[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
東北太平洋沖地震に関するスレ
188
:
春田の蛙
◆j/aD5mpE9Y
:2011/05/14(土) 07:25:59
【
>>187
続き】
このような刑務所の実情にも関わらず、本書前書きに例示されている刑務官の場合、「観察の理論負荷性」によって
目の前の多くの受刑者の姿が「理論=治安悪化という信仰にそぐわないノイズ」として処理されてしまい、
普段の会話では意識に上らなかったものと推測されます。これは、考えてみれば怖いことです。
2chでのやりとりでも懐疑主義者氏の目からは、創価板に居るアンチが自らの理論にそぐわない主張をしていた場合に、その存在がノイズとして処理されて
しまっていたものと考えられます。では、そんな彼の言う「初めて遭遇しましたよ。あなたの様な創価アンチには。」とはどういう意味なんでしょう?
これって実は、それまでノイズとして処理され意識に上らなかった存在を初めて知覚出来たという、言わば告白なわけですよ。
では何故、今回に限って知覚出来たのか? これまでも私とは再三やりとりしているのに。
――それは、事前に寧楽さんとのやりとりがあったからです。
そもそも、「観察の理論負荷性」が私たちをずっと呪縛しているのならば、価値観の異なる人間同士の相互理解も、科学の発展による
中世的な世界観からの脱却も不可能なはずです。しかし、現実の私たちの社会はそのように変化してきました。
パラダイム論においては、そのパラダイムでうまく説明できないことをアノマリと呼びます。
カルト的な価値観の場合も、アノマリが蓄積すればやがて矛盾を無視出来なくなり、カルトの価値観・世界観の限界に目を向けざるを得なくなる。
最初は純粋に信仰し、矛盾など意識もしなかった学会員が、次第に創価学会の信仰や活動に伴う数々の矛盾を意識せざるを得なくなり、
やがては創価学会的な価値観・世界観の限界を思い知って信仰を失う。これは話を分かりやすくするための単純化した図式ですが、
カルト問題について、その一面をこのように説明することも可能なわけです。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板