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[天国にいる]山田顕義先生と語るスレッド
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山田市にとって大村の暗殺はあまりに痛かった。
山田と大村の共通点は視野の広さと思い込んだら命がけ、人の話を聞こうとしない点では?。
大村に干されていた山縣有朋が欧州から帰国したのは明治3年8月。鹿児島藩と大村派それぞれの
建軍構想が鋭く対立していた時期に当たります。
山縣は大村益次郎・山田顕義の国民皆兵制度はまだ時期尚早とみていたものの、鹿児島藩との対決は回避を重視しています。
そこで山縣が取った戦術は大村・山田の仏国兵式で兵制統一する事と西郷隆盛を軍政担当首班(大将)にすること。
山縣は自ら薩摩国に出向き西郷担ぎだしに成功し、更に10月4日大阪に向けて出発し大村派山田顕義に
「徴兵法は当然にして素より余に於て異論なし」と明言し
万事面白相片附」ています。
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