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kmath1107@菅理人と雑談するスレ
4417
:
名無しさん
:2011/12/18(日) 22:37:18 ID:???
>>4416
そのような疑問を、むげにしりぞけることはできない。
「存在することそのもの」を一種のはたらきあるいは運動と考えることも可能であって、
運動するものは「他のものからの妨害によって阻止されないかぎり、つねに運動しつづけようとする」。
じっさい、近代の初頭ホッブスは、運動するもののこのような本性を「コナトゥス」と名づけた。
人間の本質であるとされる「自己保存」とは、このコナトゥスが人間個体の次元であらわれたものと
考えることも可能であろう。倫理を自己保存的な存在者のあいだの調整のすべと考えるかぎり、
ひとはホッブスがひらいた思考の地平をほとんど一歩も超え出てはいない。
それは、しかしたしかに一箇の倫理であり、しかも〈貴方〉たちのあいだでなおも支配的な「倫理」である。
ひとことでいって、それは〈私〉の存在の肯定に根拠をおく倫理であって、
人間がたがいにとって〈狼〉とならないための「倫理」なのである。
だが、ほんとうに「人間は人間にたいして狼である」のだろうか。
〈他者〉にたいする〈貴方〉のありようを、べつのしかたで考えることはできないのであろうか。
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