に対する無理解(?)とは全く別の次元の問題だと思います。
以前KKの映画に生徒を誘った高校教諭の方もいらっしゃったようですが、公立校であれば明らかに教職員の服務規程に抵触していますよ。

教えの内容がすばらしいとか、生徒の悩みを解決できる鍵になりそうな内容だとか、そういうレベルの話ではないでしょう。

ただし私立校だった場合は、学校によって取り扱いが違ってくると思うのでその場合はどうなるのかは分かりませんが。

417RANDY:2007/06/15(金) 20:40:16 ID:O8VQPwsU
青の青氏

KK側にもいろいろ言いたい事はあるだろうと思います。でもフライデー事件で問題になってるのは、抗議の方法とか、嘘とかでしょ。

抗議方法については、文書、口頭による謝罪要求、デモ、法的措置、それから不買運動とか、この程度だったら許容範囲かもしれない。でもKKのファックス攻撃とか物理的方法による業務妨害は、やっぱマズかったでしょ。
あと教団主導であるのに、信者らが自主的に決起したとしたのも、嘘といわれれば、弁明しようがない。

この二点については、週刊誌側にも悪い点があったといくらいっても、どうにもならないと思います。週刊誌のせいで傷付いたという人もいれば、週刊誌のお陰で、目が覚めたという人もいるでしょうし。他者を責めるより、自分の短所を矯正する方が重要かもしれません。

それで、青の青氏の書き込み見てて疑問に思ったのは、マスコミによる直接被害を受けてるのは、大川隆法氏なんですよね。そんなら、どうして大川氏本人ではなく、信者らが訴訟を起したのか、すごく疑問ですよ。

たとえば、マスコミがA食品工場を誹謗中傷したとします。A食品工場が事実無根としてマスコミを訴えれば、裁判に勝てるかもしれません。でも、消費者らが、「A食品工場を信じてます。いつも美味しく食べてます。食中毒もありません。マスコミは許せません」として、マスコミを訴えても、裁判所が受け付けてくれるかどうか。

なんか、誹謗中傷されてる本人の大川氏が、表に出てこないというのは不自然ですよ。

418RANDY:2007/06/15(金) 20:53:47 ID:O8VQPwsU
銀杏好き氏
>>416
銀杏好き氏の意見は、正論だと思います。

元会員としていうと、会員はKKを信じるというより、真実と思ってるわけです。
そしてこの真実を告げ知らせるのが、自分の使命と考えてる。
さらには、当時であれば、一人でも多くの人に、できるだけ早く、この真実を知らせなければ、世紀末に天変地異が来てしまうとも信じ込んでる。
たしか当時の大川氏の講演なども、いっつも世紀末天変地異を煽ってました。早く伝道しないと_救世事業が遅れてる_とか。

だから教えがすばらしいとか、悩み解決に役立つとかのレベルというより、伝道しないと世界が滅ぶというレベルでした。
傍から見てる人にすれば、空いた口が塞がらないでしょうけど、多くの会員はそういう心理状態でした。で、そういう心理状態じゃない会員は、「まだ目覚めてない」とされたわけです。

419青の青:2007/06/15(金) 22:34:15 ID:RYy5d2Gw
このフライデー事件は、人権や民主主義の点から見ると事の本質が良く見えると思われる。
民主主義社会において其の健全性を支えているのは“良識”である。
そして、良識を支えているのは、“良心”と“正しい情報”であろう。
良心は“宗教”が、情報は“報道”が支えているものである。

つまり、このフライデー事件は宗教の復権と、報道たるマスコミの腐敗を正すための戦いだった訳である。
すなわち、これは救国の戦い、国民の幸福を守る戦いだったというのが結論である。

  信教の自由は人権の中の人権
人権理念の中心は個人の尊厳の確保にあるという、つまり自由で平等であるということ。
何故なのか?何故自由で平等なのか?何がそれを教えてくれるというのか?
それは宗教的真理しかない。
人間は創造主の作られた作品であり、創造主のもとに平等である。という思想。
仏教的に言うならば、仏性が宿っているからみな尊いのだ。という思想が人間に尊厳を与えてくれる。

420青の青:2007/06/15(金) 22:35:49 ID:RYy5d2Gw
ゆえに、宗教無くしては人権は生まれ得なかったものだ。という事が言いえる。
であるから、信教の自由は人権の中の人権なのである。
信仰心があるということが、人権を守ることにつながっているという訳である。
宗教無き所には人権はない。国家でも企業でも教室でも、そのようになってはいないか?

もちろん、宗教、信仰と一口に言っても、人権などとは無縁な邪教も存在するのは事実である。ゆえに正教への信仰あってこそ人権はあると、いわなければならない。
そして、正教であったものも、時代と共に形骸化して、末法の世となったりするものであるから、宗教が権力と一体化するのは、新たな教えが正しく広がるためにも無い方が良いだろう。信教は自由であったほうが良い、ということである。

421青の青:2007/06/15(金) 22:37:49 ID:RYy5d2Gw
  マスコミの腐敗は全体主義を呼ぶ
結局のところ、講談社のしたことはプロパガンダなのである。
情報を操作、及び捏造し、権威付け、それを大々的に宣伝し、民衆を操作し、反宗教的思想を植付け、宗教弾圧に駆り立てた、というわけである。
操作された民衆もまた、被害者であるという点は、言っておくべきだろう。

マスコミの捏造といったものは、決して許されざるものである。報道の自由とは知る権利の為の手段だといえよう、当然ながら事実を知る権利である。それはニセの情報に操作されない為の権利であるはずだ。であるにもかかわらず、マスコミが捏造された情報、恣意的に歪められた情報を流すということは、これは民主主義への反逆、国民への反逆、そしてマスコミの自殺行為なのである。
実際は重大な事態である。にもかかわらず、無自覚、無反応であったならば、それは一つの洗脳状態にあったということを、知らなければならない。
マスコミは人々の生活に深く根ざしている、そんな中で恣意的に歪められた情報という毒が、混入していたとしたら、我々はそれと気づかぬうちに、操り人形になっているかもしれないのだ。

422青の青:2007/06/16(土) 00:10:15 ID:sgXHWSz6
>>416銀杏好き氏

ミッション系の高校となっています、書かないとまずかったですね、失礼しました。

>>417 RANDY氏
業務妨害については反論を書き足しましょう。
教団主導という点についてはなにもありません。

一つ、講談社についてはどう思っているのか、そこのコメントを、出来れば皆さんからいただきたい。
もしも、何も感じないというのであれば、講談社信者とでもいうようなものとしかみれないのだが。
講談社の行為が小さなことだと感じていること自体が問題なんです。

教団側からの裁判もやっています。
1、「フライデー」のノイローゼ記事
2、「週刊現代」のゲシュタポ・レポート記事、銀座クラブ記事
3、「週刊現代」現金入りダンボール記事
以上が明らかな捏造記事で名誉を著しく傷つけたとして訴えたとあります。
信者が訴えた裁判は「宗教上の人格権」の確立を目指した裁判です。後で書きたいと思います

信仰を消費者とメーカーの関係にたとえるのは失礼だとしか言いようがありません。信仰を理解していない人のすることです。
信仰は親子かそれ以上の関係です。
そもそも消費者とメーカーの関係で親兄弟とケンカになったり疎遠になったり、婚約が破談になったり、商店等の売上が激減したり、降格になったり、退職に追い込まれたり、そんな被害が出る訳ないじゃないですか。

423青の青:2007/06/16(土) 01:11:54 ID:sgXHWSz6
抗議行動が行われたのは9月2日から9月6日の5日間のようである、その間ファックス枚数は5万5千枚とされている。
しかし、100本以上のファックス回線をもつ講談社がこの程度で通信遮断を起こすことなどありえないと、幸福の科学は主張しています。
5万5千枚を5日で割ると1万1千枚、これを回線数100で割ると110枚、1回線あたり110枚の抗議文が送付されたことになります。さらに24時間で割ってみれば、5枚弱。
この枚数で通信遮断を生ずるという講談社の主張には相当無理がある。という主張です。
また、この訴訟で講談社は通信遮断・業務麻痺を生じたとしながら、
他方で「あの抗議行動が1、2ヶ月続いたならば業務に重大な支障が生じたであろう」
等と不思議な主張をしています。この主張によると講談社は通信遮断・業務麻痺が1,2ヶ月続いて初めて業務に重大な支障が生ずるまことに不思議な会社となってしまいます。通信遮断・業務麻痺が真実であるならば、このような不思議な主張が提出されるはずはありません。
とある。(宗教の反撃194参照p)

(宗教の反撃51p〜)
1時間にたかだか4,5枚のファックスが送られてきたことをもって、講談社は、悪質な業務妨害行為が行われた、と主張しているのだ。これは、自分たちの行ったことを棚に上げて、講談社こそが被害者なのだと言いくるめようとする、独善的かつ悪質なレトリックの乱用に他ならない。
むろん、1台(回線)あたり5枚弱というのは平均値であって、抗議のファックスは、主に「フライデー」と「週刊現代」の編集セクションである講談社第一編集局に対して送られたものと思われるしかし、第一編集局は、本来それらのファックスによる抗議を受理する義務がある。何故ならば、如何なるジャンルの職業でも欠陥商品を生み出した場合、その担当部署は、抗議を謙虚に受け取り、しかるべき対処をする責任があるからである。

424初代:2007/06/16(土) 06:33:07 ID:35SWksDQ
>>407 青の青さんへ
>人間には地上を仏国土にする使命があるのだから、安易に天変地異を願う、つまり他力本願になってはいけないってことです。

天変地異を願う? 誰が? それは一般人ですか、それとも何らかの信仰を持つ者ですか?

例えば、終末を待ち望むようなタイプのキリスト教系宗教も一部に存在しますよね。
教義のベースとしてKKは、そもそもそっち系に分類しきれるとは言い難い。でもね、最初期から『キリストの霊言』に収録しきれなかった「予言」の存在をほのめかしておりましたし、実際に別のかたちで公開(『ノストラダムスの新予言』、月刊誌での「エリヤの霊言」)したのは早かった。しかも結局は、世紀末予言路線を前面に押し出すことになる。

>人間の努力によって作り上げてこそ、喜びは大きいのであって、仏に代わってもらって手に入れたのでは、使命を果たす喜び、成長の喜びは無いってことです。

あのね、何度も書いてきていますが、KKにおいて天変地異は「因果」の理屈で語られていたこと。
「この世の事柄については、この世の人が成すべきことだ」ということに、反対を表明する人は上記一部の信仰者を除いていないでしょう。
こういうことです。KKは、このまま世の中が進むと天変地異が起きますよと言っていた。もちろん天変地異が起きる原因は、この世の人の所為ですよ…と。回避したければ努力をしましょう、しかし、起きたら起きたで、それ自体は永遠の生命の観点からいえば悲しむべきことでもなく、自然なこと、もっといえば「浄化」という“良き”こととも言うこともできる…と。

>天変地異が回避されたのは喜ぶべきことであって、まだまだ仏は期待しているんだっていうことなんです。それから、回避されたのは海外への書籍販売経路が確立してきたことが大きかったと言われているそうです。

KKの世紀末予言路線の変遷と、KKが天変地異の原因に挙げていた事柄については、既に併記してありますので、読み直しておいてください。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/6228/1119480892/729-748
この時系列のどの部分に海外への書籍販売経路の確立をはめ込みましょうか?
また、そのことが、他の因(創価学会、核兵器…)を押さえ込んで余りあるものだったとでも?
最後に、天変地異が回避(実際には「起きなかった」と表現すべきだが)されたこと自体は「喜ぶべきこと」でも逆に「残念がること」でもないのですよ、KK理論からいって。ただ、世の中の価値観の転換ですよ、注目すべきところは。

425RANDY:2007/06/16(土) 19:29:37 ID:xC/puEos
青の青氏
>>422
>教団側からの裁判もやっています。

ノイローゼとか書かれたのは大川氏だから、大川氏が訴えた裁判はありますか。

>信仰を消費者とメーカーの関係にたとえるのは失礼だとしか言いようがありません。

それは失礼しました。

>>423
>抗議行動が行われたのは9月2日から9月6日の5日間のようである、その間ファックス枚数は5万5千枚とされている。
>むろん、1台(回線)あたり5枚弱というのは平均値であって、抗議のファックスは、主に「フライデー」と「週刊現代」の編集セクションである講談社第一編集局に対して送られたものと思われる

一つの部署に、五日間で五万五千枚のファックスが送付されたら、そりゃあ混乱したでしょう。あと、当時、私が支部に行った時、抗議電話した先輩会員らが、「つながった?」「だめ」「なかなかつながらないな」とか話してましたよ。電話回線はパンクしてたようです。

>第一編集局は、本来それらのファックスによる抗議を受理する義務がある。

ファクス送付について、KKは抗議目的といい、マスコミ側は業務妨害目的というようですね。裁判所や世間は、マスコミ寄りの判定のように思えます。

426RANDY:2007/06/16(土) 19:34:14 ID:xC/puEos
青の青氏
>>419-421

まず、はじめに私なりの人権観を提示しときます。
『かつて人民は、権力者の横暴によって虐げられた。
そのうちに人民の間に、こんな考えが生まれた。
「いくら権力者だからって、好き勝手はするのは許されない。権力者であっても、絶対に破ってはいけない掟があるはずだ」
で、これが、信教の自由、言論の自由だのに発展してった。
ようするに、人権は、基本的には、公権力に対して、「そんな横暴は許さん!」と主張するもの。

あと人権の由来について、
神が人に与えたというのでもいいけど、
実際には、人権は、宗教の違いに関わらず、また無神論者でも、有神論者でも、
人であれば誰でも持ってるわけです。
だから、どっかの神様によるというより、
誰でも天然自然に備わってるという方が、より普遍的かもしれない』

私はこんな感じだから、マスコミのKK批判に対して、信教の自由だの、知る権利だのいうのは、なんか違和感があります。

知る権利といったら、普通は、国民が公権力に対して「税金どう使った」とか情報公開求めるやつでしょ。公権力と国民の間に、マスコミが入ることもあるかもしれない。信教の自由は、公権力に「宗教弾圧するな」てことでしょ。マスコミのKK批判って、これらとはあまり関連しない気はします。

KKは、マスコミは誹謗中傷捏造してると批判してるわけだから、名誉毀損、マスコミの職業倫理、損害発生してるなら損害賠償、プライバシー侵害とか、そういうのを中心に争えばよかったんじゃないかな。

427RANDY:2007/06/16(土) 19:38:04 ID:xC/puEos
青の青氏
>>422
>講談社についてはどう思っているのか、

フライデー事件の頃は、KKが教える通りに考えてましたよ。不買運動とかあったから、古本購入の際にも、講談社の本は買わなかったりしてました。今はあまり気にしてないですね。

>もしも、何も感じないというのであれば、講談社信者とでもいうようなものとしかみれないのだが。

私は、出版社でざっくり判断はしないですね。
講談社については、フライデーは興味ないから立ち読みもしないけど、サピオは以前はよく読んでましたね。講談社学術文庫は長く続けて欲しいですね。

428青の青:2007/06/17(日) 05:23:51 ID:W0BT6q8.
抗議行動が行われたのは9月2日から9月6日の5日間のようである、その間ファックス枚数は5万5千枚とされている。
しかし、100本以上のファックス回線をもつ講談社がこの程度で通信遮断を起こすことなどありえないと、幸福の科学は主張しています。
5万5千枚を5日で割ると1万1千枚、これを回線数100で割ると110枚、1回線あたり110枚の抗議文が送付されたことになります。さらに24時間で割ってみれば、5枚弱。
この枚数で通信遮断を生ずるという講談社の主張には相当無理がある。という主張です。
また、この訴訟で講談社は通信遮断・業務麻痺を生じたとしながら、
他方で「あの抗議行動が1、2ヶ月続いたならば業務に重大な支障が生じたであろう」
等と不思議な主張をしています。この主張によると講談社は通信遮断・業務麻痺が1,2ヶ月続いて初めて業務に重大な支障が生ずるまことに不思議な会社となってしまいます。通信遮断・業務麻痺が真実であるならば、このような不思議な主張が提出されるはずはありません。
とある。(宗教の反撃194参照p)

(宗教の反撃51p〜)
1時間にたかだか4,5枚のファックスが送られてきたことをもって、講談社は、悪質な業務妨害行為が行われた、と主張しているのだ。これは、自分たちの行ったことを棚に上げて、講談社こそが被害者なのだと言いくるめようとする、独善的かつ悪質なレトリックの乱用に他ならない。
むろん、1台(回線)あたり5枚弱というのは平均値であって、抗議のファックスは、主に「フライデー」と「週刊現代」の編集セクションである講談社第一編集局に対して送られたものと思われるしかし、第一編集局は、本来それらのファックスによる抗議を受理する義務がある。何故ならば、如何なるジャンルの職業でも欠陥商品を生み出した場合、その担当部署は、抗議を謙虚に受け取り、しかるべき対処をする責任があるからである。

429青の青:2007/06/17(日) 05:30:27 ID:W0BT6q8.
講談社にされたことと、こちらがしたことと、比べてみてですね、こちらがしたことを言われるというのは、例えるならば、レイプされて暴れて相手に傷を付けたら、それでおあいこだろうと言われるようなものですよ。聖職者ならおとなしく又開けって言われてるような感じなんですよ。そういう風に感じられてるってことは、知っておいてもらいたいですね。

信仰を失う衝撃というものは、例えば、立派な人間であると信じていた親が実は裏では極悪非道なことをしている極悪人と知らされ、
社会に貢献している素晴らしい会社だと思って勤めていた会社が、実はマフィアが牛耳る危険で悪質な悪徳会社だと知り、
さらには、学校で学んでいたことが実は全部でたらめな事だったと知らされるような、そういう世界観が崩壊するような衝撃なんです。

それで、そういう大きな精神的被害を受けたにもかかわらず、なぜ訴える資格がないなどとならなければならないのか?ということですよ。

(宗教の反撃149p)
通常「名誉」が傷つけられた心の痛みを償ってもらうのに100万円なり200万円の損害賠償請求が裁判上認められているのに、今回これほどの心の傷を被り現実の被害を被った会員が損害賠償を請求出来ないというのは、常識的に考えておかしなことだ。むしろ請求できて当然ではないか。
(中略)
このような損害賠償の裁判など今まで聞いたことがない訳だが、それは誰も起こしたことがなかったからに過ぎない。誰もやったことがない裁判だから請求が認められないということにならないのは、当然のことだ。
(150p)この事件の被害者である多数の会員が救済される為には、「宗教上の人格権」が認められればよいと私たちは考えた。
 それはつまりこういうことである。裁判で損害賠償が認められるためには、法律が保護すべきなんらかの「法益」が侵害されたことが必要だ。例えば美術品とか車とかの財産が壊されたようなときには「財産権」、名誉毀損の場合は「名誉権」、プライバシー侵害の場合は「プライバシー権」。今回の事件では、これを「宗教上の人格権」と考えればよいというわけだ。
(155p)書きたい放題の記事は過去にたくさんあったが、こういった形でマスメディアが責任を問われたことは今までに一度もなかった。「宗教というのは変なものだから、叩いておけばよい」という誤った風潮があって、書きたい放題で放置されてきた。この裁判で私たちの損害賠償が認められれば、このような誤った風潮に確実に警鐘を鳴らすことができる。
 さらに、「信仰」というものはあたかも司法の場で議論できるものではないかのような風潮が今までの司法界には見られるが、この裁判を通じて「宗教上の人格権」という概念が確立していけば、現在の憲法秩序における「信仰」という概念の位置付けを見直すきっかけになる。

430青の青:2007/06/17(日) 05:40:53 ID:W0BT6q8.
>>428>>423に既に書いたものでした、失礼しました。

431青の青:2007/06/17(日) 06:48:52 ID:W0BT6q8.
>>424初代氏
>天変地異を願う? 誰が?

私が>>223ポールシフトとか、むしろ期待してた私はダメダメですかね、やっぱり。
と書いたら、
初代氏が>>225それがちっともダメダメじゃないのよね。
と書いたんですよ。

>もっといえば「浄化」という“良き”こととも言うこともできる…と。

良きことって捉えていたら、反省できないでしょうね。
つまり、ユートピアが実現する日は来ないって意味になるんですよ。
悪くなっても浄化されるからいいやって思ってるってことでしょうが。
初代氏の言い分には向上、発展の考えが抜けている。
悪い経験が後に生かされるってことはありますけれども、それは向上心があって初めて生かされるものです。

432初代:2007/06/17(日) 07:36:27 ID:Mwg9TtEw
>>431 青の青さんへ
>私が>>223ポールシフトとか、むしろ期待してた私はダメダメですかね、やっぱり。と書いたら、初代氏が>>225それがちっともダメダメじゃないのよね。と書いたんですよ。

KK教義からいってダメダメでもないという意味ですよ。

神の存在を信じている側にも、幾つか考え方に相違があります。
「宇宙を創造するという主要な仕事に加えて、自分の創造物のその後の運命をいまだに監視し、影響を及ぼしているような超自然的知性の存在を信じている」との考え、「超自然的な知性を信じているが、その活動は、そもそも最初に宇宙を支配する法則を設定することに限定される」また「神という単語を、自然、あるいは宇宙、あるいは宇宙の仕組みを支配する法則性の同義語として使う」との考え。
KKの「神」観は階層的になっている。根源の神を20次元以上に設定…おろらく、この神がこの世の事柄に関与することはないでしょう…しつつ、所謂「天地創造」レベルに9次元・人格神を持ってくる。また、「天変地異」に関わるレベルは人格神を超える10次元としつつも、9次元の関与(例えば、「回避」「先延ばし」等の意見を上げることも出来る)も有りかのような曖昧さを持つ。つまり、上記3分類のミックスなわけ。
「天変地異」を人智の及ばないレベルで語りつつ、神(人格神)の介入の余地を残している。
「天変地異」を法則(仕方のないこと)、また良きこと寄り(浄化)に受け取ることが基本にあり。しかしながら、この世に生きる者たちの努力方向は示してある…という構図。

>良きことって捉えていたら、反省できないでしょうね。つまり、ユートピアが実現する日は来ないって意味になるんですよ。悪くなっても浄化されるからいいやって思ってるってことでしょうが。

つまりね、予言が当たれば「やっぱそうだったでしょ」となり、外れれば「(KK的)努力を継続しましょう」となります。
「ダメダメではない」と言った意味は解りましたでしょうか?
KK信者的にいえば、KK的“真理”の証左のひとつとして予言の的中を望む心もあっただろうし、危機軽減の為の(KK的)努力もあったでしょう。

終末論的に時期を区切って未来を観ているのは何らかの信仰を持つ者たちでしょ。
KKはね、過去の文明の終焉に「人心の荒廃」→「天変地異」を持ってきて、今回(1999年をピークに)のを最大規模とふれまわっていましたよね。

433RANDY:2007/06/17(日) 08:15:56 ID:jHIcF/3A
>428
>「あの抗議行動が1、2ヶ月続いたならば業務に重大な支障が生じたであろう」

この一文だけでは、前後関係分からず、正確な意味を導き出せるかどうかは微妙だけど、一応、自分なりに解釈してみます。

まず「あの抗議行動」というのが、ファクス抗議、電話抗議、デモ、団体交渉などなど、どれか一つを指すのか、どれか二、三の組み合わせを指すのか、それとも抗議全体を指すのかはっきりしませんね。でも、多分、抗議全体を指すのじゃないかと想像します。

「業務に重大な支障」というと、何でしょう? 出版社でいえば、出版予定日に出版できないことかな。商品を店頭に出せないのは、目も当てられない。
「重大な」を差し引いて、「業務に支障」であれば、編集作業が滞り、遅れるけども、とりあえず出版物は予定日通りに出版できた感じかな。

というわけで、私なら上の一文をこんな感じに解釈しますね。
「数日間の抗議行動で、業務に大幅な遅れが出た。しかしその後、業務に専念して何とか、その遅れを取り戻す事が出来た。もしあの抗議行動が数十日におよんだら、遅れを取り戻す事もできず、最悪の場合、出版予定日の変更も余儀なくされて、重大な損害が生じたであろう」

434青の青:2007/06/17(日) 08:16:08 ID:W0BT6q8.
>>426 RANDY氏
マスコミは第四権力、あるいは第一権力ともいわれています。
それだけ影響力が大きいからです。

>あと人権の由来について、
>誰でも天然自然に備わってるという方が、より普遍的かもしれない』

これはつまり、「なぜ人権はあるのか」と言う問に「あるからあるんだ、とにかくあるんだ」といっているだけです。

>権力者であっても、絶対に破ってはいけない掟があるはずだ

そう、これですよ人権っていうのは。で、

その掟はなぜあるの?

仏神を持ってくれば説明は簡単ですけど、それ無しで説明出来るかどうかなんですよ。
できますか?

435初代:2007/06/17(日) 08:17:50 ID:uSVWM6.c
>>432 もう少し

一部キリスト教的終末論を簡単に書きますね。
信者はキリストの再臨を今か今かと待ち続けているわけだが、その前の“しるし”として「世界核戦争」やら「天変地異」があるとしている。
それは「避ける」などというものではなく、逆にあってくれなくては困るくらいのもの。神のスケジュールなので、変わる(変える)ようなものではない。ですから、この種の人たちは災厄を待ち望むことになる。それがあって、クリスチャンは救われ、非クリスチャンは滅ぼされ、メデタシメデタシ…と。

KKはね、例えばアトランティスの終焉について語った。同じ理屈で、今文明の1999年をピークにした大災厄を予言していた。しかし、ポイントはというと決して「地球の終わり」などではなく、その後の「神理文明への出発」がセットで語られていたことにあるんじゃないでしょうか。
「人の心の荒廃」を世に訴える。悔い改めなければ、災厄が大変な規模で起きますよ…と。しかし、人類が全滅するわけではなく、残った者たちが「神(真)理」を拠り所に悔い改め立ち上がり歩み始める。KKが提供した予言は、そういうものだったよね。

この世の人の努力と人智の及ばない浄化を相反するものとするのはKK的に間違っているのですよ。

436RANDY:2007/06/17(日) 08:19:37 ID:jHIcF/3A
>>429
>講談社にされたことと、こちらがしたことと、比べてみてですね、

私は今になって思うのは、KKは世界の宗教家についてランク分けしてたでしょう。あの宗教家は地獄に堕ちたということもいってるわけです。こういう事の反作用ってあるのかもしれない気はしてます。

>そういう世界観が崩壊するような衝撃なんです。

マスコミとか、ジャーナリズムの目的には、偶像を打ち壊す、既成の価値観を転覆させるとかがあると思います。もしそれがダメだっていうならば、そこには言論の自由はないでしょ。
またマスコミ、ジャーナリズムの役割は、公権力が変な事しないように、監視、批判することでしょ。「学校教育がダメダメだと批判するのはダメ」としたら、報道は何のためにあるのか分からなくなります。

>大きな精神的被害を受けたにもかかわらず、なぜ訴える資格がないなどとならなければならないのか?ということですよ。

「立派な人と尊敬していた人が、マスコミ報道によって、実は、卑劣漢だと知らされた。これによって精神的苦痛を感じた。損害賠償を請求する」という理屈が、本当に通ると思ってるのですか。

>今回の事件では、これを「宗教上の人格権」と考えればよいというわけだ。

なるほど。KKは上の理屈が通らないのを承知してるから、新しい人権によって論理を構築したわけですね。

でもね。そういう論理が認められるならば、KKも宗教上の人格権を侵害してることになりそうです。KKは当初から、宗教家偉人賢人を批評し、ランクわけしてます。イエスに関しても、「イエスの悟りが掌に見えた」みたいな発言もあったはずだし、愛人がいたとかも言ってるのでしょう。クリスチャンでない私でも、ちょっと不快だから、クリスチャンならそれこそ、かなりの精神的苦痛になりうるでしょう。

>「宗教上の人格権」という概念が確立していけば、

他者の信仰に配慮する意味での、宗教上の人格権は支持できます。でも、教祖・宗教団体に対する批判を押さえ込むためのものであれば支持できないですね。

437RANDY:2007/06/17(日) 09:03:50 ID:jHIcF/3A
>>434 青の青氏
>仏神を持ってくれば説明は簡単ですけど、それ無しで説明出来るかどうかなんですよ。
できますか?

人権は、以下の文章から導かれたという話を聞いたことはありますよ。
>神は御自分にかたどって人を創造された。(創世記1-27)新共同訳
神の似姿として創造された人は、それぞれが尊いということみたいですね。

>これはつまり、「なぜ人権はあるのか」と言う問に「あるからあるんだ、とにかくあるんだ」といっているだけです。

そこに存在するものに、なにがなんでも意味づけしなくちゃいけないのかな。無目的無理由でただ存在するもの、ただ躍動するものっていうのも、ありでしょう。

また人権は神に由来するとすれば、聖職者などが神の御名によって人権剥奪しようとすることも有り得ます。神によって与えられたものは、神によって取り上げられるかも。…だから人権は天然自然に、とにかく存在するとした方がよいです。

それから人権は、仏教キリスト教に先立って、人類誕生の時からあったでしょう。もっといえば、生物すべてが、幸福になりたいと主張することは当然です。自然の掟は、神の存在に先行して存在したかどうかは確認しようがないですが、とりあえず宗教誕生に先立って存在したことは確かでしょ。

>その掟はなぜあるの?

人が幸福になりたいと思うからでしょ。

438初代:2007/06/17(日) 09:22:20 ID:Euwo802U
>>434 青の青さんへ

>>人権の由来について、誰でも天然自然に備わってるという方が、より普遍的かもしれない(RANDYさん)

>これはつまり、「なぜ人権はあるのか」と言う問に「あるからあるんだ、とにかくあるんだ」といっているだけです。その掟はなぜあるの?仏神を持ってくれば説明は簡単ですけど、それ無しで説明出来るかどうかなんですよ。できますか?

ある日から、自分がヒトであることを知り、周りにもヒトがいることを見る。自分と似た姿をする者も、自分と同じように感じたりするものだろうと想像します。形成される思想は時代や文化によって違ったりする場合があるでしょうが、ヒトの持つ思考の枠組みついては変わらないでしょう。
「自分に権利がある」とするなら「他人にも同じくあるだろう」とするのは、ごくごく自然なことじゃないでしょうかね。
逆に「神がいなけりゃ、人に等しく権利などありゃしない」とする理屈があるとすれば、そっちの方が解らないなぁ。

>>437 RANDYさんへ
>人権は、仏教キリスト教に先立って、人類誕生の時からあったでしょう。もっといえば、生物すべてが、幸福になりたいと主張することは当然です。自然の掟は、神の存在に先行して存在したかどうかは確認しようがないですが、とりあえず宗教誕生に先立って存在したことは確かでしょ。

『徳の起源−他人をおもいやる遺伝子』(翔永社)、『神は妄想である』(早川書房)第6章「道徳の起源−なぜ私たちは善良なのか?」辺りが参考になりますよ。
信仰者はというと、「神がいなけりゃ、人はどうして善良でありえるのか?」と二言目には問いますからね。

439エートス:2007/06/17(日) 09:39:26 ID:sSpPDPls
>>419
>青の青氏

>民主主義社会において其の健全性を支えているのは“良識”である。
>そして、良識を支えているのは、“良心”と“正しい情報”であろう。
>良心は“宗教”が、情報は“報道”が支えているものである。

これは書籍からの引用内容なのかもしれないけども、
えええ?そうかなー?捏造は論外としても、情報は情報となった時点でもう取捨選択が行われているわけだからね。
また良心や道徳心を支えるのは宗教かどうかも疑問です。良心を守るために宗教から離れる人もいるわけでしょうし。
この辺は、第四BBSで最近も初代氏がちらっと触れていますね。

「支える」という意味も良くわからないが、私は良識とは民主主義を支えるものではなくて歯止めだろう_と思っています。

民主主義そのものは内部にそれを破壊する因子を持つことを運命付けられているから、制度としては比較的優れているとは思うけど、これしかないとは思ってません。

>すなわち、これは救国の戦い、国民の幸福を守る戦いだったというのが結論である。

あなたがたの論理からいけばだけど、我々はこうやってあなたがたの幸福を守りました_などと押しつけがましく言われても当惑しますね。

講談社の記事によっていくばくかの信用は失われたかもしれないが、信教の自由自体が失われたわけでもない。
世間的に信用をなくすような事があっても、それに左右されて自分の信仰を手放す必然はないわけだし。
信用を傷つけられたことで、これから入信しようとした人の幸福になる利益が損なわれた_とかだったらまだ理解できるんだけどもね。

またRANDY氏も書かれていたが、なぜ大川氏が前面に出てこないかはいつもながら不思議です。
あなたが書かれたようなダメージが信者にあり、さらに国民がその人権を喪失する_という危機に見舞われたわけでしょ。

もしわれわれの親が大川氏なら親は子供を必死で守ろうとしないのか?少なくとも信者さんを守ろうとしないのか_とね。

440エートス:2007/06/17(日) 09:41:12 ID:sSpPDPls
>>419
青の青氏 続

>人権理念の中心は個人の尊厳の確保にあるという、つまり自由で平等であるということ。
>何故なのか?何故自由で平等なのか?何がそれを教えてくれるというのか?
>それは宗教的真理しかない。

自由と平等を神様が担保してくれているのだ_という意味だと思いますが、
これって2ちゃんねるであなたが単発レスで反論されていたHN「元信者」氏の行き着くところと実は同じなのではありませんか?
まー、私も彼の思想にはキナ臭さを感じますけどね。

>宗教無き所には人権はない。国家でも企業でも教室でも、そのようになってはいないか?

良識あるいは規範なきところに人権はないのでは_と思いますね。

なんでもかんでも宗教に還元する_というのはKK思想の大きな特徴の一つとは理解はしていますが・・
歴史的には信仰から逃れたところ_つまり宗教なきところ_に自由が生まれたと考えたほうがいいでしょう。

そもそも自由の概念とは古くから宗教に伴って現れたわけではないですね。
それを図らずもヨーロッパ近代にもたらしたのはカルバンの「予定説」でした。
救済のプログラムはあらかじめ決められているという、ひどく不自由な教義があって、人が神に介入する余地がなかったからこそ自由は人のものになった。
つまり、宗教なきところに_あるいは宗教から逃れたところに_自由が生まれたということでしょう。
このあたりはウェーバーに詳しく書かれています。あとはフロムの「自由からの逃走」なんかも参考になると思います。

それともう一点。初代氏も天変地異話で触れられていましたが、KKの基本は因果律ですよね。
全存在がこの因果律に支配されている_ということは、自由と平等という理念とは相矛盾するのではありませんか?
現世での自由や平等を獲得したように思えても、多少の主観の満足というか比較に過ぎず、因果律からは自由にはなれないわけですから。

人間というものは自由はすばらしいものだと頭では考えているが実は不自由が好きなんじゃないかと感じることも多いですね。
神からもたらされたから自由は絶対的な理念であるとして人間の実態を見逃してしまうことは避けたいと思います。


>そして、正教であったものも、時代と共に形骸化して、末法の世となったりするものであるから、宗教が権力と一体化するのは、新たな教えが正しく広がるためにも無い方が良いだろう。信教は自由であったほうが良い、ということである。

これは某政治団体とそのバックも意識しての発言だと思いますが、あなた方KKのどなたかが指導者となり祭政一致が行われるなら、きっとこの形を肯定するのではありませんか?

441エートス:2007/06/17(日) 09:43:52 ID:sSpPDPls
>>422

>一つ、講談社についてはどう思っているのか、そこのコメントを、出来れば皆さんからいただきたい。

出版物は玉石混合というところでしょう。良い面もあれば悪い面もあると思います。
RANDY氏同様、わたしも学術文庫は好きですね。週刊誌なんてデスクの良識しだいというところもあるんじゃないですか。
まー、わたしは講談社に限らずマスコミの情報は全て操作されていると考えています。

>もしも、何も感じないというのであれば、講談社信者とでもいうようなものとしかみれないのだが。
>講談社の行為が小さなことだと感じていること自体が問題なんです。

うーん、どうしてこう二分法になって話ぶっとぶんだろうか。
わたしがここでよく取り上げる「ひかりもの」ですが、あれに対して何も感じなければKK信者としかみなされませんよ_なんて言われているみたいですネ。

正直申し上げて、講談社の行為もあなた方の抗議も部外者から見たらマスコミと宗教団体の喧嘩にしか見えません。
でもわたしは講談社信者じゃないですよ。

そういえば「金田一少年の事件簿」の作者さんはKKの信者さんにもかかわらず講談社で継続して漫画を書かれていますよね?
ヨソの板でもここらへんは散々指摘済みのダブルスタンダートだとは思いますが。

>信仰を消費者とメーカーの関係にたとえるのは失礼だとしか言いようがありません。信仰を理解していない人のすることです。
>信仰は親子かそれ以上の関係です。
>そもそも消費者とメーカーの関係で親兄弟とケンカになったり疎遠になったり、婚約が破談になったり、商店等の売上が激減したり、降格になったり、退職に追い込まれたり、そんな被害が出る訳ないじゃないですか。

ネットビジネスあたりではケンカとか破談とかが絶対に無いとはいえないでしょうね。
何かが絶対的に「いい」と信じれば、その心理状態は信仰と同じで物の問題ではなくて心の問題になります。
「A食品を信じる」とRANDY氏が書かれたのはそうした意味だと思いますよ。

それに、これはあなたの引用した文献中>>423にあるんだけど

>何故ならば、如何なるジャンルの職業でも欠陥商品を生み出した場合、その担当部署は、抗議を謙虚に受け取り、しかるべき対処をする責任があるからである。

これなんて信仰を商品にたとえていないですか。

442エートス:2007/06/17(日) 10:12:53 ID:sSpPDPls
>>434

RANDY氏
>>あと人権の由来について、
>>誰でも天然自然に備わってるという方が、より普遍的かもしれない

青の青氏
>これはつまり、「なぜ人権はあるのか」と言う問に「あるからあるんだ、とにかくあるんだ」といっているだけです。

RANDY氏
>>権力者であっても、絶対に破ってはいけない掟があるはずだ

青の青氏
>そう、これですよ人権っていうのは。で、
>その掟はなぜあるの?
>仏神を持ってくれば説明は簡単ですけど、それ無しで説明出来るかどうかなんですよ。
できますか?

ではなぜ仏神は存在するんですかと聞かれたときに「あるからあるんだ」としかならないんじゃないですか。
最終的には創造主は「あるからあるんだ」ということでしょ。あるいは自分でそう言っているからか。
そうするとそこから派生した人権も「あるからあるんだ」ということでしょ。

神を説明に持ってくることではこの問題は解決しないと思いますね。わたしは規範と同じで「あるからあるんだ」でいいと思いますが。

443初代:2007/06/17(日) 11:17:36 ID:RHbylqOQ
>>442 エートスさんへ
>ではなぜ仏神は存在するんですかと聞かれたときに「あるからあるんだ」としかならないんじゃないですか。…そうするとそこから派生した人権も「あるからあるんだ」ということでしょ。

そういうこと。
繰り返しますが、「神の存在」を付け足すことによって、「神がいなけりゃ、平等の人権なんてないじゃないか?」などという勝手な理屈が新たに発生することになる。
気がついて欲しいところ。汎神論でも無神論でも不可知論でもいいが、神を殊更意識しない方から積極的に「人権の平等」に疑問が投げ掛けられることなんて別にないよ。

>神を説明に持ってくることではこの問題は解決しないと思いますね。わたしは規範と同じで「あるからあるんだ」でいいと思いますが。

「自然にあるからあるんだ」に「あるからある神」を足しているだけですから、特に何かが言えているわけではありませんよね。

444RANDY:2007/07/21(土) 06:41:41 ID:lVMfqYRY
>>438
遅くなったけど、初代さんおすすめ有難う。
『徳の起源−他人をおもいやる遺伝子』『神は妄想である』の二冊、精読とはいえないまでも、通読終了しました。馴染みがない分野で、スピード出せなかったものの、知らなかったことも沢山あったし、自分なりに考えてた事も整理できた気がしてます。

『神は妄想である』から現代版の新十戒を抜粋↓
___________________________________________________
●自分がしてほしくないと思うことを他人に対してするな。
●あらゆる事柄において、人を傷つけないように努めよ。
●あなたの仲間である人類、あなたの仲間である生物、そして世界全般を、愛、親切、誠実および敬意をもって扱え。
●悪を見逃さず、正義を執行することにひるむな。しかし、進んで認め、正直に後悔しているならば、いつでも悪事を許す心構えをもて。
●喜びと驚きの感覚をもって人生を生きよ。
●つねに何か新しいことを学ぶように努めよ。
●あらゆる事柄を検証せよ。つねに、あなたの考えを事実に照らしてチェックし、どんなに大切な信念でも、事実と合わなければ棄てる心構えをもて。
●けっして反対意見を検閲したり、耳を傾けることを拒絶したりしてはならない。つねに他人があなたに反対する権利を尊重せよ。
●あなた自身の理性と経験をもとにして独立した意見をつくれ。むやみに他人の意見に導かれることを許してはならない。
●あらゆることに疑問を発せよ。
_____________________________________________________

>●あらゆる事柄を検証せよ。つねに、あなたの考えを事実に照らしてチェックし、どんなに大切な信念でも、事実と合わなければ棄てる心構えをもて。

今にして思えば、これができなくて退会できなかったみたいだ。たとえて言えば、ニニが四と気付きつつ「ニニが五と思わなくちゃ」と頑張ってた。靴のサイズが合わないのは明白なのに、自分の足を、靴に合わせようと頑張ってた。
宗教があると「ニニが四は、ニニが四じゃん」「この靴はサイズが合わない」と、当たり前のことが受け入れられなくなってしまうことがあるから困る。

445初代:2007/07/21(土) 18:33:46 ID:2.1pPKV2
>>444 RANDYさんへ

オススメ、読んでくれはったんやね。

>『神は妄想である』から現代版の新十戒

よかったでしょ、ソレ。
ガッチガチの無神論者が提唱された内容ですからね。

>●自分がしてほしくないと思うことを他人に対してするな。
>●あらゆる事柄において、人を傷つけないように努めよ。
>●あなたの仲間である人類、あなたの仲間である生物、そして世界全般を、愛、親切、誠実および敬意をもって扱え。

以前から好んで引用するブッダの言葉「どの方向に探し求めてみても、自分よりもさらに愛しい者はどこにも見いだせなかった。このように、他人にとってもそれぞれの自己が愛しいのである。それゆえに、自分のために他人を害してはならない。すべてのものは、暴力におびえている。すべての生き物にとっては生命が愛しい。己が身にひき比べて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。」(「感興の言葉」第5章・愛する者の18〜19より)と見事に一致しますよね。
青の青さんとの「人権の起源」論議、ランスロットさんとの「殺してはならない理由」論議、いずれにも示唆するところがあるかと。

>●悪を見逃さず、正義を執行することにひるむな。しかし、進んで認め、正直に後悔しているならば、いつでも悪事を許す心構えをもて。

これは、ゲーム理論から導き出される人付き合いの最善手「しっぺ返し戦略」ですね。

>●喜びと驚きの感覚をもって人生を生きよ。
>●つねに何か新しいことを学ぶように努めよ。

「神なき世界」であろうとも、意味を見出し、積極的に生きることが出来ないわけではないということです。

>●あらゆる事柄を検証せよ。つねに、あなたの考えを事実に照らしてチェックし、どんなに大切な信念でも、事実と合わなければ棄てる心構えをもて。

これは「宗教教義」のみならず、「科学仮説」にも同じく課せられますよと自戒されているところですね。

トータルで非常に好感が持てます。

446エートス:2007/08/15(水) 10:50:54 ID:EEf5wR5c
雑談part3>>477
若葉氏から
>「○○構造として」⇒下部とか上部とか、ちょいちょい出てきてた言葉なんですが、じ、実>はあまりよく知らなかった説明方法なんで(笑)、またおいおい教えて下さいっす。

信仰っていうのは目で見える物でも手でつかめる物でもないわけで、抽象的なものじゃないですか。
これが上部構造だね。KK文法的にいえばイデアの世界になるのかな。

でもそれを目に見える形にすると「毎朝仏壇の前でお経を上げる」とか「聖書に書いてあることをよりどころに生活する」とか、「行事に通って集会に参加する」とか、いろいろな形をとるわけですよ。
で、これが下部構造。

他では例えば、平等という上部構造が、選挙制度という形になって現れるのが下部構造。
あるいは共産主義という上部構造が、下部構造ではソビエト連邦という国家となる。
そんな感じで哲学用語になってるだけでして、ちっともむづかしい話ではありません。

上部構造自体はリアルでそのまま実現は不可能なものなわけだから、われわれがそれを形にすることで手に入れた_と思っているのは、形にする過程、あるいは手に入れる過程_の域を出ないわけです。
これは構造的に崩し様がないことなので「これが本物の信仰でございます」_なーんていうのは詐欺に近いかもしれないです。

だから信者であった若葉氏が_距離を置いて自分の信仰を考えてみよう_というのも信仰というものがとる一つ過程_下部構造だろうと思うんですよね。

上部構造というのはこんな意味で書いたんだけども、ご理解いただけましたか。

しかしこんなことは用語の問題でね、あなたについて「くどい」という批判がありますが_それはかなり妥当で当たっているとしても_あなたは簡単な自分の言葉でいいことを書かれることも多いと思いますよ。

で、あなたにお聞きしたいことがあるのでそれは次レスで。

447エートス:2007/08/15(水) 10:51:50 ID:EEf5wR5c
それで、距離をおいてみようという話の続きなんですが・・。

あなたがYで書かれていた「信仰心をストップする」というのはちょっと理解できないんですよ。
わたしの理解からすると、捨てることあるいはストップすることができるのは理性の部分であって、信仰の感情にかかわる部分がストップできるのか?ということですね。

「醒めた」というなら分かるんですが、そういうことではなく「ストップしよう」という意思のことですよね。
感情は確かに合理的に生じてくることもありますが、信仰という根源的な感覚に対して任意にコントロールできるものなのか。
そのあたり何かあればお聞かせいただければと思います。

追伸
Y語るトピ>15055-6に大塚氏の初出の投稿がありますネ。ご参考まで。

448エートス:2007/08/15(水) 10:53:57 ID:EEf5wR5c
>>447
続き

それからY語るトピ・長期に渡ったジーク氏対談お疲れ様でした。
まー、今更ながら思うのは、ジーク氏は人間不信が強いよね。
ついでに女性蔑視_というか女性憎悪みたいなものもある。自分を認めないという条件付きでね。

「信じる」という感性がどこかで捻じれて欠落しちゃったんだろうね。
信じる感性がなければ信仰はただの絵に描いたモチ。
それが彼の信仰の発露をあのような形にしてきたんでしょう。

ありす氏なんかは信じる感性が突出しているから、飾らずに弱みを見せることもできるわけで、そこに「ひとこと言いたい」とノコノコやってきて説教たれるんだからどうしようもない。

ファルコン氏が山田美☆氏について「今は敵対関係にあるが、当時大川氏を真剣に守ろうとしたのは彼女だけで、その気持ちに動かされたことは今も変わらない」といった旨を書かれていたが、
これがたとえ敵対関係にあっても人を信じる気持ちの例なんだろうと思いましたね。

449ジークフリート ◆N4I.IRYioU:2007/08/15(水) 15:45:22 ID:I0UZ43Vw
>>448それからY語るトピ・長期に渡ったジーク氏対談お疲れ様でした。
まー、今更ながら思うのは、ジーク氏は人間不信が強いよね。
ついでに女性蔑視_というか女性憎悪みたいなものもある。自分を認めないという条件付きでね。

〇全然、私の言ってる意味の奥の奥が見えてないね。まー、そんなものか? 君等は、というか、エートス君は 仲間内だけで議論すると、自分勝手になるよ。2ちゃんに来なよ。ちゃんとエートス名でね。名無しでは来てるのかい? 近い人間同士、傷を舐めあっても、偏るだけだと思うよ。・・・またね・・・・。

450ジークフリート ◆N4I.IRYioU:2007/08/15(水) 15:54:39 ID:I0UZ43Vw
実験場ってさ、あちこちあり過ぎて、面倒臭いぞ。同じ事なんだから、一つにまとめれないの?

451AHW:2007/08/15(水) 22:33:16 ID:KgAKYH7w
>>449 ミカエルの光だったジーク氏

あのな、ミヒカリ氏。
ジーク氏のような脳内独善人間の、奥の奥が他人に見えるわけがないでちゅよ?
他人にみえてくるのは、驚くべきカルト志向に染まった思考形態と
感情の暴走、憎悪や自己満足ぶりだけでちゅ (ミヒカリの真似でちゅよ?)

掲示板は表現技術も趣旨含め「書いたこと」=「発言内容」がすべてだわな。
誤解させるのも誤読させるのも、すべて発信者が負ってる責任ってことだ。

発言責任を負う気がないなら、法論スレから即刻退場してくれないか?
理を立てて説明しないと法論は成立しない。
理を立てて説明できないことを言い返したいだけのガキなら
とっとと自分のブログにでも戻ってくれ。

>>450  ジークフリート 減点1

そもそもスレ違い。この法論スレはお前さんの日記帳でもぼやき場でもない。

厨房だからみんな同じにしか見えないんだろけど
自分の思い通りにできない場所=面倒くさいってだけじゃまいか?

で、面倒臭いなら、誰もとめんから即刻去ってくれ。
去るのが嫌なら、スレッド趣旨とルールを無視した
自分勝手なレスをしたあげく、場所についてぼやき批判した非礼につき
まず、みなさんに対し詫びを入れておいてくれ。

452エートス:2007/08/15(水) 22:51:36 ID:EEf5wR5c
雑談part3>>489
若葉氏
>法論スレにupして頂いたY15055-6、板の方では削除されちゃってるんですね。。

そうでしたか。Yエクスプローラーだと残っているんで気がつきませんでした。
削除分を添付するのは削除理由が分からないので控えますが内容をかいつまんでお知らせしておきます。ちょっとわかりにくくて申し訳ない。

15055はガマン氏14960へのレスです。こちらは削除になっていないのでそのまま載せます。

14960 投稿者:gamandesune007 投稿日時:2006/ 8/15 16:39
14955 Re: でしたら
偽者は偽者。

個人名を出したつもりでも、そのようなものはいない。
またアンチの諸君は孤独である人が多いようだ。
それは1台のパソコンを一人で所有して使っているということ。

私は違う。多くの人間が使う。過去においても現在においてもそう。
パソコンが持てない人にも貸したこともある。
裏で一部の諸君がつながっていることを確認するために、私のパソコンを
使って複数の友が投稿したこともあった。

IPアドレスが一緒だから、同じ人間と思い込んで騒いだようだ。しかし、志が同じ友が多い私には全く驚くことであった。

世の中は広いということである。

孤独な諸君。もっと友をつくり。パソコンに向かうだけの人生は卒業したら
如何であろうか?

以上がガマン氏投稿 それに対して

15055

「自分の友達の会員がそうした醜態をさらすネット会員について進言したので、近いうちに支部長から説法で注意がある」という告知と「信者はネットをしないように」と注意を促すちょっと不思議な内容です。そうした醜態とはダブハンだと思われます。

15056

「上記の件は本部の総務に報告してある、確認したければ総務に連絡するように」という内容で本部の電話番号と担当者の実名らしきものが記載されています。おそらくこれが削除の理由でしょう。

453若葉 ◆OFDOedzzAk:2007/08/16(木) 00:54:54 ID:kCV/ajgg
>>446 エートスさん
う〜む。上部・下部構造、すっきり了解しました。

合わせて、若葉の先日来の行動についても、「それも信仰の下部構造として捉えらえる」
というエートスさんの視点は了解です。

>>447-448 
へのレスは、現在ドタマのヨーグルト熟成しております。(笑)
何かしらのお返事がしたいので、程よく発酵させてみますw

>>452 マジでありがとうございます! 
もう全然分かりやすいですよ。

たびたび骨を折って頂いて感謝しきりです。(_ _)
エクスプローラーで見て頂いたということは、ootuka_toukyounanbuか、
ootukaあたりの語句でで抽出して下さったということですね。(たぶん)

454IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2007/08/16(木) 03:43:53 ID:OPh3NDmI
>>449


ジーク >>451 AHW氏の発言の主旨をよくよみとるように。

 理解されていないとおもうなら、理解されるようにキチンと書くこと。書く才能がないなら去れ。
 ここにおる人たちから受け入れられるような器がないなら2ちゃんにもどりなさい。

 ここのスレの主旨は理解しましたか?  高いレベルの法論を展開してみてください。
 KK信者の魅力をみせてほしい。
 

 ジークのせいで寝れない…。今から寝る。

455ジークフリート ◆N4I.IRYioU:2007/08/16(木) 19:27:00 ID:zwicCuWg
>>454 ここにおる人たちから受け入れられるような器がないなら・・。

〇そう? 基本的に「退転したアンチ」に受けいられようとは思ってないからね。君等にゴマ擂るために来てるのではないのだからね。

君等もそうだろう?今更、私が言ったとて、「回心」せんだろう?何せR先生をも批判できる君等だろう? 故に、嫌なら良いですよ。ただ、退会者が何故「退会」するのか。その心理が知りたいの。「何か心の傷を負ったか」? それは何故なのか? 正しいのか? 故に君等に聞こうとしてるのよ。「君等を伝道しよう」なんて思ってないよ。無理だろう?
ね?・・・・・。

456ジークフリート ◆N4I.IRYioU:2007/08/16(木) 19:38:48 ID:zwicCuWg
やはり、止めとくか? せっかく君等が此処で、仲良く、ご機嫌なのに「邪魔しちゃ悪い」よね。誰かさんは寝れないとか言うし、好きで集まってるんだろうから、まー、良いよ。あまり追い詰めて、「窮鼠猫を噛む」も困る。私も、「波長」が合わないし、去るよ。邪魔したね(^0^)V しばらく、ほっとくしかあるまい。・・・・・・・・。

457エートス:2007/08/16(木) 21:24:43 ID:4BU6rDm.
>>455-456
ジーク氏

最初から最後まで棘のある表現だと感じるのはわたしだけだろうか。こうした対話しかできないあなたをかわいそうに思いますね。
まー、統一教会を逃げ出してすがりついたKKには残念ながら救済力がなかったということでしょう。

で、もうここには来ないつもりなら退会者スレッドに書いた捨て質問>>642は撤収して帰るように。

458IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2007/08/17(金) 00:21:33 ID:sir.ohKs
>>455-456

  ジーク。大川総裁は「見捨てないことです」と言った。伝道するつもりがないのであればKK的仏弟子でもない。
  『「私が助けて」といったら助けてくれますか?』とはジーク仏弟子としての資格や三帰者としての自覚をとうている。

  >ここにおる人たちから受け入れられるような器がないなら・・。

  とは人間として解り合える余地があるかを問うている。これは愛ある理解。
  伝道とは電磁誘導であって、徳をもって引きこむとでその目的を良く果たすことができる。
  ジークが伝道していなからということで伝道してないことになるわけでもない。
  仏弟子であることを表明したならそれは八正道を実践せんとしていることを宣言するものであって
  そうであるならばその文体に礼の精神、折り目正しさ、そうしたものからくる品格がただようもので
  なければならない。それがないのはKK三帰者として外道なのである。
  われらを伝道しようとするのが無理なのではなく汝が伝道する資格がないのである。

459IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2007/08/17(金) 00:39:41 ID:sir.ohKs
>>458

また、雑談スレ No508 で現役信者氏が

>幸福の科学→幸科  大川隆法総裁→R先生
>などの言い回しも頭に来る。これが信仰する師に対する礼儀か!無礼を通り越して侮辱に近い。

これは私も激しく同意。私も「幸福の科学」を「幸科」いうのはヤメレ的な発言をしたはず。
本来、主・エルカンターレのまします団体の名と主ご自身をそのような呼び方をするとは。
本来ならばその名を呼ぶことも許されない方かもしれぬというのに。

現役信者氏のおことば感服仕った。

460ありす:2007/08/18(土) 07:43:28 ID:Ce28qfx2
あの〜質問。

漢字の省略しているだけにみえるんだけど
「KK」もその部類にはいっちゃうんじゃ?(><)

主がおこっておられるの?(@@)?

  主は、法友同士で けんかするのをみて 泣かれているよ。

私、彼のことをしらないから 皆様の反応に 
             ものすごくびっくりです(@@)

彼は、何かしたのでしょうか?
あんまり、他のチャンネルに 覗きに いかないから
しらないだけなんですけど・・・・・・・・

いじめられる側 いじめる側 に 互いに 原因 結果が あるって
          教えていただいたけど、

なんとなく キリスト教と イスラム教の 揉め事の 縮小版を

   みているようで 悲しいし、苦しい です。(TT)

461IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2007/08/19(日) 00:35:11 ID:0AGueUiM
>>460

厳密にいえばその部類にはいるでしょう。
 しかし「KK」はネットで定着している略語。
 
 もともとの由来は調べていませんが、わたしが2chで書いていたのは
 アンチの視点からは KKは ㏍ で 株式会社。
 ひいては金儲けをたくらむ教祖の利益追求のための集団といった当てこすりの意味があるとおもう。
 アンチや一般がコウフクノカガクという名前を出さずに略字をあてるために何かが必要だったはずでKKは
 KKでいいんじゃないかとおもう。
 
 また、新しく善意の観点から定義し直すこともできる。
 宗教的な理想を追求する企業の出現と経済価値と(仏法)真理価値の合一の象徴としてですな。

 だから現役信者氏が嫌がっても私はKKでいこうと思う。
 今更、IRH は アイルランドの武装組織(IRA)みたいで親近感わかんのですよ。

462ありす:2007/08/19(日) 06:51:56 ID:W1bche5w
>>461

 単細胞だから 単純に カキコするときの為の 略語だと
おもってた。(^^;)

幸福の科学=Koufukuno Kagaku= KK ってね。

出版が 公に公開している 英語版も 「IRH」って なってるわ。

頭文字を短縮しているだけっておもっていた。

>今更、IRH は アイルランドの武装組織(IRA)みたいで親近感わかんのですよ。

似たような意味が あるんだ。意識していなかったわ。(@@)
そうね、KKに Kが もういっこ 追加したら 怖い集団ってあったわ。(@@;)

言葉って ちゃんとつかわなきゃいけないのね。

いろんな人が おられるから 省略しないで ちゃんと
伝えないといけないんだ(・・;)

463若葉 ◆OFDOedzzAk:2007/08/19(日) 10:58:46 ID:.trYgpXo
>>461 くろださん

>もともとの由来は調べていませんが、わたしが2chで書いていたのは
>アンチの視点からは KKは ㏍ で 株式会社。
>ひいては金儲けをたくらむ教祖の利益追求のための集団といった当てこすりの意味があるとおもう。

あら、そんなニュアンスも…。俺も単なる短縮と思ってたなぁ。

>また、新しく善意の観点から定義し直すこともできる。
>宗教的な理想を追求する企業の出現と経済価値と(仏法)真理価値の合一の象徴としてですな。

にゃはは。それいいかも。
シンパさんは法に拠るから新定義の創出が現実厳しいとして、アンチさんがそれを使ってくれればなぁ。^◇^

アンチの側から幸福の科学に新しい視点・価値を見い出していく、っていう試み…、果たして今までの
ネット史上で存在したのだろうか。

(…などと遠い目。)

464IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2007/08/20(月) 10:51:32 ID:w3N481/c
>>463

私は言っていることがアンチよりでもアンチのつもりはないよ。
もちろん信者でもシンパでもないが。

465若葉 ◆OFDOedzzAk:2007/08/21(火) 01:34:52 ID:z9asd3vk
>>464 黒田さん

あ、ちょっと言葉足らずでした。失礼を。

>私は言っていることがアンチよりでもアンチのつもりはないよ。
>もちろん信者でもシンパでもないが。

もちろんそのつもりです。
(純粋客観的な視点を目指されてるんですんもんね)

なので俺、例えば、>>463
> アンチさんがそれ(新しく定義しなおした“kk”)を使ってくれればなぁ。<(若葉)
と言った中の“アンチ”には、くろださんは含めてませんので。

で、
>アンチの側から幸福の科学に新しい視点・価値を見い出していく、っていう試み…、果たして今までの
>ネット史上で存在したのだろうか。 (…などと遠い目。)」<(若葉)
は、まあ独り言的な。
俺より掲示板参加歴が長い黒田さん相手に、ふと頭をよぎった感覚です。

466ジークフリート ◆N4I.IRYioU:2007/08/23(木) 09:24:22 ID:Dhoz3mK6
私は「K・K」っていう言い方は大嫌いなんだ。信者で使っている人は少ない。故に、幸科、R先生にしてる。Rとしたのは当事、2で他の先生方と区別する為である。ただの省略であって、それを理由に「ぎゃーぎゃー」言う、心の動機が、偽者である。要するに、難癖を付けたい愚か者の「言い分」である。

467IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2007/08/23(木) 15:12:15 ID:SYV2d3OQ
>Rとしたのは当事、2で他の先生方と区別する為である。

私なら総裁先生と表記するがね。
 それに他の先生て副総裁しかおらんですが。
 講師は先生ていわんでしょう。

>それを理由に「ぎゃーぎゃー」言う、心の動機が、偽者である。

 法論スレきたら「ぎゃーぎゃー」でくくるのはやめよう。
 呼び方ひとつにしても地がでるものだ。
 また、言霊という言葉も知っているだろう。言霊という観点からいえば
 ジークの投稿は非常にまずいものがあるね。正語って知っていますか?
 KK信者だったらそうした畏敬の念が呼び方にも現れるのじゃないのかね。
 ましてや総裁の呼び方をや。
 私がおもうに、KK信者ならIRHか当会でKKのことを代名するべきよ。

>要するに、難癖を付けたい愚か者の「言い分」である。

 少なくともそれを沖縄の現役信者にいっておるなら問題発言かもしれんな。

468現役信者:2007/08/25(土) 19:26:10 ID:qaYKwBU.
>466@ジークフリート
>要するに、難癖を付けたい愚か者の「言い分」である。

私はね、「礼儀がなっていない」と言っているんです。

大川隆法総裁先生に対して「R先生」と表記している。
宗教法人幸福の科学は「幸科」と省略する。

注意されて若葉氏のように「すまないね」の一言があればこちらも言いようがあるのに。
あなたは「難癖つけたいだけ」と来た。

師に対する礼儀すらなっていない。
あなたね、幸福の科学の会員では無いと思う。
少なくとも「信仰者」では無い。

あなたの場合「幸福の科学」という看板を嵩にきて「偉そうな振り」をしたいだけの「臆病者」だろう。
そうでないならば証明してみせろ。

私は「実社会の実績」以外は見ない。
どれだけの事を為し、どれだけの事をしてきたのか。
朝から夜まで「ネットに投稿し続け」て、30年計画の一年目に何をしてるの?
ネットに投稿し続ける片手間で出来る程の簡単な「30年計画」か?
そんな計画で成し上げられる仕事なんて「たいしたことないよ」。
口だけの人間だから誰もお前を相手にしなんだ。現実社会でもそうだろ?

因みに私は事業を20代後半で起こし今は3年目。
NPO法人を作り海外に学校を作る計画が実行に入っている。
世界伝道を視野に入れて行動してきた。
具体的な計画まで動いている。

これぐらいの事をしているのか?出来ているのか?
投稿の片手間で出来る「30年計画」はさぞや立派なんだろうな。


それと、お前が「アンチ」と称して罵倒している人たちもな、「仏の愛する子」なんだって事を頭に叩き込んどけ!

大人しく引っ込んで来年に落慶する予定の福岡正心館で3年間修行して来い!

口先だけの人間にはなるなよ。

469エートス:2007/09/10(月) 20:07:20 ID:3XEbD1DA
初代氏

ヤフーと2ちゃんねるでお昼寝の合間にシフォンケーキ焼き返してるようですネ。
以下は、法論参加ではなく感想と雑談です。

>説明不足、むしろ情的な複数の解釈を大いに利用していると見えるわけ。
>私的に表現すれば、信者各自に好みの(感情的に自分が一番耐えうる)教義のキズを選ばせている。

見事にそんな構図が浮き出ているようですネ。マニアックなゲームマイスター本領発揮ってところでしょうか。

事実関係がよく分からないとき、理解し得ないくらい情報がバラバラに乖離していれば「分からないという事実」として受け止めるだけだと思うんですが・・・
生半可な知識があって事実関係の隙間を埋めたいという願望があると、結局は主観に流されるんですよね。過日の法縁先生の「自閉症悪霊付き発言」なんかもいい例でしたか。

主観で穴埋めするのが当然という態度は偏見の温床になりがちだと思いますが、信者さんにこうした各自好みの穴埋め態度を取らせるような教義というのはいかがなものか?と感じましたね。

ところでゼロ氏はわたしが2ちゃんねるに書き込んでいる_という思い込みが激しいようで困ったものです。これは主観による事実の隙間の穴埋めというよりもう妄想の類だネ。w

470エートス:2007/09/10(月) 20:08:38 ID:3XEbD1DA
初代氏 続き

で、この高橋信次さん云々問題を見ていてなんですが、私はあのすすきオッサン氏騒動がなぜか重なって見えてしまうんですよね。

あの方はいわば下心のようなものを隠してネットで信者さん達と親交を結び、学歴?や霊能力?や入会予定?やらを売りにして、ネット信者さんの中から取り巻きを作った後でKK会員になり・・・
ところがその思惑が思うようにいかなかくて、これまた大騒ぎしながらあっという間にやめちゃったわけなんでしょ?

そうした態度はわたしなんかが見れば、仕切りたがりなわがままオヤジとしか見えないんですが、匿名ネットからリアル親交に移行し、入信式に参加して彼を祝福した_らしいひかりもの信者さん諸氏って
「あんた、すこし勘違いしてるんじゃないの?」と意見するどころか、オヤジよいしょだけ続けて問答無用で彼を庇っていたみたいですよね。
ゼロ氏に至っては今でもオッサン氏個人に対してのシンパ表明をことあるごとに欠かさないようですし。w

「すぐやめちゃって」「スーパーアンチに転向」=「KK信仰は彼を救えなかった」わけなんですから、取り巻き会員の立場からしても、口をぬぐって知らん顔するシーンではなく、本来は慙愧の念に耐えないシーンなんじゃないの?なんて思うけどもね。

だぶって見えたのは、相手(エルカンターレという神)を尊敬してるしサポートしたい、なーんてフリをしながら、じつは思惑を持って近づいた_なんてあたりなんですが・・・
「高橋信次氏問題アリ」という本質を大川氏が最初に掴んでいたとするとヨイショ祭りを6、7年も続けたのはどうかなー?と思いますね。

最初から一定のけじめをつけながら高橋氏と付き合ってれば、突然の「方便が終わった」で混乱したり離れたりな_KK信仰で救えなくなっちゃった多くの人達_ってたぶんそんなには生まれなかったわけでしょ?

471IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2007/09/11(火) 03:52:14 ID:/ZblUzGw
>469

>主観で穴埋めするのが当然という態度は偏見の温床になりがちだと思いますが、信者さんにこうした各自好みの穴埋め態度を取らせるような教義というのはいかがなものか?と感じましたね。

法の化石化にならないようにしなければいけない、訓詁学のようになってはいけないという総裁の発言がありまして。これは学門化させてはいけないという意味でしょう。
また、応用がきくように解釈の自由度を持たせなければいけないということなのかなとも思います。信者が立派な人ならいいですがそうでないと自分の非を認めない方向にもっていきますね。
緻密に法則と知識を提示して論理をくみ上げていく手法とやさしい言葉でかたって抽象性をあげていく手法。後者のほうが人数を増やしやすいという利点があるんじゃないでしょうか。
それだと総裁という人は霊界の奥義を本当にどこまで知っていたのわかりません。彼は難しくいうこともできるといっていますが、一度とことんやってみてほしいなとおもいます。

>ところでゼロ氏はわたしが2ちゃんねるに書き込んでいる_という思い込みが激しいようで困ったものです

私も名無しで発言していると間違えられたことがあります。

472初代:2007/09/12(水) 04:55:41 ID:itlMsjAA
>>469 エートスさんへ
>ヤフーと2ちゃんねるでお昼寝の合間にシフォンケーキ焼き返してるようですネ。

両手で調子よく次々焼いてたら、焼き過ぎて食べ切れない分まで作っちゃった…みたいな感じです。

>>説明不足、むしろ情的な複数の解釈を大いに利用していると見えるわけ。私的に表現すれば、信者各自に好みの(感情的に自分が一番耐えうる)教義のキズを選ばせている。

>見事にそんな構図が浮き出ているようですネ。マニアックなゲームマイスター本領発揮ってところでしょうか。

私にはそう見えています。
おスギ(毒吐き信者)さんの気分は害してしまいましたが…。

>事実関係がよく分からないとき、理解し得ないくらい情報がバラバラに乖離していれば「分からないという事実」として受け止めるだけだと思うんですが・・・

もちろん、そういう態度が見られる場面もありますよ、袈裟衣さんにしてもおスギさんにしても「そこは説明されていないので解りません」と、ちゃんとおっしゃられますし。

>生半可な知識があって事実関係の隙間を埋めたいという願望があると、結局は主観に流されるんですよね。

それはこっちが要求しているから浮上してきた問題という面もあって、彼らは「何であっても納得出来る(出来ている)し、問題なし」とも前置きされています。
ただ、考えてみるとフリーズに追い込まれます。
真摯に自分なりに考えて答えてくれる上記2名のコテハン信者さんには感謝しています。
今回自爆されたヴァイオラさんについては、論点理解以前の段階なので、除きます。

>主観で穴埋めするのが当然という態度は偏見の温床になりがちだと思いますが、信者さんにこうした各自好みの穴埋め態度を取らせるような教義というのはいかがなものか?と感じましたね。

私としては、不親切であり説明不足だと思いますし、もっといえば矛盾していると考えているわけで。

>ゼロ氏

例えばそのゼロさん説…「方便の方便」説、或いは「「方便の時代は終わった」は行き過ぎた方便」説と名付けてみました。
これは、ウソに関するハードルが低い…ウソを付かれても、どちらかといえば平気(更にいえば、自分が付くウソのハードルも低いことが予想される)…タイプ。(※ヤフー「ゼロさんの虚偽の定義」シリーズ参照)
ウソに敏感…極力ウソは止めてほしい、それが高級霊であれば尚更…なタイプには耐え難い教義上のキズになるわけですが、ゼロさん型は生理的に大丈夫。大丈夫が故に、逆にこちらの教義解釈を選択するともいえるわけです。

473初代:2007/09/12(水) 04:56:45 ID:itlMsjAA
>>470 エートスさんへ
>で、この高橋信次さん云々問題を見ていてなんですが、私はあのすすきオッサン氏騒動がなぜか重なって見えてしまうんですよね。…取り巻き会員の立場からしても、口をぬぐって知らん顔するシーンではなく、本来は慙愧の念に耐えないシーンなんじゃないの?なんて思うけどもね。だぶって見えたのは、相手(エルカンターレという神)を尊敬してるしサポートしたい、なーんてフリをしながら、じつは思惑を持って近づいた_なんてあたりなんですが・・・「高橋信次氏問題アリ」という本質を大川氏が最初に掴んでいたとするとヨイショ祭りを6、7年も続けたのはどうかなー?と思いますね。

なるほどね、そういう見方もあるわけや。

>最初から一定のけじめをつけながら高橋氏と付き合ってれば、突然の「方便が終わった」で混乱したり離れたりな_KK信仰で救えなくなっちゃった多くの人達_ってたぶんそんなには生まれなかったわけでしょ?

はい、そういうことです。
で、そういう流れにしちゃったってことには、それなり…というか、それ相当の理由がなければならないじゃない。だって、切羽詰った救世活動なわけですからね。
おそらく彼ら信者は「救えた」=「KK信仰へ鞍替えさせられた方」を中心に見ていて、私らなんかは「離れた」=「矛盾に幻滅して離れた方」を見ている。
このことについて、ひとつ判定を下そうとすれば、例えば「信者数」なんてのが基準になってくる。そこで、1000万まで上り詰めた数字の実際について…なんて話題も絡めてみてもいいんじゃないかな。
彼らはよく「GLA系導きの為の方便」と表現するが、実際のところ結果導けたのか? また、そもそも人類に対してGLA系がどんだけ少ないと思っとんねん!…と。
ゼロさんなんかは自分が鞍替え組だから、「ここに一人確実にいる!」ってなもんでしょうが、「真実を明かします」というあの教義変更の酷さっては、新宗教史上なかなか他に観ることが出来ない代物。だから、マニアな初代さんが放っておかない。

474エートス:2007/09/16(日) 14:32:45 ID:YZdVzY/E
>>473
初代氏

>ゼロさんなんかは自分が鞍替え組だから、「ここに一人確実にいる!」ってなもんでしょうが、「真実を明かします」というあの教義変更の酷さっては、新宗教史上なかなか他に観ることが出来ない代物。だから、マニアな初代さんが放っておかない。

>>19125 Y語るトピ ゼロ氏
>1976年からの高橋信次の正法指導、幸福の科学発足前夜の消せない事実です!

否定する方に乗り換える鞍替えか、継承し発展する方に乗り換える鞍替えか、発展というのはちょっと語弊がありますがどうもゼロ氏は後者のようですね。
といっても本体はきっぱり切り捨ててしまっているわけですが、ゼロ氏が逆伝道と揶揄されながらネットから立ち去らない行動が理解できるように思います。
まー教義の整合性など知ったこっちゃないということなんでしょうね。

475RANDY:2007/11/11(日) 18:39:24 ID:5bz2O9xM
>>586 ありす氏
質問を、2ちゃんに貼ってみたけど、いまいち反応ないみたいです。
ちなみに私だったら、阿羅漢については、なかなかの人格者のことと説明するかもしれない。
身についた悟りの香りがあって、品格があって、「この人なら…」と思いたくなるような人。
他の問いについては、KKの仏教シリーズさっぱり読んでないから忘れてしまいました。

>>602 
「許し」については、ガンジーの思想とか参考になるかもしれません。

あと私が、たまに考えるのは、以下のような問いです。
「自分が被害を受けた場合は何とか許せそうだ。しかし自分の大切な人が被害を受けた場合でも、犯人を許せるか!?」

ナウシカでさえ、お父さんを殺された時は、ああなったわけだし、これはかなり難問です。

476RANDY:2007/11/11(日) 18:46:08 ID:5bz2O9xM
>>603 初代氏

……唐突だけど、初代氏はもしかして、法律の厳罰化推進、死刑廃止反対派?

ちなみに私はそっち派です。冤罪の可能性を考えれば、ちょっと躊躇してしまうけども、厳罰化と死刑制度は必要だろうと……。

さらに進んで、「殺人犯に対しては、犯行と同様の手段で死刑にすべし」と考えてしまったりもします。現代社会では、残虐刑は許されないんだけども、あんまり酷い事件だと、「犯人は、被害者と同じ苦しみを味わうべきだ」と主張したくなるんですよね。

これって傍から見たら野蛮かつ動物的だろうけども、意外に、深いところから発してる感覚があったりします。
頭では法治国家、文明国とか、あと宗教的思想も分かってる。さらには復讐後には良心の呵責に苦しむだろうことも分かってる。けれども、上記のような心情は、なかなか抑制し難い。これも理性と本能の戦いかな。

477青の青:2008/01/07(月) 22:02:41 ID:yyVlCN9w
もう忘れてしまっているかもしれませんがフライデー事件の話の感想とレスを。
結局のところ、信仰心が解らなければフライデー事件は解らない、ということじゃないかと思っています。
信仰者は信仰が大事なんです。なぜなら生きる意味、意義を教えてくれるからです。その内容は宗教によってそれぞれでしょうし、教えない所や祟りがあるから的なところもあるでしょうけれども。

何故生きているのか、何故生まれ、死に逝くのか。仏教の根本命題とでも言うのでしょうか、この答えは唯物論からは出てこないでしょう。これは宗教からしか出てこないはずです。仏神からと言うべきかもしれませんが。
この答えを得ることは命を得るのと等しい価値があるのです。不思議に聞こえるでしょうがそういうものです。トワイスボーンともいいます。

信仰者が信仰を守るのは、ただ自身の為だけでなく、すべての人たちの為です。全ての人たちにとっての宝であるからです。故に、信仰を守る戦いは、時に激しいものともなります。命と同等以上の価値あるものであるからです。

478青の青:2008/01/08(火) 01:35:46 ID:UYP.YupE
>>432初代氏
>つまりね、予言が当たれば「やっぱそうだったでしょ」となり、外れれば「(KK的)努力を継続しましょう」となります。
>「ダメダメではない」と言った意味は解りましたでしょうか?

わかりはしましたが、予言が当たれば多くの血と涙が流れることになるんです。それを考えず期待している人間に愛があるなんて言える訳無いじゃないですか。そういうところをダメダメと言ったんです。愛が無いからダメだと言ったんです。愛の問題です、当たる当たらないではない。
話がかみ合ってなかったんですね。

479青の青:2008/01/08(火) 01:39:22 ID:UYP.YupE
>>436RANDY氏
>「立派な人と尊敬していた人が、マスコミ報道によって、実は、卑劣漢だと知らされた。これによって精神的苦痛を感じた。損害賠償を請求する」という理屈が、本当に通ると思ってるのですか。

これは苦痛の大きさを表現する為に書いたものですよ、
退会者板で、

>◆一つ目の疑問。信者さんは、視点の変化とか意識してますか?

って書いていたけどさ、これじゃ格好つかないね。話は興味深かったよ、脳力開発ってあるかもっておもった。
でも、>>436の書き込みは私を怒らせるだけの文章に成り下がっちゃったね。

フライデーのやったことはさ、こう言う滅茶苦茶を謝るどころか正当な取材をしたって言い切って来た訳。
RANNDY氏はさらにそれがマスコミだ、ジャーナリズムだ、言論の自由だって言ってくれちゃった訳。

こういうものは事実を言うから良しとされてるんだよ、嘘をいっていいものじゃない。ほんとに解ってないんじゃない?どうなの?

480青の青:2008/01/08(火) 01:45:18 ID:UYP.YupE
>>437RANDY
>そこに存在するものに、なにがなんでも意味づけしなくちゃいけないのかな。無目的無理由でただ存在するもの、ただ躍動するものっていうのも、ありでしょう。

人間ってね、無意味に一番苦痛を感じるんだよ。
拷問の一種に穴を掘らせてまた埋めさせて、それを延々繰り返しさせるっていうものがある。痛みを与えるよりずっと効果があったそうだよ。

>人が幸福になりたいと思うからでしょ。

幸福になりたいから人権がありルールが出来る
けれども、もっと幸福になりたいという欲があるから侵害がおきる。
人権って言うのは、欲の問題。
欲の調節をどうするかというのが、人権を守れるか守れないかになる。
古来から、神がそれを行ってきた、何故ならば、見えない神がいつも見ていて、死後に裁くことが出来るから。
だから信仰が弱くなると人権は消えてゆき犯罪が増える。
警察などの組織では限界がある。見つからなければ良いからだ。
だから、人権は宗教なんだ。

481ありす:2008/01/09(水) 21:08:56 ID:ouFO8Q/I
>>475:RANDY さん

ありがとございます

この掲示板を 今頃気がついて
ごめんなさいm(_ _)m

>質問を、2ちゃんに貼ってみたけど、いまいち反応ないみたいです。

ありがとうございます。お目当ての方がおられるから
相手にしませんって感じかな?(^^;)

>ちなみに私だったら、阿羅漢については・・・・・・

私は リアル世界で 今のところ 七人の方を 発見しました。
主から 教えていただいたって感じかな?

リアルのありすに動じない方々ってところが判定基準かな♪笑。

482RANDY:2008/01/20(日) 11:20:28 ID:tgc1sQ9I
>>479-480 青の青氏
お久しぶりです。また折を見ていろいろ意見交換しましょう。

>>481 ありす氏
> リアルのありすに動じない方々ってところが判定基準かな♪笑。

_ということは、ちょっと会っただけで、かなりインパクトがあるということでしょうか。
僕は他人の顔と名前を覚えるのはちょっと苦手だけども、ありす氏ならば一回会っただけでバッチリ覚えられそうです。

483ありす:2008/01/22(火) 17:06:33 ID:cM9/wXQA
>>482

私も 名前を覚えるのが 苦手(><)
雰囲気とか波動しか覚えていないから二度目あったときに
わからないときが多いから 「虫された」とか苦情が多いの

 昔 出歩くのが苦手だったわ。あはは

ええ、みんな 初対面の時の 私って、インパクトありますわ♪
静かにしていても目立つからかな?

この間 弟子本書いている作家の方に 出会ったとき、
ネットで知り合っていたので 声をかけたら

彼、心の中で いろんなレッテルを 私にひっつけてましたわ。
あれあれ(^^;)って おもったけど、
これも その方の特徴だとおもって 
にっこり笑顔で、「では〜♪」ってしましたわ。

そうね、 自支部でも、 静かに 瞑想していたら 
「虫している」とか 「すましている」とか
苦情いうから 笑顔で 挨拶してまわっていたら 
うるさいってね。

今日も、うろうろせんといて っていわれちゃったわ。

書類を机の上に散乱しているから 片付けようとしていたら
手伝うなって 遠まわしに 言うから

「なぜ?なぜ?なぜ?手伝ったらいけないの?」って
 質問したら その人は 答えなかったわ。

私、意地悪かしら?(^^;)

484RANDY:2008/01/23(水) 20:51:47 ID:04uR6sZg
>>483
>そうね、 自支部でも、 静かに 瞑想していたら 
>「虫している」とか 「すましている」とか
>苦情いうから 笑顔で 挨拶してまわっていたら 
>うるさいってね。
>今日も、うろうろせんといて っていわれちゃったわ。

一読して、「そいじゃ、どうしろってんだぁ!」と思ってしまった。

485ありす:2008/01/23(水) 22:30:33 ID:DxmLtTb2
>>484
あはは(^^;)
そんなこと一言でもいったら おもっきり又レッテル貼られるわ。

今思うと かまってほしかったみたいですわ。
それと、気に入らん行動する なにかするのではと
期待していたみたい。

そんな 人の念に かまってる暇ないから 
仕事一筋していたら だまって 去っていきましたわ。

与える愛を 実践してあげたいけど、
攻撃してくる人 一人なら何とか がんばるけど、

集団相手は ちょこっと 力不足です。笑

486ありす:2008/01/23(水) 22:45:21 ID:DxmLtTb2
あと、面白いことを きいたわ

某所に 申し送りノートがあって 
レッテルはりまくったメモが あるそうですわ。
まわし読みしているとのこと(−−;)
あきれて しまいましたわ。

クレームの多い人ほど、項目が多いそうです。

だから、 主以外の 言葉以外 さらさらと 流す訓練しています。

問題のある法友は 法をつかって 攻撃してきます。
私を理解していないのに さも理解しているんだぞってね。
歩みよってきてくださることには 感謝だけど、相手の
心の中が 丸見えなので ちょこっと 素直になれないんです。

まだ、まだ 私の心は 4〜5次元ですわ。

487初代:2009/05/09(土) 10:13:00 ID:k10hqk4E
【KKの対創価学会史】

1994年12月18日−(900万人の(月刊誌2月号より))エル・カンターレ聖夜祭(「私たちは、今、大きく分けて2つの悪魔(マスコミ(ヘア・ヌード)と創価学会)と戦っております。」)
1995年1月−「邪教から国政を守る会」発足
1995年2月5日−『創価学会亡国論』
1995年2月5日−大講演会「奇蹟の時代を生きる」(「日本人一億三千万人、心の底から、間違った価値観と生き方をしてきたことを反省し、正しい宗教的真理のもとに生きていくことを誓い、ユートピア建設のために立ち上がらない限り、世紀末の混沌とした危機は、終わることがありません。」「あらゆるその天変地異の根本原因は、まず国民の民意にあり、さらには選ばれて政(まつりごと)をしている人たちにもある。」「必要なのは、悔い改めです。いま間違った価値観のもとに、多くの人たちが生きているということを、心底気づき、悔い改めることです。」※具体的な日本各地の地震を予言する(新潟には言及せず))
1995年2月26日−特別講師セミナー『創価学会亡国論』講義(創価学会の国政支配を許せば、「創価学会ファシズム・宗教弾圧・諸外国との戦争の危機・悪想念が日本国中を覆い、天変地異を誘発する。」「第一に、創価学会の支持する候補者には票を入れない、第二に、布教の名をかりた違法な選挙活動を監視してまいりましょう。」)
1995年2月19日−邪教から国政を守る会・全国代表者大会開催(300名の選挙監視委員が参加)
1995年3月20日−『あなたにもできる! 選挙違反撃退 完全マニュアル』
1995年5月14日−特別セミナー「人生成功の秘策」(「創価学会は、欧米ではカルト教団とはっきり認定されています。…公称800万世帯とか言っておりますけれども、実際はかなり小さい団体です。会員としてみたら20万人程度、実動会員が3〜4万人ぐらいと推定されます。」「幸福の科学の主張は世論にも相当浸透してきていると見ています。現状としては世間では世紀末現象がいっぱい起きていますが、むしろ私は明るい感想を持っています。」)
1995年6月10日−『これが池田創価学会の実態だ!!』
1995年6月15日−『創価学会負け犬論』
1995年7月10日−御生誕祭「新生日本の指針」(「世紀末、救国のために幸福の科学政権を打ち立てましょう。」「国会議員数多くあれども、そのなかで獅子奮迅の努力をされたのが、当会の正会員の三塚博さんでありました。」−幸福の科学の考え方を政治に生かすことこそ世紀末を乗り切り、希望の未来を開く鍵である)
1995年7月15日−『新・黄金の法』(世紀末予言は書き換えられず「西暦2000年。世界の人々は、前年の夏に起きた衝撃的な悪夢からまだ立ち直れないでおります。…ニューヨーク…ロンドン…フランス…中近東…中国…ソビエト…日本…」)
1995年7月23日−第17回参議院選挙(比例代表区で新進党は1251万票を獲得し自民党の1110万票を上回り、改選議席の倍以上の40議席を獲得する)

488初代:2009/05/09(土) 10:14:33 ID:k10hqk4E
>>487

1995年8月8日−『三塚博総理大臣待望論』出版記念フェスティバル(東京日比谷公園野外音楽堂で十数万人動員)
1995年8月10日−『三塚博総理大臣待望論』
1995年10月−『理想国家日本の条件』講義(「私たちは、予言に関しては、その通りにならなければならないという意味で言っているのでは必ずしもなくて、「いまの闇の濃度から言えば、こういう事態になりますよ」ということを警告しているのです。…人類全体が間違いに気づき、悔い改めれば、その時点から急速に人類全体の運命が変わっていくのです。」(月刊誌10月号スペシャルメッセージとして、1994年の講師セミナー用講義を主宰の許可を得て特別に掲載したもの))
1995年10月22日−特別セミナー「『新・黄金の法』講義」(「予言は「現在このままでずっといくとこのようになる」という予想なのです。」「(海外伝道の結果)その地が仏法真理の花開く地になれば、また違った未来が開けてくる。」「未来が変われば、今後も時々、『新・黄金の法』の改訂版を出さなければならなくなることでしょう。」「そのようになれば(改訂版が出るようになれば)幸いだと思っています。」)
1995年11月5日−『創価学会ドラキュラ論』
1995年11月−『創価学会を折伏する! 第二の坂本弁護士事件!! 東村山市議殺人事件徹底糾弾』
1995年11月25日−東村山・朝木市議殺人事件糾明集会
1995年12月10日−エル・カンターレ聖夜祭「未来への選択」(邪教に国や世界が支配された場合、人類の未来は悲惨である。しかし、「邪教を弾圧する過程において、良きものも悪しきものも、宗教そのものを、無用なもの不要なものだと思うならば、それもまた、悪魔の手の中に落ちた心と言わざるを得ません。」21世紀は、科学万能の間違った信条が作りだした大量の暗黒想念の除去が課題となるとした)
1996年2月−「ビッグ・バン’96 世界へ 海外伝道最前線からの熱き風」(「ブラジルでは今、大きく分けて3つの世紀末現象が起こっています。(1)犯罪の増加(2)エイズの蔓延(3)邪教の跋扈」「アメリカの地においても、私たちが努力し、光を広げることによって予想される天変地異を回避して、危機の予言を覆していくことができると思います。『新・黄金の法』の改訂版を必ず出していただけるように、共に力を合わせて頑張っていきたいと思います。」(月刊誌2月号より))
1996年8月4日−総本山・正心館(栃木県宇都宮市)落慶、御法話「未来を信ずる心」(「世紀末の考え方ひとつとっても、これは主としてキリスト教圏の考え方であったことは間違いがない。」「イエス生誕を紀元前4年とする通説に従えば、1996年の今年は、本来ならば紀元2000年…来年は21世紀であると考えれば、世紀末はすでに終わってしまうという考え方も成り立つし、科学的にはこちらの方が正しいのです。」「地震で被害が出たことは、過去、歴史上でいくらでもありますが、地震で人類が滅亡したことはないのです。」)
1998年7月−第18回参議院選挙(公明系は比例区で過去最高775万票)
1998年11月7日−新しい「公明党」誕生
1999年7月7日−自民党が公明党へ連立政権参加を要請
1999年10月5日−自自公連立内閣発足
2000年4月7日−『新・黄金の法』改訂版(世紀末予言削除)(注)これ以前、以後にも改訂された版はあるかもしれません
2000年6月25日−第42回衆議院総選挙(公明党は比例区で過去最高776万票)
2001年7月29日−第19回参議院選挙(公明党は比例区で過去最高819万票)
2003年8月10日−三塚博政界引退
2003年11月−第43回衆議院総選挙(公明党は比例区で過去最高873万票)
2004年4月25日−三塚博死去
2004年7月11日−第20回参議院選挙(公明党は比例区で819万票)
2007年7月29日−第21回参議院選挙(公明党は比例区で777万票)

489初代:2009/06/06(土) 07:10:04 ID:7wUvasFE
>>488
>1998年7月−第18回参議院選挙(公明系は比例区で過去最高775万票)
>2000年6月25日−第42回衆議院総選挙(公明党は比例区で過去最高776万票)
>2001年7月29日−第19回参議院選挙(公明党は比例区で過去最高819万票)
>2003年11月−第43回衆議院総選挙(公明党は比例区で過去最高873万票)
>2004年7月11日−第20回参議院選挙(公明党は比例区で819万票)
>2007年7月29日−第21回参議院選挙(公明党は比例区で777万票)

KKによって幸福実現党が作られました。
比例区での公明党との獲得票数の比較を楽しみにしています。
注目しましょう!

490初代:2009/06/07(日) 19:22:13 ID:zslatXNU
>>489

総裁、この4月の説法より

「創価学会S会は800万所帯と言っているが、選挙でとれる票が平均800万票。幸福の科学は千葉県で101万票とったのです。統計的に計算すると日本で1100万票所帯あることになる。幸福の科学の選挙集票力だったらそんなものです。」

うん、選挙結果が楽しみです。

491初代:2009/06/09(火) 21:42:06 ID:iMQ2IXR2
>>489-490

2ちゃんより

>公明党の支持率は常に3%前後。日本の有権者は1億人だから300万人前後。
>これは創価学会員のほぼ総数とされている。これが選挙で800万票〜900万票になる。
>選挙運動で3倍前後になるわけだ。比例区投票総数の1/3が信者数と言うこと。
>熱心な信者が細かく投票依頼をする選挙戦は公明党も幸福実現党も変わらないから同じように比例区投票総数の1/3程度が信者数と言うのが目安。

492初代:2009/07/14(火) 18:41:47 ID:KQxr34/.
>>489

2005年−衆議院選挙(公明党は比例区で899万票)

493初代:2009/09/01(火) 06:32:05 ID:q13bRgoM
>>489-492

公明党‐805万票
幸実党‐46万票

…という結果でした。

494IAOO.KK ◆IAOOKk3rmo:2010/10/25(月) 20:19:17 ID:K5pgMPhg

  テストテスト 法論OK

495タム ◆M/L2k2Eq72:2010/10/25(月) 21:29:59 ID:wGwICP.I
KKさん、ロック解除、ありがとうございます。さっそくお邪魔させてください。

ここから引用--------------------------------------------------------------------

480 :よしもん:2010/10/25(月) 12:47:59
>>473

らいおんさん

霊言っていうのは、地上での人生を終えて、霊になった方々の、霊界での
学び、経験がプラスされる一方、この世に生きていたことの記憶は
薄れていく、ということ、あと、霊は当時の記憶を、大川総裁の脳内の
記憶を使用して語ることがあるため、この世で活躍された当時のこととは
若干のずれが生じるということ、言葉は、大川総裁の言語中枢を使用する
ので、英語がヘタなこと(失礼)、これはやむをえません。
ここのところが理解できていないと、みんな、捻じ曲がった解釈をして
しまうのです。まず、大川総裁の霊言というのは、そのスピードが
半端でない。考えて、想像でしゃべるという限界をゆうに超えています。
そして、霊の個性、これはいかんともしがたいものがあります。
なので、批判するほうも大変なんです。どうか、幼稚という言葉は
使わないで頂きたいのです。霊言やはり信仰なので、そこはどうしようも
ないんです。らいおんさん、今後ともよろしくお願い致します。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/10817/1287412688/480

ここで引用おわり---------------------------------------------------------------------

◎率直に言いますけど、上記の点については、前々から疑問に思ってることがあります。
一つは、高級霊が地上の出来事を忘れてゆくというのは、悟りが深まり、霊格が向上するに従って認識力が広まり、過去についても、よりさかのぼって知ることができるという話と矛盾するのではないかということ。

また、高級霊であれば、仮に、地上のことを忘れてしまったとしても、意識をそちらに向ければ、正しく思い出せるものであるのではなかろうかということ。

あとは、霊言は総裁の脳内にある言語中枢を使用して行われるために様々な困った点が生ずるとされるが、総裁は巨大な霊能者というのであれば、言語中枢を使用する以外の霊言の方法があるのではないかということ。

たとえば空中に舌を物質化してそれに語らせるとか、創造主エルカンターレの力によって霊人を物質化して語らせるとか、総裁の言語中枢を使用せず、ただ口だけを貸して語らせるとか……。なぜに最大の霊能者である総裁は、問題点が山積している言語中枢を使う方法ばかりにこだわるのであろうか。このあたりのことはすごく疑問です。

496よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/10/25(月) 22:53:17 ID:ZPdJL1xk
>>495

タムさん

私たちも、10年前の昼ごはん、何を食べたか思い出せない
ですよね。まして、高級霊ともなれば、人間時代の生前の活動は、
もう、どうでもいい話であることが多いです。
孔子の霊言では、論語など、もうどうでもいい、というような
お話しでした。孔子は9次元霊界で、宇宙関係の仕事をされている
ということなので、これはもっともだと思いました。
言語中枢についてですが、私たちが肉体を通じて言葉を発する
ためには、脳の中の言語中枢を使って話すのと一緒で、霊も、
肉体を通じて語る以上、それは一緒である、というふうに私は
考えます。

497IAOO.KK ◆IAOOKk3rmo:2010/10/25(月) 23:11:28 ID:K5pgMPhg

>>495

>霊言っていうのは、地上での人生を終えて、霊になった方々の、霊界での
学び、経験がプラスされる一方、この世に生きていたことの記憶は
薄れていく、ということ、あと、霊は当時の記憶を、大川総裁の脳内の
記憶を使用して語ることがあるため、この世で活躍された当時のこととは
若干のずれが生じるということ、言葉は、大川総裁の言語中枢を使用する
ので、英語がヘタなこと(失礼)、これはやむをえません


高級霊界の異次元的経験はこの世的思考内容ではないので人間の思考領域には入ってこない。
霊界の経験内容をレベルダウンして人間の思考内容に適合させてもそれば前者のものとは違っている。
しかし、生前の霊人の記憶は所詮この世の記憶であるため総裁の霊体脳・物質脳で解釈できないということはない。
9次元と同調しえる総裁の霊体レベルの情報の伝導状態に支障はないであろう。そのような人間のメンタル体は
完全にマインドスタッフの変位を抑制できる状態であろうから
霊人と総裁のマインド体への伝達内容に情報の劣化はないであろう。
総裁のマインドから総裁の肉体脳への情報伝達に支障があるため霊言の内容に不完全さ、間違いが生じるというのならば
その支障とはいったいなんであるのか。知覚器官の不完全さいいかえれば無明である。
9次元波動従事者であっても4次元波動従事者とかわらない不完全さに支配されているのである。

 霊人の伝達内容に誤謬があるのであって総裁側の瑕疵ではないのならば霊人が高級霊でなく低級霊の可能性もでてくる。
高級霊界は全てを明らかにする光を使用でき下界の様相を明らかにできる。
低級霊界であるほど錯覚誤謬混乱がしょうじる。神智学ではこれらはメンタル界とアストラル界の能力の対比なのである。

総裁の霊言現象が霊人の記憶内容や思考の意味だけを受信してあたかも総裁が自ら発想したものを
総裁自らが発話している状態であるならば総裁の頭脳の理解の仕方にそった範囲内でしか発言できない。
それは畢竟総裁の創作物でしかないのではいか。

498よしもん:2010/10/25(月) 23:19:41 ID:ZPdJL1xk
>>497

IAOO.KKさん

ちょっと難しくて私にはよく理解できないのですが、どうなんでしょう、
通常、霊が肉体を操る場合、本人の霊が外に飛ばされて、
トランス状態になり、霊が一方的にしゃべるようですが、
大川総裁の霊言は、その魂のエネルギーが大きいから、高級霊も
完全に肉体を支配することができず、大川総裁自体、意識を
保ったまま、霊言ができるし、その霊言と、自分の意見とで
問答ができる、ということです。
私はインテリではないので、まあ、素朴に信仰しているわけ
なのですが、それは、デタラメなのでしょうか。
ちなみに、私は大川先生を尊敬し、信仰しておりますので、
大川総裁がそうおっしゃっている以上、私はそれを信じている、
ということです。

499IAOO.KK ◆IAOOKk3rmo:2010/10/25(月) 23:32:11 ID:K5pgMPhg
>>498
 
 おっしゃることはわかりますよ。
 精神感応と低級霊の憑依の違い。
 霊人がそもそも生前のことをおもいだせなくては霊言やる意味ないですね。
 KKにおいては洗脳やマインドコントロールの方法でしかない。

 >ちなみに、私は大川先生を尊敬し、信仰しておりますので、
大川総裁がそうおっしゃっている以上、私はそれを信じている、
ということです。

 信者にとってはそれでいいかもしれないが
 信じてない人のほうがほぼ全員なのだからそこらへんのところを十分配慮してやってほしいですね。
 そうでなくでは信仰も必要ですが科学も必要です。

500よし:2010/10/25(月) 23:50:23 ID:ZPdJL1xk
>>499

IAOO.KKさん

まあ、幸福の科学は宗教なので。。。
最終的には、信じるか、信じないかにつきると思うのです。
>信じてない人のほうがほぼ全員なのだから
ということですが、幸福の科学は人畜無害、じゃなかった、
社会のルールを守る常識人、というのが最低限あって、その上で、
宗教でもって、人格の向上を目指していく、その幸福の輪を
広げていく、というところに主眼があるわけです。
(一部、心無い会員もいるのは認めますが)
霊言は、私にとっては学びの糧ですね。ありがたいことです。
究極的には、霊言はやはり信仰なのではないでしょうか。
私は、史実との不整合よりも、本質のほうを見ます。
その霊が何を伝えようとしているのかを見ます。

501よしもん:2010/10/26(火) 18:57:19 ID:ZPdJL1xk
>>500

すいません、名前の入力を間違えてしまいました。
「よし」ではなく、「よしもん」です。

502タム ◆M/L2k2Eq72:2010/10/26(火) 19:53:29 ID:wGwICP.I
>>496
霊言のおかしさは、昼に何を食べたかなどいう瑣末なことではないですよ。高級霊は使命をおびて地上に降りてくるというのに、その使命に関することを間違っていうのはおかしいってことです。

高級霊は天上界で使命を受け、計画を練り、地上に生まれてそれを実践する努力をし、天上界に還ってからは計画通りにできたか反省するのでしょう。それなのに、大川総裁の霊言では、高級霊が地上で説いた法や、ユートピア活動の内容を間違ってしまってる。これは致命的ではあります。

また本当に、孔子が論語をどうでもいいと考えているならば、論語はどんどん忘れられてゆくべきもののはずですが、実際にはそんなことはない。論語は日本ではいまでも読まれてる。店頭でもよく見かける。また海を越えた大陸では近年、論語熱が高まってきているともいう。

こういう状況を見た場合、もし高級霊界というものがあるならば、孔子以下の高級霊たちの指導が入っていると見るのが自然な見方かと思います。孔子が論語をどうでもいいと考えているというのは、現況に合うとは思えない。

霊言の方法についていえば、交霊会では霊がラッパを使って会話をするというものがあるそうですよ。肉体を使わず、ラッパなり、自作スピーカーなりを使って霊言したらいいんですよ。

大霊能者ならば、肉体・言語中枢を使用した霊言よりも、もっと精度のよい霊言の方法を使えばいいのにと思わないではいられないです。なぜにまた感度のわるい言語中枢を活用する方式ばかりにこだわるのか不思議です。

503IAOO.KK ◆IAOOKk3rmo:2010/10/26(火) 22:18:02 ID:DfGq1K5c
>>501

くろだーです。
Jane Style とかでもここはみれます。
名前の入力まちがいとかへらせますよ。
私はほかのつかってますが。

http://janesoft.net/janestyle/

504よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/10/26(火) 22:43:03 ID:ZPdJL1xk
>>502

タムさん

もっといい方法、と言われても困ってしまうのですが。。。(汗)
霊言を実際に行っているのは、大川総裁であり、私は大川総裁を
信じているので、大川総裁のお言葉をお伝えしているもので。

505よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/10/26(火) 22:52:07 ID:ZPdJL1xk
>>503

IAOO.KKさんがくろだーさんでしたか。
Jane Style 使ってみたのですが、私のノートパソコン、画面が小さくて
使いづらいです。。。

506IAOO.KK ◆IAOOKk3rmo:2010/10/26(火) 23:01:08 ID:DfGq1K5c
>>505

 高性能でも小型だとそら見にくいでしょうな。
 モニターと接続できればラッキーですけど。

507タム ◆M/L2k2Eq72:2010/10/27(水) 19:27:43 ID:wGwICP.I
>>504
よしもんさんは、アンチのHS批判に対して、HSの公式見解みたいなことを述べた後は、さらに批判がきても、大川総裁を信じていますので・・・みたいなことをいって議論を終了させるパターンが多いですね。2chや、したらばでも、そういうのが目立ってた。今回も、ですね。

う〜ん。こういうのって、信仰というのかなー? ちょっと疑問。

信仰とされているものには、およそ二種あると思う。一つは教祖の言うことをそのまま鵜呑みにする信仰、もう一つは疑問追求が奨励されている信仰……。

よしもんさんの書き込みを見ていると、現在のHSでは、どちらかといえば、前者の信仰をとっているのだろうか……。

508ジーク ◆4Lk5YlyCYg:2010/10/27(水) 20:12:46 ID:fFiGlmk.
>>507

前者だと思う。今、嬉しくてしょうがないのじゃないかな。
信仰心まっただなかで、アンチを折伏しようと思って来たはず。
昔の私はもっと酷かった(^^ゞ

509:2010/10/27(水) 20:14:22 ID:/TJ8oZvQ
>>508
>昔の私はもっと酷かった(^^ゞ

ですね(笑)

510ジーク ◆4Lk5YlyCYg:2010/10/27(水) 20:33:40 ID:fFiGlmk.
>>509
舞さん

体は大丈夫なんですか?大事にして下さいよ(^^ゞ

511よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/10/27(水) 22:40:45 ID:ZPdJL1xk
>>507

タムさん

>信仰とされているものには、およそ二種あると思う。
>一つは教祖の言うことをそのまま鵜呑みにする信仰、
>もう一つは疑問追求が奨励されている信仰……。

私はこう考えます。

一 教祖を信じ、そのまま受け入れる信仰=他力
二 真理の探究を奨励する信仰=自力

私は、両方だと思っています。

>508
ジークさん
私はアンチを折伏しようなど、思ってもみてませんよ。
私にできることは、自分の心を変えること、自分の心を人に
お見せすることによって、影響を与えること、それだけです。

512ジーク ◆4Lk5YlyCYg:2010/10/27(水) 23:50:16 ID:fFiGlmk.
>>511
よしもんさん
釈迦に説法かも知れないけど、仕事と奥さんを大切にして、
HSには、あまりのめり込まないようにね。それと、初期の霊言、例えば内村鑑三とか
歴史的真実と違う所を、学んでみて下さい。やらせかもしれませんから。霊能が嘘かも!
なにごとも、疑い、検証、探求して欲しいです。

513よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/10/28(木) 00:22:33 ID:ZPdJL1xk
>>512

ジークさん

ご心配くださり、ありがとうございます。
私は不退転ですので大丈夫です。
初期の霊言、内村鑑三氏の霊言とか、歴史的事実と違うとの
ご指摘ですが、私にとってはどうでもいいことです。
さきほども、聖杯と剣さんの霊言モノマネを読みましたが、
度肝を抜かれるほどすごい、とは思ったものの、やはり、
何かが違います。文章からでも伝わってくるものはやはりあります。
たとえば、サカザキ氏がいくら名前を変えようが、名無しで
こようが、個性はどうしても隠せません。書き手、その言葉を
発した人の波動(バイブレーション)というものがあって、
やはり、大川総裁の霊言はその意味で、単なる歴史的事実の
羅列を対話形式にしたものとは全然違うのです。
霊言は、大川総裁ご自身のバイブレーションとも違うものがあります。

514ジーク ◆4Lk5YlyCYg:2010/10/28(木) 00:34:10 ID:fFiGlmk.
>>513
そうかなー? ユーチューブで見ると、「これは違うだろ」ってのがありますよ。
UTの動画とか見てますか?
っていうか、これ私が、「サタンの誘惑」してるのかね?(^^ゞ

515よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/10/28(木) 12:20:40 ID:ZPdJL1xk
>>514
ジークさん
ユーチューブ、見てないです。感じ方は人それぞれですので、
「これは違うだろ」というのはおそらく、誰でも持っていると
思います。
ただ、「これは違うだろ」と思っている自分が、100%正しい
見方、すなわち「正見」ができているか、といえば、そうでは
ないはずです。私も100%の「正見」ができているはずもない
ということは自覚していますので、あまり、攻撃的にならないよう、
常々、自らを戒めています。

516タム ◆M/L2k2Eq72:2010/10/28(木) 19:11:54 ID:wGwICP.I
>>511
> 一 教祖を信じ、そのまま受け入れる信仰=他力
> 二 真理の探究を奨励する信仰=自力
>
> 私は、両方だと思っています。

◎う〜ん、どうかな。ちょっと違うような気もする。たとえば、HSでは、旧霊言集を絶版にしてるでしょう。それは古書店でも入手し難くなってます。もうこれだけで旧霊言集を研究する道は絶たれています。

さらに、聞いたところでは、HSは、旧霊言集を絶版にしたあとで、外部から批判された部分を削除、改定した上で、霊言全集として出版しているといいます。これって、旧霊言集にどのような記述があったのか、どのように変えられたのかが、比較検証できるようになってますか。そうでないなら、これも真理研究の壁となります。

また自分が調べたところでは、『釈迦の本心』『太陽の法』などでも、仏教関係者から批判された部分などについて、改定されていますが。新版を見ると、旧版からどのように変えたのかが分かるようにはなっていませんでした。

総じて、HS書籍を見ると、教えの変化する過程が分からないようになっています。これでは真理探究を奨励しているとは言い難い。

また、よしもんさん自身はこう書いてます。

>私は不退転ですので大丈夫です。
>初期の霊言、内村鑑三氏の霊言とか、歴史的事実と違うとの
>ご指摘ですが、私にとってはどうでもいいことです。
(>>513)

◎これを読むと、よしもんさんは、自分の信仰の是非を見直す意思はないし、霊言集の中身と史実との整合性とはどうでもいいことだと考えているようです。この信仰スタイルには、教祖の言葉を丸呑みする信仰は見出せても、探求する信仰を見つけるのは困難であるように思えます。

517タム ◆M/L2k2Eq72:2010/10/28(木) 19:19:57 ID:wGwICP.I
>>513
>聖杯と剣さんの霊言モノマネを読みましたが、
>度肝を抜かれるほどすごい、とは思ったものの、やはり、
>何かが違います。文章からでも伝わってくるものはやはりあります。

目的が違うんですよ。
大川霊言は、信者の信仰心を刺激して、一人でも多くの活動信者をつくりだすのが目的。
または、新しい信者の獲得が目的。
だから、信者やシンパなどの心は大いに刺激される。それ以外の人には、そうならない。

聖杯霊言は、誰かを動かそうというよりも、大川霊言には史実軽視や、過去の偉人賢人に対する敬意の不足が見られるから、そうでないものを実演してみせてるんでしょう。

ちなみに、聖杯霊言で、霊人の生前の事蹟ではない、心の教えを説いてみてほしいと思ったら、それについて質問すれば、「なるほど」と感動できるような回答が普通に戻ってきますよ。少なくともこれまえはそうでした。

518よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/10/28(木) 20:27:29 ID:ZPdJL1xk
>>516

タムさん

>旧霊言集を研究する道は絶たれています。

求める者には与えられます。それは情熱があればできることです。
私は古本屋を300件くらい回って、絶版の霊言集を集めました。
見つけさえすれば、100円とかで売っているから安いです。

古参の会員に、熱意を示せば、きっとくれたり、貸してくれると
思います。

たとえば、日蓮の霊言など、肝心なところがカットされています。
これは、私も愕然としました。削除は、弟子がやったことです。
よかれと思ってやったのでしょうが、裏目に出ていると思います。

信仰の是非を見直す意思はないですね。是非を見直す信仰なんて
信仰ではありません。タムさんも、アンチである自分の是非を
見直そうとは思わないでしょう?

519よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/10/28(木) 20:34:31 ID:ZPdJL1xk
>>517

タムさん

霊言は、霊言ですよ。霊天上界におられる方が、大川総裁の肉体を
使って、霊界通信を行っているのです。私はそれを、波動
バイブレーションとして感じるのです。
そういう意味では、私は多少、霊感があるのかもしれません。

絵でもそうですよね。名画と言われるものと、その模写、
一見して見分けがつかないほど精巧でも、やはり、何かが違う
のでしょう。それは、やはり、書き手が、霊天上界の
インスピレーションを受けて書いているものと、単なる模写の
違いなのだと思います。
幸福の科学のご本尊も、あれも、この世的にみれば、ただの、
「モノ」です。しかし、ご本尊は、エル・カンターレを象徴
したものであり、かつ、霊天上界のバイブレーションを含む
ものです。目には見えませんが、天上界からの光が、支部精舎を
通じて、各家庭のご本尊へと分光していっているのです。
こんなことを言ったらタムさんは笑いますか。
まあ、これも信仰です。

520タム ◆M/L2k2Eq72:2010/10/28(木) 21:06:45 ID:wGwICP.I
>>518
>私は古本屋を300件くらい回って、絶版の霊言集を集めました。
>古参の会員に、熱意を示せば、きっとくれたり、貸してくれると
>思います。

つまり自力で古い資料を集めるしかないってことですよね。それが示しているのは、教団側は、信者に、旧霊言集などを読ませることに協力的ではない、過去の法を検証されることを快く思ってないということを示してると思う。

>たとえば、日蓮の霊言など、肝心なところがカットされています。
>これは、私も愕然としました。削除は、弟子がやったことです。
>よかれと思ってやったのでしょうが、裏目に出ていると思います。

今は、そういうことになってるんだ。霊言全集が出版されたときに、私の知り合いの会員は、こう言ってましたよ。「前よりも、ずっと、何倍も、光が増しています。本当に素晴らしくなってます!」

>タムさんも、アンチである自分の是非を
>見直そうとは思わないでしょう?

わたしは基本的には、自分を信じていないので、自分を見直す機会に飢えてます。

>>519
>私はそれを、波動
>バイブレーションとして感じるのです。
>そういう意味では、私は多少、霊感があるのかもしれません。

巷では、「人は見たいものを見る」というでしょう。それと同じで、大川霊言の中に天上界の波動を感じたいと思ってるから、それを見出しているのだろうと私には思えます。多分ですけど、将来、HS信仰が失ったときに、大川霊言を振り返ってみると、「どうして、こんなものに感動したんだろう」と首を傾げると思います。少なくとも私の場合はそうでした・・・。

>こんなことを言ったらタムさんは笑いますか。

笑いませんよ。

521よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/10/28(木) 21:25:00 ID:ZPdJL1xk
>>520

>霊言全集が出版されたときに、私の知り合いの会員は、
>こう言ってましたよ。「前よりも、ずっと、何倍も、光が増して
>います。本当に素晴らしくなってます!」

確かに、ドロドロした部分がきれいにカットされていますからね。
方便の時代の部分とか。だから、光が強くなっているんじゃない
でしょうか。

しかし、私としては、そのドロドロの部分に、真実味を感じる
もので。知らないほうがいいという考えもあれば、知りたい、
という探究心をもった方もおられると思います。

>わたしは基本的には、自分を信じていないので、
>自分を見直す機会に飢えてます。

自分を信じない、とはどういうことなのでしょうか。
自分を信じていなければ、まして人を信じることはできませんよね。

522タム ◆M/L2k2Eq72:2010/10/28(木) 22:32:51 ID:wGwICP.I
>>521
>自分を信じない、とはどういうことなのでしょうか。
>自分を信じていなければ、まして人を信じることはできませんよね。

そうでもないかな。
自分を信じないってのは、直感や情緒にばかり、流されないようにするとか、自分を客観視する努力をしようということですよ。
「あの人は信じられる」という思いがあったら、それに流されるのでなく、もうちょいよく考えようということ。
「あの人は信じられない」という思いについても、それに流されるのでなく、その思いをよくよく吟味しようということ。
だから、自分を信じないなら、他人も信じられないってことはないかな。

523タム ◆M/L2k2Eq72:2010/10/28(木) 22:42:42 ID:wGwICP.I
話が戻っちゃうけど、それにしても、これにはびっくりでした。



>初期の霊言、内村鑑三氏の霊言とか、歴史的事実と違うとの
>ご指摘ですが、私にとってはどうでもいいことです。
(>>513)

どうでもいいって……。
神仏は木の葉一枚落ちても分かるというし、霊言内容と史実とが食い違っていたとしたら、そこには何らかの神仏の意図があるはずなんだよね。

アンチ的にみれば、霊言内容と史実が違っていたら、即、ニセモノ認定するのは普通。
でも、信仰心があり、かつ、真理探究の志もあるのであれば、霊言内容と史実の食い違いの意味を必死に探ろうとすることはあっても、「どうでもいい」とは言わないのではないかと思うのだが……。

もっとも、これは、あくまで私の感覚ではそうだというだけのことなんだけどね。まあとにかく、「どうでもいい」には、びっくりしました。

524よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/10/29(金) 00:35:05 ID:ZPdJL1xk
>>522

そういう意味でしたか。
自分を信じない、というと、なんか自己嫌悪みたいな感じに
聞こえたもので。
つまり、自他ともに騙されないように気をつける、という意味
ですね。
まあ、騙す人もいますからね。これは智慧だと思います。
でも、最後は「信」なんですよね。人は、自分のことを100%
知ることもできないですし、まして他人のことを100%知る
ことはできないです。

525よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/10/29(金) 00:43:13 ID:ZPdJL1xk
>>523

霊言の語る言葉が歴史的事実と異なっていても全然構わないです。
私は、大川先生を信じているんです。なので、大川先生が、
この霊言は真実です、とおっしゃったら、私は受け入れるのです。
私は、霊言ではなく、大川総裁の説法が、仏法真理を語っている
のを聴き、仏陀であることを確信したのです。
なので、仏陀が行う霊言現象だから信じる、というスタンス
なんです。
歴史的事実と異なるには、それは当然、と思うことが多々あります。
一つは、やはり、死んで霊となって、以後霊界での知識、体験が
プラスされているということ、過去の記憶は薄れていくからです。
やはり、どんな偉大な方でも、人間として過ごした時代は、
小学生のレベルでしかないのです。霊本来の自由自在性から
すれば、盲目、手探り状態の人生だったわけです。
霊言の証明として、客観的事実はそれほど大事なのでしょうか?
霊言自体が証明できないものです。やはり、仏陀への信仰が
立っての霊言なのです。客観的に見れば、大川先生が自分で
しゃべっているだけです。そのように理解します。

526IAOO.KK ◆IAOOKk3rmo:2010/10/29(金) 05:57:10 ID:uvmtr6LU
>>525

>霊言の証明として、客観的事実はそれほど大事なのでしょうか?

客観的事実だから証明になるんですね。

>霊言自体が証明できないものです。

霊しかわからん事で客観的証拠を示してもらえばいいんです。
やろうと思えばできることなのにやらない。
しかし、そうしたことは意識の程度の低いことだからと
やってもらえない。
まずはそこからなのに何故肝心なところをとばしていくんだろうか。

>やはり、仏陀への信仰が立っての霊言なのです。

大川隆法が証明する能力を欠いているからそのように教え込まれたのではないでしょうか?


「私は大川隆法を仏陀と信じます。
「何故ですか?
「彼の説く教えが仏法真理だからです。
「仏法真理とはなんですか?
「大川隆法の説く教えです。
「大川隆法とは何者ですか?
「大川隆法は仏陀です。
「何故ですか?

527よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/10/29(金) 12:26:40 ID:ZPdJL1xk
>>526

>霊しかわからん事で客観的証拠を示してもらえばいいんです。

これは、何かしら理由があるのだと思います。
霊界の神秘というものを、100%開放することはできないのだと
私は感じます。
どこかに、信じなければ一線を越えられない、という仕組みを
作っているのかもしれません。

>「私は大川隆法を仏陀と信じます。
>「何故ですか?
>「彼の説く教えが仏法真理だからです。
>「仏法真理とはなんですか?
>「大川隆法の説く教えです。
>「大川隆法とは何者ですか?
>「大川隆法は仏陀です。
>「何故ですか?

結局、堂々巡りなんではないですか?
とおっしゃりたいと思うのですが、

>仏法真理とはなんですか?
>「大川隆法の説く教えです。

ここは違いますね。仏法真理とは、仏の心、仏の教え、仏の生命の
流転する姿です。そしてまた、人類の過去、現在、未来をおりなす
一本の黄金の糸のことを意味します。

と、「太陽の法」第1章、第1節の冒頭に説かれています。

528IAOO.KK ◆IAOOKk3rmo:2010/10/30(土) 00:23:08 ID:WbNqwWI6
>>527

じゃ、訂正しましょう。

「私は大川隆法を仏陀と信じます。
「何故ですか?
「彼の説く教えが仏法真理だからです。
「仏法真理とはなんですか?
「仏法真理とは、仏の心、仏の教え、仏の生命の
流転する姿です。そしてまた、人類の過去、現在、未来をおりなす
一本の黄金の糸のことです」
「仏法真理とは、仏の心、仏の教え、仏の生命の
流転する姿です。そしてまた、人類の過去、現在、未来をおりなす
一本の黄金の糸とはなんですか?
「大川隆法の説く教えです。
「大川隆法とは何者ですか?
「大川隆法は永遠の仏陀です。
「何故ですか?

529タム ◆M/L2k2Eq72:2010/10/30(土) 07:13:32 ID:wGwICP.I
>>524
>でも、最後は「信」なんですよね。

◎あのですね、「信」というのは結局は「疑」なんですよ。「信」は「疑」から離れられない。たとえば、信者さんを見てると、大川さんを信じる一方で、その他の人々……会員でない人たちに対する猜疑心は深くなってる。魔のそそのかしではないかという疑心暗鬼が深まってる。

こういう現象を見ると、「信」は「疑」を生み出すものです。「信」が深まるほど、「疑」も深まる。「信ぜよ、信ぜよ、我を信ぜよ」という言葉は、裏を返せば、「疑え、疑え、我以外の者を疑え」というのと似たようなものです。この点で、大川総裁は社会に「疑」を振りまき、植えつけ、家族や友人などの絆を引き裂いているといえる。

そんなこんなで、わたしは、「最後は信」ではなく、「信と疑とのバランス」が肝心なんだろうと思ってます。


>>525
>霊言の語る言葉が歴史的事実と異なっていても全然構わないです。
>私は、大川先生を信じているんです。なので、大川先生が、
>この霊言は真実です、とおっしゃったら、私は受け入れるのです。

◎うーん。それも一つの信仰のあり方なんでしょうけども、それだと、外部の人たちから、「丸呑み信仰だ」「個人崇拝、生き神様信仰だ」と受け止められても仕方ないでしょうね。


>霊言の証明として、客観的事実はそれほど大事なのでしょうか?

◎大川総裁ご自身が、客観的事実が霊言の証明だと考えていたらしいですよ。

>何度も言及しておりますが、そもそも講義で総裁は…
「研究者が見ても、内容的にずれていないはずであります。おそらく一致しているでしょう。一致しているのは本人が言っているからであります。」
…と、おっしゃっていました。
http://lexposition.blogs-de-voyage.fr/%E6%95%99%E7%BE%A9/

530タム ◆M/L2k2Eq72:2010/10/30(土) 07:29:11 ID:wGwICP.I
大川総裁の言葉をそのまま受け入れることについて一言・・・

大川総裁の発言はコロコロ変わることで有名だから、その都度その言葉をそのまんま受け入れれば、その人の発言もコロコロ変わり、社会的信用に傷がつく危険性があります。要注意。

こういう面でも、総裁は、社会に疑を振り撒いていると言えないこともないかもしれないですね。

531よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/10/30(土) 19:45:45 ID:ZPdJL1xk
>>528

IAOO.KKさん

「私は大川隆法を仏陀と信じます。」
「何故ですか?」
「彼の説く教えが仏法真理だからです。」
「仏法真理とはなんですか?」
「仏法真理とは、仏の心、仏の教え、仏の生命の
流転する姿です。そしてまた、人類の過去、現在、未来をおりなす
一本の黄金の糸のことです」
「仏法真理とは、仏の心、仏の教え、仏の生命の
流転する姿です。そしてまた、人類の過去、現在、未来をおりなす
一本の黄金の糸とはなんですか?」

以下、私が回答しましょう。

「仏の光です。仏の光が、あるとき仏教に、あるとき、
キリスト教に、様々な教えとなって、人々を正しく導く心の糧に
なります。」
「仏の光とは何ですか?」
「私たちの生命エネルギーです。」
「生命エネルギーって何ですか」
「私たちが幸福に生きていくためのエネルギーです。
そのエネルギーがないと、苦しくなり、地上世界は混乱して
しまいます。」
「なるほど、それで、現代の日本という地を選ばれて、仏陀が
再び下生されたのですね。」
「そういうことです。」

いかがでしょうか。

532よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/10/30(土) 20:21:13 ID:ZPdJL1xk
>>529

タムさん

>◎あのですね、「信」というのは結局は「疑」なんですよ。

私は、「疑」を捨て、「信」を取れ、という考え方です。
「疑」と「探究心」とは違うものだと思っています。
まして、「騙されないための防御」が「疑」というようにも
思っていません。
その根拠は何か、それは、私たちは、仏によって創られた存在である、
ということだと思います。これはどういうことかというと、
すべての人の心の中には仏性が宿っている、ということです。
心素直に正直に、心を澄ませて虚心坦懐に、謙虚な心で
仏を求めれば、必ずや、真の仏の教えにめぐり合えるものと思って
います。

>外部の人たちから、「丸呑み信仰だ」「個人崇拝、生き神様信仰だ」>と受け止められても仕方ないでしょうね。

この世だけで見れば、そう見えると思います。私たち幸福の科学
の会員は、霊的世界観を持つ者です。この霊的世界観を学ぶことの
重要性を、皆様に訴えていくことが、私たちの使命であろう、
と思います。

>「研究者が見ても、内容的にずれていないはずであります。

私もその通りだと思いますよ。本質的には。ただ、批判される方の
中には、まるで、重箱の隅をほじくるような批判をしてくるのが
残念でなりません。これもまた、霊的世界観の欠如である、と
言わざるを得ません。

533よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/10/30(土) 20:28:33 ID:ZPdJL1xk
>>530

>大川総裁の発言はコロコロ変わることで有名だから、その都度その言葉をそのまんま受け入れれば、その人の発言もコロコロ変わり、社会的信用に傷がつく危険性があります。要注意。

下記のポイントを押さえて頂く事が重要であろうと思います。

・大川総裁は仏陀であられながら、なお進化されていくお方である
 こと。
・教団の発展とともに、発言内容の見直しも必要だと言うこと。
・社会情勢の変化とともに、適切な見解を述べられるということ。

逆に、20年以上も経過して、発言が何も変わっていないほうが、
不思議だと思います。

むしろ心配なのは、私たちが、大川先生のスピードについていけるか、
ということです。
今の仏教やキリスト教のように、成立して2000年以上経過している
宗教ならいざ知らず、幸福の科学はまだ、教祖在世中であり、
誕生間もない宗教です。
ですので、非常にダイナミックで、生き生きとしていて、回転が
早く、縦横無尽である、というようにご理解頂ければ、と思います。

534タム ◆M/L2k2Eq72:2010/10/30(土) 21:34:35 ID:wGwICP.I
>>532-533
>>外部の人たちから、「丸呑み信仰だ」「個人崇拝、生き神様信仰だ」>と受け止められても仕方ないでしょうね。

>この世だけで見れば、そう見えると思います。


>>大川総裁の発言はコロコロ変わることで有名だから、その都度その言葉をそのまんま受け入れれば、その人の発言もコロコロ変わり、社会的信用に傷がつく危険性があります。要注意。

>逆に、20年以上も経過して、発言が何も変わっていないほうが、
>不思議だと思います。


◎総裁の意見はコロコロ変わること、エルカンターレ信仰は
生き神様信仰と見られても仕方ないことは認めていただけた
受け取りました。
真理はコロコロ変わらないものだとすると、コロコロ変わる
総裁の言葉は真理ではないことになりそうです。ということは、
総裁の説く信仰も真理かどうかは微妙です。


>>「研究者が見ても、内容的にずれていないはずであります。

>私もその通りだと思いますよ。本質的には。ただ、批判される方の
>中には、まるで、重箱の隅をほじくるような批判をしてくるのが
>残念でなりません。これもまた、霊的世界観の欠如である、と
>言わざるを得ません。

◎今、議論になってるのは、本質どうこうじゃなくて、現実として
どうかってことですよ。総裁の言葉と、現実とは一致しているか
どうか。だから、霊的世界観の有無は関係ないですね。
また、たとえば金塊は、どんなに端っこでも金であるのから、総裁の
言葉が法であれば、どんな片言でも法であり、それを問題にした
ところで、重箱の隅うんぬんということにはならないでしょう。
よしもんさん、内村鑑三の霊示集の内容は、総裁の言葉どおりに、
現実の歴史と一致してると考えますか。

535よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/10/31(日) 01:40:04 ID:ZPdJL1xk
>>534

タムさん

すいません、一つ教えてください。
タムさんは、目で見える世界、証明のできることがすべてである、
と思われますか?
どうも、そうではないらしいのです。私たちは、目は見えても、
実はほとんど盲目に近くて、手探りで生きているようなもの
である、ということを大川先生から学びました。
これは、一般の人には霊道が閉じられているからなのです。
だから、私たちは、仏陀への信仰を通じて、正しい生き方を選択
しなければならないのです。
このポイントをご理解頂けないと、おそらく、議論がかみ合わない
と思います。私たちは、霊的に、目をふさがれている状態なのです。
これをご理解頂きたい、と願う次第です。

536タム ◆M/L2k2Eq72:2010/10/31(日) 07:36:57 ID:wGwICP.I
>>535
>タムさんは、目で見える世界、証明のできることがすべてである、
>と思われますか?

◎この世がすべてであるとは思ってませんよ。
ただ、どこまでが三次元的な現実で、どこからが信仰による考え
なのかを、きちんと区別した方が、話が噛み合うだろうと思って
はいます。

よしもんさんは、生き神様信仰と、総裁の発言が首尾一貫しない
ことについては、傍からはそう見えるであろうことを認めた上で、
信仰による解釈をも開陳してくれました。

けれども、霊言については、本質的には云々という信仰による
見解と、瑣末な批判だ、霊的世界観の欠如だというお叱りが
あるばかりで、現実的にはどうかという記述は見当たりません
でした。
だから、霊言の内容と、三次元的史実とが一致しているかどうか、
現実的にはどう見えるかを、あらためてお尋ねした次第です。

もっとも、>>525を見れば、よしもんさんは、霊言と史実とは
食い違っていると認識しているだろうことは分かるのですが、
念のために再確認したかったわけです。

それから、自分としては、よしもんさんの信仰論や総裁の
コロコロの解釈については、異論はあります。
けれども、この議論のもともとのテーマは霊言であろうし、
信仰やコロコロまでも語りだしたら混乱するばかりなので、
異論を述べるのは差し控えます。
ただ、異論があるよということだけ、記しておきます。

537よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/10/31(日) 17:03:29 ID:ZPdJL1xk
>>536

ありがとうございました。
現実を見てみると、確かに幸福の科学は「存在する」ということです。
会員数も、1000万人いるかどうかは定かではありませんが、
エル・カンターレ信仰を持ち、日々、活動に邁進されている方は、
数多くおります。政治では、議席はとれていませんが、
でも、ネットにおけるアンチの方の批判でどうにかなってしまう
ほど弱い団体でもありません。これが現実です。
それだけ、まだまだがんばっておられる方々がおられる、
ということです。

538タム ◆M/L2k2Eq72:2010/10/31(日) 18:46:48 ID:wGwICP.I
>>537
う〜ん。よしもんさんの考えを再確認したかったのですが・・・。

今のところ、こちらが理解している、よしもんさんの考えは、こういうものです。
・霊言と史実とには食い違いがある。
・霊は、地上における出来事を忘れてしまうことがあるためである。

この理解で話を進めてもいいでしょうか。こちらが意図しているのは、大分、
話がごちゃごちゃしてきてるので、ここらで論点を整理したいということです。

539よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/10/31(日) 19:00:54 ID:ZPdJL1xk
>>538

タムさん

その理解で結構です。

540タム ◆M/L2k2Eq72:2010/10/31(日) 19:13:30 ID:wGwICP.I
>>538
ちょっと付け足し。

・霊言と史実とには食い違いがある。(現実)
・霊は、地上における出来事を忘れてしまうことがあるためである。(理屈)


>>539
では、>>529にある「研究者が見ても、内容的にずれていないはずであります。
おそらく一致しているでしょう。一致しているのは本人が言っているからであり
ます。」という総裁の発言は、どのように解釈していますか。

541よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/10/31(日) 21:47:07 ID:ZPdJL1xk
>>540

タムさん

>「研究者が見ても、内容的にずれていないはずであります。
>おそらく一致しているでしょう。一致しているのは本人が言っている>からであります。」

ずれはないでしょう。その「ずれ」というのは何を意味するか、
それは、その霊の持つ「理念」とか「信念」とか「願い」とか、
言われるものです。そういうものは変わらないはずです。

まあ、あの世の霊からすれば、この世での人生というのは、
永遠の生命から見れば、ほんの一時期の修行のようなものなんです。
なので、人生経験というのは、そのエッセンスの部分だけが
魂の中に残るにすぎないのです。

そのエッセンスと呼ばれているものが、人生の総決算の部分であり、
この部分にずれはないであろう、というように私は理解しています。

542タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/01(月) 19:26:03 ID:wGwICP.I
>>541
丁寧なレスをありがとうございます。

よしもんさんのお考えが分かりかけてきた気がします。
でも、二点ほど質問してもいいでしょうか。

まず一つ目は、総裁発言については、その霊の持つ人生の総決算の部分(理念、
信念、願いなど)の部分でズレはないだろうという意味だという解釈が妥当である
という根拠は何かはありますか。

たとえば、その文章の前後の発言でそう言っているとか……。それとも、
よしもんさんの宗教的直感や教義理解がその根拠でしょうか。

と、いうのは、>>529にあるリンク先における話の流れを読むと、総裁の発言は、
人生の総決算の部分のズレに限定されたものではないように、わたしには読める
んですよね。

二つ目は、人生経験はそのエッセンスの部分だけが魂に残るにすぎないという説や、
前々から繰り返し書かれてる、天上界に還ると地上での出来事の多くは忘却してし
まうという説についてです。これらの説は、総裁はいつ頃から説かれてますでしょうか。

なんだか質問ばかりで済みません。よしもんさんの考えをよく知り、理解したいので、
迷惑かなと心配しつつも、思い切って質問を続けてます。

543よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/01(月) 20:52:47 ID:ZPdJL1xk
>>542

タムさん

私の解釈の部分が大きいですね。
大川先生としては、
・我がが霊言は真実
・霊は、生前の記憶プラス霊界における学習、経験を併せ持つ
・高級霊ではない、普通の霊は、生前、人間として生きていたこと
 すら忘れていることが多い。
ということを教えて下さっています。
また、もし私がこの世でそこそこの業績をあげて、やがて死んで、
何百年かして、地上の霊能者から呼ばれたら、どうなるかな、
と考えてみたとき、おそらく、地上生活時代を相当忘れている
だろうな、と思うのです。心に深く刻み込まれたものだけが
象徴的に残る、そんな感じがします。
なので、霊の語る内容には、霊が、大川総裁の記憶中枢の中から
探してきて語るとか、理念的に信じられていることを語る
(たとえば、イエス・キリスト誕生日のクリスマスのイメージ)
場合もある、そのように思っています。
でも、結局は、私は、大川先生の霊言が、心に響いた、ということ
ですね。これに尽きると思います。
物事を知識的にしか理解しないようなタイプの方ですと、おそらく、
理解不能だと思います。
前にも言いましたが、霊界におけるの人間指導のルールとして、
どうも、最後の一線、信じるか信じないか、というところは必ず
残しておく、そんな気がしています。
長文失礼しました。

544タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/01(月) 21:24:11 ID:wGwICP.I
>>543
>私の解釈の部分が大きいですね。

◎了解しました!


>・高級霊ではない、普通の霊は、生前、人間として生きていたこと
> すら忘れていることが多い。

◎う〜ん。よしもんさんが言ってたのは、普通の霊ではなくて、HSで
霊言集を出すような高級霊であっても、一つ前の前世であった事件、
出来事でさえ忘れてしまうという説だったような……。


>また、もし私がこの世でそこそこの業績をあげて、やがて死んで、
>何百年かして、地上の霊能者から呼ばれたら、どうなるかな、
>と考えてみたとき、おそらく、地上生活時代を相当忘れている
>だろうな、と思うのです。心に深く刻み込まれたものだけが
>象徴的に残る、そんな感じがします。
>なので、霊の語る内容には、霊が、大川総裁の記憶中枢の中から
>探してきて語るとか、理念的に信じられていることを語る
>(たとえば、イエス・キリスト誕生日のクリスマスのイメージ)
>場合もある、そのように思っています。

◎「そんな感じがします」「そのように思っています」ということからすると、
もしかしたら、高級霊であっても地上の生活時代の出来事を相当に忘れ
ているというのは、よしもんさんの推測だということでしょうか。
そうではなくて、もし、総裁がそういうことを明言していたなら、
演題・年月日などを教えてほしいのですけど。

545IAOO.KK ◆IAOOKk3rmo:2010/11/02(火) 00:56:38 ID:aG/NcYSw
>>531

訂正させて頂きます。

「私は大川隆法を仏陀と信じます。」
「何故ですか?」
「彼の説く教えが仏法真理だからです。」
「仏法真理とはなんですか?」
「仏法真理とは、仏の心、仏の教え、仏の生命の
流転する姿です。そしてまた、人類の過去、現在、未来をおりなす
一本の黄金の糸のことです」
「仏の心、仏の教え、仏の生命の
流転する姿であり人類の過去、現在、未来をおりなす
一本の黄金の糸とはなんですか?」
「仏の意志でありそれが仏の光と熱となって世界を創造し、維持している力です。
 仏の光と熱は叡智と愛となって三界の生命を希望と喜びで満たしてゆきます。
 私は彼を仏陀と信じますが、もし彼の力によって、幸福の科学によって
 この日の本の國、そして世界を救い導くことができなかったならば
 彼は仏陀でなかったことになります。
 人類が自らを救おうとすることは人類の意志であり、仏の心に叶うことです。
 このため世界を救う力とならないものは仏からでたものではなく、
 人からでたものです。

「わかりました、彼が仏陀かどうかは彼を信じるものたちが
 明らかにするでしょう。」

546タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/02(火) 18:53:01 ID:wGwICP.I
>>544

ところで、例の一文について、自分の解釈も書いておきます。

>「研究者が見ても、内容的にずれていないはずであります。
おそらく一致しているでしょう。一致しているのは本人が言っ
ているからであります。」

この文は、「信仰者が見れば〜一致しているでしょう」ではな
く、「(信仰者だけでなく)研究者が見ても〜一致しているで
しょう」となっているように思えます。
そして、大川総裁は「研究者」を「信仰のない唯物論者」と
みなしていることが多々あります。

これらの理由から、上の一文は、こんな意味ではないかと推測
します。↓
「信仰を持たない唯物論者である研究者が見ても、霊言の内容
と三次元的史実にズレはないはずであります。おそらく一致し
ているでしょう。一致しているのは本人が言っているからで
あります」

ちなみに、『大川隆法の霊言』という書籍には、大川総裁の霊
言集について、研究者らのコメントを掲載してあります。そこ
では三次元的な史実……事件、出来事のみならず、本人の個性
・傾向・思想など、さまざまな面から霊言の間違いが指摘され
ています。
そうして、この類の指摘が多数なされた霊言集は、絶版となり、
削除修正の上で、内部限定の経典として再発行されて今に至
っています。

最後におことわりしておくと、恥ずかしながら、わたしは上の
一文のある原典は手元にありませんので、この一文の前後の
言葉は参照できてません。よって上の解釈は、この一文だけを
読んでの解釈ということになります。

547よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/02(火) 19:02:22 ID:ZPdJL1xk
>>545

IAOO.KKさん

これでよいと思います。最後はやはり信仰心であると
思いますので。

548よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/02(火) 19:21:48 ID:ZPdJL1xk
>>544

タムさん

冷静に考えてみると、やはり、私の霊言の理解は、信仰の部分が
大きいですね。知識人から見れば、史実との相違が多いのでしょう。
私はインテリではないので、わかりませんが。
でも、私としては、学びとしての糧が多いし、心奮わせる「何か」
があります。うまく言葉で説明できませんが。
大川先生の見解はただ一つ、「この霊言は真実、我を信じよ」
ということです。霊が語っていることだ、ということですね。

549:2010/11/02(火) 19:26:49 ID:0Z0rRtMI
>>546
>「研究者が見ても、内容的にずれていないはずであります。おそらく一致しているでしょう。一致しているのは本人が言っているからであり
ます。」

意味合いとしてはそうゆう意味でも、いざふたをあけてみたら、何%か間違いがあったということじゃないの

95%正しければ上等と考えるか、5%間違ってるからおかしいと考えるかの違いだと思うけど

550よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/02(火) 19:28:04 ID:ZPdJL1xk
>>546

タムさん

>そうして、この類の指摘が多数なされた霊言集は、絶版となり、
>削除修正の上で、内部限定の経典として再発行されて今に至
>っています。

ということでしたが、削除修正は、悪霊現象的なドロドロした
部分と、方便の時代の内容の部分であり、基本的な内容自体は
変わっていないです。
ちなみに私は、過去の霊言集をほぼすべて持っています。
それを全部読んでいます。修正後の霊言は1〜7巻まで
読みました。基本的に変わりはありませんでしたので、
その先は読んでません。

551タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/02(火) 19:50:55 ID:wGwICP.I
よしもんさん、申し訳ないけれども、当方が今、もっとも知りたいのは、
死んだら生前の記憶をほとんど無くすとか、
高級霊は地上でのことを覚えていないとか、
そういったことは、よしもんさんの推論なのか、
それとも、大川総裁がどこかで話したのか、だとすれば、
その演題と年月日はどうかということだったりします。
うるさく催促するみたいですけど、よろしくお願いします。

552タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/02(火) 20:16:45 ID:wGwICP.I
>>550
削除の具体的な一例がありますよ。

http://lexposition.blogs-de-voyage.fr/%E6%95%99%E7%BE%A9/

---ここから引用-------------------

sa054:894: ◆JBLfMwCXhY:2003-05-12 01:32:00:★『幸福の科学』総合スレッドPART54

×内村の霊(?)「その後、まず、私の妻が亡くなった。
          私にとってはつらい事件(不敬事件)でありました。そして、
          あいついで、私の子供たちも亡くなっていきました」
          (内村鑑三霊示集 大川隆法著p65)

鈴木教授 「この文章だと、事件のわりとすぐ後に子供が死んだと解釈でき
      ますね。ところが、事件は明治24年。娘のルツが死んだのは、
      明治45年です。20年後の娘の死と事件は関係ないことです。」


---中略----------------------------


311 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2008/05/12(月) 04:14:04 ID:D/cDNtQh
(『幸福の科学』統合スレッドpart214)

「娘が次々に死んでいきました」という記述は見あたらないね。
「妻が亡くなった」とある。
記憶違いじゃね?
 
内村の霊(?)「私は「不敬事件」を起こしたのです。・・・
       ずいぶん攻撃を受けました。・・・
       私は新聞によって、自分が免職になっているのを知りました。
       その後、私の妻が亡くなった。」
(内村鑑三の霊言① 大川隆法著p.90〜92)

332 名前: ◆JBLfMwCXhY [] 投稿日:2008/05/12(月) 14:42:12 ID:Lqr28AN1

それは、修正後に会員限定で特別販売してるヤツですね。
また、指摘された箇所をコソーリ修正してたのか。
姑息な・・・・・

349 名前:アジサイ[] 投稿日:2008/05/12(月) 21:33:01 ID:/R8cRGma
>>311
それは本当ですか??どうして同じ書籍を読んで、アンチの人が貼り付けるとそうなってしまうのでしょうか??? 
書籍を持っていない人に、、嘘を刷り込むつもりですか???

395 名前:初代[] 投稿日:2008/05/13(火) 08:29:50 ID:Q7BQKvul
>>311
「霊言①」という表記、またページ数からですが、それは『霊言全集』からの引用でしょ。

改訂されているとしたら、それは誤りを認めたことになります。

何度も言及しておりますが、そもそも講義で総裁は…
「研究者が見ても、内容的にずれていないはずであります。おそらく一致しているでしょう。一致しているのは本人が言っているからであります。」
…と、おっしゃっていました。

 研究者の指摘を受けて自ら引っ込めたとするなら、致命的なわけです。

>>349 アジサイさんへ

上記のようなことですよ。 元々出版されたものには「あいついで…子供たち」という記述がありました。しかし、『霊言全集』でその箇所は削除されたということでしょう。
『霊示集』の引用は私が保証します。『霊言全集』の該当箇所については、自分の目で確かめてください。

---ここまで引用----------------------

553IAOO.KK ◆IAOOKk3rmo:2010/11/02(火) 22:06:54 ID:0j9V3XHY
>>548

>があります。うまく言葉で説明できませんが。
大川先生の見解はただ一つ、「この霊言は真実、我を信じよ」
ということです。霊が語っていることだ、ということですね。

訂正しますね。

「この霊言は霊が語っていることは真実。
 信じるものはついてきない。
 しかし、霊が語っている内容は間違いがある。」

でよすね。

554ジーク ◆CYNzCEPsCQ:2010/11/02(火) 23:15:06 ID:fFiGlmk.
>>550
>よしもんさん
突然、すみません。(悪霊現象的なドロドロした部分と、方便の時代の内容の部分であり、)
っていうのは、違います。会内ではそういう説明でしょうが、実は違う理由が有るのです。
しかし、矛盾する文章を削った上に、2万円で、会員限定で売るのだから、本当、あきれます。

555IAOO.KK ◆IAOOKk3rmo:2010/11/02(火) 23:48:34 ID:0j9V3XHY
霊言集は本当はそのまま乗せて解説のせとけばいいんだ。

556ジーク ◆CYNzCEPsCQ:2010/11/03(水) 00:36:56 ID:fFiGlmk.
>>555
普通だったら、そうするよね。何故しないか、本人も説明できないから・・・。
「妄想で、好き勝手書きました」とは、言えませんW

557よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/03(水) 03:05:56 ID:ZPdJL1xk
>>551

タムさん

私の推論です。数多くの霊言を読んでいて、そう感じました。

558よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/03(水) 03:11:53 ID:ZPdJL1xk
>>553

IAOO.KKさん

>しかし、霊が語っている内容は間違いがある。

訂正
しかし、霊が語っている内容は史実と若干のずれがある。

559よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/03(水) 03:23:09 ID:ZPdJL1xk
>>554

私は絶版の霊言、ほとんどすべて持っていますので、
問題ないです。会員でなくても、努力次第で手に入ります。
会員限定の再刊版も、それがいい、という方がいらっしゃると
思います。

560タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/03(水) 07:41:23 ID:dyZoJ4mA
>>557
>私の推論です。数多くの霊言を読んでいて、そう感じました。

◎なるほど。たしか霊言集では、生前のことにはもう関心がないとか、生前のことを語ってもあなた方には益がないとか言ってたかと思う。それを、生前のことを忘れてしまっていると受け取ったということでしょうか……。


ちなみに、わたしのHS教義理解は、こんな感じです。

・一般人の中には、自分が死んでも、その事実に気づかない人がいる。(この場合当然に生前の記憶を保持しているでしょう)

・低位霊界では、生前と似たような生活形態を続けられている。
(生前の記憶があるから、生前と似たような生活をするのでしょう)

・高次元に行くほど観自在となる。
(自己の思いと行いが記録された想念帯を読むことができる。自由自在に過去の記憶を呼び起こせる)

・地獄では自分の本性が露呈される。
(盗癖、虚言癖、凶暴性……自分の中の突出した傾向性が表出される。地獄の苦しみの中では過去を思い出し反省することは難しい)

・地獄では自分が何者であったかも忘れてしまう。
(地獄にいる間に、蛇や狐に変化して、自分が人間だったことさえ忘れてしまう)


以上の材料から、わたしは次のように考えます。

・HS教義からすれば、生前のことを忘れてしまうのは地獄霊ということになるだろう。高級霊は高次元に行くほど、必要に応じて過去を思い出せる。

・だから、生前のことを思い出せないとしたら、それは地獄霊である可能性が高い。

・生前のことを思い出せたとしても記憶違いが少なくないなら、それは観自在力がなく想念帯を読めないレベルの霊であると推測される。

・もしも高級霊が、生前のことを間違って言ったなら、それは意図的なものであるから、そこには何らかのメッセージがあると思われる。よって、その間違い部分を安易に削除修正してはならない。
もしも削除修正がなされたならば、それは単なる間違いに過ぎなかったことになり、高度なメッセージが込められた高級霊の言葉ではなかった可能性が高まる。


自分的には、HS教義の流れで考えると、こんな風な結論になりそうに思います。

561IAOO.KK ◆IAOOKk3rmo:2010/11/03(水) 07:57:06 ID:0j9V3XHY
>>558

総裁が間違いがあるといっているじゃない。

562タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/03(水) 19:17:54 ID:dyZoJ4mA
>>552
つけたし。

霊言集ではない基本書などの削除修正。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/10817/1273230373/22-25


このように一般販売されている書籍の中の削除修正は調査確認できるものの、
『大川隆法の霊言』で指摘されていた親鸞の個性の違いなどは、霊言集の絶版、
再発行後にどのように変化したか、それとも変化なしか、確認できないのが、
外部の者の辛いところ・・・。

563よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/03(水) 19:42:26 ID:ZPdJL1xk
>>560

基本教義は、大川先生が編まれておりますので、そちらを
学習すればよいと思います。
ただ、霊言のニーズというのはあります。それはあの世の存在証明
である、と大川先生はおっしゃっています。
記念すべき最初の霊言書、「日蓮の霊言」は、もう、出版時点で、
相当に削除されています。それは、大川先生、善川顧問に対する
個人的な指導、会発足に関する指導、そういった膨大な霊言が
背後にあります。ですので、完全に純粋な霊言というのは、
今年になって行われた公開霊言しかないのです。

564よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/03(水) 19:50:19 ID:ZPdJL1xk
>>561

IAOO.KKさん

「間違い」というと誤解があると思い、訂正させて頂きました。
霊だって完璧ではないから、間違うこともあるでしょうね。
でも、それを前面に出してしまっては、やはり信憑性に問題が
出てくる。アンチの方々はそれを狙っているのかもしれませんが、
信者サイドからすると、それは、表に出すことではありません。
これは、会社にたとえるとよくわかります。
自分が営業で、お得意先で、
「社長が〜と申しておりました。しかし、間違いもあります」
とは言いませんよね。
「社長が〜と申しておちました。しかし、状況によって、ずれが
生じる可能性があります」
と言いますよね。

565よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/03(水) 19:59:02 ID:ZPdJL1xk
>>562

タムさん

リンクの資料、読ませて頂きました。すごいですね。
この研究熱心さ、すごいです。
ここまで探究される方であれば、削除訂正版の霊言では
さぞかし物足りないであろうと思います。
ただ、霊言というのは、そういう緻密な研究の対象には
合わないと思います。やはり、霊の言葉というのは、心で読むべき
ものだと思うのです。これは私の感想です。
霊言というのは、ちょっと、そういう方面での緻密な分析には、
なじまない、と思います。
経典にこんなお話しがありましたね。ここに料理があったとします。
料理は、おいしく頂けばよいのです。しかし、この料理の魚は
なんという名前なのか、何歳くらいなのか、毒は入っていないのか、
骨は何本あるのか、とバラバラにしていったら、せっかくの料理が
だいなしになる。そんなたとえ話があったと思います。
でも、私はタムさんのご努力には敬意を表したいと思います。

566タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/03(水) 20:09:56 ID:dyZoJ4mA
>>563
あのですね。たとえば五年間かけて霊言を録り、念入りに編集して、
出版した霊言集でさえ、出版後何年も経たないうちに、再度、削除
修正を加えなければならなかったとすると、最近の一発録り霊言は、
もっと悲惨なことになるかもしれません。

>>564
HSはそういう風に、なぜか商売をたとえに出すことが多いんですよね。
宗教と商売は違うでしょうに・・・。

宗教の場合は、間違いがあっても別に構わないといえば、構わないん
ですよ。
逆に、それを隠そうとするのがおかしい。神の言葉、高級霊の言葉
ならば、なぜに、地上の都合で改変したり、隠す必要があるのか。
そのままでいいし、そのままでなければならないだろうに。

聖書などでも、間違いがあるとかいわれているけれども、そのまんま
発表されている、自由に議論されている。

一方、HSでは、間違いを隠そうとしたり、改変したりする。これでは、
何か後ろ暗いところがあるのか、それともHSの言葉は、数年の
賞味期限しかないのではないか、などと思われしまうかもしれません。

567タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/03(水) 20:19:31 ID:dyZoJ4mA
>>565
>霊の言葉というのは、心で読むべき
>ものだと思うのです。これは私の感想です。

そういえば、レムリアルネサンスの信奉者のtamaさんという人も、
同じようなことを言ってました。


>料理は、おいしく頂けばよいのです。

自分が味わう分にはそれでいいでしょう。ただ人様にお勧めしよう
とする場合は、よくよく吟味する必要は出てくるでしょう。

568よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/03(水) 23:48:46 ID:ZPdJL1xk
>>566

タムさん

うーん、そこまで言われてしまうと、私も困ってしまうのですが。
これは、会の上層部で、こうしようと決められたのでしょうから。
私は別に構わないと思っているのですが。
霊言はあくまで霊言であって、基本の柱は、大川先生の教えである
ので、それでよいのでは?ダメですか。ダメですよね。
ちょっと困りましたね。

569タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/04(木) 20:30:28 ID:dyZoJ4mA
……ですね。(笑)
霊言集も、大川総裁の基本書も同じ流れですし。


・霊言集発刊

・「研究者が見ても、内容的にずれていないはずであります。(〜略〜) 本人が言っているからであります。」

・研究者らから批判される。

・霊言集は絶版ののち、削除修正されて再発行。
(参考⇒>>552)


・基本書発刊

・これが釈迦の本心だ、本当の仏教だ。

・研究者らから批判を受ける。

・『釈迦の本心』など削除修正される。
(参考⇒>>562)


そういえば、この間の選挙はこんな流れでしたね。当初は自民の大きめの派閥くらいの当選者を出すと豪語していたものの、だんだんとしぼんでゆき、最後は当選者なしは織り込み済みだとか何とか言い出すという。

霊言集にしても、基本書にしても、選挙にしても、はじめに大風呂敷を広げて、その後で一般向きにはこそっとたたんで、信者向けには方便だったとか何とかいっておくパターンが多い気がする……。

いつもダメ出しばかりで申し訳ないですけども、正直にいえば、やっぱりそういうことになります。でも、あくまでこれは、こちらの感想であって、よしもんさんら信者さんは別の意見を持っていて当然なんですけどね。よしもんさんにはお忙しいところを相手してもらって感謝してます。

570タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/04(木) 20:39:17 ID:dyZoJ4mA
そういえば、会員になって、よいこともありました。

それは、「それは平静心ではありません、愛の不足です!」
という言葉を知ったこと……。これは今でも大事にしている
言葉ではあります。

571よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/04(木) 23:31:47 ID:ZPdJL1xk
>>569

タムさん

幸福の科学は常に進化している、ということではないでしょうか。
勝って奢らず、負けから教訓を得る。七転び八起きの精神ですね。
やはり、闘う前から、小さなことを言っていたら、もう、
お年寄りですよ。大言壮語を吐き、叩きのめされて、謙虚さを
学び、なお立ち上がってくる。これが、若者です。
幸福の科学は基本的に若者なんですよ。
宗教の耐用年数は2〜3000年です。そう考えると、幸福の科学は
今や青春のまっさかり、失敗もある、失敗して失敗して、
最後に大勝利を収める、これが幸福の科学であると思います。

572よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/04(木) 23:42:07 ID:ZPdJL1xk
>>570

タムさん

>「それは平静心ではありません、愛の不足です!」

これは、ワンルーム型の反省に対するお叱りのお言葉ですね。
反省行に精進し、もう反省することがない、と思っている人に、
「一歩、外に出てみよ」、ということだと思います。
反省からの発展、という教えだと思います。
こういっては、大変失礼なのですが、失礼と思ってあえて言う
のですが、タムさん、ちょっと考えすぎなんではないかな、
という気がします。
頭の良い方の悪い癖のようなものでしょうか。
私はちょうどいいくらいに頭が悪いのが幸いなのかもしれません。

573タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/05(金) 07:15:10 ID:dyZoJ4mA
>>571
なるほど。そういう見方もあるのかもしれませんね。
ただ、わたしの見立てでは、
「同じ間違いを繰り返してばかりいる。
無責任ゆえに反省できないのだろう」
ということになります。
辛口でごめんなさい。

>>572
こちらの方も意見が分かれたみたいですね。
「それは平静心ではありません、愛の不足です!」というのは、
一言で言えば、人間性の回復をうったえているのだろう
と思います。もうちょい詳しいことは、雑談スレの方に
書いておきました。

考えすぎというのは図星です。(笑)
もともとその傾向があることと、会員時代に考えなしに
猪突猛進してしまったことの反省もあります。

よしもんさんはこれから本気の伝道活動を開始するよう
だけれども、伝道するより先に、まずはもっと支部通いをして、
HSの実態がいかなるものか、よくよく見極めた方が無難ですよ。

信仰心や使命感がもえたぎっているのは理解できるけども、
HSが本当に人様にお勧めできるものなのか、その実態を
自分の目で時間をかけて確認してからでも、伝道は遅くは無いでしょう。

574よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/05(金) 13:18:22 ID:ZPdJL1xk
>>573

タムさん

>「同じ間違いを繰り返してばかりいる。
>無責任ゆえに反省できないのだろう」

まあ、私も一緒ですから。
怠け心はいけない、と反省しつつも、また怠け心が出てくる。
いかんいかん、と反省しても、また怠け心が出てくる。
これは、吉田松陰先生から見れば、上記のタムさんの言葉が出てくる
わけです。

>「それは平静心ではありません、愛の不足です!」というのは、
>一言で言えば、人間性の回復をうったえているのだろう

そういう解釈でしたか。私は、平静心から愛の心が出る、
波立った心から愛は出ない、と思っていますので、ワンルーム型
反省に対する教えだと思ったのです。

>まずはもっと支部通いをして、
>HSの実態がいかなるものか、よくよく見極めた方が無難ですよ。

活動しなければ、何も見えないと思います。いわば「お客さん」
ですから。活動を通して、幸福の科学の真の姿を見ていこうと
思います。

575タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/07(日) 08:04:43 ID:dyZoJ4mA
よしもんさん。

霊言の話は一段落したように思うので、前々から疑問に思っていたことを、
おたずねしてもよろしいでしょうか。

幸福の科学では、狂信・妄信をどのように説明しているのでしょうか?

よしもんさんの言うところによると、大川総裁の言葉をそのまま受け入れる
ことが信仰であるらしい。だとしたら、狂信・妄信とはどういう状態をいうの
でしょう……。ちょっと疑問に思いました。

576よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/07(日) 15:30:45 ID:ZPdJL1xk
>>575

タムさん

幸福の科学では、狂信・妄信を戒めていますね。
幸福の原理の教えの中に、「知」というものがあります。
これがまさに、狂信や妄信への戒めそのものだと思います。

>よしもんさんの言うところによると、大川総裁の言葉をそのまま
>受け入れることが信仰であるらしい。

これは、どういうことか、というと、「正しさ」とは何か、
ということを、きっちり押さえておかなければ、何が正しくて、
何が間違っているのか、判断のしようがない、ということです。

私は、善悪の判断を、幸福の科学の教えを基準に行っています。
これを狂信・妄信、と呼ぶか、ということですね。
私は、それは違う、と思います。

何が「正しいこと」なのかを探究する時間も必要ですが、
それを見つけたならば、それに賭けるしかないのです。
それが「信仰」です。

タムさんは、何が「正しい」ことだと思われますか。
それが、幸福の科学になければ、何を基準に善悪の判断をしますか。

577タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/08(月) 20:02:14 ID:dyZoJ4mA
>>576
>私は、善悪の判断を、幸福の科学の教えを基準に行っています。
>これを狂信・妄信、と呼ぶか、ということですね。
>私は、それは違う、と思います。

なるほど。HS的には、よしもんさんの信仰は妄信ではないという
ことのようですね。

自分の方の感想としては、HSには、節度ある信仰を保ち、妄信
を予防する教えは、無いとはいわないまでも、かなり少ないように
思えます。

まず、「知ること」と、「信じること」では、「信じること」の範囲の方が
広大で、奥が深いのでしょうから、知によって、信をコントロールする
のは困難でしょう。

また、反省の前提として、信仰心があるのでしょうから、信仰にブレーキ
をかけるような反省は難しいでしょう。

結局、HSの教えは、信仰に最大価値をおくために、信仰を制御する
ような教えに乏しく、その暴走を止められないのではないでしょうか。
妄信を戒める教えもあるんでしょうが、どちらかといえば、信を煽る
ような教えが多すぎるのではないかな。


>タムさんは、何が「正しい」ことだと思われますか。
>それが、幸福の科学になければ、何を基準に善悪の判断をしますか。

わたしは無宗教ですから、明確に何が基準だとはいえないですね。
何かの基準があることは確かですが、それを言葉で言い表すのは難しい。

578よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/09(火) 18:38:10 ID:ZPdJL1xk
>>577

タムさん

「知ること」と「信じること」「反省」の関係ですね。

幸福の科学は抜きに考えて、「正しい教え」があったとします。
その「正しい教え」には、それを説いた方がいるはずです。
その「正しい教え」を学ぶためには、それを説いた方が、
「正しい方」であることを「信じる」必要があります。
この「信じる」というところが、信仰です。
「正しい方」が「正しい教え」を説いている、と信じたとき、
はじめて、その「正しい教え」を「知る」「学ぶ」ことができます。
「正しい教え」を知り、学んではじめて、自分の思い、行いに
ついて、間違っていないか、「反省」することができます。
私はそのように理解しています。
私は、「正しい教え」を幸福の科学に見つけました。
本を何十冊か読み、「正しい教え」であることを確信し、
大川先生を信じました。そして、学び続けました。その確信は
入会後、現在に至るまで、掲示板でさんざんな批判をあびても、
確信は揺るがないです。なぜなら、アンチの方々の批判に、どうも
正当性がないように思えるからです。

579タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/10(水) 20:47:31 ID:dyZoJ4mA
>>578
ふむふむ。
幸福の科学抜きといいつつも、しっかり、HS方式に則ってるよー。
信者さんなら、そういう流れになって当然ですけどね。

ただ、わたしは信者ではないので、それとは、ほぼ正反対の考え方
をしてるようです……。

まず、「学び」のために、「説法者への信」が必要とは思ってはいませ
んね。どちらかといえば、「信」よりも、好奇心、興味、関心などの方が
必須なのではないかな。

たとえば、釈迦やイエスを、仏陀だ救世主だと信じていない無宗教の
人であっても、興味さえあれば仏典や聖書を学ぶことは可能でしょう。
むしろそういう人の方が、信仰心が旺盛すぎる人よりも、原理主義や
教条主義にはならずに、バランスのよい学びができそうでさえある。

反省については、「教えへの信」や「説法者への信」は、できうる限り
排除した方がいいでしょう。信じていることは反省できないからです。

「この教えは正しい」「教祖は正しい」などと強く信じていれば信じている
ほどに、それらについて反省することは困難でしょう。
熱烈信者の反省は、多くの場合、自分の信念を、改めて確信するため
の儀式になってるのが実情ではないでしょうか。

反省をするには、何らかの基準が必要でしょうけども、その基準を絶対視
しすぎても、これまた反省は難しくなるものだと思います。

580よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/10(水) 23:24:01 ID:ZPdJL1xk
>>579

しっかりHS方式になっていますか。
これを、仏陀とか、イエス・キリストに置き換えても
構わないと思っているのですが。
ただ、私のスタンスはこれですね。
教えを学ぶには、師が必要なのです。師を信じなければ、
師の持つすばらしいところをすべて吸収することはできなく
なります。どうしても、自分の都合のいいところだけを、
都合よく解釈してしまいそうな気がします。
また、信仰を立てる、というのは、逃げ場がなくなることを
意味します。それだけの覚悟が試されるということですね。
信仰は人を真に強くする、という側面があると思います。

581タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/11(木) 18:54:28 ID:dyZoJ4mA
>>580
>私のスタンスはこれですね。

◎自分の考え方は自由に決めてよいと思います。
ただその考え方を、他者にもお勧めしようとするならば、
それの短所長所などをそれなりに調べた上でないとまずい
でしょう。


>教えを学ぶには、師が必要なのです。師を信じなければ、
>師の持つすばらしいところをすべて吸収することはできなく
>なります。どうしても、自分の都合のいいところだけを、
>都合よく解釈してしまいそうな気がします。

◎人には自分が見たいものしか見ないという性質がある
そうです。この性質は、師を信じたからといって、無く
なるものではないでしょう。


>また、信仰を立てる、というのは、逃げ場がなくなることを
>意味します。それだけの覚悟が試されるということですね。
>信仰は人を真に強くする、という側面があると思います。

◎殉教者を見れば、確かに信仰にはそういう一面があるかも
しれません。まさか、よしもんさんは殉教を覚悟してるので
しょうか。

582よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/12(金) 12:28:46 ID:ZPdJL1xk
>>581

タムさん

>◎自分の考え方は自由に決めてよいと思います。
>ただその考え方を、他者にもお勧めしようとするならば、
>それの短所長所などをそれなりに調べた上でないとまずい
>でしょう。

そうですね。やはり、自分が、すばらしい、と思ったところ
を伝えていくしかないですね。それをどう判断されるか、
それは各人の自由です。
私たち幸福の科学の会員は、自分がすばらしい、と思ったところを
熱意を持って伝えていきます。

>◎人には自分が見たいものしか見ないという性質がある
>そうです。この性質は、師を信じたからといって、無く
>なるものではないでしょう。

信じなければ、自分の見たいものしか見ない、ということになる
と思います。信じればこそ、その教えの中から、自分にないところを
吸収し、進歩、向上していくものだと思います。

>◎殉教者を見れば、確かに信仰にはそういう一面があるかも
>しれません。まさか、よしもんさんは殉教を覚悟してるので
>しょうか。

当然です。最後に、肉体生命をとるか、信仰をとるか、という
選択に迫られたら、迷わず、信仰をとります。肉体の命など、
たかだか数十年です。しかし、魂は永遠です。
数十年の生き易さをとるか、永遠の魂の誇りを守るか、これは、
選択の余地はありません。

583タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/12(金) 19:03:48 ID:dyZoJ4mA
>>582
>そうですね。やはり、自分が、すばらしい、と思ったところ
>を伝えていくしかないですね。それをどう判断されるか、
>それは各人の自由です。

繰り返しますけど、わたしが言っているのは、宗教選択は本人の自由であるが、
自分が選んだ宗教を他人にお勧めしようとするなら、その宗教について念入りな
検証作業をしておく義務があるだろうということです。
自分が素晴らしいと思った宗教は、どんどん布教し、それを受け入れるかは
各人が判断すればいいというものではないよ。


>信じなければ、自分の見たいものしか見ない、ということになる
>と思います。信じればこそ、その教えの中から、自分にないところを
>吸収し、進歩、向上していくものだと思います。

わたしの意見は、信者であれ、そうでないのであれ、人は見たいものしか見ない
という性質があるだろうということ。信者になったからといって、見たくないものを
直視できるようになることはないということ。
むしろ、2ちゃんでの、よしもんさんら信者の姿を拝見していると、信者になると、
一般人以上に、見たいものしか見ない、信じたいものしか見ないという性質が
強固なものになるとも言えそうではあります。


>当然です。最後に、肉体生命をとるか、信仰をとるか、という
>選択に迫られたら、迷わず、信仰をとります。肉体の命など、
>たかだか数十年です。しかし、魂は永遠です。
>数十年の生き易さをとるか、永遠の魂の誇りを守るか、これは、
>選択の余地はありません。

よしもんさんにとっての信仰・殉教というのは、こういうものなんでしょうか。
地上での数十年の生き易さよりも、永遠の魂を選択するというのは、本当の信仰・
殉教とは、ちょっと違うような気がする。ごめんね。

584よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/12(金) 20:29:28 ID:ZPdJL1xk
>>583

タムさん

>自分が素晴らしいと思った宗教は、どんどん布教し、
>それを受け入れるかは
>各人が判断すればいいというものではないよ。

宗教は、どうしても、最後は信仰のところなので、客観的に
調べつくしてどうなるものでもありません。
やはり、本に触れて、支部に触れてみて、ご法話に触れてみて、
最後はやはり信じるか、信じないか、しかないでしょう。

>信者になったからといって、見たくないものを
>直視できるようになることはないということ。

見るに耐えない批判、というのはありますね。速攻スルーみたいな。
そういうことではなくて、信仰が立たないうちは、教えの中にも、
自分に都合のいいところだけを読み、都合の悪いことがでると、
離れていく、これではいけない、と思うのです。

タムさんの考えられる殉教、とはどういうものなのでしょうか。
イエス・キリストの弟子も、やはり最後は信仰をとって、
殉教されていったと思いますが。

585タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/14(日) 08:03:47 ID:dyZoJ4mA
>>584
>宗教は、どうしても、最後は信仰のところなので、客観的に
>調べつくしてどうなるものでもありません。
>やはり、本に触れて、支部に触れてみて、ご法話に触れてみて、
>最後はやはり信じるか、信じないか、しかないでしょう。

◎はい。自分が宗教選択するときは、客観的に調べつくすよりも、直に
その宗教に触れてみて決断するという感じでもいいでしょう。
ただ他人様に、宗教をお勧めするときには、なるだけ客観的に調査して、
「この宗教に悪いところ、危険なところは無い」という結論が出てからでな
ければ、お勧めをしてはいけないのではないか。これは伝道者の責務では
なかろうかってことです。

>見るに耐えない批判、というのはありますね。速攻スルーみたいな。
>そういうことではなくて、信仰が立たないうちは、教えの中にも、
>自分に都合のいいところだけを読み、都合の悪いことがでると、
>離れていく、これではいけない、と思うのです。

◎だからね、「見たいものを見る」というのは人の性みたいなものだから、
「これではいけない」と自戒したって、人はそういう風にできているのだから
どーしようもないと思うのですよね。
たとえば、読書信者から熱烈信者に移行したとき、「今までは自分に都合
のいいところだけ読んでた」と反省したとしても、「見たいものを見る」という
性には全く変化なしです。
読者信者のころと、熱烈信者になってからは、「見たいもの」の基準が変わ
っただけで、「見たいものを見る」という性質は変わっていない。
こういった意味合いで、信仰や反省というものは、人に自分は変わったと錯覚
させることはできるだろうけれども、根本から変える力があるかどうかは微妙です。


>タムさんの考えられる殉教、とはどういうものなのでしょうか。

◎殉教には、およそ二種ありそう。一つは地上の権威に平伏し、天国行きを
保障された殉教。もう一つは地上の権威を批判し、堕地獄認定される殉教。
宗教改革者は後者でしょうね。

586よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/15(月) 01:02:33 ID:ZPdJL1xk
>>585

タムさん

私はよくも悪くも、伝道してこなかった人間なのですが、入会して
12年、大伝道を決意しました。幸福の科学は間違いないと
思っています。

>、「今までは自分に都合
>のいいところだけ読んでた」と反省したとしても、「見たいものを見る」という
>性には全く変化なしです。

私も最初から、大川先生の教えのすべてを受け入れていたわけでは
ありません。「愛から祈りへ」という詩篇の経典があるのですが、
あれはどうも受け付けなかったですね。でも、すこしずつ、空白部分を
埋めるように努力していきました。なかなか自分を変えるというのは
難しいものです。でも、信仰が、それを突破するのです。

>◎殉教には、およそ二種ありそう。一つは地上の権威に平伏し、天国行きを
>保障された殉教。もう一つは地上の権威を批判し、堕地獄認定される殉教。
>宗教改革者は後者でしょうね

殉教というものは、自分の信念を貫くだけだと思います。死後の行き先
とか、地上の権威とか、あまり関係ないような気がするのですが。

587タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/15(月) 19:38:58 ID:eATZr/6I
>>586
>私はよくも悪くも、伝道してこなかった人間なのですが、入会して
>12年、大伝道を決意しました。幸福の科学は間違いないと
>思っています。

◎この話題、こんな感じで、なかなか前に進みませんな。(笑)

「幸福の科学は間違いないと思います。伝道します」
「幸福の科学を正しいと信じるのは自由だが、他者にお勧めするなら、本当に間違いがないか客観的に検証してからにすべきでは?」
「幸福の科学は間違いないと思います。伝道します」
「幸福の科学を正しいと信じるのは自由だが、〜」(以下略)

よしもんさんは、「伝道する前に、その宗教におかしなところがないかを客観的に検証をする責任がある」という意見について、どう考えているんでしょうか。
「自分は幸福の科学は正しいと信じている。伝道する前に、幸福の科学の正しさについて、改めて客観的に検証しなければならぬという必要性は感じない」という意見でしょうか。
わたしは意見交換はしても、他人の思いと行動に、ああしろこうしろと指図する気はないので、それならそれで構わないのですけど……。

>私も最初から、大川先生の教えのすべてを受け入れていたわけでは
>ありません。「愛から祈りへ」という詩篇の経典があるのですが、
>あれはどうも受け付けなかったですね。でも、すこしずつ、空白部分を
>埋めるように努力していきました。なかなか自分を変えるというのは
>難しいものです。でも、信仰が、それを突破するのです。

◎信仰に関する部分だけを見れば、今まで受け入れられなかったことを受け入れられるようになったという面はあるでしょう。
でもね、もっと大きな視点から見れば、HS信仰が強まるほどに、HS批判からは目をそむけることが多くなりがちなものです。よしもんさんにはそういう傾向はありませんか。
これをして、人は信仰によって、見たいものの趣味は変わっても、見たいものを見るという性質は変わらないし、むしろその性質はより強固なものになるといっているわけです。

>殉教というものは、自分の信念を貫くだけだと思います。死後の行き先
>とか、地上の権威とか、あまり関係ないような気がするのですが。

◎死後の行き先が出てきたのは、よしもんさんが>>582で、殉教と死後の生に触れたからですよ。
また地上の権威というのは、生き神様や教団のことです。地上の権威を批判というのは、生き神様や教団ではなく、天上の神に従うということです。
早い話が、HS信者と、HS退会アンチのことを言ってます。

588タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/15(月) 21:40:45 ID:eATZr/6I
180 名前:よしもん ◆JIBI0e8P7s [] 投稿日:2010/11/15(月) 19:41:51 ID:LtJcOsPb
>>168
続きます。

私は、入会当時から、ネットをやっていたので、幸福の科学で
検索しては、アンチの方々の意見を見ていた。
アンチの意見も、10年前からあまり進化しているようには
見えない。基本的に一緒だ。
ただ、会の運営には様々な問題はあると思っている。
その中で、傷つかれた方もおられることを知っている。
職員、リーダー会員の心ない言葉もあったと思う。しかし、それは
必ず反省のときがくる。幸福の科学の職員、会員が必ず天国に
還ると思ったら大間違いだ。私とて、天国に還れる保障はない。
でも、法の核心に迫る批判はいまだかつて聞いたことはない。
まあ、せいぜい、旧版と新版の矛盾、既成宗教との矛盾、
あとはゴシップ、このくらいだ。
だいたい、何かを比較して、矛盾をついてくるのがアンチの特徴だ。
それも、重箱の隅をつつくような矛盾だ。
新たな仏陀が誕生した今、それをスタンダードとすればそれでいい
のではないのだろうか。
--------------------------------------------------------------------

できれば、なにをもってして「法の核心」とするのか、ちょい詳しく説明してほしいですね。

589よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/16(火) 12:56:48 ID:ZPdJL1xk
>>587

>よしもんさんは、「伝道する前に、その宗教におかしなところがない>かを客観的に検証をする責任がある」という意見について、どう考え>ているんでしょうか。

それは大事だと思います。私は確信をして、会員になって伝道を
しようとしているのです。
批判には耳を傾けてますよ。でも、どの批判も正当性がないです。
小さな矛盾を突くか、ゴシップか、どちらかしかないように思えます。
私からすると、幸福の科学におかしい点は現在のところ、
見当たりません。

>HS信仰が強まるほどに、HS批判からは目をそむけることが多くなりが>ちなものです。よしもんさんにはそういう傾向はありませんか。

ないですね。でなければ、2ちゃんねるに出没しません。
目を背けたければ掲示板等の情報をシャットアウトすればいいだけ
ですから。それで、支部のイイシラセだけを見ていればいいのですから。

あと、死後の行き先ですが、これは、心の中そのものだと思って
います。心が汚れていれば、汚れた世界に行きますし、
心清ければ、清い世界に行きます。心が愛に満たされていれば、
愛に満ちた世界に還りますし、憎悪で満たされていれば、憎悪の
世界に赴きます。

590よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/16(火) 13:02:22 ID:ZPdJL1xk
>>588

タムさん

>できれば、なにをもってして「法の核心」とするのか、ちょい詳しく>説明してほしいですね。

幸福の科学の基本教義は、「正しき心の探究」です。
その具体的な教えが幸福の原理、愛、知、反省、発展の四正道です。
その教えは、愛、悟り、ユートピア建設へと展開されていきます。

これが、法の根幹です。この基本教義をさらに、詳しく、様々な
角度で説かれたのが、数ある経典、ご法話です。幸福実現党の
政治提言なども、この基本教義を政治に展開した内容になっている
はずです。

591タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/16(火) 19:57:41 ID:eATZr/6I
>>589
>批判には耳を傾けてますよ。でも、どの批判も正当性がないです。
>小さな矛盾を突くか、ゴシップか、どちらかしかないように思えます。

◎よしもんさん的には、批判に耳を傾けているということですね。
わたしの方から見ると、正直にいって、そうは見えてなかったりします。
たとえば、よしもんさんは、批判に対して、客観的な論理で返答するというよりも、
「信仰です」「言葉遣いが悪くて読む気になりません」ということが多いようです。
今回の「正当性がない」「小さな矛盾」というのも、なぜそうなのかの証明なしに、
よしもんさんの主観的な印象を語っているだけでしょう。
「ゴシップ」というのは、おそらくファルコン告発などについていっているのでしょうけど、
ファルコン告発がただのデマ、うそであると論証なしに、「ゴシップ」と決め付けても
それは批判にまじめに耳を傾け、答えたことにはならないかと……。


>私からすると、幸福の科学におかしい点は現在のところ、
>見当たりません。

◎はい。熱心な信者さんからみたら、幸福の科学におかしい点が見つからないのは
当然です。今、論点になっているのは、信者である自分からみてどうかではなく、
信仰から離れて客観的に検証したらどうかということかと思います。


>>HS信仰が強まるほどに、HS批判からは目をそむけることが多くなりが
>>ちなものです。よしもんさんにはそういう傾向はありませんか。

>ないですね。でなければ、2ちゃんねるに出没しません。
>目を背けたければ掲示板等の情報をシャットアウトすればいいだけ
>ですから。それで、支部のイイシラセだけを見ていればいいのですから。

◎「HS批判から目をそむける」というのは、2ちゃんのHS批判を読まないというだけ
でないです。HS批判を読んでも、「正当性がない」「ゴシップだ」「瑣末な問題にすぎな
い」などと客観的な検証もなしに決め付けて、まともにとりあわないことも、当然に含ん
でます。
よしもんさんは、これにくわえて、アンチに問い詰められると「信仰です」で終いにしたり、
ひたすら自分の信仰告白と、HSの宣伝を連投することが多すぎるように見えます。

592タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/16(火) 20:07:15 ID:eATZr/6I
>>590
なるほど。
よしもんさんの考える法の根幹とは、「正しき心の探求」であり、その次が「四正道」
なわけですね。

わたしはまた、昔だったらそれで正解かもしれないが、今は、HSでもっとも重要なのは、
エルカンターレ信仰だろうと思ってました。
エルカンターレ信仰があってこそ、「正しき心の探求」……いわば神の心の探求ができる
のだろうから。

よしもんさん的には、エルカンターレ信仰よりも、正しき心の探求が優先事項になるの
でしょうか。

593よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/17(水) 12:56:32 ID:ZPdJL1xk
>>591

タムさん

最終的には、大川先生を信じるか、ファルコン氏をはじめ、
元大川総裁側近のお話しを信じるか、どちらかしかないですよね。

でも、たとえば、アイマイミーさん、この人は、したらばで、
私を速攻で工作員認定されましたよね。ご自身のブログで、
強烈な批判を書かれていました。私も正直驚きました。
私が工作員でないことは私が一番よく知っています。

ファルコン氏、この方の文章を読んでいると、正直、ちょっと
気持ちが悪くなってくるのです。ちょっと見るに耐えない、
という感じです。家畜に鬼畜、下劣な言葉のオンパレードです。
「デパス大川」はないだろう、と思いましたよ。
デパスを飲んでらっしゃる方の人権侵害ですよ。なぜ、こんな人の
言うことに、耳を傾けなければならないのでしょうか。

タムさんのように、紳士的に批判される場合は、私も答えよう、
という気が起こりますが、批判の根拠に、アイマイミーさんの言とか、
ファルコン告発を持ってこられたら、もう、どうしようも
ありません。
私は大川先生を信じています、としか言いようがないじゃないですか。

私はそう思っています。

594よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/17(水) 13:05:52 ID:ZPdJL1xk
>>592

タムさん

「正しき心の探究」とエル・カンターレ信仰ですね。
これは、大事なことですので、2ちゃんねるでも語らないと
いけないですね。

「正しき心の探究」というのは、別に、どの宗教でもいいんです。
仏法真理を説いている宗教ならできることなんです。

しかし、エル・カンターレ信仰は違います。
エル・カンターレが、地球系霊団の最高指導霊であり、
至高神、神々の主であり、
エル・カンターレが地球における最高の権限を持っている、
という絶対の信仰が求められます。

エル・カンターレ信仰においては、イエス・キリストは、
エル・カンターレの指導を受ける立場であるし、釈迦も、
エル・カンターレの分身にしかすぎません。

ということで、これは優先順位としたら、当然、エル・カンターレ
信仰がまず先にあってしかるべきなのですが、方便としてまず、
真理を学び、エル・カンターレ信仰へと昇華していく、ということ
もあると思います。
すっと、エル・カンターレ信仰に入れれば、それがベストです。

595タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/17(水) 19:26:12 ID:eATZr/6I
>>593
>最終的には、大川先生を信じるか、ファルコン氏をはじめ、
>元大川総裁側近のお話しを信じるか、どちらかしかないですよね。

◎わたしはどちらも信じ切れないという立場かな。わたしは仏陀の悟りを
得ていないから大川総裁が仏陀の悟りを得ているかどうか判定のしよう
がない。
またファルコン告発の真偽を判定する材料をもたないから、その真偽は
わからない。
結論としては、信じることもなく、信じないこともなく、わからないというとこ
ろかな。

>ファルコン氏、この方の文章を読んでいると、正直、ちょっと
>気持ちが悪くなってくるのです。ちょっと見るに耐えない、
>という感じです。

◎信者さんであればそうかもしれませんな。そのあたりは責任感とか、
使命感、義務感とかで立ち向かうしかないのかも。

>批判の根拠に、アイマイミーさんの言とか、
>ファルコン告発を持ってこられたら、もう、どうしようも
>ありません。
>私は大川先生を信じています、としか言いようがないじゃないですか。

◎一般人への伝道でなく、アンチの批判に対してはそれでいいかもしれま
せんね。
ただ、過去には、ファルコン告発に対して、信者さんらは「嘘だ、大川総裁
を信じる」と反発していたものの、その後、ファルコン告発が正しかったと
いうことがちょくちょくあったということは情報として知っておいた方がいいです。
ファルコン告発の中には、事実と確定されたものがちょくちょくあるんです。

596タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/17(水) 19:36:41 ID:eATZr/6I
>>594
もうちょい踏み込んで、質問してもいいでしょうか。

今、エルカンターレは、天上界と地上に存在してますよね。
エルカンターレ信仰は、天上界に残っているエルカンターレに向かうのでしょうか、
それとも、地上に降りたエルカンターレ本体に対して向けるものでしょうか?
はたまた両方に対してでしょうか。

それから、エルカンターレの能力についてですが、今のHSでは次のうち、どちらが主流になってますか。
①天上界にあるエルカンターレは全知全能である。地上に降りた大川隆法総裁も全知全能である。
②天上界にあるエルカンターレは全知全能である。しかし大川隆法総裁は三次元的肉体的制約があり全知全能ではない。

以上、質問は二つです。

597よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/18(木) 20:15:29 ID:ZPdJL1xk
>>595

タムさん

ファルコン告発の中で書かれていることがすべてウソとは、
私も言いません。でも、事実を、ありのままの事実として、
客観的に書かれているかどうかは大いに疑問があります。
私は、事実であっても相当、悪意をまぜていると思います。
それに対して、幸福の科学を批判したい、という人と気持ちが
同調して、あたかもそれが本質であるかのような錯覚を
覚えさせるのだと思います。
私は思うのですが、なんで、大川先生がデパスを飲んでいる、
という話題に対し、「以後、デパス大川と呼びます」というような
余計なことを言うのでしょうか。ただ、デパスを飲んでいる、
という事実のみを公表するだけでいいじゃないですか。
やはり、そこに私は悪意を感じますね。

598よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/18(木) 20:26:17 ID:ZPdJL1xk
>>596

タムさん

>今、エルカンターレは、天上界と地上に存在してますよね。
>エルカンターレ信仰は、天上界に残っているエルカンターレに
>向かうのでしょうか、
>それとも、地上に降りたエルカンターレ本体に対して向けるもの
>でしょうか?
>はたまた両方に対してでしょうか。

エル・カンターレはエル・カンターレです。大川総裁と呼ばれている
肉体は、ただの人間です。
大川総裁の「心」「思い」「理想」こそ、エル・カンターレなので
あり、大川総裁の心の部分で、天上界のエル・カンターレと一体と
なっている、とお考え頂きたいと思います。
ただ、おっしゃるとおり、ややこしいです。本当は、エル・カンターレ
信仰というのは、大川総裁帰天後に立ち上がってくるものなのです。
幸福の科学は、総裁在世中に世界宗教を目指していますので、
早々とエル・カンターレ信仰を立ち上げているのです。

>それから、エルカンターレの能力についてですが、今のHSでは
>次のうち、どちらが主流になってますか。
>①天上界にあるエルカンターレは全知全能である。地上に降りた
>大川隆法総裁も全知全能である。
>②天上界にあるエルカンターレは全知全能である。しかし
>大川隆法総裁は三次元的肉体的制約があり全知全能ではない。

②ですね。どちらが主流というものではないです。
エル・カンターレの魂と言えど、肉体に宿ることによって、
相当パワーが落ちているはずです。それでも、私たちと比べれば、
スーパーパワーなのですが。
とはいえ、エル・カンターレは私たちの目では見えませんし、
その教えを聞くことができません。そのために、肉体に宿って、
教えを地上世界に降ろすのです。

599タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/20(土) 07:58:07 ID:eATZr/6I
>>597
◎前にも書いたと思うけれども、ファルコン告発は、信者による酷い誹謗中傷を
あびながら、書かれたものなんだよね。そのために、言葉使いが荒くなる傾向
はあるかもしれない。折を見て、過去ログを確認すればいいよ。


>>598
>大川総裁の心の部分で、天上界のエル・カンターレと一体と
>なっている、とお考え頂きたいと思います。

◎大川総裁の考えはエル・カンターレの考えだと受け止めました。


>②ですね。どちらが主流というものではないです。
>エル・カンターレの魂と言えど、肉体に宿ることによって、
>相当パワーが落ちているはずです。

◎やっぱり②ですか。②は矛盾してるんですよね。
全能というのは、いつでもどこでも全能のはずです。
エル・カンターレは天上界では全能だけども、肉体に宿ったらパワーが落ちて、全能
ではなくなるというのであれば、もともとエル・カンターレは、全能ではないということ
になるかと思います。

600タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/20(土) 08:42:07 ID:eATZr/6I
ここらで、無理やり、話を戻します。(笑)
どこまで戻すかというと、「法の核心に迫る批判はいまだかつて聞いたことはない。(>>588)」までです。

ここまでのやりとりでわかったのは、法の核心というのは、結局のところ、信仰のことだということ。

法の核心というのは、「主エル・カンターレは正しい、主エル・カンターレの説く法は正しい」という信仰だろうし、一心にエル・カンターレを信じる心を揺さぶることは、どんな批判によっても不可能。

論理である批判が、論理ではない信仰に影響を及ぼすことは甚だ困難であるし、また、事実を提示した批判が、事実ではないことを信じる信仰に打撃を与えることも少ない。

「法の核心に迫る批判はいまだかつて聞いたことはない。(>>588)」という言葉は、現実に法の核心に迫る批判がないというよりも、信仰は論理や事実による干渉は受け付けないということを如実に示した言葉であると思う。


ついでに、正しき心の探求と四正道について……。これらの根底にあるのは、正邪善悪を分かつということなんですよね。
・悪しき心ではなく、正しき心を目指す、
・奪う愛ではなく、与える愛を選ぶ、
・唯物論的知識ではなく、霊的人生観に基づく知を獲得する、
・他者のせいにするのではなく、自己責任として反省する、
・この世的成功だけでなく、この世とあの世を貫く成功、発展をとげる……
簡単にいえば、悪から離れ、善を取ることをすすめてる。

ところが、釈尊は二千年以上も前に、悪を捨て、善をとることを批判してる。
「五二〇 安らぎに帰して、善悪を捨て去り、塵を離れ、この世とかの世とを知り、生と死とを超越した人、――このような人がまさにその故に〈道の人〉と呼ばれる。」(『ブッダのことば-スッタニパータ-』岩波文庫)
「七一五 (輪廻の)流れを断ち切った修行僧には執着が存在しない。なすべき(善)となすべからざる(悪)とを捨て去っていて、かれには煩悶が存在しない。」(同上)

また、同書の註にはこうある。
「善をも悪をもなさず、善悪を超越するのが聖者(ムニ)の理想であった。善だけをなすというのではないのである。」

大川総裁は、正邪善悪を分かち、正、善を選ぶことを強調する。
釈尊は、正邪善悪を分かつことでなく、どちらをも超越することを説いている。
おそらく、思想的な深さ、高さは、釈尊の方が圧倒的なものがあるし、この思想は、正邪善悪の区分に執着する正しき心の探求や四正道に対する強烈な批判になるかと思う。

601よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/22(月) 22:04:38 ID:ZPdJL1xk
>>599

タムさん

>ファルコン告発は、信者による酷い誹謗中傷を
>あびながら、書かれたものなんだよね。そのために、
>言葉使いが荒くなる傾向はあるかもしれない。

荒くなる、というレベルには思えませんでした。私には。
気分が悪くなるので、あまり見てないんですけど、ちょっと
見た範囲で、家畜に鬼畜、ぶんなぐったろか、デパス大川・・・
なぜ、このような言葉使いをする人の言葉を信じるか。
私にはわかりません。
私も熱くなることはありますが、ここまでひどい言葉は決して
使いません。

あと、主、エル・カンターレの全知全能の件ですね。
これは、地上世界で、エル・カンターレの力を開放してしまうと、
地上世界のルールが壊れてしまう、ということです。
地上世界は、霊界のルールを弱めています。なぜかといえば、
そこが、魂修行の場であるからです。霊界の自由自在性や、
霊の持つ創造力、念っただけで現れる力、というものが相当、
弱められています。これは、エル・カンターレであっても
同様です。簡単に言ってしまうと、肉体に宿り、物質世界に生きる、
ということは、それだけ厳しい修行なのです。

602よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/22(月) 22:16:49 ID:ZPdJL1xk
>>600

タムさん

法の核心についてですね。

タムさんが書いてくださった下記の教え、これですね。

・悪しき心ではなく、正しき心を目指す、
・奪う愛ではなく、与える愛を選ぶ、
・唯物論的知識ではなく、霊的人生観に基づく知を獲得する、
・他者のせいにするのではなく、自己責任として反省する、
・この世的成功だけでなく、この世とあの世を貫く成功、
 発展をとげる……

うん、私にはピタっときますね。これですよ。どうですか、
タムさん、これ、間違ってますか?

>ところが、釈尊は二千年以上も前に、悪を捨て、善をとることを
>批判してる。

これは、本当のことでしょうか。釈迦の最後の言葉は、こうでした。
「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を
完成させよ。」太陽の法より

ここから、善悪を超越せよ、とは読み取れません。仏典には、
くどいほど、不放逸、不放逸、と書かれています。
これは、とりもなおさず、タムさんが書いてくださった、上記の
幸福の科学の教えとぴったり一致する、と私は思うのです。

603タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/23(火) 19:37:08 ID:eATZr/6I
>>601
>荒くなる、というレベルには思えませんでした。私には。
>気分が悪くなるので、あまり見てないんですけど、ちょっと
>見た範囲で、家畜に鬼畜、ぶんなぐったろか、デパス大川・・・
>なぜ、このような言葉使いをする人の言葉を信じるか。
>私にはわかりません。
>私も熱くなることはありますが、ここまでひどい言葉は決して
>使いません。

◎読めないなら仕方ないですね。
あと、ファルコン氏の言葉を信じるか、信じないかというよりも、
その内容を検証しようという姿勢が大事かと思います。


>あと、主、エル・カンターレの全知全能の件ですね。
>これは、地上世界で、エル・カンターレの力を開放してしまうと、
>地上世界のルールが壊れてしまう、ということです。

>霊界の自由自在性や、
>霊の持つ創造力、念っただけで現れる力、というものが相当、
>弱められています。これは、エル・カンターレであっても
>同様です。

◎主エル・カンターレは、地上世界のルールを壊さずに、
力を解き放つことができないし、地上ではその力を弱められて
しまうということですね。
やっぱり、主エルカンターレは全能ではないみたいですね。
全能ではないとすると、神とか、絶対者とはいえないです。

604タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/23(火) 19:50:41 ID:eATZr/6I
>>602
>・悪しき心ではなく、正しき心を目指す、
>・奪う愛ではなく、与える愛を選ぶ、
>・唯物論的知識ではなく、霊的人生観に基づく知を獲得する、
>・他者のせいにするのではなく、自己責任として反省する、
>・この世的成功だけでなく、この世とあの世を貫く成功、
> 発展をとげる……

>うん、私にはピタっときますね。これですよ。どうですか、
>タムさん、これ、間違ってますか?

◎正しいとか、間違っているとかいうよりも、ざっくり言って、
これは一つの主義であり、一つの価値観によるものだから、
普遍的な価値は持たないでしょう。


>>ところが、釈尊は二千年以上も前に、悪を捨て、善をとることを
>>批判してる。

>これは、本当のことでしょうか。釈迦の最後の言葉は、こうでした。
>「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を
>完成させよ。」太陽の法より

>ここから、善悪を超越せよ、とは読み取れません。仏典には、
>くどいほど、不放逸、不放逸、と書かれています。
>これは、とりもなおさず、タムさんが書いてくださった、上記の
>幸福の科学の教えとぴったり一致する、と私は思うのです。

◎自分の見立てだと、釈尊の教えと、大川さんの教えとは、まるで
正反対のものです。
たとえば釈尊は無執着と解脱を説く。だから悪からも善からも離れ、
この世もあの世も超えよという。自説は正しいとして、やたらと
自己主張することを戒めたりもする。
大川さんは、自分は正しいと繰り返し、他宗教をやたらと非難する。
悪を捨て善を取れと説き、何が善であるかは自分が決めるという。
あの世を超えることではなく、あの世での階層を上がることを尊ん
でいる。
どっからどう見ても、両者の教えはまったく違うでしょう。

605よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/23(火) 23:28:11 ID:ZPdJL1xk
>>603

タムさん

私はちらっとファルコン告発というものを見ましたが、その、
ちらっと見ただけでも、言葉が相当乱れていました。
タムさんは相当、読んでおられると思うのですが、やはり、
そういう、家畜に鬼畜、デパス大川のたぐいの言葉使いを全体に
わたって使っておられるのでしょうか。

あと、全知全能の件については、たとえば、地上に降臨した
救世主、イエス・キリストもまた、十字架にかかってしまいました。
タムさんは、イエス・キリストも、救世主とはみなされない
でしょうか。

606よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/23(火) 23:36:19 ID:ZPdJL1xk
>>604

タムさん

>◎正しいとか、間違っているとかいうよりも、ざっくり言って、
>これは一つの主義であり、一つの価値観によるものだから、
>普遍的な価値は持たないでしょう。

したらば時代にアイマイミーさんも同じことをおっしゃっていました。
私はそのことについて再質問しようと思ったのですが、速攻で
工作員にされてしまい、切られてしまったので質問できていない
のですが、教義というものは、主義や価値観とは違うものなので
しょうか。
とすると、どういったものが普遍的な教義になりうるのでしょうか。
そういう普遍的な教義を持った宗教があったら、教えてください。

>◎自分の見立てだと、釈尊の教えと、大川さんの教えとは、まるで
>正反対のものです。
>たとえば釈尊は無執着と解脱を説く。だから悪からも善からも離れ、
>この世もあの世も超えよという。

無執着と解脱というのは、幸福の科学で言えば、正しき心の探究、
その中でも、知と反省の原理によって、到達するものでは
ないでしょうか。
悪を去り、善を選び取っていく中に、解脱への道が開かれるのだと
思っています。

607タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/24(水) 18:51:37 ID:eATZr/6I
>>605
これまでのやりとりからすると、ファルコン告発の言葉遣いについては、
これ以上、話しても、あんまり意味ないかもしれません。わたしと、
よしもんさんとでは、言葉の感覚が違うようですから。
こっちが「問題なし」としたところで、よしもんさんは「問題ありで、
とても読めない」とすることの繰り返しになるだけかと。

イエスについては、わたしはイエスは救世主だとか、救世主でないとか、
さほど考えませんね。十字架にかけられたから救世主とみなさない
とも考えないです。


>>606
>教義というものは、主義や価値観とは違うものなので
>しょうか。

◎似たようなものだと思います。


>どういったものが普遍的な教義になりうるのでしょうか。

◎教義は、主義や価値観みたいなものだから、普遍とはならない
でしょう。


>普遍的な教義を持った宗教があったら、教えてください。

◎客観的な事実から出発し、対象を決して価値評価しないと
いう宗教が存在するなら、それがそうでしょう。


>無執着と解脱というのは、幸福の科学で言えば、正しき心の探究、
>その中でも、知と反省の原理によって、到達するものでは
>ないでしょうか。

◎それは無理っぽい。
HSでは、信仰は絶対に手放してはいけないものなのでしょう。
あの世は確固として実在し、霊的人生観を堅持しなければなら
ないのでしょう。
釈迦説は、それとは反対に、信仰や法を捨てよと説くし、
また解脱すれば、この世からも、あの世からも離れ、在るのでも
なく、無いのでもないようになるそうですから。
両者はまったくの別物ですね。

608よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/24(水) 19:49:04 ID:ZPdJL1xk
>>608

タムさん

ファルコン告発の件、了解致しました。

>イエスについては、わたしはイエスは救世主だとか、
>救世主でないとか、
>さほど考えませんね。十字架にかけられたから救世主とみなさない
>とも考えないです。

ということは、主、エル・カンターレも、この世では全知全能でない
ことをもって、救世主であるかどうかは考えない、ということ
でしたでしょうか。また、選挙で大敗したことをもって、救世主とは
みなさない、と考えないでしょうか。

>>普遍的な教義を持った宗教があったら、教えてください。
>◎客観的な事実から出発し、対象を決して価値評価しないと
>いう宗教が存在するなら、それがそうでしょう。

それは、科学技術信仰でしょうか。それとも拝金主義でしょうか。
客観的な事実から出発する宗教ってちょっと考えられないのですが。
タムさんは、何か信仰をお持ちでしたでしょうか。

お気を悪くされたらすいません。もし、よろしければ、教えて
頂ければ幸いです。

609タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/24(水) 20:02:42 ID:eATZr/6I
>>608
大川総裁の場合は、選挙で大勝利するといって、大敗北したでしょう。
また今世紀中に日本人全員を会員にしてみせるといって、できなかったでしょう。
「こうする」といってできなかったのだから、全能ではないとするのが自然な見方でしょう。

イエスの場合は、十字架にかけられて後に復活するという予言の通りになったのだから、
神の全能さはますます強化されたということになるのではないでしょうか。

あと、わたしには、「これを信じる!」という宗教、主義、思想などはないですよ。
ついでにいうと、「これは絶対に信じない!」というのも、ないような気がする。

610よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/25(木) 12:40:57 ID:ZPdJL1xk
>>609

やはり、宗教的予言というのは、どうしても、この世的には時間が
ずれてしまう、特に、10年後に起こることが、明日起こる、
というように見えてしまう、ということがあると私は思っています。

タムさんは、信仰をお持ちでないですか。では、何を心のよりどころ
として生きていかれるのでしょうか。特に、人生最大の逆境にあって
どういう判断をされるのでしょうか。

人間はやがて死にますが、もし、魂が存在していて、死後も、
自分の意識があったら、どうされますでしょうか?

611タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/25(木) 20:25:20 ID:eATZr/6I
>>610

そういえば、HSでは、予言の時期がずれることもあるとかいいますね。
でも、世間的には、時期を確定できないのであれば、それは予言とは
いえないかもしれないですね。たとえばさ、「日本に大地震が来る」という
ような類の予言は、時期を確定しないなら、そのうち当たることになるからね。
こんなの予言と認める人は少ないでしょう。

わたしが信仰は持ってないというのは、特定の宗教を信じきってはいない
という程度の話ですよ。どっかの宗教教義を信奉したり、そこの神様ばかり
を特別に拝むことはないというようなこと……。

とはいえ、どちらかというと、自分を守ってくれている存在を感じるとか、
その手の感覚は、結構、強い方ではないかと、自分では思います。
「何事のおわしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼれる」というのも、
わかるような気がするし。

逆境うんぬんについては、そのときにならなくちゃ分からないですね。ただ、
良心に思い切り逆らうということはないでしょうね。それをすると、結果が良かれ、
悪しかれ、気分が悪くなるのは経験上、わかりきってることですから。

死後にも自分の意識があったらどうするかについては、きっと、「おお、霊界って
あるんだな」と思ういますよ。唯物論、唯心論、それから唯霊論……どれが本当だ
と信じているわけでもないので、死後の生があっても、なくても、さほどショックは
ないかと思います。

612よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/26(金) 00:46:47 ID:ZPdJL1xk
>>611

タムさん

では、万が一、幸福の科学の言っていることが本当のことで、
死んで魂になった後、エル・カンターレが地球の至高神であったら
どうされますでしょうか。

613タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/26(金) 21:13:31 ID:eATZr/6I
>>612
「おお、本物だったか!」と思いますよ。

でも、その問いは、今となっては空しい気がしますよ。

天上のエルカンターレは全知全能で、地上の大川総裁は全知全能ではないのでしょう。
ということは、地上の大川総裁が何を説いたにしても、それは大川総裁の限られた認識力
の範囲内でわかったことにすぎないってことです。
大霊界という大海原のうちの、一滴について語ったにすぎないってことです。
大川総裁に帰依しなくても、天上のエルカンターレの手の平の上に、ちょこんと、のせられて
いる可能性が高いということです。

天上のエルカンターレは全知全能で、地上の大川総裁は全知全能ではないというのは、
 天上のエルカンターレ>>>>>越えられない壁>>>>>地上の大川総裁
ということになるから、強いて大川総裁を信じ、帰依しなければならないということも
なくなるってことです。
全知全能と、そうでないものとでは、人間と蟻よりも、もっともっと大きな差がありますから。

こう考えると、「大川総裁の説くことが本当だったら?」という問いは、大川総裁は全知全能
であるという前提に立った上でないと空しいよ。

614よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/27(土) 00:05:14 ID:ZPdJL1xk
>>613

主、エル・カンターレというのは、人間の目に見えるものでは
ありません。
そのために、その魂が肉体に宿って、地上の人間に主の教えを
人間の言葉で説くわけです。
でも、ここで、信じることは難しいのです。なぜか。
それは、地上に使わされた、エル・カンターレは、肉体に宿る
ことによって、私たちと外見はほとんど変わらないからです。
だから、聖書にもよく書かれているとおり、「つまづく」のです。
信じることが難しい、この地上世界の中にあって、信仰をとること
が、とても価値を持つのです。目で見て確認ができるものを
信じる、と言ったって、尊くもなにもないですよ。
信仰者としての誇りもないですよ。
ですので、再誕の仏陀、救世主への信仰をもてなかった、ということは
悔いても悔やみきれないほどの後悔を残すのです。

615タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/27(土) 07:36:30 ID:eATZr/6I
その主張も、今となっては空しいと思います。

よしもんさんによれば、天上のエルカンターレは全知全能だが、
地上の大川総裁は全知全能ではないのでしょう。ということは、
大川総裁は、天上のエルカンターレの御心を百パーセント体現
しているとは必ずしもいえないことであり、大川総裁を信じる
ことが、そのまま天上のエルカンターレを信じることになる
とは限らないということですよ。
むしろ、大川総裁を信じないことが、天上のエルカンターレを
信じることになる場合が少なくないということにもなりえる。
こういう状況からは、大川総裁を信じないことが後悔につながる
という考え方は説得力に乏しくなります。

それから、天上のエルカンターレは目に見えず、よくわからない
が、肉体を持つ大川総裁を信じることはできるというのは、
ある種の唯物論信仰といえなくもないです。目に見えない、物質
ではない、天上の高次なる存在を直接信じるのではなく、目に見
える、肉体を持つ大川総裁を介して信仰するのだから、そういわ
れても仕方ないでしょう。
この点から見ても、肉体を持つ大川総裁を信じないで、天上の
エルカンターレを信じるというのは、唯物論の影響から抜け出し、
より純粋な信仰に近いことであり、より正しいといえなくもない。

聖書について言えば、よくあるのはこういう流れですよ。
・人が神に神である証を求める。
・神は奇跡を見せる。
・人は神だと信じるが、そのうちに信じなくなる。
・そこで神は再び奇跡を見せる。
・人は神を信じるが、また信じなくなる。
・神は再々奇跡を見せる。
・人は神を信じるが〜
こういうことが延々と繰り返されている。神様は忍耐強く、決して
人を見捨てずにいてくださるという話。
聖書の神は、目で見てわかる奇跡をあらわしてくれる神だから、
HS正当化のために聖書を引っ張り出すのは得策ではないと思います。

616タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/27(土) 07:53:48 ID:eATZr/6I
それにしても、信者さんらの発言を見ていると、
・大川総裁を完全無欠の全知全能かのごとくに崇拝、信仰している人、
・大川総裁を全知全能ではなく、不完全として、その背後にある天上のエルカンターレを信仰するという人、
・大川総裁と天上のエルカンターレは必ずしもイコールではないとしながらも、大川総裁と天上のエルカンターレをともに信じるという人、
……いろいろですね。

HSでは、信仰が大切だ、信仰を持たなくてはならないと説くけれども、
その信仰とは何であるかは、きちんと説明されていないのだろうか。
信仰の定義もせずに、信仰が大切だ、信仰を持てと強弁したところで、
空しい気がする。

617タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/27(土) 08:05:25 ID:eATZr/6I
>>615
大川総裁を否定することが、天上のエルカンターレを信じることにつながる
ということの、一つの例は、レムリア・ルネッサンスですな。(笑)

五次元文庫から出てるアマーリエさんの著作を見ると、大川総裁の著作よりも、
はるかに文章が丁寧で、きれいで、波動が整えられていて、より精神的である。
アマーリエさんの本と比較すると、大川総裁の本の波動はあらあらしく、乱れてい
て、かなり物質的である。

言葉はきれいでなければならないという基準と、
天上のエルカンターレは全能だが、地上の大川総裁はそうではないという見方
からすると、レムリア・ルネッサンスとアマーリエさんを否定するのは、困難にな
ってしまいそうですね。

618よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/27(土) 12:45:10 ID:ZPdJL1xk
>>615

本仏、主、エル・カンターレが霊天上界におられ、地上世界には、
エル・カンターレが地上世界に投影された大川隆法先生という
存在がおられ、そして、エル・カンターレ像、ご本尊という、
これも、「モノ」ではありますが、エル・カンターレを象徴
したものがあります。
そのいずれに向けて、祈りを捧げても、最終的には、天上界の
主、エル・カンターレに届きます。
また、天上界の主、エル・カンターレのみを信じ、
地上に現れた、エル・カンターレの地上世界における表現形式
であるところの、仏陀、大川隆法先生、そして、その教え、経典、
ご法話、そして、仏の創りし、仏法真理の伝道機関、すなわち
幸福の科学、仏法真理を政治に展開した幸福実現党、そして、
主、エル・カンターレより下賜を許された、エル・カンターレを
象徴したご本尊、いずれも、主、エル・カンターレへとつながる
尊いものです。
ですので、天上界のエル・カンターレを信じるけど、地上世界の
エル・カンターレを信じない、というのは、よしもんの心は
認めるが、肉体人間のよしもんは信じない、肉体人間のよしもんを
信じることは、唯物論につながる、と言っているのと一緒です。
肉体人間よしもんなくば、よしもんの心が地上世界で表現できません。
なので、肉体も心も、よしもんを象徴するよしもんの掲示板に
おける発言、いずれも、よしもんです。どれもよしもんに通じます。
長文失礼致しました。

619よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/27(土) 12:52:27 ID:ZPdJL1xk
>>615

タムさん

>聖書について言えば、よくあるのはこういう流れですよ。
>・人が神に神である証を求める。
>・神は奇跡を見せる。
>・人は神だと信じるが、そのうちに信じなくなる。
>・そこで神は再び奇跡を見せる。
>・人は神を信じるが、また信じなくなる。
>・神は再々奇跡を見せる。
>・人は神を信じるが〜
>こういうことが延々と繰り返されている。神様は忍耐強く、決して
>人を見捨てずにいてくださるという話。
>聖書の神は、目で見てわかる奇跡をあらわしてくれる神だから、
>HS正当化のために聖書を引っ張り出すのは得策ではないと思います。

幸福の科学も一緒です。大川先生は、現代における奇跡、すなわち
霊界存在の証明、というものを、霊言という形で現そう、と
お考えになられました。
かつての救世主が行われていたような、水をぶどう酒に変えるとか、
死人を蘇らせるとか、パンをちぎって5000人に分け与えるとか、
それもすごいのですが、それは、あまり、真理の学習には
つながらないです。
霊言という形で録音し、人間の限界を超えたスピード、量、質で
書籍として発刊することで、霊界存在の証明とともに、書籍に
なったことによって、私たちが、反復して学習ができるということ、
また、後世においても、学習材料として提供できるということ、
幸福の科学の奇跡は、ここに重点を置いています。

620よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/27(土) 12:59:05 ID:ZPdJL1xk
>>617

レムリア・ルネッサンスの件、私は、この団体の教えとか、書籍とか
読んだことがないのですが、この団体は、幸福の科学の分派的
活動である、と聞いています。幸福の科学の見解としては、
総裁在世中に、このような分派を作ることは許さない、という
ことでしたので、私もその考えを支持します。
言葉使いを正す、というのは、2ちゃんねる掲示板の荒廃に
見るに見かねて私が発言した内容です。
かりそめにも、この世的に組織的に活動し、書籍を出すからには、
それは言葉使いに注意しないといけないでしょう。
しかし、実を言うと、本当に大事なのは、やはり、心が整っているか、
その念いが仏のほうに向いているか、ということです。

621タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/27(土) 19:53:28 ID:eATZr/6I
>>618
エルカンターレ像などを拝むと、天上のエルカンターレに届くと
いうのは、かなり物質的ですね。エルカンターレ像に光が降りて
くるとかいうのも、かなり物質的な考え方。
精神重視ならば、エルカンターレ像があろうがなかろうが、心が
天上のエルカンターレに向いたなら、祈りが届き、その心境に応
じて光が降りてくるという風になるかと思います。

天上界のエルカンターレを信じるが、地上の大川総裁を信じない
というのは、図であらわせば、わかりやすいかもしれません。
まずは大きい円を描いて、その中心に、大きい円の中にすっぽり
入る小さい円を描くとするでしょう。
大きい円が天上のエルカンターレで、小さい円が地上の大川総裁
ということです。つまり小さい円の大川総裁を信じないが、天上
のエルカンターレを信じるということが有り得るってことです。

↓ここの図でいえば、Aが大川総裁で、Bが天上のエルカンターレ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Venn_A_subset_B.svg

よしもんさんを例にとれば、Aは地上で肉体に閉じ込められている
よしもんさんで、Bは霊界にあるよしもんさんの魂の兄弟なり、
潜在意識なりということになるかと。

もうちょい説明してみますか。
天上のエルカンターレは全知全能で、地上の大川総裁は全知全能
ではないということは、換言すれば、天上のエルカンターレは
全知であり、常に正しいことを言えるが、地上の大川総裁は全知
ではないため、時には間違い、正しくないことをいってしまうと
いうこと。

ということは、正しいものを探求しようとする場合は、天上のエル
カンターレを信仰することは結構なことであるが、正しくないこと
をいう可能性のある地上の大川総裁を信仰することはできないとい
うこと。「大川総裁は、自分よりも優れているから、師として尊敬
する」という場合は有り得るけれども、「大川総裁は正しい」と
いう信仰は持ち得ないことになる。

よしもんさんは、正邪善悪の話のときに、正しさを求めるといって
いたかと思います。本気で正しさを求めるならば、全知ではなく、
正しくないことを言う可能性のある大川総裁を信仰するというのは、
おかしなことだと思います。

622よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/28(日) 00:00:56 ID:ZPdJL1xk
>>621

タムさん

図説までして頂き、ありがとうございます。
ご本尊を通じてお祈りする、ということが物質的、といえば、
確かに物質的かもしれません。
でも、物質の力をお借りすると、祈りもやりやすいこともまた
事実だと思います。仏教も、後世、数多くの仏像が造られましたが、
これはやはり、目には見えない仏の存在を、衆生にわかりやすく、
教えるためのものであったと思います。
あと、図説にもありますが、中の円であるAに入る、ということは、
非常に稀有なことなのです。Aを含まないBの部分というのは、
言ってみれば、後世のエル・カンターレ信仰です。
Aである地上世界における仏陀なくば、Bに参入することは
ごく限られた高度な悟りを持つ者に限られてしまいます。
Aがあるから、Bへの到達が私たちにも可能となってくるのであり、
AのないBは、これは難しいですよ。難しい、ということは
救済力が落ちる、ということです。
もっとも、地上に降りた仏陀は、そのBの力を100%発揮
できないかもしれませんが、しかし、私たちの目や耳で、
その教えを学ぶことができるのですから、これはありがたいことです。

623タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/28(日) 08:00:37 ID:eATZr/6I
>>622
その理屈はかなり苦しいかと……。
天上のエルカンターレを全知全能として、地上の大川総裁をそうで
はないとすることは、両者の間に越えられない壁があるということ
です。これは>>613で書きました。図でいえば、AとBの境目に超えら
れない壁があるってことです。

また大川総裁が全知全能でないということは、時には間違いを犯し、
正しくないことを言うということです。その大川総裁を信仰すると
いうことは、大川総裁の間違いを正しいと信じることになります。
つまり大川総裁に全幅の信頼をおいて信仰することは、完全に正し
い天上のエルカンターレから遠ざかる結果になってしまうわけです。
このことは>>621に書きました。

それから天上のエルカンターレは、幸福の科学だけでなく、あらゆ
る正しい宗教を指導しているのでしょう。先の図でいえば、Bの円の
中には、Aという円だけでなく、他にも、釈迦、ヘルメスなど無数の円
があるということです。つまりエルカンターレに達するには数え切れ
ないほど無数の円(縁)があるということです。

HS的には、天上のエルカンターレの本体である大川総裁を介して天上
のエルカンターレを知ることができるのは、今生限りであるというこ
とになるかもしれません。けれども大川総裁は全知ではないというこ
とですから、大川総裁がエルカンターレの本体であるかどうかの真偽
はこれまた不明ということになるかと思います。

>>619
イエスと大川総裁とでは、奇跡の動機が正反対でしょう。
イエスの奇跡は、すべてが人助けのためといっていいくらいです。「奇跡
ができる自分は偉い」などとはいわない。
でも大川総裁の場合は、自分の霊言は人間の限界を超えたスピード
と量だと自画自賛するんですよね。

またイエスは、律法で他者を裁く人を批判して、愛こそが大事だと
説いたのでしょう。
大川総裁はといえば、一種の律法である仏法真理なるもので、
あれはだめこれはだめと人々をがんじがらめに縛っている。仏法真理を
守れば天国で、破れば堕地獄という風に。

>>620
うん、言葉の丁寧さだけでなくて、その背後の心の整い方に関しても、
HS本よりも、レムリア本の方が、ずっと優れているようです。
五次元文庫からでてるアマーリエさんの本を読んで確認すればわかり
ます。

「ルが暗躍してるんだ。波動がよいのは見た目だけだ。だまされては
いけない」などと自分に言い聞かせながら読まないと、レムリアに
鞍替えしたくなるかもしれません。(笑)

教団の大きさではHSが有利ですが、精妙さではレムリア勝利ですね。

624よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/28(日) 08:47:51 ID:ZPdJL1xk
>>623

タムさん

注:文中、Bは大きな円、天上界のエル・カンターレ、AはBの中に
  含まれる円、地上に降臨したエル・カンターレ、大川総裁を示す。

タムさんが図示して下さったように、Aという地上における
エル・カンターレ、すなわち大川総裁は、Bという大きな円、
すなわち天上界における主、エル・カンターレの一部です。
AはBに含まれているものであり、超えられない壁、というもの
ではないと思います。むしろ、Aは、Bの中の、地上世界への
メッセンジャーです。

また大川総裁に間違いはありません。全知全能としての力が
肉体に宿ることによって、パワーダウンすることはあっても、
法の核心、教えの根本に間違いはありません。
タムさんが、図示して下さったように、AはBの一部であり、
AがBから外れる、ということはないのです。

Bである天上界のエル・カンターレは、様々な宗教を指導する
でしょうし、ヘルメスや釈尊、イエス・キリストを指導しました。
ゆえに、Aを通じなくても、Bへの参入は可能です。
しかし、それは、過去に説かれた教えが永い年月を経た形骸化した
教えから、Bの真意を汲み取らねばならないので、かなり難しい
です。ゆえに、現代、Aが出てきているのです。

Aの真偽のほどは、後世になってみないと固まらない、というのは
あると思います。でも、Aが地上世界在世中に、その教えを信じ、
Aを支える仕事というのは、とても尊い、稀有なことです。
Aの教えを直接学び、Aを支える仕事は仏弟子の本懐、と言えます。

また、Aは、奇跡として霊言の発刊スピード、質、量を自画自賛
しているわけではなく、それで霊界の存在証明を行っている、と
しています。

私は幸福の科学の教えから、仏法真理の確かな手ごたえを感じます。
そう感じない人もおられますでしょう。それは、人それぞれであり、
仕方ないことです。いつか、分かるときがくると信じてやみません。

また、仏法真理というのは、仏の光の法則そのものです。
仏の光を受け入れれば幸福になり、仏の光を遮る思いを出せば、
幸福にはなれない、しかし、罪を犯しても、仏法真理を悟り、
反省すれば、許される、と説いています。イエス・キリストの
放蕩息子のたとえと一緒です。

625タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/28(日) 10:26:11 ID:eATZr/6I
>>624
わたしの言ってることは、その図を平面としてだけではなく、立体として
考えてみてもらえば分かり易くなるかもしれません。

まず天上のエルカンターレという円があるとして、その真ん中あたりがグ
ッと盛り上がり、さらに盛り上がり、管のようになって、地上に降り立っ
たのが大川総裁であると見るわけです。

そうして、天上のエルカンターレが全知全能であるならば、そこから伸び
た管もまた全知全能であるはずです。でも地上にまで伸びた管の先っぽで
ある大川総裁が全知全能とはいえないといいます。全知全能という状態と、
全知全能ではない状態との間には無限な隔たりがあるのですから、管の長
さは無限であることになり、結果としては、天上のエルカンターレと、地
上の大川総裁との間には、越えられない壁があることになります。

ついでにいうと、この間、小耳にはさんだ話では、一人一人の心のうちに、
エルカンターレが秘められているとか……。そんなら天上のエルカンター
レからは無数の管が伸びて各人の心に達しているともいえそうです。この
点から見ても、強いて大川総裁を信仰する理由はなくなりそうです。

それから、真理についてですが、真理は、普遍であり、不朽であるからこ
そ、真理というのでしょう。たとえば、「神を愛し、隣人を愛せ」という
真理は形骸化することはありません。縁起説もそうです。「修身・斉家・
治国・平天下」というのもそうでしょう。こういう真理はいつの時代でも
輝きを失わないものです。

形骸化するのは、真理ではなく、教団による真理解釈です。「神を愛し、
隣人を愛せ」という真理は朽ちることが無いが、「神を愛するなら教団に
布施せよ、隣人を愛するなら伝道して教勢を伸ばせ」という真理解釈は過
ぎてゆくものです。
天上の神は永遠だが、地上の生き神様はやがては消えてゆくということも
いえます。

HSでは「今がチャンス」というような考え方をするようですが、神様は、
時代や地域を限定して、チャンスを与えるようなせこい事はしないはずで
す。神が愛であるならば、いつでも、どこでも、救われるチャンスを与え
ているはずです。この意味で、「今がチャンスであり、特別な時である」
という見方は、神は愛であることを信じていないことになるかもしれない。

霊界の存在証明については、心霊科学の方面でさまざまに検証されていま
す。HSの霊言は事実錯誤が多すぎて、霊界の存在証明というよりかは、む
しろ、その反対になり、心霊科学の方面で働いている人たちの足を引っ張
る行為にしかなってないように思います。

626よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/28(日) 23:07:11 ID:ZPdJL1xk
>>625

タムさん

おっしゃることは理解できます。地上世界における不完全な仏陀
とか、救世主によらずとも、私たちは、自力で悟りの世界に
直参できる、という考え方ですよね。
でも、それはとてつもなく難しいことです。やはり、私たちが
神の世界について考えることができる、というのは、いつの時代にも
神や仏の世界を説く、仏陀、救世主、預言者と呼ばれる存在が
地上世界に生まれて、不完全ながらも、教えを説いてくださる
からです。それが聖書となったり、哲学書となったり、仏典に
なったりしているのです。
でも、私たちが一番大きく飛躍できるチャンスというのは、
やはり、大師が地上世界で直接、教えを説いているときなのです。
私たちは、永遠の命を持って、あの世と地上世界を転生する
存在なのですが、生きて地上世界の仏陀にめぐり合うのは、
1回の転生が、10回分、いや、それ以上の価値を持つ、という
ことなのです。そして、そのときが、地上世界に光を広げ、
地上世界を浄化するときでもあるのです。

627タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/29(月) 18:59:55 ID:eATZr/6I
>>626
>でも、私たちが一番大きく飛躍できるチャンスというのは、
>やはり、大師が地上世界で直接、教えを説いているときなのです。

◎だから、私が言ってるのは、HS教義の基本からいえば「今がチャンス」
という考え方はおかしいのではないかってことですよ。

HSは神は愛であるという。であるならば、神はいつでもどこでも人々を救
おうとしているはずです。特定の時と場所にいる人たちだけに、特別に多
くのチャンスを与えるということはないでしょう。

HSは自己責任を説きます。自己責任が成立するためには、人は環境による
支配を受けず、己の意識次第で、いつでも、どこでも悟れるとしなければ
ならない。もし仏陀と共にいれば悟りやすく、そうでなければ悟りにくい
とすれば、人は環境に支配されているのであって、自己責任論はなりたた
なくなる。

HSは人は自分の認識力の範囲でしか、物事を理解できないと説いているは
ず。そうであれば、自分の認識力の範囲内でしか真理を理解できないのだ
から、目の前で高い真理を説かれたからといって、それを体得できるとい
うわけにはいかないだろう。……云々。

わたしはこういった点から、「今がチャンス」というのはおかしいといっ
てるわけ。もちろんHSには、一種の選民思想があり、過去世の実績などから、
特別に仏陀とめぐり合えただの、今すぐ悟れなくても仏縁をつけるチャンス
だの……「今がチャンス」を裏付ける教えもあるのはわかってます。

でもそういうのって、どっちかといえば、HS教団の論理であって、神は愛、
自己責任、認識力の限界などよりも普遍の真理に近いとは言い難いものでは
ないでしょうか。その意味からすれば、やっぱり「今がチャンス」というの
はおかしいと考えるわけですよ。

ついでにいえば、「今がチャンス」というのは、地上に仏陀が出現したとい
う外面的な条件が整うことをいうのではなく、その人が心から真理を求めて
いるときや、認識力が高まり、これまでより深い真理を受け入れる態勢が整
ったときこそをいうものだと思います。つまり、悟りのチャンスというもの
は、精神的な条件が整ったときをいうのであって、仏陀が地上に現れたとい
う外面的側な環境が整ったことをいうのではない。でもHSは、それを繰り返し、
強調する。この辺りも、HSは精神主義というよりも、すごく物質的この世的です。

628タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/29(月) 19:11:53 ID:eATZr/6I
>>627
それにしても、よしもんさんは、霊言の議論などの頃には、大川総裁が言うから
信じるというように全幅の信頼をおいていたようだけれども、その後は大川総裁
は全知全能ではないとし、その次には2ちゃんではその霊査能力は100パーセン
トではないとし、ついには、仏陀とその教えを不完全だということまで書いてますね。

仏陀とは解脱した者のことであり、覚者でもあるのでしょう。不完全な仏陀とは……
不完全な解脱者であり、不完全な覚者でもあることになるだろうし、これって結局、
悟っていない、仏陀ではないということにしかならないでしょう。

大川総裁を不完全な仏陀で、不完全な教えを説いているのだとすれば、ますます
大川総裁に帰依しなければならない理由はどこにもなくなりそうです。

「大川総裁を信じず、天上のエルカンターレを信じるというのは間違いだ」というため
には、やっぱり大川総裁は天上のエルカンターレと同様に完全無欠の全知全能であ
るとする以外にはないと思いますよ。

この点、大川総裁を完全だと崇拝する亭白さんの信仰の方が筋が通ってるのではな
いでしょうか。わたしはとてもじゃないが、亭白さんのような信仰は持てないが、一本、
筋が通っているといえなくもないとは思う。

629よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/30(火) 13:08:15 ID:ZPdJL1xk
>>627

タムさん

再誕の仏陀と同じ時代に生まれ合わせる、というのは、
一番大きく飛躍できるチャンス、という点について

これは、たとえて言えば、私があるタレントのファンだったとして、
そのタレントは滅多に姿を現さないし、突然現れるとします。
いつもは一方通行のファンレターしか送れません。
まれに、お返事がくることもあるかもしれません。
しかし、たまたま、今、自分のいるところが、あるコンサートホールの
前で、そのタレントが来ていたとします。
しかも、握手会があったとします。さあ、どうするか。
迷わず、コンサートホールに入りますよね。
しかし、別なファンは、そのタレントは別にいつでもいらっしゃるから、
別にコンサートホールに行く必要はない、と言います。
私は、え〜何で?もったいない、これもまた何かのご縁ですよ、と言います。
でも、そのタレントはいつも私たちに、勇気を与えてくださっている、
だから、その、何かのご縁などという非科学的な言い方はやめなさい、
と言います。

私の感想は、こんな感じかな。

630よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/11/30(火) 13:14:18 ID:ZPdJL1xk
>>628

タムさん

仏陀とて、肉体に宿れば、半神半人です。人間としての限界は
当然あります。仏陀というのは超人ではないのです。
仏陀の、仏陀と言われるゆえんは、心の潜在意識の宝庫を
開いて、霊的世界観の真実を悟るところにあります。
しかし、だからと言って、仏陀が完全な人生を生きられるか、
といえば、それはないと思います。釈迦も、病気になったり、
最後は毒キノコを出されたのを食べて寿命を縮めた、といいます。
ですので、私は、地上の仏陀に完全は求めません。
地上の仏陀の教えを信じ、学び、自分の人生を向上させることを
主眼とします。

631タム ◆M/L2k2Eq72:2010/11/30(火) 20:10:15 ID:eATZr/6I
>>629
わたしが提示している疑問は、そのたとえ話にのっかっていうならば、こうですよ。

・神が愛ならば、各人の心のうちにタレント(仏陀)を内在させ、本人が求めるときに
合えるようにしているだろう。地上に降りたタレント(仏陀)と同時代人だけがタレント
(仏陀)と会えるというような不公平はしないだろう。

・人は自分の認識力の範囲でしか物事を理解できないならば、心のうちのタレント
(仏陀)と出会えない人は、地上のタレント(仏陀)と向き合っても、その顔も声も、見
えず聞こえないだろう。それは本当には向き合っていないことなので、なんらの縁が
生ずる可能性は低いだろう。……云々。

>>630
うん。信仰を長く続けたいならば、その方がいいと思います。
大川総裁に完全さを求めるとか、あまり高望みしすぎない方が、信仰は続けられるはずです。

632よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/12/01(水) 14:09:27 ID:ZPdJL1xk
>>631

タムさん

仏陀が地上に生まれるときに、生まれ合わせることができる、
というのは、やはり、過去何十回もの転生において、どれだけ
仏に向かって努力精進してきたか、で選ばれると思うのです。

内在する仏への信仰もよいですが、地上の仏陀にめぐり合える、
というのは、ありがたいことだと私は思います。

633タム ◆M/L2k2Eq72:2010/12/01(水) 19:18:46 ID:eATZr/6I
>>632

うん。信者さんが、そこのところで、すごく幸福感を感じるのは、よく理解できます。
わたしも、一応は、元信者ですから。

でも、傍から見た場合、そこのところは、HS教義のうちでも、結構、深いキズに
なっているとは思う。

元信者から一言、いわせてもらうと、心のうちから、「自分は選ばれし者だ、使命が
あるのだ」という願望を一掃して、自分の平凡性をとことん自覚し、「自分は平凡だし、
とりたてて、他人と違うところはない」という風に、無理なく、自然に思えるようになった
ときには、それ以前よりも、より事実を事実として、物事をありのままに認識できる
ようになると思う。

634よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/12/02(木) 14:16:49 ID:ZPdJL1xk
>>633

タムさん

まあ、よい意味での選民思想というのはあると思いますね。
無告の民を救わねばならない、というような意識。
でも、それが、傲慢へと変じる可能性もなくはないです。
ゆえに、常に仏に対する信仰による感謝と謙虚さを維持しなければ
なりません。
逆に、冷静になりすぎて、信仰心が薄れて消えていってしまうことも
また、問題だと思います。
難しいところです。

635タム ◆M/L2k2Eq72:2010/12/02(木) 20:37:51 ID:eATZr/6I
>>634
>無告の民を救わねばならない、というような意識。

◎それは、メサイア・コンプレックスというやつかもしれない。気をつけた方がいいよ。


>逆に、冷静になりすぎて、信仰心が薄れて消えていってしまうことも
>また、問題だと思います。

◎自らの平凡性の自覚と、ありのままの事実を認識し、受け入れるというのは、
神への信頼と感謝に支えられてこそ、達成、可能なものなんだけどね。
まあ、わたしはそれが不足しているから、なかなか上記のことを達成できないのだけど。

636よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/12/02(木) 21:24:48 ID:ZPdJL1xk
>>635

タムさん

タイムリーなことに、今日、妻が、「選ばれし人となるためには」
幸福の科学出版(会員限定)を頂いてきました。
「鍛えられ、磨かれ、鋼鉄のような信仰心を持つこと、
それが「選ばれし人となる」ということである。」
まえがきより

637タム ◆M/L2k2Eq72:2010/12/02(木) 21:35:57 ID:eATZr/6I
>>636
>「鍛えられ、磨かれ、鋼鉄のような信仰心を持つこと、
>それが「選ばれし人となる」ということである。」


◎そういえば、HSでは、信仰心は自分で維持するものでしたね。

実は、わたしは、信仰心は、自分の力で持ったり、捨てたりはできない、
神様が、プレゼントしてくださったり、取り上げたりするものだという考え
方を支持してます

638よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/12/02(木) 23:05:22 ID:ZPdJL1xk
>>637

タムさん

>実は、わたしは、信仰心は、自分の力で持ったり、捨てたりはできない、
神様が、プレゼントしてくださったり、取り上げたりするものだという考え
方を支持してます


予定説みたいなものですか?
今世、幸福の科学にめぐり合ったのは、全知全能の神の予定であり、
そこからアンチになるのも、これも全知全能なる神の計画であった、
そんな感じでしょうか。

639タム ◆M/L2k2Eq72:2010/12/03(金) 18:41:47 ID:eATZr/6I
>>638
◎たとえば、よしもんさんは、意思の力によって、HSを棄教することはできないでしょう。
ていうか、HSを棄教しようという意思さえも持てないのじゃないでしょうか。

私の場合も、同じようなもんです。HSを信じたくても信じられず、信じようという意思も
持てない。

つまり人の心は、自力ではいかんともしがたいものがある。それを神様によると表現する
わけですよ。


>予定説みたいなものですか?

◎もしも神が全知全能だとすれば、全知だから、未来になにが起きるか知ってる
ことになるかと思います。ということは、未来は決まってるということでしょう。
また、神の摂理が世界を統べているのであれば、世界は神の摂理によって運営
されているということで、すべては決定されてることになるでしょう。二二が四みたいに。
でも、全知全能の神が存在する、神の摂理が世界を統べているなどという前提が
うそっぱちであれば、未来は未定ということになるんだろうと思います。


>今世、幸福の科学にめぐり合ったのは、全知全能の神の予定であり、
>そこからアンチになるのも、これも全知全能なる神の計画であった、
>そんな感じでしょうか。

◎それって目的論みたいな感じですかね。私は、目的論は嫌いです。
神の意思を勝手に自己都合解釈して、自己正当化してるように思えるので。

640よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/12/03(金) 21:07:05 ID:ZPdJL1xk
>>639

私の場合、いつの間にか、この世に生まれていて、人間はいつか
死ぬ、ということに気づいて、自分という存在は一体なんだろう、
なぜ、自分は生きているのだろうか、死んだらどうなるのか、
疑問に思っていました。
それに、明確に答えてくださったのが、幸福の科学の教えであった
のです。なので、せっかく発見した宝物をわざわざ、捨てるような
ことは思いもよらないですし、それが、自分の意思で何もできない、
ということにはならない、と思います。
タムさんは何のために生まれてきたのですか。
私は、幸福の科学にめぐり合い、その仏法真理を学ぶために、
生まれてきたのです。

641タム ◆M/L2k2Eq72:2010/12/04(土) 09:32:01 ID:eATZr/6I
>>640
よしもんさんは、今のところ、エルカンターレ信仰については、
意思と心とが合致してるから、そう思うのは当然です。
以前の自分もそうでした。

でも、そのうちに、「エルカンターレ信仰を保持したい、そうしな
ければならぬ」という意思によっては、「エルカンターレ信仰は
おかしい、まちがっている」という心を払拭することはできない
ことに気づきました。

考えてみれば、心には、意思だけでなく、感性、感情、理性、
良心、その他いろいろな側面があるんですよね。だから心の
一面にすぎない意思でもって、心の全体を動かそうというのは、
どだい無理なことなんでしょう。

たとえば、感性が「汚い」と感じているのに、意志力でもって「美
しい」と思うのは難しい。喜怒哀楽の感情を意志力でもって抑圧
し続けるのは難しい。論理的な思考を放棄して、意志力でトンデ
モ理論を正論と思い込むのも難しい。良心が「間違っている」とい
うのに、意志力で「いや、正しい」と信じ込むのも難しい。

もっと具体的にいえば、好きになってはいけない人を好きになって
しまう、好きでいなければならない人を嫌いになってしまう、仕事に
打ち込まなければならないのに、やる気がでない……心が意思の
いうことを聞いてくれないことは少なくないでしょ。

「自分の意思で何もできない」とまでは思いませんが、心というもの
は、意思だけではいかんともしがたい部分もあるんだよね。

あと、私の場合は、善く生きたいという気持ちはあるけど、「何のた
めに生まれてきたか」という問題意識は特にないですよ。

それはそうと、HS教義の話題から、だいぶ、それてきたようです!

642よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/12/04(土) 18:32:31 ID:ZPdJL1xk
>>641

タムさん

>考えてみれば、心には、意思だけでなく、感性、感情、理性、
>良心、その他いろいろな側面があるんですよね。

私は、感性、感情、理性、良心、その他すべてを含めて、幸福の科学
は素晴らしい、と思っています。だから払拭できない自分などという
ことがありません。

>あと、私の場合は、善く生きたいという気持ちはあるけど、「何のた
>めに生まれてきたか」という問題意識は特にないですよ。

そうでしたか。では、タムさんは、今のところ、自分の死に場所も
見つけられないですね。タムさんは何のために死ねますか?
私は、最後は命よりも幸福の科学の信仰をとります。

>それはそうと、HS教義の話題から、だいぶ、それてきたようです!

そんなことはありません。幸福の科学の基本教義は、
「正しき心の探究」です。幸福の科学というのは、本当の自分、
というものを探究するためにあるのです。

643タム ◆M/L2k2Eq72:2010/12/04(土) 18:57:22 ID:eATZr/6I
>>642
>私は、感性、感情、理性、良心、その他すべてを含めて、幸福の科学
>は素晴らしい、と思っています。だから払拭できない自分などという
>ことがありません。

◎うん。よしもんさんが、心全体で、HSを賛美してるのだろうということは
わかってます。

わたしがいってるのは、意思の力で、心全体を自由に動かすのは無理だ
ろうってことです。だから、HS信仰の持てない人が、意思力で、信仰を持
つのは無理だろうし、HS信仰のある人が意思力で棄教することもできない
だろうってこと。

よしもんさんについていえば、心全体でHS賛美しているときに、意思力
でそれとは逆に心全体でHS否定はできないし、だいち、そんな意思を持つ
ことすら無理だろうってこと。

結論としては、信仰というのは、「信仰を持ちたい」、または「信仰を捨てたい」
という意思力でもっては、なかなか自由にはならないだろうってこと。

644よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/12/05(日) 17:41:17 ID:ZPdJL1xk
>>643

タムさん

ということは、やはりタムさんは予定説?というと堂々巡りに
なってしまいますね。

タムさんは、理屈で考えすぎだと思うのです。大川先生の、
「料理のたとえ」が当てはまっていると思います。
(前にも申し上げたかと思いますが)

大切なことは、一体何が正しいことなのか、自分は何が正しいと
信じて生きていくか、ということなのです。
この問いの答えが見つからないうちは、弱い人生を生きていると
言わざるを得ません。

信仰というのは、良くも悪くも、人を強くするものです。
正しい信仰は、真に、人を強くします。何事にも動じない不動心とは
実は正しい信仰心、すなわち、「何が正しいことなのか」ということ
をつかんだ境地なのです。

645タム ◆M/L2k2Eq72:2010/12/05(日) 18:59:05 ID:eATZr/6I
>>644
なるほど。

ところで、話を戻しますけど、よしもんさんは、自分の意思で、
信仰心を持ったり、棄てたりすることは、できますでしょうか。

それができるのであれば、自分の意思によって、自分の信仰を
コントロールするなんてできないだろうという私の見方は間違い
だと明らかになるのですが。

646よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/12/05(日) 20:45:26 ID:ZPdJL1xk
>>645

タムさん

私は、自分の意思で、幸福の科学の信仰を持ちました。
そして、それまでに持っていた間違った考え方は、幸福の科学の
仏法真理に照らして、反省し、棄てました。

647タム ◆M/L2k2Eq72:2010/12/05(日) 21:32:05 ID:eATZr/6I
>>646
その逆はできそうですか。

自分の意思で、幸福の科学の信仰を棄てること。
そして、幸福の科学の仏法真理は間違っていたと反省すること。

これ、できそうですか。

648よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/12/06(月) 12:30:15 ID:ZPdJL1xk
>>647

>>646
>その逆はできそうですか。

>自分の意思で、幸福の科学の信仰を棄てること。
>そして、幸福の科学の仏法真理は間違っていたと反省すること。

必要とあらば、出来ますよ。でも、今のところ、幸福の科学に
間違いが見つからないだけです。
また、幸福の科学を超える宗教が見つからないだけです。
私自身、盲信を戒めるためにも、あえて、掲示板で猛烈な批判に
さらされているのです。もし、自分の信仰がぐらつくようなら、
自分の信仰もニセモノであろう、と。
でも、アイマイミー氏も、ファルコン氏も、いざ、自分を批判されて
みたら、あの程度であることが分かりました。
つまり、幸福の科学の法の根幹に触れられるレベルではないことが
分かりました。

649タム ◆M/L2k2Eq72:2010/12/06(月) 19:25:08 ID:eATZr/6I
>>648

よしもんさんは、幸福の科学に間違いが見つからない、それを超える宗教が
見つからないという理由で、棄教の必要を感じないというわけでしょうか。

だとすると、よしもんさんの信仰は、よしもんさんの意思というよりも、幸福の
科学が間違うか、または、それを超える宗教が現れるかということによって、
決定されていることになりそうです。
幸福の科学が、どう変化するかによって、よしもんさんの信仰も変化してゆく。

つまり、自分の心の外にあるもの、環境などによって、自分の意思と信仰は、
支配されているということ。「支配されている」というのが大げさならば、大きく
影響を受けるという程度にしてもいいですが。

よしもんさんの書いたことからすると、「人は自由意志を持ち、その意思によっ
て、信仰をコントロールできる」という説を主張するのは、難しそうです。

650よしもん ◆JIBI0e8P7s:2010/12/06(月) 21:06:33 ID:ZPdJL1xk
>>649

タムさん

確かに、おっしゃるとおりですね。

でも、もう固まったかな。幸福の科学も。
雨降って地固まる、って感じですね。

横浜アリーナでの、ご法話の中で、大川先生はこんなことを
おっしゃっていました。
「私は、過去、1400回近い説法を行ってきましたが、
その説法すべてが書籍になっている。これが出来るのは、
仏陀だけなんです。」と。

私は、確かにその通りだ、と思いました。

651よしもん ◆JIBI0e8P7s:2011/02/01(火) 10:40:36 ID:PJ8BQE3Y
タムさん

事の発端は、舞さんの「幸福の科学ノルマ発言」です。
私はそれを否定しましたが、舞さんは、ノルマ発言を撤回しません。
また、その発言には矛盾点が見えてきました。

「主への確約を破り、自分で自分の心を責めて裁く」発言です。
しかし、これは、「主が見守って下さっていることを信じる」という
信仰心と矛盾が生じます。

この指摘に対して、舞さんより回答を頂いておらず、
「ノルマがある。あるものはある。」と発言し、
私を不誠実な人間と罵る始末。
(これはまだ、私は過去スレを読む前の話です)

そこで、この矛盾のルーツを探るために、過去スレから探って
いくことにしたのです。また、その過程を統合スレの皆様に、
報告していく必要がある、ということ、また、舞さんに気付いて
頂くためにも、それを読んで頂くことが重要である、と考えました。

これが、いきさつです。
タムさんに理解して頂けるかどうかは分かりませんが、
信者にとって、過去の法友が、退転して脱会促進活動を行う、
ということが、どれほどの悲しみを伴うのか、それを考えて
頂きたいと思います。

652タム ◆M/L2k2Eq72:2011/02/01(火) 20:50:34 ID:eATZr/6I
>>651
こんばんは。

自分が相手にしてあげたいこと、
相手が自分に望んでいること、
どっちを優先するか、難しい問題ですね。

653よしもん ◆JIBI0e8P7s:2011/02/02(水) 15:43:43 ID:PJ8BQE3Y
私も、遅まきながら、支部活動をがんばっております。
善悪の基準ですが、それを説くのが宗教の使命です。
幸福の科学が正しい宗教であるか、間違った宗教であるか、
それが問題なのですが、大川先生は、立宗25年という節目に
「救世の法」を世に問い、『結論は出た』と宣言されています。
大川先生こそ、リアルな世界にて、宗教法人を立ち上げ、
日本、そして、世界に精舎を建設され、そして、信者を養成
してこられたお方です。幸福の科学の善悪の基準から照らせば、
舞さんの発言、思い、行動は、間違っています。
それは、崖っぷちを目隠し状態で歩いているのと一緒です。
私は憎しみの心は持っていません。
舞さんには、泥中に咲く花のように、清らかで美しい女性に
「戻って」頂きたい、ただそれだけです。

654タム ◆M/L2k2Eq72:2011/02/03(木) 19:59:43 ID:wmctPC1o
雑談スレpart4の876にレスしときました!
他の人はみんな、そっちに書いてるので。

655ありす:2011/02/07(月) 15:09:20 ID:yfpESLNI
ネットで、討論するのなら 攻撃しないこと。

必ず、水掛け論になるわ。

み〜んな ネット遊泳してね、魂が欲っしている言葉を 
探しているのよ。

自分が見つけた 真理を 届けましょうね。

656よしもん ◆JIBI0e8P7s:2011/02/07(月) 22:37:40 ID:FbUD4GIU
ありすさん

その通りだと思います。
ですので、私は、攻撃はしません。
愛に敵なし。愛と光の言葉で、皆様に幸福の花束をお届けします。

657ありす:2011/02/08(火) 17:32:50 ID:yfpESLNI
よしもんさん

小さな親切大きなおせっかい と言われないように

相手が 欲しい幸福の花束を 届けてくださいませ。

あそこでは、造花を「ムチ」のように ばしばしと

叩いているように 感じましたわ(^^;)

658よしもん ◆JIBI0e8P7s:2011/02/08(火) 20:44:00 ID:PJ8BQE3Y
>>657

ありすさん

2ちゃんに、たっくさん、経典のお知らせを貼り付けておきました♪


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