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46巫俊(ふしゅん):2006/03/18(土) 15:51:52
>ビザンツ
浅薄の至りです。
ビザンツについては、中公のオールカラーの緑色表紙『世界の歴史』シリーズのビザンツの巻をめくったぐらいなんですが、
過少評価するつもりはなかったのです。
むしろ西欧中心の歴史でビザンツが冷遇されたことと、
北方民族が何度も支配した中国の歴史で、河北と結びついた江南はかえって歴史叙述の中心になったことを比較したかったので。

そいで北周と陳ですが、中国が統一される唐以前の時期を、ビザンツの末期と結びつけたことが尚早でした。

五胡=ゲルマン
江南=ビザンツ

と図式化した方がよかったですね。
もっともフランク王国は神聖ローマ帝国とフランス王国に分離するのですが、
それは北周と北斉に比較することができるでしょうか。

とにかく神聖ローマ帝国とフランス王国は近世・近代まで存続するのに対して、
北周と北斉→隋→唐は統一を成し遂げた後に、異民族と節度使の離反で分裂崩壊してしまった点が決定的に異なります。

これは唐の盛時の玄宗以前を主な研究対象にした従来(かなり昔)の唐代史では、抜け落ちて論じられなかったのではないかと想像してしまうのですが、
そうでもないのでしょうか?

とにかくゲルマン民族の大移動を五胡の民族移動のモチーフ・フレーズに使う現在、忘れてはいけないことだと思いますが如何でしょうか?

それからイタリアを回復したビザンツの盛時は劉宋に、
地中海の覇者は、水郷世界の王者としてすり替えて呼ぶことができないこともないですね。
そして南朝が、北朝から島夷と呼ばれたことと、カトリックが正教に不信感を抱いていたことと、、、

比較していったら「見た目」は一致していますが、、、

>ただ中国の方には決して受け入れられないことでしょうが。
すべての中国に同化した民族を、中華民族と呼ぶのですから、
いつか胡が果たした役割を認識してほしいですね。
(現代的な意味で)胡が中国人ではないとは言わないですから(^^;


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