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81八頭:2006/10/29(日) 14:37:21
山口さん、こんにちは。八頭です。

先に書き込みました衛国文學講堂については衛国に着目した一つの候補にすぎませんし、
郤センが洛陽にいたのかどうかなどの考察がたらず、また邑党が洛陽で関係のあったグループなのかどうか、文学が太学なのかなど検討すべきことが
多いと思いますので、えちぜんさん、むじんさんの書き込みもご参考になってください。

>養鶏種蒜,竭其方術
の意味ですが、そのままでは意味をとりづらいので、
文脈からいくつか仮説(候補)を考え、妥当なものを選ぶのがよいのではないかと思います。
>①「鶏を養い蒜を種え、其の方術を竭くす」ことで母の看病を郤センがしたのなら
山口さんは母の病を治すためとお考えですね。

私は、
②養鶏種蒜,竭其方術の直前の朝夕拝哭に着目した場合
郤センの孝を示すものと考え、菜園で鷄とニンニクを育てていたが、朝晩哭していたため、
それをやめてしまった。
→竭其方術 竭はなくす、と考えました。
しかし、方術が、技術を表す語と考えても、養鶏種蒜を指すのか迷います。
→孝を表すのにそんな表現で当時の人は納得したとは考えにくいかもしれません。

③段落の始めから文脈を考え、母憂去職...不欲車載柩,家貧無以市馬から
喪過三年,得馬八匹までに着目し、時間軸を表すと、

家貧無以市馬→?→喪過三年,得馬八匹

となります。
郤センは「家貧」とあり、また
>未畢,召爲征東參軍とあるように、無官で国からの俸給はなかった思われます。

それなのに、喪から3年が経って馬を八頭得たというのは、
郤センは馬を買う現金(銅銭?)を獲得するために鷄を育て大蒜を栽培していた
のではないでしょうか。

ただ、疑問は竭其方術で其は何を指すのかよく分かりません。
だから、これもただの仮説として読んでください。


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