[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
【ザ】+☆+KKⅦ+☆
181
:
エートス
:2005/08/06(土) 01:34:51 ID:wmeGqIYw
>>175
IAOO_KK氏
エートスへのレスでも全然構わないですよ。
>自然界のあらゆる存在にはそれ相当の力量を行使する霊的存在があることを示唆し、地球の文明においてもそれを統括する存在
もしエル・カンターレが全知全能の創造主と仮定するなら、エル・カンターレとあなたが言われることは=になるでしょうね。
>神智学はオカルト知識体系で伝道の義務はない。伝道しないなら伝道の失敗もない。
神智学は信じるのではなく知ることから始まるということですね。
>神智学厨ではなく神智学徒として私が活動(伝道というべきなのかわからんけれど)するなら、サナート・クマラを信じさせることを目的とするのではなく相手の霊的人生観の進展させたり、霊的認識を促進する何らか知識の付与し理解を促すという方向で行うとおもう。
神を信じることと神を知ることにどのような違いがあるのか。
知ることというと熱心な信仰者は、神への侮辱と捉えるかもしれないが、神を知るとは、形而下、KKでいう三次元の世界を知る方法である科学とは異なる知り方があるはず。
いわゆるオカルト現象も純粋科学的にはありえないことだが、だからといって、それを知る手だてが無いとは言えない。
もちろん証明の方法は科学とは異なるはず。
問題なのは、伝道が神を信じることを勧める場合、そこに伝道者の価値判断が入る
ことだと思う。つまり、すばらしい信仰だからとか、これまでのどんな信仰よりも優れているから、とか。
価値判断は主体から自由になることはできないということ。伝道を受け入れるということは、伝道者の価値判断を受け入れることになるのではないか。
>普遍的なものから手をつけ個別的なもので終わらせるようにし向けるでしょう。
普遍的なものから手をつけ普遍性で終わらせるのがイデオロギー。宗教は必ず個別性に収束すべきでしょう。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板