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【ザ】+☆+KKⅦ+☆

739初代:2006/01/01(日) 06:50:09 ID:2drk.0w2
>>729-738

時系列を追うと「方便の時代は終わった」から更に約2年、1996年2月までは間違いなく世紀末予言路線が敷かれていた。特に、方便の時代を終えて尚『ノストラダムス戦慄の啓示』の映画化は注目に値する。1996年ゴールデンウィークがひとつの転換点、同年8月で撤回明言といったところでしょうか。しかし、同年12月のエル・カンターレ聖夜祭「ビッグ・バンからニュー・ホープへ」では「闇は来るであろう。」という発言もまだあったり、翌年8月から天変地異調伏祈願祭が各全国支部で始まったりと、この時期まだブレている。
お分かりでしょうが、未だに講談社は日本一の出版社であり続け、創価学会は日本一の宗教団体であり、公明党の獲得票数は微増を続け政権与党の側に就き、地球を何度も破壊できる核兵器は世界中にあり続けている。三塚博は政治の中心に近づくことなく亡くなられ、国内精舎や海外拠点と出版の“世紀末までの”状況は年表にある通り。予言で煽りに煽り、かき集められ大本営発表された「信者数1000万人」がハリボテだったことは、これからの話の大前提であります。

さて、KKでは、天変地異は因果律とセットで語られていた。
人類の悪想念の集積の結果、それはノミの付いた体を犬が掻くが如く、至極当然の流れの末に起こるとされた。KK的に表現するなら、人情の及ばない10次元レベルで粛々と執り行われる冷徹な「法則」というわけである。
一方、人レベルでいっても死後の世界があるとする立場からいえば、人の「死」それ自体は決して悲しむべきものではない。もちろん、親しき者との別れという瞬間的な悲しみすらありはしないだろうと言っているわけではない。しかし、長い目で見た悲しみではなくなる。これが、宗教が提供する達観のひとつである。
つまり、天変地異は単純に悲しむべき出来事というわけではないのである。人類の悔い改めなくば、当然の果として起きる事。また、多くの人類の死も、各個人の心境によって行く先を決められるという、ただそれだけのことともいえる。
宗教的価値からいえば、「悔い改め>この世の死」なのは明らか。逆にいえばやよ、悔い改めなき状況の継続の方が、天変地異よりも酷いことになる。

予言ですが、「このまま行くとこうなる」ので「教団として、このような活動に重点をおく」ということで進められていたわけで、当然ながら活動に成果がなければ「このまま行ってしまう」のが道理。
KKは世紀末予言路線を敷いていた。そして、活動の重点項目を幾つか持ってそれに臨んでいた。反として「講談社」「創価学会」「核兵器」等、正として「三塚博」「国内外伝道と拠点作り」等。
でね、活動の成果が芳しくないのにもかかわらず天変地異回避とはこれ如何に?ということよ、何度となく問うてきておりますが。
「悲劇的な予言が回避されてよかった」でも「今、頑張り続けている」でもない。「KKの活動によって“2000年まで”に、世の中の何が変わったというのでしょうか?」というシンプルな問いです。


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