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化学物質過敏症についての掲示板

10名無しさん:2013/05/04(土) 22:48:10 ID:WdhC8ulw
271 名前アレルギー[] 2013/05/04(土) 18:45:30.84 ID:iC+GBe4E

>>269
>うちのばっちゃが言ってたけど、クリスト教には二重人格が多いって。

極めて信用性に欠ける個人的なただの感想で
しかも三親等の親族の証言を持ち出すとは

>何でかって?
>『汝の敵を愛せよ』憎くて憎くてコロしたい相手を愛せなんて気が触れるって事

問題は福音に焦点を置かずに、聖書をただの人間的な倫理道徳の書だと錯覚していることにある。

芥川龍之介の絶筆、「続西方の人」はこう締めくくっている。

『我々はエマヲの旅びとたちのやうに
我々の心を燃え上らせるクリストを求めずにはゐられないのであらう。』

ところが、残念ながら、彼は、自殺してしまった
彼の枕元には聖書がおいてあったそうだが
彼は自由主義神学(リベラリズム)に影響されてしまっていたので
信じるだけですくわれるのだという「福音」をそのまま受け入れられなかったのだろう

太宰治はさらに聖書を読み込んでおり
まるでクリスチャンであるかのような文章まで残している。

『マタイ伝二十八章、読み終えるのに、三年かかった。
マルコ、ルカ、ヨハネ、ああ、ヨハネ伝の翼を得るは、いつの日か。』
(「Human Lost」より)

『私がこの如是我聞……を書いて発表しているのは……反キリスト的なものへの戦いなのである。
彼らは、キリストと言えば、すぐに軽蔑の笑いに似た苦笑をもらし、なんだ、ヤソか、というような、安堵に似たものを感ずるらしいが、
私の苦悩の殆ど全部は、あのイエスという人の、「己れを愛するがごとく、汝の隣人を愛せ」という難題一つにかかっていると言ってもいいのである。』
(「如是我聞」より)

彼もまたこの難問の前に人間的に煩悶・格闘し
そして、人間の理性の力では、福音に達することができなかった

太宰がもし、信仰義認の奥義をあらわしたローマ人への手紙から読んでいたなら、救われていたのではないかとさえ語る人もいる

だから、知性で考えようとするとおばあちゃん、大変だな

ただ、イエス・キリストの十字架による我々の罪のあがないという救いの福音(グッドニュース、良きおとずれ)を受け取りさすればいいのに


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