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【ザ】+☆+KKⅦ+☆

298エートス:2005/09/04(日) 01:08:16 ID:cNRMyqko
>>286-289 年表まとめ 第二弾です。
【方便の時代は終わった】に至るまでのシンフォーの位置付けに関する年表

1981年6月 高橋信次氏より最初の通信
*この段階ですでに大川氏は高橋信次氏が何者で何のために大川氏に通信してきたかを把握していた。

1981年7月 潜在意識の宝庫が開かれ自分がエルカンターレという存在であることを知る

1982年8月 フワイ・シンフォーの霊訓
*フワイ・シンフォーは生前の高橋氏を指導していた。ただしこの1982年霊人はフワイ・シンフォーではなく、天台智ぎがフワイ・シンフォーと名乗って大川氏にアクセスしてきたと、1984年に天台智ぎ本人から明らかにされる。しかし、この1982年の段階では、天台智ぎは仏教系の霊人で、フワイ・シンフォーはキリスト教系の霊人で別個の存在であるという高橋信次氏の解釈に従っている。

1984年1月 天台智ぎの霊訓
*天台智ぎが本名を名乗って通信してきた。この時、「生前の高橋氏を指導したフワイ・シンフォーと、1982年のフワイ・シンフォーは全て自分である」と述べた。そして、天台智ぎとフワイ・シンフォーは「別魂系統の霊人ではなく魂の兄弟である」ということを自ら明し、生前高橋信次氏の解釈は否定される。

1985年8月 最初の霊言集となる「日蓮上人の霊言」発刊
*この時点まではごく近しい関係者のみによる検証の時期であり、高橋信次氏シンパ者の目に遠慮する必要はなかった。

1986年1月 木戸孝允の霊訓
1986年1月 孔子の霊訓
*この両霊訓は高橋氏復活の継続路線を補強する発言を行う。特に木戸の発言は、KK二代目予定者(の魂の兄弟)がKK会発足を前にして高橋信次氏からの継続路線を敷いた意味で重要。
*また、同月その後、親族以外の最初の協力者となる原久子氏と出会う。

1988年10月『太陽の法』講義(第1〜3章)(1989年6月に書籍化)
*この中で、「フワイ・シンフォーと天台智ぎは別の霊人である」と1984年の天台智ぎの霊言の内容が訂正される。

1989年1月 天台智ぎの霊訓・講義
*ここでも再び、フワイ・シンフォーと天台智ぎは別の霊人であること、また混乱の原因は、天台智ぎの魂の兄弟にはキリスト教系(マグガリス)と仏教系(天台)があるのだが、高橋信次氏がマグガリスをイエスの魂の兄弟だと考えていたため、とした。

1994年5月 方便の時代は終わった
*この時まで高橋信次氏からの継続路線が覆ることはなかった。


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