[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
放送大学テレビでアラビア語講義
105
:
さーひぶ。
:2011/05/23(月) 07:18:54
【イスラーム世界の歴史的展開('11)⑥】
第6回 トルコ・モンゴル系国家とペルシア語文化:13-18世紀(5月14日放映)
講師:近藤信彰(東京外国語大学准教授)
〔モンゴル帝国〕
セルジューク朝に代表されるトルコ(チュルク)系の遊牧騎馬部族の王朝が中央アジアから
西南アジアや南アジアになだれ込む時代が西暦10世紀頃〜13世紀前半にかけて続き、
アラブ勢力は著しく衰えました。
13世紀にモンゴル高原を統一した武将テムジンは、大ハーンに即位してチンギス・ハーンと号し、
成立したモンゴル帝国は世界征服の大遠征を開始、瞬く間にインドと欧州を除くユーラシア大陸
の大半を制圧してしまいました。
大して多くない軍勢で、比較的短期間に、実に広大な地域の征服を成し遂げたという共通点により、
モンゴル帝国とムスリム・アラブの帝国は比較されることがあります。
しかしながら、アラブ帝国が解体した後もクルアーンとともにムスリム化・アラブ化が進んで
イスラーム世界が拡大していったのに対して、モンゴル帝国(諸ハーン国)が瓦解した後には
支配者モンゴル人たちは各地の社会に埋没・同化していきました。アフガニスタンのハザラ人は
植民して来たモンゴル人の末裔と言われています。
大規模な破壊と殺戮を行ったモンゴル人の支配は「タタールのくびき」と呼ばれて怖れられ、
当時のイスラーム世界の先進地域であった中央アジアも破壊と殺戮により衰えていきます。
チンギスの孫フラーグは、バグダードを占領、カリフを処刑してアッバース朝を滅ぼしますが、
アイン・ジャールートの戦いでバイバルスが率いるマムルーク朝の騎兵に撃退されます。
フラーグがイランを中心に建国したイル・ハーン国は、モンゴル国家(ウルス)の一つでしたが、
その王朝はやがてムスリムに改宗して、モンゴル国家とイスラーム国家の二重の性格を帯びる
ことになりました。80年ほどで滅びます。
モンゴル帝国の時代は、遊牧騎馬部族の諸国家(ウルス)が世界の半分を支配した時代で、
現在はパクス・モンゴリカ(モンゴルの平和)とも呼ばれ、イブン=バットゥータのような旅行者
や隊商が安全に通行できるようになり、西のイスラーム世界と東の元朝時代の中国などとの
交易・交流が盛んになりました。
(106>>に続く)
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板