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インテリジェントデザイナー論

49GB:2023/11/29(水) 20:14:44 ID:CwmY3r1w
>括弧つきでも「神」という言葉を使うのは、おやめください。誤解の元です。「ID実行者」でよいではないですか。私は、天地を創造した神の話をしてるのではありません。

私がなぜインテリジェントデザイナー=神と捉えているのか、説明しておきます。
まずウィキペディアの『インテリジェントデザイン』から。
ウィキから引用した理由は、誰でも即座に確認可能なことと、引用内容についておおむね同意しますし、説明にあたって好都合だからです。

『宇宙・自然界にみられる精巧さや複雑さは機械的・非人称的な自然的要因だけではすべての説明はできず、そこには「デザイン」すなわち構想、意図、意志、目的といったものが働いていることを科学として認めよう』という理論・運動である。

創造論とインテリジェント・デザインは似ているがやや異なっている。創造論は、クリスチャン(やムスリムなど)が聖書(やクルアーンなど)を信じ「聖書は神ヤハウェの言葉であり、聖書の記述は全て正しい。創世記に書かれている天地創造や生命の創造に関する記述も正しい。よって宇宙も地球も地球上の生命もすべて神ヤハウェによって創造された」と信じて自然を眺める考え方である。それに対してインテリジェント・デザインは、まず自然の領域を積極的に観察することから出発し、生命の中に精妙さ、高度さがあることを認め、驚嘆し、そこから「こんなに精妙なことは自然に起きるはずがない。だとすると、地球上の生命は知能の高い設計者によってデザインされたはずだ。この精妙さは、知能ある何かが関与した証拠だ」という推論を行い結論に達するという考え方である。よって、両者は思考のスタートが異なっているが、生命は誰かによって設計されたという点で同じ結論に至る。

近代においては18世紀の弁証論者ウィリアム・ペイリーが提唱したとされている。ペイリーは、正確に時を刻む精巧な懐中時計から時計職人の存在が連想されるように、自然界の秩序と複雑性から宇宙の設計者の存在を連想せずにいられないと主張した。』(以上引用)

ペイリーと言えばもちろん『自然神学』。伝統的なキリスト教思想から造物主信仰を除き、あたかも客観的な判断を行っているように見えます。
しかし科学的方法にもとづく自然解釈・理解を対置した場合、「自然界の秩序と複雑性から宇宙の設計者の存在を連想せずにいられない」という思いは、本来の意味での客観性を保証するでしょうか。
上記のウィキの引用では「(創造論とIDは)思考のスタートが異なっている」という表現をとっていますが、科学の方法論と比べれば「同じ」でしょう。
トマス・アクィナスのデザイン論にまで遡ることができる、アブラハムの神に基づく思想を基盤にしているとしか言いようがありませんね。

科学哲学的に考えるときに、私はエリオット・ソーバー(科学哲学者;生物学の哲学)をテキストにすることが多いのですが、
彼は創造論とインテリジェントデザイナー論を区別しません。
彼が言うデザイナー論の共通要素は、「科学的なアイデアは敢えて自ら危険に身をさらすのに対し、非科学的なアイデアはそうしない」こと。科学という方法論の根幹ですね。
Lurkerさんの問いです。


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