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近代日本の右翼史について

7DDD:2020/02/11(火) 10:00:08
無理やり、歴史の展開を、右派左派、右翼左翼で整理するより、
実際の問題軸と、その時々の派閥などで整理した方が、
有用な俯瞰が可能となると思い、叩き台としての要約を仮に投稿しておく。
テーマがあまりにも漠然なので、大雑把な要約にとどめる。

(1)【明治維新】においては、外圧によって幕府体制が揺るぎ、開国を巡って国論が割れる中、徳川幕府に対して因縁を持つ、薩長を中心とする藩勢力が、様々な思惑を巻き込んで、最終的には尊皇攘夷を名目に倒幕を果たし、政権を奪取。(そして、しれっと開国転向。)

(2)【明治期】においては、藩閥を基とした体制主流派が、士族問題の対処(リストラ)を断行の上、開国対応と並行して、日本国の体制整備を進める。その過程で噴出した原則論や政策論や政経案件を巡って、旧藩背景や国論思想や社会地位や個別思惑に応じた政治対立が展開。明治天皇の威風や、戦勝の影で、結局のところ、国体整備が不完全なまま、新たな時代へと移行。

(3)【大正〜戦前期】においては、藩閥主導が弱まり、政治勢力の多角化が進む中、ソ連の成立を背景に、唯物階級史観の拡充拡散が進み、国内における「矛盾」に対する不満の思想武装化、体系化が後押しされ、社会主義勢力の脅威が内外において深まると共に、取締りが強化され、国家体制の再編が進む。不完全なままの国体整備のもと、各勢力は、日本の目指すべき未来形成や、内外における不義不正や格差や危機対策を巡って、国益先導論と民益先導論が、政党主導論と軍部主導論と交わり、対体制面では大別「協力派」、「対決派」、または「統制的」、「皇道的」、そして、外交面では大別「協調的」、「拡大的」などの違いのもと、幾つかのレベルで対立を激化。軍事的現実に後押しされる形で、国益先導論や軍部主導論が優勢になり、国体前提の空白を埋めて行く。

(4)【戦時激化期】においては、総力戦へと向け、軍事優先の体制が拡充。国家体制の抜本的変更を求める革命派や準革命派は除いて、政治的な立場の違いは、戦争の遂行の仕方(戦争を止めること含め)や、政治の意思決定の仕方(軍部統制の仕方含め)や、国防国家の実現や適正化(それの阻止含め)を主題として決まる。

(5)【戦後期(ソ連末期前)】においては、純化された北朝体制のもと日本の国益議会派は、自民党(自民幕府)を結成し、官僚機構と協力して、安保体制を締結し、それの枠組みの中で、国家体制の正常化、適正化を図る。敗戦を通じて活性化した国内における革命勢力や社会主義勢力や反体制便乗派との対立が展開。安保体制をめぐって、現実派と迷妄派(有効な代替案なき反対諸派)が対立。双方とも、憲法の建前を基本維持しつつも、各々の政策を展開。言論の表舞台においては、戦前の反体制派が主導権を。社会雰囲気は、経済、生活、企業優先。社会言論における史観や政治論は大枠、戦勝国の思惑追随の迷妄偏重を取り敢えず放置。

(6)【戦後期(ソ連末期以降)】においては、欧米に代表される資本主義や、中ソに代表される社会主義の限界(問題、悪事含め)が、広く露呈実感され、冷戦の沈静化や世代交代と共に、第三の道の模索や、東京裁判史観の見直しが広く推進される機運が強まり、実る。


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