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【ザ・問答】 KK「おしえて、そもさん!!」「説破!」【Q&A】

71エートス:2005/11/08(火) 09:03:55 ID:hL7NdO66
【継続】【反問】【苦情】>>66卵氏 
【属性】一般
【内容】この話題を継続するために

>宗教においての世界観の説明は、人間の五感を超えたものを内包しているので、「合理的ですらあった」というと、理性知性を超えたものを素直に信じていたという見方が過去に対しては正当だと思います。

五感を超えるものを内包しているなど当たり前のことではないか。同じ意味になるとは思うのだが、「信じていた」を「説明原理として受け入れていた」というほうが私には馴染みやすいです。どうして、そうステロタイプに概念を対立させようとするのでしょう。

>神秘に始まり、その後教義が整備していく段階は正法・像法・末法で考えますとだいたい正法の中間以降の作業であったと思われます。所謂、弟子たちの仕事で、必ずしも神秘を体験できないがために教義をオリジナルから合理でない部分を削ぎ落としていってしまうために、時代の篩によって神秘→理解できない→無きモノにするという作業が進み末法の時代を迎える、ということの繰り返しでしょう。

正法・像法・末法という分類は仏教についてのみ当てはまる理屈と思っていたが、このように宗教全般に敷衍して述べられるものなのですか?

また、神秘を体験できないから、その部分を無きものにするという行為が宗教全般に於いて繰り返し行われたなどとは私には思えないのだが、この2点について、できれば例を挙げて説明してもらえないでしょうか。できればキリスト教史など例に引いていただけると私には分かり易いです。

>本来、宗教の中で神秘性と合理性は内在しているはずです。何故なら、宗教の使命は人の心、魂の救済によって人間がコミュニティとして正しく機能し発展していくための指針の提示であり、人間の日々の営みを離れたものではないはずだからです。

宗教が扱う一番大きな問題は「死」ではないのか。あなたが言われたような指針の呈示は、哲学や倫理学というカテゴリーでも行われているのだが。

>神秘を合理に合うように削ぎ落としてきた結果であり、その意味では対立概念として捉えるのは間違いではないと思います。
>神秘への参入には、この世離れした瞑想的生活が必要ですし、合理的な生き方をするためには何らかの仕事に従事し社会生活を営み日々の糧を得なければならず、ここでも神秘と合理は対をなすと考えてよいと思われます。

ここでは理論展開に矛盾が見られますよ。対立概念と対をなすとは全く異なった位置付けですね。


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