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【ザ・法論】+☆+KK8+☆+【論戦2日目】
158
:
AHW
:2006/06/16(金) 00:07:05 ID:oyNx53lc
>>151-157
ジラン氏、黒田氏乙です。
kk行動様式への批判につなげる議論ですね。
第2は、ほぼなんでもあり、kk行動様式を議論も可という前提だから
がんがんやっていいと思われですが、
純アンチ視点から(詐欺教祖、問題カルト教団を前提にした上で)の
行動様式を批判するに適したスレが現状で無いかもね。
法論スレは教義での議論が主題だろし、雑談はまあ雑談。
純アンチ視点ご用達の問題提起スレとか、作れないかどうか考えてみます。
>>151
2ちゃんコピペ(この名無しさんはジラン氏?)
このコピペから抽出できる論点ってのは、ファル氏告発が「全て真」と仮定した上で
「kkの法というのは上から下へという方向しかないのか?」
「上はその説く法の治外法権領域にいれる」「それでいいのか?」
「神からの被造物への宗教だってことだからそれでいい、というの?」
ってとこだろか。
あとは、「ふしだらな」という形容詞が名詞「不倫」の種類だけに限定してかかってるのか
「あらゆる不倫=ふしだらだ」と定義して「それをするな」という命令文全体にかかってるのか。
ふしだらでない不倫なら・・・とかいった感じのこと、前に2ちゃんでガラス玉らしき奴が書いてたよな。
内部での経典説明ではどうなってんだろ?
159
:
AHW
:2006/06/16(金) 00:28:17 ID:DVZG5nQg
>>157
ジラン氏
>法論という粘土細工をして遊んでいればkkの現実、例えば大川の愛人との肉体関係の問題なども忘れられる。
>そのためにkkは信者に法というものを与えたのだということをよく考えてみる必要がある。
大川氏がそのために与えたのだ、という断定まではわからんけど、
いいじち君など熱烈信者諸氏は、逃避というより何とも思わないんでは。
ファル氏告発の論点ってのは大きくはたぶん二つある。
一つはいわゆる法人としての適法性の問題。
資産や所得税の脱税を目的とした偽装疑惑やら、サクセスとかいう塾事業での脱税告発など。
これは信者からすれば、もしそういう状態だったとしてそれが表面化しても、
その違法状態ってのは「見解の相違と不手際が集積したもの」にすぎず
修正納税などで適法状態になって解消されてしまえば「ちゃら」って感じかも。
二つめは、教祖氏個人の私生活での人格、言動、倫理観にかんする暴露系情報。
性での乱行疑惑、アイジーン疑惑(しかも強権で強奪系)、家庭崩壊、子息との軋轢などなど。
これは非熱烈層からかなりの離脱者を(潜在的にも)輩出できそう。
ただ熱烈信者は「傷害や闘争、殺人してるわけでもなし」
「超英雄だからそのくらいの色なんてさもありなん。致命的でない」
「それぞれがそれなりに幸福なら、別に事実でも問題ない」とかだろねぇ。
160
:
IAOO.KK
◆ZKLVh/2jGY
:2006/06/16(金) 01:23:26 ID:B1Vota46
>159
>ただ熱烈信者は「傷害や闘争、殺人してるわけでもなし」
>「超英雄だからそのくらいの色なんてさもありなん。致命的でない」
>「それぞれがそれなりに幸福なら、別に事実でも問題ない」とかだろねぇ。
人倫系で擁護しようとしていたのは 青の青氏。 以下がそれ。
【ザ】+☆+KKⅦ+☆
名前: 青の青 投稿日:2005/12/14(水) 19:11:39 H.iUfsXc
擁護に使えそうな話を。
幸福の科学原論・3に、男には支配欲がある、優位に立たないと男性ホルモンが回らなくて勤労意欲が衰える。
というのがあるけれども、使いにくいか・・・
神秘の法のパワーとしてのオカルティズムで性的器官のチャクラについて触れています。
「性欲は霊的な能力と関係が有る」
「精力、性欲が減退した状態では、悪霊などの侵入があっても防げません」
「性的なパワーが高い状態にあると、強い念力パワーが出ます」
これはストレートに使えるなあ、「高い精力、性欲を維持する為に美女が愛人が必要だったのです!」ってできる。
****
私は精力、性欲とは 活力、プラーナの意味でとらえるべきだとおもいます。
ゼロ殿なら躊躇せず擁護してきそうな気がします…。BBS2では彼はアク禁してますがw
161
:
エートス
:2006/06/17(土) 02:46:55 ID:ugzJgfNQ
黒田氏
若葉氏へのレスで哲学したくなるようないいこと書いてますね。ただいまコートジボワールvsオランダ観戦中。ポストモダンモードでレスしてみましょう。
>>Y語るトピ13840
>KK信者としての立場とアンチの立場にも立てる視点を持つことによって客観的な視点が得られるのではないかと。
純粋客観的な視点を持つということはあり得るのか。外界は確固として存在し心はそれを忠実に反映するという前提があればいいのですが、それがなければ、客観的な事実が果たして本当に存在するかどうかも問題設定の枠組みになります。
>KKの信者であるかぎりは、総裁が仏陀再誕であり、L・カンターレでなければならないのでそこに偏見がでてくる。
アンチにしても大川は詐欺師、KKはカルト宗教であるという視点がはずせないためにそこに偏見がでてくる。
偏見は事物の理解を容易にする。というか分かったつもりにさせてくれる。いや、むしろ偏見がなければこの動的で多元的で本当のところなんだか分からないこの世界をとらえることは微力な人間には不可能かもしれません。
大川氏という人物を巡って、あるいはKKを巡って180度異なるパラダイムが生じているわけですが、アルキメデスの点を外部に求めずに、両者を止揚する視点を内部に持つことははたして可能でしょうか。それともその格闘の過程で満足する能力しか人は持ち合わせていないのでしょうか。
162
:
エートス
:2006/06/17(土) 02:59:41 ID:ugzJgfNQ
これは雑談向きなんだけど。
コートジボワール負けちゃったよ。試合終了と同時に審判が十字を切って神に無事終了を感謝していた。ゲームの面白さもさることながら、こうしたちょっとしたしぐさや選手の表情が実に魅力的なんだよね、ワールドカップは。
だからはまちゃって、予選からこんな調子だから、決勝トーナメントが始まったら寝不足で病気になりそう。w
ではおやすみなさい。
163
:
IAOO.KK
◆ZKLVh/2jGY
:2006/06/17(土) 16:44:55 ID:IWstLgzA
>>161
>純粋客観的な視点を持つということはあり得るのか?
若葉氏への返信で、そうしたものがなければ仏教的な悟りもないのではないかと書きました。
これはは純粋客観というよりかは直観というべきでしょうか。
>外界は確固として存在し心はそれを忠実に反映するという前提があればいいのですが、それがなければ、客観的な事実が果たして本当に存在するかどうかも問題設定の枠組みになります。
諸行無常でない外界は外界たりえないともいえませんでしょうか。完全に静止した空間は何ら外界として知覚しえないとおもいます。
いや、写真みたいになるだろうという人もいるかもしれませんがそれとて光や電気、知覚信号が写真と脳まで動いていますから。
内界は確固として存在し、外界はそれを限定的に反映するのでしょう。外界は知覚器官が作り出す幻影であるというのが仏教などの宗教の主張だと理解してます。
内界は外界からみれば実在で普遍的で静的でありながら、外界を創造するということにおいて動的である。内界はイデアであって原因である。
内界において客観的なものは存在しない。…等々。
164
:
エートス
:2006/06/18(日) 22:24:46 ID:h8pvHBEA
>>163
IAOO.KK氏
レスありがとう。クロアチア戦見てますよ。川口お見事、PK止めたよ!
>若葉氏への返信で、そうしたものがなければ仏教的な悟りもないのではないかと書きました。これはは純粋客観というよりかは直観というべきでしょうか。
そう、純粋客観的な視点は直感であろうというのは当たっていると思います。ただし、その直感が直感として個人の内に留められ態度のバックグラウンドになっているいるうちは
いいのですが、言葉にして伝えようとした瞬間から、再構成が始まるのではないかということです。
KKに関して言えば大川氏はの依拠するところは直感だとしても紡ぎだす言葉は直感以外のものに従属しているのではないかということです。
>諸行無常でない外界は外界たりえないともいえませんでしょうか。完全に静止した空間は何ら外界として知覚しえないとおもいます。
いや、写真みたいになるだろうという人もいるかもしれませんがそれとて光や電気、知覚信号が写真と脳まで動いていますから。
諸行無常・諸法無我が外界の実態だとすれば、その本質は純粋客観的視点以外で捉えることはできないでしょうね。
>内界は確固として存在し、外界はそれを限定的に反映するのでしょう。外界は知覚器官が作り出す幻影であるというのが仏教などの宗教の主張だと理解してます。
この場合の内界はいわゆる心、外界はいわゆる世界と考えていいのでしょうか。それによって存在論か認識論かの話になってくるように思えます。
165
:
IAOO.KK
◆ZKLVh/2jGY
:2006/06/18(日) 23:58:16 ID:f9K01Yy.
>>164
>この場合の内界はいわゆる心、外界はいわゆる世界と考えていいのでしょうか。それによって存在論か認識論かの話になってくるように思えます。
ふつうは内界といえば心の世界を意味するわけですけれど、通常の意識、覚醒意識のときや夢をみている意識のときなど、視覚や聴覚などに五感化されるものすべてが外界であるとしたいのです。
そして、認識さえもが五感として知覚されます。心、これを第六感とすべきでしょうか。人間が感覚的に把握できる感情、思考さえもが外界としてみたいのです。
心が変化するものとして知覚・認識されるならそれは外界であるし、そうでないなら内界である。
目がものを見るが目は目自身はみることができないように、思考する者が思考でないといった対比をおもいうかべながら、あらゆる知覚に捕捉されうるものとあらゆる認識を外界としその他を内界としてみます。
>諸行無常・諸法無我が外界の実態だとすれば、その本質は純粋客観的視点以外で捉えることはできないでしょうね。
純粋客観というと私心をいれない観察というニュアンスですね。これをあなたは直感と表現されました。
外界を観察するものが外界すべてに自分から光をむけて外界から反射してくるすべての光をうけとめたとき外界の本質を捉える。
すなわち外界と同化して外界の本質を捉える。これを直観もしくは純粋理性とか純粋主観というべきかもしれません。
KKではなんて言いいましたでしょうか般若の知恵だったかな?
>KKに関して言えば大川氏はの依拠するところは直感だとしても紡ぎだす言葉は直感以外のものに従属しているのではないかということです。
そうですね。
アンチならそれは直感というよりパクリかいい加減な思いつきなのではとツッコミがはいりそうですが、例えば薬師如来=エドガー・ケイシーとか。
薬師如来って抽象固有名詞じゃないのかと。それは\(^^\) (/^^)/オイトイテ
大川総裁自身自分がどんな話をしたのか覚えてないわからないというようなことをいってたし、表現しきれなくて、面倒で適当に言ったというのがとくに霊言集・霊示集にみられるんではないかと思う。
大川霊言を劣化させるとアマリエ霊言になると考えるとわかりやすい。
ヤサはアンチから内村鑑三霊示集についてつっこまれて2千年前は気候がちがうんやといっていたのを思い出しました。
R・シュタイナーは昔と現代とはものの感じ方が全然違うといっています_ケルト人は自然現象から神霊を感じとった的な日本人その他もですが_これはおおざっぱにゆうとKKでは昔は霊能者がおおかったみたいなかんじてす。
>そう、純粋客観的な視点は直感であろうというのは当たっていると思います。ただし、その直感が直感として個人の内に留められ態度のバックグラウンドになっているいるうちは
いいのですが、言葉にして伝えようとした瞬間から、再構成が始まるのではないかということです。
ええ、霊界通信ものでもそういった高級霊の吐露もありました。ようするに語らずに心の裡に秘めとけと。
166
:
IAOO.KK
◆ZKLVh/2jGY
:2006/06/19(月) 00:09:48 ID:Zr/jAPJc
>>165
>R・シュタイナーは昔と現代とはものの感じ方が全然違うといっています_ケルト人は自然現象から神霊を感じとった的な日本人その他もですが_これはおおざっぱにゆうとKKでは昔は霊能者がおおかったみたいなかんじてす。
これは 内村鑑三霊示集で雪が降ったというのは、当時のイエス誕生のときの世相、ローカルオーラをアストラル的に霊視するとそう見えると。
砂漠は夜寒いというから実は雪ではなくて寒いから雪と誤解したと。必死で弁護してみる。
神智学的にイエスとキリストは別の霊でキリストがイエスに乗り移ったのがイエス=キリストなんですけれども。
167
:
IAOO.KK
◆ZKLVh/2jGY
:2006/06/19(月) 01:06:26 ID:Zr/jAPJc
>>165
>外界を観察するものが外界すべてに自分から光をむけて外界から反射してくるすべての光をうけとめたとき外界の本質を捉える。
すなわち外界と同化して外界の本質を捉える。
ちょっと改良しますね。
観察者が観察対象に観察者自身の光を投射し観察対象から反射するすべての光を吸収したとき外界の本質を捉える。
この視点を変えた表現が外界と同化して外界の本質を捉える。
本質を捉えるというと外界としての認識のようありますが観察者が光を発し光が対象に到達したことによによって観察者が観察対象になり、観察対象から光が観察者にもどったことよって観察者が観察対象の本質となったのだと。
観察者と観察対象とを分けているのは観察者の知覚器官である。もともと観察と観察対象(外界)をわけているのは分離作用そのものであり動きであり運動であり時間である。
こんなんでました。
168
:
IAOO.KK
◆ZKLVh/2jGY
:2006/06/19(月) 01:08:55 ID:Zr/jAPJc
>>167
脱字。
本質を捉えるというと外界としての認識のようありますが=>本質を捉えるというと外界としての認識のようでありますが
169
:
IAOO.KK
◆ZKLVh/2jGY
:2006/06/20(火) 23:16:49 ID:RKmsLhOE
>>168
脱字2 且つ 訂正。
もともと観察と観察対象(外界)をわけているのは分離作用そのものであり => もともと観察者と観察対象(外界)をわけているのは分離作用であり
* 分離作用があればまた逆の作用がありましょう。融合作用というべきか。
もともと全ては一つなのにどうして様々なものに分化していくのかと思っていましたけれど上記のように対になる作用があるからでした。
これで絶対的なもの(究極の一なるイデア)が相対的なもの(現象世界)に変わってゆくことに矛盾がなくなってくる。
易のプログラムをつくっていたので太極からヒントをえたところです。
170
:
エートス
:2006/06/21(水) 20:24:59 ID:af5Q9JiQ
なるほど、これを並べてみると分かります。内界は全てを包括し、外界はそれを部分的に反映するということですね。
>内界は確固として存在し、外界はそれを限定的に反映するのでしょう。
>あらゆる知覚に捕捉されうるものとあらゆる認識を外界としその他を内界としてみます。
そうすると、次は限定的あるいは部分的に反映させる要因は何かという疑問に突き当たります。
>砂漠は夜寒いというから実は雪ではなくて寒いから雪と誤解したと。必死で弁護してみる。
これはあなたの世界観からすれば問題ないと思います。霊言の主_この場合は内村鑑三ですか_の認識力が限定的だったということで、あるいは大川氏という媒体を通すことで大川氏の認識力に限定されたということでね。
>観察者が観察対象に観察者自身の光を投射し観察対象から反射するすべての光を吸収したとき外界の本質を捉える。
あなたは神智学の知識がおありだから、この光というのはたぶんそちら方面のテクニカルタームだと思いますが、これはわたしにはよく分かりません。
>もともと観察者と観察対象(外界)をわけているのは分離作用であり
この文脈だと観察者が内界のような印象を受けますが、観察者が観察者それ自体を知覚しているから観察者になれるわけで、知覚の作用が働いている以上は観察者は内界にはなりえないのではないでしょうか。そうすると分離作用というのは外界における分離作用になると思います。
171
:
エートス
:2006/06/21(水) 20:28:11 ID:af5Q9JiQ
すみません、アンカー忘れました。
わたしの170のアンカーは以下の通りです。
>>169
IAOO.KK氏
172
:
IAOO.KK
◆ZKLVh/2jGY
:2006/06/21(水) 23:19:38 ID:IFL/nBRo
>>170
>>観察者が観察対象に観察者自身の光を投射し観察対象から反射するすべての光を吸収したとき外界の本質を捉える。
>あなたは神智学の知識がおありだから、この光というのはたぶんそちら方面のテクニカルタームだと思いますが、これはわたしにはよく分かりません。
これはKKでも言及されいますが__光は照らす(ものごとを明らかにする)__太陽の光のことのみではなく認識する主体にとって必要なものです。
認識主体自身が光りを発し、反射された光が認識主体にもとってこなければ認識は生まれないのです。これはR・シュタイナーからきてますが。
>この文脈だと観察者が内界のような印象を受けますが、観察者が観察者それ自体を知覚しているから観察者になれるわけで、知覚の作用が働いている以上は観察者は内界にはなりえないのではないでしょうか。
いや、実際は観察者は観察者自身を知覚していません。知覚しているのは観察者の携えているものなんです。そうでなければ観察者は観察者の立脚点をうちないます。観察者自身が観察行為をすることによって自己自身を観察するなら自己消滅してしまうでしょう。
そのおかげて観察対象は観察対象自身たりうるのでしょう。例えば人間は人間の体や感情や思考を観察しますがそれは人間の本質ではありません。観察者自身ではありません。観察者自身が観察者自身を観察しているのならば、それは目は目自身をみることができるといっているようなものです。
神智学はこれが無知の状態だといっています。無明ですね。それで、観察者、観察主体さえもそれを包摂する相対的に内界の存在には外界にみえるということになります。
そのような存在にいたってはじめて最初の観察者が観察対象になります。
>そうすると分離作用というのは外界における分離作用になると思います。
分離作用が始まると同時に原始的な外界が成立しています。考えることそのものが分離作用なんですね。A=Bという数式さえ存在しますw
まだおかしいところがあったら指摘してください。私も考えながらやってますw
173
:
IAOO.KK
◆ZKLVh/2jGY
:2006/06/21(水) 23:38:15 ID:IFL/nBRo
>>172
観察者は観察者の立脚点をうちないます。=>観察者は観察者の立脚点を失います。
>分離作用が始まると同時に原始的な外界が成立しています。考えることそのものが分離作用なんですね。A=Bという数式さえ存在しますw
まだおかしいところがあったら指摘してください。私も考えながらやってますw
原始的外界はそれより外界のものにとっては相対的に内界ですね。分離作用と対になる融合作用は分離作用を成立させます。
なぜ分離がはじまるのかは理由はわからないかもしれません。宗教的には「それはかみの御心だ」とかいう表現がつかわれます。
分離する理由はなく意志または衝動または欲求があるだけなのではないのかと考えています。
はじめに無色の円があり、これが宇宙そのものとすると次に太極にわかれるのでしょうが、何で分かれるんだろうw
たぶん、別れたいからw
174
:
IAOO.KK
◆ZKLVh/2jGY
:2006/06/22(木) 00:41:06 ID:uFhXNBLY
>観察者自身が観察者自身を観察しているのならば、それは目は目自身をみることができるといっているようなものです。
これ、「目は目自身をみることができる」といえるのはいう人が目以上の存在だからですね。
また、人間が自然を目で観察してそれを視覚として知覚できるのは何故でしょう。可視光線があるからです。
人間は自分からものを見るため十分な可視光線を発している訳ではないのにものを認識できるのは何故か。
人間の魂が脳に対して光を送り、脳が反射したものを受け取っているからです。
また秘教的にいっても太陽の本質と人間の魂の本質は同一のもので、物質的にも人間はその存在するためのエネルギーをを太陽に追っています。
神智学を学んでいて疑問におもうのは人間は太陽系をはずれると脱魂して気絶するのだろうかとw
175
:
IAOO.KK
◆ZKLVh/2jGY
:2006/06/22(木) 00:50:35 ID:uFhXNBLY
>>174
>人間が自然を目で観察してそれを視覚として知覚できるのは何故でしょう。
☆人間の魂が脳に対して光を送り、脳が反射したものを受け取っているからです。
私はこのように説明しましたが、R・シュタイナーは「観察する人の自我がその観察物のところにいってもどってきているからだ。」といってました。
まぁ、意識がなければ認識もないと。そりゃそうだが…。
176
:
IAOO.KK
◆ZKLVh/2jGY
:2006/06/22(木) 01:00:18 ID:uFhXNBLY
>>175
ということで人間が熟睡すると目をあけていても対象をを視覚化してとらえないということは観察者自身は肉体ではないし、知覚でとらえているのは観察者の装備であるということにならないでしょうか。
これ高橋信次センセも使ってたネタ。
177
:
エートス
:2006/06/24(土) 00:13:10 ID:oLJvCvyM
>>172
IAOO.KK氏
実は例の国際蹴鞠大会の後遺症で今日は非常に眠いので変なことを書くかもしれないが、お許しを。以下はなんとなくわかるようなわからないような。
>いや、実際は観察者は観察者自身を知覚していません。知覚しているのは観察者の携えているものなんです。
つまり自我意識があるうちは観察者自身ではないということですね。
>そうでなければ観察者は観察者の立脚点をうしないます。観察者自身が観察行為をすることによって自己自身を観察するなら自己消滅してしまうでしょう。
自己消滅というより観察という行為は自己分裂あるいは自己分離を促すということではないのですか、観察者と被観察者に。つまりオリジナルはオリジナルとして被観察者になることなく存在し続ける。そう考えると分かりやすいのですが。
>それは目は目自身をみることができるといっているようなものです。
目は鏡に映せば見ることができます。だから投影というのは必要であり、自己認識の手段であると思うのですが、それも全て外界での作用と考えるなら、内界は永遠に捉えることはできないと思うしかないのでしょうか。
>なぜ分離がはじまるのかは理由はわからないかもしれません。宗教的には「それはかみの御心だ」とかいう表現がつかわれます。
分離する理由はなく意志または衝動または欲求があるだけなのではないのかと考えています。
このあたりはよくわかりますね。KKは因果律を宇宙的な原理としていますが、分離融合もたぶん宇宙的原理なんでしょう。
美術部だったということで美術関係の話を少し。
>ということで人間が熟睡すると目をあけていても対象をを視覚化してとらえないということは観察者自身は肉体ではないし、知覚でとらえているのは観察者の装備であるということにならないでしょうか。
印象派の先駆けであるモネは視覚の持っている対象物を映す機能をとことん追求しようとした結果、光そのものを描くことへシフトしましたが、その結果生まれた絵は何の形にもみえなくなっていきました。
また、ピカソやブラックが抽象空間をキャンバスに映し始めたときはいわゆる「均質化」が起こり、どれが誰の絵かが分からないような状況になりました。
これらは全て主観をできるだけ排してものそれ自体をとらえようという欲求から起こったわけですが、対象を視覚化してとらえようという試みを押し進めていくとそこにいわゆる三次元空間での形は残らなくなることが伺えます。
ですから必ずしも熟睡の例は観察者が肉体ではないことを示すものではないと思います。
知覚は自我意識を離れることはできませんからこれは装備と考えていいでしょう。
178
:
IAOO.KK
◆ZKLVh/2jGY
:2006/06/24(土) 11:41:51 ID:rw539qmU
>177
>自己消滅というより観察という行為は自己分裂あるいは自己分離を促すということではないのですか、観察者と被観察者に。つまりオリジナルはオリジナルとして被観察者になることなく存在し続ける。そう考えると分かりやすいのですが。
「観察者自身が観察行為をすることによって自己自身を観察するなら自己消滅してしまうでしょう。」は観察者がいた次元から観察者が内界に撤退するという言い方の下手な表現でした。
私の主張からいうと観察者と観察対象は同次元のものではないので、観察者が観察者自身を観察しようとするとき観察者自身は一段内界に退きそこから観察者自身であったものを観察するという言い方になります。
これは自分の肉体諸器官を知覚観察しそれを自分自身でないとみなし、次に自分の感情を観察しそれも自分自身でないとみなし、次に思考を観察しそれも自分自身でないとみなし、前三者全てを総合したものさえも自分自身でないとみなし次々と裡へ退いていく課程を想定しています。
これは観察者自身からどんどん非自己を切り離していますが同時に内的な統合感覚、統合認識、統覚を取り戻しているはずなんです。そう思えない場合は自分自身でないが自分自身とおもっているに執着しているからでしょう。
観察行為は観察対象を観察者自身と同一視したときは自己分離でありそうでないときは自己融合を引き起こす。これは観察対象が観察者かそうでないかにかかわらずです。
これはふつうは反対なんじゃないかとおもうけれども自己自身の内界からの切り離され具合、外界との自己認識の巻き込まれ具合から考えるとこれでいいと思います。ここでいう自己は遍在する自己になりましょう。
>目は鏡に映せば見ることができます。だから投影というのは必要であり、自己認識の手段であると思うのですが、
否定はできません。ラージャ・ヨガでは「宇宙は魂のために存在する」とあり宇宙魂が自己自身を認識するために宇宙が存在するんでしょう。人間にしても同様だと思います。
>それも全て外界での作用と考えるなら、内界は永遠に捉えることはできないと思うしかないのでしょうか。
そうかもしれません。ただそれは対象を知覚するという方法以外の認識の仕方があれば解決できるでしょう。先日は対象との同化といいました。ここでは合一と言い直すべきでしょうか。でも内界は既に大いなる自己として既に全てが知られており、小さな自己は分離が生じているため、また無知なるがゆえにそれに気づいていないのだといっておきたいです。
>これらは全て主観をできるだけ排してものそれ自体をとらえようという欲求から起こったわけですが、対象を視覚化してとらえようという試みを押し進めていくとそこにいわゆる三次元空間での形は残らなくなることが伺えます。
ピカソの抽象画などはイデア的なものの静的な部分の二次元的表現なんでしょうけれど、「均質化」は平面に抽象的なものを強引に展開するからそうなるのであって存在の継続性に置いて均質であって表現において多態なんだろうとおもいます。ゲーテも原植物という理念をもっておったそうです。エーテル視力というのはものが突き抜けてみえるといいますが、アストラル視力というのは上下左右表裏中から見えらしいです。
>ですから必ずしも熟睡の例は観察者が肉体ではないことを示すものではないと思います。
「観察者」が観察する肉体人間という意味ならば観察者は肉体でしょう。
「観察者」が観察対象を認識する主体としてみたならば観察者は肉体ではないでよいですか?
覚醒中において目がつぶれたらものが観察できないし、脳の視覚野やその他の領域が損傷したら眼球で見えても見ることができないわけですが、目がつぶれただけでは認識主体は健在であるし、目が健全で視覚情報を受容しても脳が損傷しておれば認識主体が存在しないと断定しえるのかどうか。
断定しえるとしたら、さきに例としてだした「熟睡時に目をあけて…」には脳が損傷していない場合の話ですが、脳の該当部分の電気活性状態こそが観察者・認識主体なのでしょうか?
しかし、これとて夥しい数の脳細胞たちの彼らなりの観察とそれに基づく反応の集合でそれが活発な状態のことあります。唯物的な見方からみても物的なものからエネルギー的(=霊的、非物質的)なものへと観察者・認識主体を捜しもとめねばならないように感じます。
179
:
エートス
:2006/06/24(土) 22:47:08 ID:oLJvCvyM
>>178
IAOO.KK氏
>私の主張からいうと観察者と観察対象は同次元のものではないので、観察者が観察者自身を観察しようとするとき観察者自身は一段内界に退きそこから観察者自身であったものを観察するという言い方になります。
観察者が内界に退く、すなわち他次元に退くあるいは移動するということですね。そうすると非観察者は置いていかれるわけで、それは分離することと同義にはならないのですか。
>これは観察者自身からどんどん非自己を切り離していますが同時に内的な統合感覚、統合認識、統覚を取り戻しているはずなんです。
外部的には分離であるが内部的には統合であるというのは分かりますが、統合の感覚は自己認識ですから、まだそこでは分離がおきていると思うのですが。
>観察行為は観察対象を観察者自身と同一視したときは自己分離でありそうでないときは自己融合を引き起こす。これは観察対象が観察者かそうでないかにかかわらずです。
自己分離は自己融合と相対するものですがベクトルが反対というだけで、機能としては同じものなので置き換え可能でしょう。しかし融合あるいは統合という感覚がある限りは自己認識機能は残っているはずです。
>これはふつうは反対なんじゃないかとおもうけれども自己自身の内界からの切り離され具合、外界との自己認識の巻き込まれ具合から考えるとこれでいいと思います。ここでいう自己は遍在する自己になりましょう。
いや、この逆説は理解できますよ。
>ただそれは対象を知覚するという方法以外の認識の仕方があれば解決できるでしょう。
あるとすれば直感でしょうね。
>「均質化」は平面に抽象的なものを強引に展開するからそうなるのであって存在の継続性に置いて均質であって表現において多態なんだろうとおもいます。
写真は光の粒子という抽象的なものをとらえることで平面に画像を焼き付けます。その画像はきわめて具象的で均質化は起りません。しかし画家が写真と同じことをすると均質化が起きるということは、もちろんあなたがおっしゃるように目そのものの問題ではないということです。
そこには認識の機能が働くわけですが、先験性をできるだけ排した目に映るものが均質であるということは世界がそうしたものである可能性を否定できないということです。つまり認識して初めて世界が存在するということですね。
>ですから必ずしも熟睡の例は観察者が肉体ではないことを示すものではないと思います。
私が言いたかったのは「熟睡時に目を開けて、、、」とは目の機能に関しては言いうることですが、脳の機能に関しては舌足らずな例、つまり唯物的な域を出ていないということです。説明が不十分でした。
180
:
IAOO.KK
◆ZKLVh/2jGY
:2006/06/25(日) 00:53:48 ID:kucqYZlo
>>179
>観察者が内界に退く、すなわち他次元に退くあるいは移動するということですね。そうすると非観察者は置いていかれるわけで、それは分離することと同義にはならないのですか
分離といってもいいですが分離というと同質のものが二つに分かれる感じがありますので解脱とでも呼びたいです。
私の主張からいうとそれは分離ではなく、融合であって、観察者はパワーの源にちかづきより根源的で高質のエネルギーを操作できるようになり、
かつて観察者自身であったが観察者でなくなったものやそもそも当初より観察対象として認識していたものに注意を払わなくなり、事実上観察者にとっては分離してしまった観察対象は認識の対象外となり存在しなくなるということがひとつです。
大いなる自己との合一がすすむと同時に対象の本質との融合も進む。観察者自身の融合が拡大して対象との同一化をやめて観察対象から自由になったとき、脱ぎ捨てたとおもったものは観察者自身のなかに対象の本質として包含されているということになります。
かえって抜き捨てたものを手中に収めている。抜き捨て自由になった対象とおもわれたものは実は実質がないただの形態になっています。
形態としてはあるんだろうと認識すればあるし、しなければない。結局は意識の焦点が移動しただけでもともとは対象を捨てもしてないし、拾いもしてないとうことになりましょうか。
>外部的には分離であるが内部的には統合であるというのは分かりますが、統合の感覚は自己認識ですから、まだそこでは分離がおきていると思うのですが。
対象を知覚したり、思考原理を使用するかぎりは分離はおきている。直感や直観を使用するならば分離はおきていないということでいいでしょうか。
ちなみに第3光線の主は機能は分割しえないものを分割する機能で「時間を分与するもの」とか「空間の主」とか「見られたものを解釈するもの」とか呼ばれます。
KKでは青色光線の長は誰だったかしら。
181
:
青の青
:2006/06/28(水) 02:00:48 ID:tCWYIVGw
人倫系擁護の青の青復活ですw
愛を宿さない存在は存在しない。では悪魔に宿る愛とは何か?
それは天使を鍛えるという事。
悪あってこそ、悪魔あってこそ、天使は修業が出来るのです。
では修業の成果をご披露しましょう。(おおっと天使宣言になってしまったw)
『戒律とは何か』
戒律をもっと身近に簡単に例えるならば、「子供は火や刃物を使っちゃいけません」これです。
火や刃物の恐ろしさを知らない子供は、これらを振り回したりして遊ぶ事があります。
それは一歩間違えれば、生活を破壊し、人間関係を破壊し、命をも奪ってしまう、恐ろしいものです。
しかし、その恐ろしい物を使える事こそが、人間らしさだとも言えます。
人間はこれらを使って文明を築いてきました。
火や刃物の恐ろしさを知った上で、その有用性、素晴らしさを知り、発揮してきたのです。
>上が下に守らせるためにあるもので、上は守らなくてもよいのだ。
>上が守ってなくても、下の者はそれを批判してはいけない。
つまりこれは、大人は使っても良いが、子供は駄目だ。悟っているならいいが、悟っていないなら駄目だ。
この様になります。
182
:
青の青
:2006/06/28(水) 02:35:23 ID:tCWYIVGw
火や刃物で破壊されるのは物質ですから、人間にもはっきり解ります。
しかし、戒律によって守られているのは目に見えない『心』です。
心が守られるとは何か、それは結局『悪想念』を出さないようにするということ。
これは加害者、戒律を破った者だけではありません、被害者もそうです。
むしろ被害者こそ多量の悪想念を出す場合が多いかもしれません。
では本題の不倫に入りましょう。
異性との性的関係、それは何か。
人間が、いや生物が最も重視する愛の行為ではありませんか。
勿論、強姦のような奪う愛であってはいけません。
与える愛の想いである事が大前提、大原則です。(強姦から夫婦が生まれるような国も在るようですが・・・例外でしょう、やはり)
では、悪想念が出ない『不倫』で有るならば『ふしだら』とならないのか?
ならない。私はそう答えたい。
悪想念さえ出ないのであれば、男女が結ばれる事は、世界に愛が増える事だと思う。お互いの関心を増し、絆を増す行為で有るからだ。
183
:
青の青
:2006/06/28(水) 03:11:16 ID:tCWYIVGw
さて、悪想念が出る事についても言及しておこう。
加害者、浮気をする側が悪想念を出す、性欲肉欲の悪想念を出すという事が罪であると言う事は解りやすいであろう。
しかし、被害者の側が裏切られたと思い、憎しみ、嫉妬の悪想念を出すという事が罪であるという事を受け入れるのは難しい事だと思う。
だがしかし、罪なのだ。どんな事情があろうと、自らの出した悪想念は自らのものである。自己責任なのだ。
被害者が悪想念を出すのは結局は、独占欲、そして不信である。
真に悟った者ならば、この世に愛が増えた事を祝福しなければならない。
さて、この様な事を言えば、欲に溺れる者が増えるのが世の常なのであろう。
それを防ぐためにも、人間は精神的なものに目覚めていかなければならないだろう。
悪想念のない不倫を実現するためには、結構な高いハードルがある。
第一に、夫婦に固い信頼があること。
第二に、自分と相手が独占欲を持っていないこと。
第三に、責任をとる能力と自覚があること。つまり子供を育てるということ。
通常であれば、第一の信頼があれば、不倫をしようとは思わないものだ。しかし、これが世界に愛を増やす聖なる行為であると見る事が出来れば、実行されるであろう。
184
:
青の青
:2006/06/28(水) 03:37:50 ID:tCWYIVGw
愛を深め合う方法について、少し考えを述べたい。
愛を深め合い、信頼を深め合う、
それは結局は、愛を与え合うという事だと考える。
愛を与えるには、相手の望むものを与えなければ、やはり喜びは少ないだろう。
その為には相手に望んでもらわなくてはならない。
「親死に、子死に、孫死に・・・」この様な足る事を知り過ぎたような人は、逆に愛を受け取りにくくなり、与えられても喜びが少なくなるのではないだろうか?
また、与える方にしてみても、与えられるものがなかったならば、一種の挫折のように感じ、悲しみがあると思われる。
つまり、愛を深め合う為には、望みを言い合い、そして叶え合う、これであると思う。
この、望みを言うということは、わがままを言うという風に現れる事は充分予想される。
185
:
青の青
:2006/06/28(水) 03:52:16 ID:tCWYIVGw
念縛りについて考えてみたい。
愛というものは、愛した相手の願いを何なりと聞き届けたい、少しでも役に立ちたい、そういう思いを抱かせる。
この愛の思いは、仏にも同じであると考える。
そして、仏の思いは法則として表れ、念の法則として現れていると思う。
総裁先生もまた、全ての者を愛しておられるのだろう。
そして、強く願われているものを優先しようとしてしまう、
それが念縛りなのではないだろうか。
186
:
青の青
:2006/06/28(水) 04:42:18 ID:tCWYIVGw
予言についても書いてみましょう。
予言が外れたと言って批判されることも多いですが、
「予言を外れさせるために来た」というような事もいっていますからね。
予言が当たったら当たったで救済力がないと批判される事になるはずです。
予言をしなかったらしなかったで、予言も出来ないと批判が出るでしょう。
ラクダと兄弟のたとえ話があります。
ラクダを連れた兄弟が砂漠を旅していたらすれ違った旅人に「ラクダに乗らないとは愚かな兄弟だ」と言われ、兄が乗れば次の旅人に「弟思いでない兄だ」と言われ、弟が乗れば「兄をないがしろにしている」と言われ、2人で乗れば「動物虐待だ」と言われ、最後にはラクダを担いだというたとえ話です。
批判とはこの様な所があるという話です。
それでは何故予言をしたか、それは危機を回避するため、備えるためと考えるべきでしょう。
防災訓練の参加者は、災害があったあとに増えるものです。
危機が迫っていると知らなければ、備える事も、回避のために努力する事もしない愚かな所があるものです。
では良い方の予言はどうなのか?目標は高い方が良いものだ、ということでしょう。
予言と言ったってそれを成就させるのは信者一人一人の努力ですから。
187
:
ジラン
:2006/06/28(水) 18:14:20 ID:7BrWnnCs
>>上が下に守らせるためにあるもので、上は守らなくてもよいのだ。
>>上が守ってなくても、下の者はそれを批判してはいけない。
>つまりこれは、大人は使っても良いが、子供は駄目だ。悟っているならいいが、悟っていないなら駄目だ。
この様になります。
kkでは悟ってなければ不倫は駄目だが、悟っていれば不倫して複数の若い女性と肉体関係を持って生で中田氏やり放題だ。
この様になります。
悟りが進めば殺人も許されるとしたオウムの教義と本質的に同じものがあると思われます。
188
:
ジラン
:2006/06/28(水) 18:25:39 ID:7BrWnnCs
オウムのポアの思想にしても
悟った者は「悪想念」を出さない殺人が出来る。
地下鉄に乗っている悪人達にこれ以上罪を犯させない、あるいは既に犯した罪に対する懺悔として悟りたる者サリンを使い死刑執行という功徳を積んだ。
と解釈することも出来ます。
青の青氏の解釈を使えばオウム麻原ももkk大川も正当化できるのです。
189
:
ジラン
:2006/06/28(水) 18:31:31 ID:7BrWnnCs
>>183
引用省略のためアンカー付き
>第一の信頼があれば、不倫をしようとは思わないものだ。しかし、これが世界に愛を増やす聖なる行為であると見る事が出来れば、実行されるであろう。
「愛を増やす聖なる行為」と言ってはいるが
大川が愛人と肉体関係を持ち「光を入れる」と言って愛人の膣内に「精子を注入する」ことが、
何故「愛を増やす聖なる行為」なのか説明がなされていない。
この部分のを説明できるのだろうか?
190
:
ジラン
:2006/06/28(水) 18:48:26 ID:7BrWnnCs
反論に先回りして書いておくと
殺人は家族等が悲しむなど迷惑がかかるが、聖なる不倫による和姦ならマイコンが溶けないうちは誰にも迷惑がかからないというかもしれないが、
死刑にしても家族など悲し者がいる。死刑反対派であれば懲役刑でも悲しむ家族などがいる。
しかし罪を犯したのなら止むを得ない。
kkで許される不倫があるようにオウムでも許される私刑(法律によらない刑)があることも考えられる。
また大川の外れた予言のように、「この地下鉄の乗客は生きていればとんでもない罪を犯すと」予言することも出来る。
したがって悟りたるものは不倫も殺人も許されるという考えも出来る。
191
:
ジラン
:2006/06/28(水) 19:08:31 ID:7BrWnnCs
不倫でも愛人の親が知って、もしその親がkk的信仰心がない、もしくはkk的信仰心や悟りが低い場合悲しむでしょうね。普通なら。
ただ「愛を増やす聖なる行為」ならkk的悟りの低い親の悲しみなど、kk的には瑣末なことなのでしょう。
192
:
初代
:2006/06/28(水) 19:43:56 ID:VYScEijc
>>186
青の青さんへ
以前、こちらのどっかに書いたと思いますが、探すのが面倒なので再編集版を。
>予言が外れたと言って批判されることも多いですが、「予言を外れさせるために来た」というような事もいっていますからね。
もちろん、知っています。
>予言が当たったら当たったで救済力がないと批判される事になるはずです。
ところがどっこい、論理的にそういうことにはならない。
KK教団が拡大し世の価値転換が起きていた場合、おっしゃるように予言は外れて「よし」。
しかし、その逆の場合、予言は当たっていなくてはならなかった。
そして、その場合むしろ(KK的)道理が通ることで、自らの信用が増すことになったはずなんよね。
解りますでしょうか?
>それでは何故予言をしたか、それは危機を回避するため、備えるためと考えるべきでしょう。…危機が迫っていると知らなければ、備える事も、回避のために努力する事もしない愚かな所があるものです。…予言と言ったってそれを成就させるのは信者一人一人の努力ですから。
危機を回避するために、教団は何を優先課題として動いて、何を成したか?
KKのいう「備え」とやらは何であったか?
信者一人一人…その総和としての教団の努力と、前世紀末までに成せたことは?
予言ですが、「このまま行くとこうなる」ので「教団として、このような活動に重点をおく」ということで進められていたわけで、当然ながら活動に成果がなければ「このまま行ってしまう」のが道理。
KKは世紀末予言路線を敷いていた。そして、活動の重点項目を幾つか持ってそれに臨んでいた。反として「講談社」「創価学会」「核兵器」等、正として「三塚博」「国内外伝道と拠点作り」等。
でね、活動の成果が芳しくなかったのにもかかわらず天変地異回避とはこれ如何に?ということよ、何度となく問うてきておりますが。
「悲劇的な予言が回避されてよかった」でも「今、頑張り続けている」でもない。「KKの活動によって“2000年まで”に、世の中の何が変わったというのでしょうか?」というシンプルな問いです。
お分かりのことでしょうが、未だに講談社は日本一の出版社であり続け、創価学会は日本一の宗教団体であり、公明党の獲得票数は微増を続け政権与党の側に就き、地球を何度も破壊できる核兵器は世界中にあり続けている。三塚博は政治の中心に近づくことなく亡くなられた。
また、信者さんでしょうから、2000年までに幾つ「精舎」「正心館」等の施設が建てられたかについてはご存知のことでしょう。
予言で煽りに煽り、かき集められ大本営発表された「信者数1000万人」がハリボテだったことは、信者サイドとて認められますよね?
教義的にも補足。
KKでは、天変地異は因果律とセットで語られていました。
人類の悪想念の集積の結果、それはノミの付いた体を犬が掻くが如く、至極当然の流れの末に起こるとされた。KK的に表現するなら、人情の及ばない10次元レベルで粛々と執り行われる冷徹な「法則」。
一方、人レベルでいっても死後の世界があるとする立場からいえば、人の「死」それ自体は決して悲しむべきものではない。もちろん、親しき者との別れという瞬間的な悲しみすらありはしないだろうと言っているわけではない。しかし、長い目で見た悲しみではなくなる。これが、宗教が提供する達観のひとつでしょう。
つまり、天変地異は単純に悲しむべき出来事というわけではないはず。人類の悔い改めなくば、当然の果として起きる事。また、多くの人類の死も、各個人の心境によって行く先を決められるという、ただそれだけのことともいえる。
宗教的価値からいえば、「悔い改め>この世の死」なのは明らか。逆にいえばやよ、悔い改めなき状況の継続の方が、天変地異よりも酷いことになる。
あと、「らくだと兄弟のたとえ話」ですか…。
結局、外れた予言にツッコミが入っているわけで、上記のように当たっていれば入れられるツッコミはありませんので、譬えの引用としては的外れかと。
復活期限は2日ということですね。
レスして昇天希望です。
最悪、再復活時にレスを。
193
:
青の青
:2006/06/28(水) 21:51:11 ID:tCWYIVGw
>>ジラン氏
私の考えが容易に受け入れられるとは私自身思ってはいないし、信者であってもあなたの様に受け入れられないと言う方は多いだろう。
私の言ったハードルは生易しいものとは思わない。
告発を事実と仮定してだが、現在の騒ぎをみれば、総裁の行為は失敗だったとするべきだろう。
いや、だがしかし、戒律を越えたる境地に導くには、先ず批判を覚悟で越えて見せなければ、考えさせる事さえ出来ないのではないだろうか?
それから、悟っていればやりたい放題、というのは違う。何でもかんでも勝手気ままにやっていいというのではない。
悟った者は、幸福が広がり、喜びが広がる事を我が喜びとする。
だから、悲しみ、怒りが広がるような行為を悟った者が求める事はない。もしも、そのような行為があったとするならば、それ以上の人を導くようなものを含んでいるはずだ。
私は「火や刃物は大人はいいが子供は駄目」と例えたが、大人なら火や刃物で好き勝手やっていいという訳ではない、当然だ。
大人であっても火や刃物を人に向けたりしてはいけない。
しかし医者などであれば火や刃物を向けることが許される。
この様にダメとされることも知恵あるものがより高次な目的のためなら良しとされる。幸福が広がるからである。
戒律というものは幸福を守るために存在している、しかし、幸福を押し止めている側面も同時に存在している事を指摘したい。
>「光を入れる」と言って愛人の膣内に「精子を注入する」ことが、何故「愛を増やす聖なる行為」なのか
「精子を注入する」が重要ポイントだと見るが、そこはよくは解らない。避妊すれば認めると言う訳ではないのだろうけれども。
まあ、ナマの方が気持ちいいと言う話ならあるようだが。
ポリネシアンセックスというのを聞いた事はあるかな?非常に気持ちいいらしい、非常に興味津々なのだが、それはコンドームがあると上手くいかないらしい。生態電流がどうとか言っている者がいたが。先生のセックスはあんな感じなんだろうか?
194
:
ジラン
:2006/06/28(水) 22:18:01 ID:7BrWnnCs
好き放題ではないがやりたい放題ではないが、あるものがより高次な目的のために知恵を持って行うならば、大川の愛人との性交渉も、オウムによるポアも許されるということですね。
>「精子を注入する」が重要ポイントだと見るが、
これは重要ポイントじゃないよ。重要ポイントは大川が不邪淫の戒を破っていること。
あと、ファルコンさんがいいの出してくれたよ。でも「愛を増やす聖なる行為」にはワンステップはいるけれど。
391 :ファルコン ◆ejUolgR5L2 :2006/06/28(水) 22:05:01 ID:Y5jOF05F
何故、私の尋問をした富岡無空が、当初
「総裁先生に愛人なんかいるわけ無い。第一、そんな時間的、空間的余裕などあるはず無い」と主張した。
だが、私の報告書を読んだとたん
「総裁先生は、昔ファラオだったんだから、複数のお后がいて当然だ」に変わった。
私の報告に時間的、空間的矛盾が無かったからだ。
この報告書の存在も客観的事実。それを否定するなら、この報告書を具体的に否定して見せよ。
195
:
ジラン
:2006/06/28(水) 22:40:12 ID:7BrWnnCs
富岡のはkk的には模範解答なのかもしれないが
その模範解答を会員に公表できずにビューティー問題は嘘だったとする理由は何故だろうね?
というか事実を隠されている信者側から見てどう思うのか?
196
:
青の青
:2006/06/28(水) 23:30:16 ID:tCWYIVGw
>>初代氏
伝道の手段として勧誘はある。
信者が増える事が伝道の全てではない。成果の全てではない。
最近はスピリチュアルブームだそうだ、オーラの泉という番組も結構人気が有る様子。
この様に人々の興味関心が霊的なものにシフトしていき、ブームとなることは私は成果だと考える。
今世紀になって唐突に興味を抱くようになったわけではないはずだ。
>KKのいう「備え」とやらは何であったか?
心を見つめ心を正す、結局はこれしかないと思います。
これを多くの人たちに為してもらうために、伝道はあると思います。
それ以外の他団体やら箱物やらは副次的なものと私は思います。
予言が当たっていれば「外れさせるために来た」と言う発言は槍玉に上がると思います。
外れさせる能力を持っていると暗に示している物ですから。
197
:
青の青
:2006/06/28(水) 23:42:36 ID:tCWYIVGw
>>194
ジラン氏
>重要ポイントは大川が不邪淫の戒を破っていること。
戒律には幸福を押し止めている側面も同時に存在している。
これが端的な回答です。
故に人間は戒律を(正しくですよ)越えて行くべきだと考えます。
>>「総裁先生は、昔ファラオだったんだから、複数のお后がいて当然だ」
>富岡のはkk的には模範解答なのかもしれないが
私は模範だとは思えませんね、過去世は過去世、今世は今世でしょう。
>の模範解答を会員に公表できずにビューティー問題は嘘だったとする理由は何故だろうね?
容易に受け入れられるとは思えないからでしょう。
もしも私が責任ある立場だったら、言えませんよ。
198
:
ジラン
:2006/06/29(木) 01:22:47 ID:V0qGczhU
富岡がどういう立場か知っているのか?青氏も随分偉くなたもんだw
大川も麻原も正しく戒律を超えたということだな。
大川の場合、正しく戒律を超えたのに会員には容易に受け入れられるとは思えない。
会員どころか中枢職員の間でもなかった事にしなければならない内容の
どこが幸福を守り幸福を広げていく行為なのか?
そして誰のための幸福なのか?救世主なら自分が気持ちいいセックスをしてそれで幸福ならば世を救えるということなのか?
そして臭い物に蓋をするように事実を否定し嘘をよしとすることが会員の幸福だといいたいのか?
君はただ大川のすることだから無条件に矛盾から目を背け正当化して、かつその行為をネットで世間に晒しているだけだ。
199
:
ジラン
:2006/06/29(木) 01:26:37 ID:V0qGczhU
大川が殺人をしても同じことが言えるかもしれない。一昔前だったら大川が不倫をして愛人たちとセックスをしているなどという情報は想像もつかなかった。それが今かなりの信憑性を持って公開された。
そしてなにより君自身がそれを受け入れる方向でいる。事実だとしても自分の信仰が揺れないように、自分にだけ理解できる理屈を作っている。
岡目八目とはよくいったものだが、それが第三者的には、本質的にオウムと変わらない背徳礼賛の思想だということだ。
200
:
ジラン
:2006/06/29(木) 01:30:38 ID:V0qGczhU
大川の不倫情報なんてものは、いくら隠しても、
というか先にネットで公開されているのだが、それをなかったことにしようとしても、すぐに伝わってしまうことぐらいわかるだろう。
それを隠そうとする幹部、たとえば富岡がいくらkk的には講師として優秀だとしても、無駄な努力をしている能無しにしか外部には見えない。
201
:
ジラン
:2006/06/29(木) 01:52:40 ID:V0qGczhU
正しいという基準が「大川」になっているということは
第三者的に見れば非常に危険だと言える。
いくら青氏が「大人であっても火や刃物を人に向けたりしてはいけない。
しかし医者などであれば火や刃物を向けることが許される。」などと喩えを持ち出しても
これは「大人であっても火や刃物を人に向けたりしてはいけない。
しかし大川であれば火や刃物を向ける、更に人を傷つけることが許される。」に簡単に置き換えられる。
ましてkk的三位一体で仏と僧が一体であれば「kk信者であればであれば火や刃物を向ける、更に人を傷つけることが許される。」になる。
これが「愛大川無罪」ですね。
202
:
AHW
:2006/06/29(木) 02:00:04 ID:XclZFWDA
青氏は、元祖「愛kk無罪」論展開者だったからね。
2ちゃんじゃいいじち氏が、愛人関連情報が事実でも自分はやめないが何か?ってこともなげに表明してたから、
もちろん信者間で感じ方はわかれるとは思うけど結構、たいしたことじゃないだろがって連中は多そうだわな。
税金や適法関係の指摘と違ってさ、大川氏個人のプライベートなあれやこれや部分ってのは
ほんとに実証も反証も困難な(証拠確保って意味ね)範疇であるのは間違いない。
写真やビデオ、あるいは直接当事者による証言や告発とかがないと。
そういう実証が出なければ、kk側は永遠に捏造、中傷だからで処理可能(内部向け)だし
万が一実証がでれば、社会の破壊を実行したアレフほどでないにしてもさらに激減するのは間違いない。
203
:
ジラン
:2006/06/29(木) 02:17:42 ID:V0qGczhU
kkの理論というのは、一つの事象に対する複数の考えの中から
大川やkkに(最も)都合のいいものを、検証なしで無条件に採用するということです。
中途半端な理屈しかなく、結局「大川やkkの実情がどうであっても自分の信仰心は揺らがない」に行き着くのです。
kk擁護のはずが自分の信仰に摩り替えて一件落着ですw
傍から見ればkk信者個人の信仰など関心ないことなのですが
信者にとっては大宇宙や大川と同じぐらい大切なもので
「信仰揺らがない宣言」をすれば勝利したような気になっている。
kkや大川の実情が一般常識から見て酷ければ酷いほど、傍から見ればkk信者の信仰心が馬鹿げたものと見られるということです。
大川の愛人問題を例に挙げれば、どのような理屈をつけたとしても「kk信者は不倫して、愛人の性器に自分の下半身をおっ起てツッコンでピストン運動している教祖を信仰対象にして、一生懸命信仰宣言してるんだなw」ということになります。
204
:
AHW
:2006/06/29(木) 02:20:56 ID:.R1PEN02
ジラン氏が今日の議論の中で逐一強調されてる
「なるほど、それならアレフ麻原と同じなんですな」って部分。
折れの認識だと、kk・アレフに限らず宗教ってもの自体に、
もともとそういう構造というか行動様式が備わっている。
大きな宗教でも小さなのでも伝統宗教や世界的宗教でもそだね。
程度の問題、解釈と運用の問題と言わざるをえんかな。
今世紀でもプロテスタント中心国家アメリカたんは、神の意思を実現しているのだ、と目をらんらんさせて言いながら(陶酔しながら)
戦争をしかけてイラク侵攻、占領し、属国化を行なってる。
その本音はもっといろいろ別にたくさんあっただろうが
これをごり押しするのに宗教信条をたやすくもってくる。
60年前イラク的にも徹底的に惨敗した日本もまた、
高天原の神々の理想なのだとかを掲げながら白VS有色な勝ち目ない戦争を遂行した。
ナチスはニーチェ系影響大だから、超人が神をこえた世界秩序を作ろうと第三帝国を掲げたわな。
例は霧ないのでこのへんにしときますが、
何がいいたいのかというと人間に戦争は切り離せない。
戦争(では虐殺行為が国家装置を通じて正当化されるんだが)と宗教も切ってもきり離せない。
宗教のかわりに思想の場合もあるけど、折れ的にはそういうのみんな宗教だな。
では宗教が不要と思ってるの?と聞かれれば折れは不要とは思わない。
やはり徳性っていうものは涵養されるべきと考える。
205
:
AHW
:2006/06/29(木) 02:25:26 ID:.R1PEN02
>>203
ジラン氏
ぁぁ!)せっかくまとめ的な論考が続いてるところ邪魔しちゃったようでスマンです。
雑談スレに戻ります。
206
:
ジラン
:2006/06/29(木) 02:32:12 ID:V0qGczhU
AHW氏の言われる「構造というか行動様式」は宗教やイデオロギーにおいて共通はしていますが、反社会性が強くなるほどその傾向が顕著に現れてくるということです。
宗教の持つ徳性と反社会性、全ての宗教が持っていても、その割合が一概に同じだとは言えない。
また他がそうだからkkを「大目に見ろ」というのではkkが自称する救世事業とは程遠いものになってしまうということです。
kkも、kkが批判している(していた)邪教と同じ仲間なんだよ、ということですね。
kkだけが例外で素晴らしいというのはkk信者の思い上がりでしかないということです。
207
:
ジラン
:2006/06/29(木) 02:37:34 ID:V0qGczhU
>>205
全然邪魔ではないですよ。
kkが批判している邪教と同じであるが、同じ欠点を持っている、それでもkk信者は自分のところは違う、それどころか最高だと思っている。
そしてkk信者の信仰対象は、不倫して下半身を勃起させてピストン運動しているわけですよ。
208
:
AHW
:2006/06/29(木) 02:41:28 ID:.R1PEN02
>>207
>宗教の持つ徳性と反社会性、全ての宗教が持っていても、その割合が一概に同じだとは言えない。
まったく同意です。
だから程度と解釈運用の問題になるだろうって考えてる。
反社会性とは端的にゃ社会破壊行動の顕在化の程度ってことだよね。
kkのみ突出した例外で素晴らしいってのは信仰の世界だかんねw
外から信仰者個人の世界観に介入するのはむづかしい。
209
:
ジラン
:2006/06/29(木) 02:49:11 ID:V0qGczhU
kkの客観的現実と信者の妄想とのギャップを明確にすることが大変面白いのです。
AHWさんと話せる機会も今までなかったし、いい機械だと思ってます。
210
:
AHW
:2006/06/29(木) 03:04:47 ID:giYt2Vvk
>>207
うぃ。かつて批判した邪教と相似な構造を後からつけたしてくる、
ってのは顕著に感じます。
箱物主義、偶像礼拝の積極的肯定、脱税(節税)志向、布施のどんどん高額?化、先祖供養、教祖身辺の色恋沙汰
>>209
なにしろ一昔前と違って2ちゃんが伸びまくりなので読むだけでお腹いっぱい!!な日が多いす。
たまに名無しでぼそっと書いたりしてますが。
ロム専信者の中には、ファルコン氏活動以降、そのギャップに
たえられなくなった脱落者候補者たんがじわじわ増加してると思われ。
あとは、青氏やいいじち氏のようなそれがなにか?系だろうね。
長期で二極化していくと思われです。
不倫だ愛人をどう考えるかといえば、青氏が展開してる論と似たようなの
昔の霊言集の高橋信次「愛の賛歌」だたっけ?これとかにあった気がする。
高橋ものは「絶対おもしろいから読め」と昔大量にもらった。
たしかにぐいぐい引っ張るようでおもしろかった記憶がある。
既製宗教の概念にとらわれない自由で新しい宗教だとわかるだろ、と彼は強調していたな・・・。
で、方便終わったで、この辺はもう無効な仙人の戯言だったんだよね?w
211
:
AHW
:2006/06/29(木) 03:15:04 ID:giYt2Vvk
あとは、いいじちゼロ氏が前から引き合いにだして連呼してる
「光輝く女性のために」って内部講話。
これは内容をぜひ知りたいわなぁ。ヤサ先生概要だけでも原典からうpしてくれんかな?
家庭ユートピアと女性についての保守的な教義を変更したと、
いいじち氏の発言からは類推できるのだが。
>>209
ジラン氏はやはり正体は知的ですよねw
そろそ目開けてられない・・・ぅぅ落ちますスマソ。またいつでも書いてください。
第二はルールとか志向とかいろいろあるから、過激な表現のは弾かれ易いかもですが、
荒らしじゃなければ排除措置とかは無いはずでつんで!!
212
:
初代
:2006/06/29(木) 07:02:43 ID:dZT9xaHU
>>196
青の青さんへ
>伝道の手段として勧誘はある。信者が増える事が伝道の全てではない。
そうおっしゃるということは、もちのろん、予言を全面に押し出しての大伝道期の会内の雰囲気というものを御存知の上でですよね?
「人の心からの変革」こそが重要ならば、「入会の勧め」(勧誘〜信者数の増加を追うこと)が活動の中心になることはない。むしろ、主客の転倒に細心の注意が払われなければいけないところ。
熱に浮かされるような名簿提出型の伝道が世紀末を前に確かにあり、そうやって信者数カウントに貢献した者たちは殆ど実質信者として残ってはいないでしょう。それが、「「信者数1000万人」がハリボテだったことは、信者サイドとて認められますよね?」と書いた意味です。
>成果の全てではない。
信者数の話とは別に、その「成果」として見るべきものの例として、「反として「講談社」「創価学会」「核兵器」等、正として「三塚博」「国内外伝道と拠点作り」等」を挙げているのですが、コメントなしですか?
>最近はスピリチュアルブームだそうだ、オーラの泉という番組も結構人気が有る様子。この様に人々の興味関心が霊的なものにシフトしていき、ブームとなることは私は成果だと考える。今世紀になって唐突に興味を抱くようになったわけではないはずだ。
そもそもKK予言は、前世紀末を期限とした悪想念の除去、精神的価値への転換をということだったわけで、今に至る緩やかで狭いブームなんぞどうでもええよ。
>>KKのいう「備え」とやらは何であったか?
>心を見つめ心を正す、結局はこれしかないと思います。これを多くの人たちに為してもらうために、伝道はあると思います。それ以外の他団体やら箱物やらは副次的なものと私は思います。
でしょ。
なので上記に戻る。
>予言が当たっていれば「外れさせるために来た」と言う発言は槍玉に上がると思います。外れさせる能力を持っていると暗に示している物ですから。
違うと書いたでしょ。
成果があった場合のみ外れてよし。
成果がなければ当たっていなければならない。
213
:
IAOO.KK
◆ZKLVh/2jGY
:2006/06/29(木) 15:12:57 ID:Ty8QKNKU
エートス氏
>わたしはこの世界を自分はどう解釈するのか常に迷っているのですよ。泳いでいるのではなくて溺れているんです。w
かつて投稿した内容を再掲します。
参考: ルドルフ。シュタイナーの七つの世界観と精神十二宮
○七つの世界観 ○三つのトーン(または四つ)
グノーシス 土星
論理主義 木星 太陽 有神論
主意主義 火星 月 直観主義
経験論 太陽 地球 自然主義、派生=>擬人論
神秘主義 金星
先験論 水星
オカルト主義 月
観念論 白羊宮 おひつじ座
合理主義 金牛宮 おうし座
数理論 双子宮 双子座
唯物論 巨蟹宮 かに座
感覚論 獅子宮 獅子座
現象論 処女宮 乙女座
実在論 天秤宮 天秤座
力本論 天蠍宮 さそり座
単子論 人馬宮 射手座
唯霊論 磨 宮 山羊座
神霊主義 宝瓶宮 水瓶座
心魂論 双魚宮 魚座
12+7=19+3=22+1=23 で 23の世界観をもつことが正しいと R・シュタイナーはいっておりますね。
また、シュタイナーはヘーゲルは観念論の星座における論理主義(木星)でフィヒテは心魂論の星座において論理主義、
ショーペンハウアーは心魂論の星座(魚座)における主意主義(火星)、ハマーリングの「意志の原始論」は主意主義の単子(モナド)論だなどといってます。
三つまたは四つのトーンで七つの惑星に一つづつのって12宮をとうして世界をみてみると世界の実相がわかるかもしれません。
しかし素人にとって非常な労力をようするでしょう。
「星と人間」 精神科学と天体 シュタイナー著 西川高範訳 風濤社
214
:
主管理人の黒田★
:2006/06/29(木) 15:41:40 ID:Ty8QKNKU
>>213
ついでにいうと
KKは 太陽のトーンで金星でしょうか。偶然の符合であろうかおそろしス。
215
:
青の青
:2006/06/29(木) 21:56:37 ID:t.sqro2I
>>初代氏
10次元レベルで執り行われる「法則」。
これを作用させるのが悪想念、集合想念と言ったほうが正確でしょうか、
そしてこれが3次元に現出するには時間がかかる。
タイムラグがあるものなのだから、「どうでもええよ」と言って切り捨てるのは暴論です。
ブームが起これるということは、それを受け入れるだけの素地が出来上がっていたからのはずです。
216
:
初代
:2006/06/29(木) 22:25:26 ID:deYrkneA
>>215
青の青さんへ
余命幾ばくもないとのこと、取り急ぎ。
>これを作用させるのが悪想念、集合想念と言ったほうが正確でしょうか…
もちろん、そのように理解していますよ。
>…そしてこれが3次元に現出するには時間がかかる。
なら、何故「前世紀末」という時期を特定明言したのか…と。
>タイムラグがあるものなのだから…
なら、当然そのタイムラグを予言内容に含ませていなくてはならなかったはずでしょ。
>…「どうでもええよ」と言って切り捨てるのは暴論です。ブームが起これるということは、それを受け入れるだけの素地が出来上がっていたからのはずです。
だからね、くどいようですが「前世紀末まで」の話ですので。
それから、霊能ブームですか…そんなもん、周期的にやって来るもんですやん。今までもそう、そしてこれからも…。
217
:
IAOO.KK
◆ZKLVh/2jGY
:2006/06/29(木) 22:56:24 ID:6LeJXL4U
>>215-216
タイムラグのことなら
春分点が一つのハウス(天宮)を通過するのに2150年だからキリスト生誕をかりに0年なら1999年じゃなくて1900〜2050年の幅があってもいい鴨。
俺的にはWWⅠから原爆投下までが世紀末。1999年にまつわる精神世界・オカルト本といえば ノストラダムスとエドガー・ケイシーかな。
218
:
青の青
:2006/06/29(木) 23:05:32 ID:t.sqro2I
>>216
初代氏
話がかみ合いませんね、前世紀末に?創価が消え、講談社が消え、核兵器が消え、三塚氏が総理になり、国内外伝道と拠点が次々・・・
こういう『予言』だったのですか?方針ではなく?
>前世紀末を期限とした悪想念の除去、精神的価値への転換
このように書いていらっしゃいましたが?
219
:
初代
:2006/06/29(木) 23:25:32 ID:Ix3jC/uQ
>>218
青の青さんへ
>前世紀末に?
ピークが来ると。
>創価が消え、講談社が消え、核兵器が消え、三塚氏が総理になり、国内外伝道と拠点が次々・・・
別に100%成らなくてもいいけど、少しくらいは…ね。
>こういう『予言』だったのですか?方針ではなく?
ですから、1999年をピークとした災厄の予言、そして軽減(回避)のための方針ってことでしょ。
>>前世紀末を期限とした悪想念の除去、精神的価値への転換
>このように書いていらっしゃいましたが?
はい。
で、それが成ったとでも?
220
:
IAOO.KK
◆ZKLVh/2jGY
:2006/06/29(木) 23:33:27 ID:6LeJXL4U
いやぁぁ、ノストラ映画のポールシフトやバンアレン帯がこわれえ放射線がふりそそぐとか恐怖でした!
赤い夕日や月をみるとドキッとしませんでしたか? w
221
:
IAOO.KK
◆ZKLVh/2jGY
:2006/06/29(木) 23:35:35 ID:6LeJXL4U
>>220
ちなみに、私の信仰心で隕石をエルカンファイトで真っ二つに割るのは無理とおもってました!
222
:
青の青
:2006/06/29(木) 23:58:58 ID:t.sqro2I
>>219
初代氏
>はい。
>で、それが成ったとでも?
悪想念の総量と集合想念の方向性、それをハイどうぞ、とは出来ませんからね。
しかし、それが現象化するのはこれからなんですから。
それに、「このまま行けば」ですからね、このまま行けば悪想念がデッドラインを越えるってことでしょう。
それとも、猶予期限でもあるのかな?グラフでも書きたいね・・・
223
:
青の青
:2006/06/30(金) 00:03:09 ID:JneEv8AE
>>220
IAOO,KK氏
ポールシフトとか、むしろ期待してた私はダメダメですかね、やっぱり。
224
:
IAOO.KK
◆ZKLVh/2jGY
:2006/06/30(金) 00:11:35 ID:HHggHFt6
>>223
怖いものみたさはあるでしょう。
そうしたものを経験して心ある文明がひらけていくならいいんじゃないでしょうか。
天変地異を経験して人類が環境破壊をやめ、神と自然と人を愛せるようになれば何億人死のうがそれでいいっす。
225
:
初代
:2006/06/30(金) 03:27:42 ID:34ZvLgIE
>>222-224
もう、死んじゃったかな…。
青の青さんへ
>悪想念の総量と集合想念の方向性、それをハイどうぞ、とは出来ませんからね。
あのさぁ、地球規模の災厄が迫っているって話でしたからね、1999年を前に世の価値観が劇的に転換していなきゃダメなわけ。
「ホラ見てご覧」って誰の目にも明らかに分かるくらいにね。
>しかし、それが現象化するのはこれからなんですから。
またか…「これから」じゃなくて、「1999年まで」の話をしてる。
>それに、「このまま行けば」ですからね、このまま行けば悪想念がデッドラインを越えるってことでしょう。
だ・か・ら、そのまま行ったのに何も起こらなかったのは何故ですか? と訊いている。
>それとも、猶予期限でもあるのかな?
1999年だったでしょ。
>ポールシフトとか、むしろ期待してた私はダメダメですかね、やっぱり。
それがちっともダメダメじゃないのよね。↓
黒田さんへ
>そうしたものを経験して心ある文明がひらけていくならいいんじゃないでしょうか。天変地異を経験して人類が環境破壊をやめ、神と自然と人を愛せるようになれば何億人死のうがそれでいいっす。
正にそれが、KKが予言を絡めて主張していたこと。
◆JBLさんなんかも指摘されていましたが、輝ける未来の前の災厄ってシナリオだったからね、つまり予言の外れは喜ばしいことでも何でもない。
予言も外れ、価値転換も起きずってことですから。
226
:
青の青
:2006/06/30(金) 05:40:07 ID:JneEv8AE
>>初代氏
>>1999
年を前に世の価値観が劇的に転換していなきゃダメなわけ。
何故でしょう?前世紀中に理想社会が出来ないといけないと言っている様にも見えますが?
集合想念の指向性を考えに入れて欲しい。
悪想念の増大傾向が減少に転じるだけでも回避できたのではないでしょうか?
>◆JBLさんなんかも指摘されていましたが、輝ける未来の前の災厄ってシナリオだったからね、つまり予言の外れは喜ばしいことでも何でもない。
>予言も外れ、価値転換も起きずってことですから。
価値転換が起きずということは、現在も悪想念が増え続けているということになりませんか?増えているのですか?
どの書籍か忘れましたが、あの世を信じる人が7割ほどに増えたと言う話があったはずです、これなども価値転換と言えると思います。
227
:
初代
:2006/06/30(金) 07:31:06 ID:AJJCBvwE
>>226
青の青さんへ
>前世紀中に理想社会が出来ないといけないと言っている様にも見えますが?
そもそも、そういう予言の内容ではありませんでしたし、私の趣旨もそうではありませんよ。
>悪想念の増大傾向が減少に転じるだけでも回避できたのではないでしょうか?
あのね、例えば蛇口から流れ出る水量が絞れたとして、溢れかけている風呂釜は、相変わらず溢れに向かっているでしょ。
>価値転換が起きずということは、現在も悪想念が増え続けているということになりませんか?増えているのですか?
増でも減でも結構ですが…。
上記のように、じゃあ“溜まっていた”分は何処へ行った? ということよ。
>どの書籍か忘れましたが、あの世を信じる人が7割ほどに増えたと言う話があったはずです、これなども価値転換と言えると思います。
ソースは総裁の法話ですかね。
私は、1999年を前に世界の宗教(精神的信条)勢力地図に激変があったことに気付きませんでしたよ。例えばそうですね、クリスチャンの殆どは元々「天国」を信じていただろうし…。
出来れば、統計的資料を示して頂ければと思う。1999年に向かって、「あの世を信じる人の割合」の“変遷”について。
228
:
IAOO.KK
◆ZKLVh/2jGY
:2006/06/30(金) 16:07:48 ID:qZp.nKCM
参考 :ノストラダムスの新予言
第3章 黙示録ヨハネの霊訓
5 現代の日本に出した三如来、次には日本神道系からも
【要約】
1900年以降、日本に三人の如来を生み出した。谷口雅春、高橋信次、大川隆法。
2020年日本神道系から法を継ぐ如来が現れる。
以上要約。
******
谷口雅春、高橋信次 は 現在KK教義では 如来と見なされいないで間違いないですか?
しかし、KK的に痛いとこですな。黙示録のヨハネ(たしか如来格だったはず)に語らせてコレですから。
229
:
ことりん
:2006/07/02(日) 16:23:32 ID:DTon0sds
あの世でも出世街道があって、上がり下がりされているのかも?(笑)
230
:
ヒロ
:2006/07/03(月) 00:49:19 ID:7FVxu0Q2
>KK的に痛いとこですな。黙示録のヨハネ(たしか如来格だったはず)に語らせてコレですから。
痛いなぁ〜確かに激痛かもw。
ちなみに昨今の大雨のせいか、不思議な夢を見ました。
電車で旅に出ていると、大雨が降ってきてドンドン水嵩が増して、
電車の窓まで水嵩が濁流の様に流れ込んで来るのですw。
三次元的な夢である事を祈ります。
231
:
初代
:2006/07/04(火) 06:42:55 ID:vRzCIMYU
>>229
ことりんさんへ
>あの世でも出世街道があって、上がり下がりされているのかも?(笑)
マジ、教義知らんのか?
一旦上がったが下がったって話じゃない。
上がってたってのがウソで、実際そこには居なかったって話。
笑ごっちゃないよ。
232
:
ことりん
:2006/07/04(火) 22:45:50 ID:OKcLGBEA
>>231
はじめまして?
こんな教義?知りません。
だって、私、天上界へ帰って、見てきた者じゃありませんもの。
それが、本当かどうかは、主がちゃんと話してくださるんでしょ?
霊能者があの世を見てきてもあやふやな点が多いのは、
たえず、変化しているからですわ。
あっちは、三次元じゃないんですもの。
過去も現在も未来も一緒ですもん。
その上、魂の次元移動があるからいちいち
そんな些細な細かいことまで
三次元の本にする必要がないから
省略されているんじゃないかな?と
思っています。
233
:
IAOO.KK
◆ZKLVh/2jGY
:2006/07/05(水) 01:11:06 ID:WAA6A1m2
>>232
ヨハネの黙示録は1986年の8月14日、初版が1988年の6月20日。
わたしのもってるノス新予言は19刷で1990年です。1981年3月23日啓示をうけてから8,9年の出版やね。
旧版黄金の法には谷口雅春はイザナギノミコトでプロティノス如来界上段界の人であると。高橋信次は9次元霊アール・エル・ランティであると。
新版の黄金の法に何と書いてありますか?
>それが、本当かどうかは、主がちゃんと話してくださるんでしょ?
話したね。今資料を確認してない。
>霊能者があの世を見てきてもあやふやな点が多いのは、
>たえず、変化しているからですわ。
>あっちは、三次元じゃないんですもの。
パラレルワールドの話をもちこまないかぎりは過去は変わらない。
過去をサイコメトリーする霊のレベル次第。
8次元如来界のはずのあの有名なキリスト弟子のヨハネが現代人のために預言をおろすのに霊視をまちかったのだろうか!?
それと大川総裁の恣意が混じった結果なのでしょうか!
どちらにしろ総裁の霊言の信憑性が疑われるのです。
>過去も現在も未来も一緒ですもん。
過去世認定の話です。不確定の未来の話や現在のではありません。
>その上、魂の次元移動があるからいちいち
>そんな些細な細かいことまで
>三次元の本にする必要がないから
>省略されているんじゃないかな?と
>思っています。
省略されるようなどうでもいいことではありません。
KKは本来霊人の霊言を世にだすことによってはじまっているの。
あの世の実在の証明がいい加減でいいわけないです。総裁と総裁の説く教えへの信頼性が問題になるの。
エル・カンターレ本体の下生にしては頼りないじゃない?
霊人が言いたいままにいわせたと総裁はおっしゃるけれども、すぐさま修正入れろよと。
後からいうと「なんだってぇぇぇ?」てなるだろうが!
仙人に如来のアメノミナカヌシが光一元を説いていいわけね。ひょっとしてアメノミナカヌシも裏ですかと。
まぁ今から考えても谷口雅春は裏的かもしれん。人間は肉体にあらず、本来悪なし、病なしっていうのだから。
アンチ的な見方をすれば収入源としての元成長の家や元GLAの信者を引き留めておくための初期KK教義だったのかとおもってしまうのね。
234
:
初代
:2006/07/05(水) 07:03:18 ID:l99CYVRM
>>232
ことりんさんへ
>こんな教義?知りません。
あなたは信者でありながら、書籍(経典)も読んでいないし、講演(法話)も聴いていないということでしょうか?
>だって、私、天上界へ帰って、見てきた者じゃありませんもの。
総裁の話を見て確認して来た人なんて、一人もいないよ。
>それが、本当かどうかは、主がちゃんと話してくださるんでしょ?
だ・か・ら、「書籍(経典)も読んでいないし、講演(法話)も聴いていないということでしょうか?」と言わせてもらっている。
嘗て「如来だ」と話し、その後「如来ではない」と話しているでしょ。
>霊能者があの世を見てきてもあやふやな点が多いのは、たえず、変化しているからですわ。
あの世で状況が変わったって話ではなく、前言撤回のケースやって言ってるやろ。
解らんやっちゃなー。
>魂の次元移動があるからいちいちそんな些細な細かいことまで三次元の本にする必要がないから省略されているんじゃないかな?と思っています。
「些細」ではないし、「省略」を持ち出してフォロー出来るレベルの問題じゃない。
あなたも、頭整理した方がいい。
擁護するにしても、独自解釈の癖はよくないよとアドバイスしておく。
まあ、ネット系信者全般の特徴ではあるんだけどね。
語るなら、それこそ細心の注意を払うべし!
235
:
ことりん
:2006/07/05(水) 13:33:41 ID:XQlWcT/Q
>>234
>あなたは信者でありながら、書籍(経典)も読んでいないし、
>講演(法話)も聴いていないということでしょうか?
そうですね。初代さんのように総てを網羅していないのは事実です♪
まだまだ、初代さんの努力から比べたら、
生まれたてのひよこのような勉強です。
けれど、主の擁護より、なんでそういう思考になるのかな?
と、疑問だらけなの〜教えてください。と思うのですわ。
霊言集は、主の肉体をお借りしてあの世の方々が
自由に発言なさったと教えてもらっています。
これは、違うのでしょうか?
数十人の人格で話され本になっています。
これも一人の人間としての才能として
片付いてしまうのでしょうか?
疑問だらけです。
教えてください♪
236
:
ことりん
:2006/07/05(水) 13:43:46 ID:XQlWcT/Q
>>233
>アンチ的な見方をすれば収入源としての元成長の家や
>元GLAの信者を引き留めておくための初期KK教義だったのかと
>おもってしまうのね。
私の生活圏にGLAという団体さんがないので
あまり理解が乏しいです。
よい方向に解釈しすぎといわれるかもしれませんが、
その当時に集まった方々が希望する願う事だったので、
主の肉体をお借りして話されたのでは?とおもっています。
お金儲けのためにしたのならなぜ否定せずにそのままにしておかなかったのかな?
237
:
IAOO.KK
◆ZKLVh/2jGY
:2006/07/05(水) 13:44:54 ID:bMpKQ28M
>>234
>>仙人に如来のアメノミナカヌシが光一元を説いていいわけね。ひょっとしてアメノミナカヌシも裏ですかと。
これは生前の谷口氏に成長の家の大神(=KKでは天之御中主神)が指導していたということで前世仙人である谷口氏に
如来である天之御中主神が指導していたということで、それは如来である天之御中主神も裏であったのですかということです。
ま、これは谷口氏の過去世がアーラーラ・カーラマだったかサンジャヤ・ベーラッティプッタだったかと聞いていたのでそういっています。
原典にあたれないので正確ではありません。ただ谷口氏に関しては如来から梵天に訂正されたと2chの過去ログにありましたけれども。
238
:
IAOO.KK
◆ZKLVh/2jGY
:2006/07/05(水) 18:06:46 ID:8xlWm2dg
>>237
>これは谷口氏の過去世がアーラーラ・カーラマ
2chの傍観者によればアラーラ・カーラマの弟子が園頭氏であるということです。
だったら高橋信次がアラーラ・カーラマなんでしょう。
さて、新・黄金の法では谷口雅春はイザナギノミコトになっておりました。
ではのこるは谷口氏の過去世はサンジャヤ・ベーラッティプッタの件はこれはガセネタだったのでしょうか!?
当方で資料確認を進めさせて頂きます。(´Д`;)
239
:
エートス
:2006/07/05(水) 19:41:32 ID:pHGu3eow
>>236
ことりん氏
>霊言集は、主の肉体をお借りしてあの世の方々が
自由に発言なさったと教えてもらっています。
これは、違うのでしょうか?
>数十人の人格で話され本になっています。
これも一人の人間としての才能として
片付いてしまうのでしょうか?
疑問だらけです。
わたしは霊言集については詳しくはないのですが、問題になっているのは、その内容がある時期を境に変わったことであって、自由に発言なさったとか、多くの人格で話しているということではないと思うんですが。
で、変わったことについての明確な説明がなされていないので、結局いろいろな意味で怪しいということになってるんじゃないですか? その上、説明できる唯一の人が生きているわけで。
初代氏が追求されている予言に関しても、内部的に説明があればいいと信者さんは言うかもしれないが、一般に向けて出された出版物の内容にかかわることだし、出しっ放し言いっぱなしでは「義の無いところに信立たず」ではないでしょうか。
240
:
エートス
:2006/07/05(水) 20:09:27 ID:pHGu3eow
>>213
IAOO.KK師
レスおくれて申し訳ない。ありがとうございました。
>三つまたは四つのトーンで七つの惑星に一つづつのって12宮をとうして世界をみてみると世界の実相がわかるかもしれません。しかし素人にとって非常な労力をようするでしょう。
確かにそれぞれの主義あるいは思想の観点を理解するだけでも大変でしょうね。こうした23の世界観を持つことが正しいということは、正しい見方は存在しないという同義語に思えますね。
ちょっとお聞きしたいのですが、このなかに含まれていない主義は_例えば構造主義_なんどは必要ないということで排除されているんでしょうか。
241
:
IAOO.KK
◆ZKLVh/2jGY
:2006/07/05(水) 22:22:59 ID:8xlWm2dg
>ちょっとお聞きしたいのですが、このなかに含まれていない主義は_例えば構造主義_なんどは必要ないということで排除されているんでしょうか。
排除することないとおもいますよ。どれかにあてはめればいいのじゃないでしょうか。
構造主義を適用しようする人の精神的気質(7つの惑星、太陽、月も含む)と外界にたいするものの見方(12宮)・対象の扱い方できまってくるとおもいます。
構造主義というのはわたしの理解からいえばパソコンソフトウェアをつくるときにオブジェクト指向でUML図を書くようなものです。
このようなものを書こうとする動機や事象のとらえかたをふりかえってみれば適用されてくる世界観もきまってくるとおもいます。
構造主義もものごとに原型のようなものがあってそれをみつけ原型と個々のもの関係位置づけて個々のものを理解しようというのですから
少なくとも原型があるのだと想定していることになります。これによってあるていど世界観がしぼりこまれるのではないでしょうか。
しかしまた、原型をどのようにとらえるのかによって世界観もきまってくるし、個々の事柄に優位性を付与しているのなら別の世界観になってくるでしょう。
わたしは構造主義をとらえるなら 神秘主義->合理主義 か 経験論->実在論 か 論理主義−現象論 か 主意主義−>観念論 など
まだあるかもしれませんがこんなふうjに複数のニュアンスが考えられるのかなと。
構造主義
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A7%8B%E9%80%A0%E4%B8%BB%E7%BE%A9
242
:
IAOO.KK
◆ZKLVh/2jGY
:2006/07/06(木) 00:20:39 ID:ROPNAQJE
>>240
>確かにそれぞれの主義あるいは思想の観点を理解するだけでも大変でしょうね。
こうした23の世界観を持つことが正しいということは、正しい見方は存在しないという同義語に思えますね
通常の人間は包括的なものの見方はしていないということで、そのような見方ができるほどには進化していないということじゃないでしょうか。
人間やその構成要素その他あらゆるものが7つの特質に色つけられているのである限定的な範囲内でしか包括的な見方はできないようになっているんでしょう。
もっともよいのは自分の特質を見極めそれを活かすということ、そして特質により長所と短所があるので短所を修正してバランスをとるようにと指導されておりますね。
243
:
AHW
:2006/07/06(木) 09:00:52 ID:LOJZd7RM
>>237-238
黒田氏
アーララネーカマってのは、大川方便修正理論では、たしか生前の高橋氏を
指導してた指導霊の正体ってことだった記憶が。
生前の釈迦をよく見ていた仙人たんなので、釈迦のふりをして生前の高橋を
いかにもそれらしく指導できた、とかなんとか?
谷口氏は「格落としの刑」には遭ったが、前世とかは変わってないんじゃなかったけ?
谷口が仙人かもってのは初耳w
244
:
エートス
:2006/07/06(木) 22:45:13 ID:z97UV8HM
>>241
IAOO.kk師
神智学のときは先生ね。
>排除することないとおもいますよ。どれかにあてはめればいいのじゃないでしょうか。
構造主義を適用しようする人の精神的気質(7つの惑星、太陽、月も含む)と外界にたいするものの見方(12宮)・対象の扱い方できまってくるとおもいます。
なるほど、こうやって応用するのね。構造主義はなんだろうね、わたしから見ると否定的意味論だから直観主義ー現象論あたりかな。
>もっともよいのは自分の特質を見極めそれを活かすということ、そして特質により長所と短所があるので短所を修正してバランスをとるようにと指導されておりますね。
特質を見極めるための象徴的モデルの提示としごくマトモな指導。ベイリーその指導者の一人なんでしょ。なんでヤサ氏は粗大ゴミだせって目の敵にするんだろう。ところでシュタイナーってKK的にはどんな人なんですか?
245
:
エートス
:2006/07/06(木) 23:36:48 ID:z97UV8HM
>>244
AHW氏
>谷口氏は「格落としの刑」には遭ったが、前世とかは変わってないんじゃなかったけ?
谷口が仙人かもってのは初耳w
この谷口氏の過去を語ったのは黙示録のヨハネということがわかりました。それで黙示録のヨハネはキリストの弟子、すなわち使徒とされていたらしいですね。
しかし黙示録の成立年代から、黙示録のヨハネと使徒ヨハネは同じ人ではないはずなんだけど。福音書作者ももちろん別人。なんか良く分からないですね。
246
:
IAOO.KK
◆ZKLVh/2jGY
:2006/07/07(金) 08:14:12 ID:rQxRsOBo
>ところでシュタイナーってKK的にはどんな人なんですか?
アカシャ年代記よりを書いてKK初期にでていた霊格一覧表には黙示録のヨハネと同じランク8次元だったはず。
とうとうKKの霊言、霊示集にはでてこんかった。総裁にしてみれはあまりだしたくないのだろうとおもいます。
もう初期KK並かそれ以上の学徒、学僧系の信者じゃないとついてこれかもしれない。
総裁が紹介した頭がよくなる瞑想で今日起こったことを逆に思い出してみるというのはシュタイナーがいってることです。
247
:
ヒロ
:2006/07/07(金) 08:21:01 ID:fKTxmadk
混乱しとるな〜w
アーラーラ・カーラマは北一輝や三国志時代の裏道教のオジサンだろ?
谷口雅春氏は哲学者プロフィノスでは無かったか?何時から仙人に変化
したんだ〜w?
それに、黙示録のヨハネと福音書のヨハネは別人。
講義で総裁(当時主宰)先生が訂正しているw。
ま、外部のデマゴーグはこんなもんというのが如実に出てるね…。
248
:
IAOO.KK
◆ZKLVh/2jGY
:2006/07/07(金) 09:09:43 ID:rQxRsOBo
>>244
>ベイリーその指導者の一人なんでしょ。なんでヤサ氏は粗大ゴミだせって目の敵にするんだろう。
KK的には裏とされる占星学、魔術、ヨーガなど密教知識が豊富なのでそれも理由ですし、心の教えを忘れてそのようなものに凝るのは危険だからなんでしょう。
しかし、ちゃんと読むなら無我、奉仕、愛の大切さはきちんととかれているんです。
なおかつ、これに関してはキリストの再臨にむけての人類の準備を整えるそのための秘教知識の普及や奉仕団体の創出の役割を担ってます。
KK本では「あなたがたがキリストの再誕の予言をのこしていくんです」とかいっていますが仕事として先に着手してるのはA・ベイリーやルドルフ・シュタイナーなんです。
ただ、キリストの再臨については神智学の世界ではひと悶着あったようですが。
ベンジャミン・クレームはキリストはもう地上にきておられるとかいって…キリストがアフリカ人や白人や黒人に変身できるんですね。
イエスがキリスト(マイトレーヤー・弥勒・世界教師)と一緒に子供に化けたりしてます。ちょっと信じられませんけど。
ルドルフ・シュタイナー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%BC
秘教学徒の部屋
http://hikyogakuto.com/
249
:
ことりん
:2006/07/07(金) 13:33:07 ID:cyKo2PTs
>>239
レスありがとうございます♪
>問題になっているのは、その内容がある時期を境に変わったこと
御本人がおられるから、こんなところであ〜だこ〜だというより
手紙にでも「質問〜♪」ってかいて、
リバティー編集部経由にでも問うたらいいんじゃないかしら?
納得のいく答えを主・御本人から、代理サンたちを使ってでも
教えてくださるわ。
聴きにいくという行動を取られたいいのにとおもうのです。
ちゃんと答えてくださいます。
250
:
エートス
:2006/07/08(土) 00:19:42 ID:Mq7FaevA
>>249
ことりん氏
>御本人がおられるから、こんなところであ〜だこ〜だというより
手紙にでも「質問〜♪」ってかいて、
リバティー編集部経由にでも問うたらいいんじゃないかしら?
納得のいく答えを主・御本人から、代理サンたちを使ってでも
教えてくださるわ。
聴きにいくという行動を取られたいいのにとおもうのです。
ちゃんと答えてくださいます。
あなたがた信者さんは伝道ということを非常に尊い使命だとお考えですよね。で、ネットに書かれる信者さんもKKとはいかなるものかというのを伝えたいというモチベーションがあるわけで、だからこそ信仰告白をしてネットに書かれるわけだ。
とすれば、私のような一般人が分からないから教えてほしいと言ったら、リバティー編集部に聞いてくださいということにはならないと思いますが。また初代氏は公式見解を確かめてくださいとこれまで何度もお願いしてきているはずです。
またこうした言い方はあなたの先に書かれた以下の疑問にも当てはまりますよ。
>霊言集は、主の肉体をお借りしてあの世の方々が
自由に発言なさったと教えてもらっています。
これは、違うのでしょうか?
>数十人の人格で話され本になっています。
これも一人の人間としての才能として
片付いてしまうのでしょうか?
疑問だらけです。
疑問だらけなら、リバティー編集部経由なりで「こんな話が出ているんですが本当のところはどうなんでしょうか」とかお聞きになって、まあできれば結果をご報告いただきたいところです。
251
:
エートス
:2006/07/08(土) 00:28:32 ID:Mq7FaevA
>>247
ヒロ氏
>それに、黙示録のヨハネと福音書のヨハネは別人。
講義で総裁(当時主宰)先生が訂正しているw。
どうもどうもお久しぶりです。わたしQ資料に関心があってチョコチョコ本を読んでるんですが、別人ということで了解です。で、も少しお聞きしたいのだが、黙示録のヨハネと福音書のヨハネとついでに使徒ヨハネのKKでの人物評というか位置付けというか、それはどう整理されているんでしょうか。
252
:
ことりん
:2006/07/08(土) 01:31:09 ID:Mr8XtmZc
>>250
>私のような一般人が分からないから教えてほしいと言ったら、
>リバティー編集部に聞いてくださいということにはならないと
>思いますが。また初代氏は公式見解を確かめてくださいと
>これまで何度もお願いしてきているはずです。
そうですね。私からみたら素直に信じているものなので
なんで、そんなに疑問におもうのかしら?と
その疑問に質問したくなるんですわ。
初代氏にしても一般の方にしても、
こんな狭い世界のそれもKK世界の一部の会員さんたちに
聴いても同じ答えが返ってきたと思いますわ。
だって、ネットで真剣に伝道しようとおもっている会員は少ないですわ。
私は、ネットで伝道しようとおもっていませんから。
私が知っている範囲であれば、書き込みしますが、
知らないことは知らないと正直にカキコしています。
それを無知と罵られても、まだ、不勉強ですみませんと
反省しています。
だけど、、真剣に信実を知りたいとおもうならば、
「リアル世界のところで自らお調べください。場所はここです」と
書きこしているのですわ。
あそこは、かならず、答えてくださいますもの。
一般の人に理解していただけれるように伝える場所なのですから。
肉体には魂が入っています。そして、あの世に帰った人たちの
思いを伝えようとするためには、この世の肉体を使わないと
伝えられません。
だから、霊能者は、あの世の者が思い残した言葉を伝える仕事もします。
その肉体だけをみて 「その人がうそを言った」と
言われてもその肉体の本当の魂が嘘を
言ったことにならないと私はそう信じているのですわ。
魂の存在を信じていない人からみたら
肉体も魂も一緒に思ってしまうのでしょうか?
自由に話をさせた代償は、今償われていると思っていますわ。
それに、あの世の霊人方々の間違いに突っ込みをいれるほど、
私はまだまだ不勉強なので恐ろしくってできませんわ。
彼らのような人生をいっぺん体験してみたら?っていわれそうですもの。
「パッション」って映画をみて「無理!!!」って
涙を流してしまったひ弱なことりんですから。
253
:
ことりん
:2006/07/08(土) 01:44:05 ID:Mr8XtmZc
>>250
追加
・霊言集は、「数十人の高級諸霊が主の肉体をお借りして
レベルに関係なく自由に発言なされている。」と教えてもらっています。
私は、これは本当だとおもっているけれど、
ここのBBSでは、初代氏や一般の方々は違うといわれたので
どうしてそう考えるのかな?
教えて欲しいと質問したのですわ。
254
:
初代
:2006/07/08(土) 07:00:42 ID:ceOVT4UA
>>250
エートスさんへ
代弁して頂いた形になりましたね、ありがとう。
>分からないから教えてほしいと言ったら、リバティー編集部に聞いてくださいということにはならないと思いますが。…リバティー編集部経由なりで「こんな話が出ているんですが本当のところはどうなんでしょうか」とかお聞きになって、まあできれば結果をご報告いただきたいところです。
そういうことです。
>>252-253
ことりんさんへ
>あそこは、かならず、答えてくださいますもの。一般の人に理解していただけれるように伝える場所なのですから。
エートスさんが代弁してくれた通りです。
「必ず」とおっしゃるなら、あなたが聞いて報告してくださればいい。
こちらは「答えはしないよ」と思っているわけですから、それごと否定して頂ければ、更にインパクトありなわけで。
>霊言集は、「数十人の高級諸霊が主の肉体をお借りしてレベルに関係なく自由に発言なされている。」と教えてもらっています。私は、これは本当だとおもっているけれど、ここのBBSでは、初代氏や一般の方々は違うといわれたので…
その公式見解については、もちろん知っておりますよ。
それで私についていえば、その前提を一旦認めて議論しても構わないという立場を採っています。
>どうしてそう考えるのかな?
言葉だけではなく、本当に理解したいというのなら、コレ(↓)ぐらいは最低読み切ってくださいよね。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/6228/1119480892/210-368
>教えて欲しいと質問したのですわ。
こちらは答え(応え)ましたよ。
あなたも、リバティー編集部への問い合わせとその結果報告、こちらのBBSへ“必ず”入れてください。
255
:
現役信者
:2006/07/08(土) 10:49:04 ID:e9lBmgVk
ことりんさんへ
初代氏との問答は控えたほうが宜しいかなと思います。
私たち信者が公式見解を聞いて、こちらのBBSで報告をすると言う義理は何もございません。
何度も書いている通り、会の中では講義等で教義の成り立ちについては伺っております。
それを書き込むのは在家信者としては慎んだほうが宜しいかと思います。
それで宜しいと、初代氏も語っているので立場的にはすっきりするですね。
全国津々浦々に展開する精舎等で拝聴できる御法話の中に、当時の経緯や、どういった事が実際にはあったかなど、色々お話しくださっていますが、こちらで書き込むという事は控えたほうが宜しいでしょう。
そういった義理も何も無いんですから。
皆様へ
私は公私共に本当に忙しくて、掲示板等に書き込みをするということが出来ません。
店舗も順調に増え、従業員も増え、発展の度合いを強めています。
ススキのおっさんがなにやら訳の分からないことをほざいていますが、私に限っては信仰が揺らぐことは一切無く、一生涯懸けて信仰を貫く所存です。
256
:
ことりん
:2006/07/08(土) 21:20:06 ID:Mr8XtmZc
>>254
初代さんは、私があなたの疑問の代理人として聞いてきてといわれているのですが、ご自分でされるのが怖いのですか?
何をおそれているのでしょうか?
私は自分の疑問があれば、直接・主に問うて答えていただいています。
速攻で答えてくださいます。
中には時間をかけて教えてくださることがありますが、
かならず答えてくださいます。
素直に聴くだけ、ただそれだけですわ。
>>255
現役信者さん、だれもあえてしないので答えました。
彼らの求めに私になりに答えました。
あとは、彼らが判断し行動されるのみですわ。
私は、行動しました。
こけることもつまずくことも墓穴することも
いしなげられることもひなんうけることも
いろいろありました。
けれど、すべて大切な経験です。
忙しさの中にゆとりを持つ姿勢が大事と言われました。
自分でゆとりを持っていかないと周囲はついていけません。
忙しいとかたずけるのは、余裕のない証拠と判断されますわ。
私もこの間、短距離ランナーの仕事をやめました。
この人生の終わりまで長距離ランナーでありたいと目標をもっています。
お互い頑張りましょう。
257
:
エートス
:2006/07/08(土) 22:16:39 ID:Mq7FaevA
>>256
ことりん氏
>初代さんは、私があなたの疑問の代理人として聞いてきてといわれているのですが、ご自分でされるのが怖いのですか?
何をおそれているのでしょうか?
おそれるの何のという感情にかかわる言葉がどこから出てきたかは分かりかねますが、
そういうことではないんですよ。
>私は自分の疑問があれば、直接・主に問うて答えていただいています。
速攻で答えてくださいます。
中には時間をかけて教えてくださることがありますが、
かならず答えてくださいます。
初代氏の方法論が文献学的ということは分かりますか?これまでKKから公式に提示された
資料を基本として、それに信者さんその他から提供される内部的な資料を2次資料とし
て批判を行っているわけです。
それに対してあなたが速攻で答えてもらうというのはあなたの主観でしかないわけで、
きつい言い方ですが、資料としての価値はないのですよ。求めているのはあくまでも
公式見解、またはそれに準ずる客観性をそなえたものなんです。
もちろん現役信者氏の述べるように義理はないんですよ。批判者への批判の自由も信者
さんにはもちろんあります。ただし、客観的な反証の材料が必要なわけです。それを欠い
たアンチ批判は印象操作としか見なされませんということなんです。
またKK自体はアンチの疑問に答える気はないだろうと思います。その気があればなんら
かの方法ですでに行っているでしょう。KKが放置している以上は反証の客観的資料は
提供されないし、再度言いますが、信者さんにはそうした資料を提供する義理はないが
主観的な批判もできないということです。
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